3iアトラスの置き土産(赤は人の数だけある)
2026 APR 8 6:06:49 am by 東 賢太郎
思いおこせば、観測史上3つめである恒星間天体「3iアトラス」につき拙文を上梓したのは去年の11月5日未明だった。それがWOWシグナルの発信源ならば、大学生だった1977年から隠居も近い2026年まで半世紀のご縁があったことになる。 100億年前に生まれた天体にとって50年は0.0000005%と、まさしく天文学的に微細な数字であってなにやら光栄な心持ちすらある。そうした気分から万感の思いを込めて文章を綴ったものだが、その2日後に愛猫フクが天に旅立って全ての気力が失せるほど動転する羽目となり、そして天体は二度と戻ることない虚空の彼方に去っていった。
3iアトラスの正体は誰も知らないことになっている。最も観測情報を持っているアメリカ航空宇宙局(NASA)が公式見解として「普通の彗星でした」で幕引きしたからだ。それはないだろうと情報を追い、特に、ハーバード大学宇宙物理学教授アヴィ・ローブ氏のユーチューブ発信は全部チェックした。そして確信した。
NASAは嘘をついている
証拠はない、直感だ。僕は「3iアトラスは宇宙の果てでも成り立っているはずの物理法則を破って学者に衝撃を与えた」と理解している物理学の素人のひとりである。そのことに対し、「ブラックスワン(黒い白鳥)を見た」とリアクトできるほど物理学の絶対普遍性を信奉している人間は地球全人口の1%もいないのではなかろうかと孤独感を覚える程度には、僕はその一員であると自負している。
アヴィ・ローブ教授はブラックスワン、インターセプト(迎撃)なる異例な言葉を含む論文を発表した(迎撃ドローンをinterceptor droneという)。そして、トランプ大統領が99%の側の米国民に向けて事実上のイラン撤退を宣言するや、1%の側から「アルテミス計画」が発表される。 1972年に休止した月への有人飛行の再開だ。これを報道するとこの様にユルいお花畑チックになってしまう我が国において、1%側が何%いるのかはとてもおぼつかない。
目的はNASA職員の女性が語っている。宇宙の通信管理(その真相は冒頭動画から推察できる)および火星有人飛行への中継基地設営だ(冒頭動画は2026/02/18付で、その時点でアルテミス計画に付言している点で価値がある)。
2025/11/5に書いた稿はこれだ。
そしてアヴィ・ローブ教授も2025年の論考やインタビューで、次のように述べている。
・1977年のWOWシグナルの方向と3iアトラスの位置が近かった可能性がある
・この一致は偶然としては「確率0.6%程度」と計算される
・つまり「3iアトラスがシグナルの発信源だった可能性」を検討すべき
しかしローブの見解は学界で主流でなく、
・「刺激的な仮説の一つ」ではあるが
・検証されておらず、かなり推測的(speculative)
とされる。これには違和感しかない。検証されていないから仮説を立てるのであり、それをスペキュレーションと批判する者は17世紀にフランシス・ベーコンが説いた「正しい知識を獲得する方法としての帰納法」を勉強すべきだ。
この一致は偶然としては「確率0.6%程度」
これは恣意でなく計算で導かれた数字であり、「確率0.6%」とは「167回に1回」であり、自然現象なら「人が1年のうちに雷に打たれる確率」ほどだ。社会通念として低い値ではあるが、といって絶対起きないということはなく、たまたま今回起きたのだと言われれば反論はできない。しかし、コップ半分の水を「まだ」か「もう」か論争してもそこから科学は発生しない。色彩は電磁波である光の周波数で決まる。「赤色」に見えるのは約400〜480テラヘルツと幅があり、 400の人と480の人の赤は異なることを意味する。「そのゾーンが赤である」と決めれば「まだ」か「もう」か問題が発生するのは400、480のしきい値(閾値)の2ケースのみであり、確率0.6%がぴったり閾値でないならば、ローブの「かなり低い」という意図を含んだ例示に対し、他の学者が「0.6もある」と言ったに等しい拒絶を見せることは科学的な態度ではないという批判は許されるだろう。
これに対し、帰納法の利用に自由度の高いローブ教授が「ブラックスワン」に言及した点は興味深い。
出版時に話題となったこの書を読まれた方は多いだろう。人間が予期せぬ出来事を理解しようとする方法を分析し、社会で何が起きるかを説く(①予測不能②インパクト甚大③後付けの既知感の発現)。ローブ教授にとって3iアトラスは①②を満たす黒い白鳥であり、③が「普通の彗星でした」であり、偶然としては低確率で出現した太陽系外天体への対応に防衛上の危機感を覚え、著者ナシーム・ニコラス・タレブの「アンチフラジャイル」の哲学を用いて人類に警鐘を鳴らしたのではないか。レバノン人のタレブはウォートンMBA、数学・統計学者で、ウォールストリートのデリバティブトレーダーでもある。確率、ランダム性、複雑性、不確実性の観点から現象を検証し、ここが多くの日本の学者と決定的に違う点だが、 自身がヘッジファンド運用で億万長者になることで自説の正しさを証明している。ちなみに、これは偶然だが、ソナーも彼と同類の哲学による運用によって16年に渡って定常的な利益を積み上げている。現実世界へのアプリケーションが可能な哲学や理論の場合は、結果を数字で証明することが社会へのインパクトを最も明らかにする方法である。
タレブを気に入ったのはそれを行ったからで、一部に異論もあるが、批判者が何万人現れようが我関せずで数字による証明を果たした勇猛果敢ぶりが誠に清々しいからだ。彼が金を儲けたということは、その分、損したした人がいるわけで、では何が大きく損させたかというと黒い白鳥への対応なのだ。株価は波動であるがスーパーコンピューターで分析しても規則性は見つかっていない。あるのは売買によってそれを動かす人間の脳が産む波動である。ブラックスワンに驚いてパニック売りする人が勝つ可能性は低い。ではその逆張りをすれば儲かるかというと実はそれもないから脳を研究しても答えは出ないだろう。発想を逆転した解決法が2つある。 1つはアルゴリズム取引。もう1つは答えは出ないことを正答とし、あるのは確率、ランダム性、複雑性、不確実性だけであると仮定することだ。僕は後者に属する。それでも絶対的な勝利の方程式は存在しないが、勝敗は確率であり、無防備ゆえに負ける愚を減らして相対的に勝率を上げることはできる。アルゴリズム取引は装置産業で膨大なコストがかかるが、そちらは紙と鉛筆だけでできる。
そう考えるようになった理由は独特だろう。僕は自分の色覚の特性から「赤色」は十人十色であって、絶対的な赤は存在しないという考えを持つに至った。「赤く見える」というのは主観であり議論の余地がある(debatable)。赤かどうかは既述のように絶対普遍である数字(周波数帯約400〜480テラヘルツ)によってのみ定義され、そこに属する証明がなければ科学者が言おうがピカソが言おうが僕は赤とみなさない。自分の感覚の上に築かれているという点において他者に影響されず、前提は「数字のみが絶対」の宇宙観であり、既存の類型に当てはめるならば自分は唯物論者、実証主義者であって、リスクをミニマイズしたい演繹的な人間である。これがまずワタクシの第1の特色だ。
ところが第2に、自分の中には別人がおり、時に真逆の主張をする。数字も論理もない仮説を前ぶれもなく思いつき、証拠を出せと否定する自分を説き伏せてしまう。例えば、直感でこの株が上がると思うようなケースだ。もちろん証明は不可能だ。そこで業績が伸びるという仮説を立てられるかどうか検証する。できなければそのアイデアは捨てる。できるなら業績と株価は演繹的な相関性が証明できるので三段論法が成立し、第1のワタクシは納得するのだ。演繹で株価が予測できる場合を業界用語で「おり込み済み」と呼び、誰でも同じ予測が可能だから利益は出ない。帰納的推論は必ずしも同じ予測を導かない。だから先回りして買う機会がそこそこの確率で期待でき、万人がそれを知って買いに来た時に売れば高い確率で利益が出るのである。
ニコラ・テスラが交流電力を発見した発端は既存の電磁気の知識から得た直感(帰納法的推論)であった。コペルニクスの地動説もニュートンのリンゴもそうであり、ケプラーは火星の逆行運動を円の組み合わせで演繹的に解こうとして行き詰まり、「万物は神の意志で円運動する」という当時絶対であった神学的前提を捨てるという帰納法により楕円運動という真相にたどり着いた。思えばシャーロック・ホームズもエラリー・クイーンもコロンボも古畑任三郎も推理(帰納)と捜査(演繹)の両方を用いている。数学の難問を解くのもまた同様であり、機械的な計算問題で演繹力を鍛えるのは誰でもすることだが、ベクトルを使った方が速いのでは?のごとき直感力(帰納)を訓練すれば有益だ。両方を高度なレベルで用いることができる人は世界人口の1%はおろかほとんどいないと思われる。だからそれをインテリジェンスと称し、戦争で知的な武器として使う有用性が担保されるのだ(CIAのIだ)。
僕がアヴィ・ローブ教授の指摘した可能性(帰納法)に大いなる共感を抱いたことを共感いただけただろうか。とはいえ、地動説も万有引力も交流電力も楕円軌道もそうであったからローブ説も正しいとは言えないのは『「a1はPを満たす」かつ「a2もPを満たす」から「全てのaはPを満たす」という結論の正しさは保証されない』という命題は真だからだ。真なる命題は『データをすべて持っているNASAが「検証したが普通の彗星であった」と反証を提示したのでローブの帰納法は “論理的に” 破綻した』でなくてはいけない。
いまや「科学の進歩や国威発揚のため人類を月に」のような目的はインテリジェンスの進化に貢献するどころか無意味な贅沢でしかなく、AI時代に本社社屋の巨大さや従業員の多さを誇る愚かな経営者のようである。約930億ドル(約14兆円)もそれに予算をつけられるほどアメリカの財政は健全でもない。史上最大のIPOを発表したイーロン・マスクのSpaceX社が共同事業者になったとはいえ、国家予算を議会が承認したアルテミス計画はれっきとした公共事業であることを考えると、 その目的が3iアトラスの素性に対するNASAの平平凡凡たる見解によって論理的に破綻したはずのローブ仮説へのNASAの対応であるなら、それこそが国家運営の論理破綻と痛烈に批判されうるだろう。今のところそれは耳にしていないので、アメリカ国民はまじめに火星へ行きたがっているのか、ことの次第をきちんと理解できるインテリジェンスのある者は人口の1%の、そのまた1%しかいない証左なのかもしれない。
では、アルテミス計画の真の目的とは何だろう?
100億年前に3iアトラスを発射した地球外生命体が実在し、彗星を装って太陽系に宇宙船を送り込み何らかの計略を試みた。これがアヴィ・ローブの仮説の本筋である。科学者としての慎重さを担保するため彼はそうは言わないし、言えば国民を不安に陥れるためNASAは政治的意図を持って否定するだろう。1977年に地球に膨大なエネルギーを要する電波(WOWシグナル)をピンポイントで浴びせたのがローブの主張するように3iアトラスであったなら、冒頭動画が開示しているように人類の宇宙空間通信網にサイバー攻撃を仕掛け、ブラックアウトを起こして人類の脅威になる可能性を100%は否定できない。つまり「地球外からの地球防衛」が月面基地建設の本来の目的なら理が通るのである。
100億年前に作られた物体ということは46億年前に誕生した太陽の2倍以上の年齢で、 138億年前にできた宇宙の創世記にほど近い。金属の無い場所で生まれたのにニッケルで表面ができており、自らの作用で軌道も色も変え、太陽と反対方向に出る尾っぽが太陽に向き、微量の有機化合物を撒き散らし、作為でないならあまりに確率の低いフライバイを木星で行った(太陽系への入射角も低確率)。以上は複数のソースで確認されるので事実と思われ、物理学が覆り、未だ仮説であったことが以上の「反証」で証明された。眠れぬ夜を過ごした物理学者が続出したと想像する。そこまで奇妙な、マンハッタン島とほぼ同じという巨大さの、二度と出会うことのない物体がすぐそこを通っているのに血眼で観測しないような人間が天文学者になるとは思えない。世界中のアマチュア天文家までが夜を徹して望遠鏡を向けあらゆる角度からデータをとり、全てをNASAは入手し、真っ赤なウソをついた。ローブは証明できぬ自説を強弁せず、それを暗に指摘する戦略を選択した。
3iアトラスという物体は明らかに異様であり、僕はそのことを多くの人に語った。そして発見した。自分ほど興味を持つ人は周囲にはいないことを。
僕が異様と反応するのは数学、物理学の普遍性、頑強性を信じる強度(レジリアンス)が高く、だから「数字のみが絶対の宇宙観」に起因する哲学で世の中の諸事情を眺めている証拠なのだ。したがって、僕の中でそれが変わることは1+1が2でなくなるぐらいにない。その宇宙観で生きたと思われる人々の中で最も優秀な人はアインシュタインだろう。だからその人が「不気味な遠隔作用」と疑念を呈し、隠れた変数があるとして否定した「量子もつれ」がベルの不等式によって正しいと証明されたことは、僕は宇宙観の転換を迫られていることを意味する。アインシュタインにとって「量子もつれ」はブラックスワンであり、僕にとってはそのことがブラックスワンであった。
つまり、赤色が人の数だけ存在するように、数学、物理学の普遍性、頑強性を信じる強度(レジリアンス)も十人十色なのだ。ない人は強度がほぼゼロであり、黒い白鳥に出会っても黒猫が出たぐらいの反応しかなく、僕の観察によれば、こと天文現象に関する限りそういう人は日本人の大多数と断言してもいい。これも観察からして、西洋人の方が日本人よりレジリアンスが高いように思われるが、彼らは一神教の神を信じ、聖書に書かれた通りに世の中は動くはずだと教育されるからだろう。神の意志は1つしかなく、万物はそれで動き、それを記述したのが数学・物理学であるという信念にこそレジリアンスの源があるということだ。多神教の日本にはそれが育つ余地がなく、実は一神教の理屈という背景がある西欧型の学校教育はストレスであり、「世の中、理屈じゃないよね」といえば「そうだそうだ」と宴席が盛り上がる。子供に宴席はなかったが、群れると漂う同種の空気がどれほど少年時代の僕を孤独にしたことか。
ブラックスワンの著者はレジリアンスが非常に高い人で、予想を裏切る株価の動きは普通の白鳥にすぎないことをランダム性、複雑性、不確実性の理論をもって俯瞰し、自説を大胆に断言しきっているところに小気味の良い面白みがある。驚くのでなく征服する。戦いに勝ち相場でお金を失わないためには戦略からフラジャイルなもの(脆弱性)を消すこと。全く同感である。アヴィ・ローブも多分そうだろう。
イリアーヌ・イリアス 『夢そよぐ風』
2026 MAR 31 7:07:27 am by 東 賢太郎
たった一度しか行ってないのに脳髄に衝撃を受けて人格まで変えたかと思われる国があります。ブラジルです。 いちぶ始終はといわれても夢のようで細かいことはあんまり覚えてません(2016年のブログにある程度書いてます)。
リオデジャネイロまでバンクーバー経由で24時間。タクシーで着いた宿はシーザーパレスと書いてますが、AIで調べるとCaesar Park Rio de Janeiroだったようで、あの「イパネマの娘」のイパネマビーチに面してる高層のホテルでした。
ビーチに出るとトップレスの女の子が100人か200人かどわーっといて目が点になります。きいてみるとカー二バルの前の週だったんですね、国中から女の子が集まってたらしく、あんな絶景、人生でそう拝めるもんじゃない。今となるとあれはコパカバーナビーチだったかな、どっちかな、まだ36歳でしたからね、僕も連れの後輩も絶句してしまいましてね、ホワンとした記憶しかないんです。
このホワンは「イパネマの娘」のサビのふわふわ感みたいです。ちょっといかれてるけどセクシーな、心のもやもやを優しく癒してくれるボサノバのあの魅惑的なコードはこういう土地からじゃないと出てこない。なんせ2月でしたからね、前の日までスーツで底冷えのする大手町歩いてたんですから目が覚めたら乙姫様の真夏の極楽にいましたってなもんで、同じ惑星の出来事とは思えません。地球の裏側まで一気に飛んでこういう経験された方はわかって頂けるでしょう。
こっちが接待されたんですね、ディナーの後はナイトクラブに連れていかれて、ブラジルの夜は長いことを知りました。当時インフレは300%と経済はボロボロで、アメリカ人が「ブラジルの経済は夜成長する」とジョークネタにしてましたからね。食事は何だったか覚えてませんからいまいちだったんでしょう。ナイトクラブのブラスとパーカッションがバリバリのラテンバンドは迫力満点で、音楽がどうのというより空気を変えちまう。 音楽は耳じゃなく体で味わう。直撃する心地よさというか、いやあいいな、ずっと浸っていたいなという快感です。
そこがどんな感じだったか、どこかに書いたなと思ってましたが意外なところにありました。
酒が弱いのは損ですね、綺麗な子に囲まれてたのにすっかり酔っぱらっちまってぷっつんです。そうそう、彼女たちはポルトガル語オンリーで英語も通じないんでどうにもなりませんわね。とにかく竜宮城の浦島太郎状態。ブラジルの男を嫉妬しましたね、同じ人生なら金も名誉もいらねえや、こっちの方が断然いいなと確信したものです。まあニューヨークもパリもこういうとこはありますからね、日本の男は残業は減ったかもしれないけどド真面目に生きてますよね、ホント、小学校から塾通って受験受験で遊びを知らず、社会に出たからって生き様はそう変わりませんわね。僕は大いに遊んじゃった部類ですが、それでもブラジルで目が点でしたからね、若い男性の皆さんは30代までに世界の野郎どもを見て回って男を磨いた方がいいですね。
サンパウロはまあまあ、ブラジリアはいまいちでしたね。まあ役所はそっちなんで仕事だから仕方ないんですが普通の真面目な都市でした。カーニバル直前のリオのど迫力は格別に凄まじく、そこで自分のラテン的な気質に目覚めたんです。革命でしたね。この翌年にドイツに赴任することになりましたが、ヨーロッパではフランスも好きだけどイタリア、スペイン、ポルトガルはもっとラテンが濃いんで惹かれてまして、欧州滞在中に何回も行きましたしね、女性もブリュンヒルデよりもカルメンやヴィオレッタみたいなほうがいいですね。
以前にも書きましたがイリアーヌ・イリアスさんが好きなんで、疲れたとき癒しにきいてます。これはボサノバなのかジャズなのか知りませんが、ボサノバテーストはありますね。特に変わったことは起きないんですが、おしゃれで品格があって心のひだに寄り添って心地よい、誠に上質なエンターテインメントですね、浸っていると本当に自分はボサノバが好きなんだなあと思い知ります。脳髄に衝撃を受けてますからね。
アルバム『夢そよぐ風』(Dreamer)です。
この人の声、なんとなく母に似てる気がします。何度きいても素敵です。
WBCで日本を席巻したネトフリという黒船
2026 MAR 10 13:13:32 pm by 東 賢太郎
野球の面白い所というか、怖いところでもあるが、WBCの日本対オーストラリア戦のことだ。吉田が7回裏に2ランホームランを打ってひっくり返して勝ったが、 天覧試合で1-0で負けるんじゃないかとはらはらしていた。やっている方はプレッシャーがあっただろう。
1~7番に大谷、鈴木、近藤、吉田、岡本、村上、牧とメジャー5人が並ぶ打線。オーストラリア先発投手のマクドナルドは2m近い長身だが、30歳で3年前に投手転向した地元球団の人で、投球練習を見てもスピードもコントロールもたいしたことないように見えた。すぐ5点取れると思った。ところが蓋を開けると3回1安打、しかも9アウト中6つがフライと詰まらされたのだ。
発端は1回裏、先頭の大谷翔平が2、3回バットを振ったが前へ飛ばず、最後はインコースやや高めを詰まったセカンドゴロだったことだ。あれ、意外にタマ来てるのかなと思った。鈴木は歩くが、近藤が低めのスプリットを空振り三振。ふだん三振しない人だ。これもあれっとなる。吉田は歩くが、岡本が中飛でチェンジ。おかしいな、なんとなく大谷のアレが伝染しちゃったかなという感じがした。
よく言われることだが、知らないピッチャーとの出会い頭で味方の強打者があっけなく三振とかすると空気が「伝染」する。すると次の人も力が入って打てない。それだったのかどうか、結局いやな予感があたってしまい、 2、3回は村上、牧、大谷、鈴木、近藤の5人がフライアウトでヒットは若月の1本だけということになった。おそらく「差し込まれる」というやつで、振ったら球が「来ちゃってた」感じの凡打だろう。フライということは、遅く見えるが振りだしたら手元にピュッと伸びてきて遅れ目に押され気味にボールの下を叩いてるという理屈だ。日本戦に先発させるだけあって実はいいピッチャーだったんだ、おみそれしました。
吉田が打ったケネディというピッチャーは 2mぐらいとでかいのに左のサイドでテークバックがほぼなし。少なくとも僕はこんな投げ方は見た試しがない。だからインローのストレートを振り抜いたホームランは、そんなのが出てきてもびっくりしないほど条件反射化された技術の賜物としか考えられない。オールスターのホームラン競争で、スイングしたら全部ライトスタンドに打ち込んでた、あれの再現を見たようだった。才能のある若者は問題なくワールドクラスで通用する。これが日本の宝物であり、のびのびと力を発揮させてあげることこそ日本が持続的に成長していく道筋であると僕は確信している。
それにしても大谷さんが出るWBCは日本人なら誰でも見たい。つい先日までたくさんの興奮と感動をお茶の間にとどけてくれたミラノ・コルティナ五輪が脳裏に浮かぶ。ところがだ。こっちは東京ドームでやってるのに日本のテレビでやってない!NHKは公共放送なんだろ?公共の福祉になってないじゃないか。民放テレビ局は何をやってるんだ!しかも天皇陛下御一家が観戦に来られている。それを日本人が見られないなんて陛下を国民と分断してるじゃないか!国辱ものじゃないかこれは、どうなってるんだ!
そんな感じで全国の高齢者家庭はてんやわんやだろう。長嶋茂雄は天覧試合のホームランで歴史に名を残したが、「全日本人がアメリカのストリーミングサービス会社を通してしか天覧試合が観られない」この非常事態も空前の出来事として歴史に残るだろう。誇り高いテレビも新聞も、放映できない赤恥など認めたくない。みっともない汚点だから事実の背景は絶対に報道しない。みなさんじっくりと観察していてごらんなさい、彼らは試合のハイライトを報道番組やワイドショーネタっぽく仕立ててお茶を濁し、なかったことにする作戦をとるだろう。そこでもうひとこと言っておこう。そんなことをやってるから日本のメディアは「予定調和的に」これから没落していくのである。今や僕のように海外経験の長い国民はいくらでもいる。いくら隠してもその馬鹿さ加減は舞台裏まで見えてしまい、真相はこうやってネット情報としてばらまかれる。もう何を逆立ちして頑張ってもこの潮流は止まらないのである。そんな茶番には関わりなく、水面下では静かに冷徹に事は次のステージに向けて進行している。大谷さんが見たい多くの高齢者が、聞いたこともないネットフリックス(ネトフリ)という ”チャンネル” なら自宅のテレビ受像機で見られることを知ってしまい、料金なんか二の次で子供や孫に頼んでアカウントを作ったに違いないのである。
勘違いしてはいけない。これは誰かが売国行為で日本の資産をアメリカに売ったわけではない。アメリカにあるメジャーリーグという舞台に日本の有能な若手選手が憧れ、ワールドクラスの才能はこぞって流出してしまい、これはどこかの悪い組織がやってることではなく、憲法が個人に保障している職業選択の自由という権利行使であるから、いかなる組織も日本という国家といえども止めようがない。当然ながらそこで手にできるかもしれない1,000億円という夢のようなお金がひとつの誘因になっていることを否定したところで何の意味もない。世の中お金ばかりではないだろう?そうかもしれないが、才能のある若者が才能に見合った生活がしたい、そういう人生を送りたいと望むことを否定する権利は誰にもない。それが自由主義国家というものであり、アメリカは徹頭徹尾それを守る国家であることは、アメリカに住んだことのある者は誰もが知っている。だから「イーロンマスクの報酬が最大で150兆円」というニュースは、一応は人々を驚かせはするだろうが、誰も否定はできない。羨ましければあなたもやったらどうですか?アメリカという国家は誰が大統領になろうと不平等だと言ってそれを剥奪したりはしませんよ、という国であり、それがアメリカをアメリカたらしめているのだ。
NPBイベントは、これまでは巨人軍を持つ読売新聞が仕切っていたが、今回はニューヨークにある大会主催団体のWBCIが読売をすっとばして米国-米国で(すなわちオフショア・ディールで)直接ネトフリと契約してしまったのだ。いくら日本が文句を言おうが、「なら5倍の150億円払え」で1秒でおしまいだ。なら日本の選手は出さないぞという脅しもきかない。大谷さんはもうアメリカの選手だし、鎖国をすれば有能な高校生が大学からアメリカに逃げる仕組みができるだけだ。ワーナーブラザースを11兆円で買収しようとしたネトフリにとって円安下での150億円などピーナッツ(はしたがね)であり、「これからドル箱になる日本市場でネトフリのアカウント数を激増させる投資として、『大谷翔平主演の映画』のつもりでWBCの興行権を買う。プライスは大谷個人の年間広告収入(やはり150億円だ)と同じ額でメークセンスだ。数年で回収してみせる」とでも株主総会でCEOがぶちあげれば全然オッケーだろう。
収入が激減しつつある日本のメディア業界は150億も払ったらテレビ広告でペイなどしない。なぜなら広告主がそんな効果をテレビにもう認めない。なぜなら年々伸びてきている「ネット広告料収入」がついに総広告料の50%を超えたからである。この潮流の中では、民放テレビ局の株主総会の収支計画は財務省お得意の「単年度プライマリーバランス主義」で見せないと株主の納得は得られない。そこで『大谷翔平主演の映画』に投資するぞ!と大見栄を切れるサラリーマン社長などいるはずがない。皆さん、高市総理の掲げる「投資」という概念が企業にも国にも成長にとっていかに大事かということが、このケーススタディで如実にわかるだろう。資本主義の憲法第1条に当たるコモンセンスがアッパークラスに欠落している国は実は国民を豊かにしてあげる事もできないのである。「そうでしょう?だから共産主義的国家にしましょうよ」という更に大きく間違った声が上がり、ここぞとばかりに左翼が元気になるのが悲しい日本なのである。国ごとそれに毒された発想になって、ダイエットし過ぎで骨粗しょう症になってしまい、「骨を折らないことこそが国家的な一大事でござる」みたいにトンチンカンな政治をしてきたのが高市前の日本だったのだ。だから、そんなことを続けていればオールドメディアと同様に、つまりはそこを牛耳ってる無能な老人たちと一緒に「予定調和的に」国力は低下していき、ワールドクラスの才能は大谷さんのように最高の人生を送らせてくれる外国へ出て行ってしまうのである。あまりに当たり前の事だろう。
「イーロンマスクの報酬が最大で150兆円」というニュースは、そういう縮み思考の空気を30年も吸って脳がその色に染まってしまっている日本人には火星の話にしか聞こえない。報酬が高いといってもせいぜい何億円程度の日本のサラリーマン経営者にも実感など湧かない。江戸時代のかわら版感覚でやってる日本のメディアはせいぜい「いかがなものか」と騒ぐだけだ。それを使ってる政治家もほとんどがわかってない。学者や先生はのっけから理解しようとしないから大学で教えてくれるはずもない。かろうじて一部の歴史学者が「歴史の真相はフォロー・ザ・マネーでわかる」と説いており、それは実に正しいのだが、現代の真相の方が国民の生活には大事でしょ、じゃあそれも読み解いて国民にわかりやすく教えてよと言いたい。とても卑近な言い方にはなるが、そのことはマネーをフォローして株で儲けるという作業にとても近い。というかほぼ同じと言ってもいい。もちろん儲けたくなければ儲ける必要はないが、そういうことに興味はないという人は現代の真相を読み解くことにも興味を持たないのである。
ドジャースとチェルシーを持ってる連中、ディズニーとネトフリに近い連中である我々の相方だって黒船の有力候補だ。安政の時代には国ごと黒船だったアメリカ合衆国の唯一の同盟国として生きて行く運命にある日本国が、しかし、ではこの点において、どうすれば国民が幸せになれるのか。これは奴らと深く付き合ってる僕にもわからない。たぶん全員は船に乗れないし、共産主義でないから全員が平等ということは政治も追求しない。だからその問いに実は解はない。だったらお年寄りはともかく、若い人は徹底的にインテリジェンスを磨いて、まずは、いち船員でもいいから黒船に乗っけてもらうしかない。それにはどういう勉強をすればいいか?それは2700本ある僕のブログのあちこちに散りばめて書いてはあるが、そういう気持ちで読まない人には何を言ってるかはわからないだろう。投票所に行く政治参加は大事だが、参加しても自民党がやってる限りあなたが食べられるような政治にはならないかもしれないし、政治家はその責任は取らない。やっぱり答えは自助努力しかない。
ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。
ロンドンのニワトリ女
2026 MAR 5 13:13:57 pm by 東 賢太郎
ロンドンに赴任したころだから1984年のこと。ピカデリーサーカスあたりの繁華街にトサカみたいな頭してつっぱった女がうようよいてね、裏路地でたむろして夜中までタバコだかクスリだかやって危い感じだから道で避けて歩いてたら会社にもいたんだ(笑)。偏見はいけないね。でも、これがロンドンか、あれがパンクか、何でもいいけどすごいとこ来ちゃったなと思ったね(写真は関係ありません)。
僕はビートルズにはズブズブで、アメリカでギター弾いて歌ってたぐらいで、それが解散しちゃって仕方なしにいろんなバンドきいたけどビートルズがスゴすぎてだめ。クラシックに行っちゃってそこでおしまいだったんだよね。だからパンクは一度もきいたためしがないけど「ロック」ってきくと思い出
すのはニワトリなんだ。あとは岩って言葉のイメージでローリングストーンズ(石)でね、ファンには申し訳ありませんが全然趣味に合わないんでロックはあの手のつまんないやつってずっと思いこんでた。だからずっと後になって、皆が「ビートルズは最高のロックバンドだ」というんで、最高は結構だけどロックじゃねえだろって反論しちゃったりしてね、ニワトリでも岩でもないっていう意味だったんだけど。
セラピストのYさんに施術して頂きながらそんなアホなことを言ってしまうのは失礼千万だろう。彼女はちょうどその1980年代の人気番組「夜のヒットスタジオ」で常連のハードロックバンドのリードボーカルだったからだ。今も根強いファンがいてライブハウスはいつも満員というから猫に小判とはこのことで、ロックンロール、ハードロック、ヘビメタ、パンクの区別すらついてない僕は勉強させていただくしかない。
「ヘビメタって何ですか?」「とんがった反体制ロックなんです。日本のメッカは神戸です。有名なガールズバンドもあったりで、業界では東京も関西弁がハバきかしてましたよ」「じゃあ高市さん神戸大学だし」「バリバリ世代ですよ、ドラムスだから鋲(びょう)の革ジャンで演奏はド迫力。バイク乗り回すなんて当たり前なぐらい」。そうか、世界中がビックリしたのは女性だドラマーだばかりじゃなかったんだ。反体制が体制の頂点に登ったんだね、そうやって批判したら面白いのに何というか、芸がないというか、左は人間に深みが無いね。
そういやあ思い出しますよ、東大のキャンパスに革靴でベルボトムのジーパンっていうのがいっぱいいてね、まあだいたい田舎の高校の奴なんだけど、お前、気持ちはわかるけどさ、それやめたほうがいいぜって言ってやったもんだ。女性もね、ズタぶくろみたいなカバンぶら下げて教室来てる感じだったしね、ヘビメタのロッカーからすると自民党の田舎大名みたいなデブのおっちゃんとかね、東大生のなれの果ての官僚とかね、まあ、ダサっ!て思ってるんだろうね高市さん、わかりますよ、今流の文武両道カッコいいね。
ちなみに僕はシュープリームズのファンで、あのノリと迫力はロックであって全然いいと思うけどそういう問題じゃないんだね、ギター抱えてドラムスがあるバンドじゃないとそう言わないから形式要件満たしてない、勉強になりました。でもダイアナ・ロスいいですねえ、深夜放送で聴いてたのはおそらくこれでしょう。
この曲、まずドラムが両手スネアと思われる4拍子の軍隊調ド迫力の頭打ちを1・2・3・4と打ちっぱなし、歌とタンバリンは裏打ち*・2・*・4でスイング感が爆烈。高いミ♭で16ビートのタタッタッタタッタタッタタッタと耳鳴りみたいにずっと響いてるギターリフは「太陽にほえろ」のテーマ曲がパクるほど革命的。そして、そこまでワンパターンに聞こえるだけにサビの転調がビックリするんですね、メインが変イ長調(A♭)なのにホ長調(E)の、しかもサブドミナント(A)のmajor7から入るという、こんなの未だ聴いたことなし!キープ・ミー・ハンギング・オン、永遠に新鮮でカッコいい曲だぜ。ライブはこうなってます。なつかしいね。
ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。
孫文の亡命航路に見たもの
2026 MAR 2 17:17:03 pm by 東 賢太郎
仕事ができて関西に行った。若いころ大阪で2年半過ごしたから知らないわけではないのだけれど、久しぶりに来てみるとやっぱり新鮮だ。その昔、警察署の看板がひらがなで書いてあるのに度肝を抜かれたのがなつかしいが、何ごとも漢字でいかめしい東京流の裃(かみしも)を脱ぎ捨ててしまうと身も心も軽やかだ。
大坂は笑いをとってなんぼだ。そのカルチャーにはほど遠い自分が商売できたのは今となると不思議である。関西の人は総じてフレキシブルでストレートであり、こちらは何事も最短で目的を達成したい性格だから結果論的に波長が合ったのかもしれない。後に知ったがアメリカ人もビジネスではそうであり、大阪の洗礼はけっこう宝物だった。
関西というと大阪、京都、神戸、奈良に和歌山、滋賀ぐらいが入るのだろうか。東京人はどこも「関西弁」と思っているが、どの県の人にそう言っても「**と一緒にせんといて」と言われかねない。つまり大阪弁や京ことばはあっても関西弁なる言葉はない。そりゃ、それを言うなら天皇も関西人だし、日本史のテストに出る中身のたぶん半分以上はロケーション的には関西だから我々はえらそうなことはいえない。
今回は淡路島にも行った。恥ずかしながら人生初めてである。美しい明石海峡大橋を渡った対岸で会議をしながら、もっとお恥ずかしい話とあいなった。「渦潮の鳴門はどこですか?」と尋ねたのだ。一瞬間があり、「はあ、徳島やからずっと南やなあ・・」と気まずい沈黙が流れる。おかしいな、ここから東のはずなんだけど・・。僕は相当な方向音痴だ。だから見た目でなく、頭にある地図で判断してる。皆さん淡路淡路というので、いつしか「島」が抜け落ち、 四国のつもりでいたのである。「いやあ絶景ですな。まるで地中海だ」。瀬戸内海を眺めながら冷や汗をかいていた。
対岸の舞子公園に孫文記念館があるというので案内された。名称は「移情閣」で、大正4年に神戸の貿易商・呉錦堂が建てた八角堂がシンボルの別荘だ。神戸の華僑や豪商がここで孫文を囲んで昼食会をしたらしい。彼は孫子、孫権の末裔と伝わるが若い頃の写真を見るに、なかなかの面構えである。中華民国の初代国民党総理で、日清戦争の終結後に広州での武装蜂起を企てたが失敗し、日本に亡命したのを助けたのが頭山満と犬養毅で、孫文は「明治維新は中国革命の第一歩であり、中国革命は明治維新の第二歩である」との言葉を犬養毅へ送っている。ご一新をそういう性格のものととらえていたのは興味深い。
孫文は清朝打倒活動の必要上「1870年11月、ハワイのマウイ島生まれ」扱いでアメリカ国籍を取得し、革命資金を集める為に世界中を巡った。1905年にスエズ運河を通った際に、現地の多くのエジプト人が喜びながら「お前は日本人か」と聞かれ、日露戦争での日本の勝利がアラブ人ら有色人種の意識向上になっていくのを目の当たりにしている。孫文の思想の根源に日露戦争における日本の勝利があるといわれ、それが「大アジア主義」につらなるのだろう。中華思想でないならば、僕は東洋の王道、西洋の覇道を区分するこの考えに賛同する。
孫文はソ連をバックに第一次国共合作を仕掛けて失敗し、中国は国民党と共産党による長い内戦状態に突入した。昨今の日本でもはるかにマイナーな合作が試みられたが、水と油を混ぜてもドレッシングにはならない。後継の蒋介石が建てた中華民国が台湾であり、毛沢東を継ぎたい習近平が合作完成を目論む。孫文が存命ならどうするだろうと考えながら歩いていたら、彼の亡命航路の地図の前に来た。香港、上海、長崎、神戸、横浜、東京。どこも僕にとって深い地縁がある。ここへ来たのも何かあるのかなと思ってスマホを見ると、たったいま起きたイスラエルと米国のイラン攻撃のニュースが目に飛び込んできた。
ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。
思うこと多き運転免許の高齢者講習
2026 FEB 3 13:13:08 pm by 東 賢太郎
面倒くせえな、高齢者って誰のことだよと思っていた。仕方ない、そう呼ばれるのも順次やってくる七五三や成人式の延長戦と思うことにしよう。何年か前の正月のこと、神社の厄年表をみると「レンジ外」になっていたことに気がついた。少々寂しさはあったものの、よし、もう疫病神との縁は切れたと気楽にもなったものだ。こういうふうに僕は物事のサニーサイドを見て生きるようにできている。単に持って生まれた性格なのだが、そのおかげで歳をとらないと信じてること自体が紛れもない楽天家であって、それが体にあんまり良くない完全主義をうまいこと中和してくれているのは事実である。その絶妙なバランスのおかげでボケてない気がする。先日も海外のストリートピアノを弾きまくって外人を虜にしてる「ハラミちゃん」の動画にたまたま出会い、惚れ込んだ。この子いいなあ、明るくてピアノが大好きで、そのオーラで外人と一発で仲良しだ。僕も仲良しになりたいなあと本気で思うから気は若いのである。
試験は嫌だな。 50年無事故という輝かしい記録を樹立した僕として実技はまったく問題ない。だがしかしと、大学の帰り道に成城学園前駅で降りてバスで通ったニ子玉川の小山ドライビングスクールのことを思い出したのである。学科試験でこういう問題があった。「夏は暑いので下駄(げた)で運転してよい」。直感的な常識としてそりゃだめだろで終わりだ。ところが「夏は暑いので」がじんわり効いてきた。猛暑で意識が朦朧として事故を起こすリスクの大きさを考えれば足からも気化熱を発散することは安全上有益ではないのか、下駄ぐらいは許されていいのではないかと、常識を揺るがすあらぬ考えがよぎったのである。いやいやしかし、下駄はいかんな、だって形状からして歯の間にペダルが挟まればやっぱり事故だもんなということで✖にして事なきを得たわけだが、後で調べて道路交通法に根拠があることを知った。サンダルだったら危なかったと思うのである。
この日の目的地、芦花公園に近い「せたがや自動車学校」を地図で調べると、まず環八に出る。これは旧来からのナンバリングでは東京都道311号である。それが第3京浜から国道466号になり、瀬田で東京都道427号と交差する。ここであっとひらめいた。ピアノソナタニ長調 K. 311、ピアノ協奏曲第20番ニ短調 K. 466、ハ短調ミサ曲K. 427 、なんてこった、これはモーツァルト好きの役人がつけたに違いない、なんて思いつつ、このところとんとご無沙汰している運転は家内におまかせする。助手席で何気なくFM放送をつけ、叫んでしまった。わあ!なんということだ、シューマンのラインの第1楽章が展開部の辺りから鳴りだしたのである。もういけない、運転手じゃなくてよかった。道すがらずっと歌いながら指揮してたら丁度おしまいのところで到着した。とても爽快な気分になって入り口をくぐる。この日の受講者は僕を入れて7人のようだ。たしかに皆さん紛れもなく高齢者である。なるほど、自分もそうなんだ。
実技の講習。教官が隣に乗って右へ行け左へ行けと、そうそう、こういう感じだったなと結構楽しんでしまった。次は目の検査だ。視力は1. 2だから楽勝と思いきやそれはなく、視野と動体視力である。やったことがない。すると後者がいけなかった。なんと0. 2ではないか。落ちてるだろうなとは思ったがここまでかとショックである。しかし教官の方もそれは含んでいて、そういうもんだと思って注意して運転して下さいねで終わりだ。試験ではないのだった。ああ日本っていいな、優しいな、ご一緒したお2人もとてもいい方だ。普段なかなかこういう感じでお話しする場もないし、僕も自然といつにない穏やかな口調で話していることに気がついた。何でもないことが宝物になってるのである、これぞ日本だ。未来永劫に守っていってほしいな。
帰りは1人でバスに乗ってみた。さっそく金の払い方がわからない。そうかスイカが使えるのか。カバンに手を突っ込んであちこち探るが出てこない。あれおかしいな。あのじいちゃん早くしてくんねえかなという乗客達の目線を感じる。そういやあよくそう思って見てたよな。終点の千歳船橋から小田急で成城学園でおりる。ここに来ると寄り道しないわけにはいかない。駅を背に学校側に歩くと右側に数件の民家があった。その1つが庭でしょぼい犬を飼っていて、こいつがなぜか僕にだけ通るたびにけたたましく吠えつくのである。だんだんこの野郎となってきて、小屋に2B(爆竹)を投げ込んでびっくりしてキャイーンだ。その場所は今は立派なマンションになっていて面影もない。感無量である。そこに悪童だった当時の自分が紺色の制服に半ズボンでむこうを向いて立っている気がした。本当にした。いや本当にいるのだ。シミュレーション仮説によればこの世の出来事は全部映画である。開演時間が違えば同じ場所に昔の自分がいるわけだ。
もう暗くなってきた。そろそろ帰るかと駅の南口に回り、二子玉川行きのバス乗り場を探した。これまた分からない。仕方ないなと交番の前まで行くと、 なにやら1人の客人に警官2人がかかりきりでらちがあかなそうだ。右往左往した末にスクランブル交差点の先にやっと見つけて、発車寸前のに飛び乗った。はあはあ息を切らせながら窓からバス停を見ると、 二子玉川行きと狛江行きがある。そうか、父が我が家に来るのに電話してきて、出迎え場所の指定が二子だったり狛江だったりしたのはこれだったのかと謎が解けた。バスは坂をゆったり下って世田谷通りの方にいく。左側に東宝スタジオってのが見えてくる。大好きな「七人の侍」を初め黒澤明監督のほとんどの作品や、あの「ゴジラ」「モスラ」もここで撮影されたんだ。そういやあ監督のお嬢さん同窓生だった、今はどうされてるのか。そうそう、そういやあ、自分もこのバスに乗って小山ドライビングスクールに通ってたっけ。
ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。
死んだと思った東名高速の事故
2025 DEC 21 0:00:43 am by 東 賢太郎
3Iアトラス太陽に最接近 10月29日
フク亡くなる 11月7日
パソコン壊れる 11月14日
関係企業に事故 12月10日
東名高速で事故未遂 12月13日
3Iアトラス地球に最接近 12月19日
どうも太陽系外の妙な物体が接近してきてからろくなことがない。
12月13日は危なかった。追い越し車線を快調に飛ばしていたら、わりこんできたミニバンと前の車が接触し、そいつが中央分離帯にぶつかって大破して、すぐ後ろの僕の車も危なかった。すんでの所で急ブレーキ効かせてガラスが粉々になった前の車に突っ込まないように止まった。奇跡的だった。
止まった、よかったと安堵したら、東名の追い越し車線の最後尾に止まっていることに気がついた。後ろからトラックにつっこまれて即死・・・が頭をよぎった。
フクが見ていたな、命を助けてもらったな。
ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。
とうとう現れた糖尿病の漢方薬「降糖丸」
2025 DEC 17 9:09:36 am by 東 賢太郎
さすがの神山先生も時間がかかっていた糖尿病の漢方薬「降糖丸」をいただいた。この病は遺伝するようで、父親がそうだったから気をつけたい。もうひとつ、長患いの副鼻腔炎があり、悪いことに花粉症も加わってどうしても鼻が詰まってくすんくすんになる。ところが先生の、その名も「鼻炎」という丸薬を飲み始めたら鼻腔内が乾燥し、スプレーなしで眠れるようになった。「安神」は飲み始めて3年になるが、以来パニック障害がぴたりと消えた。「養陰清火」は飛蚊症にいいよともらった。消えてはいないが小さくなり、増えてもいないという感じである。これまで70年の人生で1度だけコロナで入院したが、思えばあの時は極力外出を控えた故に3、4カ月先生にご無沙汰となっており、退院後に話すと入院なんかいらなかったよと「インフルエンザ」なる名の丸薬をくれた。以来、我が家は熱が出たらすべからくそれで済んでいる。
先生の診療所は高齢者の患者さんがひっきりなしで、西洋医学では限界がある病気持ちの人も多い。僕が最初にかかったのは咳が止まらなくなり、病院で吸入ステロイド薬を処方されたからだ。これは最後の手段ですが体によくないですと処方した医師が宣告し、西洋医学に見捨てられた。漢方薬は考えたこともなく、全く信用してなかったが、知人に紹介された先生の門をやむなく叩いたのである。すると当たり前のように出てきた真っ黒で苦い煎じ薬を飲まされる。そして翌日にケロッと治った。それ以来大病はなく、健常者が薬を飲むという常識は持ち合わせていなかったが、先生と馬が合って友達になったこともあり、流れのままに「未病」という対処を続けて頂いてきたことになる。
とはいえ僕は西洋流の教育を受けてきた、平均的日本人よりもずっと理詰めの人間である。だから何度も先生にこの薬はなぜ効くんですかと愚直に尋ねている。すると先生も愚直に「僕も分からないんだ。6代前から医者で、この病気にはこれと全部文献になってるんだ。その通りに処方してるだけだよ」とあっさり言われる。調合しているのだからそんなことはないのだが、この衒いの無さが性格だ。後継者がないので文献は日本の財産にして残したいと語る。医は仁術というが、彼ほど仁愛の徳を施すことが医者の道と感じさせる医師を僕は見たことがない。もう10年以上前だが税務調査が入ったことがあって、先生が5000人も日本人を病気から救っていることを知って調査官が敬意を表して去ったと聞く。
なぜ理詰めが信奉者になれたかと言うと、もう1つ理由がある。2年半の香港勤務体験だ。未知だった中国文化にどっぷり浸かった経験は人生をとてつもなく豊かにしてくれた。とはいえ赴任した当座といえば猛暑と空気の悪さに頭がくらくらし、英語らしいものは街でも通じたが全てにおいて勝手がわからず、欧米歴14年でチューリヒから直接の転勤という衝撃は激烈なものだった。こうしたものは一般にカルチャーショックと呼ぶ範疇に入るのだが、この用語は一定の連続性のもとにある風土や文化の相違に戸惑ったというニュアンスなのだ。日本人の場合、普通は西洋に行ったら味わうそれを西洋から東洋に移住して味わったわけで、「東洋人の俺がなんでこんなにショックを受けてるんだろう?」という二重のショックだったのだから連続性など微塵もない。しかし、これまた未体験の不思議な感覚であったのだが、僕はすぐ慣れた。スイスからすればとんでもない気温と湿度だったが寒い所は元来が嫌いであり、暑いほうは平気だった。肌感覚が告げていることなのだから遠い先祖はひょっとしてこういう気候のところから来たかもしれぬと思い、このときほど自分をアジア人と感じたことはない。日本人ではなく「アジア人」である。街を歩いても景色に溶け込める。これがまた気楽でいい。西洋に住んだ14年間、僕たちが何者かを知らないストリートの人々からはアジア系の移民ぐらいに見られていたのかなと思っている。
香港の食に問題などあろうはずがない。そこに至るまでの14年間というもの、こう言うのも失礼だが最低限のQOLだから許していただくが、アメリカ、イギリス、ドイツ、スイスと日本人にとって飯のまずい所ばかりである。そのうえ僕は中華料理がもともと大好物と来ているのだから天国でしかなく、長年の艱難辛苦に耐えたご褒美のようだった。香港の名店はみな会員制である。政財界が使うThe Hong Kong Club, The China Club, The Hong Kong Jockey Clubはもちろん、食に特化していえば社長特権で入れてもらった江蘇省・浙江省同郷會なる富裕層クラブの上海料理は絶品だった。さらに個人的には、1889年創立の香港ゴルフクラブ、シャングリラホテルが所有する深圳の西麗ゴルフクラブの料理は好みだった。高級だから良いのではなく、九龍あたりのごちゃごちゃした裏路地のお粥屋とか怪しげなヘビ料理屋なんかがこれまた旨いのである。野村は12人乗りのクルーザーを所有していた。本社が売れと言ってきたが断り、スイス時代のお客様でジュネーブのプライベートバンクのオーナーご夫妻など、名門クラブは飽き飽きだというクラスのお客様をご案内した。しばしのクルーズで香港島の夜景を楽しみ、いたって庶民的な西貢という港町に入港して生け簀取りの海鮮レストランで舌鼓をうっていただくコースが好評だった。
言葉というと聞こえてくるのは広東語ばかりだが、語感にどこか懐かしさがあった。 500人の社員がいる会社の社長に就任したわけだが、パッテン総督が船で出て行って中国に返還されたばかりの香港である。同地を3年3か月支配した日本軍のことはまず第一に勉強した。イギリスもドイツもスイスもそうだったが、歴史を知らずにその国の社員たちの上に立つことはできない。これはビジネスディシプリンというよりも、人として無礼であるというのが僕の哲学だ。その学習の副産物だが、旧支配者英国軍との戦いには別の思いも持つことになった。あれは太平洋戦争ではなく大東亜戦争だったのだ。アジア人と白人の戦いという要素が多分にあり、我々はGHQの戦後教育によって対米敗戦の十字架ばかりを背負わされているが決してそうではない。日本軍は諸国を白人の植民地支配から解放したし、有能だったゆえに恐れられ禍根も残したが、戦勝国が一方的に喧伝した負の側面だけではなかったことにも公平な理解が必要だ。今振り返ると、自分がアジア人なんだという思いはそうしたことも包含した感情から発していたものだったと思われる。
そのことは三井物産が陸軍のアヘン調達に関わった頃の上海支店長だった祖父の話、台湾のおじさんと祖母に聞いて育った台湾軍司令官の親類の話とも無縁でない。自分もアジア赴任するとは夢にも思わず縁を感じたからだ。かたや8月15日の映画館では大日本帝国の敗戦シーンで観客から大拍手と雄たけびがあがる。英国が99年統治した香港でもそうなのかと暗澹たる気持になった。父母の世代は玉音放送を耳にして奈落の底に落ちた人もほっとした人もいたろう。しかし、どちらであれ生殺与奪を握る占領軍の上陸により命がどうなるかもわからない。悲惨な数年間を忘れ去りたく、明日の生活はおろかこれから何が待っているのかも知らぬ暗闇の中で懸命に明るい未来を信じた。今年亡くなった橋幸夫が吉永さゆりとデュエットした「いつでも夢を」。この大好きな歌を7歳だった僕は何も知らず口ずさんでいた。親たちが青春時代を棒に振り、悲しい夜更けにすすり泣き、それでも決して夢を忘れず立ち上がってくれた、その犠牲と勇気の遺産で僕たちはこの平和を享受できているのである。戦死された方々はもちろん、日本人は何と強靭で尊崇すべき精神を持つ優れた民族かと心を揺さぶられる。
香港のビジネスは容易ではなかった。それでも中国人幹部には大いに支えてもらい、そこに戦争の遺恨の感情があったとはまったく思わない。顧客である華僑のビジネス感覚は欧米とは違ったセンスが必要だったが、ここでも感じない。政治とは異なり、ホールセールの商売は戦争そのものだから遺恨が入っていようがいまいがやることは変わらないということでもある。むしろアメリカ人と似て利益追及において乗るかそるかだけであり、三国志、孫氏のインテリジェンスも加味されているかなと勉強もさせて頂いた。某大物華僑との商談は忘れない。「外国が作った契約書に中国が調印するのは2回目だ、知ってますか」と静かに尋ねられた。「WTO加盟ですね」と返すとうなずかれ、もうひとつ来た。「1回目は?」これは出てこなかった。「下関条約です」。日清戦争だ。その結果として日本に割譲された台湾について国民党だ共産党だといってもはじまらないのだ。あの時、自分は台湾軍司令官だった人物の親類だと言ったら商売はどうなったかと思わないでもない。
神山先生のご尊父は鄧小平の医者だった。皇帝に与えていた薬の秘伝のタレのようなものが先生の家に代々伝わる文献に書かれている。それを日本の財産にして残したい。国宝みたいなお方ではないだろうか。
ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。
世俗世界の勝ち組が人生の勝ち組ではない
2025 DEC 2 21:21:37 pm by 東 賢太郎
僕は書いたものは基本的に読み返さない。過去と未来はなく世の中には現在しかないというアインシュタインの言葉を信じており、その刹那はいいと思って書いたからそれでいいが、その文章はもう過去であり、読み返して反省しても未来は変えられないから意味ないと考えているからだ。例えば映画を見ている時、脳が認識しているのは ”今” 見ている画像である。過去はx秒前、未来はy秒後とするとx+ y が今の長さだ。人によって x、yの値が異なるとするとAさんの今がBさんには過去となったりして ”今” の定義ができない。だからx+ y は誰にとっても無限に0に近い値、すなわち「瞬間」である。アニメの「紙パラ」(めくり絵)が無限大に近い速度で行われて完全に連続的な動画に見えるように我々は現実世界を認識して生きているということになる。今の瞬間に見えている1枚の絵だけが存在していて、1つ前と1つ後の絵は存在しない。だから過去と未来は変えることができない。何とかできるのは今だけだから、仮に人生訓的に解釈するならそのことに注力せよということだろう。今がすべてだ、今を精一杯生きろ、なんて言われればもっともらしい。
しかし考えてみればそれもおかしい。無限大に近い速度で過ぎ去る今の1枚をどうこうすることは不可能である。つまり物理学が正しいとすれば今も変えることができず「人生は自分ではどうにもならないので今を楽しんで生きなさい」と、生きる意味を否定するぐらい絶望的な結論になるのである。しかしもっとよく考えてみれば、人間以外の動物はまさにそうやって生きている(と思われる)。人間も動物だから本来はそうなはずだが、大脳皮質が発達して賢くなり、x+ y は無限に0に近くはない、つまり過去は変えられないがプラスに解釈したり、まだ起きていない未来は少しは変えられるんじゃないかという自分に都合の良い妄想の余地を見出してしまった。それは物理学的には賢くないかもしれないが、人間に夢という大事なものを与えた。夢は実現しないから夢と呼ぶように大きな富を手にするのはほんのひと握りの人かもしれないが、多くの人がよりよい未来の実現を信じて努力をする集合的な力の相乗効果で国も国民も豊かになる。それが資本主義というものである。夢は幻想だと否定し、相乗効果も否定し、人生は自分ではどうにもならないので選良が叡智によって計画し未来を保証する国家に任せなさいとするのが共産主義であると言っておおむね間違いではないだろう。任せて国民が幸せになった国家は歴史上今のところ現れていない。
アインシュタインが「今を楽しんで生きなさい、それしかできないから」と述べたかどうかは知らない。彼は共産主義者ではないが、資本主義の富の偏在を除去した社会主義を理想として主張したことは事実だ。既述の合理的な帰結と整合的で筋が通っている。従って、人間様が今を楽しんで生きるためには何をしたらいいんだろうと自問してみる価値はあるだろう。そこで「楽しむこと」の定義があいまいでは論考できないからそれを数値化してみよう。楽しむことイコール幸せとは限らないが、苦しみや痛みを幸せと感じる人は極めてマイノリティだとしてしまえばそれは正しい。人生とは数限りなくある今(瞬間)の集合体であるわけだから、つまり、幸せな人生を送るためにはどんな瞬間をも楽しく生きるようにすればいいわけである。その方法を定義することはできない。何が楽しいかは千差万別だからだ。では「人生の幸せ度合い」は計測できないのだろうか。楽しい時に脳内には快感物質エンドルフィンが分泌される。人生の単位で考えるなら、生まれてから死ぬまでに分泌されたエンドルフィンの総量を測り、それが最大の人が最も幸せだったということになろう。
もちろん実際に測る必要はない。それが必ずしも経歴や地位や財産で決まるものではないことを実感できればそれでいい。世俗世界の勝ち組になることが人生の唯一の目標ではないという哲学がおのずと導かれてくるからである。とすると、総量を最大値にするにはどうしたらいいかという話になる。簡単だ。好きなことをして長生きすればいいのである。経歴や地位や財産を得ることが好きな人はそれをすればいい。大自然に囲まれて自給自足の農業をやるのが好きな人はそれをすればいい。おそらくエンドルフィン分泌量に差はつかないだろう。したがって、両者の差がつくのは、どっちが長生きできるかということにかかるというあっけない結論が導かれる。日本のように国民皆保険で医療が地方まで行き届いた国では、ギズギスした都会で勝ち抜くゲームに明け暮れるよりも、大自然の中で悠々自適で気楽に生きた方が長生きできそうな気がする。というと、おまえは【小原庄助さん 何で身上潰した 朝寝朝酒朝湯が大好きで それで身上潰した ハァモットモダーモットモダ】という歌を知らんのか、怠け者を礼讃するのかという声が聞こえてきそうだ。
30年以上証券界で働き抜いてきた僕が怠け者を奨励するはずがない。都会派であれ大自然派であれ、朝寝朝酒朝湯が大好きはいけない。なぜか?日本人の道徳観ゆえではない。いけないのはそれに淫してしまい、同じことを毎日繰り返していると限界効用価値が減り、だんだんエンドルフィンが出なくなるという科学的理由からだ。 まして自然もない都会のジャングルでワーカホリックになってエンドルフィンを喪失するなど想像を絶する愚行であり、むしろ寿命を縮めるにちがいない。そう思ったから16年前に僕は東京の一番南の国分寺崖線に家を建てた。都心まで少々時間はかかるが半分は自然に浸っていたいからだ。大自然派の人ほど頭を使い知恵を絞り、創造的な仕事をしなくてはいけないが、そうすることでこれまでの日本人の労働観にはない新しい幸せな人生が開かれるであろう。つまり地方の子供が猫も杓子も東京や大阪の大学に行こう就職しようという風潮が本当に幸せに結びつくのかということだ。大自然派は経歴も地位も資産もそんなにはいらない。都会派がそれを得るのに必要な膨大な時間を自分への投資や余暇に使える。逆に田舎に出て幸福な人生を感じられる都会派は多くないのは競争上の大きなアドバンテージでもある。したがって大自然の中でエンドルフィンがたくさん出る脳を持ってる人は都会派ほど苦労せず幸せな人生を手に入れる確率が高いのである。
そこで高市総理の「働いて働いて・・・」が流行語大賞になった事に付言したい。誠に結構なことだ。この人ほど身を粉にして働く政治家はいまだかつて見たことがない。そのうえに勉強家で頭脳明晰ときている。トップがこうであれば永田町の空気は一変し霞が関も働く。小原庄助さんを戒めてきた国民は本来が働き者だ。体を張って強い日本の再生を掲げるリーダーに喝采を送るのは日本人としてあまりに当たり前で、70%という空前の政権支持率の大きな要因となっていることは不思議でもなんでもない。 103万円を超えると税金が増えるから働きませんと苦渋の決断をさせるなど勤勉が美徳の日本国民に自傷行為の苦痛を強いるに等しい。精神の根本から腐った異常なことで、そんな状態を放置する政治家はいったいどこの何者だと疑念を抱かざるを得なかった事は国民にとって大変なストレスであった。 高市早苗、片山さつきの大英断である21兆円の総合経済対策効果がそれに加わりGDPは増大するだろう。税収が増えれば財政は悪化しないし国債のクレジットも下がらない、そんなことは世界の常識である。戦争に端を発した不可避的な輸入インフレを意図的にごっちゃに述べて国民を煙にまき、すでにインフレだから国債発行による経済対策は所得を増やすがインフレも増幅して危険だと水をさす学者や自称専門家が多数いる。その心配よりもデフレマインドを 根治する方が重要であるし、危険があるなら政策金利を上げて円安を止めれば物価は下がる。輸入インフレはデフレを治癒しない。救うのは総需要の増加をトリガーとする順回転の経済成長に着火するしかない。マインドに火がつかなければ日本経済のデフレによる衰退は永遠にこのままだ。経験もビジネスマインドも無い役所に実効性のある総需要対策計画はできない。だから官邸主導の21兆円の総合経済対策なのだ。大賛成である。少々の荒療治であろうがリーダーシップをとって国民を奮い立たせる度量、コミットメントには敬服しかない。そんなものはかけらもなかった前総理、前々総理には逆立ちしてもできなかったろう。たったひとこと。役者が違う。
最後のおまけで僕個人の投資スタンスを書くなら、とても平易で誰でもできる日本株と米ドルのロングである。だいぶ前に117円ぐらいで株以外のほぼ全財産をドルにしており、1ドルも売りもヘッジもしてないし当面のところする理由もない。こうした人生の一大事の判断をするときに日本のオールドメディアの情報は全く不要であり、むしろあまりにレベルが低い上に意味不明の偏向が入っているのでプロである僕にとって百害あって一利ない。 ネットで充分足りる。高市政権になって国民の政治リテラシーが急激に上がったのは自民党が3連続大敗を喫した選挙でネットの視聴率が大幅に上がったからだ。嘘ばかり垂れ流すオールドメディアは時間の無駄だと学習した視聴者が加速度的に増えたのに、何の学習もせず淡々と嘘ばかり垂れ流すのだから自ら墓穴を掘って衰退を加速しているだけであり、恐るべきことにそれにすら気づいていないという学習能力の無さはもはや手の施しようのない領域に踏み込みつつある。ちなみにこれは世界の法則だが、スポンサーに金をもらっている報道機関は信用できない。彼らを援護するなら、決して悪い人たちというわけではなく、それが資本主義であり経済原理に基づいたビジネスであるから止めようがないのだ。
ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。
シンクロした4つの天文現象の啓示
2025 NOV 26 12:12:09 pm by 東 賢太郎
11月5日は今年最大のスーパームーンだった。この日にディナーをした方からマーラー9番のCDを頂き、演奏についてコメントをさせて頂くお約束をした。ところが立冬にあたる7日の夜にフクが旅立ってしまい、時間をいただくご連絡をした。お葬式は 9日の午後2時半から我が家の玄関前の敷地で執り行われ、僕は正装し、家族と共に見送った。朝方よりの小雨模様である。小さなお棺に供物を添え、綺麗なお花でいっぱいに飾ってあげ、いよいよお別れですの発声となった。空を見上げる。一同が声をあげた。まるで天国への道のように、モーゼの海割りのように、真上の雲だけにぽっかりと青空がのぞいて皆の心を激しく揺さぶった。夕刻になり、娘から生前の動画が次々と送られて来る。もうだめだ。いてもたってもいられなくなり、夜8時過ぎにひとり家を出て自由が丘をほっつき歩き、意味もなく本を買い、旨くもないラーメンで腹を満たし、11時半に帰宅した。翌日10日に喪中のためブログを封印した。

あの青空の向こうには、10月末から太陽系の真ん中に接近して気になっていた謎の恒星間天体「3I アトラス」があるはずだ。太陽の近日点(地球と反対側)を離れて観測可能となり、11月5日、スペインのR. Naves天文台が撮影した写真(上)ではぼんやりとした球体のみである。これまであった尾が消滅している。妖術使いのように不可解な七変化を演じるこいつが何者か謎は深まるばかりだが、NASAが普通の彗星であると公式発表して謎に拍車をかけているのも不可解でしかない。
10日の23時ごろ、ランニングに出て、月と木星とふたご座ポルックスのランデブーに気がついた。手ぶれしたへたくそな写真だが上がポルックス、右上が木星だ。3I アトラスはこの木星に向かって飛行中だ。
本当にかわいくていいやつだった。僕と気心が知れていた。筋骨たくましいオスで体重は7.5キロになった。寝食を共にした5年間、なんだかんだでおおいにふれ合ったものだが、 一度として噛まれたりひっかかれたりしたことがない。飼った人ならわかるがこんな猫は初めてだ。時に腹を見せるくせに服従なわけでもない。独立自尊の姿勢を崩すことは微塵もなく、頑とした矜持を持った風で、若い雄猫なりの風格を漂わせていたものだ。いつも思わされた。それに比べ俺はどうだ、70の爺いだ、頑とぐらいはして見えようがただの頑固な堅物かもしれん。気が短いエゴイズムの塊じゃあないのかなどという自省の念が鏡像のようにたちのぼってくるのだ。どんな猫も、僕にはひとつやふたつの畏敬の対象というものがあるが、フクは別格だ。
彼は我が家の9番目の猫だが、元から飼い猫だったものはいない。つまり5、6歳の頃から就職するまで僕は数々の野良猫といっしょに育ったわけである。それが人間形成に影響していないはずがなかろう。親が情操教育と考えたのかどうかは知らないが、母親自身が猫好きであり、もとより血筋で僕も妹もそうであり、なしくずし的に猫嫌いの父親が説き伏せられてしまったものとも思われる。だからフクが秘めていた野生はどうということもなかったが、彼は慣れてきて次第に家猫っぽくなり、リビングルームの住人に格上げとなる。そこからだ、付き合いが深まったのは。
僕の仕事は日々のルーティーンの積み上げという性格のものではなく、今日明日にも何が起きるか分からないハンティングの性質を色濃く帯びたものである。遅く帰ってきてリビングルームで夜食をとると、傍らにやってきて写真のようにじいっと目を見つめる。猫ほど目線を合わせる事を嫌う動物もなかろう。ケンカを売ってることになるからだ。だからというわけではないが、無視して食べ続け、もうあきらめたかとそうっと目をやると、まんじりともせず同じ姿勢のままどんぐりまなこで見つめているのである。ルール違反の猫だがこれにどれだけ癒されたか。フク悪かったなこれ食えよと分け与えると、飛びついてムシャブリつく。そこで畜生に戻るのだ。脳裏に戦友という文字が浮かんでくる。アメリカの学校にいたころ、夜中まであぶら汗をかきながら喧々諤々の議論を続け、腹ペコで課題を一緒に仕上げた奴らが、終わってやおらビール片手に「俺たちは Comrade(カムレイド)だ!」と叫んだ。それが戦友だ。
フクと過ごした5年間は世の中も大変だった。皆様ご記憶のように2020年の2月ごろにコロナ騒動が横浜のダイヤモンドプリンセス号で勃発し、3月ぐらいだったろうか、大の注射嫌いである僕もワクチン摂取を保健所に申し込む羽目になった。家族も含め、すぐにでも打たないと危ない空気が国中に満ち溢れていた。予約日は6月17日という。なんだよ世田谷区は、高齢者がなんでそんなに遅いのかねと文句を垂れていたのを覚えている。ところがそれがよかった。アメリカのパートナーから予想外の電話が入ったのだ。「お前も家族も絶対打つなよ」と、トランプが飲んだ薬をひと箱送ってくれ、予約をキャンセルさせらるとやがて6月17日が過ぎた。患者は増えるばかりだ。報道も過熱してきて、本当にその判断が正しかったのか心配もあった。
フクが我が家にやってきたのは、ちょうどそのころ、7月29日だ。日記を見ると「黒猫来る」とだけある。ここからフクの不思議が始まる。野良を捕まえて持ってきたのだから初めのうちはケージに近寄ると盛大にシャーシャーである。ちょっと危なげな猫にも思え、とりあえずピアノやオーディオのある地下室にケージごと置かれた。
すると、彼がテレパシーでも送ったのか、二週間後の8月14日、自分の全ブログの中でも重要と考える一本に僕は着手する。ちなみに、その事実に気がついたのはついさっきだ。なんとこれはその時に書いたものだったのかという大いなる意外性をいま感じざるを得ない。
サッチャー英国首相。なぜここまで気合を入れて彼女のことを書きたい衝動がむくむくと湧き立ってきたのだろう?強きリーダー日本にあれと願望を込めた一本であったわけだが、どうしてサッチャーの名前が僕の脳裏に浮かんだのだろう?前後の日記をひっくり返しても全く分からない。自分でも謎なのだ。
日記によるとその翌週、8月23日にバケツをひっくり返したような大雨が降った。余談だがこの日付は忌まわしい。若いころ、日付を覚えているほどの大失敗をした日なのだ。豪雨が停電をひきおこし、排水ポンプが止まったため地下室に浸水して水と格闘になった。フクはケージのまま8月29日に2階のリビングに避難し、行いが良かったのだろう、9月11日にケージから解き放たれている。この日付は世界の誰もが覚えている。
それが予言であったかのようなことがいま日本で起きている。日本のサッチャーになりたいという女性、高市早苗氏の出現だ。ブログ執筆時点で僕は彼女がサッチャーを尊敬し目標としているとは知らなかったし、そもそも彼女に注目していたわけでもなんでもなかった。その人が2025年10月21日に総理大臣に就任すると、それを見届けたかのように、二週間後にフクは世を去った。
9番目の猫。おりしもだったマーラーの9番。本稿を天文の記述ではじめたのは、スーパームーン、3I アトラス、ランデブー、天頂の雲、という、それぞれがそれなりに確率の高くない現象があまりに見事にシンクロしてやってきて、そのど真ん中をフクが急ぎ足で駆け抜けていってしまったからだ。それをどう見るかは十人十色だ。僕はとくに宗教的な人間ではないが、確率の低い事象がおきた場合はそこに何らかの意味があると考えるタイプの人間ではある。フクはきっと僕になんらかの「啓示」を与えるべくやってきた、神さまの使いであったろうと信じている。










