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偽ベートーベン事件と似ている学歴詐称事件(改定済み)

2024 JUN 30 1:01:07 am by 東 賢太郎

 

全聾の天才作曲家の壮絶な半生。被爆二世として生まれた作曲家は、突然に一切の聴力を失って絶望の淵に沈む。命を支えた盲目の少女との邂逅。苛酷な心身の苦悩を超えて紡ぎだされる交響曲とは?

 

佐村河内守作曲『交響曲第1番《HIROSHIMA》』。今回、聴きなおしてあらためて感動した。これは現代に生まれた立派な交響曲として僕は高く評価する。誕生のいきさつはともあれ、作品は作品として是々非々で鑑賞すべきだ。新垣隆氏の作品ではあるが、プロットを提示し、インスピレーションを与え、何より産まれいずる現世的な動機を与えた点まで考慮するに、佐村河内守氏の存在なくしてこの世になかった作品であり、氏の功績に感謝する。

全曲聴くことをおすすめするが、80分の大曲である故、クラシック音楽に関心がない方は1:11:20あたりから、最後のスタンディング・オベーションの喝采、そして作曲家の登壇まで「画像」のほうをじっくりとご鑑賞いただきたい。

聴衆にはハンカチで涙をぬぐう人がおられ、楽員も聴衆と共に敬意をもって作曲家を讃えており、数ある演奏会でも格別の感動的空間となっている。

こんな素晴らしい交響曲が書けるのか、天才だ、耳が聞こえないのに・・・

耳が聞こえる佐村河内氏の演技に気づく者はいない。「魂の旋律」なる番組が放映され、全メディアこぞって「現代のベートーベン」と持ちあげた。当時、耳については僕もだまされたが、音大の作曲科も出ずにこの曲のスコアが書けるものかとそっちを疑っていた。聴覚はベートーベンのようになんとかなる人はいても、作曲技術を習わないで交響曲を書くのはお釈迦様でも不可能だからだ。

ゴーストライターが名のり出て全貌がばれたのは2014年だ。文春砲だった。すると、全メディアは手のひらを返し佐村河内氏を責めだした。とはいえ音が天から降ってくるお伽話を信じてるレベルの連中だから、イジメは「耳が聞こえないウソ」に集中する。あんたは世間を騙した!と気合が入る。正義の味方を装ってはいるが、自分が馬鹿で盛ったウソを自分でばらして佐村河内のせいにしているのだ。はっきり言うが、汚ねえ奴らだ。しかし、後述するが、都知事になった小池百合子氏が豊洲移転問題でみせた唖然とする手のひら返しも似たようなもので、メディアと彼女はもとから気の合う仲だったと思える節がある。

仮に本物のベートーベンもウソつきで、実は聞こえていたとしよう。第九の演奏会はなくなるだろうか?それはない。第九という音楽は聴こえない人が書いたからではなく、音楽に不動の価値があるから第九なのだ。本件も、新垣隆氏の楽曲に価値がなければ佐村河内氏の耳は話題にすらならなかったろう。

月光ソナタの “盲目の少女” やら、”運命はこう扉を叩く” やらの物語があるのが名曲と信じる大勢の人達の間で「ベートーベンは耳が聞こえないのに作曲したエライ人だ」という別の物語ができる。偉い人は何が偉かったのかみたいなことは考えたこともない人たちだ。つまり、本件はメディアを含めて《HIROSHIMA》など一音符たりとも聞いてない人たちまでが加担して村祭りのように大騒ぎした事件だったのだ。知らない人の物まねといっしょで何をだまされたかはわかってないのだから「ウソつきはけしからん」で終わり。僕もウソつきは毛虫のように嫌いだが、罪はない楽曲まで葬られて「エンガチョ切った」になるのだから、清少納言はこれを「すさまじきもの」に入れるだろう。誠に日本らしく、世界に対してこっ恥ずかしい話だ。

もしも、これが今おきたらメディアはどうしたか?《HIROSHIMA》はクラシックとしては異例の18万枚もCDが売れ、数千万円の印税が作曲家の懐に入り全国ツアーが企画された。以上は事実、ここから想像になるが、ベルリン・フィル級の楽団が演奏して箔がつき、広島生まれで被爆者二世の彼は「非核」「反原発」の寵児になり、世界の再生可能エネルギー推進者のスポンサーがついてCO2のグレタのような『国際利権』ができたろう。それに国売りの政治家どもが群がり、メディアは「聴覚診断書は本物だ」、「本当に聞こえないのだ」と佐村河内のウソを守り、演技をそれっぽく見せる演出をしてあげ、「虚偽の診断書だ」「経歴詐称だ」と騒ぐ言論はだんまりで排除する鉄壁の包囲網ができただろう。

なぜそう思うかというと、これ、最近どこかでおなじみの図式だからである。

小池百合子氏の学歴詐称事件だ。氏のアラビア語が卒業レベルにないこと、および、佐村河内氏の作曲が《HIROSHIMA》レベルにないことは、どちらもちゃんと勉強してないのだから猿でもわかるほど当たり前のことであり、試験をやれば10秒で証明された。それなのにアラビア語にもクラシックにも縁遠いメディアが、これは売れると飛びつき、鵜呑みして高々と持ち上げてしまった。その恥ずかしい発端が非常に似た事件なのである(ド文系ばかりでおよそ縁遠い科学でも、メディアはやらかしてる。STAP細胞の小保方晴子氏に電通が割烹着を着せて放映し、科学者からあれはウソだと指摘が出ると一転して変節し、叩いた。これも同じだ。彼女は気の毒にも追い詰められ、細胞の公開再生実験をやらされたことは記憶に新しい)。

ところが、小池氏の場合だけは、その顛末が例外の展開となったのである。「カイロ大学を卒業した初の日本人女性」「首席」に「足がきれいな芦屋のお嬢さん」まで馬鹿々々しい尾ひれがつき、てっぺんまで祭りあがった所までは佐村河内氏とまったく同じだ。ところがそれに対して「卒業はしてない」と証言する「女帝 小池百合子」が上梓されると様相が一変。ここから「佐村河内コース」に進んで小池叩きになるかと思いきや、カイロ大学の声明文やエジプト大使館が小池の肩をもって反撃してくるとメディアはあっけなくビビってしまった。そこでなんと寝返って小池氏に媚(こび)をうりだし、てっぺんのウソのイメージをセメントの厚化粧のごとく塗り固めてしまったのである。はっきり言うがみっともねえ奴らで、これが現在、都庁記者クラブで小池の寵愛を受ける「喜び組」になってる。歴史的にこの手の奴らを心から馬鹿にするのが日本人というものだ。

「喜び組」の仕事はいいアングルの「画作り」をして不細工な実像は見せない。その作品だけを都民は見せられ、だまされてきたのである。小池氏が都知事に就任した2016年は、佐村河内事件を含む4つの大ウソの余韻が世間に漂うさなかだった。伊勢海老がウソだった阪神阪急ホテルの食品偽装事件(2013)、STAP細胞の論文偽装事件(2014)、偽ベートーベン事件(2014)、三菱自動車の燃費偽装事件(2016)がそれである。安倍政権では後に国会で騒ぎになるモリカケへの働きかけ、麻雀賭博で略式起訴されることになる黒川弘務・元東京高検検事長の定年延長などが水面下で画策されていた。いま振り返るとウソ・ズル・偽装のオンパレードという日本人の倫理観が溶解する流れの中で、元からそれがない小池百合子氏はまさに時の子のごとく東京都に出現し「7つのゼロを目指します」として以下の7つを公約に掲げた。

  • 待機児童ゼロ
  • 介護離職ゼロ
  • 残業ゼロ
  • 都道電柱ゼロ
  • 満員電車ゼロ
  • 多摩格差ゼロ
  • ペット殺処分ゼロ

 

覚えている。いまや朽ち果てた7本の倒木に見える。キラキラ輝やいて見えたこの公約は、実は「7つの大ウソ」であり、反省されることもなくあっけらかんと「東京大改革3.0」にすり替わった。タヌキに騙されたという忸怩たる思いがあったが、ここまであっさり「なかったことに」になると何やら攻め込もうという気持ちが失せる。「築地はネズミが増えて小池さん評判悪いですよ」「ちょっとお友達選んだ方がいいとおもいますけれど、おホホホホ」でドロンパ。田母神さん唖然。大阪のおばちゃんの上手を行くこんなのに真面目に論戦などして何の意味があろう。

この人はなぜ軽いタッチでそういうことができてしまうのか? 連想されるのはカイロでルームメートだった北原百代氏が証言した「女帝 小池百合子」にある以下のような若き小池氏のエピソードである。『留学というのにアラビア語の辞書すら持っておらず、進級試験では教科書の文章の文字を “図形” として丸暗記し、日本人の女の子だからこれを写せば大目に見てくれるわよとのぞみ、案の定、不合格になって落ち込んでいた』というものだ。およそ留学経験者としては人を食ったというか想像を絶する話だが、それがこの人の本質であり、人間、本質というものは一生変わらないものだ。

そのエピソードからさらに連想するものがある。どこぞの大学で、白紙の答案用紙を埋めるため「カレーの作り方」を書いた話だ。小池氏の試みはアラビア語版のそれでなくて何だろう。しかも、試験問題を見てヤマがはずれて愕然としたからではない、試験場に行く前からそれなのだから恐るべしだ。学問をなめくさってる。そのノリで世間も政治もなめてる。「7つのゼロ」はゼロが並ぶビジュアルだけが大事で中身はなく、だからあっさり撤回できる。カレーライスのノリで、選挙に受かるべくダメもとで書いただけだったということだ。こんな無責任な人が都知事をしているのも、それでもできてしまう都政というのも、もはや絶句するしかない。

それが今度は「3つのシティ」だ。「3つ目のカレー」でない保証がどこにあるのか?こんな輩を支持するメディアはもし彼女が公職選挙法違反で逮捕されたら同罪である。新聞が売れず赤字の報道部門を不動産収益でカバーする経営になった大手メディアは、禁断の実の「東京五輪スポンサー」を食った。そして五輪批判ができなくなった。そこから推進派だった小池氏の「喜び組」に落ち、都知事選でも氏を守ることはもうネットで国民にばれている。日本のメディアにはもうジャーナリズムはなく、小池氏にたかる不動産屋なのだ。東京大改革?結構だ。そのベストな戦略は都知事を替えることだ

二元代表制である知事選は大統領選挙に近い。11月にそれが控えてヒートアップしているアメリカではいま何が起きているか。アメリカのメディアはどうか。一昨日アトランタで行われたテレビ討論会はこういうことになった。

ご覧のようなバイデンの惨状は民主党幹部や支持者に衝撃を与えたようだ。こんなボロボロな候補は見たことがなく、民主党応援団長(というより一味)であるCNNもニューヨーク・タイムズもここまで猿でもわかる負けだとかばいようがなく「バイデンを大統領候補から降ろすしかないのか」と報じるありさまである。4年前の選挙キャンペーンでもバイデンはたくさんの驚くべき失言を垂れ流していたが、大手メディアは一切無視して報じず、トランプの発言はどんな汚い手でも使って封殺し、今回のようなほつれは微塵もなかった(この方法を日本のメディアは真似ている)。

選挙は人気投票ではない。候補者はこうして有権者の前でディベート(討論)し、言葉や挙動で優劣を競ってテレビに「頭の中身」をさらけだす。わけのわからん答弁で煙に巻いたり逃げたりすれば卑怯者で頭の中はその程度と国民にばれ、支持率は正直に下がる。さように現代の民主主義はメディア抜きでは成り立たない。だからこその天下の公器であり、バイデン応援団であろうとこうして公器の片りんを見せてしっかりと報道する。だからアメリカではかろうじて国民の信用を保っているのである。

こういうとき、日本の大手メディアならどうするか?全国民がもう知っている。「沈黙」「無視」で少数意見や反論、批判を排除することをである。そんなものは天下の公器ではなく、全国民がそれに辟易している。だから若者は新聞、テレビ、雑誌のオールド・メディアを見限ってネットを情報源としており、中高年もそうなってきた。情報が生命線の僕もそうして10年になるが商売に支障は皆無である。それなのに小池氏がオールド・メディア依存戦術をとってきたのは、メディアが祭り上げて作り上げたウソのイメージが万年化粧のごとく塗り固められており、それさえはげ落ちなければ安全だと思っているからだ。

だから攻撃されてボロが出る小池本人より「AIゆり子」を出してイメージ露出だけは確保するのが安全であり、化粧固めに有効でもあり、なんとなしに最先端っぽい。そのうちゆり子の被り物のゆるキャラも出るかもしれないが、実物も中身はそんなものなのである。人気投票と思って名前を書く人にはそれでいい。他候補の伸びは知れてるからあと8日、なるべく外に出ずしゃべらず公務と称して時間をしのぎ、てっぺんのイメージだけはうまくキープし、自民公明・連合の組織票だけで逃げ切ろう。そういう戦略と思われる。だから公開討論会などやりたくない。

それでも、逃げたと思われるのはマイナスだ。そこでかろうじてやったようにみえる小池、石丸、田母神、蓮舫の公開討論会はこういうことになった。

これを見ていて、小池 vs 石丸の1対1対決が見たくなった都民は物凄く多いと思う。ところが、石丸氏のyoutubeによると「小池氏と蓮舫氏はもう公開討論会には出ないと言ってる。自分はやりたいがもうああいう機会は2度とないだろう」という。蓮舫は何のためにでてきたんだろう。両人ともそんなに石丸氏との論戦が嫌なのか、ということはあの放送で石丸とやるとヤバいとビビったんだろう。ぼこぼこにされるシーンを放映されればウソの化粧がはげ落ちる、それが心配なのだろう。

 

(まとめ)

本稿のタイトル『偽ベートーベン事件と似ている学歴詐称事件』について

クラシック音楽を60年聴いて楽理を勉強しシンセ/MIDIでオーケストラ作品を作曲した僕は《HIROSHIMA》を聴いて、この作曲は音大作曲科卒しかできず佐村河内氏ではあり得ないと文春報道の前から思っていた。このことは、カイロ・アメリカン大学に留学され、上級アラビア語コースを修了した作家の黒木亮氏が小池百合子氏の話すアラビア語を聞いて「大卒レベルではない」と思われたことと符合すると思う。勉強しないとできないことは、勉強してない者にできるはずがない。これは宇宙の真理である。

佐村河内氏は「私が作曲した」、小池氏は「私は卒業した」と言った。宇宙の真理によって、どちらも確実にウソである。佐村河内氏は18年でパートナー(新垣隆氏)と関係が破綻してウソがばれたが、小池氏は約50年ばれていない。その理由は「大学が証明している」と主張し、パートナー(カイロ大学 / エジプト大使館)が協力しているからである。

卒業は証明書1枚で世界の誰もが納得する(そういうものだけを証明書と呼ぶ)。小池氏が “チラ見” させるものは納得できないから大学 / 大使館が協力しないと証明できない。それには大学が証明書を1枚出せば終わりである。それが50年たっても出てこない。その「卒業」が普通の卒業ではないからだと強く推察される。さらに、100%大学マターである「卒業」の証明に大使館(国家)が介入してくるのは何らかの「国益」が関わっていると強く推察される。私人がエジプト国の国益に関われることはない。したがって、政治家であるから国益を提供でき、エジプト国はそれを期待して小池氏を守っていることが強く推察される。それは日本国の国庫負担(税金)で贖われており、その見返りは小池氏の「卒業」をカイロ大学が証明してくれることだけである。日本国が卒業証明の費用を支払う理由はない。よって、そのような人物を政治家にしておいてはいけない。

Categories:政治に思うこと, 若者に教えたいこと

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