ショパン ピアノ協奏曲第1番ホ短調 作品11
2014 FEB 16 2:02:54 am by 東 賢太郎
ショパンのコンチェルトについて僕がなにか書こうというのは自分でもあまり予想していなかった。ショパンは聴かなくなって久しいけれど、嫌いというわけではない。というより一時はよく聴いていて、1番の録音は22枚も持っているし、何曲かは自分でも弾きたいと思った(挫折したが)。
シューマンという人は音楽と文学を結んだ「物語性」というか、必ず何か物語をもっている人間というもの、それが恋であれ嫉妬であれ絶望であれ、そういう生身の人間から生まれるものが共存するところに音楽というものを発想した。だから彼は著書の中でベルリオーズの幻想交響曲に強い共感を寄せている。そして同い年のショパンの「モーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」の『お手をどうぞ』による変奏曲」作品2を「諸君、帽子を取れ。天才だ!」と讃えた。
ところがショパンはそういう文学的な見られ方を、「このドイツ人の空想には死ぬほど笑わされた」と書いた。ロマン派と解釈されることを嫌い、敬愛したのはバッハとモーツァルトだった。マヨルカ島にもっていった印刷譜はバッハの平均律クラヴィーア曲集だけだったという。彼は恋人を思い浮かべて音楽を書いたこともあるが、その音楽に我々が感じる詩情というものは彼のまったく独自の「音楽語法」そのものであり、彼は何が作曲の契機であれ、自分の音を純粋に抽象的に紡ぎだしたと僕は考えている。
だから彼の音楽のロマンティックな表題はほとんどが後世の人間の創作である。彼の語法がはからずもロマン派の扉を開けることに貢献したのは事実だが、彼が開けなくとも開いたその扉が彼の曲に時代の空気に添ったレッテルを貼ってしまった。僕がショパンを聴きたくなくなった最大の原因は、その偽りのレッテル風情の演奏が増えてきて我慢がならなくなったからである。ベートーベンの5番を運命とアダ名しておいて、いかにも運命でございと無用に物々しく演奏することにアレルギーがあるのと同じことだ。
ショパンの協奏曲1、2番は両方とも20歳の若書きである。後に書かれた1番の方が音楽的にやや熟していると感じるが、2番の第1楽章の美しさは1番をしのいでいるかもしれないと思う。彼が3番を書かなかったのはこの2つが若さと関係しているからだ。こういう曲を大家がばりばり名人芸で弾くよりも、僕は20代の若いピアニストで聴くのが好きだ。若さは若者の感性でしか表現できない。たとえばマウリッツィオ・ポリーニ(1番)は18歳以来もう録音していない。アシュケナージにも18歳、ショパンコンクールでの素晴らしい2番がある。そのアシュケナージが伴奏に回って、ウズベキスタンの20歳、エルダー・ネボルシンが独奏した初々しい1番は格別に愛好している。
エルダー・ネボルシン(pf) / ウラディミール・アシュケナージ / ベルリン・ドイツ交響楽団
これがそれ。ただこの録音は廃盤になってしまった。もったいないことだ。ドイツで買ってひとめぼれしてしまい、未だに、ほんのたまにだがこの曲を聴こうとなるとまず第一にこれに食指が動く。このピアノ、もぎたてのレモンとはこのことで、全編が夢のようにみずみずしい。二十歳のショパンがそこにいる。アシュケナージがまたそれに感じきっていい伴奏をつけている。録音も見事にそれをとらえきっている。満点。amazonで新品が6,314円の値がついていた。
クリスチャン・ツィマーマン(pf) / キリル・コンドラシン / アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
79年録音(ピアニスト23歳)の快演。廃盤ばかりで申しわけないが、いいのだから仕方ない。ツィマーマンは何度も録音していて、ポーランド祝祭管との新録など立派な限りだがその貫禄が僕にはピンとこない。このACOとのライブと同時期にジュリーニ(ロス・フィル)とのスタジオ録音もあるがオケ(大事だ)が明るく、このライブの生命感のほうが断然素晴らしい。終楽章の出だしの若鮎のようなリズム感、オケとの感興の乗った受け渡しの見事さ!これぞショパン・コンクールで勝てる人だ。i-tunesでzimerman kondrashinと打ち込むと出てくる。
マルタ・アルゲリッチ(pf) / ヴィトルト・ロヴィツキ/ ワルシャワ国立フィルハーモニー管弦楽団
女性を一つとなるとこれ。8才でベートーベンの1番、9歳でモーツァルトの20番と協奏曲を弾いた天下のアルゲリッチの24才(1965年)ショパンコンクールのライブ。その5年前、19才ですでにドイチェ・グラモフォンからレコードを出していたわけで、この1番もあまりに称賛された演奏ゆえ書くのも気がひけるが、改めて聴きかえして、やっぱり素晴らしい。第1楽章展開部から鬼神が乗りうつった一期一会の演奏で、うまいというより破天荒な感性の勝利だ。彼女のその後の演奏もたくさんあるがポートレートと一緒でトシをとっても凌駕できないものがここにはたくさんある。
クラウディオ・アラウ / エリアフ・インバル / ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
67才のオトナの演奏をひとつ。アラウのピアノは何を聴いても和音のバランスが最高によく、「うまみ」のきいただし汁をいつも思い出す。すごい技術と想像するがちっともメカニックな感じがしない。普通の奏者が一所懸命弾いてどうだ!と見栄を切る部分もあっさり進み、うまいのでファインプレーに見えないというやつだ。すぐれたアートというものは常にごまかしのきかない最高の技術の上に成り立っているということを知る。極上の京料理のようであり、何もとんがったものはないが食後の満足感は絶妙。子供にはわからない味かもしれない。インバルのオケが序奏から大変にシンフォニックでドイツ音楽のような偉容を示すのも面白い。
(補遺、17June 17)
ロジーナ・レヴィーン / ジョン・バーネット/ NOA学友管弦楽団
youtubeでこれを見つけて驚いた。たいへんな名演だ。ロジーナ・レヴィーンはヨゼフ・レヴィーンの奥さんで、ジュリアードの名教師として多くの弟子、ヴァン・クライバーン、ジェームズ・レヴァイン、中村紘子などを世に出した。何というニュアンス豊かなフレージングだろう!第2楽章など夢のような歌に満ちるが最高の品格を伴い甘さに淫することがない。名技で唸らせようなどという魂胆はかけらも見えず、心の献身で音楽に奉仕するスタイルであり、オーケストラも同調する。管弦とも一流の奏者ぞろいと思われ立派きわまりない。最高だ。高雅で貴族的でないショパンなど僕は聴く気にもならない。こういう一級の芸術家が忘れられ、ショーマンや芸人風情のピアニストがもてはやされるならクラシック音楽はつまらない世界になっていくだろう。
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