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菅総理、辞任へ

2021 SEP 3 15:15:18 pm by 東 賢太郎

菅総理が勝てる戦略は残っている

 

それには、3つ条件があった・・・

それが、

 

感染者数、重症者数、死者数が12日までに減ること ➡ ?

河野が受けること ➡ ✖

国民が衆院選で寸劇に騙されること ➡ 

 

ということになったのかどうかはわからないが・・・

 

たぶんこれが安倍の勝ちってことで、

 

安倍の1億5千万疑惑カードは二階が握ったが、二階も37億円疑惑が出てきて帳消しになった。どっちが文春に出ても相撃ちで両方が政治生命の終わり。

 

安倍+麻生=議員票絶対多数 ➡ 幹事長は誰も受けない ➡ 詰み

 

それにしても、ゼロから這い上がった人が総理としてやるべきことがあった。

 

かえすがえすも、オリンピックを中止しておけば・・・・

いやがおうにもコロナに集中することになって・・・

実は中止してもしなくても第5波は来ていたんだけど・・・(http://五輪中止でも危ない日本(IOCは潰せ))

「五輪なんかやったら大変なことになってた!」「大英断だ!」と民意はなって

今ごろ政権支持率70%ぐらいで

続投など楽勝だったはず

強行して守ってやったのは安倍だったように思うが・・・

人として裏切れないと言ってたが・・・

また盟約ができたんだろうか・・

政治は恐ろしい

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菅総理が勝てる戦略は残っている

2021 SEP 1 17:17:04 pm by 東 賢太郎

9月7日解散説が昨日のマスコミに出てしまったので、

 

今のようなコロナが厳しい状況では解散はできない

総裁選の先送りも考えていない

➡ と、今日の午前9時に報道を明確に否定した。

 

なぜなら、

 

役員や閣僚の人事を刷新しても効果は薄い

二階幹事長を交代させて岸田を封じても効果は薄い

➡  総裁選をやって河野が出れば確実に負ける。反菅派の若手議員が結託すれば岸田にも負けるかもしれない、

 

だから一発逆転で勝つしかない。それには、

 

東京都の新規感染者数がこれから減るのを見計らい(操作できる???)

幹事長に河野を据えて(麻生を副総理で処遇、河野は後継約束で取り込んで選挙の顔とし、総裁選には出馬させない)

不意打ちで野党を出し抜き

 

➡   全員を騙しておいて9月12日に臨時国会召集して突然の解散

➡   自民党が60議席失っても自公で過半数キープ(維新、国民に根回し)

➡ 「菅では勝てない」の反対派議員は落選するから総裁選で投票できない

➡     9月29日に総裁選で菅総理続投が決定

 

 

今のようなコロナが厳しい状況では ➡ 感染者が減って状況が変わったので

総裁選の先送りも考えていない ➡ ちゃんと9月29日にやりますよ

 

ということなので、今朝の記者会見の発言内容にウソはなかったことになる。つまり、ヤル気になれば本稿シナリオは可能である。

党内の反発は幹事長・河野で抑え込む

最大のリスクは選挙での国民の反発だが、そこは賭け。どうせ野党は弱い。

安倍の1億5千万疑惑カードは二階が握ったが、二階も37億円疑惑が出てきて帳消しになった。どっちが文春に出ても相撃ちで両方が政治生命の終わり。

 

よって、本稿シナリオは、

 

菅、二階、安倍、麻生の全員が悪くない痛み分けと納得すれば、

4人がつるんでヤラセの寸劇を演じることになって、

石破が出てかきまわさなければ、

 

うまくいくかもしれない。

 

それには、

 

感染者数、重症者数、死者数が12日までに減ること

河野が受けること

国民が衆院選で寸劇に騙されること

 

が条件だ。

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我が賭博論(賭けはいけないことか)

2021 SEP 1 1:01:53 am by 東 賢太郎

昨年のことだったか、黒川検事長が賭け麻雀で退任に追い込まれたのは考えさせられるものがあった。僕の世代からすると後に官僚や法曹になって活躍した連中が本郷の正門あたりの「葵」「珊瑚」「あずま」なんて雀荘に入りびたっている光景などいたって普通だったからだ。学生身分だとレートはテンピン(千点百円)がちょっと高いかなという感じであり、黒川氏はテンピンだから高額賭博をしたのだとマスコミに盛られてしまったが、人を裁く検察官ともあろうものがけしからんという道義的反発が大きかっただろう。賭博罪に官も民もないが公務員はそういうものが人生のコストになってしまうし、まして政治の生贄にされたのだから気の毒だ。

はっきり書かせていただくが麻雀で賭けないなんてのは塩気のない味噌汁みたいなものだ。 外国でOKなら日本もという気はないが、英国では賭けは貴族社会の嗜みだ。ロイヤルアスコット競馬はロイヤルの名称の通り王室が主催する社交場で、もちろん大衆も思いっきり博打を打てる。我が国なら皇室が中央競馬会のオーナーということであり「賭け事」に対する国民性がまるっきり違う。オッズを出す帳場がブックメーカーの元祖であり、還元率が95%とフェアだから英国政府は公式の帳場として認めている。 日本の競馬の還元率は70~80%と低く、宝くじに至っては還元率45%以下と詐欺に値するほど抜きまくっているのに、「公営」(地方自治体が総務大臣の許可で発売)という安全安心っぽさをまとって宣伝しているのは奇異である。民営でもパチンコだけ三店方式で不問というのも変だ。僕は罪刑法定主義を厳格に守るべしという立場の者だが、賭博罪については「ワラントはそれに当たる」と大蔵省に言われ閉口した経験もあり、公営ギャンブル以外は禁じる法律、考え方は江戸時代のまんまといえる。

入社してからは海外なので賭けは合法、やり放題でカジノ、ゴルフを専門にやった。 実のところゴルフはそのためにやっていたようなもので、スポーツとしてそれほど関心があったわけではないから真剣なゴルファーには申し訳なく、趣味の欄にゴルフとは書かないようにしている。 さて、賭けにおいては好スコアを出したほうが有利なのはもちろんだが、毎ホール賭けの状況(倍率)が変わるからそれだけでもなく、種目を多くすると倍率のボラティリティー(変化率)が高くなるのでスコアは負けても賭けは勝つなんてことも結構ある。 つまりゴルフの技術はあるに越したことはないが「このホールは高いぞ」という場面で勝てる勝負強さこそが雌雄を決するからメンタルの強さのゲームということでもある。社会でうまく生きるにはこの能力は不可欠だと僕は思っており、現にビジネスでそれが活きた場面は何度もある。

ゴルフは自然とそのメンタルを鍛えてくれる。最後のパットをはずして大敗なんてなれば敗戦の悔しさの上にカネまで巻き上げられる。朝早くから家族をほったらかして俺は何をやってたんだと自責の念に駆られる。だから、布団に入ってさあ眠ろうと目をつぶると、くっきりとティーに乗っけたボールが、それもポチポチまでリアルに瞼に浮かんでくるぐらいの猛練習をした。 別に賭けに勝てる訓練があるわけでもないが、基本的に下手だと勝つはずないからまずはそれしかない。 そしてそれは競技としてのゴルファーとしても当たり前の努力なのである。だから適度の賭けはモチベーションを正しく高め、努力する意欲をかきたてるわけだ。後に、このことは起業してみてまったくおんなじだと感じ入った。

会社をゼロから起こすのはリスクを取っておカネ(資本)をつぎ込む立派な賭けだからである。ソナーの場合は8千万円を賭けたわけだ。 一般に賭けは怖いと尻ごみする人の方が多いから、会社法は「株主は有限責任だ」としている。104条は国が「オッズが有利な賭け」にして起業を振興してくれていると読まなくてはいけないのだ。株式を買った資金以上には損しませんよという免罪符は失敗のリスクを限定するから、その事業をやれば無限に儲かると信じている起業家にとってみれば “リスク < リターン” の状況が国によってそこに用意されているのであり神のように有難い。かように、英国でできた仕組みというものは賭けを誘発して資本主義経済のエンジンとする思想が盛り込まれているのである。

資本主義は役目を終えたと主張する経済学者が昨今は世界的に増えているが、民主主義社会で共産主義、社会主義が役目を果たして国民を満足させ国を栄えさせることに成功した事例などない。資本主義をやめてそんなものに国運を賭けましょうなんて、そっちのほうがよほどバクチを打っているのであり、資本主義的競争で勝ったことのない人がそう言ってるのだから危険ですらある。日本が民主主義をやめないなら資本主義の永続は不可欠であり、国が税金をばらまいて産業を振興し需要を創出して国民を富ませようなどということは成功するはずがない。ただでさえ若者が元気になれない社会になってしまっているのだからそれは彼らの「賭けの精神」を殺してしまうだけで、その結末は全員が公務員志望となって国は滅びるだけだ。中国との勢いの差は人口だけのせいではない、何億匹いても羊は羊だ、狼がたくさんいるから日本は押されっぱなしなのである。

狼になりたい若者にはゴルフを奨励したい。こんな面白くて人生の教訓に満ちた遊びはない。もちろんジェントルマンとして賭けてほしいが、属地主義で刑法が適用される日本においては順法精神に則り金銭ではなくランチかビール一杯か車の送迎ぐらいが望ましいだろう。おおいに負けて悔しがり、おおいに勝って凱歌をあげ、挑戦するモチベーションを高め、そうすることによってうまくなるんだという実地の経験を積んであらゆることに活かして欲しい。僕はゴルフで自省と忍耐も覚えたが、それが大事だと気づいたのも賭けに勝つためだ。行け行けドンドンではだめなのである。精神修養にもなるからグリーンフィーは安いもの、そういうものはコストではなく「自分への投資」という。

以下の賭けはきっとゲームの「スパイス」「お楽しみ」になるだろう(ググれば中身はわかる)。

ドラコン、ニアピン、タテ、ヨコ、ナッソー、ラスベガス、オトモダチ、ピンポンパン、オリンピック、ヘビ、カニ、キコリ、ターザン、サオイチ、スナイチ、星の王子様、オネストがスタンダード。公平のため平均スコアに応じてハンディを付与しプレー前に4人の協議で決める。 どれをやるかはオプションだが基本であるタテ(ストローク・プレー)、ヨコ(マッチ・プレー)は必ずやるべし。 わざとショートしてグリーンに乗せないペナルティーに淡谷のり子(あわや乗りこ)、三浦とどかず(友和)を加える。

腕前で大差になるのはラスベガスである。 毎ホールの打順で1,4番と2,3番が組んで、スコアが順に4,6,9,5とすると組の小さい方を十の位にして45対69となり24点動く。 ロングだと4はバーディなので相手がひっくり返って45対96となり51点動くという凄いことになる。 そこで日本から見てラスベガスまでは行かないサンタモニカといって4+5と6+9で6点動くというマイルドバージョンもある。

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僕の「人生重大事件」リスト

2021 AUG 29 18:18:25 pm by 東 賢太郎

前にどこかに書いたが、もう欲しいものがない。もともと世俗的な欲はあまりなくて、子供の頃の “2つの夢” のひとつ「なにかで日本一になりたい」は駿台公開模試でやったし、もうひとつの「プロ野球選手になりたい」は「巨人の一軍選手の年俸を超えたい」にゴールポストを動かして達成している。しかし女房子供に自慢してもあっそうで終わり。役員になったとかMBAを取ったとか起業に成功したみたいな方がうける。でも世俗的な欲があまりない人間にとってそういうものは重大事件でないのだ。

僕の「人生重大事件」を時系列で書くとこんな感じだ。どれも他人様には何ら響かないだろうが人間形成に深い影響があったから重大だった。音楽については既にあちこちに書いたので省く。起業後は人間形成完了後なので割愛。

小学校時代

① 近所の野球仲間M君のお父さんに球が速いとほめられた

② いじめっ子から逃げながら小石を投げたらおでこに命中した

③ 祖父が灯篭に乗って天に昇る夢を見た

④ 先生のクイズ「西島君が鉄棒まで何歩で行くか」をあてた

人生重大事件とはこういうものだ。②は校外で遊んでいたらデカい年上の奴らにからまれ友達が殴られた。全力で逃走しながらとっさに石を拾って振りむいて投げたらそいつのおでこに見事に命中。当たる瞬間までスローモーションみたいに見えた。そいつはうずくまり、ふたりで「ざまあみろ~」と罵声を浴びせた。デカい野良犬に追っかけられた時も石を投げて額の真ん中に命中している。なにせ多摩川で毎日石を投げて鍛えていたのだ。①と②は絶大な自信となり、高1で硬式野球部のエースに選ばれた時も当然と思っていた。③は泣いて目が覚め、ほどなく祖父は亡くなった。手相を見て大器晩成だと太鼓判を押してくれた祖父がずっと見守ってくれていると信じて生きてきたから窮地に追いこまれても焦らなかった。④は「153歩」と確信をこめて紙に書き、西島君が校庭の向こうの鉄棒に到達する最後の数歩を自信をもってカウントしながら見守り、やっぱりなと賞品のシャープペンシルを予定されていたようにもらった。そういう能力があると信じて疑わぬ性格になり、腹がすわったビジネスマンになった。そのシャープペンシルは1学年上で後にテレビで有名人になるワルに脅し取られた。この手の種族の奴らには以後絶対に負けないと心に誓った。

中学時代

① パーカーの万年筆をもらった

② エラリー・クイーンにはまった

③ 気に入ってる女の子がクラスにいたが口もきけなかった

①は万年筆に憧れがあって天に昇るほどうれしく英語を勉強する気になった。くれたのは先の友達のお父さんで洋行帰りでカッコよく、叔父がフランス車 “シムカ” に載ってヴァイオリンを弾いてカッコいいのとダブって西洋に行くぞという気になった。②は夏休みに読みふけり「ロジックというものは美しい」と感嘆。論理=言語になりこのような文体になり数学的思考力がついた。③1年生のクラスの女の子に興味はあったがからっきし勇気がなく、ついに一度もまともに話したことがなく精神的には男子校状態だった。そうだった情けなさから勉強か野球でモテるしかないと思い野球に行ってしまった。

高校時代

① 現国の授業でプレゼンをやって予想外にうけた

② 肘と肩を故障して背番号14に降格された

③ 駿台の模試を受けたら偏差値40代だった

④ アジャンタのチキン・カレーに衝撃を受けた

人生初めて大勢の前で足が震えながら教材の好き勝手自己流解釈をしゃべり大拍手を受けた①は偉大な経験(故酒井先生のおかげ)。後のビジネス成功の絶対のルーツであり、ブログもその流儀で書いて既読7百万回に驚きもない。②で野球をあきらめ女の子にもてるには勉強だとギアチェンジした。そこで③という峻厳なる天の審判が下るが背番号14の屈辱よりましだと屁のカッパであった。失ったものがデカいので大学は東大文Ⅰにするしか自分を納得させられなかった。④で「食」の世界の深さに目覚めた。後に世界中で珍味を食べ歩く原点になる。

浪人時代

① 駿台予備校の根岸先生の授業で突然に数学に開眼した

② 公開模試で数学満点、総合点7番で記念品をもらう

③ ミステリーを書いた

④ 3匹の猫に遊んでもらった

①は天恵。これなしに今の自分なし。②で日本一は意外に大したことないと思った。だから現役で受かった私大に進んでいたら①②は存在せず、今の境遇はあり得なかった。③はクイーンをまねた答案。夏休みに熱中。④家族の協力とチビ、チャー、クロ(+トモ)との遊びは絶大な支援だった。

大学時代

① 2度アメリカ旅行した

② 家内と広島で知り合った

③ 自分の頭は大したことないと知った

④ スキー、麻雀を覚えたが下手だった

⑤ テレビに出たが失敗した

①④のように遊びを覚えたに尽きる。勉強は常にそうだが一夜漬けですぐ忘れた。②カープファンでなければ家内とは会えなかった。③そう思ったが勉強以外の頭は別だと正体不明の自信があった。⑤野村に就職が決まって出演させられたNHKの番組で失敗をやらかしたのにお車代を4万円ももらえてうれしかった。

会社時代

① 大阪の個人営業で仕事のすべてを教わった

② コロンビア大学ベイカー・フィールドで9回を投げて野球人生を終えた

③ ロンドンで外資に7千万円で誘われ自分の値段を知った

④ 香港の地下鉄公社オープンに出場して優勝(ゴルフ)

⑤ 野村を辞めたら年俸が億単位になった

すべては野村證券のおかげ。本当にいい会社に入って幸運だった。ゴルフは大阪で初めてやり香港でシングルになり香港金融界80社代表のコンペで個人優勝したがそれ以上は成長しないと悟った。サラリーマンは31年やったが下積み時代は上に忖度しないので苦痛であり、自分が上になると管理業務が苦痛になった。死ぬまでプレーヤーでいるためには起業しかないと悟ったが、最初は銀行口座の資金が尽きるのが恐ろしくて地獄の日々であった。ほんの最近になって、誰のカネであれ100億も動かせれば自分の口座残高はあまり気にしなくていいことを学んでいる。それでもうかる案件は勝手に来るし人も寄ってくる。周囲の皆さんには不思議だろうが今年は一回も家から出ないで黒字になるだろう。なぜそうなれたかという答えは自分でも見つからないが本稿の「人生重大事件リスト」のどこかにあることは確かだ。

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どうせウソでしょ(横浜市長選に思う)

2021 AUG 23 23:23:39 pm by 東 賢太郎

落選した政治家はただの人。よくいわれる。そんなリスクリターンが悪い仕事はしたくないからやってくれる人は有難いというのが僕の政治家に対する基本スタンスである。おかみで上級国民だなどという意識はかけらもなく、彼らを税金で雇っているという感覚である。日本のように市民革命を経ていない国で民主主義を根づかせるには国民の多くがそう考え、”雇用者の感覚” でしっかりと選挙に行くことが望ましい。そうすると、ダメな政治家は落選させるという視点が社会に芽生え、日本国は初めて真の民主主義国家になるだろう。税には社会的不公平はあるが認容されるべきだ。僕は多く払っているほうの部類に違いないが受ける公共サービスは人なみだ。しかし社会の公平とはそういうもの、そこに文句はない。その代わり、公共サービスの中身と質は人一倍厳しく見ることになる。

いちばん許せないのは税金タダ食いのタカリ屋だ。今回の五輪で明確にさらけ出されたように、賄賂、中抜き、裏金キックバックに群がる蠅の如き連中はもちろん、ポーズだけで仕事をしない議員は存在自体がタカリ屋であり、国家の寄生虫である。ちなみに僕は贔屓の広島カープの監督、選手は何度もブログにボロカスに書いているが、彼らを雇っているわけでないので実はそこに道理は立たない。勝ってほしい故の叱咤激励という一点でその不道徳はバランスしているのであって、従って、他球団の人にそれは一切しない。しかし政治家、官僚には金を出しているからそもそも道理がある。ボロカスはぜんぜんありで不道徳でも何でもない。もちろん僕だけではない日本国すべての有権者がそう考え行動することが当然に許されるし、そうしたメタ空間がネット上に形成されればその機能を全く果たしていないマスコミはいとも自然に淘汰される。民主主義、罪刑法定主義に基づくフェアで健全な社会は有為な若者にチャンスを与える。それこそが未来の日本の礎になると考えている。

まずそれをブログにするための自分の立ち位置と行動基準を明確にしておくことこそが実行者の資質としてフェアであると思うので書く。その一、僕は納税者という監視者である。その二、支持政党はなく、今後もない。その三、政治家に親類、友人、利害関係者はない。その四、依拠するものは民主主義、罪刑法定主義である。その五、情報源はマスコミ、ネットで公開されたものだけで特別なものは持たない(他人の頭で考えない)。従って、僕のブログは100%私見であり「以上の条件を満たした国民の目線」の一部を形成しているということにはなるだろう。「私見」という部分に愛国心、人間の好き嫌いのような僕固有のノイズが入るし除去は難しい。そこはフォロワーの皆様のご賢察に委ねるしかない。

以上から導かれる行動のスタンスは以下になる。その一、やるべきことをきちっとやってくれれば政治家は誰でもいい。その二、監視者であるのでその選別の基準は加点法ではない(票を入れてはいけないと考える者の定義の方が、入れたほうが良い者の定義より明確である)。その三、従って無為無能な者に対する落選運動は大いにありとする(税金をタダ食いする者は納税者の敵だからである)。霞が関の官僚はセコい省利省益に走る性癖がビルトインされているものの無能である確率は低い。よって、行政がダメな場合その原因は上に立つ政治家の無能にあると考えてほぼ差し支えなく、無能な者を国会に置いても適切な法律は作れないし行政を監視させる期待もできない。

ちなみに、菅総理は内閣人事局を使うまでもなく官僚操縦術は有能で組閣当初は期待した。指揮者が強力ならオーケストラは本来の力を出すからだ。まずは自助。これに賛否あるのは承知だが、正しいと考える。国民が公助依存では財政的にも資質的にも、確実に国が滅びるからである。ただし総理の権力掌握はその技が冴えているがゆえに両刃の剣だ。官僚を人事で脅す。まず省内で自分に逆らうエースをあえて飛ばし、出世と超無縁のカスを劇的に大昇進させる。ええっ?と満座が驚く意外性があるほどメッセージ効果は絶大である。人生終わったあんな奴でも偉くなれると、すでに終わってた連中が元気になる。そしてエース級はビビる。その結果、両者とも総理にゴロニャンする忖度合戦に走る。全体の能力偏差値は下がるから組織は腐って没落する。会社にもこういうのがいた。当然の結果として幹部はゴロニャンだらけのカスの集合体となり業績はボロボロになり事件まで起こして自分も幹部もクビが飛んだ。今の官邸、あれを思い浮かべる。

現実は両刃の剣の悪い方だけが出ている。いまや自民党の「コロナ対策サービス」は100点満点の数学のテストの答案に “7点” と書かれて返ってきたぐらいの衝撃的な赤点にしか見えない。100円税金を払って10円分の満足もないからだ(その「採点」の理由はこれまでのブログに詳細に書いている)。政策には一貫して知性の香りすらないのだから何が良い悪いではない、「国民の生命が危機」である事実をもたらした大失策に反論の余地は微塵もないということに尽きる。東京の感染者数は操作されているはずだ(意図があるか物理的限界かはともかく)。陽性者率だけあんなに上がる原因がウィルスの特性というデータは見たことがないから検査数が少ないとしか考えられない。報道の何倍もの感染者が街を歩いているなら他人事ではない、僕も我が身や家族、社員の生命が危機だと感じる。この事態は国家として如何なものかなどという綺麗ごとの話ではない、もっともっとハードボイルドにやばい。どんな暴君や独裁者だって自分の身が危険だからそこだけは気にするのが人間の理(ことわり)だ。現にテロリストのタリバンですら「市民は安全」と言ってるし、安全にできなかったから失権したガニ大統領はケツをまくって国外に逃げている。どうして日本の総理の身だけは大丈夫なんだろう。

菅総理はあれだけ「安全・安心」を言いまくった。科学的根拠があると思った人はたぶんいなかったが、曲がりなりにも言うだけのことは何かやるのだろうと思っていた。それが何もないばかりか、あり得ないほど見事に真逆の「危険・心配」になっているではないか。わかったことは、抜群なオーケストラの指揮技術(巧みな棒の振り方)はあるが、肝心かなめの音楽性に欠ける指揮者というものは、確定的に恒常的につまらない音楽を生み出すということである。これを「総理のぶれない姿勢」とヨイショしてる恥ずかしいバカな議員がいるが、政治は人命にかかわるのだ、つまらないでは済まされない。支持率25%も当たり前である。五輪開催は政治的に完全な失敗だったが、別の意味でも圧巻であった。あれだけ全身全霊の気合をこめてタイミングよく絶大なマグニチュードで予測を外す例は生まれてこのかた見たことがない。勝負に弱いばかりか運もなかったのだろう。しかし、古代の部族の長は雨乞いも仕事であり、雨が降らないと殺された。

横浜市長選は明暗が分かれた。小此木氏の「IR見直し」が「どうせウソでしょ」と見られたことが大きかった印象がある。争点がIRよりコロナ対策になったせいだという見方もあるが、それも「どうせウソでしょ」の範疇であることはかわらない。なぜなら、菅官邸は五輪強行を正当化しようとたくさんの見え見えのウソをつきまくる羽目になり、全閣僚が絵にかいたようなオオカミ少年になってしまい、息をすればウソをつくイメージが国民の脳裏に焼きついたからだ。さらに総理ご自身はIR推進派の頭領である。それが、身内の小此木が出るならとあっさり中止派になる。なんじゃそりゃ?手段を問わず勝てば何でもいい。自分が生き残ることだけのプロフェッショナルである。有権者を馬鹿にするなという怒りを買ったということであり、だから総理が肩入れすればするほど小此木氏の支持率は下がったのではないだろうか。

ここから総裁選と衆院選とどっちが先だ後だと始まる。そういうのを政局というらしいが、卑しい響きの言葉で僕はそういうものに何らの価値も見出さない。国民の幸せにまるで視点をおいてない自民党のお家騒動の陰でコロナで人が死ぬなどあり得ない。野党のカスぶりも救いがたいもので自公がオウンゴールで5失点ぐらいしてるのに立憲民主の8月の支持率は7月より低い。まぎれもない無為無能の評価といわれて反論できるのか。誰とどう組むのか組まないのかシャドーキャビネットも具体的に見えてこないのに小選挙区制で勝とうという党首の頭の構造が知れない。共産は一部の幹部の知能指数は高いが、本気で勝つ気があるならばりばりのマルクス主義でもないようだし党名を変えるぐらいのことをアドバイスする。ともあれ、どれも現状は自公のあげ足取りやら恥ずかしいヨイショやらで議員バッジを死守するだけの税金タダ食い族にしか見えない。

自公の閣僚が国民をおかみ目線で馬鹿にしている姿勢は極めて不快で許し難い。俺たちの方が賢い、だから国民の質問などには答えない、国会も開かない。ジョークはやめてくれ。阿呆が自主研究だの別の地平からのご発言だの偉そうなことを並べ、ウソとホラで世論操作できると信じこんでいるこの勘違いぶりこそ別の惑星の地平である。やるべきことをきちっとやってくれればまだしもこの連中が “7点” のコロナ対策答案を書いて国民に死の恐怖を与えているのだから何をかいわんやである。くりかえすが、こういうのが税金タカリ屋というものなのである。それでも選挙はなんとかなるというお気楽な発想は総理がコネで応援すれば当選だという魂胆、親の七光りで出来の悪い子を米国コネ留学させる魂胆などと同根で、世論に片っ端から否定されつつある。そういう情報はネットでばらまかれて糾弾され、即時に有権者に共有されてしまう時代が来ていることを最も理解してないのが政治家とマスコミだ。

政治家のすべての評価は、国民による通信簿に基づいた選挙という審判で行われるべきである。今回の横浜市民が下した鉄槌による重鎮の落選。自公のオウンゴールという色彩は否定できないが、さすが大阪を上回る日本最大の政令指定都市、近代の幕を開けた横浜だ、見事に古い自民党的なものを砕く端緒になったと感じる。

ジャイアンであるためにジャイアンな政府

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我が「自助」的コロナ対策

2021 AUG 19 15:15:04 pm by 東 賢太郎

コロナは風邪だとかさざ波だとか打ち勝って見せるとか、ウィルスをナメた者はみな討ち死にした。トランプ政権も安倍政権も。かくして世界の為政者はウイルス以前に「落選」の恐怖と戦う。製薬メーカーは稼ぎどころだ。そこで頼みの綱はワクチンと満場一致で決まる。「2回打て、さらば救われん」。当初の効果は高くバイデン、ジョンソンは生き残った。ところがワクチンは半年程度で効きが落ちることがわかってきた。変異株への効果は新種が出てみないと誰もわからず、変異のバリエーションはゲノムの数からしてほぼ無限にある。だから当然の途中経過としてこういう記事が出るのである。4回目も5回目も出る。

「デルタ株」など変異したウイルスが拡大する中「今後ワクチンの有効性は低下していくだろう」、2回の接種を終えた人にも、ことしの秋以降、3回目の接種が必要になる(2021年8月5日、モデルナ社)

イスラエルでは、16歳以上の8割以上が2回のワクチン接種を終えています(筆者注:ファイザー社製)。しかし、接種を終えていても重症化するケースが目立つとして、60歳以上の人に対し、3回目の接種を行うことを決め、対象者への接種が始まりました(2021年8月8日、NHK)

そうこうするうち、あっけらかんと恐ろしい記事が2つ朝日新聞に出た。僕の頭のセンサーの中で、何やらパチンという音がきこえた。”非常な意外感” を覚えるのだ。

自宅療養中の死者数、厚労省『把握していない』(8月10日)

厚労省は「ラムダ株」の感染が国内で初確認された東京五輪関係者と飛行機内で濃厚接触した可能性のある人のリストを、関係自治体や大会組織委員会と共有しないミスがあったと発表した(8月18日)

丸投げされている現場は開き直っているというか、もうバンザ~イなのだろう。パワハラ上司に詰められた部下が「わたしバカなんで」とキレてしまった感じすらする。しかし、それは五輪の現場でもたくさん起きていた。ちがう。意外感の源はそれではないのだ。

今までなら役所はこのような重大な不始末は「隠蔽」してきたはずなのだ。こんな国防上の大失態をゲロされたら政治家はたまらない。厚労大臣は即刻クビに値するし首相は任命責任を問われる。だから、こういう時こそ、隠蔽どころか法律違反すら犯し、身を挺しての公文書改竄までして「お守り申しあげる」のが安倍ー菅政権での官僚の特急コースの出世切符だったはずなのだ。何かが中でおきている。これ以上深い傷を負わないようにということかもしれない。

ダイヤモンド・プリンセス号のお手上げ状態を思い出すが、あれはバンザ~イではなかった。コロナに何の情報も経験値もない1年半前の作業だ、物理的に無理なものは無理であり、そういうご無体な命令を野球に例えて「ホームランのサイン」という。「ウィルスを上陸させない」という最低限の意思は感じたから批判しては気の毒なのだ。問題はその後になって空路の水際対策において、あたかも当然の様相を装いつつ、国会やマスコミへの説明もなく堂々と出現した。かくして、空港検疫で「上陸させない」の意思が完全崩壊してしまったことが、足下の忌まわしき大厄災の序曲だったのである。

何が崩壊だったのか?オリパラ選手村では国際基準で毎日PCR検査をするのに空港ではなぜか和式の抗原検査なのだ。PCRの陽性者発見率は7割だが抗原検査は5割しかない。つまり陽性者2人に1人は素通りであり、厳しい追跡調査もしていない。誰も説明しない。マスコミも書かない。そこで「総理、もしかしてこれはお・も・て・な・し戦略の一環ですか?」と記者さんが気の利いた質問でもすれば何が返ってくるだろう?国民は知っている。「え~、そこにつきましては、今後の感染状況を慎重に確認をしてまいりたい、え~、そして、分科会の専門家の皆さんの意見を聞いたうえで、しっかりとした検討を重ねて参りたい、そう思っておるところです」って聞き飽きた古テープが流れるのだ。かくして我が国の防疫対策は世界不思議ワールドであり続けた。それが菅政権ー厚労省の不可侵条約だったと僕は理解している。それが終わったわけだ。

国民がまだ知らないこともある。なぜオリパラをこんなに無理してやったんだろう?何が目的だったんだろう?わからない。厚労省、医療、保健所の現場もそうだろう。ものを押し付けられると人間は認知的不協和というストレスを感じる。ストレスは解消したい。安全安心の呪文しか出てこないから多くの人が「総理は国民が死ぬのは仕方ないと考えてるのだ」という、呪文よりは納得しやすい理解でストレスを解消し「ただでさえ足りないコロナ医療を五輪に回してたくさん国民を死なせた」というイメージがいとも自然にできてしまった。不幸にも現実があたかもそれを裏書きしつつあるからそれは確信に変わってしまった。五輪はなくても季節性要因で第5波は来たから直接の因果関係は不明だ。しかし、国民が「総合的に判断」した結果、世論の6割は「五輪のせいだ」となってしまった。もう消せないだろう。厚労省のバンザイと同様、これは総合的ではあっても合理的な思考の結論ではないからだ。

僕は企業経営者だ。合理的には左に寄って一銭の得もない。しかし、何をしたいのか理解できない政府は右だろうが左だろうが手に負えない。携帯料金値下げもデジタル庁設立も大変結構だが、僕にとってはまったくどうでもいい。さらに個人的に、申しわけないがそれ以前の話として、わけのわからない人を5秒以上見るのは辛い。ということで、我が家は菅総理のモットーだけ遵守することとし、「自助」的コロナ対策で「イベルメクチン」と「ヒドロキシクロロキン」購入を決定した(ネットで買える)。ヤバいと思ったらすぐ飲んで(7日以内なら重症化は抑えるらしい)入院まではなんとか死なないように頑張る。だが運よく入院できても確実に治る治療法も保証もないのだから、かからないのがベストという方針で「3密」を回避。基本的に外出はせず、自分の免疫力も自助で高めておく。医師に聞くとそれには十分な睡眠と栄養、ストレス解消、適度の運動だよという。なんだそれは、メタボ対策とおんなじじゃないか、もっと気の利いたこと教えてくれ、ということで色々学習した結果、冬虫夏草と生ニンニク、生ショウガにおちついた。

さらに書くと「ストレスは免疫力さげるよ、仕事を考えるな」だ。それは無理だよ。ならばスカッとすることやれ。そこで毎晩ビデオで好きなミステリーを見ることにした。古い火曜サスペンス劇場やらネトフリ、アマゾンプライムを総動員すれば2,30年前の、海外にいたので見てないのがわんさかある。街の風景や役者さんが懐かしいし当時のはおちゃらけ調でなくシリアスなのがいい。松本清張、夏木静子なんて最高。いまは検事・霞夕子シリーズを全部見ており、20編ある鷲尾いさ子がきれいで真面目そうで気に入っている(彼女は難病か、回復を祈りたい)。米倉涼子のドクターXは今年もやるらしい、楽しみだ。古畑任三郎は全部見てしまったが「笑うカンガルー」の舞台がポート・ダグラスのシェラトン・ミラージュなのは発見だった、このホテルは我が家が大好きで一昨年も1週間滞在した。時差ないしそんなに高くないし家族にとてもお薦めだがオーストラリアの入国は昔からとっても厳しいのだ。ケアンズで入れてくれないだろうなあワクチン打たないんで。

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ブラームス交響曲第2番の聴き比べ(11)

2021 AUG 17 14:14:32 pm by 東 賢太郎

ヘルベルト・フォン・カラヤン / ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(1959)

このライブ演奏はカラヤン51才のものだ。3年前(1956年)にフルトヴェングラーの後を襲ってベルリン・フィルの終身首席指揮者兼芸術総監督に就任し、この前年にディオールのトップ・モデルだった3人目の妻エリエッテと結婚している。同年にウィーン・フィルと来日公演を行い、フィルハーモニア管と2番をEMIに録音、数年後にDGにBPOとの最初のブラームス交響曲集を録音する。人生の絶頂時であったことは想像に難くなく、オーケストラが新しいシェフに全幅の信頼で渾身の妙技を見せている。しかも素晴らしいことにフルトヴェングラー時代のBPOの音がする。Mov1は大きなうねりを作るが大仰な作為はまったくなく、なにより歌に満ちているのが最高だ。コーダの弦の高揚は誠に魅力的。Mov2でも弦の表情が濃く音楽は深く呼吸しテンポも呼応する。ポルタメントもかかるが自然で有機的。木管はfl、obの歌が印象的で超一流のオケの音を出している。この楽章は非常に秀逸。Mov3でも木管が活き、ブラームスの語法を骨の髄まで知り尽くした音楽家たちの合奏の喜びが伝わってくる。Mov4はこれでなくてはという素晴らしいテンポで始まる。再現部の第2主題の減速は命懸けで、その弦のコクの濃さはどうだ。コーダはギアチェンジの所でいっときの溜めを作り、熱を加えながら一気に走り抜ける。この解釈は生涯変わることなく、カラヤンという指揮者の音楽性の証明。これを会場で聴いたならその感動は、僕が94年にベルリンで聴いたカルロス・クライバーの4番に匹敵しただろうと想像する(総合点:5)。

 

リヴィウ国立フィルハーモニック交響楽団

ウクライナの西部の都市リヴィヴの国際指揮者ワークショップ。リヴィヴはポーランドの国境に近くロシアより西欧文化圏の一部だ。8人の指揮者(学生かプロの卵か?)がブラームスの交響曲4つを楽章を割り振って指揮。このビデオは2,4番である。ウクライナ最古のオケはプロフェッショナルに振った通り弾いている感じであり、なかでは4番のMov1チェン氏、Mov4レディンガー氏は中々であった。耳の肥えた本稿の読者の皆様には一興と思う。終わって見れば何やら尋常でないものが聳え立っていたという感興が残る。ブラームスは神だ。

 

アンドレス・オロスコ=エストラーダ / フランクフルト放送交響楽団

音楽の抑揚が曲想、分節ごとに変転し、第1楽章は歌わせようとすればするほど違和感がある。展開部のテンポのギアチェンジもなくもがなで音楽の本筋に入りこめない。木管も野放図に歌って管弦の音色の統一感に指揮者はまったく意を用いていない。第2楽章の弦のぶつぶつ切れるフレージングは興ざめで、トロンボーンの伴奏が漫然と鳴っていてうるさい。第3楽章は速めのテンポは結構だが主旋律も伴奏もぶつぶつ切れるフレージングなのはいったい何なのか、不可思議というしかなくこれほどレガートを感じない演奏も珍しい。終楽章のテンポは良い。リズムのエッジを効かせて進むのも悪くないが、ティンパニが無意味な爆音を轟かせてみたり、音色のコクがないために p の部分で音楽にすきま風が吹いており、弦の合奏は粗くどう見ても入念の練習を積んだと思えない。棒がドイツ的感性でないためオケが遊離しているのを何とか指揮技術でまとめましたという感じで、音楽が内側からこんこんと湧き出るエネルギーで燃えることがなく、コーダはオケのほうが馬なりにアッチェレランドして安物の空疎な盛り上げで終わる。こういうのを抑えるのが指揮者の仕事なのであって、上掲のカラヤンと比べるだけで失礼だが、雲泥の差である。プロっぽい外形を意味のない個性でアピールしようという指揮者に放送局のオケがそれなりにお仕事でつき合いましたという演奏で、上掲のワークショップのほうがよほど面白い。この指揮者がブラームスを振る意味がどこにあるのかさっぱり理解できないし、こんなものを愛でているドイツの聴衆も放送局も大丈夫だろうかと心配になる(総合点:0.5)。

 

to be continued、さらに加えます)

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モーツァルト ピアノソナタ ヘ長調 K. 332

2021 AUG 15 12:12:40 pm by 東 賢太郎

同年輩の皆さんそろって「近ごろ足がね」という話になる。たしかに僕も膝が良くないが、もっと気になるのは目だ。そこで眼科の先生が「黄斑変性防止に効果がある」というルテインと亜鉛の調合された米国の錠剤を飲んでいる。そのおかげなのか、多摩川を走ったらなんだか目が良く見えるではないか。近くも遠くもだ。もともと裸眼で1.2あるが、その見え方はまるで高校生だ。あまりの嬉しさに、家に帰るや「また野球やるぞ」と叫んで相手にされなかったが、一つご利益があった。楽譜が見えるのだ。モーツァルトのK.332を出してきて全部を通して弾けた。つっかえながらだが。

この曲はかつてパリ滞在ごろの作品とされていたが、もっと後のウィーン時代の作品というのが現在の定説だ。アラン・タイソン著 “MOZART, Studies of the Autograph Scores” はその根拠を与えた研究のひとつで、僕の愛読書だ。モーツァルトがザルツブルグでは10段、ウィーンでは12段の五線紙を使ったことはほぼ原則に近いと言ってよく、K.332にはご覧のとおり前者が使用されている。

K332第1楽章の自筆譜

それが旧学説の根拠だったが、タイソンは原則にも少数だが例外があり、ウィーンに定住してからでも10段譜を使った例があることを見つけた。K.330-332の3つのソナタが、より確かな根拠のある複数の “例外” の一部であるという仮定をたてることで、「1783年のザルツブルグ帰郷の際に書いたためにウィーンの12段譜ではなく当地の10段譜を使用したのだ」と推定している。ただウィーンへの帰路リンツで書いたことが確かなK.333とは紙が違っており、作曲年に絶対の根拠がないのはこの論証の弱みだ。1784年6月の手紙に「姉に送った3つのソナタ」を「アルタリア社が出版する」という記述があることからタイソンは作曲が帰郷前なら既に出版されていたろうし、帰郷中なら姉は写譜を持っていただろうから “送った” の記述はおかしいと指摘(同書232ページ)して、「1783年にザルツブルグで書いたが完成はしていなかった、あるいは写譜の時間がなかったのでは」という結論に帰着している。

彼はもうひとつ推理している。「ウィーンに戻ってから需要があるであろうピアノの生徒への教材としての用途も意識して書かれたのではないか」というものだ。この説については僭越ながら多少の応援をすることができる。モーツァルトのソナタは決してやさしくはないが、K.332はピアノを習ってない僕でも弾けるからである。自分の腕前を披露しようと勇んで乗り込んだモーツァルトがパリで教材を書く理由はなく、就職活動は完全に失敗したところにやってきた不慮の母の死で精神的にもそんな状態ではなかった。完成したのはショックを映し出している悲痛なイ短調ソナタだけだったという現在の定説には大いに納得感があろう(ご参考:モーツァルト ピアノ・ソナタ イ短調 K.310)。

K.332の第1楽章(Mov1と記述、以下同様)は饒舌だ。こんなに主題がてんこ盛りで現れるにぎやかな曲はモーツァルトといえども類がない。ソナタ形式の第1主題、第2主題を男と女に見立てる俗習に従うならこんな感じだ。パーティ会場。冒頭の第1主題(T1、以下同様)はややお堅いフォーマル姿の男だ。するとカジュアルな装いの女(T2)が絡む。すぐ喧嘩になってニ短調の嵐(T3)がくる。やがておさまり台風一過のように清澄なハ長調のT4が出る。二人は意気投合したのだ。そこでダンスをする(シンコペーションとピアノーフォルテの嵐、T5)。終わると二人はお休みする(T6)がまだ胸騒ぎ(シンコペート)が残っており、やおらトリルとアルペジオで興奮をあおるコーダ(T7)に流れ込む。なんともドラマチックでセクシーだ。このMov1の開始、第1主題がいきなり出てくる。最晩年の作品に交響曲第40番、クラリネット協奏曲があるが数は多くなく、K.330-332のどれもそうであるのはK.310の残照だろうか。特にK.332のインティメートナな雰囲気の主題による柔らかな幕開けは本人のどの作品よりもベートーベンのピアノソナタ第18番、28番に遺伝していると思う。

さて、長くなったが、以上がまだまだ「提示部」の話なのだ。T1が第1主題、第2主題は構造的には上述のようにT2ではなくT4と思われるが、主題が7つもあるのだから深く詮索してもあまり意味がない。この現象が交響曲第31番ニ長調k.297(300a)(いわゆるパリ交響曲)のMov1でも起こっていることは注目してよい(ご参考:モーツァルト「パリ交響曲」の問題個所)。K.332がパリ時代に分類されパリ・ソナタと呼ばれた旧学説にも様式的には一理あったと考えられる。たった93小節にこれだけのことが起き、息つく暇もない。弾いていて「これがモーツァルトだ!」と喜々とした気分になる。なる、というか、襲われると言った方がいい。彼のワールドにぐいぐい引きずり込まれてしまう。再現部はあっさりして7つのどれでもないT8で始まり、ダンスT5が再現する。T8はT7の変形、T5はT4の後段だから一応理屈に合わないことはないが。

Mov2は一転して、モーツァルトに語られ、泣かれる。彼は母を追想している。僕もそうなる。K.310は号泣だったが、ここでは声はない。冒頭(T1)変ロ長調がT1’で変ロ短調に暗転する。ここを弾く心持ちは半端なのものでない。母を追って黄泉の国を彷徨っていくと、在りし日への微笑みが訪れる(T2)。やがて悲しみが戻って楽章唯一の32分音符のパッセージが現れコーダで鎮まる。以上が提示部で展開部はなく再現部になる。モーツァルトは即興バージョンも記譜している(彼が実際にこうやって変奏していたという稀有なサンプルだ。でも意外に饒舌でなく品位を崩さない)。そちらのT1’にある64分音符の半音階上昇パッセージは彼の慟哭である。2度目のコーダでファに#がついてる、これと、T1の第3小節のシに♮がついている・・・分かっていただけるだろうか、これがモーツァルトなのだ。

ファに#がついている

Mov3は陽の極に戻る。無窮動風の疾走する主題T1がパウゼで止まり、ヘ長調のままの第2主題T2が左右のユニゾンに流れ込むあたりはベートーベンのソナタにエコーしている。展開部でT2がふっとハ短調になるところは魔笛のパパゲーノを予言している。再現部は想定外のハ短調で始まる。この楽章はベートーベンのピアノソナタ第25番のMov1に響いており、どちらもMov3はひっそりと消えるように終わる。そう、K.332を彼は愛奏したに違いない、私見ではMov1のごちゃごちゃを彼流に料理するとソナタ28番Mov1になる。ダンス(T5)は分離してMov2(生き生きと行進曲風に)になった。25番は「ソナチネ」と呼ぶように指定され、たった9分で終わる最短のソナタだが献呈者がないことから教材用でもあったと思われ、やはりそうであったK.332と全貌も類似するように思う。

ひとつ前のK.331がトルコ行進曲付きのイ長調でソナタ形式楽章がひとつもない「ソナタ」なのは周知だが、K.332もハイドンの模範的なソナタをはみ出している、しかし、Mov2をそれと認めるぐらい大まかな定義を許容するならば、K.332は逆に3楽章ともソナタ形式である。ベートーベンはピアノソナタで種々の実験を行ったがモーツァルトもそうだろうか。どうも彼にはそぐわしくないように思う。特にK.332は何かの理由で創作意欲が横溢し、一筆書きの如く一気に書かれたように見える。書かれた結実の天衣無縫の美に聞きほれながら、ザルツブルグを後にする彼を何がそこまで舞い上がらせたかに興味が至る。

心はウィーンに向かっていた。

晴れて父と姉にコンスタンツェを認めてもらった、いや認めてなくてもいいさ、それがどうしたんだ、もういいじゃないか息子の勤めは果たしたんだから。やっとウィーンに戻るんだ。妻と二人だけだ、僕は自由だ!スターになって豪邸に住むぞ。僕の演奏会がうけないはずがあるか。あの馬鹿で高慢なパリの貴族どもとは違う、ウィーンではもう僕は知られてるし貴族なんてみんな僕にひれ伏して客になるだけさ、弟子もたくさん取れるから生活は安泰だ、大ヒットの「後宮」があるしソナタの方も流行のトルコ風にしてやったからイチコロだよ。オペラを書くぞ、貴族を思いっきりおちょくった奴をさ。コケにしてやったクソ野郎のコロレード大司教、覚えてろよ、僕がいなくなってザルツブルグは大損だ、吠えづらかかしてやるからな。

 

リリー・クラウス(1956)

クラウス(Lili Kraus, 1903 – 1986)はバルトーク、コダーイに師事したハンガリー人で下記のシュナーベルの弟子でもある。モーツァルトを珠玉の美で綺麗に弾く人はいくらもいるが、よいタッチで弾ける人はあまりいない。この人は持っているものが格段に違う。変幻自在、曲想によってルバートし強弱も移ろうがタッチもそれに合わせてダイヤモンドの光輝のように色を変える。ステレオの68年盤もあるがこの曲は旧盤の方が良い。あらゆるモーツァルトの名盤の白眉としてモントゥー/BSOとのピアノ協奏曲第12番を僕は挙げるが、このK.322はそれに匹敵する。

 

アルトゥール・シュナーベル

シュナーベル(Artur Schnabel, 1882-1951)はブラームスに「将来最も恐るべき天才」と絶賛された。ベートーべン弾きのイメージがあるが彼のモーツァルトはどれも一級品で、テンポにはこれしかないという納得感がある。まとめにくいMov1が常に品格を保ち、細かな表情にクラウスの即興性はないが、ドイツの伝統にがっちりと根ざした盤石の安定のうえに玉を転がすようなタッチのMov3は決して機械的に陥らない。ニュアンスに富み、デリケートで奥深く人肌の情感のこもるMov2は最高の演奏の一つである。

 

グレン・グールド

先日に東京芸大ピアノ科卒で音大講師のH様からお手紙を頂戴し、グールドとリヒテルの本をいただいた。啓発されてK.332を聴いてみた(多分2回目だ)。Mov1の饒舌はグールドの手にかかるとアレグロのソナタになり、リズムの骨格が浮き上がり、バッハのイタリア組曲みたいに聴こえる。Mov2のテンポに奇異さはなく、グールドはモーツァルトへの敬意もあるのかな、もしあるならこれだろうと思った。発見だが全部が平凡ではない。不思議な硬質の透明感が支配し、2度目の変ロ短調は即興なしの版で遊びはなし、コーダの左手のファ#の所の聴感はまるでウェーベルンだ。Mov3はアレグロ・アッサイでなくプレストで疾風の如し。どうしても指の回りに耳が行ってしまうがこの速さだと長調、短調の移り変わりの効果がくっきり鮮明に伝わる。グールドの才能と個性はJ.S.バッハにおいて最高度の開花を示したことは何人も否定のしようがないが、それがモーツァルトという場においてもそうだったかは尚且つ疑問が氷解しない。しかし、これを聴くにつけ、さらにモーツァルトが弾いたのは音が長く保持されないハープシコードであることを考えると、このテンポを彼も支持した可能性はあるし、Mov1のフォルテとピアノの強烈な対比はむしろ本質を突いているとも思う。楽譜を読みこんでも自分で弾けない解答は選択できない。超人的な知性の人が宇宙レベルの超人モーツァルトにどう挑んだかという解答がここにあるわけだが、グールドの技術をもって見事に弾けたからそれに至ったということで、もしそれが万人の予想を裏切ってモーツァルトに支持されるものであったならという想像に耽っている。これだから音楽は面白い。H様、本当にありがとうございます。

クラシック徒然草-グレン・グールドのモーツァルト-

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五輪と感染の関係は失敗の免罪符ではない

2021 AUG 10 19:19:03 pm by 東 賢太郎

犯罪とは「暴力をふるう」「モノを盗む」など悪いことを「する」ことだ。ところが、何かを「しない」と犯罪になることがある(不作為犯という)。例えば親がパチンコをして車に放置した我が子を死なせたような場合、必要な保護を「しなかった」という不作為犯となり、刑は3月以上5年以下の懲役だ刑法218条「保護責任者遺棄罪」)。親でなくてもいい。「老年者、幼年者、身体障害者又は病者」を保護する立場なら当てはまる

では保護者が政府ならどうだろう。するべきことをしないで厄災を招いて死者を出したら不作為犯と同じでないか。政府は人間ではないので刑法は適用されないが、法が裁こうとしている社会的不始末という意味で通じる点があるのではないか。なにより、総理は五輪開催のために国民の「安全安心」を守る責任は自分にあると公言したのだから逃げようがないだろう。

政府関係者は異口同音に「五輪と感染拡大は関係ない」と発言している。五輪を「する」ことに罪はなかったと言いたいのだろう。しかし、拙稿で何度も書いてきたように、「五輪をやってもやらなくても感染拡大はあった」のである。政府の罪は五輪をやったことではない。ひとえに、「デルタ株を駄々洩れで日本に入れてしまったこと」にある。デルタ株は危険と誰もが聞き知っている環境下だった5月時点で、水際で阻止を「しなかった」。すなわち、堂々たる不作為犯なのである五輪と感染拡大に関係があろうがなかろうが、そんなことはどうでもいい。仮に関係がゼロであっても、未曾有の感染拡大を招いた政府の免罪符にはまったくならないからだ。

その動かぬ証拠がある。下のビデオは本年5月10日の参議院予算委員会だ。蓮舫議員と田村厚労大臣のやりとり(18分18秒から)は国民全員に是非ご覧いただきたい。この日はゴールデンウィーク明けで感染者の増加が懸念され、緊急事態宣言の「宣言・延長・宣言・延長」をいつまでやるんだ、いい加減にしろという世論が高まりつつあった。そして、デルタ株(「インド変異株」と呼んでいた)がインド、パキスタン、ネパールですでに猛威を振るい、感染者数が「指数関数的」に増えてガンジス川に死体が流れ、アジア人の持つファクターXの効き目がないと日本の専門家も強い警戒を発していたころである。

ご覧のとおり、蓮舫議員の指摘は、8月現在の目と情報で見ても、極めてまっとうである。その通りやればよかった。かたやお粗末極まりない厚労大臣が数字を知らないわ足し算は間違えるわでおろおろし、インド、パキスタン、ネパールからの入国者300人は追跡もせず「連絡が取れてません」と役人からいま聞いた答えをしゃーしゃーと言ってのけ、驚くべきことに追跡は警備会社に丸投げでその対応者の人数すら頭になく蓮舫に教えてもらっている。前の加藤もひどかったが、こんな人達が命を守る感染対策の要である厚労大臣なのは日本の悲劇としか書きようがない。要は、菅政権はデルタ株の水際対策を「300人入れてしまうまでは何もやってなかった」ことが明々白々なのである。これが端緒になって今の感染爆発に至ってしまったことに一言の反論の余地もないだろう。

五輪開催が国民の危機感をゆるめて人流が増加したことは都心のスマホ位置情報の集計で日々報道されており、爆発の火に油を注いだという「体感」は多くの国民が持っているだろう。その結果か、JNN世論調査で「五輪が感染拡大につながったと思うか」というアンケートで「つながった」が20%、「ある程度つながった」が40%であり、60%がイエスの回答だった。ただこれはあくまで体感であって、五輪をやらなかった場合の感染者数のデータはないから因果関係を科学的に証明することは不可能である。しかし、そのことをもって「関係はなかった」と結論することも、まったく同じ理由で科学的に不可能なのである。従って、前述の通りどうでもいいことだが、丸川、田村、加藤各大臣がそう主張しているのは大ウソであり、こうして平気でウソをつく面々だということは記憶されていいだろう。

五輪開催が感染阻止に不利益となったという点で政府が「作為犯」であった確定的な事実を指摘するとすれば、本来国民のためである医療リソースを選手村等に分与したことだ。医師、看護師で7千人にもなるリソースは有限でゼロサムであることから、これから起こる可能性のある医療崩壊の時期を早め、確度を高めたことは科学的に事実といって差し支えない。科学的にわかる事であるから当然予測できたわけで、東京都の医療崩壊につき、総理官邸および東京都知事は「五輪開催のためならそうなっても構わない」という未必の故意があったという心象すら抱かれる(であるなら殺人罪だ)。しかも、それに輪をかけて、軽症者は家にいてくれと要請し、いたずらに家族への感染拡大を促進すらし、容態急変に対応できず死者を増やしかねない政策を強行しているのは確実に「作為犯」である。

以上のことと、日本の若者が躍動して過去最高の数のメダルを獲得したこととは、ぜんぜん別個の話である。それはアスリートの栄誉であって、それに便乗して政権の支持率浮揚を図るアテは大外れに終わったが、ジャイアンツが勝つと読売新聞が売れる時代などとうの昔に終わっているのである。この人たちはまともな知性や思考力があるのだろうかと疑うしかなく、そんな画策をすること自体、自民党はオワコンという証明であろう。「地元の選手が金メダルを取った、俺はそこの首長だ、このぐらい許されるだろう」と、お茶目のつもりが下品、下郎の赤恥をかいた名古屋の噛みつきオヤジと同じ次元の連中だという証明である。

したがって、たくさんの金メダルが免罪符になって全部の罪と膨大な大会コストが帳消しになるわけでも何でもない。あんな開会式、閉会式に仮に16億円かかったと聞いても驚くが、それが160億というのだから驚天動地である、一般人が思いつく尋常な出費をいくら重ねて頑張ってもそんな数字になるはずがない。誰がいくらネコババして持って行ったか国会で明細を開示すべきである。そうした税金たかり屋による茶番劇の全貌をこれから野党と心あるマスコミが厳正に調査するだろうが、「五輪が感染拡大につながった」と思っている60%の国民はそれを待ち望むだろう。だからといって、アスリートの栄誉を讃える我々の思いに些かのマイナスとなるものでもない。

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中日ドラゴンズ・木下雄介投手のこと

2021 AUG 8 14:14:09 pm by 東 賢太郎

外出はまったくしないことにしているが、先月にひとつだけ禁を破って某著名企業の新社長T氏と会食する運びになった。氏が慶応のラガーマンであることは周知である。ひとしきりその話になったはずみで「東さんは?」「野球しかやったことないです」となり、しばし間があって、眼をじっと見ながら「ガチですか?」とくる。さすがだ。ガチの人しかそういうことは聞かないから。「ガチです」。眼を見て答える。ラグビーも野球もない、それだけであの “キツくて理不尽な体育会の世界” をくぐりぬけた同志という感じになる。

中日ドラゴンズの木下雄介投手のことを書きたい。彼は駒大で肘(ひじ)を故障して1年で中退、大阪でアルバイト生活を送り、フィットネスジムのトレーナー、不動産会社で営業の仕事を経て徳島インディゴソックスで復活、育成選手枠1位で中日に入団した速球投手だ。僕は肘を故障した自分とどことなく重なるものを感じ、やった者だけが知る ”あの” 苦しみから不死鳥のように蘇った彼をずっと応援していた。

人生最大のトラウマだ。あれでメンタルが強くなったなんて負け惜しみを言ってる自分がみじめでしかない。あれだけは消えてしまってほしい・・・いまでも夢に出るシーンがある。投げてるのに痛くない。目が覚める。寝ぼけまなこで「ほんとうならいいな」としばらく願っている自分がいる。しかし、肘を伸ばしたまま左右にひねってみると、やっぱりその箇所がかすかに痛く、肩は怖くて寝返りを打てないポジションがある。

肘をやった当初は投げられないし、バットも振れない。ショックで何とかならないかと母に相談し、整形外科へ通い、電気治療もしたし鍼灸師にハリを打ってもらったりもしたがだめだった。高2の夏の前だ。チームの空気は暗転し東京大会は初戦で負けた。3年生には土下座して謝りたい、本当に申し訳なかった。背番号は1番から2桁に降格になり明けても暮れても走るだけの悶々とした日々を送ったが、秋には少し良くなって、球速は落ちたが投げられるようにはなった。ところが、肘をかばって無理に投げたせいか、秋になって今度は肩をやってしまった。直観的にこれは致命傷だと感じ、運命を呪った。

木下は今年一軍に定着が期待され、3月21日に日ハムとのオープン戦の8回に登板した。そこで、試合で肩をやったらしいということを記事で知った。肘、肩の順番が僕と同じであり心配だったが、そのシーンは怖くて画像を見ないまま今に至っていた。そして昨日のことだ、それをyoutubeでとうとう見ることになった。言葉にならない衝撃を受けた。(ここに貼るのは控えます)

僕が肩をやったのも試合中だった。投球の寸前に肩甲骨に異常を感じ、肩にビリッと激痛が走り、投じたボールは右打者の頭の1メートル上あたりを通過してバックネットにぶつかった。とっさに驚いて逃げた打者の姿をはっきり覚えている。監督が飛んできて交代を告げられ、1塁側ベンチで後輩の投球をボーっと眺めていた。やっちまった、どうしよう。悔しい。そんな思いがぐるぐる渦巻いていたのは覚えている。そして、そこからは、何も覚えていない。相手がどこだったかも。球場は南武線の矢野口にある九段高校の尽誠園だった。そこのマウンドで野球人生は終わった、記憶はそれだけだ。

問題のyoutubeで木下投手が平沼選手を三球三振に取った2球目、3球目を見てほしい。ため息が出るほど素晴らしいストレートだ。僕の大好きな球、憧れの球、何度見返しても元気をくれる球だ。藤川球児が自分のようになれるとエールを送っていたのはこれだったのだ。そして次の浅間選手の4球目に突然 “それ” は起きる。そして僕はトラウマが蘇り、しばし固まって動けなくなった。なんとかビデオを止め、やがて涙がぽろぽろ出てきた。これはもう厳しいのだろうか、でも彼の野球は職業だ、奥さんも2人の小さいお子さんもいる・・・・

ピッチャーというのは天国と地獄が隣り合わせのポジションだ。こんなにハイリスクなんだけど、やった者しかわからないウルトラ・ハイリターンがあるからやめられないのである。木下投手は僕なんかの千倍もそれを味わう才能と実力があったし、恐らく人知れない凄まじい努力をしたのだろう、その結果、地獄から這い上がってそれをついに掴み取った。それだけでもまぎれもなく超一流の男である。そして、もっともっと凄いことだが、彼は体がぼろぼろになるまでガチでそれをやり遂げたということなのだ。

このビデオを見ることになったのは、27才の木下投手の訃報にびっくりしたからだ。とうとう勇気を出して見ずにはいられなくなった。これ以上言葉もないのでここで本稿は閉じる。再々復活に向けて勇躍してランニングを始めた姿が中日ドラゴンズ球団のビデオにはある。怪我した者の星として応援したかった。多くの野球ファンに勇気と希望を与えて下さった。心からご冥福をお祈りします。

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