思い出となった第100回夏の甲子園大会
2024 AUG 23 15:15:29 pm by 東 賢太郎
第100回の夏の甲子園大会が終わった。昨年の慶応旋風がつい先日のようだが、今年は京都国際高校と関東第一高校の息詰まる素晴らしい決勝戦となり、0-0でタイブレークとなり、2-1で京都国際が優勝した。
ネット裏のすぐ目の前で初戦を見た関東第一高校が接戦をどんどん勝ち抜いて決勝に進出したのも嬉しかったし、応援した北陸高校が強かったこともよくわかった。最高の思い出になった。
京都国際高校。おめでとう、強かった。僕はピッチャーしか興味ない。それもストレート。それも球速でなく球質である。毎年見てるが、あ、これはいいな、打てないなと思うのは大会で一人か二人しかいない。それがこの高校は二人いた。
どの試合だったか、背番号11番の西村投手を見た。9回になっても135キロにみんな差し込まれており、いつまでも見ていたいピッチャーだと思った。彼はチェンジアップばかりが評判だが、そもそも直球が速くないと通用しない。
ところが決勝で初めて見た1番の中崎の135キロはもっと凄かった。空振りを見て元巨人の杉内を思い出した。4番高橋を空振り三振に取ったインローのクロスファイヤーは球威も制球も鳥肌ものだ、あれはプロでも打てんと見た。
関東第一高校は先発・10番の畠中。走者を出して押されながらも断ち切って6回零封した胆力が見事。救援の1番・坂井の148キロは打たれなかった。タイブレークの押し出しで坂井を替えなくてもよかったかなと思うが、まあ結果論だ。
両校、プロがあり得る京都国際の両左腕、関東一高の坂井とサード高橋はいたがスターは他チームもいた。その中で両校は投打のバランスが良く、ここぞの場面の走塁、堅守で精神力も鍛え抜かれていた。いい野球を見せていただいた。
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お彼岸の浅草で考えたこと
2024 AUG 17 18:18:52 pm by 東 賢太郎
浅草へ行った。不思議な処だ。神田育ちで下町好きの親父に連れられてよく来たが、にぎにぎしい仲見世通りのこの風情たるや、テキ屋がずらっと並んでうきうきするやすぐ閉じてしまうお祭りや縁日を年中やってくれている贅沢感がたまらない。当時、ハイカラだねという日本語があった。世田谷も成城あたりで育つとこれのことかと思い込まされている種の言葉で、だからここは異界である。長じて知ることになった異国情緒なるものに似た気分さえ味わっていたのだから、いまそこいらじゅうから聞こえてくる異国の言葉の人々がこれをどう感じているのかは想像すらつかない。日本らしさ東京らしさを覚えているならばそれは正しくもあり、誤解でもある。
浅草寺の北のほうはさらに馴染みがないがその昔は吉原あたりで、いまも猥雑さが残る。飯はだいたいがそうした界隈のほうが旨いというのは大阪でもそうだった。単に自分がB級好きということかもしれないが、香港やタイやベトナムでも、さらにはニューヨークでもロンドンでもフランクフルトでもそれは思ったからインターナショナルな法則かもしれない。せっかく来たから弁天山美家古鮨はどうかなと馬道通りに向かった。まあ盛夏に寿司なんてろくでもねえと思いきやちゃんとお盆休みだ。じゃあ趣向をかえて洋食だねということで、これも老舗であるリスボンと相成る。10分ほど待ってありついたのはカツレツだ。ソースはケチャップで、衣のカリッとした歯触りが実にいい。
満腹で外に出たところが、くそ暑いなかで一気に飲んだビールがいけなかった。隅田川に出たあたりでだんだん足どりが重くなり、視界が青黒くぼやけてちらちら星が見えだしたからいけない。向こう岸に東京スカイツリーがそびえるあたりで手すりにつかまってじっとしていると熱中症だといわれたが、その病気はどこがどうなってどうすれば治るのか知らない。そういえばペットフード屋の策略なのか猫に甲殻類をやると死ぬとか騒ぐ。てんでおかしい。うちのチビは天丼の海老のシッポなんかばりばり食って長生きした。素人の分際で熱中症もそのたぐいとはいわないが、日本人が国民的に弱体化したのでなければいわゆるひとつの暑気あたり、関西ではあつけがはいるというもので、平均気温が上がった分だけ数は増えたのだろうが昔から亡くなる人もいたし平気な人もいて、いま甲子園でやってる子たちは平気な部類であり僕もそうだ。
休み休み川沿いの公園を上流の方に
歩く。すると道端の句碑らしきものが目にはいり、
羽子板や 子はまぼろしの すみだ川
と読めた。水原 秋桜子。遠い記憶がよぎる。高浜虚子と同様、教科書で見覚えて気に入った俳句があったが忘れた。まだぼーっとしておりその場はそれだけで去ったが、後で調べると秋桜子(1892 – 1981)は神田猿楽町の産院の息子で、我が曽祖父のキカイ湯の客人であったかもしれないと想像すると楽しい。獨協、一高から東大で医学博士、それで俳人になった。普通でない人は実に興味深い。東大医学博士の文人は森鴎外もいるが、個人的には音楽の方が好きであるのは理系確率が高く双方に親和性あるアートであるからかもしれず、れっきとした学位がある数学者のアンセルメ、ブーレーズ、クセナキス、化学者のボロディンはみな根っからの好みだからけっこう正しいと思ってる。
羽子板の句が気になっていた。帰宅して調べると、まぼろしであった亡き子はあの梅若丸のことだ。公園から少し上流の対岸にある木母寺に梅若念仏堂がある。この寺には伊藤博文揮毫の先祖の石碑があって無縁でない。ホームページに『梅若の死を悼んで墓の傍らにお堂を建設し、四月一五日の梅若丸御命日として、梅若丸大念仏法要・謡曲「隅田川」・「梅若山王権現芸道上達護摩供を開催します』とある。「隅田川」というと、1956年に訪日してこの能に感銘を受けたベンジャミン・ブリテンは2度も鑑賞した。その印象をもとに作曲したのが教会上演用寓話『カーリュー・リヴァー』である。ピーター・グライムズが大変な曲であることに気づき、ブリテンの歌劇、声楽曲はぜんぶ聴こうと思った矢先だ。
さて、そろそろ酔いも覚めたなと先に進むとほどなく言問橋(ことといばし)に至る。1945年3月10日の東京大空襲で米軍のB29が無辜の民を一晩で10万人殺したとんでもない惨禍がこのあたりだった。橋は焼夷弾で狙われて真っ赤に燃え上がり、浅草側(写真手前側)から逃げる人と、向島側(写真奥側)から逃げる人が身動きが取れないまま焼かれた。れっきとした戦争犯罪である民間人の殺戮は原爆だけではないことを、日本人であるならば記憶しておかなくてはいけない。
政治家の靖国参拝にかまびすしい者があるが、参拝はおろか僕はその隣の敷地にある九段高校で3年間の時をすごした。父方の親類はガダルカナルで戦死、母方の方はあわやA級戦犯でそこに祀られていたかもしれぬ。そんなに長くその場におれば英霊の魂もついて居ようというもの、79年前のことで済んだ話ではない。それでいて、米国の建国の地の大学院で2年の時をすごしてグローバリストの教育を受けたというパーソナル・ヒストリーは分裂的で、社命であったという以外に自己弁護の隙間がない。多くを学ばせてもらったことに相違はなく、みなが原爆投下を支持したわけでないことも理解した。米国のまともな人と真剣につきあう。大いにビジネスもする。そうしてジレンマを解き、英霊に報いる道を探る。それは両国をよく知る者しかできず、自分が最後の最後にやるべきことではないかと考えている。
戦争責任は布告なしの開戦にあり、その行く末に特攻により自国民に命の犠牲を強いるまで追い込まれ、よって米国が戦争を終結させるためやむなき無辜の民の殺戮へと至ったという大義のストーリーによって戦後の日本が独立国に戻り得ないよう囲い込まれ、無条件降伏による絶対服従のくびきに今もって甘んじ続けているという事実。その屈辱を全国民に分かりやすく開陳したことは、岸田内閣が日本のためにした唯一の功績である。これほど戦略思考のしたたかな米国および背後の勢力に対し、我が国は政治家にその程度の人材供給しかない。ならばいっそ米国の州になれ、それなら大統領を選挙できるという冗談がまともに響く。
明治から大正にかけての日本は日英同盟によって囲い込まれ、収奪したい清国、邪魔者であるロシアに闘犬の如くけしかけられた。勝ってしまった熱狂の陰でほとんどの日本人が気づいていないが、英国東インド会社は同じ手で薩長に武器を与えて倒幕させ、まやかしの同盟という美名をもって日本全土を囲い込むのに成功したのである。その英国に密航、留学し、手先として取り込まれて内情を知り、明治維新と呼ばれることになるクーデターを推進して初代日本国総理大臣になった伊藤博文は日英同盟締結に懐疑的だった。相手を魑魅魍魎と熟知していたからだ。だから日露開戦に反対であり、むしろ同盟すべきと考えていた。よって邪魔者となりハルビン駅頭で射殺されたのである。犯人は朝鮮独立運動の志士、安重根ただひとりということになっているが伊藤に命中した弾丸は複数の狙撃手から発せられたものであることが判明している。2年前、そしてつい先日に聞いた話は1909年から現実だったのである。
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甲子園に行けた、感動、感謝!
2024 AUG 13 17:17:48 pm by 東 賢太郎
このブログは8月6日。北陸高校と関東一高の組み合わせを縁だと書いた。
そうしたら10日に「チケット取れました」とメールが。
きのう、おっとり刀で新横浜を朝8時の新幹線に。12時について昼飯。今年から暑さ対策で前半、後半で開始時間の間をとる。皆さんと喫茶で時間調整して前の試合の5回あたりに球場に入る。なんとバックネット裏の一番前だ、ちょっと良すぎねえか。
すぐそこで野球やってる。というか、あっというまに自分もやってる感に没入。シューっとボールが空気を切り裂き、パーンとピストルみたいなミットの音が炸裂。ボールやバットの重さまで伝わる。蔵の奥に50年眠っていた宝ものが出てきた。
関東一はでかい。モモと尻がすごい。現場の人間はまずそういう処に目が行く。
この子が友人の子息、大地くん。
くるぶしの骨折で背番号が14になったが試合には出てたというから立派である。本番は4でよかった。レギュラーで甲子園だけでも全国100校で1校、関東一高のプロ注目のエース坂井投手から快心のヒットは一生ものの勲章である。野球センス抜群と見たが親父さんによると大学では野球やらない。金融界の大物を目指すか。
ずっと三塁ベンチにいたような錯覚に陥ってしまい、仕事が慌ただしいので日帰りしたが一晩寝ても心がざわついてる。親父さんと大地くんに感謝しかない。
PS
行きも帰りも南海トラフ地震のおそれとやらで新幹線が遅れ、帰宅は0時を回った。そういえば去年の今頃は岐阜に出張し、初めての名古屋バンテリンドームで広島対中日を見たっけと思い出して日記を見ると、この甲子園と同じ8月12日のことだった。
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広島カープついに阪神・大竹の牙城を崩す
2024 AUG 11 2:02:22 am by 東 賢太郎
去年から8連敗していた阪神の大竹。一人の投手にこんなにやられるのは珍しいが、とうとう5-1で勝った。普通の勝ちの10倍ぐらい嬉しく大層気分が良い。大竹の真骨頂はコントロールと緩急で、変化球は遅いが切れが良く、80キロの山なりまで操られるから130キロ台のストレートに長身からスピンがかかって手元で伸びるとほとんどの打者が差し込まれる。しかし彼の防御率は3なのだ。他チームには打たれてる。なぜ広島だけ打てないか謎だったが、ともあれ昨日はやっとこさで攻略した。これは今後の阪神戦に意味を持つ勝利だろう。
目下カープは巨人と阪神に2ゲーム差をつけて首位だ。いつまで続くかと思うが僅差を守り勝つパターンが板についてきたのは投手が頑張っているのが大きい。先発は大瀬良、森下、床田、九里の4枚が盤石で、残り2枠にアドゥワ(巨人を完封)、玉村(DNAに完投勝ち)がはまったと思ったら、野村、森が5回を零封して見せ、ハーンを加えてなんと先発は9枚になった。毎年、夏に息切れしたのが12球団でもトップクラスの贅沢な布陣だ。後ろも左が森浦、ハーン、塹江、黒原は盤石、右は島内、矢崎、河野、益田、コルニエルと左よりは落ちるが十分だろう。そしてクローザーに栗林だから強力だ。
セリーグで得点は5位、ホームランは6位と貧打は相変わらずで、外人2人が大外れだったフロントの責任は大きいが、新井は逆手にとってミート率の高い打線と機動力を鍛え上げ、取った少ない得点を守り勝つ野球に徹している。何事も極めれば武器になるのだ。投手陣のスペックで失点は1位(最小)、防御率も1位に現れているが、これは守備の充実が極めて大きい。キーマンはなんといってもショートに定着した矢野 雅哉だ。菊池、矢野の二遊間、これは文句なく12球団最高である。2021年にこう書いた。
新人の矢野にすごく期待している。今日も大道が2本打たれて1,2塁にして、代打デスパイネのショートゴロのさばき方が良かった。ちょっと嫌な所にぼてぼてが飛んだが、うまいというより二塁トスのあの手慣れた感じは投手目線で頼もしく感じた。野球頭が良くて足も速そうで、ああいうのが敵にいるだけで圧を感じるタイプと思う(新人の頃の菊池がまさにそうだった)。
矢野は打撃も進化している。きのうも大竹の遅球を流して2塁打にした。運動神経が半端でなく育英高-亜細亜大で鍛えまくられているが、おそらく大変な努力家であるのだろう。菊池と矢野、ここまで超絶的にうまいと守備だけでレギュラーが取れてしまう異次元の人達で、ノーヒットでも美技ひとつでピッチャーを鼓舞するから打点1ぐらいの価値があると思う。逆に、プロでもアマでも、守備の下手なチームで強いというのはあんまり見ない。球場に出かけてポカーンとホームランが出れば楽しいが、僕が金払ってきてよかったといつも思うのは守備だ。
菊池が出てきた2013年ごろに強いカープを予感した。16年から3連覇した。矢野にそう思ったのは3年前。ひょっとすると期待できるかもしれない。
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夏が来れば思い出す はるかで遠い高校野球
2024 AUG 6 23:23:17 pm by 東 賢太郎
週末にマッサージに行こうと外へ出たら太陽がとても熱い。真夏の香港のゴルフ場にもそれはあった。ティーグラウンドで頭がぼーっとして、空を見上げるといつもそれがあった。そういえば、先週に来社してくれたシンガポール在住のS氏が、「暑いですね、早く帰りたいです」と笑っていた。
その日も、「熱中症、危ないからね、ちゃんと水のむのよ」と家族が心配顔で送り出してくれる。それってなに、病気なの?そんなの昔なかったぞ、デング熱と同じぐらい縁がないなと思ってしまい、「俺、高校球児なんで」と毎度毎度の答えをする。もうトシなんだからねと返されるが、ぜんぜんトシな体感もない。これ、一度も死んでないから死なないと言ってるのだが。
そのたびに、自分の深層心理に突き刺さった棘はそれなんだと悟る。だからこの時期になると、性懲りもなく高校野球のブログになる。たいした戦績もないのに何故かというと、いきなり直球とカーブだけの “草野球のまんま” で通用したからだ。おっかない3年生に夏合宿で自己流が認められた。なんだ、たいしたことないな。以来、すべて独学自己流でやっていくきっかけになったし、大げさにいうなら自我の確立になったとは思うが、実は井の中の蛙で天狗になっていただけだった。
有頂天もつかの間、強豪には通用せず、無理がたたって高2で故障して投手を断念。野球はやむなく10年ご無沙汰となり、27才のときに会社で呼び出されて出たニューヨークの大会でMVPになった。でも高1の自分がそこにいたらMVPは持っていかれた、だってはるかに球は速かったんだから。そんな高1が天狗になったのは仕方ないが、1年であっという間に元の木阿弥だ。こんなみじめな不成功体験を弱冠16才で味わった人はそう多くないだろう。
1年生でエースというのは2年生以上ということで、飛び級なのだ。そんな才能は他には微塵もない。もし勉強で1番になれば、1年でいくら落ちても10番ぐらいだろう。ほかのスポーツだって習い事だって、物事はそう急激にうまくなったり下手になったりということがない。それが激痛で数メートルも投げられず、瞬時にビリになってしまった。鍼や電気治療でも回復しなかった。やむなく痛くない投げ方を見つけたが、何をしても球速は二度と戻らなかった。
そうするうち、恐れていた日がやってきた。背番号1は新エースのN君に渡された。僕は大降格の14である。2番手投手は10だがそれは意味がある。新人で1をもらったとき、それをユニホームの背中に縫いながら母親が喜んだのを思いだした。見せるのが嫌で帰宅がずいぶん遅くなって心配された。それを差し出して「カープの外木場投手の背番号だ」と強がったものだが、母は何も言わず縫ってくれた。14は二桁ならどれでもいいよと言われ自分で選んだのだった。
控え投手として投球練習はしていたが、先発は常にエースだ。嫌な記憶として消されたのだろうかあまり登板した覚えがない。かすかに残っているのは、センターからノーバンのストライクで二塁走者をホームで刺したのと、ライトを守っていてエースが不調であり、監督が肩を温めろとベンチ前でぐるぐる腕を回してリリーフに立たされたぐらいであり、その結果も相手校も忘れてる。快速球左腕に2安打完封された聖学院戦では代打でセンターオーバーの3塁打も打ったが、甲子園常連組の日大一高戦の代打では一ゴロ併殺打だった。
年が明けてだから3月あたりだったか、1年ぶりに長くマウンドに立つ試合があった。墨田工業戦だ。エースが乱調でいきなり3点取られ、1回無死満塁を残したところでリリーフのお呼びがかかった。冬に走りこんで復調の兆しはあり、ピンチは切り抜けて9回までゼロに封じたが、ついに相手がベンチ前で円陣を組み、監督の「いいか、あのピッチャー、コントロールいいからな云々」が聞こえた。確かにこの試合、新企画のセットポジションで投げ、外角低めがビタビタ決まりあまり打たれなかったが、こっちが審判を出しており外角はちょっと甘めだった気がしたから実力かどうかはわからなかった。
ということで試合はそのまんま何も起きずに3-0で負けたが、投手は投手の世界があってとても満足していた。試合終了後に水道で頭を冷やしていると相手チームがナイスピッチングと声をかけてくれた。彼らは打席で僕の球を見ている。物凄く嬉しかった。これがあって数日、何を考え何がどうだったかはすっかり忘れているが、僕はその後の人生にまで影響する重大な決断を下していた。部室で全員の前で「野球部を辞める」と宣言したのだ。東大に入りたいから勉強すると理由を述べたから誰も声はなかったが、1年下のH君だけが墨田工業戦は実質は完封だったという理由で反対した。いまもありがとうと思っている。有終の美にしたかったわけではないが、1年ぶりの好投だったあの試合がなければ高校野球とお別れするふんぎりがついたかどうかわからない。
二度あることは三度あるだ。ニューヨークでまたあった。軟式だが元プロや六大学もいる45チーム参加のトーナメントで全試合投げて準決勝まで行った。3位決定戦で元巨人、早実が主力のチームに完投し4-2で負けたが記録を見ると被安打2だった。3球勝負で早実の4番が見逃した球は米国人の主審が派手なストライクコールをくれ、打者が即ベンチに向かう人生最高の外角低めストレートだった。ああ終わったなとネット裏でひとりぼーっとしていたら、優勝チームの捕手の方がこられ「あの試合(準決勝)、肩痛かったよね?」ときかれ「ああ、はい」とうなづくと、「今日の出来だったらウチも危なかったよ」とだけ言ってたち去られ、涙が出るほど感動した。人生最後のマウンドだった。これができたのも、硬式野球最後の試合の残像が最高だったから自信が残っていたと思っている。みんなに迷惑をかけたが恩返しになったろうか。
墨田工業は今の校名は墨田工科高校だが、あれ以来、毎年夏は気にしている。するとどうだ、今年の東東京大会2回戦でなんと母校・九段中等と対戦になり、127校あるうちでの顔合わせには因縁を感じてしまった。惜しくも7-6で母校は敗退し、墨田工科も3回戦で日体大荏原に8-0で負けた。荏原は淑徳に3-1で負け、淑徳は帝京に10-0で負け、帝京は東京に13-3で勝ったが決勝で関東一に8-5で負けた。そしていよいよ明日から甲子園大会だが、その関東一は友人のご子息がセカンドを守る北陸高校と12日の第4試合で対戦が決まった。これも奇縁だ。
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フルトヴェングラーとチェリビダッケ
2024 AUG 4 6:06:24 am by 東 賢太郎
チェリビダッケ(1912 – 1996)はこう語った。
カーチス音楽院で出くわしたチェリビダッケは宇宙の真相を説くおっかない司祭みたいだった。ただ、巷のイメージである毒舌の独裁者であったのは学生オケのプローベだけで、壇上での一人語りの講義をする姿は真実、真相への敬虔な求道者だった。初めて来日した折、読響で「チューニングだけに数十分要した」と伝説になりいちいちwikipediaに記載される。それは、そういう処(国)だからこそそうなったということを理解しないと司祭の言説は辛辣なだけのアフォリズムに聞こえる危険があるだろう。カーチスで何時間も見た感じからすると、それは狂った調弦で宇宙の真相を説くナンセンスを説いたのであって、サッカー界の哲人だった日本代表監督イビチャ・オシムが「走るサッカー」なるくだらない記者の質問に「サッカーで走るのは当たり前だろ」と切り返したに似るのではないか。
これも巷のイメージだが、アポロ的な明晰を要求するチェリビダッケがなぜディオニソス的に思えるフルトヴェングラー(1886 – 1954)を崇拝したかが一見するとわからない。その対比は近代ドイツの美学思想のど真ん中にいたニーチェの、これもドイツ哲学由来の二項対立であり、その論法を哲学に疎い人が「フルトヴェングラーがベートーベンとワーグナーを共に賛美したのはなぜか」と考察するような場面でディオニソス的要素という言葉を用いるなら、それは知性を欠く記者の「走るサッカー」並の皮相のアナロジーである。フルトヴェングラーの父親はミュンヘン大学の考古学教授で古代ギリシア学の草分け的な学者だ。グレコ・ローマン文化にも深い造詣を持つに至った息子は、若い頃のフィレンツェ滞在でミケランジェロの彫刻に圧倒され、ニーチェ流にはアポロ的に分類される要素が色濃くある(くどいようだが、あまり意味はない)。先の稿で書いたブラームス、ワーグナーのマグマが噴き出るような鳴動は、あくまで彼の直感だろうが、ギリシャ神殿や彫刻のごとき数学的(幾何学的)均整が隠れている。チェリビダッケの感性に訴えるものがあったのだろう。蓋し、両者の音楽の根底には「宇宙の真相」に触れんとするものこそがあったのであり、我々も宇宙の一部であるから当然至極に共鳴してしまっている。そこに至る両者の膨大な知識と教養が二人なりの個性の中でバランスした結果であり、いとも自然にそれが成し遂げられているように思えるのは、彼らが巨匠や大指揮者であるからではなく哲学者であり、宇宙の真相は常にひとつしかないからだ。
カーチス音楽院でプローベがあったのはドビッシーの管弦楽のための映像から第2曲「イベリア」だ。オケはそこそこ仕上がっているかなと見えた。それがどんな風だったかというと、その4年前(1980年)の録音があった。どうにも言葉にはならないが、まさにこのテンポであり、「祭りの日の朝」(Le matin d’un jour de fête)のトロンボーンのトリオのppの難しい和声がひっかかりストップ。オケを止めて3人だけで吹けと数回やり直したがだめ、さらに起立して吹かされてもだめ。なぜできないんだと怒りだし、ついに、楽器を置いてあーと声で歌わされ、それだ、できるじゃないかとなった。全員がまだティーンの子たちだ。これを目のあたりにして満座が凍りついてしまう。がらんとした客席の前から3列目ぐらいでぽつんと一人だけ、チェリビダッケの右側すぐ後ろで聴いていた僕も、ステージの下手から登場しざまにおまえは誰だと言わんばかりに睨みつけられていたので何か言われるんじゃないかと凍った。弦がぐんぐん良くなったのはそれからだ。薄い和声が馥郁たる絹のカーテンみたいになった。高音のクラリネットソロのところに来てひやひやしたが見事に一回でクリアだった(中国人奏者だったと記憶する、いい度胸だ)。全奏の終結は、オーケストラはこんな凄い音がするのかと頭がくらくらした初めての経験だった。
この精妙で魔法のようなリズムと音色がどうやって産み出されたか、明かすべからざる秘密を見てしまった感じがする。あれはおそらく真相に迫るための彼の最良の方法であり、学生相手ならできようがベルリン・フィルでやれば反発を買うのは納得だ。楽員は同じ結果を得られるならドイツ精神を発揚させてくれるフルトヴェングラーの方法論を好んだのだろう。あのぴりぴりするプローベから生まれたカーネギー・ホールでの本番がどうなったのだろうと気になっていたら、ニューヨークの著名な音楽評論家ジョン・ロックウェルが
いままで25年間ニューヨークで聴いたコンサートで最高のものだった。しかも、それが学生オーケストラによる演奏会だったとは!
とのコラムを掲載したのを後に知った。これはそのへんの聴衆の評価ではない、ニューヨーク・フィルはもちろんのこと世界のトップ中のトップの指揮者、オーケストラが登場し、しのぎを削るあの都市で評論で飯を食ってるプロの評価である。かように、何事もプロであれアマであれ、「宇宙の真相」に迫らんとする者は救われる。しかし、日本でこんな評価を下せる評論家がいるだろうか?
PS
その時のことだ。
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三島の「憂国」と「トリスタン」の関係
2024 JUL 28 0:00:50 am by 東 賢太郎
次女が来たので寿司でも行くかと玉川高島屋に寄った。高校に上がった時にこのデパートができてね、田舎の河原で玉電の操車場だったこのあたりが一気に開けてニコタマになったんだ。鶴川からおばあちゃん運転の車で家族で食事に来てね、おじいちゃんに入学祝いに買ってもらったのがあのギターなんだよ。しっかりした楽器でね、今でもいい音が鳴るだろ。
こういうことはつとめて言っておかないと消えてしまう懸念がある。寿司屋の階にロイズという英国のアンティーク店があり、帰りにふらっと入ってみる。イタリアのランプや書棚など、あれとあれね、いくつかここで衝動買いしてるだろ、でも基本はお父さんはアメリカのドレクセル・ヘリテイジ派なんだ、書斎の革張りの両袖デスクもランプも、どっしりしたの20年も使ってるでしょ。
そう言いながらこのアメリカとイタリアにまたがる根本的に矛盾したテーストが何かというと、生来のものなのか、16年の西洋暮らしの結果なのかはとんと区別がつかなくなっている自分に気づくのである。実際、自覚した答えには今もって至っていないが、おそらく生まれつき両方があり、本来は別々のものだが、長い人生であれこれ見ているうちに互いの対立が解けてこうなったのだろうと想像は及ぶ。それを静的な融合と見るか動的な発展と見るか、はたまたそんなものは言葉の遊びでどっちでもいいじゃないかと思考を停止してしまうかだが、それだとドイツ人の哲学は永遠にわからない。となるとベートーベンの音楽の感動がどこからやってくるかもわからないのである。
さように自分が何かと考えると、三島由紀夫の「詩が一番、次が戯曲で、小説は告白に向かない、嘘だから」を思い出す。この言葉は啓示的だ。そのいずれによっても告白する能力がない僕の場合、告白が表せるのは批評(critic)においてだ。その技巧ではなく精神を言っているが、これは自分を自分たらしめた最も根源的な力であろう。しかも、最も辛辣な批評の対象は常に自分であって情け容赦ないから、学業も運動も趣味も独学(self-teaching)が最も効率的だったのだ。しかしteacherである自分が元来アメリカ派なのかイタリア派なのか迷うといけない。そのteacherを劣悪であると批評する自分が現れるからだ。だから、僕においては、言葉の遊びでどっちでもいいじゃないかと思考を停止することはあり得ず、やむなく弁証法的な人間として生きてくる面倒な羽目に陥っており、そのかわりそれは動的な発展であり進化であると無理やり思っているふしがある。
詩が一番。これは賛同する。40年近く前になるが、高台の上に聳えるアテネのパルテノン神殿に初めて登って、太いエンタシスの柱廊の間をぬって8月の強い陽ざしを浴びた刹那、西脇順三郎が昭和8年に発表したシュルレアリスム詩集「Ambarvalia」冒頭の著名な「天気」という詩、
(覆された宝石)のやうな朝
何人か戸口にて誰かとさゝやく
それは神の生誕の日。
がまったく不意に電気のように脳裏を走ったのを思い出す。高校の教科書にあったこれが好きだった。覆された宝石はジョン・キーツの「like an upturn’d gem」からとったと西脇が認めているらしく、それでも()で括ってぎゅっと閉じた空間の鮮烈は眼に焼きつく。ひっくり返された宝石箱、誰かも何語かも知れぬ言葉のざわめき、色と光と音の渾沌と無秩序が「それは神の生誕の日」の句によって “なにやら聖なるもの” に瞬時に一変する万華鏡の如し。回して覗くとオブジェがぴたりと静止し、あたかも何万年も前からそういう造形美が絶対の権威をもってこの世に普遍的に存在していたではないかの如くふるまう、それを言語で成し遂げているのは見事でしかない。神といいながら宗教の陰はまるでない(少なくとも高校時代にはそう読んだ)。それは無宗教とされて誰からも異存の出ない日本という風土の中でのふわふわした神なのだが、キリスト教徒やイスラム教徒はそうは読まないだろう。それでいいのだ、彼らは日本語でこの詩を読まないから。
作者はこれを「ギリシヤ的抒情詩」と呼んだが、確かにアテネのちょっと埃っぽい乾いた空気に似つかわしいのだが、僕にはすぐれて叙事的に思える。であるゆえに、この詩の創造過程に万が一にも多少の噓の要素があったとしても、できあがって独り歩きを始めた詩に噓はないと確信できるのだ。
フルトヴェングラーは語る。バッハは単一主題の作曲家である。悲劇的な主題を創造したがそれは叙事的であり、曲中でシェークスピアの人物の如く変化する主題を初めて使ったのはハイドン、進化させたのはベートーベンとしている(「音楽を語る」52頁)。そこでは二つの主題が互いに感じあい、啓発しあって二項対立の弁証法的発展を遂げ、曲はそうした “部分” から “全体” が形成される。これはドラマティックな方法ではあるが、ドラマ(悲劇)による悲惨な結末がもたらす、即ちアリストテレスのいう「悲劇的浄化」ほどの効果は純音楽からは得られないから悲劇的結末を持つ「トリスタン」「神々の黄昏」のような音楽作品は “楽劇” である必要があると説くのである。
これは音楽は言葉に従属すべきでないと述べたモーツァルトの思想とは正反対であって、長らく彼を至高の存在として信奉してきた僕には些かショッキングな言説であった。だが矛盾はないのだ。なぜならワーグナーの楽劇という思想は彼でなくベートーベンから生まれたからである。単一主題の作曲家といってもバッハの曲ではあらゆる発展の可能性が主題自身に含まれており、フーガの場合のように対旋律を置いているときでさえもすべてが同じ広がりの流れで示され、断固とした徹底さをもって予定された道を進んでいく。ベートーベンにそれはなく、複数ある主題の対立と融合とから初めて曲が発展している、そして、そのように作られた第九交響曲の音楽にふさわしいシラーの詩を後から見つけてきたことで、モーツァルトから遊離もないのである。
明治25年生まれの芥川龍之介はクラシックのレコードを所有しており、それで幼時からストラヴィンスキーの火の鳥やペトルーシュカを聴いて育った三男の也寸
志は作曲家になった。三島由紀夫は三代続けて東大法学部という家系でみな役人になったのだから文学者にあまり似つかわしくはない。彼はニューヨーク滞在歴はあるが留学はしておらず、にもかかわらず、録音が残るその英語は非常に達者だ。内外に関わらず言語というものに精通し、図抜けて回転が速く記憶力に秀でた知性の人が、自己の論理回路に子細な神経を通わせてこそ到達できるレベルだ。音楽については「触れてくる芸術」として嫌い、音楽愛好家はマゾヒストであるとまで言ったのでどこまで精通したのかは不明だがそうであって不思議はなく、少なくともトリスタンは愛好したとされている。
なぜだろう。トリスタンとイゾルデは運命においては敵同士という二項対立であり、それが媚薬で惹かれあって生々流転の宿命をたどり、最後は二人ともに死を迎える。ドラマとしてはロメオとジュリエット同様に紛れもない悲劇なのだが、音楽がカルメンやボエームのように短調の悲痛な響きによってこれは悲劇だと告知することは一切ない。それどころか、先に逝ったトリスタンの傍らでイゾルデは長調である「愛の死(Isoldes Libestot)」を朗々と歌い上げ、至高の喜び!(hoechste Lust!)の言葉で全曲を感動的に締めくり、トリスタンに重なるように倒れ、息を引き取るのである。すなわち、生と死という二項対立が愛(Liebe)によって「悲劇的浄化」を遂げ、苦痛が喜びに変容し、二人は永遠の合一を許されたのである。
永遠の合一。この楽劇の揺るぎないテーマはそれである。歌劇場で客席について息をひそめるや、暗闇からうっすらと漏れきこえる前奏曲(Vorspiel)は、まさに艶めかしい ”濡れ場” の描写だ。それはこの楽劇が叙情的(lyrical)なお伽噺ではなく、すぐれて叙事的(narrative)であり、それまでの歌劇のいかなる観念にも属さぬという断固たる宣誓だ。演劇でいうならシラーを唯物論化したブレヒトを予見するものであり、映画なら冒頭の濡れ場が「愛の死」のクライマックスで聴衆の意識下でフラッシュバック (flashback) する現代性すら暗示する。その写実性が作曲時に進行中だったマティルデ・ヴェーゼンドンクとの不倫に由来するのは言うまでもないが、それを写実にできぬ抑圧から、既存の音楽のいかなる観念にも属さぬ「解決しない和声」という、これまた現代性を纏わせた。
これがヒントになったかどうか、定かなことは知らぬが、三島が二・二六事件を舞台に書いた「憂国」の青年将校武山信二と麗子はトリスタンとイゾルデであり、その含意は「潮騒」の久保新治と宮田初江いう無垢な男女がダフニスとクロエである寓意とは様相が大いに異なる。自身が監督、信二役で映画化した「憂国」はむしろ乃木希典将軍夫妻を思わせるのだが、将軍は明治天皇を追っての殉死、信二夫妻は賊軍にされた友への忠義の自決であり、今の世では不条理に感じるのはどちらも妻が後を追ったことだ。庶民はともかく国を背負う軍人にとって殉死も忠義も夫婦一体が道理の時代だったのだが、それにしても気の毒と思う。まして西洋人女性のイゾルデにそれはあるはずもなかったのに、やはり後を追っている。こちらは殉死でも忠義でもなく「愛」の死が彼女を動かした道理だったのであり、それがトリスタンが苦痛のない顔をして逝ったわけであり、二人が永遠の合一という至高の喜びへ至るプロセスだというドラマなのだ。「潮騒」にもダフニスとクロエにも命をも賭す道理というものはないが、憂国とトリスタンには彼我の差はあれど道理の支配という共通項は認められるのである。
三島は団藤重光教授による刑事訴訟法講義の「徹底した論理の進行」に魅惑されたという。わかる気がする。その文体は一見きらびやかで豊穣に見え、英語と同様に非常にうまいと思うわけだが、根っこに無駄と卑俗を嫌悪する東大法学部生っぽいものを感じる。あの学校の古色蒼然たる法文1号館25番教室は当時も今も同じであり、彼はどうしても等身大の平岡公威(きみたけ)氏と思ってしまう。虚弱でいじめられ、運動は苦手で兵役審査も並以下であり、強いコンプレックスのあった肉体を鍛錬で改造し、あらまほしき屈強の「三島由紀夫」という人物を演じた役者だったのではないかと。彼は蓋しイゾルデよりもっと死ぬ必要はなかったが、名優たりえぬ限界を悟ったことへの切々たる自己批評(critic)精神とノブレス・オブリージュ(noblesse oblige)を原動力とした自負心から、彼だけにとっての道理があったのではないか。そこで渾身の筆で自ら書き下ろした三島由紀夫主演の台本。その最後のページに至って、もはや愛と死は肉体から遊離して快楽も恐怖もなく客体化されており、そこにはただ「切腹」という文字だけが書いてあったのではないかと思えてならない。
もし彼が生きていたら、腐臭漂うと描写してすら陳腐に陥るほど劣化すさまじい、とてつもない場末で上映されている西部劇にも悖る安手の “劇場” と化した現在の暗憺たる世界の様相をどう描いたのだろう。間違いなく何者かの策略で撃ち殺され亡き者になっていたはずのドナルド・トランプ氏が、何の手違いか奇跡のごとく魔の手を逃れ、あれは神のご加護だったのだとされる。そうであって一向に構わないが、西脇順三郎が描いた、あたかも何万年も前からそういう造形美が絶対の権威をもってこの世に普遍的に存在していたと思わせてくれるような神の光臨、それを目のあたりにする奇跡というものを描けて賛美された時代はもう戻ってきそうもない。
いま地球は一神教であるグローバル教によって空が赤く、血の色に染め上げられている。それが昔ながらのブルーだと嘘の布教をする腐敗したメディアが巧妙にヴィジュアルに訴求する画像を撒き散らし、世界のテレビ受像機、スマホ、パソコンの類いを日々覗いている何十億人の者たちはその洗脳戦略によって空はいまだ青いと信じさせられており、その残像に脳を支配されている。誰かが耐えきれず「空は赤いぞ」と言えば「王様の耳はロバの耳」になってその者がyoutube等のオンラインメディアで私的に主催する番組が強制的にバン(閉鎖)されたりするのである。これが顕在化した契機は2020年のアメリカ大統領選におけるトランプ候補の言論封殺であった。政治とメディアがグルになった超法規的な言論統制が公然と行われたことからも、あの選挙がいかに操作されたものだったかが類推されよう。オンラインでの商売をするGAFAが必然とする越境ビジネスで各国の税務当局と徴税権を争った訴訟を想起されたい。これはB29が高射砲の届かぬ高度での飛行能力を得ることで安全に楽々と原爆を投下できたようなものだ。グローバル教の本質は各国の刑法も刑事訴訟法も裁けぬ強姦である。AIが越境洗脳の基幹ツールであり、生成AI半導体を牛耳るエヌビディアがあっという間に3兆ドルと世界一の株式時価総額(日本のGDPの8割)に躍り出たのはそのためだ。団藤重光教授の刑事訴訟法講義に啓発された三島はこれをどう評しただろう。かような指摘が陰謀論でなく確たる事実であると語れるのは、僕がグローバル教の総本山のひとつである米国のビジネススクールで骨の髄まで教育されているからなのだ。だから、経済的なことばかりを言えば、僕はフィラデルフィア、ニューヨークに根を張るその流派の思想に何の違和感もなく唱和、融和でき、現にそれが運用益をあげるという現世享楽的なエピキュリアンな結末を長らく享受している。日本の運命は商売には関係なく、独語でいい言葉があるがザッハリヒ(sachlich、事務的、即物的)に行動すれば食うのに何も困らない。
しかし僕は金もうけのためにこの世に生を受けた人間ではない。そこで「生来のものなのか、16年の西洋暮らしの結果なのかはとんと区別がつかなくなっている自分」という冒頭に提示した批評が内でむくむくと頭をもたげるのだ。渋沢栄一と袂を分かって伊藤ら長州のクーデターに組した先祖、天皇を奉じて陸軍で国を護ろうとした先祖、誰かは知らぬが京都の公卿だった先祖、そうした自分に脈々と流れる血は畢竟だれも争えないものなのであり、家康につながる父方祖母の濃い影響下で幼時をすごした三島の意識下の精神と共鳴はありそうにないと感じる。断固たる反一神教なら徳川時代の鎖国に戻るしかなく、むしろ国を滅ぼす。外務省がやってるふりを装おう賢明な妥協を探る努力は解がないのだから永遠に成就しない「アキレスと亀」であって、いっぽうで、学問習得の履歴からして賢明ですらない現在の政治家がグローバル教の手先になって進める世界同質化は国の滅亡を加速する。異質を堂々と宣言して共存による存在価値を世界に認めてもらうのが唯一の道であり、それを進めるベースは直接にせよ間接にせよ核保有しかない。非核三原則修正で米国の原潜を買うか、少なくとも借りれば必要条件は満たすからトランプとディールに持ち込むべきであり、9月の自民党総裁選はその交渉能力と腹のある人が選ばれないと国の存亡に関わる。くだらない政局でポストを回すなら紛れもない国賊としてまず自民党が潰されるべきである。
これまで何度も、メディアが撒き散す画像が虚偽であり、その戦略の源泉は共産主義に発し、ロシア革命を成功させたがソ連という国を滅ぼし、ギー・ドゥボー
ルが卓越した著書「スペクタクルの社会」に活写したそれそのものであり、米国大統領、日本国首相は紙人形より軽いパペットでよく、むしろ神輿は軽めが好都合でさえあることを書いてきた。バイデンが賞味期限切れだ。「あたしがクビならうちのカミさんでいかがですか」とコロンボ刑事ならジョークを飛ばしそうだが、まじめな顔で “劇場” がバイデン夫人、オバマ夫人が民主党候補と世界に流すともっともらしいスペクタクルに化ける。そうなったかどうかではなく、それを現象として観察すべきなのだ。東京都知事ごときはうちのカミさんどころか “ゆるキャラ” でよく、すでにメディアの祭り上げで知名度だけはポケモン並みである小池氏においては、教養と知性の欠如が露見してしまう選挙期間中の露出や討論など有害無益と判断されたのだろう。いや、ひょっとすると、ワタクシ小池百合子は一神教の教祖様と市区町村長に強く請われて出馬してるんです、あんたら賤民の支持率なんて岸田さんと一緒で0%でよござんす、それより妙なことをおっしゃると「王様の耳はロバの耳」で厳罰に処されますわよ、青い空を赤と言ったりできないのが日本の常識ですわよね2年前の7月8日からオホホ、という新演出のスペクタクルを都民は見せられたやもしれぬ。うむむ、なんという奇っ怪、面妖な。
欧州各国では葦が「王様の耳はロバの耳」とつぶやき出して政権のバランスが激変してきている。イランでは王様が嫌がる政権が誕生した。トランプになれば・・・そう願うが敵もさるものだ。何といっても、4年前、僕も目撃した歴史的放送事故があった。テレビだったかオンライン番組だったか、バイデンが「我々は過去に類のない大規模な投票偽装の仕組みを既に用意している!」と力こぶをこめ、当選に自信のほどをぶちあげてしまったのだ。TPOを誤解してたんだね、気の毒だねと認知症が全米にバレた。そのバイデンを本当に当選させてしまった奇術師の如き連中だ、今回はどんな出し物が登場するか知れたものではない。そうなればなったで一市民は無力である。株も為替も動くから僕は経済的なことに徹してポジションを最適化するだけだ。「王様の耳はロバの耳」。日本の多くの葦たちが唱和するしか日本を救う道はない。かっぱらいと万引きと、どっちが罪が軽いですかというお笑いイベントになってしまった都知事選、本来なら投票率は激減だったはずがアップさせた石丸氏の健闘は一服の清涼剤ではあった(僕も投票した)。
「トリスタンとイゾルデ」に戻ろう。この音楽については既稿に譲るが、ここでは「憂国」に即して前奏曲と愛の死につき、これがセクシャルな観点で女性には申し分けないが想像を逞しくしてもらうしかないものであることにもう一度触れよう。ブラームスやブルックナーのような奥手な男にこういう皮膚感覚とマグマに満ちた音楽は書けないのである。ワーグナーはイケメンでもマッチョでもないが女性にもてた、これがなぜか、これは逆に男には不明だが、くどいほど雄弁で押しが強い大変なフェロモンのある男だったのだろう。
前奏曲のピアノ・リダクションで、音量が1小節目の ff から2小節目のmeno f(あまり強くなく)にふっと落ち、第1,2ヴァイオリンの波打つような上昇音型が交差する部分だ。ここで官能のスイッチが切り替わる。そして徐々に、延々と、フィニッシュの極点(ff)に向けて激していく。
ここの曲想の質的な変化に非常に官能的に反応しているのがカラヤン/BPOだ。こういう感覚的な読みができるのがこの人の強みで、人気は決して伊達ではない。それを5年前にはこんな婉曲な方法で書いた自分もまだまだであった。
menofでホルン(f)をやや抑えて、弦の音色を柔らかく変化させ絶妙の味を醸し出しているのが7か月後に世を去ることになるフルトヴェングラー/BPOの1954年4月27日のDG盤(前奏曲と愛の死)だ。この部分から身も世もないほど激して一直線に昇りつめるのではなく(それは楽譜から明らかに誤りだ)、潮の満ち干のごとく押しては引き、内側から渦を巻いてぐんぐん熱を帯び、秘められた論理構造に添って目くるめく高みに労せずして達していくという大人の音楽が聴ける。コンサートのライブであり愛の死に歌がないのが残念だが、頂点に至っての命がけのテンポ伸縮を聴けばそんな不満は吹っ飛んでしまう。もうフルトヴェングラーの秘芸とでも形容するしか言葉が見つからないトレジャーだ。
クナッパーツブッシュ盤はウィーン・フィルとの王道の横綱相撲で、黄泉の国から立ち上がるようにひっそり始まる曲頭のチェロの a音などぞくぞくものだ。ただ楽譜2小節目のmenofはほぼ無視で音色も変えず、ひたすらぐいぐい高揚してしまうのは大いに欲求不満に陥る。しかしこの演奏、愛の死に至ると様相は一変するからここに書かざるを得ない。一世を風靡したビルギット・二ルソンは贅沢な御託を垂れれば立派すぎて死の暗示に幾分欠ける(その点はライブで聴いたレナータ・スコットとヒルデガルト・ベーレンスが忘れられない)。だが、ないものねだりはよそう。圧倒的な歌唱はもう泣く子も黙るしかなく、指揮と歌が一体となって頂点に血を吹いたように燃えるこれを聴かずしてワーグナーを語らないでくれ、こんな成仏ができるなら「悲劇的浄化」もなにもいらない。音楽は麻薬だ。トリスタンとイゾルデは彼の芸術の最高峰であり、全曲完成後に「リヒャルト、お前は悪魔の申し子だ!」と叫んだワーグナーも、これを聴いて自分の中に棲む魔物に気づいたんじゃないか。三島がそれを見てしまった演奏は誰のだったんだろう?
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僕の愛聴盤(6)フルトヴェングラーのブラームス1番
2024 JUL 23 22:22:29 pm by 東 賢太郎
数えるとブラームスの第1交響曲は棚に105種類ある。各5回は聴いており500時間で20日。ブラームスの交響曲4つで80日、つまり寝ずに飯も食わずにぶっ続けで3か月相当。同じぐらいハマった作曲家10人でトータル2.5年。15歳から真剣にきき始めたから実働54年、起きている時間が4分の3として少なくとも40年の6.25%をクラシックに充てた物証だ。1日1.5時間に当たる。高校時代、野球の部活が3時間、通学に往復3時間。勉強は本当に二の次だった。
そこまで洋物好きというのはもう嗜みや趣味ではない。何かある。魂は何度も輪廻してるらしいので、前世、地球のそっちの方角にいたことがあると信じている。実際に欧米に16年いて違和感なかったし、仕事も洋物、子供3人は日本生まれでない。日本が大好きなのは父母と家族が日本人だからである。他には音楽ならユーミンとHiFiセットだけ、あとは特定の和食と日本猫ぐらいだ。
クラシックで初めて魂を揺さぶられたのは?好んだのはブーレーズのレコードだが、それは音響の快楽でロックに近い。魂の奥底まで深く届いたのはブラームスの第1交響曲、フルトヴェングラーのレコードであった。1番を初めてきいたのは高2で買ったミュンシュ/パリ管だった。次いでカラヤン/ウィーン・フィルの話題の千円盤、ベイヌム/コンセルトヘボウ、ワルター/コロンビア響の順で、どれも名盤の誉れ高く選択は順当だったはずだが、いまいち心に響かなかった。
5枚目のフルトヴェングラー盤を買ったのは1976年6月2日だから大学2年だ。レコ芸が激賞していたからであり、これでだめならブラームスに縁がないという気持ちだった。
その現物がこれだ。
参りました。もう脳天をぶち抜かれたというか、そうだったのか、これがブラームス1番だったのかと世界観まで変わった。ここから1~4番の深みにはまっていきそのレコード、CDだけで400枚蒐集する羽目になってしまう。おまけの効果で、4曲がリトマス試験紙になって多くの指揮者の個性もわかるようになった。
フルトヴェングラーの音楽は造り物でない。彼が喜ばせたいのは自分で、自分にウソをつく者はない。だから何度振っても、ホールの事情やオーケストラという人間集団なりの成果の良し悪しはあるものの、基本は同じだ。では彼がブラームスの大家と思うかというと、2番、3番は全く駄目である。僕の魂には響かないというだけのことではあるが、こちらも造り物がない素の人間であり、その2曲ではそりが全然合わない。
そういうものを一概に「哲学」と呼べば哲学者に失礼だが他に言葉がない。フルトヴェングラーは作曲家として評価されたいと願っていた指揮もする哲学者である。その含意は一般に「真理を追究する人」であるが、宗教、科学にあらず真理が特定できない芸術というものにおいては、その究極は自分でしかない。自分の中に “客体化した真理” を見出し、それが大衆の役にも立つと信じて実証できる者だけが芸術家になれる。その場の効果を弄して大衆受けを追求する者はタキシードを着たピエロである。
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野球が男の闘いであることを見た試合
2024 JUL 19 22:22:48 pm by 東 賢太郎
野球というのはスポーツであるが、いろんな人間ドラマがある。僕はガス欠気味のカープの打者がいい球をすんなり見逃したり悪球につられて凡フライだったりすると真面目に怒ってるし、キャッチャーのサインやコースがやばいと思った瞬間にホームランだったりするとこの馬鹿野郎と本気で怒鳴ってる。他人事なのだけど、ここぞは大事だ絶対勝てというのが体に染みついてる。だからパブロフの犬みたいに反射してしまうのだ。
先日7月17日、ハマスタでの横浜DeNA戦、相手は8連勝中のエース東であり、こっちは森下とはいえ左に激貧のカープ打線だからなんとなく分が悪そうだ。解説によると小園だけは東を8割も打っており(この日も2安打)、ならば他の奴は小園の爪の垢でも煎じて飲めと思うのだがやっぱり打てない。カープの貧打というのは伝統のお家芸で50年前から抗体ができてはいるが、丸、鈴木誠也、バティスタというOPS1.0の超絶クリーンアップ時代もあったからストレスがたまる。
0-0のまま投手戦で迎えた6回の表。9番会沢が三ゴロ、1番秋山が遊直であっさり二死。この軽いタッチが何とも頼りない。すると、そういわんばかりに森下が早々にベンチ前でキャッチボールを始めた。2,3番は矢野、上本。長打なしで点は入らんな。僕も思ったが彼も思ったんだろうね、3割打者だからね、野手といえど上から目線で見ていても失礼じゃない、結果ありきのプロだから。
その裏だ。森下の球がやや浮き始める。3安打され、二死満塁で渡会を迎えた。この新人、立派というか態度が微妙にでかい。開幕戦でホームランを打ってカープをなめてる感じでありどうもいけ好かない。森下もこの野郎、図に乗るんじゃねえぞと思ってるだろう。球速が上がる。高めストレートでファウルで粘られたが、最後はインローでなすすべなしの空振り三振にねじ伏せて格の差をみせつけた。いやあ痛快だ、森下君、狙ったね、男だね。
これは次なるドラマへの序章だった。チェンジで7回表だ。上本、小園のヒットとエラーで無死二三塁の大チャンス。ところが野間、菊池がタッチアップもできない外野フライであっさりツーアウト。がっくりだ。ここで開幕から欠場だった7番シャイナー君である。ちょっといい人すぎに見えるおとなし目の男だ。DeNAはコーチがマウンドに行く。8番は森下だ。代打の切り札・松山は左だ。であるのに東は敬遠せず勝負に出た。シャイナーはナメられたのである。森下の気迫の奪三振を一塁で見て気合も入っていただろう、二球目の高めストレートをバックスクリーン左に会心のホームランを叩きこんだ。
3-0でカープの完封勝ち。若者の皆さん、長い人生、こうやってここぞで負けちゃいけない時が誰でもある。そこで勝つかどうかはでかいですよ。
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浄真寺の盂蘭盆会大法要で考えた日ユ同祖論
2024 JUL 15 10:10:09 am by 東 賢太郎
九品仏の浄真寺前にある歯科医で検診をしてもらった。昼前で天気も良い。帰り際にふらっと寺の参道に足が向いたが、こんなことは僕の場合めったにない。門のところに猫が何匹か住みついており、暑いのにどうしてるか気になったぐらいのものだが、せっかくだから本堂の阿弥陀様にお参りしようという気になった。この寺は奥沢城の跡地に1678年に創建され、東京の寺社としては異例の広さで敷地面積は12万㎡(約350m四方換算)ある。黒柳徹子さんが子供の頃に遊んだ池はこの北側だったと思うが、もう影も形もない。奥沢城だったころ、我が家に近い古墳に建っている源氏ゆかりの宇佐神社あたりから田園調布双葉学園まで多摩川の流れが来ていて、坂下で武器を荷揚げして馬で城まで運んだという。神社下の寺は1316年あたりに創建でけっこう古く、そこの僧侶の寮があったことから寮の坂と呼ばれている。この辺を歩いてるとずいぶん浮世離れしていて東京という感じがしない。だから都知事選も実感はなく、あまり関係ないから誰が知事だろうがいい。あるのは田舎もんが東京をいじるなという三代江戸っ子の郷土愛と性格からくる好き嫌いで、「あいつは駄目」だけだ。
浄真寺は名刹であり正月は人でごったがえすが、この日は様変わりの静けさである。なかなかいいものだ。それほど暑気もなく緑豊かで空気はうまく、九品の阿弥陀如来に手を合わせてから薄暗い本堂の裏手まで入ってみた。日々ビジネスでざわついた心が根をはったように落ち着いてくる。天然記念物に指定されている古木の大銀杏から足元の草花まで目をやりながら境内をゆったり歩く。亀より遅いこんな歩みは平素することがなく、見るものすべてを鮮やかにする。
さて帰ろうかと駅に向かう、すると、”うら盆法要” なるものが始まるというアナウンスが境内中に響いて思わず足を止めた。うら盆は先祖の霊を祭るいわゆるお盆であり、原語はサンスクリット語のウッランバナだと説明されていた。こうした外国語の音写は日本文化の遺跡のようなもので大変に興味がある。それもウッランバナは「逆さ吊り」の意味と言っているのが聞こえる。これは看過できない。そういえばここは「おめんかぶり」という念仏行者が浄土・穢土の間にかかる橋を渡る厳かな行事があって、4年ごとにやるらしい。もう何年もまえに観たのだが、8月という真夏の盛りで暑いわ蚊に食われるわで往生もした。それゆえだろうか、気候変動もありという理由で2017年からは5月5日になっており、今年それがあったようだ。仏事にはいたって疎い。法要はどんなものか、とにかく行ってみようと本堂にひき返すことにした。
ほの暗い本堂の中はいくらかひんやりしている。この雰囲気、どこかで味わったなと記憶をめぐらす。そう、タイだ。バンコックのワット・プラケオで薄暗い寺院の中に入るとこんな感じだった。インドからの仏教伝来の道筋が五感を通じて体内でつながった気がする。阿弥陀如来像の前で椅子に腰かける。お顔をしげしげと見上げるとずいぶん大きいものだ。やがてお坊様が現れる。ひとしきり先祖供養の説話があり、いよいよ読経にはいる。まず一人の僧が笙(しょう)を吹く。二度、四度の和声にあれっと思った。雅楽と縁があるのか神仏習合なのか、仏堂で聴く音色は異なるものだ。いよいよお経がソロで始まる。やがてバックの僧侶が唱和すると6人の良く通るユニゾンとなり、時折、分唱となり、天井の高い本堂に響き渡るアコースティックが申し分ない。南無阿弥陀仏を我々4,50人ほどの会衆が10回唱和する場面が3度あり、その末尾は旋律となりa, b♭, d, e♭, fの旋法に聞こえた。終盤は3種の鉦(かね)、大型の木魚が打ち鳴らされリズミックになって加速し、木の葉に見立てた無数のお札が会衆の頭上にひらひらと放たれる。終了すると会衆は並んで焼香を許され、集め置かれた木の葉を頂いて退出となる。約30分の立派なコンサートであった。
ふと予備校の古文の教師が教材を読み解く背景として語った話を思い出した。平安時代、僧が大挙する朝廷の仏事は女房衆がわくわくして心待ちにする一大イベントであり、クライマックスの読経はコーラスアンサンブル、なかでも若いイケメンで声の良い僧侶には今ならキャーという感じで人気殺到だったそうな。女の園で鬱々とする日々。色恋は貴族限りで相手次第。なるほどさもありなんだ。清少納言も紫式部も、才に長け教養あるインテリの女房たちは出世競争には明け暮れたが蓋しおそろしく退屈だったのだろう。その積もり積もった鬱と暇なくしてあんな大作が産まれようもないではないか。
その素地があったから最澄、空海が持ち込んだ密教、すなわち現世利益、来世浄土を説く、小乗仏教に対して些か大衆化した仏教が貴族社会に根づいたと考えると納得だ。密教は開祖の国インドにおいて、大衆受けしてシェアアップしたヒンドゥー教に対抗するため大乗仏教が進化したもののようだが、英語で真言宗はesoteric teachingであり、「限られた者しか理解できない」のだから矛盾がある。その差異は「言語では表現できない仏の悟りを説いたものだから」とされ、我々素人には密教というと曼荼羅など視覚、体感的なもの、ややもすると性的な怪しさが特徴と見えているのだろう。
天皇の官邸である朝廷は本来は神道一本のはずだが、奈良時代から仏教と混交し、のちに法皇という両者がクロスオーバーした不可解な地位までが方便で登場し、しかもそれが天皇の上位概念の権威となって国を左右したわけだ。欧州でも教会が国王の権威付けをした神聖ローマ帝国が出現はしたが、我が国の場合は天皇=神(権威)であり、その上に屋上屋を重ねた神がいるという点で欧州とは全く異なる。神がいくつあっても許容する「八百万の神」を拝む国民性ならではなのである。そう考えると、天皇に神性(絶対的権威)をもたらす神道の礼拝所である神社に「ご神体が見えない」という事実の異様さは際立っていないだろうか。つまり偶像崇拝がない。イスラム教、ユダヤ教のような明文化した禁止令はないかも知れないが、どこに行ってもまず見ないから神像は拝まないのが古来よりの習わしであって、日本流の柔らかな禁止なのだろう。こんな不思議なことに目が慣れてしまうと誰もおかしいと思わなくなるのが理よりも八百万の神を尊ぶ日本人の民族的特性なのだ。神道には開祖もなく聖書のような正典もなく、教典と呼べるものは神話から始まる歴史書の「古事記」や「日本書紀」だけだ。どちらも国の正史だがなぜ二本立てなのか、これもわからない。
もっとわからないのは、(少なくとも)古事記の編纂を命じたのは天武天皇であるのに、奇怪なことに天武朝は皇室の氏寺である泉涌寺の奥の間に掛けられた額で示されている系図からは消されていることだ(クロスオーバー政権の南朝もそうであることを同寺にあげてもらって目撃した)。要はご先祖ではないという天皇家の意思表示である。ではよそ者である天武が書かせた古事記、日本書紀を正史とする「日本国」とは何なのかという極めてファンダメンタルな疑問が生じざるを得ないではないか。つまり日本国といものは、メジャーな例はイスラム教、ユダヤ教しかない「偶像崇拝を禁止する宗教」であって開祖も由来も正典も不明である神道と同じほど “出自不明の国” ということになってしまいかねないのである。これは昔から感じていたことだが、日本人が戦後にGHQのウォー・ギルト・プログラムで教育されるとあっさり八紘一宇を捨て去って一気に自信喪失になってしまったことと無縁でない。ルーツに自信が持てなくなっちまった者と、オレは紀元前に地球を支配する契約を神様と結んだんだぜと平然と豪語する奴らと、ディベートすればまあ大概は負けるだろう。これから世界の趨勢を決める意味で英米の対立軸となるBRICS、グローバル・サウスの面々とやっても負けるだろう。
ルーツは忘れましょう、300万人が命を落とした敗戦がルーツですね、では、「それまでの歴史はなかったことに」で、アメリカさん、NATOさんに身を寄せましょう。岸田総理も真意である風を装ってそれを演じざるを得ず、ある意味で気の毒でもあり、それを見て見ぬふりをしながら野党、評論家、マスコミが政局にして叩く。幸いなことにその悪夢はバイデン政権とともに終わる可能性がある(注)。しかし外務省の外交姿勢がそのままでは永遠の奴隷国であって、やがてローマに食われたカルタゴの運命になる。穢土から浄土へ、日本はどうやって橋を渡るのか、政治家ではなく国民が真剣に考えなくてはならない。
(注)本稿を書いたのはトランプ暗殺未遂事件の前日、7月13日であった
神道の由来を紐解くカギとして、天皇家が重んじる聖地の伊勢神宮がある。その成立は5世紀後半の雄略天皇朝が最有力説で、天武・持統の時代に祭祀の諸制度や社殿が整備されている。この事実は中々興味深い。倭の五王(中国の正史『宋書』だけに登場する倭国の五代の王、「讃・珍・済・興・武」)の武とされ「雄略天皇」と後から諡(おくり名)された人物は誰だったのだろう?5世紀にいまもって世界最大の墳墓である巨大な古墳を築き上げた「讃」こと仁徳天皇とは何者だったのだろう?
雄略天皇が創建した可能性が高い伊勢神宮の参道にずらりと並ぶ石燈籠に現在ではイスラエルの国旗にある六芒星が刻まれているのは有名だ(写真)。伊勢神宮というものが古代より天皇家が参拝し、皇位継承の儀式を行う聖地であること、および、天武天皇が記紀に「武」としか書かなかった人物に由来するものであることの二点を整合的に説明するには「日ユ同祖論」(日本人とユダヤ人は共通の先祖を持つという主張)しかないと僕は考えている。陰謀論で片づける人が多いが、反証できないものを否定するのは科学、数学の教養ある者の態度ではない。
日ユが同祖で伊勢神宮がユダヤ教と関係があるとしてみよう。神社が偶像崇拝しない謎はあっさり氷解する。3世紀に百済より百二十県の人を率いて帰化したと記される弓月君(秦氏)、東漢氏(いくつもの小氏族で構成される複合氏族)など大陸経由で、12支族のうちの10のどれかに属していたユダヤ人が渡来して王権を築き倭の五王となり、自らの信仰の場として伊勢神宮の礎を創建した可能性は否定できない。ここで確認すべきは、一神教のユダヤ教徒が他教を認めることはあり得ないことである。そこで天武の行動を見てみよう。暗殺した蘇我氏が持ち込んだ仏教を信じ、皇后の健康回復を祈って薬師寺を建て、子孫の聖武が奈良に大仏を建立しており、関与した古事記、日本書紀には倭の五王はまったく記述がないことから、天武は確実にユダヤ教徒ではない。ゆえにユダヤ教徒である五王を無視したと考えられる。それでも比定される歴代大王(天皇)の名を記し、伊勢神宮を守護もしたのは、アマテラスに発する「日本国」というフィクションの連続性を保ち、自らの王権の正統性を内外に知らしめるためであると考えると辻褄が合う。その必要があったということは、やはり天皇家の系図が示す通り、彼はよそ者だったことになる。
天武が消されたのは日ユ同祖の血統を守るため天智系に戻したからだ。これは国体護持の英断であり、日本人は天皇家の男系相続の連続をもって国民の誇りとでき、神様と契約したかどうか契約書を見せろと迫って高々数百年の歴史しかない連中を見下せるのである。面白いのは天武系排除に弓削道教のセックススキャンダルを用い、日本人の忌み嫌う「穢れ(ケガレ)」をもちこみ宇佐八幡の神託を理由としたことだ。それはいまも週刊文春がジャニーズ事件でやっているではないか。かように日本人の深層心理は1300年前から微塵も変わっていない。裏金、脱税、ウソつき、学歴詐称など穢れのある人を政治家にしてはいけない。
系図で天皇家の父祖となっている天智系の桓武天皇は、末裔に至るまで仏教を信奉し、各自が小さな仏像を所持し、位牌と墓所があるのは真言宗の寺(泉涌寺)だ。国体護持には異国の経典まで写経して信奉する。天皇家までそうしたこの柔らかさは一神教とは真逆の思想であり、どんな苦難に遭遇しても決してぽきっと折れない。これぞ日本の宝と考える。
法要の笙(しょう)の音からあらぬ方に行ってしまった。「おめんかぶり」が変更された2017年は母が、5月5日は父が逝去している。仏さまに手を合わせろよと、浄真寺に足を向けるよう引っ張ったかなと思う。
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