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クラシック徒然草-ユリア・フィッシャーと楽天マー君-

2013 NOV 6 13:13:28 pm by 東 賢太郎

ユリア・フィッシャーさんについては書きたいことがたくさんある。驚いたことにこれが8歳の彼女だ。

まず少女の堂にいったうまさに唖然とするわけだが、それだけではない。もっと驚いたのは彼女の音への厳しさだ。音というものが音楽を生成し、人のこころを打つのがどういうことか、この少女は知っている。そのために耳元でどういう音が響かなくてはならないかを。僕はそのようなことをカーチス音楽院できかせていただいたチェリビダッケの講義で知った。しかし彼女には生まれつき当たり前のこととして備わった感性のように見える。あえてそれを音楽哲学と呼ばせてもらうなら、この8歳の子には哲学があるのだ。驚くしかない。

このブラームスの凛とした入りを聴いてほしい。

この揺るぎのないフレージングとピッチ。高原の山肌に湧きでる清冽な泉だ。それも軟水ではなく硬水の。先日N響で聴いたライブとは雲泥の差だ。腕前ではなく演奏者の音楽観や哲学がである。彼女のソロが出るやオケのおじさん方に電気が走り、スイッチが入っていくのがわかる。ほんとうにすごい。

ユリアは pp にも電気を持っている。みな今日はいっちょうやるしかないなという空気になる。第1楽章コーダの静かなところを聴いてほしい。なんという見事な高音だろう。西の天空をオレンジにそめる夕陽。人生のたそがれの慕情をぎりぎりゆっくりのテンポで歌う彼女の眼はどこか「入って」しまっている。第3楽章の全奏がバシッと決まると彼女はオケににこっとする。「いいね」のサインだ。オケはまたその笑顔がほしくて燃え、いい音を出してしまう。指揮者もオケも彼女のしもべだ。なんという大器、大物だろうか。

こちらで同じブラームスをヤコブ・クライツベルグ指揮ネザーランド・フィルでより良い条件で聴ける。

http://youtu.be/S8EfvCqf7gs

ユリア・フィッシャー(Julia Fischer)の二刀流 で「同曲トップを争う名演」と紹介したチャイコフスキーと指揮者は同じだ。残念ながらここではオケがやや硬くて小じんまりしており、フィッシャーもさすがにブラームスでは表情がまだ若くて同曲トップとはいかない。しかしいずれ彼女はこの曲にふさわしい大人の奥深さと風格をまとった演奏を聴かせてくれるに違いない。

話は飛ぶが、先日、楽天のマー君がなぜ負けないか考えていた。日本シリーズの投球を見ていてわかった。技術だけではない、彼の「気」だ。160球投げても翌日志願して敵をやっつけに出てくる。この「気」がナインにもベンチにも伝播する。ナインはみんなもと野球少年である。野球好きの血が騒ぐ。彼が投げたら変な試合はできないぞという電気がみなに走る。「勝てる」「勝つぞ」となる。だから勝てるのではないか。球の速い投手はいくらもいるのにどうして彼だけ連勝したかというと、そういう「気」を発することができる人がほとんどいないからだ。そしてそれはユリアの持っているものと、とても似た気がするのである。

そう考えるにつけ、日本の演奏家やオケというのはどうしてあんなにクールにお仕事みたいに弾くのだろうと思う。うまいのだが「気」が出ていない。楽しくないのだろうか。女の子にはピアノというのが本邦の定番だ。女性がピアノを弾けるというのはいいものだが、別に音楽にジェンダーはない。ピアノが弾けないと嫁にいけないわけでもないし、ピアノがうまくなっても音楽好きになるとは限らない。一流音大ピアノ科に入ったが田園交響曲を聴いたことがない子に会ったこともある。僕が驚いたら「そうなんですか?周りも似たもんですよ」と逆に驚かれた。

なぜ驚くかというとそういうことは野球では絶対にないからだ。草野球だってやってる子はすべからく野球が飯より好きだ。外野手だからピッチャーのことは知りませんなどということはない。だからその頂点にまで行き着いたプロ選手が、実は親にいわれてやっただけです、本当は興味ないんですがなどということは100%ない。彼らは勝ちたくて試合している。だからいいプレーが出る。グラウンドで客を感動させようとショーを演じるわけではないが、野球の好きな客はいいプレー、自分ではできないプレーが見たい。だからそれを見て感動するのだ。 先日行った日本料理「くろぎ」の黒木氏は「舌が鈍るから夜は食べない」という。自分が感動できないものは客に出したくないということだ。人を感動させることを職業とするプロいうものはそういうものだ。

ピアニストだから交響曲は知りませんというのはどうもおかしい。練習が忙しくて聴く暇がない?そんなことはないだろう。今どきはi-phoneで移動中でも聴ける。要は興味がないということだろう。田園交響曲に感動しない子が悲愴ソナタには感動できるとは、どうしても思えないのだ僕には。好きでもない子が弾いたピアノが人を感動させるのだろうか?よくそこまで練習したね、お上手お上手と感心はされるだろう。しかしそれは芸術創造というよりもミスのないことを良しとする銀行やお役所の仕事に近い。

これはモーツァルトのk.364(ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲)だ。

オケの前奏部分をユリアは一緒に弾いている。楽しそうに!もうソロが出る前から「気」が出ているではないか。ヴィオリストもそれを受け取って同じオーラの波を立てる。彼がちょっとしたミスをしたらユリアが「あっ、やっちゃったね」と笑いかける。彼女がリーダーなのだ。それがまたいい「気」を出す。そしてそれがオケに伝わっておおきな波となっていくのだ。楽員はみんなオンガク少年、少女だった。ハートに火がともっていく。見ているだけでこちらも楽しくなる。モーツァルトの喜びが伝播しているのだ。これが音楽というものだ。

マー君も並ぶもののない投手として金字塔を立てたが、ユリアさんはどうだろう。まだ若いが、僕は彼女が21世紀のハイフェッツになると固く信じている。

 

 

 

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