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僕が一夜漬けに強いわけ

2022 AUG 28 19:19:28 pm by 東 賢太郎

僕が一夜漬けに強いのは3つのわけがある。まず、大学受験浪人と米国経営学修士(MBA)取得で試験というものを普通の大卒より4年分多く受けている。次に、たくさん失敗して落ちている。そして、絶対絶命のピンチではぜんぶ成功しているからだ。

これを伝授してみようとするのが本稿の試みだが少々説明がいる。巷のノウハウ本みたいな形では無理であり、僕がどういう事情と経緯でそれを修得したか(せざるを得なかったか)という形をとった方が結論をすんなり受け入れてもらえると思うからだ(それが本稿最後の2つのパラグラフになる)。「一夜漬け」という日本語は響きが良くないが「クイック・ラーニング」といえばもっともらしいから我々の西洋コンプレックスは根深いと思うが、要するにまったく同じことだから響きにごまかされない日本人になることは非常に大事だ。ただし本稿で述べるのはそれが推奨している速読法や解法裏技テクニックみたいなチャラいものではない。そんなものは必死になれば勝手に身につくし、丸暗記して時間を節約してもなんのインテリジェンスにもならない。時間は万人に平等に与えられた有限の資源である。僕がお伝えするのはそれを活かすインテリジェンスである。それによって時間をセーブする方法は生きていくためのあらゆるTPOで使えて役に立つし、一夜で成らない学問探求ですら千夜、万夜かかる日数が減るとすれば知っていて損はなく、とりわけビジネスで勝ち抜くには必須といって過言でない。そして、こう公言するのもなんだが、言葉の真の意味においても、世の中には「単に受かればいい試験」が吐いて捨てるほどある。それに無用な時間を費やすよりも、恋人とデートしたり趣味を楽しんだ方がいいというのが僕の人生哲学なのである。

小学校であまりに勉強しないのに父が激怒して中学受験させられ、予定通り全部落ちた。それ見ろということで、あらかじめ手配してあった千代田区のスパルタ教育で有名な区立中学に越境入学とあいなる。ここが物語の始まりだ。小田急線鶴川駅から新宿経由で総武線水道橋駅まで片道1時間半も満員電車に乗るはめになったわけだが、これには参った。始発駅でないので座れないどころか、来た電車はすでに殺人的にぎゅー詰めであり、ドアが閉まらず尻を押す駅員さんがいた。カーブで車体が揺れると立っている1列目の人達が座席の人に覆いかぶさって将棋倒しになり、時に悲鳴が上がり、誰かが窓に手をついたのだろうガラスが割れて車内が騒然となったこともある。もちろん本など読めるはずもなく、今ならスマホでイヤホンという手があるがそういう便利なものはない。そこで身につけたのは往復の3時間、周りに寄りかかって立ったまま寝る技だった。思えばこういうことまで父は思い知らせ、世の中お前が思ってるほど甘くないぞと教育したかったのだと思う。

懐かしい。こんな感じだった。

やっとこさで水道橋駅につくと、徒歩10分で千代田区立一橋中学の正門に到着する。ブレザーに紺の半ズボンと顎ひも付きキャップの “成城お坊ちゃまスタイル” で育てられた僕にとって真っ黒な詰め襟の制服は窮屈で動きにくい軍服みたいであり、正門はぽっかりとあく監獄の入り口に見えていた。第一印象はまずガラが悪い(失敬)。進学校だし秀才もいたし後で思えばいたって普通だったのだが、世間知らずの温室育ちにはそう見えた。生活指導の規律は刑務所でもここまではないだろうというもので、入学と同時に叩き込まれる。まず当然の不文律として体罰ありだ。すぐ殴られる。制服は清潔を求められ、襟のホックを外すなど論外、バッジが逆さになっていても鉄拳。肩掛けカバンは行きが右で帰りが左、買い食い・寄り道はもちろん指定通学路以外は通行すら厳禁、朝は1秒遅れても正門で拿捕される。違反者は生徒手帳を没収されて教員に通告され、罪状に応じて職員室で正座1時間などの処罰を受けるのである。いま思えば、ここで鉄の熱いうちの3年間を徹底的に鍛えられたから僕のような人間が軌道を外れずにすんだことは確実で、父と先生方には感謝の言葉しかない。

かたや成城学園初等科(小学校のこと)はというと、子供を管理はせず、授業時間以外はいたって自由だった。桂組、桜組、橘組の3クラスで、親は金持ちばかりで難しい家庭の子はおらず、半分は女子で面倒なことはあまりおきなかった。算数の授業で記憶に残ってるのは九九を覚えたことだけであり、ソロバン、鶴亀算は知らないで大人になった。演劇や写真や映画作りや舞踊や彫塑の授業の方が力が入っていてよく覚えている。いったいそういうものにうつつをぬかすというのは真に心まで富裕な層なのであり、いわば古典的ブルジョアジーの世界である。母はそれが当たり前で家でもそうだったこともあり、成城の空気は僕の中に色濃く残っている。アート系の自由人が世の中で一番偉いと今も問答無用で思っており、東大を出て官僚や政治家などという道は下なのである。エスカレーターだから成績なんてものを考えたことも気にしたこともない。気にするのは新興の成金の親で古参の金持ち界では気にしてないからクラスで成績が何番なんてのも聞いたためしがない。毎日家で予習復習という気ぜわしいカルチャーは存在せず、学習塾ってのは公立の子が行く所らしいよ大変だねっていう程度のものだった。突如、転校させられたのは青天の霹靂だったが、ブルジョアでない親父が心配になった気持ちは今になるとよくわかる。

懸命に一橋中学に適応しようとはしたが、幼稚園からどっぷりつかったその気質だけはどうしても抜けなかった。技術家庭科の教室へ行くと何やら油くさく、何をさせられるかと思うと、万力ではさんで木を削って本箱かなんかを作る。そんなものは買えばいいじゃないかと思っており、なんでこんなことやらされて点数までつけられなければいかんのかとなってしまってもちろん内申書は2である。字は非常に下手でうまくなりたいとは思ったが、習字の課題作品はD(最低)がついて戻ってきて即刻やる気をなくしてこれも2だ。どうも肌に合わない。それもあって予習復習しない習慣はまったく治らなかった。しないということは日々学習が学校に遅れていき、定期的にやって来る試験の直前に一気に取り戻す羽目になる。これがいわゆるひとつの「一夜漬け」であるが、小学校ではなんとかなったが中学ではそうはいかなかった。そうして成績はぱっとせずだんだんと勉強に興味が失せ、同級生の親父さんがやってる西川口の草野球チームに入れてもらって大人から君がエースだとちやほやされて熱中してしまう(校庭がなく野球部がなかった)。試験のたびに順位は絶望的水域まで下がっていって受験はまたしても全滅。自業自得であった。都立11群(日比谷、九段、三田)だけなんとか引っかかって、くじ引きで九段高校への入学が決まった。

思い出の地(九段高校硬式野球部の野球場)

初めて見たその高校は当時はやりの全学連か何かで荒れており、正門に椅子が積みあがってバリケードが張られていた。そういうことに関心は皆無だったが、校則がゆるいのは嬉しかった。制服も強制でない。一橋中とくらべるとムショから娑婆に出た気分だ。しかし入学同時に硬式野球部に入部してこれまた強烈な上下関係の世界に飛び込んだから、やっぱりあまり自由はなかった。真剣に勝負に打ち込み、朝から晩まで考えていたのは部活のことだ。中学では土日だけだった野球が毎日できるのが夢のようだった。しかし通学はさらに参った。駅が水道橋から飯田橋になっただけで往復3時間は変わらず、それに放課後の校庭での練習が加わったからだ。皇居一周してなんだかんだで暗くなるまでしごかれる。帰宅すると7~8時で風呂、夕食、テレビは10時まで。朝は5時半起きで、朝練の水曜日は始発に乗るので4時半起きだ。こうなると予習復習は完全に無視であり、したがって授業も無視であり試験は全教科が一夜漬けだ。事態は一橋の時以上にひどくてのっけから成績は下の方だったと思う。3年になって野球が終わり、東大を受けようと勉強に一念奮起したのは気でもふれたかと周囲を驚かせたろう。勇んで受けた駿台公開模試で偏差値は42だった。ここまで遅れてしまったかと実感したが、全国区はそう甘くないということは野球で味わっていたからじたばたはしなかった。そこから1年ちょっとで同じ模試で全国7位になったがこの変化率はおそらく記録ではないか。シンプルに数学が満点で1位だったからだが、これはすでにけっこう鍛えられていた「一夜漬け力」の証しだった。

先日、納骨式のあと温泉宿で従妹に「ネクタイしめてもらってたよね」といわれ、そうだったかなと思った。母にだ。別に恥ずかしいことと思ってなかった。そういうことはやらないように育てられてるからで、だから旋盤とか万力もやろうと思ってもどうしても無理なのだ。思えばこの流れで自然に予習・復習はなしとなっていた。とにかく家で母が叱ったのはケンカに負けることと買い食いだけで、鉄道模型を部屋中にくまなく展開しようが、頭の毛まで泥だらけで坂すべりしようが、自転車で多摩川を遠くまで昆虫採集の大遠征をしようがOK。好奇心の塊りだった小学生時代にそれを一切否定せず好きなだけ時間を使わせてくれたことは母の偉業である。幼年期・少年期しか現れず、やがて日々のドタバタに紛れて消えてしまう好奇心というものを67才の現在でも変わらず持っている奇特な自分は小学校時代のおかげで作られた。感謝するしかない。そういうことを知って成城の外に出した父は、社会人になっても僕は母の浮世離れした教育で性根が固まっていると心配だったのだろう、大阪の独身寮に電話してきて開口一番が「ちゃんとネクタイはして行ってるか?」だった。

こういう経緯を経て東大に入って父親の修正路線は一応の成功をみたが、長期的スパンで見るならこれも母親路線の「一夜漬け」に他ならず、高校までのツケを間際で一気に回収しただけだ。学業に厳しい親御さんの元で小学校から塾通いして予習・復習を欠かさず、中学高校と順風満帆な秀才人生を歩んできたほとんどの東大生と僕とは水と油ぐらい人間がちがう。彼らはそういうわき目もふらぬ人生をこつこつ歩む忍耐力がある。わき目だらけの僕はそれがない。なるほど役所で出世するならそれだ。でもそういうものは僕には旋盤・万力の世界にしか思えないのである。正直言うが東大は法学・法律に興味があって文Ⅰにしたのではない。学問的興味がわいたのは天文と医学だけで、やってみたら数学、理科は全国区で偏差値80代であり、その2学部は理系の最高峰でもあるからプライド的にも進みたかった。しかし高3の進路指導で色覚異常だからどっちもやめなさいという審判が下る。ならば文系の最高峰を攻略してやろうというアルピニストの選択をしたまでだ。だから文Ⅰ。何が言いたいかというと、合格してしまうと専門学科に学問的興味はないからすることがなく、あとは卒業するだけがゴールとなった。つまり試験は一夜漬けオッケーの体制ということである。それ以外で何が向いてるか当時は知らなかったが、今に至るこの仕事はビジネスとしては一つの回答ではあった。ここからの余生はそれを徐々に本来あるべきアート系自由人に軌道修正していくことになるだろう。

ということで、お世話になった学校はどこも素晴らしいハイレベルな学び舎だったし、なにより一緒に遊んだ友達やチームメートには忘れられない思い出をたくさんもらったのだが、こと学業に課する限りは僕個人のキャパシティの限界に由来する頑ななスタンスのせいで、実は高校卒業まで普通一般の意味における “学校教育” をあんまり受けてないと思われる。だからだろう、僕はアインシュタインが「正規の教育を受けて好奇心を失わない子供がいたら、それは奇跡だ」といってくれて救われた気がしているひとりだ。もうひとつ「教育とは、学校で学んだことを一切忘れてもなお、身についているものだ」、これもアインシュタインだが学校であんまり学んでいない僕に忘れるものはなく、ぜんぶが後付けの独学だから好奇心のわくものだけ本気でやった記憶がある(数学がそれだった)。その先にあった野球と音楽と天文は残念ながらどれも素人で終わったが、格別の愛情だけはちゃんと残って僕の人生の屋台骨になるほど身についているから僕は彼の言うことの生き証人といえないこともない気がする。

よく我が母校という。卒業生がスクラムで校歌を高吟したりする。僕はあれが苦手だ。どの学校もその感じがない。いたのは事実だけれどもいただけであり、僕はいかなる一瞬も僕自身だった。なにか目立つこともしてないから母というほどウェットなものがない。僕に何もかも捨てて真剣勝負で勉強をさせてくれたという意味でなにがしかの “母性” を感じる学校は駿台予備校のみであり、駿台の校歌ならば歌ってもいいかなと思う(知らないが)。東大もウォートンも、在学中は全然関係ないことに精を出していたから高校までと同様なにも学んでいない。前者は国庫から、後者は野村證券から学費を出してもらったから必死に働いて十分にお返しはできたと思う。学業でしたことといえば卒業のためのぎりぎり最低限の努力だ。しようと思ってそうしたのではない、成城初等科の習慣そのままであり、長年やって何度も失敗しているのでこれ以下だと落第だろうという限界を嗅ぎ取る能力が磨かれていて、世界最高にハードルの高い両校でその鼻の正しさが証明された。つまり、アインシュタインの定義に則っていうと、両校で身についたのは一夜漬けの技法なのである。

これは冒頭に述べた満員電車3時間通学を6年して他人より使える時間が少ないことから自然と身についてはいた。クイック・ラーニングしなければ落第だからで、いわば「職場の早飯」だ。しかし、満員電車はなくなったものの大学、大学院でそれをするのは甘く、そこでまた6年間もがくうちに自然とさらなる上達をみたのである。こう言おう。「学校が教えるもので最も役に立つのは、その学校の試験をいかに軽度の努力で切り抜けるかという技法である」。「学問に」でないのにご留意いただきたい。だがビジネスならこれで必要十分であり、空けた時間は人生をカラフルに彩ることに使える。だからクイック・ラーニングは金を取って教えているし、MBAコースとはそれを圧倒的物量のアサインメントをこなさせて体験学習させる学校だと言っていい。楽することを考えるなど悪いことだ、命懸けで仕事に専念しろという人のことは知らない。ビジネスは学問でない。それ自体、お金以外は何も生まない。切り抜ければ終わりであり、芸術のように人を感動させることもなく立派にやって銅像が立つわけでもない。そうした無機的なものをうまくやるには情熱も気合も無用であって、その習得に時間をかけるのは無意味だ。「機械的な戦略策定と一夜漬けの訓練を積めばいい」というのが正解なのである。ではどうすればいいのだろう。

ノーベル賞やフィールズ賞を狙わない人にとって試験というのは蓮舫の言うとおり1番でなくてもいい。これが前提であり僕は1番を狙ったことはないしその能力もない。一夜漬けは「落ちなければいい」までバーを下げる。これが意識改革の第一歩だ。ゴルフで言うなら、1番になる戦略を練る人(=プロ級のゴルファー)とは根本的に別物の戦略であるから天才には無用だが、一般的な才能の人には大いに意味がある(それを一言で片づけられる唯一のケーススタディがゴルフであるのはご容赦願いたい)。『シングルでないゴルファーがロングホール(Par5)でパーをとる戦略とまったく同じ』というのがそれであり、これ以上に的確な比喩を僕は思いつかない。即ち何をすべきかというと「パーオン率8割以上のクラブで打てる距離を3打目で残すようにセカンドを刻む」ことを鉄則とし(=毎度スプーンを取り出すのは馬鹿)、練習場ではそのクラブ(たいがいPWかSW)でその距離(たいがい100ヤード内外)にあるグリーンに100回打って80回乗る練習だけ機械的にすればいい(これはハンディ20でもできる)。この戦略は「本来がバーディー狙い」なので、パーは「バーディーパットをはずしてもいい」という遊びが出る。ここが味噌だ。人間は遊びがあった方が緊張がとけて失敗確率は減ることが科学的に知られている。さらに、そのことを別にしても、世の中は何も考えずにスプーンを取り出す人の方が圧倒的に多いから高い確率で勝てる。即ち試験なら落第しないのだ。丸暗記でいい科目はやるしかないからやればいい。そうでない、理数系の思考力を要する科目は「80回乗る機械的練習」が何に相当するかを明らかにすることこそがポイントだ。ここで具体的には教えられないが慣れればわかる。考えること。それを見抜けば万事が楽になる。

ゴルフをする人は僕が何を言っているか正確に理解するだろう。わからない人はやって下さい。何事も経験豊かな方が万事において得であり、こうやって別な事例から類推してあたかもそれを経験したかのような理解を得ることがビジネススクールにおけるケーススタディという方法論だ。これを理解すれば、さらに次のことまで経験なしに類推して結論を導けるだろう。つまりこの技法はセカンド(第2打)でそれができる所までドライバーが飛ぶことが前提ということだ。そこまで飛ばない人はパーを取るにもラッキーがないと難しいが、ラッキーという言葉は失敗が許されない一夜漬け戦略において禁句なのである。その場合はあなたのドライバーの飛距離にあわせてゴルフコースを選択すれば負けないというセカンド・ベストの選択をすべきである。受験に置き換えるなら「ドライバー」は得点の安定した得意科目である(それが何でもいいが、ないとこの戦略で難関校に入るのは難しい)。総合点のうちそれで読める点を引き算した残りが「セカンドの基準」となる。例えば僕がしたのは東大文Ⅰの定員630人の “なるべく上位” を曖昧に狙うのではなく、631番以下になる確率を合理的に減らすことだ。この戦略は誰でも思いつくが、「点数の読める数学をドライバーにする」「英・国・社の点数をセカンド、サードに当てはめる」よって「予定調和的に8割以上の勝率になる」と想定したから現実性があると判断した。

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