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『黒猫フクの人生観』 (第十二話)

2026 MAR 23 22:22:04 pm by 東 賢太郎

僕が天国に来てから5ヶ月近くなったよ。ずいぶん慣れたし勉強もたくさんしちゃったよ。だってここには世界的に有名だった人がたくさんいるんだ。アインシュタインさんもホーキングさんもしばらくいたし、この前はポリーニさんとブレンデルさんのピアノリサイタルがあったんだ、すごいでしょ、主人が悔しがるだろうね。みんな昼間は大きなホールにきてお喋りしたり外に出たりしてくつろげるんだ。エレベーターで上にあがると100階まであってそこが魂さんたちの住居になってるんだよ。衣食住が足りて居心地いいから皆さんなかなか生まれかわらないらしくて、最近ちょっと天国の幹部の神様の間で問題になってる。でも、前世はすごく偉かった人たちが仕事しなくていいし暇だからいつでも勉強や仕事のことを教えてくれるんで僕にとっては最高なんだ。

魂になると地球はいつでもどこでも自由に見れるんだ。ドラえもんより便利だよ、だってあそこが見たいって頭の中で考えるだけでその場面が出てくるから「どこでもドア」も要らないんだ。毎日主人を見てるんだけど高市さんがトランプに会ったのも見てたよ。うまくやったよね、女性からハグされて嬉しくないオスなんて猫界だっていないからね。主人はトランプ支持者ってことになってるけど人としてあまり好きなタイプじゃない。なぜ支持かというと、分かりやすい人間のタイプなので相場を張ってる主人には有利だからなんだ。悪党だったベネズエラの大統領には同情しないけど国民にはしててね、だからWBC世界一は感激してたよ。イランもね、大学の夏休みに1ヶ月アメリカに短期留学した時にイラン人の女の子がいたんだ。まだ片言だった英語で話したりして楽しかったんだね、だからイランは好きなんで彼女どこでどうしてるかなってちょっと悲しい思いしてたんじゃないかな。中国、韓国だって大好きだよ。どっちも仕事で行ってるし知り合いもたくさんいるし、嫌な思いした事は一度もないって言ってる。きっと持ってる名刺のせいもあったと思うけどそういう日本人もあまりいないかもしれないね。逆にアメリカは2年いてお世話になったけど不愉快なことも山ほどあって、いい人もクソみたいのもいたって言ってたよ。

でもね政治は別なんだ。オバマが世界の警察やめますって言ってからNATOのヘタレがバレてロシアが動き出してね。トランプ支持のキリスト教福音派は終末論を信じる人たちでユダヤ人の国イスラエルのシンパだから中露がくっつくとトランプは都合悪いんだ。だって中は露の油買って元で払って油のドル決済システムを崩そうとしてる。露は元をドバイでドル転してるしイランは中露派だからね、だからペルシャ湾はキモイっていう背景もあるんだ。ベネちゃんを襲った口実はギャングと麻薬だけど本音は油を元で売ってたからさ。ドル覇権の保全だよ、だって油はゴールドの代わりなんだ、それが崩れればドルなんてただの紙っぺらでアメリカ合衆国もおしまいだ。イスラム教シーア派のイランとは宗教戦争でもあってイスラエルは全員殺すまでやる気満々でとてもややこしいけど、アメリカにとっては覇権戦争でもあるからもっと根深いよ。でもそれで長引くとアメリカ経済はインフレで破綻してトランプ人気はボロボロになる。ネタニエフに逆らえない、エプスタインで脅されてる、まあ色々あるけど怖いのは福音派さ。選挙落ちたら終わりだからね。トランプは死に物狂いだよ。

まあそんなことは猫でもわかる。ところが、僕も驚いたんだけど、トランプに馬鹿丸出しの質問したあのアホ、テレ朝の記者だかなんだか知らないが、日本国中アゼンだよ、誰なのあいつ?「なぜ事前に教えてくれなかったのか、私たち日本人は非常に困惑している」?ぜんぜんしてねえよ。おめえだけだよ。死に物狂いのトランプが日本人なんて気にしてるわけねーだろ、そもそもスパイ防止法もない情報ダダ漏れの国に「明日やるよ」なんて言うわけねーじゃん、バカじゃねえのこいつ。困惑すんのはおめえの頭だけだよ。そもそも総理大臣が横にいるのにアメリカ大統領の前で「私たち日本人」か?記者の分際で何様なんだ?お前いつから日本人の代表になったんだよ、主人の周囲はめちゃくちゃ怒りまくってるよ。こういう頭の悪い奴をこんな国運かけた大事な場に出すなよ、誰だよ出したの、そいつらも同罪だ、日本人がみっともなくて国際的に迷惑だよ。

アレは不意打ちが成功したことにすべてがあるんだ。それで一気に乗りこんでディスコムボビュレーターぶっぱなすと護衛兵が目と鼻から血をふいてバタバタ死んだ。それで世界の悪党の親玉がビビって次は俺かとおとなしくなって、核抑止力にもなってるんだ。だから日本はありがたい。こんなの世界のインテリの常識だよ。だからロシアも中国も大っぴらにイランを助けないんだよ。じゃあトランプが世界の大王でいいかって、それは分からないさ、アメリカに特効薬打っただけだからね。でも福音派は真剣に救世主を待ち望んでるからね。トランプがそれってのはありだし、そのためにはトランプは実績で目にものを見せなくちゃいけないんだ。高市さんは核保有は許さねえってイランをぶっ叩いたトランプに「あなたしかできない」って言っちゃったからね、とすると日本にそれ許しちゃう理屈が立たないねしばらくは。何兆円かけてもいいから原潜2隻ぐらい借りたかったけど、それよりも訪中の前にうたなきゃいけない手はうったってことだね。ならばこれで十分。大成功だよ。クソくだらない参議院の質問で睡眠時間削られちゃったのかな、主人は参議院なんかいらないって言ってるけどね、僕もそう思ったよ。とにかくお体にはくれぐれも気をつけてご活躍ください、猫ながら健康を祈念しております。

高市首相とトランプ大統領の首脳会談を全体として「評価する」は69%で、「評価しない」の19%を大きく上回った。高市内閣の支持率は71%(前回2月18〜19日調査73%)で高い水準を維持した。不支持率は20%(同17%)。これをストレートに報じた読売新聞は、まあ、朝日よりまともだね。

 

 

ブラームス 「6つの小品」から間奏曲イ長調 Op.118-2

2026 MAR 19 21:21:36 pm by 東 賢太郎

1896年5月クララの葬儀後

時は1893年。チャイコフスキーの悲愴、ドヴォルザークの新世界が初演された年だ。次々と知人が世を去って気落ちしていた61歳のブラームスは「6つの小品」というそっけない名称の曲集を編み、クララに献呈した。そして「小さな作品の中に驚くほど豊かな感情が詰まっている」と賞賛の手紙をもらうのである。そしてクララは3年後に世を去り、次の年に彼も後を追った。写真のブラームスより8歳も年上であることにいささかのショックを受けている今日この頃だが、年の功と言うありがたい言葉もあって、クララが褒めた作品に見逃していた多くのことに気づき、ついにこれから述べるある確信に至ったのである。

それが「6つの小品」の間奏曲イ長調Op.118-2だ。Andante teneramente(歩くような速さで、愛情を持って優しく)と曲頭に記され、僕も愛情を抱いた。というより、どうしてこの曲が心に染み渡って感動を残すのだろうということが長年気になっていた。AIはまだこの手の疑問は解決してくれない。それなら自分で弾いてみるしかないということになり、終結の1つ前の小節で現れる、低いミに乗った D の和音がその一因ということをつきとめた。そしてそれがシューマンの「トロイメライ」の最後の小節にある、ドに乗った Gm に似ていることも気づいた。両者は並行調という違いこそあれ、ドミナントを経てトニックに解決する機能と効果は同じだ。何の得にもならないこういうことをするのは僕の抜き差しならない習性だ。幼稚園のとき、お絵かきで茶碗か何かを茶色に塗ったらきれいな緑色ねと先生に言われ、以来、何事も自分の手で実証しないと信じられなくなった。最近になってそういうのを実証主義ということを知ったが、そんな大層なものではなくひねくれ者になっただけだ。

40歳のクララ

トロイメライ(夢)なら「愛情を持って」という標語になじむだろう。5,6分の小品にdolceが6個、espress.が4個もあるのも尋常でないが許されるだろう。胸に秘めたクララとの大切な思い出を老境の眼で俯瞰した回顧録のようなもので、しかし、それはセピア色の写真ではなく穏やかな原色を留めており、間奏曲(Intermezzo)という曖昧なジャンル、他作品と混ぜた曲集としてカムフラージュしたが、実は渾身の作品であって、世間に公にし歴史に残すことになる初めての(そして最後になるであろう)「赤裸々なラブレター」であったと解釈しても大きく外れてはいないのではないかと考えるに至ったのである。

この曲がクララへの愛を込めたプレゼントだと考える人は数多おられるが、 61歳の還暦の爺さんが74歳の婦人に満を持してそんなものを贈る意味がどこにあろう。誕生日は毎年あるし、何かのお祝いやお礼ならここまで感情が込められるのも不自然だ。可能性があるとすると、1890年、57歳になり意欲の衰えを感じ作曲を断念しようと決心して遺書を書き、手稿を整理し始めたことだ。その過程でクララを思い出し、ふたりだけが知る「共に過ごした時間」の回顧録として書いたのではないかと思うのだ。それにしてもなぜその時にという疑問は残るがそれはわかっていない。何か大きな動機があったが、「愛を込めたプレゼント」ぐらいでぼかしてもらわなくてはいけないものだったのだろう。ラブレターと書いたが、それは虚飾も含めて相手に好いてもらう目的の書簡であり、もう虚飾はいらないふたりである。ほら、あの時こういうことがあったよねで充分なのだ。語っているうちに熱くなるのが押さえられなくなるとリタルダンドして鎮める。そのいじらしいほどの起伏のいちいちを譜面から感じ取ってクララは「驚くほど豊かな感情が」と精一杯に控えめな賛辞を返したのである。なんという素敵な大人たちだろう。

音楽はミレファーの凹型音型で、憧れを湛えつつひっそりと開始する。本稿はこれが「クララ」であろうという仮説に立つ。一方、シューマンが「クララ」に比定したとされるピアノ協奏曲イ短調の冒頭主題ミーレードドー(C-H-A-A)においては、シューマンのお遊びによって彼女はダヴィッド同盟員キアリーナ(Chiarina)なのだ。そんな稚気に付き合ってくれる懐の深い、しかも美人で天才ピアニストである女性に2人の男が夢中になったのを僕はとてもよく分かる気がする。ブラームスは3/4拍子の3拍目に「クラ」がくる「弱起」で入る(シューマンは1拍目の「強起」)。そして二度目の「クララ」(ミレドー)はバスから4オクターブ離れたドに、万感をこめ高々と7度飛翔する(2-3小節目)。これはアナグラムの類ではなく彼女への「呼びかけ」であって8回繰り返す。歌ってみれば深い愛情がこもっている。ちなみに僕は昔の猫たちの名前で歌っている。

第4小節からは少し登っては元に引き戻される凸型(山型)の音型を延々と続ける。むなしく、力なく、満ち足りず、それでもまた登る。哀感と心の痛みが仄かに色調を変えていく様はこの曲の醍醐味であり人気の所以だろう。たくさんの表情を伝える標語が小節間の「その箇所」に挿入され気分の移ろいを象徴するが、ブラームスはテンポ変化ひとつとってもその指示に「エコノミー」な性格の人物で、大概の作品はそれをせずとも音楽で語るのが通例だ。Op.118-2はそれを必要としていること自体が異質な作品であることを物語っている。

顕著なのがハ長調に転じてからだ。ソプラノにシューマンPC冒頭の付点音符付きリズム(クララ)が現れると弱起が強起に転じ、legatoになり、後期ロマン派風の和声を伴って再びクララ、クララ・・の「呼びかけ」の凹型音型で熱を帯びて3回駆け登ってゆき、4回目のシューマンPC再現とともにフォルテで強拍の頂点で爆発するが、急にしぼんで下降音型のespress.(感情をこめて)となり、ミレファー(クララ)の呼びかけは隠れるように低音部に移行し(ニ長調)、次いでdim.で音量を落としつつ薄暗いニ短調に転じ、calando(遅く弱く沈んで)で静まるのである。ここまで、低音部のクララは4回繰り返して蠢く。お気づきになる方はいらっしゃるだろうかこの部分は、非常に意味深長である(トリスタン前奏曲を想起)。すると、不意に、ソプラノにシドラーの凸型音型が天使の声のような dolce(甘く)で現れ、教会の天窓に陽光が差しこんだような救済がやってくる(これはクララへの呼びかけの “鏡像” だ)。そしてそれをF#m-D-Bmと予定調和的コード進行が伴奏してうたかたの心の安楽に向かうが、cresc.um poco animato(より強く、やや活気を持って)のこの音型は弱起に戻っており、二度現れるシューマンPC(クララ)リズムで強起に戻り、テンポは止まるようなlentoに落ち、A-B-A形式の最初のAをイ長調で静かに終える。

嬰ハ音を引っ張って続くBは三層構造となっており、クララは一度も現れない。平行調(嬰へ短調)でメランコリックな凸型音型の旋律が喪失の悲しみを切々と歌い、旋律の1拍2分割と伴奏の3分割が交差(ラフマニノフPC2番Mov2の書法を想起)して葛藤に苛まれ、やがて減速して沈静するとpiù lento(今までより遅く、弱音ペダル)で嬰ヘ長調の夢見るようなlegatoとなる。あたりまえの強起3拍子で一時の安らぎを見せるが長くは続かず、減速して pp になると葛藤の音型が影のようによぎり、さらに減速してフェルマータで嬰ハの7の和音にて夢は休止する。すると元のテンポで3声部対位法によるメランコリー旋律が中声部、上声部の順で現れ嵐のような激情となり、メンデルスゾーンの「ヴェネツィアの舟歌」を思わせる葛藤が狂おし気に熱を帯び、やがて諦観に似た dolce の和音に鎮まる。そして曲頭に戻り、最初の部分に少々の変奏を加えたAが繰り返され、深い感動とともに静かに消える。

 

ジュリアス・カッチェン(pf)

近年、ロマンティックに傾くあまり甘さに陥ってしまう演奏が増えている。あくまでブラームスの音楽である。アンコールに弾くならそれもいいが、 6つの小品というフレームに納めた意図は一定の節度と慎ましさを示唆しており、そうであるからdolceが6個、espress.が4個も書き込まれる必要があったのだ。カッチェンは日本ではブラームスのスペシャリストの扱いで技巧派のふれ込みであったが、多分にレコードを売らんとする空疎なセールスピッチの影響であって、そういう人はブラームスのスペシャリストにならないし、技巧派だからそうなれるわけでもないという2つの点において的外れな看板である。モスクワとワルシャワの音楽院教授だった祖父母から高度なメカニックを授かった、研ぎ澄まされた感性を持つ哲学者(ハバフォード大学哲学科を3年で首席卒業)と言うべきだろう。ユダヤ系であるとともにそうした資質の持ち主だからブラームスの音楽に引きこまれたと考えるなら何の違和感もない。

 

ペーター・レーゼル(pf)

終戦の年にドレスデンで生まれ、ドレスデン音楽大学を経てソ連にわたってレフ・オボーリンに師事したレーゼルがドイツ・シャルプラッテン(DS)に1972-1973年に録音したOp.118は第5曲が絶品である。是非全曲をお聴きいただきたい。西側レーベルに登場のなかった旧東独の音楽家はクルト・マズアら少数を除いて欧米で知名度がなく、DSが消えて音源が西側に売られ廉価盤で出たためアーティストまでそのイメージの影響を受けたことは否定できない。まったくのお門違いというしかない。第2曲の鎮静した佇まいは実に素晴らしく、必要最小限の情感を加えて音楽を呼吸させ、ブラームスの意図を格調高く紡ぎ出すさまがドレスデン・ルカ教会の音響に乗って伝わってくる。至福の時だ。

 

ウイルヘルム・バックハウス(pf)

やや速めに聞こえる。楽譜を見ていると、しかし、ブラームス自身もこのぐらいのテンポだったかと思えてくる。ハ長調、ヘ長調で色調が変わり、クララ、クララ・・の駆け登りに切迫感があらわれ、低音部になったクララの蠢きがニ短調に辿り着く心の道筋にも気づく。Bのテンポも速めで焦燥と哀訴があるが、嬰ヘ長調でぐっと歩みが落ち、大きな段差に気づく。クララと2人で森を歩く桃源郷にやって来たのだ。全曲の重心がここに置かれていることを知る。そして曲尾の p は強めに弾いている。この曲には一貫している特有の語感のようなものがあって、メロディーが高音にポンと放たれると一瞬とどまって間をとって降りてくる。まるで真上に投げたボールが空中でしばし止まるように。バックハウスを聴いているとそれがうまく決まらないと様にならないことが分かるのだから、おそらく作曲者もそう弾いていたのではないかという説得力を感じる。この人にはベートーベンならベートーべンのそれがある。1884年生まれのピアニストの録音が良い音で残っている。何とありがたいことだろう。ブラームスその人からキャンディーをもらった子の演奏に畏敬すべきものがたくさんあるとすれば、これからのピアニストは温故知新という言葉をじっくりとかみしめたらいい。

 

ピョートル・アンデルシェフスキ(pf)

もう一人、どうしても挙げねばならない。昨年11月27日にサントリーホールの読響定期でアンコールにこれを弾いたポーランドのこの人だ。当日はあまりの素晴らしさに言葉もなく、自分で弾こうというきっかけになったのだから大層なインパクトをいただいた(読響定期 アンデルシェフスキに感動)。いま思い起こしても白昼夢のようで、演奏会でこういう印象が残ったことはかつてないのではないか。「天使の声のような」と本稿にしたためた dolce、嬰ヘ長調のこれしかないだろうというテンポ、Aに戻るしびれるほど絶妙な間、そしてトロイメライのDの根っこのミが pp だが深々ときこえる。バックハウスより1分も長いが、ここにはまさしく新しいブラームスが生まれている。

ベネズエラの皆さま、おめでとうございます

2026 MAR 18 18:18:24 pm by 東 賢太郎

会議がギリギリ終わって、最終回の攻防だけ見ることができました。日本に勝ったベネズエラを応援するでもなく、あーやってるなぁと言う感じです。ちょうどアメリカが同点に追いついたあとでした。

たった1イニングです。それが、終わってみると、何がおこったのか、ただただ呆然として声が出なくなってしまい、涙がボロボロ流れてました。

ベネズエラの代走の盗塁。足の回転が人間技でない。難しいワンバンを電光石火の送球したキャッチャー!何ミリかでタッチをかわしセーフ。ああ日本もこうやって打たれたなあというヒットで決勝点。その裏、クローザーパレンシアの豪速球!最後の打者を空振三振に取った剛球160キロ!全力投球に満振り。これが野球なんだなあ。

何に対して感極まっているのかよくわからず。ああ、アメリカとベネズエラってのはあるかな、あれが国民にとってどうだったか、どんな大統領であろうと、床の間に土足で押しかけてあんなことされたら相手が悪党だとなるよ日本人だって。ベネズエラの皆さん、全員メジャーという最高の相手に最高の日になったね、本当によかったね。

8回にアメリカにツーランが出て同点に追い付かれたときベンチはどうでしたかと聞かれ、そんなの何でもねえさ、よしやり返してやろうじゃねえかと元気になっちゃっうのがベネズエラ人さ、と答えたの、キャッチャーのペレスだったかな、いやーいいな、男らしいな、もう本当にいいやつだろうな、 いっしょに酒飲みてえなー、とじーんときてたのがまずあったのです。

そして無念さをかみ殺してるアメリカの選手に順番に銀メダルをかけていた大会委員長だかMLB会長だか、必ず目を見てひとりひとりに単なるご苦労さんじゃない何かを話しかけていて、選手も目を見開いて敬意をもってこたえていて、あれ何を話しているんだろうなと思ったのです。プレーだの試合内容だの下世話な話じゃない、ホントに美しいシーンでした。アメリカの男の子はみんな草野球ぐらいやっていて、メジャーリーガーだってそのひとりだから。

そういうのを妻や娘に伝える言葉は僕は持ってません、何も言いません、胸の前で手を合わせて、野球の神様に感謝、野球を作ってくれたアメリカ合衆国に感謝、それだけです。

 

科学技術は戦争で進化する(ドローンの展望)

2026 MAR 17 16:16:06 pm by 東 賢太郎

なにやら物騒なタイトルになったが、それは事実だ。

コンピューター、半導体、インターネット、GPS、ジェットエンジン、トラック、航空管制、原子力発電、合成ゴム、抗生物質、電子レンジ、ペニシリン、腕時計、缶詰、医学全般

これらは軍事用として開発され、のちに民生用に転じて発展した。いまリストに加わろうとしているのがドローンである。

ドローンの民生転用で何がおきるか。モノとヒトの近距離輸送である。ヒトの前にモノ(物流)が来る。ヒトまで行けば「タケコプター」になる。実はこのストーリーはだいぶまえに徳重社長からお聞きした。この人は単身サウジアラビアに飛んで、コンペに集まった世界のドローン企業50社から1社だけ選ばれて投資を勝ち取ったツワモノである。僕も海外を飛び回った営業マンだ、彼のサクセスストーリーは日本のビジネスマンに勇気を与えると感銘を受け、即座にテラドローン社に投資をさせていただいた。2020年のことだ。

なぜ技術は軍事用で進化するか?国が巨額予算を投じてすぐ使って壊すから巨額の売上、利益がすぐに立つ。よって最高の人材が集まり、寝食忘れて全力投球する。企業が必勝の条件がすべてそろう。負けるはずがない。

武器輸出三原則の緩和が経済効果大であることは輸出の増加や製造する企業の利益になるという短期的視点もあるが、技術進化による国防力の強化、および民生転用が内需を増やしてGDPにプラス効果があり国民生活向上に資するという長期に持続するメリットも大きい。戦争は人殺しだ、それに手を貸すのかという批判もあろう。ごもっともではあるが、国は経済力でも戦争をしているのだ。そこで負け続ければ国のクレジット(ざっくりいえば国力)が落ち、為替は売られ、国債も売れなくなって金利は上がり、国民生活は窮乏する。さらにいうなら外交でなめられ、へたをすると攻め込まれて国土を奪われる可能性すらある。

これまでドローン市場は中国の独占であり、米国ドローン市場の76.1%をDJI社が占めてきたが、米中関係の影響でそれが分散し日本企業にチャンスが回ってくるかもしれない。ちなみに、このたびのWBCの敗戦を見ていて思ったことがある。サムライ史上最高のチームでもわずかなホツレがあればつけこまれて負ける。国を背負った戦いは何事もそういうレベルなのだ。

 

WBCで日本を席巻したネトフリという黒船

2026 MAR 10 13:13:32 pm by 東 賢太郎

野球の面白い所というか、怖いところでもあるが、WBCの日本対オーストラリア戦のことだ。吉田が7回裏に2ランホームランを打ってひっくり返して勝ったが、 天覧試合で1-0で負けるんじゃないかとはらはらしていた。やっている方はプレッシャーがあっただろう。

1~7番に大谷、鈴木、近藤、吉田、岡本、村上、牧とメジャー5人が並ぶ打線。オーストラリア先発投手のマクドナルドは2m近い長身だが、30歳で3年前に投手転向した地元球団の人で、投球練習を見てもスピードもコントロールもたいしたことないように見えた。すぐ5点取れると思った。ところが蓋を開けると3回1安打、しかも9アウト中6つがフライと詰まらされたのだ。

発端は1回裏、先頭の大谷翔平が2、3回バットを振ったが前へ飛ばず、最後はインコースやや高めを詰まったセカンドゴロだったことだ。あれ、意外にタマ来てるのかなと思った。鈴木は歩くが、近藤が低めのスプリットを空振り三振。ふだん三振しない人だ。これもあれっとなる。吉田は歩くが、岡本が中飛でチェンジ。おかしいな、なんとなく大谷のアレが伝染しちゃったかなという感じがした。

よく言われることだが、知らないピッチャーとの出会い頭で味方の強打者があっけなく三振とかすると空気が「伝染」する。すると次の人も力が入って打てない。それだったのかどうか、結局いやな予感があたってしまい、 2、3回は村上、牧、大谷、鈴木、近藤の5人がフライアウトでヒットは若月の1本だけということになった。おそらく「差し込まれる」というやつで、振ったら球が「来ちゃってた」感じの凡打だろう。フライということは、遅く見えるが振りだしたら手元にピュッと伸びてきて遅れ目に押され気味にボールの下を叩いてるという理屈だ。日本戦に先発させるだけあって実はいいピッチャーだったんだ、おみそれしました。

吉田が打ったケネディというピッチャーは 2mぐらいとでかいのに左のサイドでテークバックがほぼなし。少なくとも僕はこんな投げ方は見た試しがない。だからインローのストレートを振り抜いたホームランは、そんなのが出てきてもびっくりしないほど条件反射化された技術の賜物としか考えられない。オールスターのホームラン競争で、スイングしたら全部ライトスタンドに打ち込んでた、あれの再現を見たようだった。才能のある若者は問題なくワールドクラスで通用する。これが日本の宝物であり、のびのびと力を発揮させてあげることこそ日本が持続的に成長していく道筋であると僕は確信している。

それにしても大谷さんが出るWBCは日本人なら誰でも見たい。つい先日までたくさんの興奮と感動をお茶の間にとどけてくれたミラノ・コルティナ五輪が脳裏に浮かぶ。ところがだ。こっちは東京ドームでやってるのに日本のテレビでやってない!NHKは公共放送なんだろ?公共の福祉になってないじゃないか。民放テレビ局は何をやってるんだ!しかも天皇陛下御一家が観戦に来られている。それを日本人が見られないなんて陛下を国民と分断してるじゃないか!国辱ものじゃないかこれは、どうなってるんだ!

そんな感じで全国の高齢者家庭はてんやわんやだろう。長嶋茂雄は天覧試合のホームランで歴史に名を残したが、「全日本人がアメリカのストリーミングサービス会社を通してしか天覧試合が観られない」この非常事態も空前の出来事として歴史に残るだろう。誇り高いテレビも新聞も、放映できない赤恥など認めたくない。みっともない汚点だから事実の背景は絶対に報道しない。みなさんじっくりと観察していてごらんなさい、彼らは試合のハイライトを報道番組やワイドショーネタっぽく仕立ててお茶を濁し、なかったことにする作戦をとるだろう。そこでもうひとこと言っておこう。そんなことをやってるから日本のメディアは「予定調和的に」これから没落していくのである。今や僕のように海外経験の長い国民はいくらでもいる。いくら隠してもその馬鹿さ加減は舞台裏まで見えてしまい、真相はこうやってネット情報としてばらまかれる。もう何を逆立ちして頑張ってもこの潮流は止まらないのである。そんな茶番には関わりなく、水面下では静かに冷徹に事は次のステージに向けて進行している。大谷さんが見たい多くの高齢者が、聞いたこともないネットフリックス(ネトフリ)という ”チャンネル” なら自宅のテレビ受像機で見られることを知ってしまい、料金なんか二の次で子供や孫に頼んでアカウントを作ったに違いないのである。

勘違いしてはいけない。これは誰かが売国行為で日本の資産をアメリカに売ったわけではない。アメリカにあるメジャーリーグという舞台に日本の有能な若手選手が憧れ、ワールドクラスの才能はこぞって流出してしまい、これはどこかの悪い組織がやってることではなく、憲法が個人に保障している職業選択の自由という権利行使であるから、いかなる組織も日本という国家といえども止めようがない。当然ながらそこで手にできるかもしれない1,000億円という夢のようなお金がひとつの誘因になっていることを否定したところで何の意味もない。世の中お金ばかりではないだろう?そうかもしれないが、才能のある若者が才能に見合った生活がしたい、そういう人生を送りたいと望むことを否定する権利は誰にもない。それが自由主義国家というものであり、アメリカは徹頭徹尾それを守る国家であることは、アメリカに住んだことのある者は誰もが知っている。だから「イーロンマスクの報酬が最大で150兆円」というニュースは、一応は人々を驚かせはするだろうが、誰も否定はできない。羨ましければあなたもやったらどうですか?アメリカという国家は誰が大統領になろうと不平等だと言ってそれを剥奪したりはしませんよ、という国であり、それがアメリカをアメリカたらしめているのだ。

NPBイベントは、これまでは巨人軍を持つ読売新聞が仕切っていたが、今回はニューヨークにある大会主催団体のWBCIが読売をすっとばして米国-米国で(すなわちオフショア・ディールで)直接ネトフリと契約してしまったのだ。いくら日本が文句を言おうが、「なら5倍の150億円払え」で1秒でおしまいだ。なら日本の選手は出さないぞという脅しもきかない。大谷さんはもうアメリカの選手だし、鎖国をすれば有能な高校生が大学からアメリカに逃げる仕組みができるだけだ。ワーナーブラザースを11兆円で買収しようとしたネトフリにとって円安下での150億円などピーナッツ(はしたがね)であり、「これからドル箱になる日本市場でネトフリのアカウント数を激増させる投資として、『大谷翔平主演の映画』のつもりでWBCの興行権を買う。プライスは大谷個人の年間広告収入(やはり150億円だ)と同じ額でメークセンスだ。数年で回収してみせる」とでも株主総会でCEOがぶちあげれば全然オッケーだろう。

収入が激減しつつある日本のメディア業界は150億も払ったらテレビ広告でペイなどしない。なぜなら広告主がそんな効果をテレビにもう認めない。なぜなら年々伸びてきている「ネット広告料収入」がついに総広告料の50%を超えたからである。この潮流の中では、民放テレビ局の株主総会の収支計画は財務省お得意の「単年度プライマリーバランス主義」で見せないと株主の納得は得られない。そこで『大谷翔平主演の映画』に投資するぞ!と大見栄を切れるサラリーマン社長などいるはずがない。皆さん、高市総理の掲げる「投資」という概念が企業にも国にも成長にとっていかに大事かということが、このケーススタディで如実にわかるだろう。資本主義の憲法第1条に当たるコモンセンスがアッパークラスに欠落している国は実は国民を豊かにしてあげる事もできないのである。「そうでしょう?だから共産主義的国家にしましょうよ」という更に大きく間違った声が上がり、ここぞとばかりに左翼が元気になるのが悲しい日本なのである。国ごとそれに毒された発想になって、ダイエットし過ぎで骨粗しょう症になってしまい、「骨を折らないことこそが国家的な一大事でござる」みたいにトンチンカンな政治をしてきたのが高市前の日本だったのだ。だから、そんなことを続けていればオールドメディアと同様に、つまりはそこを牛耳ってる無能な老人たちと一緒に「予定調和的に」国力は低下していき、ワールドクラスの才能は大谷さんのように最高の人生を送らせてくれる外国へ出て行ってしまうのである。あまりに当たり前の事だろう。

「イーロンマスクの報酬が最大で150兆円」というニュースは、そういう縮み思考の空気を30年も吸って脳がその色に染まってしまっている日本人には火星の話にしか聞こえない。報酬が高いといってもせいぜい何億円程度の日本のサラリーマン経営者にも実感など湧かない。江戸時代のかわら版感覚でやってる日本のメディアはせいぜい「いかがなものか」と騒ぐだけだ。それを使ってる政治家もほとんどがわかってない。学者や先生はのっけから理解しようとしないから大学で教えてくれるはずもない。かろうじて一部の歴史学者が「歴史の真相はフォロー・ザ・マネーでわかる」と説いており、それは実に正しいのだが、現代の真相の方が国民の生活には大事でしょ、じゃあそれも読み解いて国民にわかりやすく教えてよと言いたい。とても卑近な言い方にはなるが、そのことはマネーをフォローして株で儲けるという作業にとても近い。というかほぼ同じと言ってもいい。もちろん儲けたくなければ儲ける必要はないが、そういうことに興味はないという人は現代の真相を読み解くことにも興味を持たないのである。

ドジャースとチェルシーを持ってる連中、ディズニーとネトフリに近い連中である我々の相方だって黒船の有力候補だ。安政の時代には国ごと黒船だったアメリカ合衆国の唯一の同盟国として生きて行く運命にある日本国が、しかし、ではこの点において、どうすれば国民が幸せになれるのか。これは奴らと深く付き合ってる僕にもわからない。たぶん全員は船に乗れないし、共産主義でないから全員が平等ということは政治も追求しない。だからその問いに実は解はない。だったらお年寄りはともかく、若い人は徹底的にインテリジェンスを磨いて、まずは、いち船員でもいいから黒船に乗っけてもらうしかない。それにはどういう勉強をすればいいか?それは2700本ある僕のブログのあちこちに散りばめて書いてはあるが、そういう気持ちで読まない人には何を言ってるかはわからないだろう。投票所に行く政治参加は大事だが、参加しても自民党がやってる限りあなたが食べられるような政治にはならないかもしれないし、政治家はその責任は取らない。やっぱり答えは自助努力しかない。

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マタイ受難曲におけるバッハ雑感

2026 MAR 8 8:08:18 am by 東 賢太郎

まずは本稿のきっかけとなった読響第656回定期演奏会への所感を述べる。

2026 3. 5〈木〉 19:00  サントリーホール

指揮=鈴木優人
福音史家(テノール)=ザッカリー・ワイルダー
イエス(バス)=ドミニク・ヴェルナー
ソプラノ=森麻季
カウンターテナー=クリント・ファン・デア・リンデ
合唱=バッハ・コレギウム・ジャパン
児童合唱=東京少年少女合唱隊

鈴木優人によるこれがききたくて定期を買ったといって過言ではない。結果はその甲斐があった。メンデルスゾーン版は初めて。通奏低音はなんとチェロとコントラバスのソロが和弦で奏し、オルガンは音色を加えバスの効果も良かった。木管群の音色がまったく目新しい。左右に分離した合唱と管弦楽の位相も効果的であり、解説によるとバッハはSt.トーマス教会の左翼バルコニーにそれを配し、右翼にコラール用の小合唱を乗せ3チャンネル・サウンドにしたようだがその意図が明確に出たかもしれない。この配置、音色ならではの人数で引き締まった合唱が活き、緊密なアンサンブルによる新鮮なマタイを聴かせていただき感謝しかない。今回が今期最終回になったが、全て聴きごたえがあった。来季も継続させていただく。

さてここからはマタイ受難曲への雑感である。まず断言するが、これが人類史上指折りの大名曲であることは疑いもない。僕はカール・リヒター指揮ミュンヘンバッハ合唱団の1958年のアルヒーフ録音が入門だがこれは当時のスタンダードであったからそうなっただけで、贅沢は承知だが、男性陣は文句なしに素晴らしいのものの女性の方がバッハとしては今ひとつ趣味に合わない。リヒター恐るべしと思ったのはこれでなくロ短調ミサだ。冒頭の一撃でのけぞった。その印象のままマタイに入ったものだから、性格の異なるこの曲の真価にたどり着くのに時間を要した。ミサと違い、ここには福音史家の語る人間の汚さおぞましさを浮き彫りにしたストーリーがあるが聖書世界の知識が欠けていた。なじみのない方はまずそれを理解しておくのが入門の第一歩であり、要点を簡略に記しておこう。

この曲のストーリーをひとことで言えば、「事実上の冤罪事件」である。イエス・キリストの刑死はA.D.30年ごろで実話だ。ローマ皇帝は初代元首アウグストゥスの養子ティベリウスで、カエサル暗殺から74年後でしかなく史実として残っていて不思議はないが、皇帝と違いイエスはまだ表舞台の要衝にある人物でなかったから子細な部分の確証は無い。死刑執行したポンティウス・ピラトゥス(ピラトとも)はローマ帝国のユダヤ属州の総督で、現代日本なら県知事というところである。ユダヤ王を称した咎でキリストの死刑を欲したのはしかしユダヤの民であり、弟子のユダが裏切り、ユダヤ法では死刑にできないためローマ法でピラトゥスが裁けとなったのである。ピラトゥスは有罪を確信してはおらずその葛藤の場面を見ると、メディアがたきつけて誘導した世論が軍部を無謀な対米英戦へと突き進ませた昭和16年を思い出さずにはいられない。

ちなみに、そこでイエスが12人の使徒と共にしたのが「最後の晩餐」である。これも人類史上指折りの名画であるレオナルド・ダ・ヴィンチの絵はミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院の食堂の壁に描かれており、そこからまた奥に壁があるこの風景はそこに立ってみるといささかトリッキーであり、科学者でもあったダ・ヴィンチらしいなと合点が行くのだ。

欧米の大都市をうろついて、美術の教科書に載っているような世界中の名画というものはほとんど観てきたが悲しかなたいていは忘れてる。建築はもとより絵画や彫刻というものはただ知ってる程度でそこに立ってみてもだめなのだ。これがモナリザか、ゲルニカか、ヴィーナスの誕生かで済んできてしまった。ところが幸い「最後の晩餐」は昨日のようによく覚えているのだ。なぜなら延々長蛇の列を散々並ばされこの場所に行き着いたら、解説のイヤホンは来ないし15分で追い出されるしで係員の女性が不手際であり、ユダの裏切りを知っていたイエスも穏やかじゃなかったろうなと妙にシンクロした気分で眺めたことで格別に記憶に残っているのである。今となるとありがたかったと思っているのだからこれも世の中の不条理であろう。

結局、イエスは抗わず「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という言葉を残して十字架にかかり、天変地異が起きて皆がイエスが神の子だったことを知り、その死をもって民衆が救われるというのが受難の筋立てである。イエスは予言通り3日後に実は復活するのであり、それが新約聖書に基づくキリスト教の最大のイベントなのだが、マタイ受難曲の終了の時点では(聴衆を含めて)誰もそれを知らない事になっている建て付けなのである。しかるに、割り切って考えれば、この裏切りと怒りと冤罪による不条理に満ちた法廷ドラマをもって、この時点で、聴く者の胸を締め付けて涙を流させ悲しみの底に叩き落とすことこそが復活への最大のお膳立てとなる。それがマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの4つの受難曲なるものの位置づけである。

問題は、シュッツやテレマンなど多くの作曲家が受難曲を書いているが、泣かせるという点においてバッハのマタイは出色であることだ。とにかくキリスト教徒でない僕が終わるといつも涙を抑えきれないのだから、ルター派(ルーテル)プロテスタント教会の布教活動においてこの楽曲が甚大なインパクトを有する事は間違いない。ところが現実は、バッハの死後、約1世紀にわたって演奏されることなく世間から忘れ去られていたのである。 弱冠20歳のメンデルスゾーンがこれを「発掘」した時の気持ちを推察する。彼はユダヤ人だがイエスも死刑を求めた群衆もそうであり、そして、作曲当時の世間は愚衆の集まりだったということなのである。しかし1829年のベルリンでの蘇演はドイツにバッハ熱を呼び覚まし4年間で6ヶ所で上演された。そこでメンデルスゾーンはあらためて改訂を加えたバージョンで、初演の地トーマス教会で演奏を試みたのである。1941年のことだった。

この日もサントリーホールからの帰り道、どうしてこんなに悲しんだろうと考えていた。2時間に及ぶ大曲ではあるが、技法的には簡素なバロック音楽である。感情の抑揚を和声や大オーケストラの表現力によって自在に喚起できるワーグナーの如きロマン派楽曲ではないのだからという部分に人類史上指折りの大名曲である秘密があるのだ。しかしそれは技法や計略という次元のものではない。キリストの受難物語のことを英語でパッション(passion)というが、この語は情熱、恋情、色情という意味もある。何かを希求する強烈な想いというものである。なぜ同じストーリーを語る福音史家が違うだけのヨハネとマタイがその点において違うのかは、読響の解説によるなら、マタイにおいてはイエスの神性を明確にするため周囲の「人間模様」が色濃く描かれたことにあろう。

すなわち、愚衆、裏切り者、悪代官なる神性なき者どもが神の子を殺し、普通はそこで勧善懲悪の原理が働いて悪がこらしめられてめでたしめでたしで終わるのである。ところが、この物語においては、悪までもが救われてしまうという驚くべき強靭な逆転のロジックが展開され、神の御心の情け深さが強烈に印象づけられる。後世の神学者はユダの裏切りをイエスは知っていながらあえて自分を殺させ、諸人を救済させたのだという説まで唱える。この他利性こそ拝まれる見返りであり、常人にはない文字通りの「有難さ」であり、宗教の本質である。メンデルスゾーンが解説風のチェンバロ伴奏によるレチタティーヴォを排し管弦楽の一様の伴奏でストーリーに流れと一貫性を持たせたのは、オーケストラの流れに「人間模様」を載せてパッションをよりくっきりと浮き彫りにする意図だったのではないかと思われる。

メンデルスゾーンの才能については何度も書いており、彼自身も聖書に影響を受けて作曲した2つの大規模なオラトリオ「パウロ」「エリア」があるがこれはバッハを知ったゆえのものというべきであろう。いかなるものであれ作品というものは創造した者の仮の姿である。その人物の精神肉体のありようがそうであるから、そうした作品が生み出されるのである。トートロジーに聞こえようが、モーツァルトはきっと彼の作品のような人であり、ブルックナーもバルトークもポール・マッカートニーも、ワーグナーもバッハも、またそうなのだ。

ドラマで言うなら大河ドラマばかりのワーグナーはどういう人物だったろう。台本から音楽から劇場まで俺様の物を創ってしまうあの唯我独尊で無尽蔵であるエネルギーはどこから出てきたのだろう。作曲家に男として多情系、多産系の人は少なく生涯妻子なしの人すら散見されるが、彼は難しい自作を演奏して世の中に広めてくれたハンス・フォン・ビューローという恩人であり自身の信奉者でもある男の女房を寝取って3人も子供を作っている。ニーベルングの指輪という巨大で魁偉な作品はそういう男からしか出てこないと思わせるに十分である。そしてバッハである。2人の夫人に20人子供をもうけたパワーにはこうべを垂れるしかないが、指摘したいのはそのアウトプット力ではない。理詰めで頑固で冷たい男ではなく妻を熱く愛する男であったことだ。彼の作品が数学的だのと理屈を説く人があるが、そういう事も出来る熱い男はいるのであり、バッハもまたそうだという証拠なのである。マタイ受難曲が人類史上指折りの大名曲になったのは、何らかの理由で彼が作曲に全身全霊を投じた人間くさくて止めどもない情動に重たい理由があり、彼の心の強靭な振動が、歌う者、弾く者、聴く者の心を強く打ち震わせるからなのだ。

最後にいくつかの録音の事を少し書いてみる。リヒターが世の中のイチ押しだったころ並び称されていたのがメンゲルベルク盤だ。このようなアプローチの演奏が出てくるのはバッハの作曲における情動がバロックを突き抜けてロマン派とでも言うべき領域に達しているからである。好きな人が多いのは理解するが、ここまでやられると僕はついていけない。ちなみに彼のチャイコフスキーの悲愴も往年のファンには人気だったが、僕はベタベタのポルタメントなど体質的にまったく不適格で第2楽章でドロップアウトしてしまった。

クレンペラーは筆頭におすすめできる。フィッシャー・ディスカウ、ピーター・ピアーズ、エリザベート・シュワルツコップ、クリスタ・ルートヴィヒ、ニコライ・ゲッタ、ワルター・ベリーとくれば、現在WBCで戦っている侍ジャパンの先発ラインアップみたいなものである。スタイルとしては最も重厚でシリアスなマタイであり、宗教音楽としては正統派ではないが、バッハが封じ込めた情動そのものが尋常でないのだから僕はこれに些かも違和感を感じない。その理由はクレンペラーのモーツァルトのオペラの稿に書いたことと重なるのでご興味のある方はそちらをお読みいただきたい。

カラヤンはこちらも負けじと当時の彼の歌劇録音のオールスターキャストによるが、徹頭徹尾カラヤン流であることが好悪を分かつ。音楽としての美しさならトップかもしれないが良くも悪くもオペラティックであり、その割にドラマを感じず、どす黒い物が無い。終曲も慟哭ではなくオペラのエンディング風で芝居がかっておりこれではフルートの短2度の軋みが意味を持って聞こえない。申し訳ないがこれは僕は泣けない演奏である。僕は決してアンチカラヤンではなく、ザルツブルグ音楽祭で1983年に聴いた絶美の「ばらの騎士」などもう一生出会えるものでないことを確信する。要はそれとマタイは違う音楽だということに尽きる。

よく取り出すのはヘルマン・シェルヘン指揮ウィーン国立歌劇場管弦楽団のCDだ。 1958年録音のリヒター盤より5年早い1953年のモノラルでスター歌手は皆無。シェルヘンはハンス・ロスバウトと並んで19世紀生まれの現代音楽の泰斗でありピエロ・リュネールをシェーンベルグと共に演奏して回っていた人でありバッハのイメージは薄いかもしれないが、僕は1つのコンサートで両者作品をカップリングしても違和感がない(娘さんによるとシェルヘンはマタイはマーラー7番と組ませるのがふさわしい作品だと述べていた)。バッハは精神的にバロックの縛りを脱しロマン派にワープできた人だったが、シェルヘンはロマン派の縛りを脱し新ウィーン学派の作曲家らと共に道を歩んだ人で、一切の虚飾なく物語の核心を抉った素晴らしい演奏は昨今の形とテクニックだけのピリオド演奏などより数段モダンである。本物の音楽家とはこういうものだ。マタイを愛する方に一聴をお勧めしたい。

(ご参考)

ブラームス4番とマタイ受難曲

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ロンドンのニワトリ女

2026 MAR 5 13:13:57 pm by 東 賢太郎

ロンドンに赴任したころだから1984年のこと。ピカデリーサーカスあたりの繁華街にトサカみたいな頭してつっぱった女がうようよいてね、裏路地でたむろして夜中までタバコだかクスリだかやって危い感じだから道で避けて歩いてたら会社にもいたんだ(笑)。偏見はいけないね。でも、これがロンドンか、あれがパンクか、何でもいいけどすごいとこ来ちゃったなと思ったね(写真は関係ありません)。

僕はビートルズにはズブズブで、アメリカでギター弾いて歌ってたぐらいで、それが解散しちゃって仕方なしにいろんなバンドきいたけどビートルズがスゴすぎてだめ。クラシックに行っちゃってそこでおしまいだったんだよね。だからパンクは一度もきいたためしがないけど「ロック」ってきくと思い出すのはニワトリなんだ。あとは岩って言葉のイメージでローリングストーンズ(石)でね、ファンには申し訳ありませんが全然趣味に合わないんでロックはあの手のつまんないやつってずっと思いこんでた。だからずっと後になって、皆が「ビートルズは最高のロックバンドだ」というんで、最高は結構だけどロックじゃねえだろって反論しちゃったりしてね、ニワトリでも岩でもないっていう意味だったんだけど。

セラピストのYさんに施術して頂きながらそんなアホなことを言ってしまうのは失礼千万だろう。彼女はちょうどその1980年代の人気番組「夜のヒットスタジオ」で常連のハードロックバンドのリードボーカルだったからだ。今も根強いファンがいてライブハウスはいつも満員というから猫に小判とはこのことで、ロックンロール、ハードロック、ヘビメタ、パンクの区別すらついてない僕は勉強させていただくしかない。

「ヘビメタって何ですか?」「とんがった反体制ロックなんです。日本のメッカは神戸です。有名なガールズバンドもあったりで、業界では東京も関西弁がハバきかしてましたよ」「じゃあ高市さん神戸大学だし」「バリバリ世代ですよ、ドラムスだから鋲(びょう)の革ジャンで演奏はド迫力。バイク乗り回すなんて当たり前なぐらい」。そうか、世界中がビックリしたのは女性だドラマーだばかりじゃなかったんだ。反体制が体制の頂点に登ったんだね、そうやって批判したら面白いのに何というか、芸がないというか、左は人間に深みが無いね。

そういやあ思い出しますよ、東大のキャンパスに革靴でベルボトムのジーパンっていうのがいっぱいいてね、まあだいたい田舎の高校の奴なんだけど、お前、気持ちはわかるけどさ、それやめたほうがいいぜって言ってやったもんだ。女性もね、ズタぶくろみたいなカバンぶら下げて教室来てる感じだったしね、ヘビメタのロッカーからすると自民党の田舎大名みたいなデブのおっちゃんとかね、東大生のなれの果ての官僚とかね、まあ、ダサっ!て思ってるんだろうね高市さん、わかりますよ、今流の文武両道カッコいいね。

ちなみに僕はシュープリームズのファンで、あのノリと迫力はロックであって全然いいと思うけどそういう問題じゃないんだね、ギター抱えてドラムスがあるバンドじゃないとそう言わないから形式要件満たしてない、勉強になりました。でもダイアナ・ロスいいですねえ、深夜放送で聴いてたのはおそらくこれでしょう。

この曲、まずドラムが両手スネアと思われる4拍子の軍隊調ド迫力の頭打ちを1・2・3・4と打ちっぱなし、歌とタンバリンは裏打ち*・2・*・4でスイング感が爆烈。高いミ♭で16ビートのタタッタッタタッタタッタタッタと耳鳴りみたいにずっと響いてるギターリフは「太陽にほえろ」のテーマ曲がパクるほど革命的。そして、そこまでワンパターンに聞こえるだけにサビの転調がビックリするんですね、メインが変イ長調(A♭)なのにホ長調(E)の、しかもサブドミナント(A)のmajor7から入るという、こんなの未だ聴いたことなし!キープ・ミー・ハンギング・オン、永遠に新鮮でカッコいい曲だぜ。ライブはこうなってます。なつかしいね。

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孫文の亡命航路に見たもの

2026 MAR 2 17:17:03 pm by 東 賢太郎

仕事ができて関西に行った。若いころ大阪で2年半過ごしたから知らないわけではないのだけれど、久しぶりに来てみるとやっぱり新鮮だ。その昔、警察署の看板がひらがなで書いてあるのに度肝を抜かれたのがなつかしいが、何ごとも漢字でいかめしい東京流の裃(かみしも)を脱ぎ捨ててしまうと身も心も軽やかだ。

大坂は笑いをとってなんぼだ。そのカルチャーにはほど遠い自分が商売できたのは今となると不思議である。関西の人は総じてフレキシブルでストレートであり、こちらは何事も最短で目的を達成したい性格だから結果論的に波長が合ったのかもしれない。後に知ったがアメリカ人もビジネスではそうであり、大阪の洗礼はけっこう宝物だった。

関西というと大阪、京都、神戸、奈良に和歌山、滋賀ぐらいが入るのだろうか。東京人はどこも「関西弁」と思っているが、どの県の人にそう言っても「**と一緒にせんといて」と言われかねない。つまり大阪弁や京ことばはあっても関西弁なる言葉はない。そりゃ、それを言うなら天皇も関西人だし、日本史のテストに出る中身のたぶん半分以上はロケーション的には関西だから我々はえらそうなことはいえない。

今回は淡路島にも行った。恥ずかしながら人生初めてである。美しい明石海峡大橋を渡った対岸で会議をしながら、もっとお恥ずかしい話とあいなった。「渦潮の鳴門はどこですか?」と尋ねたのだ。一瞬間があり、「はあ、徳島やからずっと南やなあ・・」と気まずい沈黙が流れる。おかしいな、ここから東のはずなんだけど・・。僕は相当な方向音痴だ。だから見た目でなく、頭にある地図で判断してる。皆さん淡路淡路というので、いつしか「島」が抜け落ち、 四国のつもりでいたのである。「いやあ絶景ですな。まるで地中海だ」。瀬戸内海を眺めながら冷や汗をかいていた。

対岸の舞子公園に孫文記念館があるというので案内された。名称は「移情閣」で、大正4年に神戸の貿易商・呉錦堂が建てた八角堂がシンボルの別荘だ。神戸の華僑や豪商がここで孫文を囲んで昼食会をしたらしい。彼は孫子、孫権の末裔と伝わるが若い頃の写真を見るに、なかなかの面構えである。中華民国の初代国民党総理で、日清戦争の終結後に広州での武装蜂起を企てたが失敗し、日本に亡命したのを助けたのが頭山満と犬養毅で、孫文は「明治維新は中国革命の第一歩であり、中国革命は明治維新の第二歩である」との言葉を犬養毅へ送っている。ご一新をそういう性格のものととらえていたのは興味深い。

孫文は清朝打倒活動の必要上「1870年11月、ハワイのマウイ島生まれ」扱いでアメリカ国籍を取得し、革命資金を集める為に世界中を巡った。1905年にスエズ運河を通った際に、現地の多くのエジプト人が喜びながら「お前は日本人か」と聞かれ、日露戦争での日本の勝利がアラブ人ら有色人種の意識向上になっていくのを目の当たりにしている。孫文の思想の根源に日露戦争における日本の勝利があるといわれ、それが「大アジア主義」につらなるのだろう。中華思想でないならば、僕は東洋の王道、西洋の覇道を区分するこの考えに賛同する。

孫文はソ連をバックに第一次国共合作を仕掛けて失敗し、中国は国民党と共産党による長い内戦状態に突入した。昨今の日本でもはるかにマイナーな合作が試みられたが、水と油を混ぜてもドレッシングにはならない。後継の蒋介石が建てた中華民国が台湾であり、毛沢東を継ぎたい習近平が合作完成を目論む。孫文が存命ならどうするだろうと考えながら歩いていたら、彼の亡命航路の地図の前に来た。香港、上海、長崎、神戸、横浜、東京。どこも僕にとって深い地縁がある。ここへ来たのも何かあるのかなと思ってスマホを見ると、たったいま起きたイスラエルと米国のイラン攻撃のニュースが目に飛び込んできた。

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高市総理の施政方針演説で思い出したこと

2026 FEB 22 8:08:12 am by 東 賢太郎

野村証券、みずほ銀行、みずほ証券と大手金融3社の部店長会議のひな壇で業務に関わるスピーチをさせていただいた人間は日本広しといえどもたぶん僕だけでしょう。部店長会議は年に2度ほど社長、役員、部長、国内外支店長の全員が東京で一堂に会する大経営会議であり、各部門の長、担当役員、そして最後に社長がその年度なり半期なりの経営指針や数値目標を部長職以上の全員に徹底する重要な場です。なぜそんなものを思い出したかというと、高市総理の施政方針演説をきいていて「なんか話が似とるなあ」という気がしたからです。

野村ではスイスの社長として話しましたが、みずほに移籍して銀行でやった時のことはとても印象に残っています。企画室の方から銀行員はエクイティ・ファイナンスは慣れてないので具体的に話してくれと大まかな指示があり、会場に行くと客席の方はぎっしりで、高輪の研修センターで広々したスペースであった野村とは明らかに空気が違いどこか殺気立ってます。 3~40分ぐらいでしたか証券業務とはなんぞやを皮切りに投資銀行業務について思い切り元気が出るような話をぶちあげたわけですが、びっくりしたのは皆さん学生みたいにノートを取っておられる。こっちは人生一度も原稿を読んだことない人間だから即興であり、わあこれが銀行か、大変な所に来ちゃったと思いました。銀行と証券はそれほどカルチャーが違うということでもありますが、 2005年当時、メガバンクグループが証券会社を通じて株式業務のシェアを大手証券から奪取せんと壮大な機運が盛り上がってもいたのです。みずほグループはもともと興銀、富士銀、第一勧銀で、法人業務のコーポレート銀行が引受やM&Aというホールセール業務(インベストメントバンキング)を行い、頭取の号令一下で「利益率の高い株式に全力傾注せよ」という銀行員にとっては耳慣れぬ別種目の戦場がトップダウンで設定され、僕でなくてもよかったんでしょうがそれを率いる部門の統括部長として野村のエクイティ系の人間に白羽の矢がたったようです。僕は本社のポスト部長でしたし辞める必要もなく給料も大差なく、野村は今だって大好きな会社なのですから、どうしても必要だと言われエアポケットにでも落ちたかのようなあの一瞬でなければ移籍はありませんでした。行ってみるとはからずも古巣の最強の軍勢に立ち向かう新興国の将軍のような立場であり、おおいに複雑な気持ちはありましたが、銀行から証券にグループ内で移籍してきている新しい大勢の仲間が頼りにしてくれているという「7人の侍」になったような義侠心が勝り、何よりみんなで力を合わせて高いところを目指そうという夢と希望にあふれた環境はそれがどこであれ生まれつき大好きな性分なので、結果としてそれなりの戦果をあげました。即興スピーチが銀行サイドの皆様にどう響いたかはわかりませんがなんとなくの反響はあり、翌年のことですが、株式引受実績ゼロだったみずほ証券が野村、ゴールドマン・サックス相手に業界を揺るがすジャイアントキリングを演じて日本航空の1,500億円の株式資金調達のグローバルコーディネーターになったことで少しはお役に立てたかと思います。ちょっと専門的でお分かりにならない方が多いと思うので例えますと、国体のメダルもなかった選手がオリンピックに出て金メダルを取った感じです。

高市演説の何がそんな太古の記憶を呼び覚ましたんだろう?もういちど聞き直してみると「投資」という、かつての総理の口からあまり出た記憶のない言葉が高らかに登場しているのです。これだと思いました。成長戦略と危機管理という重要分野においての話なのですが、何より経済成長と国内投資の因果関係にまで政権がふみこんで語ったのは前代未聞ではないでしょうか。それがなぜ画期的かというと、日本ではこれだけ株が上がっても投資というものは一般の方々には縁遠く、昨年の東大のクラス会で「株を持ってる人は」と挙手を求めるとなんと5、6人しかいない。中国なら同世代でも多分半分以上が手を挙げます。予想はしていましたがどっちが共産国かと目を疑います。ですから、その風土の中で「投資しないと成長もなくてあなたの給料も増えません」て言われてもねと国民にそっぽを向かれる懸念もおおいにあったと思うからです。さらに、「食料品の消費税2年間ゼロの財源は経済成長による税収増です」しかも「単年度会計ではなく複数年で」となる”責任ある積極財政” が旗頭となると、財務省は仏教からキリスト教に宗旨替えを迫られるほどの大騒ぎでしょう。そこを突いたのか忖度したのか、「高市さん失敗したらどう責任取るんですか?」と芸人に詰め寄らせるTBSなる民放テレビ局が登場してくる。緊急事態宣言の岡田議員と酷似した手法とも思えます。もし総理の口がすべれば言質を取ったことになり、財務省が減税を断念させる裏シナリオでもあれば、できなかったから約束守って退任してくださいと左翼系メディアを動員して盛大に足を引っ張れるわけです。

仮にそうであったとすれば陰湿です。我が国の伝統的な美意識である「正々堂々」の真逆であって、まともな日本人の神経を逆なでする悪意に満ちた毒がテレビを通じて国中にまき散らされ、世の中が暗くなります。かような、他人を引きずりおろさんとする誰も得しないルサンチマン(総理は「縮み志向」と呼ぶ)が我が国を覆いつくすことになる震源がいつどこにあったかというと、 1997年前後にバブルの後始末の責任問題が大蔵省(当時)に飛び火して霞が関、国会を巻き込んだ大騒動に発展し、複数の金融機関が倒産ではなく江戸時代もかくやのお取り潰しになり、合従連衡が有無を言わさず進み始めたころの東京でしょう。聞こえはいいが、潰せない銀行の存続をかけた公的資金注入とセットですから経営に足かせもつき、前向きな気運など出ようもなかったのはよく理解できます。1997年11月に「財政構造改革法」が成立してプライマリーバランス黒字化が法的な目標として明確化され名前を変えた財務省が緊縮財政主義を採ったことは、バブル崩壊後の景気対策で国債発行が急増した財政のアンバランスを健全化するという理由があったのですが、以後もそれがなぜか金科玉条となって堅持され、財政拡大を阻み景気回復と成長の芽をつんできたという批判にさらされていることは周知のとおりです。法律がある以上役人はどうしようもありません。それを改正しない国会議員がだらしなかった。だから高市総理が立ち向かおうとしてる、そういう図式です。

当時、僕は香港にいて当事者ではありませんでしたが、役所にメスが入った非常事態の中、東京から日々はいっていた情報によれば銀行も証券も激震などという生やさしいものではなく、人が亡くなったり大勢が職を失ったり、その陰でおそらく政官財界のいたるところで影日向に行われていた生き残りへの阿鼻叫喚が国も人心も蝕んでいたのです。結果として、その刹那は誰も気がついていませんが、この大騒動は後世に「失われた30年」と呼ばれることになる妖怪の卵を密かに産んでいたのです。国にお金という血液を供給する財政と金融の本丸にそれが生まれ、人の心の中にまで寄生して蠢きだした影響は各所に甚大でした。国はデフレの病に冒され、需給ギャップが広がり、マイナス金利でも投資は枯渇し、経済の活力は削がれ、GDPも成長率も先進国で劣後し始め、賃金上昇は滞り、若者の未来は閉ざされ、日本人の人口は減って移民問題の遠因となってきたのです。ひょっとして縮み志向の病原菌を垂れ流すこのエイリアンを退治することが総理がど真ん中におきたい目的だったのではないか、だから投資と成長という言葉に魂をこめ、その起爆剤なくして起こりえない真の資本主義的マインドの回帰をめざし「日本列島を、強く豊かに」という言葉で明るい未来を有権者に訴えたのではないか。そう感じたのが本稿執筆の動機であります。

日本国の金融の総本山であるメガバンク3行の合従連衡で生まれた「みずほフィナンシャルグループ」とはいえ、誇り高い野村証券の人間であった僕が移籍する確率は2000年に帰国するまではゼロです。そこから3年あまりでその決断に至ったわけです。何が起きたのかを書きます。東京に帰って見た野村證券は経営陣のみならず社員も末端に至るまで士気をそがれていたと思います。著名な大企業が潰され、全員が職を失うのを目の当たりにしたのですから無理もなく、金融界は上から下まで無意識のうつ病状態にあったと言って過言ではありません。そんな中、僕はエクイティ企画室長を拝命し「チャイナ・オポチュニティ・シンポジウム」なるものを企画・開催しました。これからWTO加盟で貿易開国して急成長する前夜にあった中国への直接・間接投資は日本企業、投資家への強力なカンフル剤になると同時に、おりしも2001年に発足した親米の小泉内閣の下で日本市場でプレゼンスを急拡大していた外資系証券に対して野村が放てるカウンターパンチになると考えたのです。僕が現地でヘッドごとスカウトした約50名の元クレディリヨネのアジア株チームは丸ごとそのまま世界のどこにでも通用して利益を上げる能力を持っており、これを最強である日本株チームと融合すれば外資系に負けるはずありませんでした。このシンポジウムは中国への進出の戦略的重要性と具体策を3日間のダボス会議スタイルの多角的なセッションを通じてご説明するもので、京セラの稲盛会長が趣旨に賛同して基調講演を引き受けて下さり、各業界のトップ企業を含む約千社が参加され盛況となりました。ここで開示したコンテンツが1997年から2年半香港社長をつとめさせていただいて僕が得た知見の集大成であり、この戦略は世界の同業他社より先見性があり時宜を得ていた事はその後の中国経済の急成長をご存知であれば書くまでもないでしょう。株式投資という一側面だけ見ても、その時点で買っておけば何十倍にもなった銘柄が続出しています。

しかし、その後に実際に中国進出して著名になった企業を輩出はしましたが、このシンポジウムの反響は収益という観点からすれば想定以下でした。企業社会への強烈なメッセージになると確信していた僕としては完全な期待はずれだったのです。原因は、いち部長に過ぎない僕の指揮では全社は呼応しなかったことです。つまり僕の力不足は明白だったわけです。しかし、言い出しっぺが誰であろうが、これほど確度の高い儲かる情報がありながら動かない証券会社というものに存在価値があるのだろうか?目の前をネズミが通ってもピクリともしない老猫のようなものではないか?と思ったのも事実です。僕が役員であればやっただろうというのも答えになりません。そんなものはもはやサラリーマン原理で動く感度の低い二流の証券会社であり、高給を支払って頭脳も感度もイニシアチブも一流の人間を集めている米系のトップクラスとは太刀打ちもできないでしょう。結論として、残念ながら「この会社は昔の野村證券ではない。従って僕の存在を必要としていない」となりました。これはまったくもって仕方ありません、年月を経れば会社は変わりますし僕も変わるのです。もしもいま新卒であれば野村を選ばないし、選んでも落とされただろうと考えたのです。その頃、おりしも2001年に発足した小泉内閣の下でゴールドマン、モルガンスタンレー、メリルリンチなど米系証券会社は日本市場でプレゼンスを急拡大し、証券界の勢力図は塗り替わりつつあったのです。僕は金を積まれても外人の手下になる気はありません。かたや興銀には東大・ウォートン同窓の気心の知れた友がおり、酒をくみかわす度に銀行系証券の戦略面、人材面でのポテンシャルは感じており、ドイツ、スイスの社長時代に来訪された田淵義久元社長から大蔵省がユニバーサルバンキング構想(ひとつの金融機関で銀行機能に加えて証券取引、保険の契約などが行える欧州型金融形態)を指向しつつある情報を聞かされてもおりました。 2004年の、僕にとっては人生最大事件のひとつであったみずほ証券への移籍に際しては慰留や叱責はなくむしろ多くの方々の賛意を頂きました。何をもってしても野村証券という素晴らしい会社に感謝すべきであることは論を待ちません。どこで働こうが、外資系の誘いを断ってきた僕として常に心の中心にあったのはまさしく「日本列島を、強く豊かに」でした。それを信じて欧米の投資家に日本株を買ってもらう仕事を誇りを持って早朝から深夜まで営々とやってきましたし、その中で多くのお客様や知人友人から教えを受けてもきました。「中国が他国の書いた契約書に署名するのは開闢以来2度目だ。 1度目は下関条約、 2度目がWTO加盟だ。それほどのことだと心得なさい」と教えてくれたのは香港財界の重鎮であり、そのおかげで確信を持ってシンポジウムが開けたのです。

ですから僕が支持しているのは高市さん個人というより、彼女の頭から出てきた政策であり、それが長年海外から母国を眺めてきた日本男児としてど真ん中のストライクだということです。野党がそれをボールだと言うならまだ分かりますが、どうせ負けるビデオ判定には持ち込まず彼女がピッチャーであることがいかがなものかという方向に持っていく。これは独裁国家の手法でしかなく、我が国の議会制民主主義を真っ向から否定してるわけです。自民党内にすらそれが189人もおり、その手先となっているのがオールドメディアです。ではメディアというものが本来は何かというと、内外のニュースや世情を迅速、正確に国民に伝え、国政を正しく導く民意形成に資すという公益性を持った存在です。欧州では15世紀に発し、18世紀には市民革命が起きる過程で世論形成に大きな役割を果たし、樹立された新政府においては自由権の一部として法的に言論の自由が認められるようになったのです。タイムズ/ツァイトゥング(時勢)、アルゲマイネ(普遍)、ミラー/シュピーゲル(鏡)という紙名がそれを物語ります。かたや我が国の「新聞」の発祥は江戸時代の「読み売り」(かわら版)であって、当然のこととして独裁政権である幕府の統制下にありました。共産主義革命政権やナチスのごとき独裁的政権においても統制下にあったことは同様で、「国民感情をしっかりコントロールする」(洗脳)目的で駆使するプロパガンダにおいて必須の道具だったのです。我が国は以上のごとく氏素性からして新聞は権力の統制下に置かれやすく、共産主義革命政権や独裁的政権の手法である洗脳目的で使われやすい性向があり、現在は左翼系の統制バイアスが強くなっていることが顕著に観察されます。さらに我が国の新聞社がテレビ局の大株主であるケースが多いことはクロスオーナーシップを禁じる世界から見て異常な状態であり、「権力の監視役」が「洗脳」に使われる国が市民革命にルーツを持つ西欧諸国の目から見てまともな国であるとは言えないでしょう。高市総理はかつて総務大臣でしたから電波法を熟知しておられるはずで、遠からず策を練られることを期待します。

我が国では投資というものは一般には縁遠いと書きましたが、エクイティの世界で人生を送りアメリカで教育を受けてきた僕の目には共産主義国家かと映ることが多々あります。共産国も投資はしますがするのは国だけです。マルクスの理論を否定する気はありませんが「ではGAFAMやエヌビディアが国家機関から出てきましたか?」(アリババやテンセントだって)という質問に答えられなければ正しいと認めることもできません。民間に利益追及の自由があり、それを求めて世界最高の才能・頭脳が集まり、熾烈な競争原理が働いて最高の価値が生まれ、それがまた投資資金を呼んで価値が増えます。これが「成長」と呼ばれるもので、お金という物差しで国全体で表して前の年と比べたものが経済成長率なんです。ちなみにエヌビディア社の価値(株式時価総額)は現在約4. 6兆ドル(710兆円)で、2025年通年の日本国のGDP(662.8兆円)を超えてます。日本人1億2,286万人が1年間汗水たらして生んだ総付加価値とほぼ同じお値段の株式がアメリカのナスダック証券取引所に上場しているのです。なぜ共産主義国がうまくいかないかは諸説ありますが、唯物史観を押しのける何らかの社会学的根拠があるかもしれぬと思わせる雄弁な事例として、1961年に人類初の有人宇宙飛行に成功する世界最高の科学技術を有していたソビエト社会主義共和国連邦という名の共産主義国家が、そのわずか30年後に自ら瓦解してこの世から消えてなくなったことが挙げられましょう。自由主義は貧富の差という好ましからぬ副作用を不可避的かつ予見不能的に伴い理論的な美しさは皆無ですが、共産主義はソビエト社会主義共和国連邦及びその影響下にあった衛星諸国において貧者も富者も平等に貧者にしてみせることで理論の正当性を見事に証明し、その美しさを失っていないのは評価したい。よってそれに共鳴される方は世界に5か国だけ現存する共産主義国家に移住を検討されることも人生を楽しむための一法でありましょうというしかありません。

僕は経済学部卒でないので、日本の学校で教わったことと、後に米国の学校で教わったことのイデオロギー的な落差を頭の中で消化するのにけっこう苦労しました。子供の頃から刷り込まれていた「金もうけは悪だ」という観念が消えてなかったんでしょう、野村に入って3年も経っていたのにそうだったぐらいですから卒業して官僚だけやっている法学部卒の方々の頭の構造というのはそこそこ想像がつくのです。知識量もインテリジェンスもマスとして見れば政治家より官僚がぜんぜん上ですから彼らの頭の構造が日本という国の形をストラクチャリングしてきたと見ていいと思うのです。その神輿に乗って政局だけやってる無能な総理大臣が続けば、僕の言葉で言わせてもらえば、日本がそこかしこの目に見えにくい局面で共産主義国的であることは不思議でありません。その目で高市スピーチを見ますと、これはご自身が書いたものに相違ない。官僚からこれが出てくるとは到底考えられないからです。血肉となった自らの文章で緻密に政策を書け、絶対の自信を持って先陣を切って実行できる。まるで企業の大経営者でありオーケストラの大指揮者です。総理であるなしに関わらずこんな政治家がかつて日本にいたでしょうか。世界が彼女の出現に驚き、多くがアジアにおける日本の方向性に賛同し、欧米の左寄りのメディアですら一部がポジティブに報道していることはまったくもって自然です。なぜなら正々堂々と戦った勝利は、右であれ左であれコモンセンスのある人はフェアに讃える。それが文明国というものなのです。

チャレンジという言葉も素敵ですね。目標のバーが高い場合にだけ使う言葉で、掲げているのは確かに日本を根底から変えるほど高いバーです。やらせていただければ懸命にやります、そうでなければ職を辞しますとして解散したのは、「何事もリスクはありますが」という、失敗も言下に想定したヘッジの類は絶つという武士道精神を思わせる決然とした宣言です。この宣言こそ「チャレンジしない国に未来はありません」というメッセージの頑強な礎石であることは子供でもわかるでしょう。国の為にそこまで腹をくくった人を前に大義があるのないのとクソくだらない茶々を平気で入れられるのは礎石を築いたことのない人です。まして、「そうはいっても何事もリスクはありますよね」と相手の前提を無視した前提に平然と立ち返るような人間と、あらゆる種類の知的な会話を行うことは世界中のあらゆる国で不可能であります。そんな無価値なものを、一国の総理大臣の身を切る血判状よりも芸人の思いつきの方が価値があるかもしれないと判断して放映するようなテレビ局に、国民の財産である電波を割引料金で使用させている理由がどこに存在するのか、国会議員は国民の前で討議すべきである。こういう人たちはまともな教育を受けた日本人じゃないなという感覚を禁じえず、皆様の大切なお子様やお孫様にそうした局の番組は見せないことを心よりお勧め申し上げるしかありません。

このままじゃ日本は腐る。7割の有権者が危機感と怒りをもってそう考えていた証明がこの度の衆議院選挙の結果だったのです。これを「一過性の高市旋風だ」と丸めるのがこれまた共産主義的「レッテル貼り」であることを後学のためにご記憶されたい。真実は何だったか?この遠因は、積極的な自民党支持者ではないがあまりに野党がひどいので消去法的に自民に投票していた有権者が、これも積極的に支持したわけではないが多少はましに見える新興政党に逃げたことにあります。自民の誰かに立ち上がってもらわなくちゃいけないと願いつつ、そこで189人の自民党議員が総裁選の決選投票で選んだのが「あの人」だったから逃げたのです。誰あろう僕自身が人生初めてそうした。これは重い事実です。その判断にはこれまた序章があって、自民党の内なる脅威としか言葉もない現象は安倍総理暗殺事件後の「その前の人」の行動から始まっており、総理になってやりたいことは何ですかと高校生に質問されて人事ですと、あまりにずれて唐突な回答に驚き、これはウイットをきかせた彼なりのジョークに違いないと信じていたら本気だったというブラックジョークでした。次の人はグジャグジャねばねば言うだけで何もやらない上に選挙3連敗で自民党を完膚なきまでにボロボロにしました。膿(ウミ)がいっぱいある政党ですからそれも結構。綺麗にして功労者になるのかなと思ってたら残ったのは膿のほうでした。

つまりこの衆院選の大勝は「このままじゃ日本は腐る。自民の誰かに立ち上がってもらわなくちゃいけない」と願っていた、僕のような、「積極的な自民党支持者ではないがあまりに野党がひどいので消去法的に自民に投票していた有権者」が、高市早苗という適格性の高い「誰か」を得たと確信して自民に復帰した、すなわち高市早苗をカタリストとした「自民党の異常事態からの復元現象」であったのです。よって、あるべきところに戻っただけだから持続しますし、高市早苗が前任者と同じぐらい愚鈍だったと積極的に証明されない限り支持率を前任者レベルに落とすエネルギーは宇宙のどこにもありません。よって、高い確率で彼女は、いや日本国は、成功します。誰がやっても全部成功するものをチャレンジと呼ばないことぐらい国民は理解してます。目標が達成できなくてもそこに至る過程の中からこの人は何かを学び取って国民が納得できる次善策を履行するだろう。政治はそういうものであることぐらい国民は理解してます。だから彼女の支持率は7割あるのです。

長期政権のベースを固めるためにも高市政権は可及的速やかにイボコロリか何かで排膿処置した方がいいです。189人対策です。しかし昨今の冷徹さに満ちた主要閣僚たちの対外的言説から拝察するに、閣内はほぼそれができている。高市さん、頭脳明晰な上に不動の胆力と実行力があり、微細なことまでつき詰めて自分の頭で考えて結論を出すインテリジェンスの持ち主は、僕の知る限り世界のアッパークラスにもあんまりいないのです。東大生に多い世間知らずのひ弱なガリ勉でないことは、ガリ勉とは程遠かった小生は存分に拝察できております。それなくしてトランプのような男の懐にうまく飛び込んだりメローニのような女性の心をわしづかみにするようなことは出来ようがないのであって、批判してる人間はそういう能力も経験もなく想像すらつかないのです。ケンカが強そうなんで党内もばっさりいかれるでしょうね、楽しみにしております。そして片山さつき財務大臣も、ダボス会議のビデオ拝見しました。いいですねえ、豪速球が外角低めにビシビシ決まってる感じします。英語うまい人なんていくらもいますが頭悪いと意味ないんでね。彼女は教育大附属、東大法学部トップで留学はフランスのENAときている、財務省の皆さん大変だろうけど国の為に頑張ってください。

というわけでスピーチは施政方針という名のToDoリストです。やることは決まってるんだから速いでしょう。憲法や軍備や皇室典範やスパイ防止法のことはいろいろ思うこともあるので今回は書きませんが、高市さん2/3を取ったのはでかいですね。まずはトランプとの会談を期待しましょう。

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『黒猫フクの人生観』 (第十一話)

2026 FEB 20 23:23:27 pm by 東 賢太郎

地球じゃあ第2次高市内閣が始まったね。支持率6ポイントも上がって73%って、政治の金メダルもんだ。そうそう、ミラノじゃ日本のメダルが過去最高の24個になったってね。国会とオリンピックで “ニッポン” がアゲアゲだって天国の猫界じゃ評判だよ。そういえば日の丸に✖するのも人権だみたいな大分のおっちゃん、誰だっけ名前も忘れちゃったけど残念でした、今ごろきっと悔しがってるだろうね。「私が新党を立ち上げるなんて言われてますが、そんなことはありません!」ってさ、誰も知らねえってのそんなもん。

主人といえばこのまえ仲間で食事してね、「高市推しなんですね」「うん、自民推しじゃないけどね」ってあっさりしたもんさ。だってブログであんなに自民ボロカスだったんだからちょっと意外感はあったみたいだね。でも僕は知ってるんだ。こっそり教えちゃうけどね、高市さんが普通の家の子だから応援してるのさ。主人は自分も奥さんもそうだし球界の盟主巨人みたいなのはへどが出るくらい嫌いでクソくらえだし、家の猫までぜんぶノラ出身っていう徹底ぶりなんだ。だから世襲の安倍も麻生も岸田も石破もぜんぶのっけからボロカスでね、高市さんは自民党っていうドブ臭い泥沼に咲いた蓮の花みたいに見えてるんだ。まあ気持ちわからんでもないけどさ、猫より単細胞だよね。

でもビジネスマンだからね、それだけじゃないよ。株さ。「別に野党が政権取ったって構わないけど、あいつら誰ひとり株のカの字もわかってねえ」ってね、野田が総理なんかなったら大暴落、 一気に2万円も下がるから俺は株は全部売るってあちこちで言ってたんだ。民主党政権だったとき日経平均は歴史的低空飛行の8000円だからね。そうそう中道の小川新代表さんね、驚いちゃうね、日本国の理想はスウェーデンだってよ。移民入れたら強姦が世界第2位になっちゃって、 500万円あげますからクニにお帰りくださいってお願いしてる程度の国だよ。何が悲しくて日本がそんな国にならなきゃいけないの?頭大丈夫かね。わかるでしょこの世界常識との天文学的なズレ。だから解散来てビビって公明に頭から食われちゃってさ、準備不足どころか真面目に政権取ろうなんて思ってないからね、「大義がないぞ作戦」でオールドメディアに大騒ぎさせてるうちに自滅して「SNSにデマが」って負け犬の遠吠えだ。じゃあ君たちもSNSにお家芸のデマ流せばよかったじゃないか。なぜできないかって?ほんとにデマだからさ。オールドメディアはいまだに高市内閣のピンボケ映像を流して下げ下げ運動やってるけどさ、やればやるほど支持率上がるって帽子から鳩が出るマジックショーより楽しめるよね。まあそのうち「トーストを落とすとバターを塗った面が下になる」ってマーフィーの法則の事例集に採用されて末永くバカにされるだろうね。

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