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モーツァルト「アヴェ・ヴェルム・コルプス」(K.618)

2024 DEC 9 23:23:09 pm by 東 賢太郎

この曲について何度か書こうと思ったがやめた。こういう音楽に軽々に物をいうのはどうかという気持ちになってしまったのだが、思えばそうやってこの曲を神棚に祭りあげてしまっていたのかもしれない。つい先日、ベルリンRIAS室内合唱団による一期一会の演奏に感嘆したことは前稿で述べた。ああいい曲だなあと心が安らぎ、やがて目がしらが熱くなって涙がこぼれてきて、あれ、なんで泣いてるんだろうと不思議に思うが、わけを知る間もなく音楽は淡々と流れ、一時の悲しみを見せつつ天空の棲み家にもどるが如くそっと消え去っていった。

なにかあちらの世に接したかのようだが、我に返ると心は滋味あふれる暖かい喜びでいっぱいに満たされているではないか。あの晩、サントリーホールでこうやって何人の人が泣いただろう。こんな経験が人生で何度できるだろう。半年後に世を去ったモーツァルトへの感謝は言うまでもないが、音楽という芸術がもつ意味深さ、崇高さというもの、それはお高くとまったクラシックの権威主義の表現ではなく、生身の人間に寄り添って安楽と希望と救済を与える霊的、スピリチュアルなものを包含している。

 

 

その間3分。46小節のアヴェ・ヴェルム・コルプスはピアノ譜にすればたった1ページのものだ。4、5時間もオペラハウスで頑張ってこんなに感動したことって何度ある?

 

 

 

この感じ、覚えがある。いちどだけ味わっている。フィレンツェのウフィツィ美術館で、ほんの数分ばかりのことだったと思うが、これの前にしばし立ってぼーっと眺めていた時の感覚だ。

ボッティチェリ!何だろうこの世界は?アインシュタインによるとこの宇宙は時間と空間が互いに関連し合って1つの四次元時空間になってるらしい。二次元的、静止画像的なのに触れそうにリアルな質感、重量感があるこの矛盾。それを啓蒙された21世紀の頭で考えず、あるがままに受け入れるとアヴェ・ヴェルム・コルプスの3分間になる。

しかし演奏会場を去り、美術館を後にすると、どうしても啓蒙された頭が働きだす。なぜこんなに感動するんだろう?小宇宙を調和させている隠された数理でもあるんじゃないか。ギリシャ彫刻の肉体美にはそれがあるらしいし、アヴェ・ヴェルムにあったら面白い。そこでいよいよ本稿にとりかかることにした。好奇心だ。それで人類はおろか僕ひとりですら幸福になるわけでもない。でも意味ない無駄に夢中になれるのは人間だけなのだ。

モテット「アヴェ・ヴェルム・コルプス」(K.618)を初めて聴いたのは一橋中学の音楽の授業で森谷先生が選んだレコード鑑賞の時間だった。その中でボロディンの「中央アジアの草原にて」に衝撃を受けてクラシックの道に分け入ったのだから先生に感謝しかない。アヴェ・ヴェルムを聴いたことは、クラスメートのYが長い曲名を面白がって呪文のように何度も口にしていたから間違いない。そしてもっと間違いないことだが、肝心の音楽はさっぱり記憶にない。

ボロディンの衝撃は転調だったが、アヴェ・ヴェルムにも衝撃的な転調がひそんでいるのに、そっちの真価に気づくのに僕は20年もかかった。クラシックといえばモーツァルトとお気軽に言われているが、僕にとってはモーツァルトは難しい作曲家だった。思えばその年月はクラシック音楽の深奥に到達するまでの時間だったのだろう、まるで屋久島の千年杉のごとく、険しい山道を登ってやっとたどり着いた先に朧げに彼の姿があり、ああやっぱり特別な人なんだなあという感じなのだ。

しかし、神棚に祭りあげて思考停止は良くない。アヴェ・ヴェルムの出だしは歌詞にないアーヴェーのくり返しがあり、和声はD➡Em/dになる(一般化してⅠ➡Ⅱ)。これはヘンデルのオペラ「リナルド」のアリア「私を泣かせてください」(Lascia ch’io pianga)のパクリかとも思うがラ、ソ#、ソと2度半音降下するソプラノのメロディーラインで気づかない。どことなく似るドン・ジョヴァンニの「薬屋の歌」もバスをⅠ➡Ⅱにしており、スヴィーテンの図書館でヘンデルを研究したモーツァルトはLascia ch’io piangaが好きだったと思う。

ブルックナー4番の稿に、2005年12月末日の雪の日にウィーンに行ったことを書いた。シュテファン聖堂に近い楽譜店ドブリンガーでアヴェ・ヴェルムの自筆譜ファクシミリを見つけて欣喜雀躍して買ったのが昨日のようだ。

1ページの右上に自身が記したように、1791年6月17日(金曜日)、モーツァルトは身重の妻コンスタンツェがバーデンでのスパ滞在中の宿泊施設を見つけるのを助けてくれたバーデン・バイ・ウィーンのシュテファン教会楽長アントン・シュトールへの感謝として、バーデンの宿屋「ツム・ブルーメンシュトック」で上掲スコアを書いた。左は同教会のオルガンに昇る階段の入り口に掲げられたプレートである(モーツァルトも弾いたであろう)。楽長との関係はその義理の妹アントニア・フーバーがソプラノ・ソロを歌ったミサ曲変ロ長調K.275の演奏をモーツァルト自身が翌月7月10日(日曜日)に指揮したことで伺える。

アヴェ・ヴェルムが「魔笛」の作曲中に書かれたことはモーツァルトが同年6月11日(土曜日)にウィーンから妻へ綴った手紙からわかる。「今日、まったくの退屈しのぎにオペラのアリアをひとつ作った」。結びに「お前に1000回キッスをし、お前と一緒に心の中で言おうー “死と絶望がその人の報いだった”」とある。そのアリアはこれ(第2幕No.11)だ。

アヴェ・ヴェルムに「魔笛」の雰囲気を濃厚に感じるのは僕だけではないだろう。漠然と曲調がそう感じるともいえようが、細部に歴然と根拠がある。番号からして後に書かれただろう同じニ長調の第2幕No.18(O Isis und Osiris)はアヴェ・ヴェルムの特徴的な和声連結が現れるのが一例だ(0分16秒のA➡Gの連結、0分30秒Gmへの移行、1分53秒のD➡f# on G)。

アヴェ・ヴェルムはD(ニ長調)で始まりドミナントのA(イ長調)を経てF(ヘ長調)に印象的な転調をし、A7からDに帰還したと思いきや、さらにGmaj7、Em、A、F#m、Bm、E7、D、A、G、D7、Gm、D#dim、E7、A7、D、G、D、A、D、Bm、Em、D、A7sus4という想定外の旅路を経てD(ニ長調)に帰着し、闇の彼方に消える。これはニ長調のアマデウス・コードd, b, g(またはe), a、およびイ長調のアマデウス・コードa, f#, d(またはb), e上の三和音を組み合わせたものである。そこに f はない。いっぽう、魔笛の第2幕NO.10(ヘ長調)はFからf, e, dと下がる旋律がa#に、No.11(ハ長調)はF➡Aの連結があり、ヘ長調のアマデウス・コードf,  d,  b♭(またはg), cである。そこにa#はない。どちらも音列を外れた音で、それ上の三和音の登場は目立たないが音楽のディメンションを広げている。僕にはこれが「魔笛的」になる隠し味のように思える。

和声だけではない。アヴェ・ヴェルムが均整の取れたフォルムであることを象徴するのは、前から23番目、および後ろから23番目がこの2小節であることだ。

いわゆる「サビ」の入り、ニ長調からヘ長調へ転調する全曲のハイライトといえる魔法の瞬間がぴったり曲の折り目になっているのは、意図したものでないかもしれないがまるで奇跡を目撃したようだ。

キリスト教徒でないのに僕は宗教音楽が大好きだ。モーツァルトで最も好きなジャンルがそれで、次がオペラだ。宗教には駄洒落も猥談も出てこない。それ嫌いなのではないし、そういうモーツァルトがいけないというのでもない、生身の人間としての彼こそ愛すべき存在で音楽とは関係ない。ただ、いわゆるクラシック音楽というものの本質はシリアス(まじめ)さにあると僕は信じていて、金銭、名誉、情欲、お遊びなど世俗にまみれた精神を断ち切ったところにそそり立つ崖のように峻厳なものだけがシリアス・ミュージックと呼ばれ、いわゆるクラシックのほんの一部分を成す。

モーツァルトは生きるために機会音楽、娯楽音楽もたくさん書いたが大いにそういう面もあったのは信仰心と無縁でない。書簡集から彼のカソリック信仰への帰依が厚かったとは思えないが、神なる超越した存在を信じる心があったことは両親の最期に際しての言葉に読み取れる。フリーメーソンは宗教ではない。クリスチャンでもユダヤ教徒でも仏教徒でも受け入れるが、絶対超越の神の存在を信じることだけが要件だ。だから彼はメーソンに親和性を見出したし、僕もそれを信じるので違和感がない。唯一大事なのはシリアスなことである。ザルツブルグを去った彼は宗教曲を書かなくなり(書いても未完)、完成したほんのわずかな作品のひとつがアヴェ・ヴェルムだ。珠玉と呼ばずしてなんだろう。

パターソン氏とスヴィーテン男爵

ブルックナー 交響曲第4番変ホ長調

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