クラシック徒然草《いま一番好きな第九》
2016 DEC 28 0:00:38 am by 東 賢太郎
「年末の第九」なる世界に類のない国民行事は、まだクラシックがそんなに人気がないころのオケ団員の正月の餅代稼ぎだったという説をどこかで読んだ。それによれば、合唱団は主にアマか音大生であって、家族親戚が聞きに来るだろうから満員御礼が読めるということだったようだ。欧米で第九は何度もコンサートにはかかったが、年末だったことはむしろ一度もない。
昔はテレビっ子だったし3ちゃんやFM放送でも大晦日の第九を聴いてた。だからこれを聞くと第2楽章の終盤でもう今年も終わりかあと思いはじめ、第3楽章の中盤あたりで「ゆく年くる年」の行者の火渡りのシーンなんかが頭にジワリと浮かんでくる。第4楽章の歓喜の歌が過ぎたあたりになると時計を見てウンあと15分かと心のカウントダウンが始まり、そして恐るべきことに、画面いっぱいに映し出されたどこぞのお寺の鐘を和尚がゴ~ンとつく音が浮かんでくるのである。
なんじゃこりゃあ?
4月に聴いても9月に聴いても除夜の鐘がゴ~ンだ。パリで聴いてもウィーンで聴いてもゴ~ンだ。かんべんしてくれ。こうやって僕はいっとき第九が大いに苦手となった。聴くときは昔流儀とイメージが被らないように、新奇なところに耳が行くベーレンライター版を選んで聴いたりした。第九のブログを書いたあたりまでは少なくともそうだった。
ところがわりと最近、ヨゼフ・クリップスのCDを聴いて非常に感動したのだ。これはおふくろの味だと。そして3月17日にこう書き足すことになった。同じ文章で申し訳ないが再録する。
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ヨゼフ・クリップス / ロンドン交響楽団
クリップスはJ・シュトラウス、ハイドン、チャイコフスキーなどに記憶に残るレコードがある。この第九は、一言でいうなら、僕の世代が昔懐かしい、ああ年の瀬のダイクはこういうものだったなあとほっとさせてくれる雰囲気がある。アンサンブルは甚だ雑駁だが何となくまとまっており、ほっこりとおいしい不思議な演奏だ。それはテンポによるところが大きく、とにかく全楽章やっぱりこれでしょという当たり前に快適なもの。管楽器、ティンパニがオン気味だがどぎつさはなく、歌は合唱の近くにマイクがあってまるで自分も合唱団で歌ってるみたいだ。そのうえソロ4人がこんなに一人一人聞きとれる録音は珍しいがこれが音楽的に満足感が高く、なんとはなしにオケ、合唱と混ざっていい感じになるのも実にいい。ぜんぜん知らないソプラノだが音程はしっかりして僕の基準を満たす。5番の稿にも書いたがベーレンライター全盛の世でこのCDを耳にすると、1週間ぐらい海外出張して戻った居酒屋のおふくろの味みたいだ。練習で締め挙げた風情や、うまい、一流だ、すごい、という部分はどこにもないが、本物のプロたちがあんまり気張らずに自然に和合して図らずもうまくいっちゃったねという感じ。しかし全楽器の音程がよろしく、フレージングの隈取りも納得感が高く、耳を凝らして聴くと音楽のファンダメンタルズの水準は大変高い。指揮のワザだろう。こういうのを名演と讃えたい。
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今も聴きなおしたが気持ちはいささかも変わらない。クリップスの1-8番は僕には生ぬるいが、どういうわけか9番だけ琴線にふれるのだ。このなんとも快適なテンポと味付けは僕らがなじみ始めの頃にウィーンなどで普通にやっていたものと思う。だからだろう日本人の演奏もこれに近かった。クリップスはロンドンのオケで普通にそれをやり、普通なのは第1楽章で一生懸命弾いているが弦と金管のアンサンブルが甘かったりホルンが二度もとちってるのでわかるが、それでもうるさい客を黙らせるオーソリティーを感じる。
クラシックがクラシック足り得るのは僕はこういう演奏によると思っているのであって、フルトヴェングラーのバイロイト盤みたいにコーダを超音速でぶっ飛ばしてエクスタシーをあおったり、メンゲルベルグみたいに急ブレーキでのけぞらせたりしてくれなくても、ベートーベンの天才のみで僕らは十二分に究極の音楽的満足を得られると思う(終楽章の入りだけピッチがゆれるがこれは我慢)。
ゴ~ンはないの?ある。でもそれもふくめておふくろの味になってしまった自分がいるということのようだ。
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血をサラサラにする装置
2016 DEC 26 1:01:35 am by 東 賢太郎
もう日付が変わったが、きのう25日は社会人の娘たちにクリスマス・プレゼントをもらった。それから昼に長女と、施設にいる両親にプレゼントを届けに行った。父は11月に椅子から落ちで背骨を折ったがすっかり回復しており、認知症の母も元気で安心した。施設の方々のあったかさも心からありがたく、見舞いに行ってこんなほっこりした気持ちになったのは初めてだ。近くのホームセンターでノイに玩具をたくさん買って帰宅。すごい喜びようで、ネコだってクリスマス・プレゼントはうれしいのだ。
毎年楽ではなかったが今年は特につらく、蓄積疲労はちょっとやそっと寝たぐらいで解消しそうな気がしない。神山先生に相談したところすぐにこれをやれということで、米国シリコンバレーの再生医療企業であるBiomobie社製の「血をサラサラにする装置」を買ってきていただいた(値段はかなり高いが)。この会社、例のDNA二重らせん構造の発見者ワトソン・クリックのノーベル賞生理学・医学賞メダルをオークションで$2.27 million (約2億6千万円)で落札したことでも知られる。
製品名はBioboostiという。玉子ほどの大きさだが特殊な電磁波が出て両手両足に10分間ずつ1日2回当てる。年をとると赤血球同士がくっついてきて脳、心臓に小さな血栓を作りだす。それがやがて梗塞になるそうだ。
横から見るとまるでUFOだ。電磁波は下部から出る。
それが赤血球を本来のばらばらの状態に戻す様子は血管をスキャンするとリアルタイムで見られる。サラサラとはその状態をいう。米国FDAはもちろんEU、中国でも当局認可を得て売られている。
日本はこういうものは概してオクテだ。厚労省がリスクを取らないだろうし、死亡原因2位3位の心臓病、脳卒中の薬が売れなくても困るかもしれないから?認可がない。中国で買ってきていただくしかない。まだ1週間だから効果の自覚はないが、半年使っている先生いわく当初は睡眠の質が変わってきて、とにかく深く眠れるようになるらしい。
僕のような尋常でないストレスをかかえる事業をやっているとこういう世界の最先端秘密兵器も必要になってくるが、それでも、昨日の娘たちのプレゼントや両親の元気な顔の方がジワリと体にしみてきて疲れを吹っ飛ばしてくれる効能が大きいかなあと思う。それは頭で考えても想像してもわからなくて、自分の体の声がそう言っている。
(参考)
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500人のサンタクロース
2016 DEC 25 11:11:09 am by 東 賢太郎
プライベートでは逆風の吹く2016年だった。特に8月からは何か一つぐらいと日記を見返したがいいことがない。仕事が前半から不調であり、あがいてもだめだった。外部の協力を得て11月から一気に盛り返して帳尻だけはあったものの運だけだ。林からリカバリーの寄せがチップインしてパーというようなもの。
それがほぼ今年のすべてで、親父の前立腺癌がうまいこと消えたのがいちばん良かったことぐらいで出来事ランキングといって他に特に書くようなことはない。だいたいが、プライベートなどあまりなかった気もする。
中村が亡くなったことが重い。同期というのは普段は意識しなくても、こうなると格別の存在になる。中学の親友を二十歳のときに亡くしたが、あのころはまだ自分に無限の時間があってこそ救われたのだ。
そのことがあって、自分を整理しようという気持ちの種が植えられたかと思う。元から物欲はほぼ失せている。自分の納得いくように諸事かたをつける、これが残った最大の欲かもしれない。
TVで500人のサンタクロースの話を見た。施設の子や難病の子にたくさんのプレゼントが届く。子供たちの目がきらきら輝く星みたいだ。「サンタさんなんて僕には来ないと思ってた」・・おいおい来てないはずないんじゃないか。
わくわくして眠った翌朝、僕の枕元には模型の電車がそっと来ていた。それがOゲージというどうしても欲しかった大型のものだから、「わ~、これがわかるなんてサンタさんってすごいね~」と大声をあげたように思う。子供はひとりひとりそれぞれのやりかたで親にプレゼントを返す。
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ルロイ・アンダーソン「トランペット吹きの子守歌」
2016 DEC 24 18:18:46 pm by 東 賢太郎
ここに書いた事情でルロイ・アンダーソンはみんなX’masの曲と思っていました。
実は全然ちがうのですが、僕の中では「そりすべり」=クリスマスであって、そうなると幼時のすりこみというのはどうしようもないのであって、いまだにこれを聞くとツリーとかプレゼントとかが浮かんでしまうのです。
A Trumpeter’s Lullaby(トランペット吹きの子守歌)であります。こんな素晴らしい曲が初見で弾けるやさしさって、ある意味貴重じゃないでしょうか。そういうのがほとんどない僕にとって人類の文化遺産です。
それではみなさん、Merry Christmas!
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ショパン「24の前奏曲」作品28
2016 DEC 24 2:02:37 am by 東 賢太郎
ショパンの演奏会から遠ざかって久しいが、僕は彼の音楽を等閑視しているのでも忌避しているわけでもない。満足させてくれる演奏家に出会わないからだと思っている。いや、いなかったわけではなくて、85年5月にロンドンのバービカンで聴いたミケランジェリ、同じく88年ウィグモア・ホールのペルルミュテールによるバラード全曲はショパンの何たるかを聴いた。しかし彼らは遥か旅立ってしまい、それ以来これぞというのがないのが現実だったということだ。
94年3月のフランクフルトでのポゴレリッチのスケルツォ全曲。存在感はあったが何か違う。かたや現代はというと今回のショパンコンクール本選はくまなくチェックしたがどうにも小物感、小手先の作り物感が否めない。選ばれた人たちにしてそうなのであって、ということは世界中で弾かれているはずのショパンはもれなくそういうものなのだということになってしまおうが、この程度の浅い音楽にわざわざ金と時間を費やして聴きに出かけるまでもない、CDに残っている往年の巨匠の名演奏を家で楽しめば十分であるというのが僕の結論だ。
そのことは何もショパンに限った話ではない。昨今は当初に演奏困難とされた現代曲でもポップス並みに軽々と手慣れた演奏がなされていて、一応の完成度と引き換えにモジュール化した平板な規格品を得た印象がある。レンガ造りのはずの家が小綺麗なプレハブ住宅になったようなもので、こんな立派な外見の家がこの値段で建ちますよ、ウチの工務店も捨てたもんじゃないでしょうというデモの場になってしまった観すらある。聴衆のほうも手軽なスポーティでポップな快感をそこに求める。申しわけないが、そんなものにつきあうほど僕は暇人ではない。
ショパンの音楽はおそらくもう百年以上も前からそれが連綿着々と進んでしまっていて、素人でも弾けてしまう気安さも手伝ってサロンの余興に近い扱いも大いにされたろうと思われる。ペルルミュテールの演奏会はまさに19世紀のパリのサロンの陰影を感じて非常に驚いたものだが、何千何万と開かれたアーティストのたまり場、サロンに招かれて最上級の腕前によるバラードを聴いたという印象だった。良くも悪くも、ショパン自身がサンドとの出会いではからずもそういう場、ソサイエティの住人となりその音楽が凡庸の手垢に染まる素地はあったということも実感する。
そうやって現代にいたると、そうした場での素人芸までふくむ雑多で多くの先人によって成型されたプレハブのモジュールピースが細部に至るまで見事にできあがっており、ショパンを弾くことはそこからどう少々のズレを盛り込むか腐心するという音楽の本質とはまことに関係の希薄な競争に参加することだと見えなくもないのである。しかし一方で彼の音楽は非常にロマンティックであり、彼の時代にそんな音楽を書いた人は誰もいないという点において真のパイオニアなのであって、彼の美質の本質はそこにあることを見逃してはならない。
それは感情にまかせてどうにも弾けてしまう要素があるということだ。細部の解釈論云々よりも全体をどう把え、感じ、それをどんな感情の色あいで伝えるかがものをいう比重が大きいのだ。バッハなら演奏者がその日どんな気持ちでいるか、悲しいことがあったか天に昇るほどうれしいかは演奏にまず出ようがないが、ショパンの音楽はそれが出てしまうのではないかと思う要素を多分にふくんだ史上最初の音楽だと言ってもいい。そうやって演奏者の人となりや人生がうっすらと透けて出る。そこに僕は醍醐味を覚えるのであって、だからショパン演奏というのは巷のなよなよしたフェミニンな綺麗事というイメージとはかけ離れた実相を持つもの、演奏者が全人格をかけるべき格闘技に近いものであると僕は確信している。
そういう観点から「前奏曲作品28」に話を進める。
ショパンはピアノの詩人といわれるが、これを作曲したマヨルカ島に持っていった印刷譜はバッハの平均律クラヴィーア曲集のみであったらしい。各12音に長短調で24の小品を書くという構想はそこに源泉があるのだろう。自由なファンタジーと形式や規律という縛りという二律背反が生んだ名品として作品28と第3ソナタは双璧と思う。前者はロシア人のラフマニノフ、スクリャービン、ショスタコーヴィチの前奏曲集につながったと思われるが、僕はドビッシーの24曲からなる前奏曲集への霊感を呼び覚ますものとなった可能性に関心がある。
ショパンは平行短調をはさみ五度上昇というシステマティックな曲順で24曲を一本の縦糸で結んでいるが、では全体が曲集として何かを表現しているかというとありそうで漠としている。しかし24番目のニ短調、この嵐のような音楽が世にも恐ろしい最低域の二音の3連打で幕を閉じる、この衝撃的な作品が単独で演奏されることをショパンが想定したとはどうにも思えないのだ。
それに耐える行程が23のどっしりした物語の手ごたえでなくして何だろう。僕はロアルド・ダールの「あなたに似た人」という短編集の読後感をいつも思い出す。内容云々についてではない。この本はご存じのかたも多いと思うが、15の短編から成るのだがその題がついたものはひとつもない。各編に何の脈絡もない別個独立の作品集なのだが、全部を読み通してみて初めてちょっとブラックな特異な味がずしりと舌に残るという代物である。
前奏曲作品28はそんな風に例えられるような全体観の明確な意図と調性設計をもって、そう聴かれるべく書かれた作品集だと考えている。その題がついたものはない、つまり前奏曲である必要もない24の短編集なのではないかということだ。そうでなければ、24曲を聴き終えて得られる交響曲を聴いたようなどっしりした充足感は説明できるものではない。
彼は標題音楽を一切書かなかったという理解は非常に重要と思う。この24曲は絶対音楽として起草したが、その各曲がそれぞれ聴く者に様々なイマジネーションを与え、その末に、フランスにおいて、標題はあるが純然たる標題音楽ではないというドビッシーの前奏曲という新しい形態がやってきた。その二つの曲集は後世のフランス現代音楽だけでなくストラヴィンスキーにまで遺伝しているが、その彼の音楽もロシア以前にまずフランスで有名になったのである。
この化学変化がドイツ語圏ではなくフランスでおきたということが面白い。彼がパリに住んでそこで亡くなったというだけではない、ウィーンにも住んだのだから、ラテン世界に何らかの親和性があったのだろう。血という言葉は軽々しく使いたくないが、ここではやはり彼の父親がフランス人であったことを想起せざるを得ない。そして母親はポーランドの貴族の娘だ。ドビッシーに共鳴するラテン的な感性とスラヴの貴族の血。僕の直感だが、ショパンを紐解く二つのキーワードはそれだと思う。詩人というのはもっともらしいが、大きく違う。
僕が前奏曲作品28に親しんだのは大学時代にFM放送を録音した79年のエフゲニー・モギレフスキーの東京ライブだ。下宿で夜中に何度も聴いて何と素晴らしい曲かと感涙に浸った。演奏も聞きごたえ十分でこのテープは今や希少品だ。エリザベートコンクール優勝者なのに以来さっぱり名前を見なくなった彼はどうしたんだろう?
レコードもアルゲリッチ、アシュケナージ、アラウと持っていて我が収集履歴でも赤貧だった初期から聴きこんでいた曲だったと思う。長年の間アルゲリッチがベストと思っていたが年とともに好みは変わるもので、今になると若さにまかせた勢いは魅力あるがフォルテ部分が荒く、熟成度やきめ細やかさに不満が残り技が耳についてしまう。アシュケナージは見事な技巧で丁寧に紡いだ文句ない美演、アラウはロマンティックな深みのある大人の表現で捨てがたいが、どちらもどうしてもというまでではない。
より僕の琴線に触れる演奏としてまずホルヘ・ボレを挙げたい。俗世間のきかせどころにこれ見よがしなものはかけらもなく、微妙な強弱を伴うテンポの揺れと間は自然な呼吸のまま楽に弾いているがにじみ出る人間性が比類ない。これぞ19世紀の伝統に根差した大人のダンディな味だ。おそらく長い年月をかけて若いままにぶつかって弾いてきたのだろう、男の格闘の末にたどり着いた完熟、ゆとりの表現に感服である。
ショパンは3種のピアノを持っていたが「気分のすぐれないときにはエラール、気分が良く体力があるときは、プレイエルを弾く」と言い、前奏曲作品28を作曲したマヨルカにはプレイエルを届けさせた。「プレイエルは高音にいくほど音量が小さく、高音域へいくに伴って、クレッシェンドが書かれてることがよくありますが、これは音を大きくするという意味ではなく、プレイエルのピアノで弾く前提で、高音域に移行しても同じボリュームを保つためにクレッシェンドで弾くという意味」(浜松市楽器博物館)だそうで楽譜を見ると確かに24番などそれが書いてあり納得だ。この譜面はプレイエルで音に変換すべく書かれている証拠であり、スタインウェイならそれを逆変換して弾かねばならないわけである。
ヴォイチェフ・シュヴィタワ(カトヴィツェ音楽院ピアノ科教授)がそのプレイエル(1848年製)を弾いている。ピッチが低く一聴すると地味だが、鍵盤が軽く繊細で柔らかく僅かなタッチに千変万化する表現力とシンギングトーン(歌声のような伸び)をもっていたことがこの演奏でわかる。音域ごとでもタッチの強さ、深さによってもまるで万華鏡のように変わっているのであって、これでこそ各曲の曲調によるメリハリがつきショパンの意図した曲順のインパクトが明確に伝わってくるではないか!前奏曲はこういう曲なのだと目から鱗が落ちる。演奏も楽興に満ち大変すばらしい。
さて「ドビッシーに共鳴するラテン的な感性とスラヴの貴族の血がショパンを紐解く二つのキーワード」と書いたが、ロシア系の強靭な音やドイツ系の重めの音で弾いた前奏曲は、少なくともショパンの意図からすればずいぶん的外れなものであることがわかる。上記シュヴィタワがフランス的なあっさり味のプレイエルで体現したのが前者だとすると次に後者、高貴さを添える演奏はないだろうかと思ってyoutubeを探すとこれに当たった。フランスのエリアン・リシュパン(ELIANE RICHEPIN 、1910-1999)である。
知らなかったが調べるとマルグリット・ロン、アルフレッド・コルトー、イヴ・ナットの弟子である。非常に興味深いことだが彼女はドビッシーにおいて世評が高かったようだ。フランスの感性と高貴さが理想的に交差しているのである。そう、彼女のこの前奏曲は高貴という以外に言葉を寄せつけない。これがショパンであるかどうかは問わない、なんて素晴らしい音楽を聴いたかという感慨しか残らない。
全く危なげのない72才と思えぬ指の回り。この美しい楽器は何だろう(プレイエル=コルトー、エラール=ロンだが)?こういうものだと納得するテンポ。どの曲を聞き終えてもじわりと体の芯に暖かいものが残る。何かに包みこまれたような深い満足感。クリスタルのような高音の痺れる美しさ。触れると壊れるほどデリケートなピアニシモ。荒々しい低音パッセージはffもレガートで粗暴でうるさくならず常に品格を保つ。すべてにわったって高貴なのだ。至福の時であり何度でも聴きたい、こんなことはない。
このLPかCDは何をもっても入手したいが、どうも難しそうだ。こうやって古くて良いものがどんどん視界から消えていく。新しい演奏家の活躍は大歓迎だしその演奏もそれなりに耳にはしているのだが、こういう本物中の本物をクラウドアウトするにあたっては容貌や胸のあいたドレスの貢献度も多大であろうとまじめに思っているから、僕はショパンの演奏会に10年も行っていないのである。
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ジャガー・ルクルトのレベルソ
2016 DEC 23 0:00:26 am by 東 賢太郎
ロンドンの金融街シティをサヴィル・ロウの老舗仕立て屋ギーヴズ&ホークスのスーツを着てチャーチを履いて闊歩するともう気分はにわか紳士だ。まったく柄にもない、今思うと田舎の成り上がりもんで恥じ入るばかりなのだが、服装の流れで自然とウォッチが欲しくなった。留学を終えて赴任したばかりの二十代だ、給料なんて二束三文である。そもそも米国ではマックも食えなかったのにチェロを大人買いしてなけなしの貯金は使い果たしていた。
シティのはずれにあった宝石屋マッピン・アンド・ウエッブは入るだけで敷居が高かった。おそるおそるのぞくと、お目当てのそれは凛と涼しげな風情でケースの中から柔らかい高貴な光を放っていた。僕はその姿をコヴェント・ガーデンで見た魔笛のプログラムにブロンド美女と一緒に写っていたおしゃれなアドで知ったのだ。絵にかいたような一目惚れである。1985年のことだ。
それはジャガー・ルクルトのレベルソなるリバーシブルのウォッチであった。このメーカーはスイスのル・サンティエに16世紀に逃げてきたユグノー教徒末裔のルクルトがパリで海軍の時計を製造していたジャガーと創始した最高級の時計メーカーで、400の特許を持っている。二人のイニシャルが合わさったロゴ(左)が見えない正三角形を成す造形センスが象徴するようにデザインも抜群にいいのだが、それよりもなぜ僕として数あるスイスのブランド時計屋で最高級と評したくなるかというとメカと補修に対する偏執狂的なまでのこだわりが感性に合うからだ。
例えば右はアトモスという置時計だが動力は何もいらない。はるか後にスイスで入手した際に「1日の気温差が1度以上あれば動きます」というので「じゃあ南極でも動きますか」ときいたら「ええ、凍らなければ」だ。「で、何年動きますか」「200年」ときてそれ以上質問が浮かばなくなった。あれからとりあえず20年だが、たしかに問題なく動いている。マニアックな名器だ。
さて初めて足を踏み入れたマッピン・アンド・ウエッブで柄にもない大人買いをしたのはレベルソのピンクゴールドだ(下がその表と裏)。ポンドが250円のころで円ベースで70万ぐらいだった。昨今この時計はそこらじゅうで有名になってしまって面白くない。ことに芸能人に人気らしく嵐の誰それもご愛用らしいが、当時は誰も知らず飲み屋で裏返してみせると瞬間芸にはなった。同じころに東独August Förster社製のアップライト・ピアノも買ったもんだから家計は火の車だったろう。こういうことで好き放題やって家内には面倒をかけっぱなしであったが、こうやって常に背伸びをして生きてきたから背はちゃんと伸びたんだということにして許してもらっている。
レベルソは僕の人生で背伸びの第一歩であったから特に思い出深い。掘ってもらったイニシャルのKAは息子も同じだから与える。まあしかしこんなのは序の口で、その後ポルシェより高いオーディオ、箱根のでかい地面を経て家の建築へとつづく。誤解を避けたいが余資があったことなどない。いつも買ってしまってからどうしようと焦り、その最たる家はデフレのさなかに年収**年分の大借金を背負うというファイナンス専攻のMBAにあるまじき事態を伴った。この性格は何があろうと変えられないからあのままサラリーマンしてたら即死だったと思うとぞっとする。物体として買いたいものはもうない。次はたぶん会社かなという新年を迎えそうだ。
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チャーチの靴
2016 DEC 22 1:01:42 am by 東 賢太郎
今日出がけに玄関で「これ履いたら?」と出されたのがブラウンのチャーチだった。正確にはチャーチズ(Church’s)である。スーツで茶は出番がないからあることも忘れていたが、7、8年前に出張の時にロンドンで作ってきた気がする。
さて駅まで歩いてみるとこれがしみじみといい靴なのだ。何がいいかというと、重厚な見かけにかかわらず重くもなく出しゃばった自己主張がない。手作業で250工程という工芸品だ、足に完璧に合うとはこういうことなのである。
ロンドン赴任でまず履いたチャーチは、だからもう33年のつきあいだ。ジェームズ・ボンドご愛用で有名だが、我々シティのバンカーだってイタ靴なんてとんがってチャラいもんは似合わないのである。僕に英国靴はこれしかない。
英国人にいわすと、トラディショナリズムという一種の美学がある。伝統主義じゃわけわからない。好適な日本語はないが、おじいちゃんの古着のコートを直して着てるのがカッコいいみたいな感覚と思えばいい。日本人はわかるが米国人に説明するのは難しいんだろうなあという感じだ。
チャーチは靴底を直せば10年は軽くもつ。僕の場合は戦闘靴であったゆえ大事に履いてないから替えが必要で、数えたら8足あった。家内が処分したかもしれないが僕自身は履きつぶしたという記憶がない。プラダに買収されて今風のデザイン重視になり個性が失せたが僕の趣味であるチェットウインドはクラシカルの味を残す。
6年住んだロンドンは欧州の贅沢が集結したみたいなところがあって、市民革命と産業革命の恩恵が大きいと痛感したものだが、要はカネと権力のあるところいいものが集まる、これは世界的な法則といえる。いいものを持つといいものの味がわかり、もっといいものを欲しくなる。そのためにはもっと知恵を磨いて働かなくてはいけないと思うようになる。好循環なのだ。
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人生最高のストレート
2016 DEC 21 14:14:13 pm by 東 賢太郎
大学に入って1年目に神宮球場でバイトしたことがある。1975年のことだ。スタンドの入り口でお客さんを席まで案内する係で、ゲーム終了後にみんなでゴミ出しをして終わり。お手当は非常に安くプロ野球がタダで見られるというだけだったが、それが日本ハム対太平洋クラブの試合だった。
このカードは当時とりわけ人気がなく客はまばら。仕事はおおいに楽で、座れないとはいえゲームをじっくり見た。
9回表までたしか0-0で、そこまでの試合経過も日ハムの投手も忘れた。野球はたくさん見てるからそんなのはいちいち覚えていない。この試合を記憶しているのはひとえに9回裏のシーンがあまりに劇的だったからだ。
太平洋の先発・加藤初(はじめ)が8回までノーヒットノーランのまま9回にはいり、左打席に張本を迎えたのである(完全試合だったかもしれない)。
この試合の加藤の投球、僕はネット裏中段やや一塁側の角度で見ていたが、腰が沈み込んで重心は低いのに投げ下ろしの球離れが高く、どういうわけか外人のような角度を感じさせる。それが外角低めにのびてビシッと決まる痛快さは忘れられるものではない。あのストレートは人生で見た3本の指に入る。変化球は記憶にない。それほど見事なストレートでありハムの打者はほとんど外野に飛ばなかったように思う。
大記録の気配が高まっていた9回裏、それを、内角やや高かったと記憶するが、張本が振りぬいた。音は鈍くあんまりいい当たりではなかったがライトの頭を越した。
記憶はそれで途切れている。四球の走者かなにかがいてサヨナラだったような気がするが、僕の関心は加藤のボールしかない。少なくとも延長ではなかった。
打った張本もあっぱれだ。すごい名勝負を見せていただいた。奇遇というか、その翌年この二人はそろって読売巨人軍に移籍し、加藤はわがカープ相手にノーヒットノーランを達成するのである。そりゃ無理ない、あれは打てないさ。
僕の永遠のアイドルは外木場義郎だがそれに次ぐとなると安仁屋でも金城でもない、加藤初だ。投球スタイルが違うのだ。変化球投手はきらいだし大谷みたいに速きゃいいってもんでもぜんぜんない。女子供にはわからない、これは男の美学といわせていただこう。
加藤初さん、ご冥福をお祈りします。
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クシコスの郵便馬車
2016 DEC 20 12:12:41 pm by 東 賢太郎
ホワイトクリスマスは好きだったが、親父のレコードのおかげでそのまま音楽好きのいい子になったわけではない。音楽の授業は女の園みたいで苦痛であり、ペダルを踏む先生の足がピアノの下で動いている大根に見え、「早く終わんねえかなあ」と思いながらすきをついて窓から脱走する子に仕上がっていた。
自業自得なのだが悪い子ということになっていて女の風紀委員に悪戯や帰り道の買い食いまで言いつけられて頭にきていた。なにやらそういうものを包括して女のするものである音楽はいやだという強固な思い込みができあがっていた。乙女だとか祈りとかエリーゼとか、題名からして女々しくてどうにも気色悪い。それが僕のクラシックのイメージだった。
そして同じく大嫌いだったフォークダンスとイメージが混線した。オクラホマ・ミキサーというのがあった。当時、GEの洗濯機などが高級品で、オクラホマのミキサーも米国製だからきっと性能はいいんだろうと思っていた。しかし踊りになるほど優れているんだろうかと一抹の疑念もいだいており、オクラホマの田舎の人が買って嬉しかったイメージをこめて踊った。
キャンプファイヤーになると「さーらすぽんだーれっせっせ」なる不可解なものが始まる。この歌は全曲にわたって一言たりとも理解不能であり、先生も含めその場にいた者で意味が分かっていたのは確実に一人もいないだろう。「ポンダ ポンダ ポンダ」とピアニッシモでおごそかに繰り返す部分など呪文さながらであり、誰も何をやっているのかわからないままに異教徒の儀式みたいにまじめにポンダ ポンダ・・・実に不気味であった。
ネットで調べてみると多くの人が「あの意味は何ですか?」と質問しており「オランダ民謡の糸巻きの歌でサラスポンダはお囃子の言葉で意味はあんまりないようです」などとあって絶句だ。なんで俺がオランダのお囃子なんかで踊らなきゃいけなかったんだろう?そんなもんで通信簿に2とかつけられて親父に怒られていたんだ。後で知ったがこのテのはみんな外国の田舎の踊りだ。ウクライナとかリトアニアとかフィンランドの。GHQの愚民化政策の一環だったとしか思えない。阿波踊りができない方がよほど文化的損失だろう。
日本の欧米コンプレックスは明治以来で仕方ないが、欧米なら何でもよくて誰かの個人的趣味で超ニッチなのを探してきて国民的にばかばかしくやってる。クラシック音楽もそういうにおいがあって、例えば親父のレコードに「クシコスの郵便馬車」というのがあった。きっと名曲なんだろうと思っていたら、後でわかったが英国人もドイツ人も知らない。ドイツの田舎のなんとかという作曲家の曲で、一発屋かとおもったら現地では一発すらなくて誰も名前も知らない。驚くべきことだが日本人しか知らないクラシックというのがあったのだ。
クシコスはハンガリー語で馭者でポストは郵便だそうだ。だからクシコス・ポストで「郵便馬車」の意味であるらしい。じゃあ「クシコスの」というのは何だったんだ?こういういい加減な精神のまま「クラシックはセレブでお上品ざあます」ということになっている。女の嫁入り道具であるピアノがいかに大量に打ち捨てられているかは中古業者のCMがやけに多いので気がつく。あんな下品な広告にのせられて売ってしまうような人たちがおおぜいピアノを買ってしまっているんだ。外国の田舎踊りをフォークダンスと横文字で呼んで、誰一人わけもわからず盆踊りみたいにやっている風景と重なる。それが「ざあます」のムードになるもんだからあまりに馬鹿馬鹿しく薄気味が悪く、それで窓から逃げたのだということに自分の中ではなっている。
クラシック音楽はそんなものとは似ても似つかないとわかったのはずっと後のことだ。それは、言葉のいやらしい部分をきれいに洗い流した真の意味において、貴族的な精神の産物であった。それでも心に多少の記憶の残滓、トラウマがあるとすると、それはショパンの音楽においてである。雨だれとか華麗なるとか子犬とか恥ずかしい題名を聞いただけで僕とは根本的、本質的に無縁の世界であり、さーらすぽんだと同じほど近寄りたくないざあます異教徒の領域に入ってしまう。ショパン本人は標題をつけてないから彼の責任ではまったくないし申しわけないと思っているが、そういうノリで彼の音楽に寄ってくる人種は僕にはいかんともしがたい。
フランク・シナトラの「ホワイト・クリスマス」
2016 DEC 19 2:02:24 am by 東 賢太郎
3才までいた家にSPレコードがいろいろあって、クラシック、ロシア民謡、シャンソンや、後で知ったがビリーヴォーン、ナット・キングコールなんかもあった。親父は高射砲を撃っていて爆撃を食らって片耳をやられているのに、どうやって敵性音楽なんかを好くようになったのだろう。
そのなかに誰の歌だったか甘い男性ソロのX’masアルバムがあった。SPレコードの盤面の真ん中のレーベルは紺と肌色のツートンカラーで、本当はたぶん違うのだろうが、僕の中ではそういう色だった。それを覚えているのは「ホワイト・クリスマス」がダントツに好きだったからで、こればかり執念深くせがんでかけてもらっていた。
この歌、e,f,e,d#,e,f,f#,gと5つの連なる音の中での半音階進行で始まり、大変に西洋音楽的でクラシカルだ。コードはCからC7に行くc,b,b♭のクリシェ、そこのb♭ーaの長7度、FがFmになってg#ーgの長7度と、まったくもって子供らしくない音が満載のように思うが、子供らしいジングルベルや赤鼻のトナカイにはなんの興味もなかった。
ルロイ・アンダーソンはそこに入っていたのか別の盤だったか忘れたがとにかくX’masのイメージがあって(関係ないがそう思っていた)安物のソングの中でぴかっと光っていた。しかし、好きだったのはそれが理由じゃない、なんといってもそれが聞こえてくるとサンタさんがプレゼントをくれるからだが。
もう手元にないので自信はないが、あのホワイト・クリスマスはフランク・シナトラだったように思う。
SPというのは電蓄と呼んだプレーヤーにごついアームがついていて、その先にえらく長い鉄針を挿入して装着する。78回転でレーベルのぐるぐるがものすごく速い。針圧はLPよりかなり高そうで、シャーシャー盤面で音がして針はすぐ摩耗して交換になった。そんなことを覚えていてそれは3才でのことだったのだから、かなり真剣なリスナーであったのだろう。
そのころもう一つ異様に真剣だったのが鉄道、というか線路であり、どちらも鉄の摩耗が関わる。摩耗のにおいまで好きでありその性癖がどこから来たかは謎だ。思えば99%に無関心で局所的1%に異様に関心があるという巨大な落差は万事にあてはまる。3つ子の魂61までだ。
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