この選挙は日本史上初の市民革命である
2026 FEB 11 0:00:27 am by 東 賢太郎
「もしできなかったらどうやって責任を取るんですか?」と芸能人が高市総理に詰め寄っているユーチューブを見ました。総理が日本に蔓延している「縮み思考」と呼んでるものの正体はまさにこれであります。これと戦うのは大変です。政府部門で言えば緊縮財政のスタンスを堅持する財務省がそれです。言うまでもなく財政収支の均衡は大事です、国の台所だし通貨の価値も依存しています。企業であれば経営安定の指標であり株価も依存しています。だから財務官僚や企業の財務部門が緊縮スタンスなのは仕事として当然であり、国なら政治家が、企業ならボードメンバーがそれと喧々諤々の議論をして予算策定・執行や投資を行い、安全を確保したり成長を生み出したりするのです。僕は海外現地法人の社長を3つやらせていただきましたが、最も苦労したのはそれでした。社長(CEO)がアクセルを踏まなければ車は前に進みませんから赤字です。証券会社の厳しい経営風土の中でそんな社長はすぐクビです。賢明にかつ大胆にアクセルを踏むことを期待して僕を送り込んでいる本社の承認は取れたとしても、現地の財務部門が却下すれば現法の取締役会は通らず、無理して押し切って失敗すれば最悪の事態として当事国の銀行免許剥奪だってあり得ます。だからいつでもブレーキを踏む覚悟でアクセルを踏み込まなくてはいけないのです。ひとりの人間の中でこの両方の気持ちを高いテンションでキープするのはとても大変です。好きな女性といつでも別れるつもりで結婚するようなものだからです。そんなことは知るはずもない冒頭の芸能人はそのシチュエーションにある高市総理の結婚披露宴で「離婚になったら手切れ金はいくら払うんですか?」と質問しているようなもので、こいつアタマ大丈夫かという話なんです。国民の7割が支持してる人にそんなことを聞けば7割の視聴者に嫌われるわけです。人気商売の彼がそれでもしたということは、そこまでして守りたい政治信条があるのか、テレビ局のディレクターに指示されてるのか、アタマが本当に大丈夫でない、のどれかですね。
資本主義のまともな先進国であれば、国の繁栄のために財政均衡に目配りしながら「拡大思考」ができる人はちゃんといて、ちゃんとリーダーになってるんです。企業でもそうです。それが政治家でありCEOの仕事なのです。ブレーキも踏むわけだから彼らは決してイケイケどんどんタイプじゃありません。必須条件はまず第一に人間としてまともであること、そして勉強家であることです。そうでないとどこの国であれ一流企業の社員はついてきません。そうしたリーダーがいることが “鏡” となってその国や企業が一流であると世界に評価されるのです。 16年海外で仕事をしてきた僕として、高市さんが総理であることはどこの国へ行っても誇れることだ、ビジネスにとってとてもプラスだと心の底から感じます。僕が海外でやっていた仕事は、簡単に言えば、日本の株式や債券という金融商品を現地の金融機関やファンドに売りこむことです。毎日毎日、高市さんが訴えてるように日本は強い、もっと強くなるという説得をくり返していたわけです。だから彼女の演説を聞いていても何の違和感もなく、これぞ日本国が世界に思いっきりアピールすべきことだと確信するのです。日本にそういう強いリーダーがいては困るなどという日本人はいません。永遠に戦争を反省し「縮み思考」で永遠に大人しくしてますなんて国であれば、大国は征服しようかなと野心を持つことはあってもリスペクトして対等に付きあおうなんて思わない。海外で戦った人は誰でも分かりますが、世界はそんなお花畑ではないのです。
昭和の日本はものづくりが成長の基盤でしたから企業は資本も人材も集中し、「大きいことはいいことだ~」というCMソングが流行ったんです。人海戦術の企業のトップは切れ者より村長さんタイプが丸く収まります。だからそれを目指す社員は飲み会に明け暮れ、人脈を作り人心掌握し、仕事は「よきにはからえ」のタイプが偉くなり、それに馴染まないタイプの人間は使いにくく和を乱すとみなされ偉くしない。僕がいた証券界は絵に描いたようにそれでした。自民党は村が大きくなってもその権力構造は温存し、その中のまた村である派閥というものをつくり村社会原理を離脱してきませんでした。ですから、今回の選挙の結果はいよいよ日本もリーダー像が大きく変わったことを示しているという風に僕の目には映るわけです。飲み会も出なければ派閥も作らない、しかも女性である。古い自民党の中で想像もできなかった総理の出現を7割もの国民が支持したのは事件と言えましょう。 2、3人の爺さんが密室にこもって次の総理を決める。僕には黒魔術の儀式にしか見えないおぞましさであり、それを粉々にぶち壊したジャンヌ・ダルク、いやわが国が誇る美少女戦士セーラームーンみたいな人物の出現を讃えるエールだったと考えるのです。ニ子玉川の演説に子供がたくさん来ていたことも、アニメ世代の若者による「サナ活」ブームもそれで理解できます。
自民党村社会において、勉強は秀才ぞろいの官僚の仕事だったんです。彼らにとって、勉強してない村長を手玉に取るなど赤子の手をひねるようなものであります。そうやって政治家よりも官僚が政策決定において優位となり、総理大臣の生殺与奪にまでかかわるパワーまで持ってしまったために、財務省がブレーキを踏めと言えば唯々諾々とアクセルを放棄する者が総理の座につき、国家という車を前に進める者はいなくなってしまった。それで愛車がズルズルと泥沼にはまってしまったのが失われた30年なのです。悪いのはブレーキを踏む役目の財務省ではありません。ここは思い切ってアクセルを踏むべきである、それが民意であると予算編成において官僚を論破できるほどの頭脳と知識と支持基盤のある政治家がいなかったことなのです。だからそれが不満であれば、すべきことは財務省解体デモではなく、不勉強な国会議員を選挙で片っ端から追い出して有能な議員に入れ替えることだったのです。国民があっという間にそれを学習したのはネットのパワーであり、それが生んだのが今回の歴史的な自民党圧勝だったのですが、しかしながらこれで浄化が完成したと思ったら大間違いです。一昨年の自民党総裁選で石破総理に投票した者が189人もおり、高市旋風のおかげでこの塊は生き残ったからです。これを追い出すためには自民党の村社会原理を一掃しなくてはいけませんが、それは総理ひとりでは困難であり、最低5年の計を持って強力な執行部が冷徹に実行すべきことです。
希望的観測かもしれませんが、有権者が今後も賢明であり続ければ、高市をロールモデルとした自民党総裁が続くのではないでしょうか。僕はその可能性が高いと考えています。なぜなら高市総理のかつてなかった特質は政策をロジカルにくっきりと読み書きできることだからです。これは権謀術数と腹芸で権力を奪取する古い自民党の個人技とは違い、資質と能力さえあれば誰でもできる、ある一定のユニバーサル性を持っています。肩書や権威や忖度でなく言葉で人を動かす。これは国籍を問わず世界で通用する人間の共通項だからです。米経済誌フォーブズが高市を世界で最もパワフルな女性第3位にあげたことがその雄弁な証拠です。呪術やおまじないでどんなに人気が出てもそれは宗教であって政治ではありません。世界はそう理解します。ピーター・ドラッカーは著書でそのことを「経営者はオーケストラの指揮者だ」という比喩で表現しています。団員より誰より楽譜を知り、言葉と身体でやりたいことをはっきりくっきりと伝えないと指揮はできません。日本の村社会で育った議員が理解できないのは仕方ありませんが、それは頑張って勉強すれば乗り越えられるのです。つまり問題の本質ではない。致命的なのは、勉強しないこと、すなわち「井の中の蛙(かわず)」であることなんです。日本の政界が農村風土の頃はそれで良かった。しかし世界の大国と対等に対話し、アピールすべき力の均衡は堂々とアピールし、相互のリスペクトを醸成しながら21世紀型の新たな均衡点を模索していく外交において、井の中の蛙など全く通用しません。「対話が全てを解決します」「対話によって日本の平和と安全は保持できるのです」と説くのは結構だが、ところで、あなたの政党に世界の大国の国家元首と対等に対話してリスペクトを得られる能力のある人がいるんですか?ということです。高市をロールモデルとした自民党総裁が続くなら、与野党を問わず古い国会議員さんたちは役目を終えました。それが今回如実に示された民意だと僕は理解しております。海外の政治情勢はネットを通して簡単に学べます。さらに上級者になって米国株や債券に投資をしている人も大勢いる。「有権者」というセグメントは、不勉強で万年ドメスチックな政治家なんかよりずっと世界の空気をよく分かっています。だから肩書や権威や忖度だけで「昔の名前で出ています」の議員は片っ端から落選したのです。自民は候補者不足で14の比例議席を結果的に他党に譲りました。歴史上初めてのマグニチュードで高市総理が政界をガラガラポンしたのにアホな政党です。本来は330議席だったんで空前絶後になる数字かもしれませんね。誰も斬首されたわけではありませんが、僕は後世の政治学者が、この選挙が日本国に初めて起きた市民革命だったと述べるのではないかと考えています。



