読響定期とドイツ・レクイエム
2025 NOV 22 15:15:16 pm by 東 賢太郎
多忙でコンサート評が二つ飛んでしまった。第一に10月21日の読響定期。この日は高市総理が誕生し、私事では経営会議と米国とのオンライン会議で目まぐるしかった。プログラムは以下。
指揮=セバスティアン・ヴァイグレ
チェロ=北村陽
グリンカ:幻想曲「カマリンスカヤ」
ハチャトゥリアン:チェロと管弦楽のためのコンチェルト・ラプソディ
ショスタコーヴィチ:交響曲第15番 イ長調 作品141
第二曲はライブで初めて。Vn協奏曲のVC版の趣で、あれが好きな人は病みつきになる危険な曲だ。なんといっても北村陽が圧巻!リサイタルを聴いてみたいと思った初のチェリスト、いや、いつまでも聴いていたいと思った稀有の人と書くべきだ。テクニックがどうのというレベルでなく最高の音楽性。間違いなく世界を席巻する才能。参考に3年前のアルメニア国立響との演奏を(当日のはもっとこなれていた)。
ショスタコーヴィチ15番。誰のだったかレコードが初出してレコ芸に大木正興さんが書いた評は、初聴だったと思われ、曲そのものに当惑気味で評価を慎重に保留されていた。息子のとすると1972年。僕は高校3年生。クラシックのスタンダードレパートリーが “新曲” だったときの記憶だ。室内楽の透明感にウィリアムテルやニーベルングの指環の室内楽的でない音響が透かし彫りで浮遊。質量を感じぬオーケストレーション。打楽器での開始と閉幕!引用が出てくるグリンカを前置したヴァイグレの知性に喝采。
もうひとつ、東京オペラシティでの11月1日のドイツ・レクイエム。心を揺さぶられた。これを聴く時間というものは、いつもその時々の心の持ちようによる。安寧ではなかった。この前日にフクの異変に気づいていたからだ。だいぶ前にチケットを買っていた偶然とはいえそこでレクイエムはないだろうと思った。彼を迎えに来ていた何かだったのだろうか、10/15の夜中の2時ごろ、日記に「台所で猫の霊的なものをうかがう」と意味不明の記述がある。ドイツ・レクイエムのブログ1回目(第5楽章)は9/15だ。伏線は8/13に「アガスティアの葉」にある自身の運命をきいたからと思われ、その午後から同曲を聴きまくっている。悪い知らせがあったわけではない、とても深いスピリチュアルな心の持ちようになっていたということ。
フクを安置したリビングルームで流していたドイツ・レクイエムは、出棺が告げられると第6楽章がおわった。煙が天に向かってたちのぼると、小雨模様だった空にぽっかりと青空がのぞいた。
Categories:______演奏会の感想, (=‘x‘=) ねこ。



