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ニッチ楽団CDの絶滅(サンサーンス3番)

2022 AUG 12 20:20:24 pm by 東 賢太郎

パリのマドレーヌ教会というと行かれた方も多いだろう。オペラ座からコンコルド広場に向かう間にあるこの教会はどう見てもギリシャ神殿としか見えない。カトリック教会となる予定だったがフランス革命の勃発で建設が滞り、ナポレオンが軍の記念館にすると決めてこの姿になってしまったが、後に鉄道駅となり1845年に本来の教会としたためである。

マドレーヌ教会のオルガン

マドレーヌとは聖マグダラのマリアのことだ。ここで葬儀を行った著名人は多い。ショパン、サンサーンス、オッフェンバッハ、グノー、フォーレ、ココ・シャネル、マレーネ・ディートリヒ、ジルベール・ベコー、チッコリーニの名がみえる。フォーレはこの教会のオルガニスト(1896-1905)であり、レクイエムはここで彼の指揮により初演された。また。サンサーンスもここのオルガニストを弱冠23才であった1858年から19年つとめており、オルガン作品を書いているが教会に拘束されることは望んでおらず、辞めて自由の身になるとオルガンは弾かなくなった。その彼がロンドンのロイヤル・フィルハーモニック協会(ベートーベンに第9を書かせた団体)の委嘱で第3交響曲を書いたのは1886年、51才の時である。当時のフランスにはオルガンのある演奏会場がなかったがロンドンのロイヤル・アルバート・ホールにはあった。そこで3番の構想ができたと思われる。なれ親しんだマドレーヌ教会のオルガンの音はもちろん頭にあっただろう。

CD棚を眺めていると、サンサーンスの第3交響曲に目が行った。前稿に書いた歌「ハナミズキ」の出だしが同曲第1楽章後半に出てくるオルガンの旋律を思い出させたからだ。すっかり忘れていたが、こういうCDがあった。

マルク・スーストロ指揮 / ロワール・フィルハーモニー管弦楽団

このCD、オルガンはマドレーヌ教会だ(意外にない)。管弦楽を先に録音し翌月にオルガンを二重録音しているのは教会の残響が長く録音バランスが難しいせいだと思われる。

レーベルは自国ものにこだわりのあるフランスのForlane(フォルレーヌ)である。ロワール・フィルはアンジェ(Angers)とナント(Nantes)を本拠とするオーケストラ(後者はナントの勅令のナント)。どちらもフランス西端部、ブルターニュ地方、ロワール川河畔のそれぞれ人口15万、30万の都市だから日本なら東村山市、久留米市というところだ。

このCDは94年夏に避暑旅行で滞在したスペイン(アンダルシアのマルベージャ)で、同レーベルのラヴェルと一緒にみつけ、喜び勇んで買った。こういう出会いの思い出は何百もあって、クラシック音源蒐集こそ我が人生の最大の喜びの一つであり、これを提供してくれた音楽業界には感謝しかない。だからヨーロッパを旅してレコード屋をのぞかなかったことはないし、オランダでは中古LP屋をめぐって漁ったし、こういう地方オケの有名曲録音CDにはどうしようもない魅力があって見つければ曲に関わらず全部買った。そのために観光地訪問のひとつやふたつ犠牲にするのはざらだった。特にフランスは地方オケの方がパリ管などメジャーオケよりローカル色があって僕にはたまらず、仮に同じ都市で同じ日にフランス物でロワール・フィルとベルリン・フィルの演奏会がぶつかったら迷うことなく前者を選ぶ。

なぜかというと、僕はこう信じている。音楽は食に似る。食はその土地で地産地消するものがいちばん美味である。鮒ずしは琵琶湖、八丁味噌は名古屋、もつ鍋は博多、小肌は東京、まる鍋とぐじのかぶら蒸しは京都、きりたんぽ鍋は秋田、うどんは讃岐、いかは呼子、しじみ汁は島根、鯛めしは宇和島、たこ(焼)は明石、つけあげは薩摩、芋煮は酒田、干しくちこは能登、かつおたたきは高知、ワサビは有東木、ざっと思い出しても以上は譲れないし、日本人のてっぱんと言ってしまっても許されるのではなかろうか。同じ路線で僕はアジアの国々では、公式の会食でないフリーの時は屋台のB、C級メシを食べた。地元の人が旨いと食らうものは旨いし、民族を知るには一番で商売にもプラスなのだ。

なぜ音楽は食に似るかというと、唄というのは他のどのアートより「土地のもの」であり、米や酒が土地の水の恵みであるように民謡は村人の呼吸から生まれ、子守唄は母親が歌わないと子は寝ない。ドイツ語圏に5年半住んで、ここからラヴェルは出ないと確信に至ったのは土地の人と深くお付き合いしての結論だ。ドイツでもボレロは上手に演奏するが、ペレアスとなると、あれをドイツ語で上演されても食欲はわかない。とすると両者の間のどこかに「越えがたい一線」があるはずなのだが、それがどこかというと関東と関西の間のどこで蕎麦の汁の色が変わるか誰も知らないという話になってしまう。でも、在るものは在るのだ。

カラヤンが手兵ベルリン・フィルでDGに録音した豪華・豪壮なサンサーンスの3番があるが、あれはドイツ語のペレアス同様に奇異なものと僕には聞こえる。もちろん演奏技術の冴えにおいてロワール・フィルの敵でないのは言うまでもない。しかし、それより「土地の水かどうか」の問題は何倍も大きく、それを度外視した処にしか立脚し得なかった百科事典派のカラヤンはそうするしかなかったと推察する。僕が初心者のころ、志鳥栄八郎氏という評論家がレコード芸術の管弦楽曲担当だった。この方は一貫した「お国物主義」で、ドボルザークはチェコ・フィル、ラヴェルはパリ音楽院O.を推していた。ショーペンハウエルの観念論を読んでいた僕には「名曲アルバム」の文字版にすぎず完全無視していた。しかし長い欧州勤務の旅路を終えてみると、それは一理あったのかなと思うようになっている。

有東木のワサビの苗を東京に持ってきて科学の粋を尽くした最適栽培条件で育ててみても、東京の水ではおそらくあの味にはならないだろう。ロワール・フィルは知名度がなくCDが売れないので起用せず、フランス物は全部ベルリン・フィルで録音しようとレコード会社が決めるなら、いずれクラシック音楽の苗はどれも均一の味のワサビに育ち、姿はまっすぐでスーパーに並べると主婦の目にきれいにできあがるだろう。だが「チューブ入りの方が簡単でいいよね、安いし味はかわらないし」とそっちが売れてしまうだろう。味は大きくかわるのだが、わからない人が増えると市場は多数派の価値観に寄っていく。東京のスーパーの鮮魚、野菜のコーナーはみんなそれだと友人の地方出身者は口をそろえる。

恐ろしいことだが、いまそういうことが鑑賞サイドのクラシック音楽界で起きつつある。ロワール・フィルの3番をネットで探してみたが、廃盤で入手はできない。有東木のワサビなのに。するとこれから音楽鑑賞の世界に入ってくる青少年はそれにふれる機会はない。市場に出るのは全部が名門の「グローバル・エリートオケ」による「チューブ入りペーストわさび」になるから彼らはワサビが水生の植物の根だということすら知らない大人になるだろう。神田の藪蕎麦が、どうせもう今の客はわからないしとペースト導入に走れば、江戸時代から続く名店の文化は消える。ちなみに僕はロワールのCDをyoutubeにあげてみたがPVの伸びを見るに食いつきはいまいちであり、そういうことが起きつつあるのは何も日本だけではないと知る(英語で書いてるのでむしろ海外動向がわかる)。ナントの若者が地元のオケの音色にアールヌーボーの香りを感じて愛でるなんてことは、少なくとも商業的にはもう期待できないのだ。オケはポケモンか鬼滅の刃のバックミュージックのメドレーでも演奏した方が客が入るなんて時代がすぐそこに来ている。

ロワール・フィルのようなニッチな演奏団体の録音は収集家にはレアな魅力があり、きっとマドレーヌ教会のオルガンが聴ける価値にも気がついて買ってくれるだろう。そう期待してコストをかけて1984年にこのCDを製作したフォルレーヌという会社は潰れた。理由は2つある。1つ、当時の購買層が寿命で死んでしまった。2つ、クラウド時代で収集家が消滅した。この不可逆的な現実を前に、この事業に資本を出す投資家はいない。日本のオケならクラシック好きで採算に甘いスポンサー企業を探すか、地元の政治家に取り入ってふるさと納税アイテムにしてもらうか、クラウドファンディングで自主制作することもできようが、フランスの田舎のオケに寄付をしてCD1枚もらいたい日本人がそんなに大勢いるなら呼び屋がもうとっくに同楽団を来日させている。

スペインのCD屋で観光をすっぽかしてこのCDを探し出し、その感動と喜びを28年も忘れずこうしてブログまで書こうという僕のような物好きは、かつているにはいたが、世界広しといえどもそうたくさんは残っていると思えないというのが諸事を観察した結論である。従って、冷徹な資本主義の原理下において、こういうCDが市場に次々と現れる桃源郷はもう二度と現れない(これが録音された1984年はCDが新メディアとして鳴り物入りで登場し、その市場がブルーオーシャンに見えていたのだ)。ということは、僕がタワーレコード渋谷店の売り場で時間を費やしても何もいいことは起きない。だから行かない。そこで何千枚も買ってきた僕のような客がもう見限って行かないのだから、音源製作はしないレコード店は既発売音源を値引きしたりまとめ買いさせたりするしか手はなく、やればやるほど客の自宅のCD棚は積んどく状態が進行しますます売れなくなる。

唯一、期待があるとすればクラシックにまっさらな若者にホンモノのワサビの味を覚えてもらって市場に来てもらうことだが、知的好奇心旺盛な子がそれを自ら発見する手立てとなるニッチ楽団のCDは絶滅し、醍醐味を手引きしてくれる先生もいなくなった。それでもクラシック好きは一定数は必ずいる。いなくなるわけではない。しかし、彼らが望んだところで供給側の資本家が利益が出ると信じなければ事態は変わらない。すると、その一定数だけがちんまりとした市場であり、そこで売れる範囲内の投資しかしない。市場にはリスクの少ない誰が見ても折り紙付きのブランド楽団・ソリストによる「定盤」しか並ばず選択の余地はなくなり、名曲喫茶のお決まりの『名曲』みたいなものがクラシックだという固定概念が昭和時代のように復活し、文化は後退し、聴衆は自分の耳はふさいで他人の耳で音楽鑑賞するようになる。オケの演目はポテトチップのキャッチコピーみたいな軽さでチケットが売れる曲と年の瀬のお祭りである第九だけになり、ピアノリサイタルはショパンばかりになり、需要側の量と質の低下が供給側のそれをますます侵食するという縮小均衡のサイクルが作動する。かくして、舌が肥えてない若い住民の多い街に旨い飯屋はできないのである。

僕はレコード、CDを芸術品として買ってきた。1割引きなら買わないが2割なら買おうなんてものはそもそもがアートというに及ばないバッタ物であり、現に中古屋ではそれがバッタ物の値段で流通しており、それが市場プラクティスになれば決してそうではない本格派の優良CDまで価値を毀損してしまうだろう。さらに、サブカル、エンタメとしてクラシックにハマってくれている大事な既存客を、その路線をさらに進めて購買欲を刺激しようとすると、狂乱のエンディングとか爆演指揮者じゃないとコーフンしないなどというアダルトビデオまがいの世界観に踏み込んでいくことになろう。50年も前から我が人生を彩ってきたレコード屋散策の楽しみはこの世から消えた。

 

(これもそう)

フォーレ「マスクとベルガマスク」作品112

 

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Categories:______サンサーンス

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