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すべての悩める人への万能薬

2021 MAR 23 13:13:29 pm by 東 賢太郎

なぜ、かように奇怪な物が自宅の仕事机にあるかを人に説明するのは難しい。というか絶望的に無理である。あえていうなら、これは薬であるということになるだろうか。

好きな色は金と銀であり、幼稚園で使っていたクレヨンはこの2色だけがすぐに短くなった。光り物好きは母親譲りであるが、自分の生まれつきの色に対する感覚に世界にきっと自分しかいないだろうと想像するものもある。

とにかく、これがあると、気持ちがハイに前向きになる。凄いことだ。すなわち我が社の収益のかなりの部分はこれが生んでいるわけで、駄菓子屋で300円で買ったこれの本源的価値(Intrinsic value)は数億円にのぼると推定されるわけである。

そのことは、金貨チョコレートを混ぜることで、より鮮明に表現されるだろう。

会社のほうはというと、デスクはUSMハラー社の、全面がレモン色のガラス製だ。スイスから輸入した。なぜかというと、子供時分にヴィックス・ドロップに魅せられたからだ。アメリカから入って来たばっかりだったろう、駄菓子とちがうオシャレ感があり、味も気に入っていた。それを「薬だから」と止められたからまずかった。テレビCMで小鳥が嘴で三角形のこいつをくわえてるのが目に焼きついていて、ついに母の目を盗んでぜんぶ食ってしまう。もっと幼いころ、浅田飴でも前科があったらしく、大変なことになった。

それはアメリカで買えなかったビッグマックがいまだに高級食材であるのと似る。ヴィックスはたしかオレンジやハッカみたいのもあったが、レモン専門だったのでハラーの机が材質もろともそれに見えた。するとアドレナリンかエンドルフィンでも分泌されるんだろうか、それとも糖質が回った気になるんだろうか、とにかく頭が冴える。チェアはこれまた鮮やかな太陽のオレンジ色であり、周囲の壁も地中海ブルーと黄色に塗り分けてもらった。社員の皆さんには衝撃を与えたろうし値段も半端でないが、これがまた金銀と同じく絶妙の効果を及ぼし、そう思いこめるだけでも幸せだなあと感慨にひたらせてくれるのである。

人間も所詮は動物であってヤル気に「点火」するには色彩が効くことは検証されている(牛が赤い布で興奮するように)。コーヒーの香りが購買欲を刺激するという実験結果もあり、また、どの音楽がどう人の情動に効くかについて僕は多少の知見を持っている。五感は人を支配していると思う。そういうものすべてを総合して「薬理効果」だと考えれば、クスリをうまく調合することで自分自身のメンタルをけっこうコントロールできるようになってくる。一番難しいのは怒りと嫉妬とされるが、それとて今はうまく抑えることができる。それにはまず、自分に何を見たり、聞いたり、嗅がせたりすれば自分がどう反応するという因果関係を知ることである。

多くの宗教家や智者はそれを目指しているように思える。例えば、老子は『人を知る者は智なり、自ら知る者は明なり』(知人者智、自知者明)と説いている。他人を知ることより自分を知ることのほうが難しいという意味だ。この言葉は好きで、そう信じて生きてきたし、66にしてついにその境地に達したと書けば格好いいだろう。しかしそうではない。僕の場合、自分がどういう時にどう思考・行動しがちか(時に馬鹿か)は概ね学んでいるつもりだが、それは完全な法則ではなく、たぶんこうなるだろうが、なってもびっくりはしないという程度のものだ。ましておや、「だから他人もそうだろう」と思ったら大ハズレでしたという膨大な失敗の山の前には気の利いた言葉すら出ないという無残な現実が目の前に横たわっているのである。

今の僕の境地を素直に書こう。「自知」も「知人」も難しい、いや、というより、どっちも不可能なのである。老子の言い分を逆にしてみればわかる。自知者明、知人者智(自分すらわからない者に他人を知ることは無理だ)となって、これをしたり顔で説いてごらんなさい、誰しもが「昔の人はいいこと言うね」「だよね」と酒の肴ぐらいにはなれてしまうだろう。それはAならB、BならAであるということであり、つまりAとBは等価(同じ集合)であり、何のことない、よく考えるとA=B=0(不可能)だからそれが成り立っているだけだ。「木星も行けないんだから土星は無理だよね」「土星も行けないんだから木星もね」「だよね、だよね」ってなもんで、八つぁん熊さんである。老子様に何を言うか、不遜な奴めと思う方はぜひ最後までお読みいただきたい。

老子のご説を疑う者は2千5百年の間に出現しなかったとは思わないが、信者の多さが勝っただろう。僕がとりわけ天の邪鬼であることは認めるにしても、諸子百家は自身が大王であったためしはなく、多くが権力者に召し抱えてもらいたいモチベーションを持った遊説家であったことはどなたも認められるだろう。大王はみな闘争に忙しい。仮に天下を取ってもいつ寝首をかかれるかも知れない。そういう人は俺様=天下であって、自らを知ろうなんて悠長なことは普通は考えないのである。だから諸子百家や諸葛孔明やマキアベリに顧問のポストがあったのであり、大王は「猿でもできる帝王学」なんて本は書かないから顧問の進言のほうがむしろ成功に導いた名言だったとマーケティングされて後世に残っていくのである。

「江夏の21球」というのがある。自身があれを積極的に語ったのを見たことないし、マウンドにいる投手は大王であり、必死に投げてる者がいかに大投手とはいえそんな意識があろうとは思わない。彼はぽつりとスクイズ外しは「神業」と語った。つまり無意識に体が反応したのが本音だろう。それが球界の伝説に祭りあがり、wikipediaに21球全部の詳しい解説までついた。そんな「こっぱずかしい」ことを彼が語ったとは、賭けてもいいがないと思う。その手のものは、野球をやったことがない人だけが書けるのだ。江夏がどこかのコーチになって21球を教えようたってできるはずもないから、市井の人の酒の肴以上の価値はない。大王と顧問の関係はそんなものである。顧問は本を書いて人生訓にまでして儲ける。二匹目のドジョウで「岩瀬の13球」まで出てしまうのである。

経営者というのは会社の大王である。その意味はというと、偉いからでも人事権があるからでもない。全面的にリスクを取っているからだ。やってみればわかるが、その人にとって経営学の大先生の本やコンサルなんてものは微塵もあてにならない。大企業になって、椅子だけになった社長ポストに座って、企画室のような他人にアイデアをもらっているような人はただの「組織の通過体」であって、そんな組織のできた会社はすでに終わったに等しい。政治もそうだ。「秘書がしたことです」なんて輩は全面的にリスクを取る腹も能力もない人物で、つまりサラリーマンの大王ではあっても真の大王ではなく、企画室長におまかせの吹けば飛ぶような社長と実は同格の人材である。

「自分を知りなさい」と大王に説くのは奸計だ。そんなことを忙しい相手は知らないから智者に見える。そう見せられるタマかどうかだけが一流二流の分岐点ではある。首尾よく雇ってくれれば「閣下はまだ自分をご存じない」「ご慈悲をなさい」とマインドコントロールして利益誘導する機会が手に入る。失敗しても打ち首にされないヘッジもできる。「まだ自分の美しさに気づいてないんだね」と言われて嬉しくない女性はいない。だから古代中国に限らず爺殺しのセールストークでもあり、猟官活動に明け暮れたモーツァルトもオペラ「皇帝ティトの慈悲」を書いたし、秀吉は信長をこれでたらしこんだと僕は見ている。老子のご説の真偽は問題でない。ただ老獪と思うのであり、人間の性を鋭く突いているから正体不明でも25世紀の長きにわたって語られてきたのだと納得する。

他人など知る由もない、自分を知ることも不可能だ。僕がそう確信しているのは「宇宙ディズニーランド」説の信者だからだ。それはここに書いた。

見えている現実はすべてウソかもしれない

たまたま乗ったスペース・マウンテンの車両構造やスペックなど乗りながらわかるはずもないし、まして他人のなど調べる術すらない。だからA=B=0(不可能)以外の何物であるはずもないのである。老子様もショーペンハウエル様もイギリス経験論も、万物はこの宇宙の真理のしもべと考えるのがすっきり気持ちよく生きていくための万能薬だ。

Categories:______サイエンス, 自分について, 若者に教えたいこと

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