読響定期 カンブルランと北村朋幹
2025 JUL 10 17:17:32 pm by 東 賢太郎
第650回定期演奏会
2025 7. 8〈火〉 19:00 サントリーホール
指揮=シルヴァン・カンブルラン
ピアノ=北村朋幹
メンデルスゾーン:付随音楽「真夏の夜の夢」序曲
細川俊夫:月夜の蓮 ―モーツァルトへのオマージュ―
ツェンダー:シューマン・ファンタジー(日本初演)
カンブルランがフランクフルト歌劇場の音楽監督だった期間と赴任が重なっておりワーグナーなどを聴いた。その真価を知ったのは読響を振ったメシアンである。殊に2017年11月19日の歌劇「アッシジの聖フランチェスコ」は衝撃で、この上演が行われたことは日本の誇りであり、国内で聴いた演奏会ベスト3に入る。ライブ録音されたCDは座右にあり、いまもこれを書きながら流している。
何百回もきいた耳タコの ”名曲” を “あの巨匠” が振りますなんて演奏会に価値を覚える時代は彼等20世紀の最上位音楽家たちの逝去と共に終焉した。そもそも僕には巨匠なんてものはなく、そういうものは芸術ではなく芸能の領域に属する。僕はすべからく芸能には何の興味もない。あまりに当然のことだが肝心なのは個々の演奏が良いかどうかだけだ。ちなみにロジェストヴェンスキーが僕の中では別格だったが、それは彼が巨匠だったからでも、日本で完璧無視だった彼のブルックナーが最晩年になってやおら評判となったトレンドに沿ったわけでもない。若いころ、上野音楽図書室でまだ知られてなかったシュニトケ、シチェドリンらのレコードを聴こうとすると必ずといっていいほど彼のお世話になったからだ。
作曲の最前線にいて創造のフロンティアをつとめるのは指揮者の使命と僕は思っている。彼はその泰斗だった。現代曲だけの話ではない、これも読響だったが東京芸術劇場でロジェストヴェンスキーと夫人がきかせたR・コルサコフのピアノ協奏曲。こんなことをカラヤンがするはずもなく、同じ職種でも別人種である。カラヤンやオーマンディーは何でも振った印象があるがそうではない。基本、名曲だけであり、新ウィーン楽派を録音した程度で話題になるほど新しいレパートリーは不毛。音楽産業の商業主義が売りこんだ人たちだった。「 ”名曲” を “あの巨匠” が振ります」の終焉は20世紀型音楽ビジネスの変容であり、それに依拠しない若い芸術家たちがこれから続々と現れ、21世紀の音楽を牽引するだろう。希望しかない。
ツェンダーのシューマン・ファンタジーは楽しんだ。原曲のシューマン「幻想曲ハ長調」が影絵のようにきこえると思いきやまるでそうではない。オケ後方座席の後ろに立つ8人の奏者の音響と立体的になりシアターピース的要素や音色効果
もある。原曲は和声にかろうじて面影を見せるのが終曲になってはっきりと浮かびだし、故郷に戻ったような充足感を与える。プログラムによると「作曲された解釈」というコンセプトらしいが、これはひとつの新しい楽曲構造と思う。余談になるが作曲家のハンス・ツェンダーは僕がいた当時、スイスのバーゼルで指揮活動をしていたと記憶するが聴いていない。帰国してから彼のシューベルト交響曲全集(南西ドイツ放送交響楽団)を買ったが、これは持ってる7つの全集のうちでも最も興味深く、古楽器でないあっさり系で透明感がありテンポは速めで快い。グレートはバーデンバーデンのオケがコクのある味を出しつつ勘所は決然ときめており、シューベルト好きなら全曲一聴の価値がある。僕はドロドロせずトルソ解釈のこの未完成が好みだ。
この日の最大の聞き物は細川俊夫の「月夜の蓮」だった。初めてだが素晴らしい音楽だ。水面と蓮の花の変容。俳句、華道にも通じる実に日本的な精神世界が現前に現出し、もはや西洋の楽器というメディアの限界を超越していることを知る。こうした作曲家、音楽を持てたことを我が国は世界に誇るべきである。2006年のモーツァルト生誕250年に北ドイツ放送が世界の4人の作曲家に新作を委嘱したがこれはそのひとつで、PC23をベースに(終結部にMov2が現われる)同じ楽器編成で書かれた。これも、拡大解釈すれば「作曲された解釈」という概念に相当し、当日のプログラムの一貫性を見る。
youtubeにあった。
児玉桃も見事だがこの日の演奏は印象がまるでちがう。それは北村朋幹のピアノだ。青白い微光を放つ冒頭の弱音の変ニ音から別な楽器のようだ。短2度を含む不協和音が濁らず清澄なのに驚く。和音は個々の音が絶妙なバランスの強弱で鳴っているのだ。リズムに研ぎ澄まされた神経が通っており音楽、会場の4次元空間を支配する。こんなピアノを聴いたのは正真正銘、人生初めてだ。この冒頭ソロ、最初の数音符を耳にして、つい先日にアップしたばかりのアルフレート・ブレンデルによるリストの「巡礼の年・第2年イタリア」第1曲「婚礼 Sposalizioホ長調」の冒頭の数音符の “質感” が即座に脳裏に浮かび出た。噓のようだが本当だ。それを帰りの地下鉄でふと思い出し、プログラムをとりだして北村朋幹が何者かとページをめくってみると、こうあった。「録音はソロアルバムをフォンテックからリリースしており、『リスト 巡礼の年 全3年』などの成果により・・・」。What a coincidence! 噓のようだが本当だ。最近こうした現象がよく起こる。
早熟の天才メンデルスゾーン17才の奇跡のような木管和音がサントリーホールに魔法をかけ、モーツァルト、シューマンがシェークスピアの妖精たちのように森の中から顔をみせる異次元の2時間。ブーレーズなきあと、存命の指揮者で誰が好きかと問われれば即答でカンブルランだ。
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