Sonar Members Club No.1

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読響定期 ダン・タイ・ソンを聴く

2024 JUN 16 0:00:53 am by 東 賢太郎

指揮=セバスティアン・ヴァイグレ
ピアノ=ダン・タイ・ソン

ウェーベルン:夏風の中で
モーツァルト:ピアノ協奏曲第12番 イ長調 K. 414
シェーンベルク:交響詩「ペレアスとメリザンド」 作品5

 

音楽に割ける時間が少なくなっているのが悩ましい。ヴァイグレは先代のシルヴァン・カンブルラン同様にフランクフルト歌劇場で活躍した人だが、同劇場は思い出深い場所であり縁を感じる。フランス人カンブルランのメシアンは衝撃的だったが、東独で学びシュターツカペレ・ベルリンの首席ホルン奏者だったヴァイグレの新ウィーン学派はこれまた楽しみで、このシリーズには3月にヴォツェックがあってウェーベルン、シェーンベルク、ベルクが揃う。

この日はヴァイオリニストの前田秀氏とご一緒したが、予習されたとのことでペレアスのスコアを持参された。12音前、ポストマーラーの入り口に立つ作品である。メリザンドは男の本能を手玉に取る。僕も抗しがたいがフォーレ、ドビッシー、シェーンベルク、シベリウスもそうであり、シェーンベルクの回答がこの作品5だ。作品4「浄められた夜」同様に調性音楽で室内交響曲第1番作品9に向けて調性が希薄になる。その時期を横断して書かれたのが「グレの歌」でこれは作品番号なしだ。過去2度ライブを聴いたが春の祭典ができそうな大管弦楽で精密な音楽を構築している。独学の作曲家、おそるべし。ヴァイグレの指揮は主題の描き分けが明快で音は濁らず立体的に鳴り心から満足した。

キャリア官僚を勤められた前田氏はいまは客席よりステージにいる方が多いとのこと。米国の学者との交流、シベリウス5番を平均律で弾けという指揮者の指示など興味深い話を伺った。思えば氏とは2017年に豊洲シビックセンターで行った「さよならモーツァルト君」の演奏会で、ライブイマジン管弦楽団のコンマスをやっていただいたのがきっかけだ。ハイドンが98番にジュピターを引用してモーツァルトを追悼したというテーマだったが、そういえば、ピアノ協奏曲第12番はモーツァルトがヨハン・クリスティアン・バッハの訃報を知り、彼のオペラ「心の磁石」序曲の中間部を引用して追悼した曲だ。偶然だが何かのご縁だったのだろうか。

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イリーナ・ヴェネジアノのショパンについて

2024 JUN 13 15:15:31 pm by 東 賢太郎

いま仕事で頭がいっぱいであり息が抜けない。経営者に休日はない。何をしても、ジョギングしても野球を見ても晴れない。好きだからストレスはないのだが、頭の方は元気いっぱい、いけいけ状態なので、気を使ってマッサージでも行ってやらないと体が壊れる心配はある。どうしようもないかというと、一つだけ救いがある。ピアノだ。いくら弾いても一向にうまくなる気配はないが、5,6時間も没頭できるし、その間は仕事の回路が無になってクーリングオフできるのは非常にありがたい。

ピアノを触りだすと好き嫌いはともかくショパンは避けて通れなくなる。僕のようなお粗末な技術でもそれらしく鳴る曲があるからで、同レベルに聞こえる曲でもシューマンやブラームスは弾きにくくて手が出ないがショパンは弾けたりする。その辺の技術的な根拠は知らない。軍隊ポロネーズ、子犬のワルツは弾いていたことがあるがどうも曲が浅い。好きなのはワルツ第9番 変イ長調 Op.69-1や、簡単だが奥深い前奏曲第4番ホ短調、第15番変ニ長調(雨だれ)のような曲だ。聴くと弾くでは対象認識が異なり、ショパンは好きなのだ。

娘たちが習っていたバラード1番。これは聴くのも大好きだが、弾くのは無理である。だから同曲に関してはやむなくツィマーマンのDG盤を大事にしている。この人、技術も感性も素晴らしい。難所を易々とクリアして自在だ。何事もそうだが、「自在」というレベルまで行かないと一頭地ぬけたことはできない。音楽の場合、そこからは演奏者の人間性が出る。一般に解釈というが、要するにどういう “人となり” かということだ。聴き手には、それに合うあわないで感動の度合いが変わるし、そこが醍醐味でもある。

知らない弾き手の人間性を探り、自分と合うスクールの人を見つけて応援する。これは僕の生まれつきの本性であり、こうして音楽について散文を書くこともそこに源泉があって尽きることがない。同じことを広島カープの二軍を見て田村、佐藤、二俣らの若手に感じているし、なんでクラシックと野球なのかはわからなくても結構だが、ひとことで言うならこれが我が  “人となり” なのだ。音楽や演奏家を「評論」する気など毛頭ない。自分と合うかどうかだけであり、合うから書いているのであり、そもそも良い演奏の規範があるなどと思ってない。演奏家を目指す皆さんはそんなありもしない砂漠のオアシスを目指してもゴールはないし、聴き手にお薦めがあるとするなら、自分の好きなのをお聴きなさい、それだけだ。

僕はNEXTYLEというサイトを作っていろんなジャンルで世界に挑戦する日本の若者たちのビデオを作成し、youtubeにアップしている。音盤をCDRにしてアップしているのと同様ビジネスでも慈善でもない。単純に、意気軒高な若者を応援するのが趣味なのだからどうしようもない。僕がショパンコンクールに関心があり、かつて幾つか稿を重ねたことがあるのも、あの場というものはそれのクラシック版だと考えているからだ。上位入賞者ばかりが著名になるが、僕は1,2次予選敗退者まで見る。隠れた才能を見つける喜びは格別で、何より、すべての参加者がチャレンジャーなのだ。ジャンルこそ違え、自分もそういうティーンエイジャーだった。だから好きなのだ。

本稿は先日youtubeで見つけた25歳のイタリア人ピアニストに触発されて書いている。2010年にセミファイナルまで進出(三次予選で敗退)した、Irene Veneziano(イリーナ・ヴェネジアノ)のバラード1番がそれだ。

何という素晴らしい歌、デリカシー、品格だろう!これにはぞっこんになってしまい、彼女をぜんぶ聴いた。このバラードが技術を競う側面のあるコンクールで品評されるのはしのびなく(というより、本来、無意味だろう)ショパンをうまく弾く人は数多いるが、この品格というものは練習して作れるものではない。できるのは技術までであって、そこから先の自在の領域で出るものはその人そのもの次第という、良くも悪くもどうにもならないものだ。

たとえば35小節目から次小節への入りとそこからのテンポ、壊れそうにせつないデリカシー、僕はここが大好きで、ツィマーマンが大変見事だがヴェネジアノも匹敵する。名だたる大家を含め、ここを詩的に弾いてくれる人はほとんどいないのである。譜面にそういう指示はなく、音符の裏を読むかどうかという話だからまさに人となりにかかってくる。ちなみに2010年の優勝者ユリアンナ・アヴデーエワのバラード1番はこちらだ(別な機会の演奏)。

うまいというならこれだろう。それを競って大向こうを唸らせるコンクールという場は聴き手にとっては一種のショーである。アヴデーエワの技量と個性が大器であることは認めるが、個人的にはロシア人のショパンのような手あいのものがこの作曲家を苦手にしていることにも気づく。ショパンはフランス人とスラブ人のハーフだからロシア人が弾いてどうのということはないが、個人的にはラテン寄りの解釈が肌にあうようだ。

ショパンの楽譜は素人でも弾けそうな曲調が一転して激して6連符に5連符が重なる部分が現れたりする。これを数学的に正確に弾くのはプロでもまず無理であり、弾いたとて聴き手も認識できない。恐らく1小節に同時に弾けというある種のテンポ・ルバートの指示で厳密な音価は求めておらず、ごしゃごしゃと錯綜した効果を求めたという意味ではオーケストレーションに近い。プロがそういう難所をどう処理するかは聞きどころだし、弾く方はそういう聴衆を意識もするだろう。F難度だG難度だと、だんだん平行棒や吊り輪の体操競技みたいになっていく恐れも秘めた譜面であり、当時はなかったコンクールという場の設定はそれに拍車をかけるリスクを覚えざるをえない。

ヴェネジアノはそういった微細なことにまで譜面をじっくり勉強しましたという演奏をする人でもなければ、まったく無視で音符を爆発的に音化して満場をおおと言わせるピアニストでもない。ただただ全身から「ショパン好き」の気が発しており、寝ても覚めても彼の音楽を弾いていたいというオーラがじわじわと聴き手に迫り、特に好きではない僕のような者でも内面から温めてくれるという稀有な音楽家とお見受けする。ピア二ストであれ指揮者であれそういう姿勢こそ演奏家にあらまほしきものと考えるし、決して技術で劣ってもいないが体操競技系に向かう趨勢には目もくれなさそうな彼女のスタイルに共感するものがある。

これだけ濃い音楽を奏でられる人が3次で落ちてしまう。コンクールの価値の方が大丈夫かと心配になる。

僕はこの嬰ヘ短調ポロネーズをがんがん鳴らす演奏が大いに嫌いである。演奏家のせいではあるが音楽にその芽が内包されている。ところがここではファツィオリの低音が深く鳴って尋常でないものが宿り、下品にならない。稀有の演奏だ。

プッチーニが好きでなければこういうものは弾かないだろう。誰の編曲か、あるいは自身のものか、いいねえ、ボエームを観たくなるね。

この人はその後も欧州で多くのコンクールで上位入賞している(パリの「Tim Competition」で第1位とグランプリ)。現在39歳だがスターダムに登っている様子はなさそうで、演奏後のお辞儀を見ると当人もそういう趣向の人ではなさそうだ。このことはCDが売れなくなった音楽産業の問題でもあるのだが、それが作りあげてきた20世紀の大家とは何だったのかという根源的な問題をも喚起する。ホンモノのピアニストが等閑視され、派手な技巧とパフォーマンスがないと売れないという傾向が進むとクラシックの文化は滅びる。

グローバリズムの時代がそれに拍車をかける。それは世界のアメリカ化であり、さらに進めば芸術のディズニー化というおぞましいものが待っている。民族文化は破壊され、世界の大衆はどんどん幼稚になる。選挙は彼らによるファン投票と化し、腐った民主主義は独裁制の揺籃となる。そんな潮流の中でロシア人とイタリア人のショパンを論じてみようなどという試みはもはや用をなさないだろうが、僕はそういうナンセンスに逆行したい人間である。ロシア人が好んでプッチーニ・パラフレーズを弾くとは思えないし、幼時からの音楽言語が演奏の底流から消えると考えるのは日本人が味噌汁を飲まなくなる心配をするようなものだと信じるからだ。

最後にモーツァルトのK.488を。2015年、フランクフルトで開催された「ドイツ国際ピアノ賞」のファイナルだ。

このコンチェルトをこんなに優しく寂しくエレガントに弾く人を僕は聴いたことがない。第1楽章から悲しさが漂うのは驚くべきだが、少しも人為的なものがなく音楽は常にピュアだ。といってペライアやルプーのような珠玉をころがす美音に徹するわけでもないというユニークなアプローチといえる。白眉は第2楽章。ソロのフレーズでふっと間をあけ、何かに戸惑ってたゆとうような様はロマンティックを超えてオペラティックである。彼女のショパンにもみられるが、ピアノフォルテでこの発想はでなさそうでありモーツァルトの意図ではないだろう。彼は先進的な音楽を書いたのであり、それを紡ぎ出したヴェネジアノの感性と知性に脱帽するしかない。まだ若い。この人はさらに進化するだろう。訪日の記録はないがリサイタルを聴いてみたいし、できれば話をしてみたい。

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人生を左右したかもしれない祖父のひとこと

2024 JUN 10 0:00:40 am by 東 賢太郎

父方の祖父は口数が少なかった。名は憲次郎という。2歳まで一緒に暮らし、9歳の時に亡くなった。声まではっきり耳にあるのは、孫の手相をじっと観て「この子はタイキバンセイだよ」と父に言ったことだ。幼稚園児ぐらいだったから意味は分からない。父が喜んでおり、そうした様子からなにやら大変な宣告があったみたいで、人生の黎明期にぽっかり浮かぶ小島みたいな記憶だ。これは後年に「人生重大事件」に加えたほどの出来事となる。僕の「人生重大事件」リスト

去年書いた稿にこうある。

三つ子の魂のエビオスは今も

祖父はどうだったか。記憶は朧げだが、寡黙で頑固一徹。気丈、気骨の明治人という印象が強い。和服で冬はいつも火鉢にあたり、江戸っ子言葉で短髪でさっぱりこぎれいな風貌で、英語どころかカタカナ言葉も出てくるイメージがない。僕は生まれてから2才まで祖父の家の離れに住んでいたが、引っ越してからもよく連れられて遊びに行き、将棋を教わったり手相を見てもらったり、近くの板橋駅まで歩いて肩車で蒸気機関車を見せてもらったりもした。食後に必ず消化薬のエビオスを1錠くれる。この味が無性に好きになり、誰もいないときビンをあけて盗み食いしていた。浅田飴は止まらなくなり、大人が外出中にひと缶ぜんぶ食ったのを見つかった。3才ぐらいだったと思う。死んだらどうしようと家中の大騒ぎになり大目玉を食らったが、祖父だけは僕の顔をじっと見て大丈夫だよと泰然自若、叱りも何もしなかった。祖父が大好きだった。

小学校4年のことだ。なぜか精霊流しの夢を見た。真っ暗な川面にたくさんの灯篭(とうろう)が静かに浮かんでいて、薄明るい蝋燭(ろうそく)が黄色く照らしている。すると、灯篭のひとつにいつもの和服を着た祖父が立ったまま乗っており、ゆっくりと右の方向に川を進みながら天に昇っていくのがズームアップしたように見えた。こちらを見なかったが、蝋燭の光が下方から照らしている横顔がはっきり見え、今でもこうして光景をくっきりと描写できるでほどで仰天した。大変だと焦りまくり、大声でお爺ちゃん!と叫ぶと目が覚めた。祖父が胃癌で亡くなった知らせがあったのはその翌日だ。板橋の家に駆けつけると、祖母が玄関まで泣きながら出迎えて、ケンちゃん、おじいちゃんこんなになっちゃったよ、と布団に横たわる祖父の前まで手を引いていった。

賢太郎と命名したのは祖父だ。父によると元東京都知事の東龍太郎にあやかったというがその辺は不明だ。子供時分、賢太郎ちゃんとフルネームで呼ばれるとどうも大仰でくすぐったい。ともに次男だった祖父と父は「太郎」に想いをこめたようだが、問題は賢のほうだ。長じて大いに名前負けになり、挽回に一苦労した。気にならないようになったら会社の同学の先輩におまえは不遜で生意気だ、そんなんじゃ社会不適格だと独身寮の部屋の壁に墨で大書した貼紙をされた。後年になって、従っておけばよかったと後悔した。賢より上があると悟り、息子には大書された文字、謙をつけた。

祖父も父も僕の晩成を見ずに逝った。父は幼時のアルバムに「賢太郎 健康と幸運を祈る  穏やかな老後をすごしなさい」と書き残しており万感胸に迫った。そうしようと思うが、それには祖父が占った「晩成」があるはずだ、まだ成ってないぞと思いながらあっという間に70手前まで来てしまった。60手前では何かしなくてはと一人屋久島へ飛んで千年杉を拝んだが、あの急こう配の登山はもうできないからやってよかった。同じように、いま何かして、5年後にもうあれはできないというものがあるはずだ。それをやり遂げての晩成であり、祖父は60年まえにそれを見たのだ。神山漢方のおかげで身体は信じられないぐらい元気だ。気力も充実だ。しかも偶然とはいえ不足のない仕事が現れている。

人間は偶然おぎゃあと生まれるのではなく、なにか役目を負ってこの世にいると僕は考えている。非科学的な運命論かもしれないが、これまでの人生は ”そこ” へ向けての長い行程であって、数多あった失敗も絶望もすべてはそれのためにあり、 ”そこ” まで行けば役目を果たして穏やかな老後となる。そうとでも考えないと説明がつかない偶然のようなものが今まさに僕の周囲で一気に蜂起しており、これはどんな宗教も確率論も歯が立たないだろうと考えるのが最も合理的と思える。僕だけが強運ということでなく、おそらく誰にも起きていて確率論はそれを恐らく証明はするだろう。もし僕に何かあるならば、祖父の言葉でそれの到来を確信し希求して60余年も生きてきた、だから超唯物論的な存在が見えている。そういうことではないだろうか。

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祝 カープ大瀬良投手 No-Noを達成!

2024 JUN 8 6:06:20 am by 東 賢太郎

プロであれ草野球であれ投手はまず完全試合をやりたい。そんなことはない、大谷だってできないんだよ、勝てばいいのさという派閥もあろうが、1-0で負けても三振をたくさんとったから満足できてしまい、「おいなんでお前だけ悔しがらねえんだ」なんて主将に怒鳴られたりするポジションが投手なのだ。

野手の練習メニューは半分は連携でサッカーみたいな集団プレーだが、投手はブルペンでひとり黙々と投げてボール1個入ったの外れたのと微細なことに明け暮れるからゴルフ練習場のムードに近い。そういうことを何年もやってると、5点やっても6点とれば勝ちじゃないかなんて精神構造にはならない。結果論でそれはあるが、1回から5点オッケーなんて思ってる人はいない。

ということは無意識ではあってもまずは完全試合狙いなのだ。それが四死球を出してNo-No狙いになり、ヒットを打たれると完封狙いにグレードダウンする。とはいえ完封だって十分に難しいから投手の勲章ではあり、ましてそれより上のNo-Noはほとんど神の域の偉業ということは野球をやった人は承知だ。だからだんだん野手が緊張して記録が途切れたりするからますます達成は難しい。

僕などプロでNo-Noをおやりになる方々は大統領より偉く見え、巨人・戸郷クンなど年の差は関係なく戸郷サンとお呼びするしかない。そして、その偉人列伝に我が広島カープの大瀬良サンが加わられた瞬間は保有株がストップ高したのの百倍ぐらい歓喜を覚えたのである。しかも相手はこのところ絶好調のロッテ打線というのだから花を添える。三振は2つしかなくフライとゴロばかり。芯をはずしまくった練達の投球術だったからロッテが悪かったわけではない。

実のところ、ヒジをやってしまって3度もメスを入れた大瀬良はもう終わったと思っていた。現に以前の球威はない。そうなったらどうなるかはわかってるつもりだ。先日、やはり好調の日ハム打線を零封した森下も同じだ。ふたりとも力感なくひょうひょうと投げたようにすら見えたがプロの投手の並外れた精神力と凄みを見せていただき心から感動した。前進する人は美しい。

あっぱれだ、おめでとう!!

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東京証券取引所を訪問する

2024 JUN 6 6:06:44 am by 東 賢太郎

人形町でM&Aの交渉。ちょっと疲れた。せっかく来たので昔なつかしい芳味亭でランチをするかということになった。なにせここのビーフスチュー(シチューでない)はとろけるような柔らかさでデミグラスソースとの相性抜群、オンリーワンの旨さなのであるからご存じない方は一度は賞味されることをおすすめする。昭和8年、横浜のホテルニューグランドで洋食を学んだ近藤重晴氏が始めたらしい。洋風のおかずに白飯という「和」のスタイルが洋食なるものの原点だ。

欧州時代に会議で帰国した際はこの近く(箱崎)のロイヤルパークホテルが定宿だった。到着するといつも夜で、ひとり水天宮のあたりに出てラーメンをすすった。これが久しぶりで飢えておりご馳走だったが、なんとなく物寂しくもあった。数日のきつい日程を消化し、帰りはそこから目と鼻の先の出国ターミナルでパスポートコントロールと荷物検査を通り抜けて空港バスに乗る。夕方のフライトだと大体すいている。いつも運転士のすぐ後ろに陣取ったのは、幼時に電車でその席に座りたくて仕方なかった、その名残だろうか。やがてバスはするすると動き出して大きく右に旋回する。そのあたりの光景がいまでも高解像度カメラのビデオのようにくっきりと瞼に蘇る。やっと家に帰って家族の顔が見られるぞとほっとしたものだから、この光景だけが、まるでそこだけカットしたかのようにぽっかりと記憶に焼き付いているに相違ない。これを何十回やっただろう。お疲れさん、よく仕事したねと自分に言ってやりたい。

家といってもロンドンやフランクフルトやチューリヒなのだから考えればおかしなものである。普通はさあいよいよ外国だぞのモードに入るわけだが、完全に天地逆転の感覚ですごしていたわけだ。若かったロンドンの頃は空港に社用車の迎えなどない。ヒースローから大量の荷物を抱えてえっちらおっちらタクシーに乗っかって、運ちゃんと退屈な会話をしながら小一時間ゆられる。疲れ果てて家について、妻に迎えられるとどんなにほっとしたことか。子供達にすれば生まれた時から天地は逆だった。彼らの天地は日本で育った僕や妻とは物心ついた初めから逆なのだから、実は親はわかるようでわかってないということになかなか気づいてやれなかった。

人形町から日本橋方向に歩き、息子が行ったことないというので東京証券取引所に立ち寄ることにした。電子化されて立会場の面影は皆無、なにやらSF映画の宇宙ステーションみたいな光景になっている。ここで仕事をしたわけではないが、仕事のすべてはここに関わっていたのだ。僕は証券マンでも異例であって、ボンド(債券)を売った記憶がない。なぜかは覚えがない。動かないものはまったく興味がないから債券は石ころみたいに情熱がわかない。きっと売っても売れなかったのだろう。すなわち根っからのエクイティマンであり、株式が大好きであり、一枚の伝票で160億円の商いをしたことがあり、そうであることに誇りを持っている。そんな破格の注文も、すべてがこの場所で執行されたのである。

東証本館1階には「証券史料ホール」なるものがあり「我が国の証券市場の歴史に関する史料から特に歴史的に貴重な品々を選んで年代順に紹介されています」とある。

息子がガラスの展示ケースの中にこれを見つけた。東京株式取引所(東株)の創立証書である。

田中平八の直筆サインは初めて見た。感無量だ。写真を撮って息子に「ご先祖さまに恥ずかしくない仕事をしろよ」と言ったものだが、それは自分にかけた声でもあった。

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よいこのとうきょうとちじせん

2024 JUN 2 6:06:27 am by 東 賢太郎

みきゃんで~す、あたしミカン色なの、カワイイっしょ?

猫かぶるんじゃないよ

あらなによ、あたし犬よ、失礼ね!

あんたら、猫のどこが悪いのよ

怒るなって、泥棒猫はいるけど泥棒犬はいねえだろ

負け犬はいるけど負け猫はいないよ

あら、カエルのニーラちゃん、応援あんがと

カエルはいいわよ、男女わかんないからLGBT法いらないし

やはたいぬ君、あんた男でしょ、特技あんの?

オレか、ラジオ体操だ

学がないねえ、ワタシねこ界の最高峰、山猫大学卒なんだけど

ニーラちゃん、あんたは?

うん。あたしカエル大学卒、それも首席よ、文句あって?

よしわかったわかった、そんじゃあみんなで仲良くラジオ体操だ

 

おめーらいい加減にせーや。

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どうしたんだ広島カープ!

2024 MAY 29 22:22:42 pm by 東 賢太郎

5月6日だった。アメリカから筒香がDeNAに帰って来ていきなりホームランを打った。他人の弁当はうまく見えるというが、それだけとも限らない。なんたって、我がカープ打線はホームランがないどころかDeNAの東投手、大貫投手にひねられて2試合も零封され、外野に球も飛ばないじゃないか。怒り心頭に発し、

こんなみっともない打線がプロを名乗るのはやめろ!

クリーンアップは森下投手と床田投手にしろ!

と強烈にぼろかすに書いたのである。

帰ってきたDeNA筒香、なんてうらやましい

そして、唯一の希望として、

「期待は末包の復帰ぐらいだ」

と書いたわけだ。

そうしたら驚いた。なんとその翌日だ。二軍にいた末包が一軍に昇格した。そして阪神戦に5番スタメンで登場し、タイムリーを打って勝った。

そうか!新井監督、我がブログを読んでこのやろーと怒ったんだな。

そこから12勝4敗の快進撃である!とうとう今日はこうなった。

かねてより交流戦は駄目だ。特にオリックスとソフトバンクには赤子の手をひねるようにやられている。昨年のパの覇者に14-0?いったい何が起きたんだ?

この日も先発の森下投手は圧巻の3打数2安打。3塁打を打ってお立ち台にあがったショートの矢野は「森下さんに打率負けてますし」と笑った。よしよし、クリーンアップは森下投手と床田投手にしろ!のファンの声、きいてくれよな。

ありがとう。今日は酒がうまかった。

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楽しかった2年の東京サラリーマン生活

2024 MAY 28 13:13:41 pm by 東 賢太郎

思えば若いころに東京で働いたのはわずかだ。ロンドンから8年ぶりに帰ってきて、日本橋1丁目1番地、再開発中の当地で今も有形文化財として残る通称軍艦ビルの7階にあった国際金融部というところに配属になった。35歳。浦島太郎だったから皆で居酒屋で飲んでカラオケで歌って騒いでなんかが実に新鮮だった。東京生まれ東京育ちなのに東京でサラリーマン生活をした思い出というとこの2年間しかないのだからとても現場に長かったことになる。

国際金融部は高度な専門知識を要する引受部門であり、後にも先にもそうした部署で働いたのもその2年だけだ。それまで営業しかしてないからはじめは仕事がぜんぜんわからない。そもそもデスクワークという経験すらなく、シーンとした中でじっとしてると落ち着かない。そんなのがいきなり課長でやってきたのだから部下の皆さんの方が大変だった。4課ある大きな部で精鋭ぞろいである。巨大な野村證券という会社の中でも知性、語学、教養において最右翼であり、当時始まった女性の大卒総合職採用のHさんは業務の合い間に試しに受けた京都大学に合格してしまい一時騒然となった。さらには皆さん芸達者でもありショパン弾きのS君、和田アキ子が絶品のH君、テレサ・テンのつぐないが味わい深いFさんなど多士済々で、Xmasパーティーでは僕もピンキーとキラーズを踊った。F君はフランクフルトの我が家でピアノを披露し、僕がチェロを取り出して即興でサンサーンスの白鳥をやった。

きのうたまたまその頃の方々にお会いする機会があった。34年ぶりだったが話し始めると一気に時が戻り2時間があっという間だ。僕が再び東京勤務で戻ってきたのは国際金融部から2度目の海外勤務に出て、ドイツ、スイス、香港の社長をやってのことだが、もう45歳でありサラリーマン生活という感じではなかった。そこからなんで野村を辞めてしまったかはご存じなく、実はね・・・と話すとえ~!の連続である。部長がライバル(みずほ証券。実質は興銀)に移籍した事情はそれほど誰にも話せなかった。

今こうして振り返ると海外勤務の狭間だったあの2年間は輝いて見える。そんなあれこれは関係なく、苦楽を共にした皆さんのことは忘れてないし、そこで引受業務をやったからその後があって今に至る。「東さんいくつですか?」「69だよ」がまたえ~!で、もうそんなにたったんだねということでお開きになった。

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日本の根幹がここまで腐敗したかと絶句

2024 MAY 26 2:02:05 am by 東 賢太郎

去年のプロ野球オールスターのファン投票は唖然とした。阪神タイガースの選手がセリーグの全ポジションで1位だったからだ。阪神は強かったしファンが熱狂したのはよくわかるが、それを見て僕は選挙の「組織票」というものを連想し、あほらしくなって試合を見る気が失せた。昔はセ・パ名選手のプライドをかけたガチンコ勝負が国民的人気で、最下位球団からでも実力者は選ばれた。実力など一顧だにせずリスペクトもなくブルドーザーでなぎ倒したかに見えるあの投票を見て、他球団のファンの野球少年たちはどう思っただろう。オールスターがエンタメの芸能野球に堕落していくばかりか、プロ野球全体の未来まで心配になる。

同じようなことが政治で起きてないだろうかというのが本稿の趣旨だ。4月にあった衆院選挙の東京15区は自民党、小池都知事の趨勢を占う選挙として全国的に注目の的であり、目に余る選挙妨害が社会問題にもなり、江東区民も大いに熱くなっているものと思っていた。ところが、ふたをあけると投票率は15区の過去最低を更新する4割である。GW前の補選だったにせよ、大山鳴動して鼠一匹の感を禁じ得ない。その「低投票率の必然の結末」として、立憲・共産の組織票を獲得し、有権者のたった12%が名前を書いただけの酒井菜摘氏が当選した。凄いもんだ、1割ちょっとの得票で衆議院議員になれてしまう国会って何なんだろう。これが民主主義ですからで済んでしまってこの国はいいんだろうか。

その日に限らず、投票率はおおよそいつでもどこでも低い。地縁が希薄な東京は区議会だと候補者の顔も名前も知らない。選挙の時だけ駅に立ってる知らない人に握手してもらったぐらいで都民はその候補に投票しないし、投票所に行こうという気にもならないだろう。国会議員や都知事になれば顔、名前は知っている。しかし、どうせメディアが祭り上げた著名人が当選するんだろうとなるからやっぱり投票所に行かない。このことは、どうせオールスターは阪神ばっかりだろとなって、僕がそうだったように、野球をよく知ってる玄人のファンほどあほらしくて試合を見なくなるのと非常によく似ているのである。

選挙においては「よく知ってる玄人のファン」とは、保守であれリベラルであれまじめに働きまじめに納税し国と家族を愛するまともな有権者を意味する。この人たちがあほらしくて投票所に行かなくなる。見るからにパッとしない経歴の、愚鈍にしか見えない候補者のポスターが並んでいるからだ。こんなのしか選択肢がないのか。まともに勉強してきた高学歴の意欲をそぐための、これは極めて有効な一撃である。貴重な週末になんでわざわざこんな奴らの名前を書きに行くんだろう。ますます投票所に行かなくなる。そこで投票率3~4割となり、組織票というブルドーザーで押し切って1割ちょっとをむしり取った自公が圧勝する。これぞ権力者の思うつぼなのだ。

この作戦で国会を利権団体や大企業やいろんな名前の神様の組織票をもつ候補だらけにしてしまう。あほらしさの演出だ。馬鹿のカーテンで見えなくした向こう側で、過半数を得た自公が立法権と予算配分権を握る。これで無敵だ。ザルの政治資金規正法を制定して裏金・脱税やりたい放題。税金を原資とする政党交付金から領収書のいらない「政策活動費」を50億ももらって地元の地方議員を買収し放題。バレても「適法です」で処理。こんな醜態が目に余るようになり、あげくの果てに国民の関与なくその議員たちの都合で選ばれた総理大臣がせっせと国まで売り始めてしまった。これがいま起きている国家的危機の内実だ。すべての元凶は、まともな有権者が投票にいかないことなのである。

そうやって御簾の向こうで選ばれた岸田総理が安倍氏の暗殺があってからアメリカ民主党の傀儡になっていることは去年に何度も書いた。それがだんだんバレてきて、いまや国民の常識である。我々の税金をアメリカに勝手に10兆円も貢がれて喜ぶ国民などいない。ましてそれが自分の延命目的だ。読売の「次の総理にふさわしい人」で岸田氏は4%。酒井菜摘氏の12%当選などかわいいもん、支持率が四捨五入で0%の人が総理大臣をやってるという日本憲政史上まれに見る事態だ。背景の勢力は同じなのだから上川陽子氏に首をすげ替えたところで同じことがおき、何の意味もないだろう。

つまりこういうことだ。それなりにもっともらしく見える「表看板」を立てておけば日本人は「これが民主主義だ」とあきらめ、投票所に行かなくなり、看板の裏で真の権力者が甘い汁を吸える。日本はおいしい国なのだ。看板はどんな馬鹿でもウソつきでも支持率0%でも構わない。そこで理念も政策もなく売り物は操(みさお)だけの政治家が総理にしてもらおうとアメリカ詣でをする。メディアは広報担当であり、その政治家をもてはやして看板に祭り上げ、お駄賃をもらう売国奴の構図が確立している。昨年、多くの人が名前も知らなかった上川陽子氏を僕がいきなり次の総理だと書いたのはその背景の “原理” からだ(彼女のことはなんにも知らない。だから「物理学による」と書いた)。上川氏は連中に “女性初” がアンタの売りだよと言われ、地元静岡で知事選の応援に立った。総理は選挙の顔である。よし「女性」で攻めよう、強いところを見せなくちゃと柄にもなくおーおーとやっちまってあげ足を取られた。めちゃくちゃ相場観悪いわ、この人。民意へのリスク感覚の欠如はエッフェル姉さんとかわらないようだ。

本稿の読者である多くのまともな有権者はすでに目覚めているだろう。しかし、日本人は政策への理解と関心があまりに希薄だ。住んでいた諸外国と比べて痛感する。それは表看板がそろって政策を自分で策定できない馬鹿であることと裏腹の現象であり、だからこそ「七つのゼロ」を高々とマニフェストに掲げ、結果としてゼロだったのはその達成率だけだったというとんでもない都知事が出てくる。この人は自分に都合の悪いことは「なかったことに」で渡世をしのいできた。マニフェストの無視など朝の化粧より朝飯前だろう。政策は政治生命をかけたコミットメントではなく、票を集めるための化粧品ぐらいの感覚なのだ。

ところが、彼女がいくら頑張ってもなかったことにできない難物が出現してしまった。学歴がウソである疑惑だ。これまた国民の常識となっているわけだが、事実であれば公職選挙法違反で即刻逮捕だ。しかし、重要なのはそこではない。「カイロ大首席卒業はウソじゃないの?」と巷の家庭や職場や居酒屋で公然とウワサされてしまい、その火元である「女帝 小池百合子」の著者を名誉棄損で訴えて反撃もしない(できない)。だから疑惑の火種はどこまでもくすぶり続ける。やがてこのことは歴史に残り、「ねえパパ、ウソはいけないことでしょ?ならどうしてそんな悪い人が都知事やってたの?」と娘にきかれたお父さんは答えに窮する。公人としては、すでに完璧に失格なのだ。

日本はメード・イン・ジャパンに値打ちがつくほど偽物がない国である。ニセ証明書を平気で発行、黙認するような品性の劣る国ではない。だから「妙な卒業証書を提出してきたな」と人事部が不審に思うような人物が日本を代表する一流企業に採用されることは絶対にない。まして社長などなるはずがない。ところが、驚くべきことに、都知事にはなれるのである。公職選挙法に虚偽事項公表罪の規定があるのは、公職に就く者の方が経歴のディスクロージャーの真正性の縛りにおいて民間人よりも厳しく審査されなくてはいけないという法益があるからだが、いまそれと真逆なことが堂々とおこなわれているのであり、この不可解な事実を外国人に論理的に説明するのは何人たりとも不可能である。つまり日本の赤恥なのであり、こんなことを都民のみならず日本社会が認容していいはずがない。

学歴というのはその人が学生時代に何をしたかを “事実” で示す「人物証明」のひとつだ。社会において、初見の人を客観的に評価する手がかりとして広く使われる。ウソをついて〇〇大卒を名のれるなら、まじめに勉強して〇〇大を卒業した人にとって不当な利得となり、〇〇大の信用も棄損して社会に損害を与える。この社会悪の甚大さは「人間」でなく「お札」の偽造、つまり「ニセ札作り」に法律がどれほどの罰を用意したかを見ればわかる。通貨偽造(ニセ札作り)はまじめに働いてお金を得た人にとって不当な利得となり、通貨の信用を棄損して社会に損害を与える。その罪は刑法第148条によって「無期又は三年以上懲役」とされる。殺人罪ですら、死刑でなければ「無期又は五年以上の懲役」(刑法第199条)である。社会犯罪としての公人の学歴詐称の罪の重さが類推できよう。

政治に学歴は無用だという人がいる。そうかもしれないが、ここで言っているのは学歴が立派かどうかというコンテンツの話ではぜんぜんない。記録を平気で「改竄」してしまい、ウソの人生を平然と送れる人のメンタリティー、精神構造、性癖のことを言っているのである。2014年にSTAP細胞の論文でデータ・図表を改竄した事件があったことを多くの方はご記憶だろう。大手新聞、NHKがこぞってけしからんと報道した。人も亡くなった。しかし、それ自体は犯罪ではなく、そういう性癖の人が科学者を名のっても、人をそれでだまして詐欺罪にならなければ刑事罰はない。しかし、それでも、彼女の学者人生は問答無用で終わりだったのである。まして、本件は刑事罰が用意されている公人の学歴詐称問題だ。ウソでない証拠が出ない限り噂は永遠に残る。そういう性癖の人かもしれない疑念も残る。そういう人をわざわざ選んで権力を握らせる理由はどこにあるのかということだ。しかもそれを糾弾するどころか堂々と持ち上げる大手メディアがある。何のざまなんだそれは? STAP細胞事件から10年の時を経て、日本の根幹がここまで腐敗したかと絶句するしかない。

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読響定期 ヴァルチュハのマーラー3番を聴く

2024 MAY 22 2:02:00 am by 東 賢太郎

指揮=ユライ・ヴァルチュハ
メゾ・ソプラノ=エリザベス・デション
女声合唱=国立音楽大学
児童合唱=東京少年少女合唱隊

マーラー:交響曲第3番 ニ短調

(サントリーホール)

 

自分からマーラーを買うことはない。定期のコースメニューだから好き嫌い言えないのはメリットと考えよう。3番はライブで多分2回しか聴いてないが、82年にフィラデルフィア管、86年にロンドン・フィル、どちらも故クラウス・テンシュテットの指揮だった。

ロンドンが凄い演奏でここに書いた。2015年、9年前のブログだ。

僕が聴いた名演奏家たち(クラウス・テンシュテット)

人生で聴いたベスト10に入ると書いているのだから3番という曲にも思い入れが出ていそうなものだが、そこから38年聴いてない。我ながら不思議なことで、マーラーとの相性を象徴する。

今日はチェコの新鋭ユライ・ヴァルチュハである。48歳。テンシュテットと比べてもいけないが、ああこういう曲だったのだなと思った次第だ。音のロジックとして構造的(structural)な楽曲でないから次々にあれこれと繰り出される場面と考え得る全ての意匠を尽くした音彩に圧倒され、読響はそれを見事にゴージャスに展開して見せた。第1楽章、各々が舞台空間において距離をおいて定位するVn群、Trb群、木管、打楽器群の音響が移り行くさまは20世紀音楽を予言する。オーケストレーションにベルリオーズやR・コルサコフとは異なる趣向の感性でマニアックだったマーラーは舞台、合唱隊、舞台裏の3次元パースペクティブを3番で実験している。そこにメゾ・ソプラノが現れると、これまた異界の音響となるのだ。

ブーレーズがブルックナーをやってもカソリックだから理解しなかったことはないが、マーラーを全部やったのは非常に驚いた。残念ながら彼の指揮でも面白いとは思わないが、こうした音響的側面への関心で耳を澄ますと別なものが見える。彼がバイロイトに出たのもそれだったのだ。そのようなことは言うまでもなくオペラに活きるだろう。一曲だけで即断はできないがヴァルチュハはそちらの才があるのではないかと感じた。プログラムによるとフェニーチェ劇場でピーター・グライムスを振ったらしいが、とても聴いてみたいと思わせるものがあった。

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