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噛まないライオン(米中もし戦わば)

2017 FEB 2 22:22:57 pm by 東 賢太郎

トランプのブラフ戦略は続きます。最大の敵である中国とはチキンゲームになるため、張子の虎ではないぞのデモンストレーションが必要です。敵ではないがそこそこ存在感のある日本、豪州は格好のたたきのターゲットでしょう。それに一喜一憂する必要はないと思料いたします。

中国は中国で同じく示威を行います。昨年末の空母・遼寧の太平洋航行は記憶に新しいところです。

ryounei

遼寧が第一列島線(地図の左のライン)を越え、西太平洋で訓練するのは初めてです。ウクライナ船のお古で大したことないという声もありますが、上海でも三隻目の空母を建設しているとされ、遠洋航海と訓練、装備検査の役割を分担できるため、中国の戦略的運用能力が拡大するといわれます。

china

遼寧が第一列島線をクロスしたのは宮古島と沖縄本島の中間です。危機感を懐きます(西表島(いりおもてじま)紀行)

ここに登場したトランプですが、きっと正義の味方だ月光仮面だスーパーマンだとそこはかとなく期待されている空気もございます。本当にそうでしょうか?我が国が懸念すべき究極のリスクはここに記しました(トランプに想定する最大のリスク)。万一こうなると、日本経済はおろか、国防上の不安は戦後最大警戒域となるでしょう。

そう、我が国は『嚙まないライオン』なのですね。かつては北方の白熊を倒した百獣の王でしたが、いまや捕獲され牙をぬかれ爪も切られ、「大丈夫です、噛みませんから」がサーカスのウリになってる。図に乗って頭を2,3発なぐって逃げる「ヒーローごっこ」が最近は近所のガキのブームとなっているようです。

lion

「少しは野生に返してやったらどうだ」なんて声もあがりますが、なんとライオンに食わせてもらってるサーカス団員のピエロや猿回しにライオン嫌いがたくさんいて、そんな声をつぶしにかかるのです。

まあサーカスで芸達者になってエサが増えたのはいいんですけどね、でかい虎が見下ろしてるのにこれはないんじゃないでしょうかね。

lion1

tiger推薦図書

「米中もし戦わば」

非常に面白い。著者はトランプが国家通商会議(対中政策の目玉として新設)の代表に選んだカリフォルニア大学アーバイン校のピーター・ナヴァロ教授。ちなみに本書の原題は、

Crouching Tiger

(うずくまった虎)

もちろん中国のことです。

 

 

(こちらへどうぞ)

金正恩のさらなる高笑い

 

金正恩の高笑いが聞こえる

 

 

 

 

 

 

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メシアン「8つの前奏曲」と「おお、聖なる饗宴よ」

2017 FEB 2 11:11:07 am by 東 賢太郎

僕がメシアンに興味を持ったのは音と色彩の共感覚への関心からです。以前にブラームスのクラリネット・クインテットの稿で書いたものですが、

「僕の色覚が他の人と共有されていないのであくまで自分が知っている色としての話になるが、レ(D)の音(これをブラームスのヴァイオリン協奏曲の出だしの音と覚えている)はオレンジ色、 ミ♭(E♭)の音(これをシューマンのラインの始めの音と覚えている)は青緑色のような気がする。こういうのを共感覚と呼ぶらしいが、12音のうちこの2音しかないからそういうものではないだろう。ただニ長調、変ホ長調にはその色がついて見える。 ニ長調の並行調であるロ短調を主調とするこの五重奏曲はクラリネットの質感(クオリア、これも赤色系の暖色だ)によってオレンジ色が増幅されて感じる。それがこの曲特有の粘着質のコード・プログレッションのクオリアを増幅して、こちらの気分と体調によっては誠に強い効果を及ぼしてくる。第2楽章はところどころで鳥肌が立っては消え、平静な鑑賞ということがかなわないことがある」

ということがあって、僕はこの五重奏を名曲と思いながらどこか敬遠してしまっているのです。「コード・プログレッションのクオリア」というのは非常に強い心理作用があって、正月に整理していた書庫から大昔に自分で作曲した楽譜が出てきて、書いたことも完全に忘れていたのを弾いてみると「強い作用」がある。そういう、ある意味客観的に、まったく恥ずかしい話なのですが和声の化学変化の発見メモとして自画自賛の心理になっています。

メシアンが子供のころクリスマスにもらったドビッシーの「ペレアスとメリザンド」のスコアをボロボロになるまで読み込んだのは有名ですが、このスコアは僕も尋常ならざる何ものかを感じており、このビデオでメシアンはオペラ冒頭主題を二カ所弾いて最初を「灰色がかった紫」、二つ目は「青みがかったオレンジ」といっています。貴重な証言です。

青緑色の変ホ長調の曲を僕は異常に好きであり、モーツァルトが39番をニ長調で書いていたらどうだったろうと思いますが、恐らくそういう理由で半音低い古楽器のオレンジの39番は忌避しているわけで、同じ評価はしなかったかなと思います。ブリュッヘンは同曲の尊敬できる解釈者でしたが、それが理由で実演をあんまり集中して聞けなかったのが残念でした。

「トゥーランガリラ」、「彼方の閃光」になぜ妖しい魅力を感じるかというと色彩の嵐を感じるからです。前者の生々しいライブをロンドンで聴いて「脳に電極をさしこまれて色を見る感じ」とつぶやき、先輩が「おい、こわいな」と漏らしたのを覚えています。そうとしか表現できない感覚があって、そういう音楽はメシアン以外にいまだに出会っていないのです。

彼の発想の根源にドビッシーがあるのが興味深い。プレリュードⅠ・Ⅱ巻は万華鏡のような色彩の嵐ですが、その脈絡でメシアンを聴く、つまり三和音の耳を断ち切って空虚な頭で色だけを追うとだんだん違う世界が見えてきます。少々の慣れはいるのですが、とにかく聴き込めばいい。ここへ至ると豊穣な果実が得られるのは驚くばかりです。

ブーレーズはメシアンの弟子でその色彩を受け継ぎますがルネ・レイボヴィッツが指揮したシェーンベルクの木管五重奏曲作品26を聴いて衝撃をうけセリーに入っていきます。両者が合体してル・マルトー・サン・メートルができた。アフリカ、ガムラン、日本のスパイスが混入するのもドビッシー、メシアンの末裔ゆえですが高等数学をやった感性で独自の異界の色彩へと進みます。

末裔が出たのは彼らの色彩を技法化するメソドロジーに普遍性があったからです。それをお示しするのが以下の若書きの2作品であります。

メシアンがプレリュードのスコアからくみ取った色彩、彼が受け取った「強い作用」の痕跡はまずこの20才の作である「ピアノのための8つの前奏曲」に残っています。第1曲にはペレアスが聞こえるのが興味深い。

もうひとつ、ドビッシー夜想曲に「楽器」として女声が使用されるように声のクオリアは両者の和声表現に好適に思えますが、代表作にそれほどは使われなかったのも面白い点です。ドビッシーの歌曲とペレアスは音韻(フランス語)と一体化した独自のものですが彼自身それ以上は踏み込まずシェーンベルグがピエロで画期的な新領域を開きました。

メシアンがペレアスの詩的コンテクスト、音韻にどこまで反応したかはフランス語がわからない僕には不明ですが、オルガンを楽器とした点で違う道を行った彼には声はピアノ、打楽器と同様に単色の楽器であり、神性の領域ではむしろ不要だったと推察しております。

29才の作である「おお、聖なる饗宴よ」(1937)はドビッシー「シャルル・ドルレアンの3つの歌」の豊饒な和声の世界がエコーしてきこえます。メシアンの和声感覚の個性が声だときわだって感知できるのは非常に興味深く思います。

この2作はパリで進化した「色彩の系譜」の原点に当たるものとして注目しております。ここからセリー、偶然性等の技法の進化に囚われず色彩を極める作法が出なかったのは不思議なことです。それだけメシアンの天才が抜きんでていたということでしょうが、キリスト教の神の法則の支配に必ずしも服さない日本人、たとえば武満がそれに近かったでしょうが、その系譜が栄える可能性を十分感じます。まだ美しい音楽がそれで書けそうな気がするからです。

(ご参考)

メシアン トゥーランガリラ交響曲

ブーレーズ作品私論(読響定期 グザヴィエ・ロト を聴いて)

シェーンベルク 「月に憑かれたピエロ」

ストラヴィンスキー バレエ・カンタータ 「結婚」

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メシアン「彼方の閃光」を聴く(カンブルラン/ 読響)

2017 FEB 1 1:01:07 am by 東 賢太郎

messiaenメシアンに凝ったのは大学3年、上野の文化会館音楽資料室で近現代のLPを片っ端からあさったときだ。春の祭典の完全記憶からクラシックに本格参入し、しばしモーツァルトより近現代がずっと優先の時期がつづき、ストラヴィンスキー、バルトークに始まってベルグ、シェーンベルク、ウエーベルンを経ていよいよメシアンに行き着き、資料室でトゥーランガリラと世の終わりのための四重奏曲の妖しい魅力にはまってしまった。下宿のこたつで彼のオルガン曲をヘッドホンで聞きながら寝ると眠りが深いという妙な事態に至ったりもした。僕のクラシック歴はちょっと変である。

後年、真夏にまばゆい純金色の妖艶で極彩色の輝きを放つバンコックの寺院に行くと何の前ぶれもなく「アーメンの幻影」が頭にシャワーのように降って来て、これは何だと仰天した破壊的な記憶がある。2010年にパリに行ったとき、ふとその衝撃がやけに懐かしくなって、メシアンがオルガニストだったひと気のないサントリニテ教会の暗い空間にしのびこんで1時間ほど一人で黙とうした。あの空間の、真夏なのにひんやりと冷たい空気の震えに肌で覚えたソノリティ、あれがメシアンの質感、クオリアなんだと確信した。

メシアンの音のクオリアの要素はオルガンと鳥と打楽器である。管弦楽はそれを模しているしピアノ曲であってもその絶妙な配合で成っているといって過言でない。メシアンを聴くとはその色彩を肌で感じながら頭はからっぽで瞑想するということだ。11楽章の「彼方の閃光 」のオーケストレーションも、トゥーランガリラより線へのフォーカスは減じているが、同様に3つの配合で比率が違うだけだ。彼方の閃光は金管合奏の「キリストの昇天」の和声で始まり鳥およびオルガンの祈りにより比重を置く。

隣の人がずっとおやすみで時折いびきが響いたが、実に不思議なもので、この音楽はそれをも自然に飲み込んで流れるのだ。エメラルド寺院で横臥の姿勢で仏像に祈る人々の姿が幻視でうかび、サントリニテの空間にこつーんと響き渡る靴音を思い出す。思考を無にしてあの世に解き放つような、異界の接点のような、初演までに彼岸に旅立ったメシアンがおそらく最期に見ていた世界ではないか。

終曲「キリスト、天国の栄光」で弦が玄妙な和音を延々と奏で続ける。天国への川の流れであり太陽の淡い光彩のゆらぎでもあり、時間の流れがおそい。あたかも旋律がきこえるかのように流れるが、和声の脈絡は希薄であって意識はよりどころを失って虚空をさまよう。弦楽合奏が pp に消え入る最後まで密かにシャラシャラと鳴る金属打楽器が「世の終わり・・」の高音部にちりばめられたピアノのようだ。ああやばい、またバンコック行きたくなった。

カンブルランのこれが聴きたいがために読響の定期を買った。はたして、よかった。オーケストラも好演、貴重な機会に深謝である。

(ご参考)

メシアン トゥーランガリラ交響曲

 

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一般人の男性が?

2017 JAN 31 17:17:31 pm by 東 賢太郎

中野でタクシーが電柱に激突し、ドライバーとけが人を助けた男性がそのまま立ち去ったというのでニュースになっている。表彰したいので名乗り出てほしいそうだ。

むかしバスを待っていたら道の反対側の歩道で自転車でもろに転倒した人がいて、頭を打ったように見えたので大丈夫ですかと助け起こしたら無言で走り去った。いろんな人がいるんだなと思ったが怪我はなかったようだ。べつに助けておいて無言で去る人がいてもいいんじゃないかと思うが、そうでもないんだろうか。

TVを見ていたら「一般人の男性が」と報じているが、その一般人ってのはいったい何だ?じゃあ特別人てのがいるのか、それは誰のことだ?とっさの善行をした勇気ある男性たちがキャスターのねえちゃんごときに「そのへんの人」あつかいされているようで、甚だ不快である。

怪我人の救助に誰である必要もないし、この男性は表彰されたりテレビに出たくてやったわけでもないから立ち去ったのかもしれない。むしろ自分はそういう種類の人間ではないという意思表示だってありえるのであって、一般人が有名になれるのにどうしてという報道は不遜だ。

消防庁が表彰をしたいというのは役所の仕事としてはいいことと思うが、善行に対価や報酬はないと考える人がたくさんいるのが日本の美徳だと海外に16年もいた僕などは常々感じている。人は表彰されたいものだ、テレビに出たいものだ、そうでなきゃ変だという思い込みがあるようで報道姿勢に非常に違和感をもった。

 
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世界一の人を出したい

2017 JAN 31 11:11:52 am by 東 賢太郎

新奇なものはないと書いたが、日曜日に近くのファミレスでミーティングをした企画は興味を持った。

去年12月末からスタートしているオンライン動画サイトNEXTYLE  TVに出演してくれた腕のある若者たち、料理家、タンザニア壁画の画家、映画監督、リフティングの名人、劇団員、揚げパン職人、くちびるアート画家、チアリーダー、ダンサーなどを集めてパーティーをやって撮影するので、そこでオーナーの僕と彼らで丁々発止の座談会をやってくれというものだ。

世界に出たい、一流になりたい熱い人たちばっかりを厳選して出演してもらい、僕は次世代のスターだからネクスター(NEXTAR)と名づけている。そういう若者が無条件に大好きである。出演交渉で断る人もいるらしいが不憫なもんだ、そういうツキがない人は追うな、出てくれた人はそれだけ縁があって強運だと言っている。座談会、いいね、みんなの話を聞きたいからワインぐらい飲んでやろう、思いっきりホンネでね、何きいてもらってもいい、本気で答えるよ、と伝えた。

ネクスターから世界一の人を出したい。彼らがその夢をかなえてくれるなら本気で支援するし、人間を鍛えるし、僕と会って普通で終わってもらっても困る。気に入ればもう子供みたいなものだ。いまの10人が100人、200人になるだろう。そうなると、なんか爆発的に凄いことがおきる気がしてくる。

 
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男は借金をすべし

2017 JAN 31 1:01:12 am by 東 賢太郎

男は借金をすべしと思う。理由は二つある。一に、僕のような怠惰な人間が必死に働くようになる。二に、いくら借りられるかで自分の世の中での評価を思い知るからである。

会社をやめてすぐのこと、某銀行がポンと2億5千万円借してくれた。要は失業者になったのだからそれが僕の裸一貫のプライスだったわけで、55才にもなってよくぞとこれだけはちょっと誇らしく思っている。

それで好きに家を建て、好きな事業を始め、必死に苦労してやっと返せる段になるとどうも刺激がなくなる気がするのは困ったものだ。会社も無借金は善ではない、レバレッジがかけられないのは経営に先がないあかしでもある。

自分は怠け者だがネコ科ゆえ好きなものには徹底的に貪欲なハンターである、いやそのはずだった。ところが男は城を建て安寧に家族を守って還暦にもなると満ち足りてしまうのだろうか、どうもいけない。最近、牙をなくしている。

何が効くのか知らないが、心のことはむずかしい。怒りかな、そういえば最近怒ることもなく、いいターゲットだった女党首もふがいない矮小な存在に埋没してしまった。後援会入って応援でもしないといけないか。

新奇なことはなくなって何事もあんまり関心を引かない。興味がないというのはどうしようもない精神の墓場であって、豪勢な食卓にもきれいな女にも心がちっとも反応しないのは非常にまずい。

やっぱり10億円ぐらい借金するしかないのか。

 
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シューマン交響曲第3番の聴き比べ(5)

2017 JAN 30 2:02:18 am by 東 賢太郎

たしか朝比奈の著書に、指揮者が振りたくない名曲として田園とラインがあがっていました。どちらもエンディングがそっけなく聞こえるからです。たしかに運命のくどいばかりのそれに比して田園はあっさりですし、シューマンの1,2,4番に比してラインは簡潔な終わりですね。

それは田園、ライン、どちらも自然を満喫する交響曲であるためです。楽しかった遠足です、解散!の前に先生の説教やら「良かっただろ」のだめ押しは不要なのです。

これはライン第5楽章のうきうきする主題です。

leben

fp からの弾むような第2主題はライン地方の民謡、「So leben wir, so leben wir alle Tage」です。それをおききください。

これを知ったうえで4年前の僕のブログ、

シューマン交響曲第3番変ホ長調作品97「ライン」(第5楽章)

を読み返していただければ、シューマンが第5楽章に抗いがたい愉悦感の下地をしっかりと織り込んでいることがお分かりいただけると思います。この曲は喜びのエネルギーを内に秘めているのです。それを開放すればシューマンの心の喜びは聴き手にまっすぐ伝わります。指揮者が余計なことをすればデリケートなそれは無残に壊れます。

僕がなぜコーダのアッチェレランドを蛇蝎のように嫌っているか、理屈ではないのですが、細部をリサーチすればこうして理由があることもわかってまいります。エンディングがそっけなく、キーが鳴りにくい変ホ長調でもある。指揮者は何かやりたくなるだろうし、マーラー版で壮麗に化粧をし、地味なエンディングは加速でブラボーを取る。しかし美人に化粧はいらないわけで、厚化粧を必要としているのは指揮者のほうである。別に実力不足は構わんのですが、そのだしに最愛の音楽であるラインを使うのだけはやめてくれよと嘆願するのみです。

フルトヴェングラーのように曲を大掴みに俯瞰して作曲家の意図の方向にデフォルメをかけるタイプは、シューマンに聴き手を誘導するメッセージがなく、自然への賛美と喜びを共有しましょうというだけなものだからすべきことがない。彼がラインを手掛けなかったのは大指揮者の証明でした。その彼を師と仰ぐバレンボイムは全集を作るためでしょう、振ってしまって下記のようになってしまった。必然ですね。今後もできるだけ聴いて、だめなのは本ブログにボロカスに書くことになるでしょう。

朝比奈の挙げた理由からでしょうかラインを演奏会で聴く機会はあまりありません。僕は3回しかなくてジンマン(チューリヒ・トーンハレ)、ヤルヴィ息子(N響)、マリナー(同)です。マリナーがあまりに素晴らしくて忘れられません。第1楽章は自分でシンセでMIDI録音して、原典版でしっかり鳴ることは自分の手で確認してます。これは結構出来が良くて満足で、やはりラインを愛する長女が気に入ってくれてます。

ハンス・フォンク / ケルン放送交響楽団

654やや弦が荒くテンポが速いが原典版スコアの地味な音色が好ましいです。マーラー版のスコアは持ってないので原典版を見ての限りですが、63小節の木管の対旋律のホルンの重複はなく、432小節の第1,2ヴァイオリンのd、e♭の短2度はそのまま。シューマンのスコアへの敬意を感じます。下手だから俺様が直してやるなどという不届き者が決まってアッチェレランドするコーダも盤石のテンポ。いいですね。

 

クリストフ・フォン・ドホナーニ / クリーブランド管弦楽団

200x200_P2_G1809805Wマーラー版でないのは評価。しかしドホナーニのオケの鳴らし方はブラームスやシューマンでも1,4番向きで各楽器群のソノリティがリッチで外交的あり、63小節はむしろホルン重複がないと物足りないという悲しいジレンマを感じます。オケをこうマーラー風に鳴らす後期ロマン派の視点からシューマンの管弦楽法が冴えないという流派が出たわけで、それは元から視点がおかしいというしかありません。第2楽章は明るくてお気楽。終楽章コーダは過剰な加速がないのはいいが陽気丸出しのトランペットが興ざめ。

 

ール・パレー / デトロイト交響楽団

71bDUCIk-rL._SL500_付点音符を弾ませ弦のボウイングによるアクセントを明確にしながら快適なテンポで豪快に始まる。ホルンの補強あり。コーダは加速まったくなく立派です。第2楽章もスタッカート気味の弦は結構だがアンサンブルがずれる。第3楽章冒頭は対旋律の音程があやしい。第4楽章はケルン大聖堂の暗さと湿度が不足。終楽章の出だしはオケの明るさが生きるがタッチが軽く陽気すぎてなじめない。とくに聴きたいとは思いません。

 

 

ダニエル・バレンボイム / シュターツカペレ・ベルリン

838強いパッションで開始。おそらくマーラー版に近い。このオケはウンター・デン・リンデンの歌劇場で聴くと古雅な良い音がします。ここでは弦の fが荒く無用な金管、ティンパニの強奏がうるさく美質が出ず。中間楽章もデリカシーを欠き、第4楽章の終結のティンパニ強打など論外でこの人なにを考えてんのと言うしかない。終楽章はテンポがぬるく愉悦感なし。ここでもおかど違いで音程の悪い金管、打楽器に閉口。コーダの加速とお祭り騒ぎは失笑しかなし。彼は日本人にブルックナーはわからんとのたまわったらしいが彼にラインがわかることもないだろう。

 

エドリアン・ボールト / ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

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ロンドンで89年に買ったCDでなつかしい。史上最速の第1楽章でしょう。いったい何がおきたんだと驚くうちに一陣の風のように過ぎ去ります。ところが第2-4楽章は普通のテンポで文句なし。ラインのエッセンスを掴んでいます。終楽章がまた速いが史上最高ほどではなく、この愉悦の気分は決して曲の精神から逸れてはおらず、納得します。両端楽章、この速度ではアッチェレランドのかけようはありません。かけられるよりは速すぎの方が僕はずっとましです。

(こちらへどうぞ)

シューマン交響曲第3番の聴き比べ(6)

シューマン交響曲第2番ハ長調 作品61

 

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N響/下野竜也 の名演

2017 JAN 29 9:09:08 am by 東 賢太郎

指揮:下野竜也
ヴァイオリン:クリストフ・バラーティ

マルティヌー/リディツェへの追悼(1943)
フサ/プラハ1968年のための音楽(管弦楽版╱1969)
ブラームス/ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品77

前半は二つとも初めての曲でした。第1曲のマルティヌーは「1942年にナチ親衛隊によって住民が虐殺され、強制収容所に連行され、村ごと焼き払われて地図上から姿を消してしまったリディツェという村のための追悼曲」で「プラハ北西15キロほどのこの村は、ナチの親衛隊長で、ユダヤ人絶滅作戦を策定したラインハルト・ハイドリヒをチェコ空軍有志が暗殺した事件で、暗殺部隊をかくまったことへの報復として抹殺された」(プログラムより)。

こんな壮絶なことが行われたのかと絶句。我が国はこのナチと同盟を結んだとはいえ、杉原 千畝、樋口 季一郎のようにユダヤ人を救済した人物までいました。日本軍に近隣国で戦時を超えた行為があった可能性は完全に否定はできないですが、日本民族の底辺にある倫理観、生死観からいかなる民族であれ絶滅作戦のごときおぞましき狂気まで共有したはずはなく、同列に論じられるのもかなわないと再認識であります。

悲痛に半音引き裂かれるような和声で開始し、重さと暗さが支配。それが深い祈りの和声と交差して天に昇華していくさまは心の奥底まで響きました。ぜひこれを聴いてみてください。

第2曲は1968年、プラハの春のソ連軍による弾圧でワルシャワ条約機構軍の戦車が街を蹂躙した事件に対する作曲家フサの怒りの表現でしょう。金管、打楽器、鐘など凄まじい音圧で迫り圧巻の音楽でありました。

下野竜也を絶賛したい。これだけ意味深いプログラムで打ちのめしてくれる指揮者がいま何人いるでしょうか。不断の好奇心をもって勉強を重ねないとこれだけの活動はできません、N響(コンマス伊藤亮太郎)もそれを受け止めましたね。つまらない外人呼んでくるなら下野を何度でも聴きたい、それほど気迫のこもった高い精度とボルテージの演奏でした。

後半はクリストフ・バラーティ の独奏でブラームス。この曲は僕にとって大事な音楽のひとつです。バラ―ティの感想は難しい。まず音の木質の豊潤な美しさはトップクラスと思います。1703年のストラディ「レディ・ハームズワース」で、僕が聴いたうちではアナスタシア・チェボタリョーワがメンデルスゾーンを弾いた絶品の中音域に唯一匹敵するもの。アンコールのバッハ(無伴奏のパルティータ3番  ガヴォットとロンド)はいつまでも聴いていたいレベルでした。しかしリザベーションがあります。

それを説明するにはテニス。昨日見ていた全豪オープンの準決勝、ナダル対ディミトロフ戦でナダルが接戦を制しましたがディミトロフは本当に惜しかった、最終セットのバックハンドの精度が低かったゆえ何本か落としたレシーブのリターン、あれさえ決まっていればフェデラー戦もいけたんじゃないか。それですね、バラーティに言いたいのは。彼の場合、音程です。

ほんのちょっとした、それも決めの音じゃないからいいじゃないかという声もあるでしょうが、僕は精度を書いて無頓着に感じてしまう。惜しい。それだけの素材だから求めたくなるのですが・・・。第2楽章アダージョは非常に良かったですね。遅い部分は文句なしで体質に合ってます。名器の美点が引き出されて、楽器もこういう相性の良い奏者にめぐりあえば幸福な音を出します。

第1楽章のコーダ、夢の中を天に登るようなppですね、最高の聞かせどころですからね、あそこは欲を言えば下野にもうすこし粘ってソロを引っ張って歌わせてほしかった。彼は性格がいいんでしょうか合わせてしまってバラーティもあんまり自己主張をしないタイプのようで残念ながらあっさりいってしまった。まあ良しとしましょう。

最高のコンサートでした。

 
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常識人はカモ

2017 JAN 27 18:18:12 pm by 東 賢太郎

ショーペンハウエルの「本を読むと馬鹿になる」というのは自分の頭で考えなくなるという意味です。まったくその通りであって、現代はさらに「テレビを見ると馬鹿になる」と付け加えるべきでしょう。

トランプ関連のTV報道だけは面白いので見てますが、まず就任演説の直後にこう思いました。

そして自動車発言はこう思った。

このおっさんに100億円ぐらい株買わせてみたいなとわくわくしますね。彼は民営化した国営企業の手練れの雇われ社長で国営時代のやり方、お行儀良さや品格や儀式典礼なんてくそ喰らえなんです。それに欠けるという路線の品評は「猫がお手しない、大丈夫か」と言うぐらいばかばかしい。キミ、世の中カネだけパワーだけってもんじゃないだろう?でも一兆円稼いで世界の操縦桿にぎった男にそれ言っても虚しいですね。

メキシコに壁?選挙用のホラだろ?ブラフはホラでもいいんです。唯一の違いは怒らせたら本当にやることです。できないし怒りもしないのはホラです。日本の民主党政権マニフェストは歴史に残る恥ずかしいホラでした。ホラがバレたら二度とブラフが効きません。ビジネスなんてカッコいいもんじゃなくって、これ、ケンカの常識ですね。

壁作るぜ、払えよ、さもなくば関税20%だ。首脳会談、いらねえよそんなの。来た来た。海外ビジネスでケンカしてきた人ならおわかりです。TVのコメンテーターは体張った勝負の経験ゼロのインテリなんで、銀行員が株屋のコメント品評するみたいなのばっかり、僕などデジャブというか懐かしくてほっこりしますね。ビジネスの掟は成功した者が問答無用で勝ち、口だけの評論家は無価値、それだけ。ああいう番組見てたら本当に馬鹿になるだけです。

この、体を張ってない人、ケンカしたことない人の解説が僕らの感覚でどう聞こえるかをご説明しましょう。

ショーペンハウエルほどの頭脳があれば別ですが彼らにあるわけないし、我々だってそうもいかないんで「普通の頭の人が本を読んで勉強しすぎると常識人になってしまう」ぐらいに言い換えたらいいですね。「常識」というのは本や教科書に書いてあるし、家や学校で教わるし、ないといじめられるし、あれば世渡りに支障ない便利なものです。しかも自分の頭で考えてあみだす苦労なんか皆無です。しかし、資産運用の世界でいうなら、常識だけで生きている人、つまり常識人はカモの代名詞なんです。

なぜかお分かりですか?常識人は「常に多数派」なんです。教科書通りの方々だから当然ですね。しかし投資で多数派が勝ち続けることは絶対にありません。常識人はいつもほぼ同じメンツで、10人のゼロサムゲームでいつも8人が勝って非常識派の2人が負け金をはらい続けるなら反対側にベットする負け組不在になります。相場というのは反対側にベットする人、つまり売りなら買いがないと値がつきませんが、値が必ずついているということはその仮定がおかしい。即ち、常識人が勝ち続けることはありません。

非常識派、少数派についても同じことは言えますが、多数派の裏をかけば1回のベットに対するリターンがめちゃくちゃでかいわけですね、だからそれを狙い撃ちすることに命をかける天才ハンターは知恵を絞って集結します。ロボット運用などとわけのわかってない人にいわれるAIによるアルゴリズム取引はその典型です。常識人は何に対しても命なんてかけない普通の人だからこそ常識人なんであって、ワザやら情報力やら以前の問題ですね、そもそもモチベーションでかないません。長くやればほぼ撃たれて負けます。

では自分は素人だから投資信託やファンドラップを買おうとなりますね、常識的には。成長株ファンド、高配当株ファンド、バリュー株ファンド等々いくらでもあります。一応「プロが運用します」「だから儲かります」という表看板になってる。しかしそんなにプロならそのファンドマネージャーは自分で独立して運用するんです。仮に他人の資金を集めても、自分も自分の運用するファンドを買いますよ、だって自信あるんだから。もちろん僕も自分の作ったファンドに自分で投資してます。あまりに当たり前ですが。

日本で「資金運用者求む。ファンドが損しても貴方は一銭も損しませんが、ファンドが儲かっても貴方の給料は変わりません、自分が投資する必要はありません」という求人に応募してくる人に海外で運用者として通用するプロは一人もいません。それは「サラリーマン契約」ですからね、そこから資産1500億円のマイケル・ジョーダンや年収70億円のロジャー・フェデラーなんか出るはずないんです。

面白いですよ、そういう求人をしますとね、安定志向でプレゼン上手の公務員・大学教授タイプが7割、博打打ちが2割、詐欺師が1割というところが相場になります。日本の運用業界のファンドマネージャーはほぼサラリーマン契約ばかりだから、必然的にその7割のタイプばっかりになるのです。その人たちはTVで専門家、学識経験者といってる人たちと同じ人種ですね、このタイプこそ高学歴の常識人なのです。

前述のとおり常識人はカモなのだから、サラリーマンが運用してる投信はほとんどがクズです。だからラックだけでしか儲からない。そこでやめればいいのに業者の口車で分散投資ですよとあれもこれも買ってしまう個人投資家はカモのカモなんです。色んな投信を買えば買うほど個性が薄まってそれはインデックスに近づいていき、全部買えばほとんどTOPIXや日経225と同じものになります。それならETFを買えば手数料はほぼタダなのに、高い運用管理報酬をふんだくられてなんのこっちゃになるのです。

高い本代や授業料を払って多大な時間を犠牲にして立派な常識人に育つ。投資信託をたくさん買いそろえてインデックス投資してる人とおんなじですね。TVは政治にせよ経済にせよ非常識な発言は排除するからきわめて没個性的で、それを装ってオピニオンを誘導もする。そんなのを毎日見ていれば確実に立派な馬鹿になります。

若者のTV離れは「面白くない」、「興味ない」が多いそうですが、「大人は嘘をいう」もけっこうあるそうです。子供は鋭いのですね、まだ常識に染まってないからでしょうね。彼らに大人気の動画、「はじめしゃちょー」はホンネで小学生にも受けているらしく、現にこれを僕に教えてくれたのは社員の小学生の娘さんです。読者の年代は誰もご存じないでしょうが試しにご覧ください。

くだらないと思われますよね、でもこれはTVではできないでしょう。この人はyoutube閲覧数第1位で、この動画1本の閲覧数が370万なんです。僕が4年書いたブログが全部で66万です、大谷の打撃を見た中田みたいなもんで書くのがあほらしくなります。この人はユーチューバーとして食っていて広告料で年収1億円以上ときいてます。どうして?別に驚きません、フォロワーの子供たちは10年後に自社製品の消費者になるからです。

ちなみに、テニスのフェデラーの年収70億円はスポーツ界の世界4位ですが、そのうち賞金は8億円だけで残りは広告料収入なんです。プロを称する高学歴インテリサラリーマンの評論家やファンドマネージャーと、はじめしゃちょーと、どっちがフェデラーに近いですか?

常識人はカモ、ご記憶ください。

 

(ご参考、本稿の実例です。これは大統領選挙の直後に書いたブログですが、今でもほとんど修正は不要です。当時、常識人、マスコミがこんなことを言っていましたか?)

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カルメンが生き残った理由(今月のテーマ インテリジェンス)

2017 JAN 26 12:12:49 pm by 東 賢太郎

昨日は次女と新国立劇場のカルメンでした。何度聴いてもいいですね。ホセのマッシモ・ジョルダーノは演技力もあって後半はよかったかな、ミカエラの砂川涼子は健闘でした。オケの東京SOはいい音が出てましたね。前から4列目で美しい舞台も楽しみました。

娘たちは幼稚園のころからオペラやバレーへ連れて行ってるのですが、今もこうしてきいてくれるのはうれしいことです。彼女は魔笛、ヘンゼルとグレーテル、白鳥の湖、くるみ割り人形なんて子供向きから、ボエーム、コシ・ファン・トゥッテ、イエヌーファ、エレクトラなんて大人物まできいてます。ワーグナーは寝るだろうということで、ヴェルディは親父がきらいで外して申し訳なかったが、これからは自分の趣味で聴いてください。

さて子供の時にきいたのをどこまで覚えてるかというときっと忘れるんですね、筋もややこしいし長い曲だからとうぜんです。僕は初めてオペラを観たのはメトロポリタン歌劇場のタンホイザーだからもう27才でした。ところが先日に野村くんがプレートルのブログにくれたコメントで、一橋中学で音楽の授業でカルメンを全曲聴いたとありました。

car完全に忘れてましたが、家にカルメンの抜粋のEP盤(右)があって不思議に思っていたんです。なんで買ったのかなと。EPはごまんとあって、ベンチャーズ(小4)に始まってお袋が買ったと思われる渡哲也「くちなしの花」(73年、高3)なんかもある。中学ではまだLPは買っておらず、ひょっとして音楽の授業でcar1「前奏曲」が気に入って買ったんじゃないか?という気になってきたのです。僕はこの前奏曲が大好きでイ長調に0.3秒だけ出てくるつなぎのC#(!)、そしていきなりぶっ飛ぶCのコードは今でも頭をぐしゃぐしゃに錯乱させる効果があります。ボロディンがそうだったように、当時、転調には異様に反応してしまう子供だったです。

だんだんほんのりと思い出しつつあって、カルメン鑑賞は何回かの授業に分けていて、森谷先生の「今日は第2幕です、ここでホセがこうして」みたいな解説があったような。あれ中3の受験前じゃなかったのかなあ、なんとなくですが、勉強で疲れてて、とにかくぼーっとオペラ聞くだけって授業が続いて楽ちんで、先生親心だなあなんて勝手に思った気がするんです。

昨日は始まる前に娘にすじを教えて、これはリアリズムのはしりのオペラなんだ、おとぎ話じゃないからね、カルメンはひねたアバズレ感がないとね、エスカミーリォはホセを出しぬくイケメンじゃなきゃ変だろ、顔じゃないよ声だよ。それを通らない低いバスでやるの、なかなかいいのいないんだ。ミカエラはビゼーが中和剤で入れた役だ、何で入れたかわかるか?アバズレが主役なんてダメなの、当時のパリじゃあ。ソプラノふつう主役でしょ?カルメンはメッツォなの。ハバネラはね、初演の女が練習でごねたの、もっといいの書いてよって、それで他人のメロディーをパクったんだ、でも歌手のゴネ得はねモーツァルトでもしょっちゅうあったよなんてことを教えます。

そしていよいよ前奏曲の前に、「カルメンができたのは鹿鳴館より前のころだよ、そこから150年近くもどうして世界で大ヒットしたのか理由を考えながら聴きなさい」と伝えました。次女は外資系のマーケティング部門にいるのですが、何でも考えさせる題材にはなるのです。

帰りにショーペンハウエルの「馬鹿になるから本を読むな」も教えました。本は読んでいるようで結構だが、それは他人の頭で考えてもらっていることでもあるのだ。その結末だけ何万覚えても実社会では何の役にもたたんよ、数学の公式だけいくら丸暗記しても難しい問題は歯が立たなかっただろ?あれがどうやったら攻略できるかって、攻略本じゃなくね、自分の頭で考えるんだよ。しかも実社会の問題は正解がないんだよ、条件もその場その場で千差万別だ。自分の頭で考える訓練をしていないと解を導くなんざ到底無理だ。でもみんな解いた気になってんだ。そうやって人生ができていくの。いい方にも悪い方にも。

その解こそインテリジェンスなんだよ。それを導く能力があれば何しても食っていけるし勝ち抜けるよ、保証してやるさ。みんな口で言いたくないけどな、資本主義は食えた奴が勝ちなんさ。武士は食わねどの人はそれでいいけどな、口は左翼、財布は右翼ってのがいっぱいいるんだ。たいして食えてもいない奴の本なんか読んでどうすんの?捨てなさいそんなの。インフォメーションはど~でもいいの、ググればその場で出てくるでしょ、物知り博士なんか食えないんだよ、それこそ人工知能に一番早く食われるさ。学歴や職歴で食えると思ってる奴は考えなくなるからね、東大出てたってね、これから最もダメなタイプだ。

なんてことを言うわけです。過激すぎてブログに書けないことも多いので、でもそれが世の中のまぎれもない真実でもあるんで、まあボケる前になるべく教えとこうということです。カネを残すより知恵を残してやった方がいいですね、遺産は食いつぶしたら終わりだがそこからは自分で食えないと寂しい人生ですからね。

はい、カルメンが何で150年生き残ったかは解釈がいくつかあるよね。世界のどんな田舎へ行ってもオペラといえばカルメンぐらいは返ってくるね、凄いことだよね、じゃあどうして?

 

 
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