ギレリスのスカルラッティに出会えた至福
2026 FEB 15 7:07:24 am by 東 賢太郎
ユーチューブがある時代に間にあって本当に良かった。だって、こんな凄い物に出会えてしまうのだから。せっせと秋葉原に通ってレコードやCDを買いあさっていた頃にこれを見つけていたら?何千円払ってでも手に入れていただろう。それがパソコンで無料なうえに、どういう因果か(たぶん生成AIが僕の好みをせっせと学習しているのだろう)、頼んでもいないのにこういうものを画面に並べてくれる。音楽だけじゃない、政治、経済、科学、証券市場、スポーツ、なんでも同様だ。ストライクゾーンの提案が向こうからポンと出てくるのはある意味でそら恐ろしくもあるのだが、趣味に合うヒット率がどんどん向上し、それをクリックしてやることでAIはさらに学習し、インテリジェンスの広がる速度も効率も増加関数的に増える。しかもタダだ。テレビや新聞に頼ってる人は情報収集で世の中の平均に加速度的に遅れてしまう上に金まで取られる。よって、オールドメディアとニューメディアの戦いは経済合理的に100%帰趨が見えているのである。それに乗り遅れる不利益をあえて甘受しようという人はいないが、情報弱者はそもそもそれに気がつかないし増加関数性も実感できないから、インテリジェンスのあるなしにおける世の中の断層はさらに広がる。必然的に収入格差も広がる。決して好ましいことではないが、それを国が税金で埋めてくれるわけではない。埋めるのは教育と勉強しかない。AIは職業も盗んでいくのだから、意図的に質の良い勉強をしないと高収入は得られない時代にどんどんなっていくことは心しておいたほうがよい。
今や伝説の人になってしまったロシアの大ピアニスト、エミール・ギレリス(1916 – 1985)がドメニコ・スカルラッティのソナタを弾いたリサイタルのライブ録音のことをいっている。こういうものは聴かないともったいない、是非どうぞ。
このリサイタルはロンドンで行われ、時は1984年10月15日のようだ。このビデオにコメントしている方がおられる。
「私はセント・ジョンズ・スミス・スクエアでこのランチタイム・コンサートを聴きました。土砂降りと雷雨(録音では気がつきませんが)とともに始まり、やがて濡れた窓から輝く陽光が差し込みました。地下聖堂で友人たちと一杯飲んだ後、ギレリスと同時に教会を出て、皆で立ち止まり、笑顔でとてもフレンドリーな彼と話しました。強いアクセントの「さあ、栄光の一日を!」という言葉が今でも思い出されます。スタイルに関する批判はさておき、このコンサートは強烈さ、詩情、そして豊かな響きで私の記憶に強く残っています。続いてドビッシーの「ピアノのために」が演奏されましたが、なんと素晴らしいプログラムだったのでしょう!ポストしてくれてありがとう」。(筆者訳)
ひょっとしてと思いプログラムを探したらあった。
時はスカルラッティの1日前、日曜日の午後、ロイヤル・フェスティバル・ホールだ。家内と2人で出かけている。パーヴォ・ベルグルンド指揮フィルハーモニア管弦楽団とのチャイコフスキーは忘れようにも忘れられない。第1楽章の第1主題の速いパッセージでギレリスは指が回らず、音が飛んでしまったのだ。やおら会場に無言の緊張がはりつめる。不測の事態にこちらも完全に動揺してしまい、ただただ演奏の無事を祈った。以後はそれも杞憂の堂々たる演奏で終楽章までたどり着き、コーダを渾身の力で弾き切るや拍手がホールを満たしたが、万雷の喝采というよりどこか当惑を秘めていた。すると彼はそれをやおら制してピアノに向かい、何かは忘れてしまったが小品を弾き始めたのだ。会場は不意をつかれたように息をひそめた。1階の中央やや左側からのぞんでいたギレリスの背中が輝いて見えた。そして長い余韻を残して曲を静かに閉じるや、今度は地を揺るがすスタンディングオベーションの嵐だ。過去何十年にもわたってロンドンの聴衆を魅了したであろう老大家への、おそらくそこにいた皆が感じていたであろう、最後になるかもしれない敬意と感謝を込めた万感のこもる拍手の一員となったこの思い出は、もう半世紀を越えようというわが音楽人生の中でも特別な位置を占めている。そののち、僕は同じRFHでヘルベルト・フォン・カラヤンの、バービカン・ホールでレナード・バーンスタインの、アムステルダム・コンセルトヘボウでオイゲン・ヨッフムの、そしてチューリヒ・トーンハレでゲオルグ・ショルティの、アカデミー・オブ・ミュージックでユージン・オーマンディーの、ウィグモア・ホールでヴラド・ペルルミュテールの、まさに同様のシチュエーションでの拍手を送らせてもらった。思えばこれらは、クラシック音楽の歴史にそう刻まれることになるだろう「20世紀の名演奏家の時代」への惜別でもあったのだ。
今調べてみると、ギレリスは奇しくもちょうど1年後の10月14日に亡くなっている。チャンスはもう訪れずこれが最後になった。間にあって本当に良かった。それにしても、なんとあの翌日にこんな素晴らしいスカルラッティをやっていたなんて! それを42年も経ってから発掘できたなんて!ふと思いついて、先ほど老大家と記したあの時のエミール・ギレリスは何歳だったのかなと計算してみると68歳である。そういうことだったのか。安堵も入り混じった、どこか空漠たる気持ちを禁じ得ないのがなにやら不思議だ。
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ランドフスカのモーツァルトは絶品
2026 FEB 13 7:07:15 am by 東 賢太郎
僕がピアノに触り出したのは高1ぐらいだが、ハノンだけやってツェル二ーはすっ飛ばして初めて弾けるようになった曲がJ.S.バッハのインヴェンション第1番ハ長調だ。いきなりバッハとはなんと高邁な入り方だったかと思うが、硬式野球部にいながらそんなことをやっていたのだから我ながら相当変な奴だった。誰かに習ったわけではなくレコードは持ってなかったし譜面から起こしてやったわけだが、どういう風に鳴ればいいのかを知ったのはポーランド生まれのワンダ・ランドフスカ(1879 – 1959)の演奏だった。後にヤマハのクラビノーバをチェンバロ音にして弾くと感じが出て結構ハマった。
チェンバロによるバッハといえばもう1人、チェコ人のズザナ・ルージイチコヴァ(1927- 2017)をあげなくてはいけない。彼女の平均律第1巻は好きだが、愛好曲のイタリア協奏曲はテンポの揺れが今ひとつ性に合わない。これは好みの問題だから是も非もないが、テンポやアゴーギクやフレージングにおいてしっくりくるのはランドフスカなのだ。バッハの譜面にそんなものは書いてないから良いと思うかどうかは演奏家とのフィーリングの相性しかない。ルージイチコヴァは風貌からして学者然とした感じだが、ランドフスカはビデオのインタビューを見ると音楽に夢みる乙女がおばあちゃんになったみたいな感じで話すと面白そうだ、僕はこういう人は好きな方である。
ランドフスカがピアノで弾いたモーツァルトに衝撃を受けたのはいつだったろう?レコード棚を探しても持っていないようだし、曲も忘れてしまったけれど、とにかくどこかで耳にしたのだ。ユーチューブをサーフィンしてみるとピアノソナタ第9番ニ長調K.311に行き当たった。1938年パリでの録音で、おりから第2次大戦が始まりナチスのパリ侵攻でユダヤ系の音楽家の録音は廃棄されたためか、第2、第3楽章が欠損している。幸い第1楽章は生き残ったが、これがため息がでるほど素晴らしいのだ。
ピアニストの方、誰に伺ってもモーツァルトは難しいという。怖いから弾きたくないという人もいるらしい。聴く側からしても、技術的なミスは歓迎しない。ベートーベンはミスタッチがあっても気にならないのになぜなんだろう。もうひとつ、僕の場合は、パッションがないといけない。ありていに言うなら情熱という意味だが、ロマン派ではないのでニュアンスが違う。その作品にとりつかれてしまい、寝ても覚めても耳鳴りみたいにその曲が頭の中で鳴っていますというような状態。ひょっとして僕がロンドンにいた頃にフィリップスに続々とモーツァルトを録音されて高評価を得ていたいた内田光子さんがそんな感じだったかもしれないが、そこまで憑依してモーツァルトに入り込んでしまうような物が僕の言うパッションなのである。とても上手ですね、でもどうしてあなたはこの曲を弾きたかったんですか?というのが響いてこない。完璧な技術で真珠を並べたように美しく弾いているのだが、憑依もなければ頭も冷静で、美しいモーツァルトをミスなくお届けしようという事務作業に腐心しているようにしか聞こえない。だからどうも心に響いてこないという演奏が多いのである。
ランドフスカの第1楽章はドンピシャだ。すぐ後に書くパリ交響曲の出だしみたいにギャランドで人生の期待にわくわく、次々と主題が湧き出してくるのもそっくりだ。軽い打鍵なのにパッションに満ち満ちており、ソプラノ声部の隠し味のように自然なタッチの使い分け、ハープシコードを思わせる見事なレガートとスタッカート、絶妙なフレーズの伸び縮み、こまたの切れ上がったコケティッシュな装飾音符など、極上の愉悦感のオンパレードだ。快適なテンポですいすいと進んで第1テーマから第2テーマに間を開けずテンポもそのまま飛び込み(素晴らしい!)、曲想に合わせて音色とタッチだけで空気を変える瞬間はまるで魔法のよう。展開部でソプラノとアルトの掛け合いはまるでオペラだ。終結はテンポを落としてppでひっそりと消える。生きる喜びにあふれる歌にめくるめく思いの4分半である。
彼女は後にアメリカに移住してコネチカットの住人になり、自宅でK.311を全曲録音しているので愛奏曲だったのだろう。それも貴重な記録ではあるが、熱も技術もピークにはなく残念だ。パリの街にナチスの軍靴が響くなか、ピアノに向かう彼女の胸の中には何かがあったのだ。ハープシコードを弾く彼女のビデオを見ると “くの字” に鋭角に曲がった指使いにぎょっとする。技術的には深い秘密があるのだろうが、それは素人が詮索できることではない。
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ショパンコンクール2025に思ったこと
2025 DEC 26 0:00:55 am by 東 賢太郎
10年ぐらい前に結構ショパンを聴いた時期があって、ちょうどやっていたコンクールもそこそこ耳にした。前回はコロナ騒動でご無沙汰になり、今年は多忙ゆえ忘れていた。優勝のエリック・ルーは10年前に4位になって寸評を書いている。 ショパン・コンクール勝手流評価
ショパンというとポーランドのお国もののイメージがあるが、過去19回中ポーランド人優勝者は4人だけで、当初はソ連(ロシア)が多かったのはどちらもスラブ系の血ということを思わせる。昨今はそれが消え欧州勢も消え、今年はファイナリスト11人のうちジョージア、ポーランドの2人以外は血筋が東洋人というなかなか衝撃的な顔ぶれである。それがクラシック音楽を聴く正しいアプローチなのか否かはともかく、世界のコンクールにおいて血という要素が薄くなったのは事実だ。もちろん血と文化は必ずしも合致しない。先祖は日本人でもアメリカで生まれ育てば西欧人であり、僕自身、日系人の友達はそう思ってつき合っていた。しかし日本語を全く解さぬ彼らも日本食を好んで食べていたりする。血は争えぬという要素は生まれ育ちだけでは消えないのだ。僕は音楽というものは抽象的な知的肉体的能力だけではなく、食文化に通暁する側面を多分に持つ芸術だと考えている。それを捨て去っても立派な娯楽として成り立つが、僕はそれを面白いと感じないタイプの人間に属している。
日本が単一民族国家というのは嘘だが、鎖国をした260年の徳川時代にそこまで約1000年かけて蓄積、培養されてきた日本的なるものが坩堝で煮詰めたように凝集し、民族的混合が始まった明治時代以降も、それが日本文化だ、それに従うのが日本人だという形の集団的思考によってで新たな日本らしさが形成されていったと考えている。単一民族国家という嘘が流布したのはそこからで、それまでなかった国家というコンセプトを強固に形成するためその嘘が必要だったのである。相撲は古来よりあったが、大相撲という競技、興行という形を成したのはその過程においてだ。モンゴルにもある相撲は日本文化の象徴になった。したがって当然力士は日本人のみであるはずだった。その認識は今や瓦解し、モンゴル人の横綱が時代を牽引し、いよいよウクライナ人が優勝するに至った。それに反目しているのではない。この現象も日本文化なのであり、観衆として楽しんでいる我々もその一態様なのである。
しかし、そうならないことを願ってはいるが、横綱、大関、関脇、小結の全員が外国人になってしまった土俵を目にしたとき、自分はどう反応するだろう?これが日本文化なんだとすんなり受容できるだろうか。相撲は格闘技であり、技はメカニックなものであり、それに優れている者が横綱になればそれでいいだろう。その考え方は、音楽は抽象的な知的肉体的能力だ、パーフェクトにショパンの楽譜を弾きこなした者がコンクールに優勝すればいいという考え方に合致する。今政治の世界では世界中にグローバリズムの嵐が吹き荒れ、さような考え方が世界各国のあらゆる分野で固有の文化を否定し、時には蹂躙し、何国人がどこに移民しようと問題なく生きていける地球にしようという運動が正当化されつつある。
日本はそれでいいのかというと、少なくとも日本相撲協会は横綱審議会を設け、勝てばいいだけではない横綱という存在の日本文化的側面からの定義を崩していない。だから圧倒的戦績を誇った朝青龍や白鵬は横綱にはなれたが日本相撲協会のトップにはなれなかったのである。守るべきは興業でなく文化だという協会の決意だ。だから日本は保守的でダメなのだという批判はあるが、その牙城があるから日本は平安時代から他国に支配されず存続してきたという指摘もある。僕はサラリーマン生活を31年送りグローバリストにまみれて生きてきたが、しかし、国際社会の一員として融和して生きていくことよりも、日本が他国に支配されず存続していくことが何よりも大事と思っている。そのために必須なのは日本人の日本人による日本人であることの誇りであり、その根っこに日本文化という揺るぎ無き存在がある。これは法律によって侵食されない。法的に問題ないなどという小理屈でどうなるものではない。ちなみにLGBT理解法案可決によって自民党は、自身が想定だにしていなかった規模での大量の保守票を失い存亡の危機を伺わせる大惨敗を選挙で繰り返した。当たり前だ。文化を法律で侵食しようとしたからだ。賢明な日本人は理屈ではなく本能でその危険さを察知したのである。
ポーランドという国家の過酷な歴史を我々は世界史で学んでいる。ロシア、プロイセン、オーストリアの3国によって3度にわたり分割され、1795年には完全に国家が消滅し、ナポレオンによる一時の復活はあったが1815年のウィーン会議によって解体され、実質的にロシアの支配下に組み込まれ、ロシア革命勃発で民族自決権を得て独立はしたが第2次世界大戦が始まると再びドイツ、ソ連が侵攻して分割支配され、戦後はソ連の支援を受けた共産主義政権による社会主義国家となったのである。大量の血が流れた上でのこの悲劇だ。第2次大戦敗戦時のヘゲモニーを俯瞰すれば日本がそうなっていても不思議ではなかった。ならなかったのは、ガバナンス構造を壊すことはできても天皇を頂点とした質的に極めて特異な一枚岩である日本文化を壊すことは反共防波堤を必要としたGHQにはむしろリスクと判断されたからだ。
僕はヨーロッパに14年住んだがポーランドは行ってない。証券市場がなかったからだが、知ることといえばショパンぐらいでそのショパンも興味なかった。文化遺産なるものは戦争によるぶんどり合いの帰結であり、当然戦勝国に帰属する。観光客はそれを愛でに出かけるのであり、他国に支配される敗戦国はそれすら保有できず、後々の子孫に至るまでどこまでも悲惨なのだ。これを読む若者の皆さんはそのことを絶対に忘れてはいけない。インバウンドで世界から旅行者が日本に殺到するのは富士山や温泉のためばかりではない。我々の尊い先祖たちががっしりと国土に根を張り、幾度かの危機はあったものの他国に支配されず千年以上も存続した証としての、日本語、慣習、礼儀、道徳、思いやりをはじめとする雅びで重厚で奥深い日本文化あってこそなのである。その重みを知らず学ばず軽々にニグレクトする政治家が現れれば、核保有のない丸腰のままの日本は大いに危険である。
ショパンコンクールに話を戻そう。ワルシャワの国民的行事の舞台上に並ぶファイナリストの8割がアジア人という光景は、僕の感性からすれば異様としか表現のしようもない。このままで誇り高いポーランドの愛国者たちが耐えられるのか否かはそうした境遇の国に生まれていない僕には想像もつかない。ショパンはポーランド貴族の末裔の母とフランスから亡命した父を持つハーフでありポーランドで成人した、れっきとしたポーランド人である。音楽の語法にはポーランドの民謡や民族舞踊の影響が色濃く取り入れられ、愛国者であったことはまぎれもない事実と思われるが、結局はパリに去った。ヘンデルはロンドンで、ベートーベン、ブラームスはウィーンで、ワーグナーはヴェネチアでと異国の地で亡くなったし、ヨーロッパという世界では母国の土に帰ることが必ずしも愛国心の証しではないものの、ポーランドという特別な歴史を持つ国家でショパンという存在の重みは生半可なものではないと考えている。つまりショパンコンクールは多数の大作曲を生んだロシアにとってのチャイコフスキーコンクール、イタリアにとってのパガニーニコンクールとは重みが違い、演奏家の名を冠したコンクールの舞台が世界の俊英によって多国籍になることとは全く本質が異なるのである。
その反動なのかショパン自身の奏法の研究が進んでいると聞く。しかし彼自身の音源はなく、いくら発見しても楽譜は記号に過ぎない。たとえば第3次世界大戦が起きてビートルズを聴いたことのある人が全滅し、全音源も破壊されてしまい、残がいの中でバンド譜面が奇跡的に発見されたとしよう。そこからあの個性的なサウンドを再現する作業は、聖書の記述からバベルの塔の絵を描くに似る。描けと言われれば絵は画家の数だけできあがる。真偽は誰も判定できないが、選べと言われれば、絵である以上、ブリューゲルのような技術的に上手なものに収斂することになるだろう。人間の認知バイアスとはそういうものなのだ。コンクールも同様だ。本物のショパン演奏に近い保証はどこにもないが、ピアノ演奏である以上、技術的に上手に弾いた人が選ばれる可能性があるということだ。
僕はアルフレッド・コルトーのショパンが割合好きである。しかし上手に弾いたかどうかという認知バイアスがだんだん勝ってくると、レコードですらミスタッチが散見される彼がショパンコンクールに出たとしても優勝する可能性はゼロになろう(仮に彼の奏法がショパンに近いとしてもだ)。今年の審査員が「昨今は音楽のためでなく拍手のために弾く傾向がある」と苦言を呈しているが、蓋しこの言葉はそうした風潮を感じたなかで、コンテスタンテのみならず審査員に対しても向けられていると僕は解釈している。東洋人が強いのはクラシックの新興市場である中華圏の子女に対するピアノ演奏の訓練が最高度の域に達しつつあることと無関係でないだろう。今回2位になったカナダ国籍のケヴィン・チェンのエチュードは一昔前ならポリー二並みの評価を得たかもしれない。なにゆえに ”かもしれない” かというと、結果として得なかったからだ。ポリー二は2025年の今、もう現れないのである。彼のエチュードのレコードが出現したのは1972年。ニクソン大統領がスペースシャトル計画を発表したがアポロ計画は終了し、翌年に米軍のベトナムからの全面撤退を宣言する年でもある。人類が科学技術と軍事力で何でもできると確信していたピークの頃であり、ポーランド文化の香りより人間の極限の演奏技術の驚異を意識させるポリー二のエチュードは時代の風によっても讃えられたのだ。ウクライナとパレスチナの戦争のニュースで世界が気疲れしてしまった現代は、その風が吹いていない。ケヴィン・チェンの責任ではないのである。
優勝者エリック・ルーは10年前に書いた通りモーツァルトを弾かせたい出色の美質がある。それは静かな場面で抒情と哲学的な深みを漂わせる類のもので個人的に優勝に異議はないが、良くも悪くも拍手のために弾く傾向を是とする世では彼を選んだショパンコンクール側の姿勢の揺らぎを問う声があることは想像がつく。反対に拍手をとれる方向で期待値が高かったのがジョージアのデイビッド・フリクリだ。結果はルーが1位でフリクリは選外で、苦言は効いているのかなとも思う。ただ、フリクリを擁護するわけではないが、ショパン自身は華やかなドレスと香水の香りに身を包んだたくさんの女性に囲まれてパリのサロンで弾いたわけであり、哲学者よりはショーマンに近かっただろう。肺を病んだ最晩年の陰鬱な表情の写真は後世のショパンのイメージに大きな影響があると思うが、一生あの顔で生きてきたわけではない。
ショパン好きの皆様には申し訳ないが、彼の音楽には素晴らしい物がいくつかあるのだが、多くに見られるあのパラパラと散りばめられた装飾音符が僕は耐えられない。ブラームスの間奏曲やシューマンの詩人の恋の伴奏に見られる、なぜその場所にその音が置かれたかというロジックと無駄のなさを決定的に欠いているからだ。その名のとおり装飾にすぎず、彼ほどの耳の持ち主があれを書いたのはパリジェンヌたちの関心を買わんがためと思うしかない。コンサートでは聞こえにくいと言われ、彼がパリで演奏会を嫌った一因はそこにあるかとも思うが、それを取り去ればショパンという感じが失われるのは明白で、実は装飾ではなく実体だったのだという美学的矛盾に直面するのである。僕がコルトーに惹かれるのは、唯一彼だけがパラパラに「男の色気」という重大なメッセージを盛り込んでその矛盾を解決しているからだ。それは奏法、技術ではなく、そういう男だけができる女性を惹きつけ微笑ませるウィットに富んだ軽妙な話術やジョークのようなもので、家柄や教養や作法に隙はないが真面目が取り柄の秀才がまねても無理なのである。とすると、ショパン自身もそう弾いたのではないかという思いは断ちがたくなるのだ。
パリのサロンにデビューし、あのエチュードを書いたショパンは23歳だ。一年下のリストは超絶技巧で女性を失神させていた。ハタチそこそこの彼らは往時のビートルズやローリングストーンズのお兄ちゃんたちのようなものなのだ。ショパンがそうした側面から技法というアートに興味を抱いたかどうかはともかく、それがウィーンやパリで大向を唸らせる鍵であるという認識を持っていて不思議ではない。それがエチュードの作曲であり、リストへの献呈、挑戦であった。シューマンが同い年のショパンを絶賛しているのは評論精神によるということになっているが、評論はおりしものロマン主義の台頭で文学と融合した運動だ。浪漫主義的資質のシューマンが開祖の一人という意味でならその言説に異論はないが、後世に現れる富裕なインテリ市民階級で、音楽はできないが文章は書く者たちが評論家である。シューマンは真の意味での音楽の創造者でありそれではなかったが、指の怪我によりエチュードをかけるほどの技法のレベルにはなかった。リスト、ショパンを前にしたルサンチマンを僕は感じるし、ショパンはそっけない返信で、まあ君には無理だろうけどねと見下したニュアンスを漂わせている。
ドイツ時代に僕は軍隊ポロネーズと子犬のワルツを弾いて気持ちよかったが、以来ご無沙汰だ。聴く興味が失せるとともに指も忘れてしまう。今さらっているのはシューベルトやシューマンやブラームスというわけで、10年前にはあったショパンコンクールへの興味も並行して失せてしまったが、愛国心から、前回は躍進した日本人が今回はどうかには注目した。 桑原志織はオーソドックスなショパンで音はクリスタルのように美しく、パラパラの空疎さをあまり感じさせないソリッドなアプローチだ。バラード4番は見事で完成度が高いが、それだけに最後のコンチェルト第3楽章になぜかそれがなく、不可思議だ。指揮者のせいかもしれないが、これは彼女のテンポだったのだろうか。
もう1人、選外に終わった進藤実優だ。あまり見ない柔らかい手首から心地よいレガートを生み出し、粘りのあるフレージングと大きな波のうねりに高め、それが摂理として求めているまさにこれというテンポルバートと音量の振幅で音楽をゆりかごのようにドライブし聴き手に魔法をかける。音楽が奥底に秘めている作曲家の心の波動に共振しないとそういうことは起きないのだが、表面的には即興性と聞こえ、陳腐でカビの生えた解釈論にこだわる保守派には受けないこともある。指揮者ならフルトヴェングラーが、ピアニストならアルゲリッチがそうした資質の持ち主だが、教えて出来るものではないと思われ、頭や理性ではなく体中で咀嚼して自分のものにした人だけができる。聴衆への説得力は絶大で、そうした演奏家はいつの時代でも世界でも希少である。微細に精巧に作られてはいるが所詮は作り物でしたねという多くの演奏の中でおのずと異彩を放つことになり、いずれ彼女にはそういう時が訪れるだろう。
コンチェルト1番をぜひお聞きいただきたい。まず、いつも感じるのだがワルシャワ・フィルハーモニーは冒頭からがっくりとくるほど鈍重で冴えない。もっと緊張感のある音で入れと言いたくなるが、それをものともせずピアノはデリケートで冴え冴えとしてすばらしい。第1楽章。テンポをぐっと落としppに息をひそめた第2主題はどうだ。ここはショパンが書いた最高のページのひとつと僕は思っているが、それへの敬意に満ちた壊れそうなほど敏感なタッチに生命がこもっているのである。へたくそなホルンが乱すが、もうこの人が只者でないことを悟ってこっちも息をひそめるしかない。第2楽章。霧の中、 恋人と手をとって森の道を歩むインティメートな世界だ。別れることになる彼女をいかに愛していたか感じ入る。第3楽章。喜びの爆発。なんてカプリッチォな弾き方だろう。個性の塊だ。歓喜が快い律動になりこちらまで未来への期待が体中に満ちてくる感じがする。コーダに向かい弾むような波動はアップビートのグルーヴ感を呼び起こし、オーケストラに乗り移って全員を引っ張って頂点に至る。素晴らしいのひと言、この人は指揮者としても有能ではないか。微細なミスタッチは複数あり、杓子定規な減点があったのではないかと推察するが、コルトーの例と同様そんなものは大器の価値を些かも減じることはない。コンクール用の安全運転、完成度の高い退屈など犬も食わぬ。そのリスクを冒してでも聴衆に伝えんとする強いパッションは演奏という行為の本質を突いており100倍も価値がある。僕が審査員なら進藤実優が優勝。この演奏はアルゲリッチよりリパッティより好きだ、これからこの曲が恋しい時、真っ先に聴くことになるだろう。
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読響定期 アンデルシェフスキに感動
2025 DEC 14 0:00:11 am by 東 賢太郎
第653回定期演奏会
2025 11.27〈木〉 19:00 サントリーホール
指揮=ピエタリ・インキネン
ピアノ=ピョートル・アンデルシェフスキ
シベリウス:交響的幻想曲「ポホヨラの娘」作品49
バルトーク:ピアノ協奏曲第3番 ホ長調
シベリウス:組曲「レンミンカイネン」から”トゥオネラの白鳥”
シベリウス:交響曲第7番 ハ長調 作品105
この週は仕事が立てこんでなかなか音楽に入り込める状況ではなく、素晴らしいプログラムだったのに残念なことをした。ハンヌ・リントゥがインキネンに変更になったのはいいがサーリアホの「冬の空」という曲は聞いてみたかった。例年この時期になるとシベリウスがぴったりくるのだけれど、とてもエネルギーを要する新規ビジネスが耳に入ってしまい心は沸きたっているからちょっと肌合いが違う。本当に残念。
インキネンはシベリウスの音楽を空間でイメージにして描くような指揮ぶりで棒が克明だ。世が世なら7番は深く入れたはずなのだが・・・。バルトーク3番。白血病だった彼が妻の収入源にと書き残すつもりが17小節が未完に終わった。初演の指揮者は僕がフィラデルフェアでお会いしたユージン・オーマンディである。ポーランド系ハンガリー人のピョートル・アンデルシェフスキは初めてだ。尖ったところがないがロマン派寄りというより硬派に聞こえた。好みの問題ではあるがこれで終わったらこのピアニストのイメージはそれほど残らなかった。
ところが彼がアンコールに弾いたブラームス間奏曲作品118-2には参った。深い思索と没入からしか得られようのない心の陰影、それにぴたりと寄り添ったルバートとタッチの感情を揺さぶる高貴さは筆舌に尽くし難い。カラフルで歌心があるのだが陳腐なテクニックを全く感じさせない本物の音楽である。どうやったらピアノからこんな心に刺さる音が出るのだろうかと呆然としながら釘付けになっているうちに、音楽は白昼夢のように過ぎ去った。とてつもない深い感動。彼を聴いてみたい。素晴らしいピアニストを見つけた喜びでいっぱいだ。
youtubeをざっと聴いたが、このディアベリ変奏曲、実に素晴らしい。
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指揮者・村中大祐夫妻との素晴らしい夕食
2025 NOV 29 13:13:39 pm by 東 賢太郎
ショックなことがあると音楽を受け付けなくなってしまう。ながら聞きができないので没入してしまい、僕においては薬理的な作用すら働くと思われ、深い喜怒哀楽の情に結びついて危険なこともあるからだ。今回もそれであり、11月7日から ”断食” 状態にあったのである。 2週間ほど経って恐る恐るその禁を破ることになったのは、 11月5日にある方と食事をしてCDを頂き、その感想を書く約束になっていたからだ。指揮者の村中大祐氏である。しかも曲目がマーラーの9番だった。斯様な心持ちの時にはチャイコフスキーの悲愴と双璧の恐ろしさである。
しばし悩んだ。何か先に聞いて “解毒” しなくてはいけない。しかし答えは意外にすんなり出た。 51年前に買ったこのレコードだ。まずマーラーであること。そして48年前にAIアトラスの電波かもしれないWOWシグナルを浴びた時にスタインバーグ指揮のサンフランシスコ響で聴き、危険な目にもあった深い縁もあること。これでダメなら諦めるしかないだろう。
僕は第4楽章の第2主題が大好きだ。心に棲みつくほど好きで好きでたまらず、易しいニ長調の譜面で何度も何度もひいてはデリシャスな和声に恍惚となってる。まずそれをした。大丈夫。これでワルターの演奏がすんなり入ってきた。昨今の力こぶの入った演奏をたくさん聴いているせいか大人しめに感じるが、やっぱりこれが初めての演奏、おふくろの味は強いのだ。
村中大祐氏は今年一緒に読響定期を聞いてきた友人D氏の紹介で一度会いましょうということになっており、ご夫婦がひいきの広尾のイタリア料理店Incantoでディナーになった。いきなりご自身の指揮したマーラー9番のCDを差し出され、感想を聞かせてくださいという会話からスタートしたのがことの発端だ。

会話の覚えているところを交えて様子を記してみる。
京都市交響楽団のブラームス交響曲第2番、youtubeで聴きましたよ、ええ、とても好きな演奏でした。ペーター・マークのお弟子さんなんですか、そういえば僕がプラハ交響曲を覚えたのは大学時代に生協で買った彼がロンドン響を振ったデッカのレコードだったんです、ぺイエでしたかクラリネットコンチェルトが裏面のね。それは御縁ですね、モーツァルトが好きになるきっかけとなった思い出のレコードですからね。マドリッドのオケとのハ短調ミサ曲もよく聴きますよ。
村中氏はウィーン国立音楽大学で指揮を学びトーティ・ダル・モンテ国際オペラコンクール指揮部門「ボッテーガ」と第1回マリオ・グゼッラ国際指揮者コンクールで、いずれも第1位を獲得。6か国を話しイタリアでオペラを中心に20年ぐらい修行を重ねクラウディオ・アバドにも学んでいる。2015年、英国チャールズ皇太子御臨席演奏会で演奏したシューベルトの「悲劇的」とベートーヴェンの「エグモント」が英国人から絶賛され、イギリス室内管弦楽団より国際招聘指揮者というタイトルが付与されている。僕は英国人をよく知っている。伊達や酔狂でこういうことはまず起きない。
子供の頃から熱中したピアノが好きで、ピアニストになりたかったゆえ指揮もピアノを弾くようにやりたいという。シューマンのクライスレリアーナの録音をミヒャエル・ギーレンが聞いて褒めてくれたことが自信になったそうだ。そうですか、ギーレンはドイツにいた時分にバーデンバーデンのオーケストラを何回か聞きました。よく覚えてます。ただ者の指揮者じゃないですね、あの人が褒めたってのは折り紙付きです、まあそれもそうだけどクライスレリアーナがそんなに弾けるってのもね(笑)。ペーター・マークの魔笛に衝撃を受け、楽屋に乗り込んで土下座して弟子にしてくださいと訴えてその場でokを貰ったという熱いエピソードをお持ちだ。 ご臨終までのお付き合いだったそうだ。 そうですか、ということはフルトヴェングラーの孫弟子。素晴らしいキャリア羨ましいですね、僕も高校のころ指揮者になりたくて音大に行きたいって親に言ったことがありましてね、母は賛成でしたが父が頑としてダメでね、東大に入れって。言うこと聞いたけどあんまりいいことなかったですね(笑)。
音楽もさることながら、ヨーロッパで長いこと過ごした同士、音楽や人生や日本人に対する考え方はとても共感があった。外国に居ればいるほど愛国者になるなんてのは特に。村中さんはまず人間としてとてもしっかりした熱いもの、目標に対する強烈なアンビションと人生哲学を持っておられる。それってすごいことなんです、めったにいないからそういう人は例外なく好きなんです。今いっしょに仕事してるたちも40から50ぐらいだけどそういう人ばかりです。日本人ってね、優秀だし道徳心や思いやりがあっていい人が多いんです、でも付和雷同で事なかれ主義で、自分を表に出さないほうがいいと思ってる。といって裏では悪口言って面従腹背だったりする人も多いんです。ご存知の通り世界はそうじゃない人が9割ですからね、成功していようがいまいがね。移民を制限したっていずれ負けちゃいますね。親の世代がそうじゃないなら国が教育を見直さないといけません、若者がどんどん外国に出て行かなくちゃいけない、僕の若い頃はアメリカに留学したい人なんてゴマンといたしその気運がものすごくあったんです。人間てね、経営者や政治家が典型ですが2世3世になると親の遺産の守りに入っちゃう。失われた30年ってね、政治のせいばっかりじゃない、それもあるんです。だって高度成長期だって政治のおかげでできたわけじゃないですからね。
いい人に出会えた。村中さんもそう思って下さったならうれしいが、こんな質問を頂いた。人生これまで何をいちばん心がけてこられましたか?うーん、いい質問ですねえ、考えたことありませんでした、若い頃なんかガムシャラなだけで全然ね、もしあるとすれば、自分らしく生きているだろうかということですかね、社会に出れば自分を曲げてでも切り抜けなきゃいけないことがたくさんありましたから、受け身でそんな事やってるとだんだん自分の歩き方を忘れちゃうんですよ。それじゃ持って生まれたものを100%発揮できませんからね、後でハッと気がついて、俺ってこんなんで良かったんだっけって思うことは結構ありました。そういうときは無理矢理にでも元に戻して、自分100%でやってきたからよかったかもしれません。おかげで3回も会社辞めちゃいましたけどね(笑)。でもガムシャラがあってのことです。これが自分のやり方だペースだって言ってのんびりとお気楽にやってたら間違いなく何も起きませんから。
こんな具合だから意外に音楽の話はしてなかったように思う。どうしてクラシックに入ったかという話題ぐらいか。しょっぱなはボロディンの転調でした。魔笛はHmHmHmです、あれすごいです、本格的に没入したのはブーレーズの春の祭典でミスまで覚えちゃったので後で苦労しました。えっ、まさか、ブーレーズってミスないんじゃないですか?オペラ歌手の奥様が言われた。いいえあるんです、生贄の踊りのティンパニ、ここですよ(テーブル叩く)。東さん、僕の前で春の祭典を歌った人は初めてです(笑)。村中さん、でも僕はマーラー苦手なんです、実は9番もあんまり覚えてもないんで、すいませんがぜんぜん素人です、評論は無理だから感想文で勘弁してください。ラジオでクラシックのトーク番組聴いてるみたいでおもしろかったがDさんの弁だった。
メールさせていただいた感想文はこうなった。
音楽に没入し、心より感動させていただきました。実はフク(逝去した猫です)が旅立ってからどういうわけか音楽を聞くのが恐ろしく、9番を聞く心の準備として数日前にブルーノ・ワルターの巨人を以来初めて聞きました。恐る恐るです。大丈夫だったので、昨日はやはりそれをムーティの演奏で聞きました。しかし第2楽章あたりで耐えられなくなってきて、やむなく気を紛らわせようとcdに合わせてピアノを鳴らしていた始末です。だから迷ったのですが、村中様の指揮がどのようなものか興味が勝っており、ターンテーブルに乗せました。聞いてよかったです。所有しているテープ、レコード、cdはおそらく1万枚を超えていると思います。私はコレクターではなく、より良い演奏、気に入る演奏を求めて購入し続け、買うに至った思い出が捨てられず、失敗の山を収納する部屋を作る羽目になった者です。ですから初めて聞いたcdを収納棚に入れる時、多分もう聞かないだろうなという寂しさを覚える記憶がとても多いのです。頂いた1枚がそうならなかったことを心から喜んでおります。また聴くことになると思います。実力の高い見事なオーケストラと共にお造りになった素晴らしい音楽のお力に他なりません。ブラームスの2番でもそう思いましたが、音楽に対する情動と言いますか波長と言いますか、私にとって村中様の感性にはぴったりと合うもの、心地よいものがあるように思いました。Dさんのおかげでお知り合いになれたこと、とても幸いと思っております。
こちらが京都市交響楽団を振ったそのブラームス交響曲第2番。 これは評論できる。100種類以上持っているうちトップ10%に入る素晴らしいコンセプトの演奏と思う。ぜひお聴きください。
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人生の目的は音楽 - H J リムの場合
2025 JUN 28 21:21:20 pm by 東 賢太郎
僕が運用アドバイスの仕事を好きなのは、うまくいけば文句を言う人は世界にひとりもいないからだ。つまり結果を出すことだけに全身全霊を集中でき、権謀術数を弄したり他人の評価を気にしたりお追従を言ったりというくだらないことは一切いらない。好きなことに没頭してるとボケない気がする。いまでも周囲に記憶力いいといわれる。もちろんトシなりに短期記憶は落ちてるが、夕食を食べたのを忘れてて「あなた大丈夫?」とまじめに心配されるのはそれではない。子供のころからそうなのだ。
円周率を覚えたりする記憶術みたいな技があるらしい。そういうのは知らないが自分はピクチャー型っぽい。パッと見て画面をバンと覚えてる感じだ。単語や公式はじっと見て目をつぶって瞼に見えればOK。音楽もそれだ。そのかわり画像も音も興味ないものは瞬時にデリートしていそうだ。父は趣味で97才まで英語を勉強していて記憶はまずまずだったが継いでいる部分はあるかもしれない。
それにしてもピアニストの記憶力は並尋常でないといつも思う。平均律やハンマークラヴィールを暗譜で弾くとなると複雑な多声のフーガを10本の指で弾き分ける運動の記憶だから受験勉強のようなものとは違う。僕は野球のコントロールも同じ感じがする。変化球をコーナーに投げ分ける指先の記憶に近い。要は、体で覚えてるという奴であり、意識なく自然に体が動くまで練習するとバッターをごまかしてうち取れるようになる。
韓国の女性ピア二スト、HJ リムのyoutubeが面白かった。この人はパリ音楽院卒でものすごくピアノがうまいが、良い意味で無手勝流であって、ショパンコンクールで優勝するようなことは目ざしてない稀有なクラシックアーティストだ。音楽家でない普通の家の子だがピアノが好きで12才で単身パリの音楽学校に入学し、16才でパリ音楽院に最年少入学し、4年の課程を3年で終えて最年少で首席卒業という実績は異論をはさむ余地もない異才である。
ベートーベンのソナタ全曲録音がある。親にパリでがんばってるよとアップしたyoutubeがEMIの目に留まり、栄誉ある全集録音に至った。なぜ栄誉かというとアルトゥール・シュナーベルが世界初で成し遂げて以来、ベートーベンのソナタ全曲録音を残したピアニストはたぶん50人もいない。ちなみに過去300人ほど遭難で亡くなっているエベレスト登頂を成し遂げた人は1万人ぐらいだ。
それはこのリムスキー・コルサコフ「熊蜂の飛行」だったらしい。
ベートーベンのソナタ全曲を世界メジャーレーベルであるEMIに29日で録音し終えただけでも超人的(つまり全部覚えている証明)だが、さらにバッハ平均律、ショパン、プロコフィエフ、ラヴェル、ラフマニノフのピアノ曲全曲、メジャーなピアノ協奏曲(ブラームス2番含む)がいつでも弾けるという記憶力は我々凡人に想像のつく次元の話ではない。平均35時間かかるエベレスト登頂を最速記録の8時間10分で成し遂げたようなもので、ビデオで本人が語っているが、曲を自分のものにするには「夜中の3時に不意に叩き起こされて弾けと言われてすぐ弾けるようになってないとだめ」なのだそうだ。
それはもちろん訓練の賜物だ。なにやら昭和の漫画「巨人の星」やゴルフのタイガー・ウッズを思い出すが、数字だけを競うアスリートと決定的に異なるのは、ピアノは速弾き競争でなくフィギュアスケートや体操のいわゆる芸術点(アーティスティック・インプレッション)で評価される点だ。それが難しい。そこだけとればアスリート的である世界レベルのテクニックなくしてコンペには参加もできない。スケートは超絶難度の技を決めれば勝てるが、ピアノの場合、それだけだと馬鹿テクといわれ芸術点で評価されないことがある(デビュー当時のポリーニがそう)。
素人の空想になるが、「夜中の3時に・・」の喩えは、テクニックが完全に自分の体に同化した状態、つまり「意識なく自然に体が動くまで練習するとバッターをごまかしてうち取れるようになる」感じと思う。とすると、それは記憶力なのだ。球は速いがコントロールが悪い投手は短命が多い。球速はアスリート能力で30才で落ちる。しかし記憶力であるコントロールは40才でも残る。リムのベートーベン録音デビューは25才で、アスリート能力優位の速球勝負だった観はあるものの40代のいまからは芸術点を高めればいい。並はずれた記憶蓄積はそれのユニークな土台になる。
しかし謎は残る。なぜにこの人は「夜中の3時に・・」に至る特訓に耐えられたのだろう?巨人の星の主人公も、タイガー・ウッズも、さらにはモーツァルトもベートーベンも、強烈なスパルタ親父に鍛えまくられた。ところがリムの両親は音楽家でなく、彼女はひとりで12才でパリへ旅立ってしまったのだ。
ヒントはあった。これだ。
何とラフマニノフの2番を自身編曲の「ひとりピアノ」でやっちゃう!それにパリっ子が大熱狂である。オーケストラの伴奏で満足感を得られるようにできている曲をピアノ1台でどこまで再現できるかはチャレンジングだが、オケパートまで弾く苦労を考えるとビジネスマンの僕としてはコスパがあまり良くないと思う。弾ける人は普通にオケとやればいいのであり、聴き手も2番を聴きたいなら欲求不満になるこれを家であえて聞こうとはしないだろう。という事はEMIは商売にならないから録音しない。つまり宣伝にも名誉にも生活にもあんまりならないのだ。じゃあなんで?それもインタビューにある。彼女はそういうことのために音楽をしてない。とにかく音楽が好き、人生の目的は音楽というのが唯一のモチベーションのようだ。つまり、この人はたぶん、先生にやれと強制されて、苦悶し涙を流して「夜中の3時に・・」のレベルに到達したのではない。やれと言ったのは自分の後ろにいるもう一人の自分なのだ。
となると、この人はひょっとして自分と似た人間じゃないかと思うのは、はるかに低次元ながら実は僕もそうなったことがあるからだ。あるどころか、僕がピアノに触れるようになったのはそれが契機だ。高校のころ見よう見まねで妹のハノンやツェルニーをひっぱりだして独学し、初めてなんとなく弾けるようになったのがこの「2番ひとりピアノ自分版」の最初の3分間ぐらいだ。動機は自分の手でやりたくて仕方ないから。リムの音符数の半分もないけれど、とにかく初めて弾いた曲がラフ2のサワリというドンキホーテみたいな人間は世界中にそういないだろう。だから全曲やってしまったリムの熱量は完璧にシェアできるし、なにより、誰が何といおうが好きを貫く彼女の意気と度胸と集中力には人間精神の崇高さと無限の可能性をみて心の底から元気をもらえる。伊達や酔狂ではない、彼女はラフマニノフのコンチェルト4曲ともひとりピアノ版を作り韓国で演奏会で弾いている。尊敬しかない。
彼女のベートーベンの評価は二分した。アレグロを快速で飛ばし、大きな緩急とダイナミズムを端から端まで使う解釈には流儀を知らない自己流だ、こんなのはベートーベンではないと否定的な意見が多かった。しかし、彼女は宣伝、名誉、生活のために弾いてない。流儀におもねって自分が後退したら意味ないとはっきり主張している。ベートーベンのソナタでそう述べるのはクラシックそのもののレゾンデトルともいえる “伝統” への挑戦だ。しかし、彼女はこう言い放っている。「楽譜を研究し、作曲家と時代背景を研究していくと、やがて自分がその時代、その音楽に入りこんでしまう時がやって来ます。すると、ベートーベン本人が現われ、『キミ、そこは気に入らないね』なんて言ったりします。でも「先生、私はそう感じるんです、あなたはそう書いていますし、そう弾かないと自分が自分でなくなるんです』と言います」。彼女はそのとき彼に自分の父親と同じ匂いを感じたらしい。こういう人に評論家がどんな御託を並べても無力だ。
たしかに僕も彼女の演奏と伝統のコンフリクトが気になる曲はある。自己流で突っ走ってしまうとどうしても表情が平板になり、緩徐楽章はもの足りなくなる。伝統にこだわる深い意味はここにあるのであって、いかなる演奏家よりその曲の魅力を知ってるのは作曲家だ。その演奏法が伝統となるのだから天才演奏家といえどもリスペクトするに越したことはない。また、これは技量の問題であるはずはないので重視をしてないということになろうが、リムは打鍵の均一さという美感にはやや欠け、これだとモーツァルトは難しいなとも思う。しかし、だからといって没にしていい人ではない。それら欠点は録音時に弱冠25才のピアニストの若さであって個性でもある。音楽はナショナリズムとは無縁だが、日本人にリムのような人はいるのだろうか?教科書的な解釈に服従した範囲で正確に徹し五十歩百歩の競争をするのと、人間としての作曲家に立ち返ってそこに自分という人間をぶつけ、オンリーワンの解釈を創造していくこととどっちが価値があるだろう?人生の目的は音楽だという人であっても、音楽する目的は宣伝、名誉、生活になっていないだろうか。
リムのリサイタル。舞台にぽつんとピアノ1台。その禅寺のように寂然とした光景がラフマニノフのコンチェルトを演じる場に見える人はいない。それをお構いなしにやる。やりたい衝動があるからだ。そしてその衝動こそを、人間らしい尊い姿として愛するパリの人達が集まり、楽しみ、感動し、心をこめて称賛する。音楽というものが神々しく輝く瞬間だ。
本稿に引用したインタビューはこれだ。
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グイド・カンテルリのベートーベン寸評
2025 MAR 25 10:10:48 am by 東 賢太郎
グイド・カンテルリ(1920 – 1956)はヴィクトル・デ・サバタの後任としてスカラ座の音楽監督になり、ウィーン、ロンドン、ニューヨークでも高い評価を受けた。なんといってもあのトスカニーニが後継者と目し「私は長い経歴の中で、これほど才能のある若者に出逢ったことがありません」と奥さんに手紙を書いたという。この人が36才で飛行機事故で亡くならなければ音楽界はどうだったろう。2才年長のレナード・バーンスタインがもしこの世にいなかったらと考えれば損失の大きさが窺われる。
このセットを買ったのは2007年だ。どの店だったか覚えがないがたぶんタワレコ渋谷だろう。千円台だったが中身をよく見ると魅力があった。カンテルリがニューヨーク・フィルを振った1953~56年の演奏会でベートーベンのピアノ協奏曲の1,3,4,5番が入っており、順にゼルキン、フィルクシュニー、バックハウス、カサドシュという20世紀を代表するピアニストのライブ演奏が聴けるからだ。
モノラル時代の、それもラジオ放送だろうか、商業用録音でないから音質はそれなりだ。デジタル時代生まれの聴衆は「何が悲しくてこんな貧相な音で」と思うかもしれないが、時としてそれを補う宝物が埋まっていることを知ってほしい。レコードは文字通り “記録” である。何が記録されたかにこそ意味があり、良い音質というものはその音源の商品価値(お値段)には寄与しても記録内容の価値を高めることはない。写真の画素数を上げれば普通の人が麗人に撮れるわけではないのである。本稿はその例として書いている。
クラシックは古典芸能だから骨董品や遺跡の発掘品と同じで根本的に古びない。というよりその概念がない。演奏家、聴き手の感性は時代に連れて変化するから演奏スタイルに “今風” があって結構だが、19世紀、20世紀のスタンダードを知らなければ今風かどうか知る由はない。だから、これでいいんだろうか、ベートーベンが聴いたらほめるだろうか怒るだろうか?と想像し頭の体操をしてみる余地がある。
他人の意見を検索などしてはいけない。自分で出した問題なのだから自分の頭で考えろ、である。ショーペンハウエルが「馬鹿になるから本を読むな」といっているのと同じ理由で、他人の耳で音楽を聞くことになる。好奇心のある人は考える材料を調べてみようと興味が出るだろう。僕の若い頃、それを探り出すのは大変で、だから書物が家に山ほどある。ところが、実にありがたいことだが、ネット時代の恩恵で今はあっという間にググれるのだから皆さんやらないと損だ。すると、何が起きるか?人間は興味のあることは暗記などしなくても勝手に覚える。曲のレパートリーを増やし、理解を深めるのにこれほど簡単な手はない。
録音した時の4人の年齢は、ゼルキン50才、フィルクシュニー43才、バックハウス72才、カサドシュ56才だ。僕はこの押しも押されぬ大ピアニストたちの素晴らしいレコードをたくさん聴いて育っており、最初の2人は米国で実演もきいている。まだ知らなかったこのCDに記録された4つの演奏会のチケットたるや、僕が当時にタイムマシンで行けるなら、1994年に満を持して買ったカルロス・クライバー / ベルリン・フィルのブラームス4番ぐらいに食指をそそられるものだ。
バックハウス72才の4番のライブが2年後のウィーン・フィルとのスタジオ録音と比べてどこがどうのという興味はない。レコード芸術で入門して同曲異演の聞き込みに没頭したことがあったが、レコードといえど聴く側の気分や体調は毎日違うのだから聴くたびに一期一会であると思い至った。英雄がききたいときに英雄を、悲愴がききたいときに悲愴をきけばいいのであって、立派に書かれたスコアがちゃんと感動させてくれる。
カンテルリのCDは好みだ。彼を気に入ったトスカニーニのベートーベンが好きなのと同系統の趣味なのだろう。4人のピアニストを円熟と書いたが、緩徐楽章にそれはあるが老成したものではなく、どれもライブなりの強烈な気迫がありアレグロはミスタッチをものともせずどれも眼前できいたら圧倒されたろう。4人なりの個性全開で大変味が濃く、これだけ大家たちがやりたいことをやらせながら総じて速いテンポでぐいぐい押す。半分ぐらいの年齢のカンテルリに付き従っている観がある。以下、各曲の寸評を記す。
1番。モーツァルトの衣鉢を継ぐのは俺だと才気煥発な25才のこれを出だしからもっちゃり、のっそりのテンポでやる指揮者が結構多いが信じ難い。これは僕の知る限り最速か少なくともその部類で、オケの愉悦感はまるでハイドンである。古楽器演奏の干からびたこじつけでなく、音楽はこういうものというスピリットにおいても時代考証的にも大いに納得である。嬉々として弾く脂の乗り切ったゼルキンもライブならでは。Mov3のソロ主題でルバートをかけるなど彼には思いもよらない遊びまで出てくる。
3番。NYPは出だしが鈍重、ピッチも悪く、テュッティが汚い。フィルクシュニーも入りでミスする。どうなるかと心配になるがこのチェコの名ピアニストの腕前はタングルウッドできいたモーツァルト24番でわかっている。カンテルリは1番から一転、中期へ向かう重みに比重を寄せる。3番のMov1の解釈でこれはありだ。フィルクシュニーは展開部あたりから興がのりカデンツァは全開だ。Mov2のタッチの深さ、静かな部分の沈静感は彼ならでは。Mov3はオケが騒がしく好みでなく快速調でやや統一感を欠くきらいはある。3番はコーダでアマデウス・コードを2度繰り返し自らモーツァルトの影響を吐露しているがそういう部分にも意を用いているようにはきこえない。深みという点で4曲でこれはやや落ちる。
4番。バックハウスが聴きものだ。世評通りだから書くまでもないがベートーベン演奏でこの人ほど傾聴に値するピアニストはない。彼はそれをスタジオでもコンサート会場でも再現できたということがわかる。他より圧倒的に深みのある4番という音楽のせいもあるが、カンテルリはバックハウスをよく聴き完全に伴奏者に回っている。Mov3のカデンツァもほぼ乱れなく、ベートーベンはこうでなくてはという力感と居住まいの正しさ。コーダへの追い込みでカンテルリがダッシュをかけ両者がなだれ込むが品格は微塵も崩れない。王者のたたずまいとはこのことだ。
5番。入りからして立派な皇帝というしかない。僕はカサドシュのドビッシー、ラヴェルを愛聴する者だが、同じく明るく明晰なタッチでこれほど玉をころがすようにベートーベンを弾ける人がいただろうか。Mov3のミスタッチなど明らかにこれがバックハウスのように自家薬籠中の物でなかったことをうかがわせるが、驚くのはオーケストラもそれに合わせて透明感の高い演奏になっていることで、録音のマジックが使えるスタジオ収録でないのだから本当にそういう音が鳴っていたということだ。このベートーベン・チクルス、ドイツの巨匠二人にフランス人、チェコ人に弾かせたわけだが超大物のバックハウスとカサドシュを連れてきたニューヨーク・フィルのマネジメントもパワフルだ。それを任され対極的なアプローチを使い分けた指揮者の能力は高いと思う。このまま彼が生きていればバーンスタインはどうなったのだろう?
200年前の音楽の70年前の演奏がこれだけ心を震わせる。クラシックは不滅だ。
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日韓国交正常化60周年記念演奏会をきく
2025 MAR 3 19:19:52 pm by 東 賢太郎
2025年3月2日(日)14:00開演 13:15開場
東京オペラシティ コンサートホール
指揮:チョン・ミョンフン(東京フィル 名誉音楽監督/KBS 交響楽団 桂冠指揮者)
ピアノ:ソヌ・イェゴン、五十嵐薫子
KBS交響楽団&東京フィルハーモニー交響楽団合同オーケストラ
モーツァルト/2台のピアノのための協奏曲
マーラー/交響曲第1番『巨人』
主催会社様からのご招待で次女と聴かせていただきました。マエストロ・チョン・ミョンフンは何度か聴いており、同世代であったことが幸運だったと思う音楽家のひとりです。そして、我々昭和のファン周知の名ヴァイオリニスト、姉上のキョンファ氏のことも思い出します。大学時代に僕は彼女のファンであり、70年代、韓国といえば彼女、ヴァイオリンといえば彼女であり、初めて同国に訪問したのはずっと後の42才でしたが政治、民族に関する雑念はのっけからなかったことを昨日のように覚えています。その後に投資の関係で何十回もソウルと往来していますがいまだ同様なのです。音楽に国籍はなく、そこから大人になり物心がついたことに感謝しています。
弟のミョンフン氏を知ったのは後でしたが、ふれこみに1974年にチャイコフスキー・コンクールのピアノ部門で2位とあったのをこれまたよく覚えてます(協奏曲第1番のレコードもたしかあった)。同年の優勝はアンドレイ・ガヴリーロフ、4位があのアンドラーシュ・シフというのだからピアニストでないのが不思議であり、そっちでデビューして名を成してから指揮もするようになったバレンボイム、アシュケナージとはちがう。1984年の姉弟のバルトーク、31才の指揮をご覧になればそちらの才能に納得でしょう。29才でシカゴ響にデビューし、トロント響の音楽監督になった小澤征爾に比肩する唯一の東洋人です。
ご両人の音楽に共通なのですが、広々とした “気” が静かに背景に横たわっているように感じます。どんな激した箇所になってもそれは濃紺の深海のように不動なのです。音楽には演奏する人が現われると言いますが、本当に不思議だ。他の誰からも感じたことのないこれはお二人の持てるものなんだろうと感じます。
このビデオの会話、そして素晴らしいとしか言いようのないブラームスを聴くと、言いたいことがお分かりいただけるかなと思います。このインタビュー、英語は母国語でないのに、やさしい言葉なんだけど選び方に奥深い品格とインテリジェンスを感じます。細かいことですがなかなかできることではない。カルロ・マリア・ジュリーニが弟子とし、世界のトップオーケストラが畏敬し、あのオリヴィエ・メシアンが認めて数々の初演を託した理由の一端を見た気がします。
昨日の演奏会。モーツァルトk.365は大好きなのですが意外に演奏会にあたらず、フランクフルトで95年にアルゲリッチ&ラビノビッチで聴いただけだったので楽しみでした。第1楽章アレグロはやや遅めのテンポでピアノを伸びやかに歌わせ、ミラベル公園に遊ぶ風情の第2楽章はまさにそのもので欧州の息吹を感じさせます。終楽章のアレグロは不遇のパリ旅行から帰ったモーツァルトがすっかり快復し、姉ナンネルとのりのりのテンポで弾きまくったであろう心沸き立つ速さでありました。ソヌ・イェゴン、五十嵐薫、これから楽しみでしかない俊英ふたりの愉悦感あふれる演奏に心より満足。
マーラー巨人。これは一生記憶に残るものでした。ミョンフン氏は2008年にN響でブルックナー7番をやり、これがかつて1,2を争う名演で期待はありました。冒頭の弦がひっそりと奏でるaから広々とした “気” が静かに、しかし仄かな緊張感を漂わせながらホールに満ちます。この曲のこの時間は生きる喜びのひとつです。終楽章でまさにこれが戻ってくるのを予感して感じるものがたくさんあり、それがやってくる未来に無限の喜びを覚えるのです。何十回聴いたかわからない同曲ですが、白眉は地の底まで沈底する如く気を鎮めた第3楽章で、下手な指揮だと俗界の闖入が滑稽に浮いてしまうだけなのですが、ここでこそ彼の「濃紺の深海のように不動なもの」の神秘感が活きたのです。ここから終楽章の白熱と爆発へのコントラストは俗っぽさと無縁で、何のあざとさもなく自然体のように頂点まで高揚した解釈の、彼の言葉のように品格とインテリジェンスがあったこと!韓国のN響のような存在であるKBS響と東京フィルの合同オーケストラは指揮の意をくんで見事に融和し、唯一無二の渾身の演奏になりました。まさに、音楽に国境なし。
公演後のレセプションでマエストロは「自分が何者かと問われれば、まずhumann being(人間)です。そして次に音楽家です。こんな素晴らしい音楽というものと共に生きられることが無上の喜びです。そして最後に、韓国人であることが来ます。国よりも、音楽はずっと大事な存在なのです」とスピーチしました。だから20年も東京フィルハーモニーの音楽監督がつとまったのでしょう。同感です。僕にとっても音楽は3位でなく2位の存在です。マエストロと話したかったのですが、大変なオーラを放ちつつも少々お疲れのように見えたので自重しました。あれだけのマーラーを振ってオーケストラと我々に気を吹き込んだのだから当然でしょう。日韓両国にとって記念すべき演奏会に皇室はじめ各界重鎮と共にお招きいただいたことは光栄であり、株式会社ロッテホールディングス様に心より御礼申し上げます。
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何十年ぶりかの「新世界」との再会
2024 AUG 26 0:00:20 am by 東 賢太郎
気晴らしが必要で、ピアノ室にこもってあれこれ譜面をとりだした。すると、こんなのを買っていたのかという新世界交響曲の二手版があった。この曲、興味が失せて何十年にもなっていて、クラシック音楽は飽きがこないよと言いつつ実はくると諦めた何曲かのうちだった。
ところがだ。ざっと通してみると、これはこれでいい曲ではないかと思えてきた。完全に覚えたのは高1で、コロムビアから出ていたアンチェル盤(左)を買って夢中になった。さきほど聴きなおしたが、まったくもって素晴らしいの一言。数年前にサントリーホールで聴いたチェコ・フィルはこの味を失っていたが、こんなに木管やホルンが土臭くローカル色満点の音がしていたのだ。
とはいえ田舎風なわけではなく、アンサンブルは抜群の洗練ぶりでティンパニは雄弁。トゥッティは筋肉質であり、花を添える管楽器のピッチの良さたるや特筆ものだ。背景でそっと鳴っているだけなのに木管群の pp のハモリの美しさに耳が吸い寄せられ、金管はアメリカの楽団のようにばりばり突き出ずに ff でも全体に溶け込む。録音は年代なりの古さはあるが、見事なルドルフィヌムのホールトーンの中で残響が空間にふゎっと広がり、楽器音のタンギングの触感まで克明に拾っていて鑑賞には何ら支障なし。以上は共産時代の東欧のオーケストラ一般の特色でもあるが(ロシアは別種)、ドレスデン・シュターツカペッレ、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管と並んでチェコ・フィルハーモニーはAAAクラスであり、それでも各個の際立った味が濃厚にあって個人的には甲乙つけ難い。そのハイレベルな選択の中においてでも、アンチェル盤は「新世界はこういうものだ」と断言して反論はどこからも来ないだろう。
つまり優雅と機能美が高い次元で調和したのがこの新世界の魅力なのだが、僕はどういう風の吹き回しか一回目の東京五輪を小学生の時に見てびっくりした体操のチャスラフスカ、あの金メダルをとってチェコの花といわれた女性の演技を思い出している(これが録音されたのは1961年だからその3年前だ)。花であり鋼(はがね)でもある。女性が強そうだというのはソ連も東独もそうで共産国のイメージとなったが、共産主義をやめたら普通の女性になったように思う。オーケストラも1990年を境に以前の音が消えた。顕著だったのがソヴィエトで、レニングラード・フィルはムラヴィンスキーが亡くなって名前も ST.ペテルブルグ・フィルになって、以来あんな怜悧な音は一切きけなくなった。
チェコ・フィルの常任指揮者はターリヒ、クーベリックから68年までアンチェルで、次いでノイマンが89年まで率いた。その伝統が93年にドイツ人のアルブレヒトになって途切れたのは大変に驚いた。彼は読響で聴いて良い指揮者と思ったが、それと伝統は違う。新世界で例をあげたらきりがないが、例えば、Mov2のいわゆる「家路」の「まどいせん」の処が和声を替えて3回出てくるが、僕は1度目が大好きであり、なつかしくてやさしい弦の包容力はアンチェルが最高だ。こういうものは表情づけとか思い入れの表現とかではなくシンプルに音のブレンド具合の問題で、誰がやっても音だけは鳴るのだが、京料理の板長が特に気合を入れてる風情でもないがちょっとした塩加減、昆布、鰹節の出汁の塩梅で旨味が俄然引き立つようなものであり、外国人シェフに即まかせられるようなものではなかろう。
ついでに書くが、マニアックな方には一つだけ指摘しておきたい。Mov4第1主題のティンパニは、スコアはE、H(ミとシ)だがコントラバスとチューバに引っ張られて後者がG(ソ)に聞こえ、耳がそう覚えてしまったことだ。Hを叩いていると思うが何度きいてもわからない。もしGでやったらそれはそれでいいんじゃないかと思わないでもなく、ままあるのだが一度疑問が生じてしまうと他の演奏を聴くたびにここが気になってしまう。まあこれは余計なことだ。
チェリビダッケに移る。新世界を振っていることは2017年に野村君がコメントをくれて知った(ドヴォルザーク「新世界」のテンポ)。録音嫌いで有名な指揮者で、メジャーレーベルに録音がないから彼の新世界はこのyoutubeのミュンヘン・フィルハーモニーの1991年のライブ演奏しか良い状態のものがない。全演奏を記録したサイトによると、ドヴォルザークはアンコールピースのスラブ舞曲等を除くとチェロ協奏曲と交響曲第7、9番(新世界)しか振っておらず、中でも9番は1945年から最晩年まで長期にわたってレパートリーになっている。8番がないのは不思議だが、彼は新世界にこだわっていたようだ。
7年前はそこまで認識してなかったが、このたび、まず、自分で弾いて思うところがあった。次いでフルトヴェングラーの著書「音楽を語る」を味読していろいろ知った影響があった。彼の言葉は重い。重すぎて初読の時はわかっていなかった。チェリビダッケのカーチス音楽院の講義もしかりで、10代の学生に語ったので言葉はやさしかったが20代だった僕はよくわかっておらず、フルトヴェングラーの大人向けの言葉で得心した。それは先日8月4日にこれを脱稿する契機になった(フルトヴェングラーとチェリビダッケ)。
ということで、アンチェル=「新世界はこういうもの」のアンチテーゼを見つけてしまった。ドヴォルザークはこの遅いテンポを意図しておらずAllegro con fuocoと記した。しかし、理性がいくら否定しても、作曲家も許容したかもしれないと思わされてしまうものをチェリビダッケの演奏は秘めている。このたび、心から楽しみ、2度きいた。アンチェルを覚えた人はヘッドホンで、良い音で、じっくり耳を傾けてみてほしい。フルトヴェングラーは同曲を振った記録はあるが録音せず、悲愴交響曲は録音はしたが悲劇の表現としてベートーベンに劣るとし、スラヴ音楽を高く評価しない言葉を残した。ドイツを不倶戴天の敵として殺し合いをしてきたロシア側のルサンチマンがちらりとのぞくが(プーチンがNATOの裏に見ているものもそれだ)、ルーマニア人のチェリビダッケにそれはなくむしろフルトヴェングラーが手を出さない空白地帯の両作品で強い自己主張ができた。
チェリビダッケの晩年のテンポは物議をかもしたが、これをきくと(あのブルックナーも)、ミュンヘン・フィルの本拠地ガスタイクの残響が関係あった可能性をどうしても指摘したくなる。Mov4曲頭。シ➡ド(二分休符)、シ➡ド(二分休符)。緊張をはらんだユニゾンの短2度の残響が空間を舞うのにご注目いただきたい。B(B-dur)の音列が上昇して、そのままトニックのホ短調になると予測させておいて、最後にぽんと、まったく不意を突いて想定外のE♭(Es-Dur)に停止する。誰もがあれっ?となるその一瞬の間。残響。ドヴォルザークは意図をもって次の小節の頭に四分休符を書き、「不意」のインパクトを聴衆にしかと刻印したかったと思う。ちなみに彼はMov1の第2主題、提示部ではフルートの1番に吹かせたのを再現部では2番に吹かせたり、ほんのひと節だけピッコロに持ち替えさせたり、細かい人である。
そして、チェリビダッケも細かい人である。ガスタイクの残響だと恐らく速いテンポの楽句は音がかぶる。テュッティの和声は濁る。それを回避し、かつ、ドヴォルザークの休符の意図を盛り込むとすればこのテンポになろう。そう考えれば理屈は通り、現に講義ではピアノに向い、2つの音の間隔を例にチェリビダッケは「曲に絶対のテンポはない、その場の音の響きによる」という趣旨の発言をした(フルトヴェングラーも同じことを述べている)。彼は、当然、聴き手にも細かく聞いてもらうことを想定している。残響のよく聞こえない装置や、ましてパソコンなどで聞けば「間延びしたテンポ」になる。それは聴き手のせいではなく、わかる設定になっていないのである。
チェリビダッケはこのテンポで、そうでなければ語れないことをたくさん語っている。即物的にいえば情報量が多い。そして、彼はそれを饒舌に散発的に提示はせず、意味深く感知させ、二重の意味で他の人にはない、まさしく “新世界” を見せてくれる。彼は「新奇なこと」をやろうとしたのでもボケたのでもない。描き出した情報はひとつの無駄もなく、いちいち懐かしい欧州の田園風景に包まれている心象風景を喚起することに貢献をさせ、ホールで耳を澄ませている人たちが「ああ、いいなあ」と微笑む麗しい空気を醸し出すことに専念している。これこそが、彼が講義で主張したこと、すなわち、「音楽は聴衆の心に生じたepiphenomena (随伴現象)」だということを如実に示している。演奏はそれを発生させる行為であり、演奏のテンポはそこの情報量で決まるとも言っている。音が鳴ってから聴衆の脳にそれが発生するまで間がある。だからテンポはそれに十分なものである必要があり、ホールの残響も情報の大事な一部なのである。
ドヴォルザークは米国で3年間ニューヨーク音楽院のディレクターを務め、ニューヨーク・フィルハーモニックから委嘱を受けてこれを書いた。先住民達の歌、黒人霊歌に興味を持って「両者は実質的に同じでありスコットランドの音楽と著しく類似している」「私は、この国の将来の音楽は、いわゆる黒人のメロディーに基づいている必要があると確信しています。これらは、米国で発展する真面目で独創的な作曲の学校の基礎となることができます。これらの美しく多様なテーマは、土壌の産物です。それらは米国の民謡であり、貴国の作曲家はそれらに目を向けなければなりません」と述べた。これも興味深い。彼はブラームスを師、先人と仰いでおり、ここにもドイツに対するスラヴのルサンチマンがあったかもしれないが、新興国のアメリカからは師と仰がれる関係だった。ハンガリー舞曲集を範としてスラヴ舞曲集を書いた彼は同じフレームワークにアメリカ音楽を積極的に取り入れることで師にとっての空白地帯で強い自己主張ができた点で先述の両指揮者の関係と相似したものがないだろうか(実際にブラームスはチェロ協奏曲には素直に羨望を吐露している)。
類似点が五音音階にあることは通説だが、「アメリカで聞き知った旋律を引用した」とする説は本人が明確に否定した。しかし、このことは少し考えればわかるのだ。作曲は高度に知的な作業である。そうでない人もいるがその作品は残らないという形でちゃんと歴史が審判する。ブラームス、コダーイ、バルトークの場合は民謡を意図的に素材とする作業と認識されるがドヴォルザークの場合はそれを意図した渡米ではないから、真実はどうあれアドホック(ad hoc、行き当たりの)に見られる。彼は既に勲章も名誉学位も得た大家であったが高給を提示されて音楽的に未開の国に来てしまったことに認知的不協和があったと思われ、その地で重要な最晩年の3年も費やせば自分史の締めくくりのシグナチャーピースになる交響曲、協奏曲を書くことは必要であり、それを残そうと身を削っていたはずだ。来てしまったゆえに妻の姉(自身の最愛だった人)の最期を見送れなかった罪の意識がチェロ協奏曲のコーダに彼女の好きだった歌曲の引用をわざわざ書き加えるという形になっている。
つまり、知的な人の「引用」とはそういうものだ。それが現世の特別な人への秘められた暗号だったり、後世へのダイイングメッセージのような意図がいずれ分かるという特殊な場合でない限り、常に試験で満点を狙っている人にカンニングを指摘するようなものだ。だから、その説というものは、はいそうですと本人が認めるはずもないことぐらいもわからない、要するに非常に知的でない人たちが発したものであるか、ドヴォルザークの招聘元だったサーバー夫人なる人物が夢見ていた、アメリカにおける国民楽派的なスタイルの音楽の確立が成功したと歴史に刻みたい人たちの言説かと推察せざるを得ない。ドヴォルザークにとっても、プラハ音楽院の給料の25倍ももらえる仕事なのだから、何らかの貢献の痕跡は残す必要があっただろう。
そういう仮定の下で、彼がアメリカの素材とスコットランドの音楽に「実質的に同じ」要素を見つけ、ハプスブルグの支配下でスラヴ舞曲集を書いた彼の民族意識はその素材に何分かの愛情をこめることを可能とし、教える立場にあった自らが国民学派的米国音楽の範にすべしと意図したのが新世界の作曲動機のひとつとするのが私見だ。音階は和音をつくり、根源的な効果、即ち、なぜ長調が明るく短調が暗いのかという神様しか理由を知らない効果と同等の物を含む。日本でスコットランド民謡が「蛍の光」になったからといって両民族に交流や類似点が多かったわけではないが、五音音階を「いいなあ」と思う感性はたまたま両者にあった。ドヴォルザークとアメリカのケースはそれであり、そこに郷愁も加わった。日本民謡を引用して交響曲を書くスコットランドの作曲家がいても構わないが、ドヴォルザークはそういう人ではなかったということだ。
米国で書いた弦楽四重奏曲第12番にもそれはあり、僕は五音音階丸出しの主題が非常に苦手で、実はこの曲を終わりまで聞いたことが一度もない。「アメリカ」というニックネームで著名だしコンサートにもよくかかるが、だめなものはだめで、3小節目のソーラドラからしていきなりいけない。ところが、チェロ協奏曲もMov1のあの朗々と歌う第2主題だって裸だとソーミーレドラドーソーの土俗的な五音音階丸出しなのに、ぞっこんに惚れているという大きな矛盾があるのだ。なぜかというと、単純だがここはこれ以外は絶対にありえないと断言したくなる極上のハーモニーがついていて、これが大作曲家は歴史に数多あれど、こればっかりは後にも先にもドヴォルザークにしか聞いたことのない真に天才的なものであって、始まると「高貴であるのに人懐っこい」という、もうどうしようもない魅力に圧倒されてしまうのだ。「私が屑籠に捨てた楽譜から交響曲が書ける」とブラームスが彼一流のシニシズムで褒めたドヴォルザークの才能ここにありという好例である。
では新世界はどうか。両端のソナタ楽章の外郭はホルン、トランペットが勇壮に吹きティンパニがリズムを絞めるという交響曲らしいもので、第2楽章と真ん中の緩やかな部分に五音音階が出てくる。僕は両端は好きだが真ん中に弦楽四重奏曲第12番と同様のリアクションがあり、だんだん縁遠くなってしまっていた。それを目覚めさせてくれたのがチェリビダッケだ。彼は五音音階のもっている暖かさ、人懐っこさは人類一般のものと抽象化し、ドヴォルザークはそこに民族意識だけではなく大西洋の向こうからの望郷の念もこめて作曲しており、もとより故郷や父母を思慕する気持ちというものは文化、人種を問わず、世界中の人の心を打つものと見立て、あえてチェコ色を排し、どこの国の人も「いいなあ」と思うバージョンをやってのけた。新世界は作曲された瞬間からインターナショナルな音楽だったが、ボヘミア情緒が濃厚である交響曲第8番はそれができなかったのではないかと考える。
それでは最後に、チェリビダッケの新世界の楽章を追ってみよう。Mov1第2主題の入りの涙が出るほどのやさしさ。コーダのティンパニ強奏は父性的な峻厳さと宇宙につながる立体感で背筋が伸び、この演奏がなよなよ美しいだけのものと一線を画すことを予感させる。Mov2冒頭の金管合奏。前稿を思い出していただきたい、トロンボーンの学生3人を立たせて歌わせた、そういう人でないとこんな音は出ない。「まどいせん」はアンチェルに匹敵するのを初めて見つけた。中間部のオーボエ。この遅さだと普通はだれるが弦合奏に移るとにわかに濃厚になるのは驚く。飽きて退屈だったここのスコアにこんな秘密の音楽が隠れていたのか。フルートの鳥。緻密なリズム、見事な対位法の綾。上品の極みのトランペット。カルテット。なんと素晴らしい弦!なぜ「止まる」のか僕はわかってなかった。これは息継ぎの間なのだ。人と自然。ゆっくり流れる極上の時間である。
Mov3は粗野なだけと思っていたが、普通は弦とティンパニしか聞こえない部分が木管の百花繚乱である。僕にとって半ば故郷であるドイツ、スイスの5月を思い出す。そして、きりっと彫琢されているのにずしっと腰が重いリズムのインパクトは並の指揮者とは全くの別物。その威力が全開になるのがMov4 だ。ホルンとトランペットの吹くこの主題、体制に抵抗する軍楽に聞こえないこともないが、何度聞いても音楽として格好良い。それにかまけてスポーティに駆け抜ける演奏が多い。チェリビダッケはそうしない。これだけ鳴らしてこの残響で音が混濁しない。結尾は通常はすいすい流れる水平面の音楽にティンパニが渾身の力で最後の審判の如き垂直の楔を打ち込む。勿論テンポはさらに落ちる。そして終局のホルンソロではほぼ止まりそうなところまで落ちる。そこに弦がユニゾンで第1主題を強く、レガートで再現し、くっきりと起承転結をつけて曲を閉じるのである。何十年ぶりかの新世界との再会だった。
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フルトヴェングラーとチェリビダッケ
2024 AUG 4 6:06:24 am by 東 賢太郎
チェリビダッケ(1912 – 1996)はこう語った。
カーチス音楽院で出くわしたチェリビダッケは宇宙の真相を説くおっかない司祭みたいだった。ただ、巷のイメージである毒舌の独裁者であったのは学生オケのプローベだけで、壇上での一人語りの講義をする姿は真実、真相への敬虔な求道者だった。初めて来日した折、読響で「チューニングだけに数十分要した」と伝説になりいちいちwikipediaに記載される。それは、そういう処(国)だからこそそうなったということを理解しないと司祭の言説は辛辣なだけのアフォリズムに聞こえる危険があるだろう。カーチスで何時間も見た感じからすると、それは狂った調弦で宇宙の真相を説くナンセンスを説いたのであって、サッカー界の哲人だった日本代表監督イビチャ・オシムが「走るサッカー」なるくだらない記者の質問に「サッカーで走るのは当たり前だろ」と切り返したに似るのではないか。
これも巷のイメージだが、アポロ的な明晰を要求するチェリビダッケがなぜディオニソス的に思えるフルトヴェングラー(1886 – 1954)を崇拝したかが一見するとわからない。その対比は近代ドイツの美学思想のど真ん中にいたニーチェの、これもドイツ哲学由来の二項対立であり、その論法を哲学に疎い人が「フルトヴェングラーがベートーベンとワーグナーを共に賛美したのはなぜか」と考察するような場面でディオニソス的要素という言葉を用いるなら、それは知性を欠く記者の「走るサッカー」並の皮相のアナロジーである。フルトヴェングラーの父親はミュンヘン大学の考古学教授で古代ギリシア学の草分け的な学者だ。グレコ・ローマン文化にも深い造詣を持つに至った息子は、若い頃のフィレンツェ滞在でミケランジェロの彫刻に圧倒され、ニーチェ流にはアポロ的に分類される要素が色濃くある(くどいようだが、あまり意味はない)。先の稿で書いたブラームス、ワーグナーのマグマが噴き出るような鳴動は、あくまで彼の直感だろうが、ギリシャ神殿や彫刻のごとき数学的(幾何学的)均整が隠れている。チェリビダッケの感性に訴えるものがあったのだろう。蓋し、両者の音楽の根底には「宇宙の真相」に触れんとするものこそがあったのであり、我々も宇宙の一部であるから当然至極に共鳴してしまっている。そこに至る両者の膨大な知識と教養が二人なりの個性の中でバランスした結果であり、いとも自然にそれが成し遂げられているように思えるのは、彼らが巨匠や大指揮者であるからではなく哲学者であり、宇宙の真相は常にひとつしかないからだ。
カーチス音楽院でプローベがあったのはドビッシーの管弦楽のための映像から第2曲「イベリア」だ。オケはそこそこ仕上がっているかなと見えた。それがどんな風だったかというと、その4年前(1980年)の録音があった。どうにも言葉にはならないが、まさにこのテンポであり、「祭りの日の朝」(Le matin d’un jour de fête)のトロンボーンのトリオのppの難しい和声がひっかかりストップ。オケを止めて3人だけで吹けと数回やり直したがだめ、さらに起立して吹かされてもだめ。なぜできないんだと怒りだし、ついに、楽器を置いてあーと声で歌わされ、それだ、できるじゃないかとなった。全員がまだティーンの子たちだ。これを目のあたりにして満座が凍りついてしまう。がらんとした客席の前から3列目ぐらいでぽつんと一人だけ、チェリビダッケの右側すぐ後ろで聴いていた僕も、ステージの下手から登場しざまにおまえは誰だと言わんばかりに睨みつけられていたので何か言われるんじゃないかと凍った。弦がぐんぐん良くなったのはそれからだ。薄い和声が馥郁たる絹のカーテンみたいになった。高音のクラリネットソロのところに来てひやひやしたが見事に一回でクリアだった(中国人奏者だったと記憶する、いい度胸だ)。全奏の終結は、オーケストラはこんな凄い音がするのかと頭がくらくらした初めての経験だった。
この精妙で魔法のようなリズムと音色がどうやって産み出されたか、明かすべからざる秘密を見てしまった感じがする。あれはおそらく真相に迫るための彼の最良の方法であり、学生相手ならできようがベルリン・フィルでやれば反発を買うのは納得だ。楽員は同じ結果を得られるならドイツ精神を発揚させてくれるフルトヴェングラーの方法論を好んだのだろう。あのぴりぴりするプローベから生まれたカーネギー・ホールでの本番がどうなったのだろうと気になっていたら、ニューヨークの著名な音楽評論家ジョン・ロックウェルが
いままで25年間ニューヨークで聴いたコンサートで最高のものだった。しかも、それが学生オーケストラによる演奏会だったとは!
とのコラムを掲載したのを後に知った。これはそのへんの聴衆の評価ではない、ニューヨーク・フィルはもちろんのこと世界のトップ中のトップの指揮者、オーケストラが登場し、しのぎを削るあの都市で評論で飯を食ってるプロの評価である。かように、何事もプロであれアマであれ、「宇宙の真相」に迫らんとする者は救われる。しかし、日本でこんな評価を下せる評論家がいるだろうか?
PS
その時のことだ。
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