ブラームス 「ドイツ・レクイエム」作品45 (その4)
2025 OCT 4 11:11:34 am by 東 賢太郎
幼少のヨハネス・ブラームスが熱中するものがあった。ブリキのおもちゃの兵隊である(写真はイメージ)。並べて大隊を組成しては直し、飽くことなくまた組成し直す。母は「28才にもなって、大事そうに机にしまって鍵をかけてたのよ」と語った。この女性は男子の正しい育て方を知っていた。これが「作品を寝かせ、それが1つの完成した芸術作品として仕上がるまで、音符の多過ぎ少な過ぎがなくなり、改善できる小節がなくなるまで何度も書き直す。それが美しくもあるかどうかは全く別の事だが、それは完璧であるに違いない」(友人G. ヘンシェル作曲の歌曲に対する助言)という作曲への完全主義に通じている。そして、それがあの交響曲やドイツ・レクイエムという大輪の花を咲かせるのだ。
そうやって育てられた男子は多いのではないか。僕の場合は鉄道模型であった。事あるごとに父にせがんでちょっと大きめのOゲージを買ってもらい、毎日嬉々として居間から台所に至るまで家中に線路を敷き詰めて走らせた。重量感を欠くHOゲージは無用だった。実物の車両の連結器の横にある重量のトン表示を綿密にチェックするほど「質量」にこだわりがあったからだ。それを与えるため客車の内部にはビー玉や石ころをぎっしり詰めずっしりと重くした。電動ではなく手で走らせることにリアル感を覚え、何時間でも這いつくばって飽きることなくやった。足の踏み場もなかったが母に文句を言われたことは一度も無く、ただ、7時前になると「パパが帰ってくるよ、叱られるよ」と言われしぶしぶそれを片付ける。完璧さを求めるため何度でも何度でも線路をつなぎ直してた。これが僕を完全主義にした。
ヨハネスは7才で前述のピアノ教師オットー・コッセルについて鍛えられた。「一度だけサボった日は人生最悪でね、帰宅すると父にバレていてこっぴどく叩かれた」と回顧している。10才でベートーベンの五重奏とモーツァルトの四重奏を弾いた公演を聴いた興行師が「神童だ。アメリカツアーをぜひ。莫大な富がはいる」ともちかけた。契約金に目がくらんだ父は即決。本気になって母の小さなお店を損してまで売ってしまった。ヨハネスは後年に「親父は愛すべき昔の男でね、単純で世慣れしてなかったんだ」と愛情をこめて述懐した。
コッセルはというと、仰天し、やめるよう全力で父を説得したが、貧困を脱したい父はきかない。ここは自分のヨハネスの才能への確信を示すしかないと、自分
の師であった大家エドゥアルド・マルクスゼン(左)をひっぱり出した。これが効いて米国ツアーはキャンセルされ、ヨハネスは10才から18才までこのハンブルグ最高の教師につき、演奏技術と作曲技法に多大な教示を受け、ドイツ民謡と変奏曲への嗜好を継いだ。普通科の学校教育は受けたが音楽学校は不要だった。モーツァルトが父から学んだように二人の教師の教えをバッハ、ハイドン、モーツァルト、ベートーベン、シューベルト作品など古典の独学で高みへ導いたのであり、後年にその集大成であったピアノ協奏曲第二番をマルクスゼンに献呈したことで感謝が伺える。完全主義の彼は自己の才能を信じ、それを発見し、信じ、共有することができた父、マルクスゼン、そしてロベルト・シューマンを讃えたのである。
師弟関係はアップグレードされたが出費は嵩んだ。ヨハネスは家計を補うため13才で父の仕事に借りだされ、深夜まで酒場でダンス曲を弾く激務に疲労困憊し、心配
した両親は14才の夏にヨハネスを郊外の街ヴィンゼン(写真)にある父の知人ギーゼマン家に娘のピアノ教師として受け入れてもらう。この処置はヨハネスを救ったどころか、後年の趣味をも決定づける。温かく迎えられ、田園生活を楽しみつつ村の男声合唱団の指揮をして作曲、編曲をした幸福な日々はよほど心に深く残ったのだろう、後世までギーゼマンに深い感謝を述べ、合唱曲への止むことなき嗜好ができ、なによりこれが後年に夏のスイスやオーストリアの湖と森のある大自然の中で作曲する習慣になった(彼は23才まで海を見たことがない)。また、読書家の母の影響で文学に傾倒し、ギーゼマン家で後に作品33となる「マゲローネ」を娘と一緒に読んだ。その延長でハンブルグの運河の橋で売られる古書を収集して読み漁り、心を惹いた詩句、警句を書き綴った自選集のノートを「若きクライスラーの宝」と名づけた。15才だ。自らをなぞらえた楽士クライスラーはこれの登場人物である。
ヨハネスは終生ホフマンのグロテスクで不吉な世界に対する情熱を失わず、そこに潜むハイセンスな皮肉を愛好した。21才のとき(1854年2月27日)にシューマンが精神を病みライン川に投身自殺を図った直後に彼の主題を用いて「シューマンの主題による変奏曲」Op.9 )を書いた。この曲は意味深長で、前年に誕生日プレゼントとしてクララがロベルトに贈った同名曲の同じ主題(「色とりどりの小品 5つの音楽帳 第1曲 Op.99-4」)を「本歌取り」のごとく使用している。シューマンも “ムル” に心酔し、クライスレリアーナを書き、ダビッド同盟でオイゼビウスとフロレスタンに自己の内なる二面性を擬人化したが、ヨハネスはOp.9の各変奏にB(ブラームス)とKr(クライスラー)の符号をつけ、ムルの自伝に闖入するクライスラーのページに対応させており、それは自分に審判を下す「もうひとりの自分」(ドッペルゲンガー)の苛烈な箴言のように響く(第5、第6変奏)。
Bは{第4、第7、第8、第14、第16}、Krは{第5、第6、第9、第12、第13}
脳裏にクライスレリアーナが響かないだろうか。シューマンがクララ・ヴィークと狂ったような恋に落ちて書いた曲が。結婚を拒絶する父を慮ってクララが献呈を受けることを断ったほどダイレクトな狂気に満ちた恋情がオイゼビウスとフロレスタンに託される。21才のヨハネスはそれをB(自分)とKr(クライスラー)に置き換え、巧みな変奏技法で糊塗し、この作品をシェーンベルクは「ブラームスの最も完璧な作品」と讃えた。これが「ブリキのおもちゃの大隊」の結末でなくて何だろう。同年にこれと4曲のバラードを書いて以来、彼はOP.11のセレナーデ第1番(1858年)まで新作を書いていない。1854~1857年にピアノ協奏曲第1番を構想していたこともある。しかし、Op.9を出版した54年の11月にクララと Du で呼び合う熱い仲になっていたことこそが主因だ。シューマンの投身事件後、いよいよ「レクイエム的」なスケッチを書き始め、現在の第2楽章(「Denn alles Fleisch…」)、第4曲(「Wie lieblich…」)の動機がすでに部分的に存在していたとされるのは大変に興味深い。来たるべきシューマンの葬送とクララとの家庭・・・深層心理にあってもおかしくはなかろう。
その1954年6月11日にクララが生んだ末子フェリックス(左)がブラームスの子という説がある。仮にそうとすると受胎は前年9月頃で、初めてシューマン宅を訪れたのが8月だから否定派が多い。とすると、この子にクララがユダヤ人メンデルスゾーンの名を与えたのはヨハネス由来でないのだからシューマンがそうだということにならないか。ともあれクララは「隣にいる可愛い我が子を見るにつけ、病気によって夫が愛するすべてから遠ざけられ、この子の存在も知らないなんて胸が張り裂ける」と手紙を書きつつ、家賃の安い地区に引っ越す計画を立てた。まるで新しい所帯を持つ決心をしたかのように。そしてヨハネスもそれを親身になって助け、まるで遺品整理をするかのようにシューマンの書斎を整理して楽譜や文献を読める喜びを友人アルベルト・ディートリヒに書き送っている。Op.9はここでクララに贈られるのである。ブラームスのクライスレリアーナ。意味深長だ。
ところが、もはや絶望の容態と思われたシューマンは小康状態を取り戻し、あろうことか、問題のOp.9を賞賛する謝辞がとどく。驚いたヨハネスは気まずげに謙虚な返信をし、病院に彼を訪問し、ピアノを弾いて聞かせる。 梅毒は症状が出たり消えたりを繰り返すが、細菌やウイルスが発見されていない当時の人はそんなことは知らない。やがて病状は再び悪化し、それを見届けたヨハネスは演奏旅行に出たクララに「君を死ぬほど愛してる。涙でこれ以上はいえない・・」と師への複雑な思いに抗いながら熱いラブレターを書くのだ。12月5日だ。クララがハンブルグで演奏会を開くと知るや汽車に乗って急行し、彼女を両親に紹介までしてしまう。結婚の意思表示でなくて何だろう。クララは両親とうまくいき、「素朴(simple)だがちゃんとした(respectable)人たちをどれほど家庭的と感じたか」と書いた。ここまではよかった。しかし彼の精神は恩人の回復を望む自分と、クララを得るため死を望む悪魔のドッペルゲンガーのとの闘いに苛まれていたのである。
二人はすぐ両親のもとを去り、デュッセルドルフへ戻ってしまう。生まれて初めてXmasをハンブルグで過ごさなかったことに両親は当惑し、師のマルクスゼンは激怒した。ヨハネスの頭にはシューマンがあった。人気者であるクララは演奏旅行を続けたが、ヨハネスはシューマンを訪ねてはピアノを聞かせ、散歩させ、作曲は停滞してしまっていた。神童の名声を犠牲にしたこの義侠心とさえ見える感情は父にも見せたものだ。ところがクララはそれを見かね、彼を自分とヨアヒムとの演奏ツアーに引っ張り出す。女性はドライというか、まるで母親だ。ダンツィヒではクララたちとの室内楽で思惑通りにうまくいった。そこでいよいよ一人でライプツィヒ、ハンブルグ、ブレーメンの演奏会のソリストとしてモーツァルト、ベートーベンの協奏曲を弾く旅に行って来いと送り出す。しかし、これが良かったのか悪かったのか、大ピアニストのルービンシュタインに凡庸だと酷評されてしまうのである。
とうとう彼は決定的な鬱状態に陥ってしまう。「愛しているが自己否定がある」と、まさにゲッティンゲンでアガーテに愛想をつかされるのと同様の言葉をクララに書いてしまい、彼女はここから先のヨハネスへの手紙を後に廃棄することになる。証拠物件がないのだから色々な見方があっていいだろうが、手紙1本でふってしまい痕跡を消したのだから四十女に振り回された22才の悲劇と見えないでもない。フェリックスは父親と同じハイデルベルグ大学に学び、ヴァイオリンを弾き詩を書いた。気をとめていたヨハネスは作品63-5「我が恋はみどり」、作品63-6「にわとこの木のあたりで」と作品86-5「沈潜」に付曲した。クララの日記によれば、作品63-5を1873年のクリスマスにクララの奏するピアノに合わせて当代最高のヴァイオリニスト・ヨアヒムが弾いた。「彼に何も告げず、私たちが弾き、歌い出しますと、フェリクスは誰の歌かと尋ね、自分の詩を見ると蒼白になりました。あの歌もそして終わりのピアノの部分もなんと美しいのでしょう!」
後のこと、結核を病んでおり、フェリックスの命が長くない事がわかっていたヨハネスはヴァイオリンのメロディを24小節作曲して、その楽譜をクララに送る(ヴァイオリン・ソナタ第1番第2楽章になる)。
「あなたが裏面の楽譜をゆっくりと演奏されるなら、私があなたとフェリックスのこと、彼のヴァイオリンのことをどれほど心底思っているのかをあなたに語ってくれる でしょう。でも彼のヴァイオリンは鳴り響くのを休んでいます―」
この手紙に対するクララの返事にはフェリックスが亡くなったと書いてあった。
24才の訃報にヨハネスは打撃を受けた。同年作曲のヴァイオリン・ソナタ第1番第1楽章第2主題(1分32秒)にエコーしているのは「ドイツ・レクイエム」第2楽章の中間部(変ト長調、第75小節~)であることを指摘したい。
この部分のレクイエムの歌詞はこうだ。
かく今は耐え忍べ、愛しき兄弟よ、
主の来たらんとするときまで。
視よ、農夫は待つなり、
地のとうとき実を。
また耐え忍ぶなり、
朝の雨と夕の雨を得るまで。
かく耐え忍べ。
(新約聖書 ヤコブの手紙 5:7)
これは死者を送るかのようなこの歌詞の後に続く。
肉はみな、草のごとく
人の光栄はみな
草の花のごとし。
草は枯れ
花は落つ。
「主の来たらんとするときまで耐え忍べ」という。死と戦っていたフェリックスに向けた祈りのようにも聴こえる。しかし、6年前の誕生日に贈られクララが好きだった第3楽章「雨の歌」冒頭のリズムが第1楽章冒頭にもなっているということは、亡くなってから書かれたのだ。レクイエムの引用なのだから・・・
その第2主題が初出したあたりで立ち昇る、差しこんだ眩い陽の光に胸が躍り、香しく若々しい、未来への夢に満ち満ちた情感。幾度耳にしても悲しい。クララはブラームスに宛てて「私の心はあなたへの感謝と感動に高鳴っております。そして心の中であなたの手を握ります」「このような音楽こそが、 私の魂の最も深く柔らかいところを震わせま す!」と書き、この作品を(フェリックスのいる)天国に持って行きたいと語った。
ドイツ・レクイエムの第1、2楽章は28歳(1861年)に書かれた。第2楽章が形になり始めたのは母が亡くなった1865年から。67年にウィーンで第1〜3曲の初演をしたが失敗。翌年、ブレーメン大聖堂にて6楽章版(第1〜4、6、7)を演奏して大成功をおさめ、この演奏の後、ブラームスは母を思ってもう1曲を追加することを決意。それが前稿にしたチューリヒ(フルンテルン)で書いた第5楽章で、全7曲の現行版が完成し1869年に出版された。人間的体験と完全主義の合体が、この大名曲を生んでくれたことを音楽の神様に感謝しなくてはならない。
第2楽章はティンパニが運命リズムを刻む葬送曲で始まる。中間部の変ト長調、第75小節、天国の響きにどう転換するかは聴きどころだ。僕は古楽器オケが好きでないが、この曲は2台ピアノ、各パート1楽器のオケでも十分に聴けるので気にならない。モンテヴェルディ合唱団は非常に強力である。
62年録音の旧盤。若きサヴァリッシュがウィーン響を振る。ティンパニを強打し、質感はバッハ、ベートーベン路線の鉄のように堅牢で筋肉質な造りだ。ウイルマ・リップ、フランツ・クラスも立派なもの。全曲おすすめしたい。魂を癒すレクイエムが完全主義者ブラームスの書いた音楽であることを雄弁に物語る。耳ざわりの良いきれいな音を出そうなどという気は全くない。熱い。ウィーン楽友協会合唱団は粗さがあるが、初演当時はこういうものだったかと感じるものがあり興味深い。ライブで聴いたら打ちのめされていたろう。
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