奥出雲訪問記-その2-
2014 MAR 9 0:00:41 am by 東 賢太郎

羽田から1時間半、奥出雲(おくいずも)は島根県。といっても出雲大社とやまたのおろちぐらいしか知らなかったわけです。
まず溝口島根県知事との45分余のご面談にはじまりました。通常の面会は15分ということで、異例のお時間を頂戴したことに感謝です。その晩は奥出雲町長および島根県議会議員様とのディナーとなりました。そして足立美術館、奥出雲多根自然博物館、長者の湯、絲原記念館、奥出雲たたらと刀剣館、稲田姫神社、古い駅舎やダムの訪問、見学、出雲大社参拝と2日にしては相当なメニューでした。全部が館長さんや専門家の方のガイド付きでありました。
まずは足立美術館の額縁のような日本庭園から。名園と日本画の調和がこの美術館の基本方針で、アメリカの「ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング」誌で11年連続日本一に認定され、フランスのミシュラン・ガイドで三ツ星を獲得しています。日本画では質量ともに日本一の横山大観コレクションが出雲にあるのが驚きです。
創立者の足立全康氏(写真)は明治32年当地に生まれ、14歳で裸一貫で国を出て苦労を重ねた末に大阪で繊維、不動産業で成功した人物です。立身出世物語は各地にありますが、大観に惚れこんでここまで集めてしまう執念はすごい。それに感動しました。庭園の景観の細部へのこだわりも半端ではなく全館が彼の作品という風情です。こういう気質というか、いい意味でのねちっこさは出雲の方の持ち味かもしれません。
私事で恐縮ですが自分の先祖も能登、伊那の片田舎から東京、横浜に出てきた事業家であり、足立氏の執念を見るとどこか体の奥底で共感を覚えます。「名作との出会いは人と同じで、縁だね。絵を蒐(あつ)めるのは金じゃない、値段じゃない。いいものが出たら目をつむって掴(つか)んでしまえということだ。まったくあの絵は惜しいことをした。いまだに夜中にぱっと目が覚めては想い出し、眠れん時があるよ。」と口角泡を飛ばして語る姿を思い出すと・・・・と説明書にあります。お金より縁を大事にして成功されたんでしょう。
松江藩の5鉄師のひとりであった「たたら吹き製鉄」の名家である絲原家については前回書きました。建坪約350坪、床面積約500坪、部屋数約40室を誇る大邸宅です。竹島が日本領と明記された最古の地図は伊能忠敬が測量する70年前の制作であるため北海道は欠いていますが、本州以南の精密さは驚くばかりでした。
絲原家のご当主は夜の会食をご一緒して下さった県会議員である徳康氏で、ここはご次男が近衞 文麿公が入ったという奥の間にご案内下さいました。なお、この絲原記念館は今月22,23日に放映されるTBSのドラマ「リーダーズ」のロケに使われたそうです。奥の間は洋間の執務室という設定で出てくるそうで、和室ではここに宮沢りえが座ったんですよなどと細かく教えていただきました。
「絲原記念館」の鐡(てつ)の字の解説もその意味で実に興味深いものです。こういう数字を見るとすぐ反応してしまうのは商人の血筋ということでしょうか。
松前藩の系図です。徳川の重臣であり、最期まで幕府方で戦ったことがわかります。ご存知かもしれませんが、県名と県庁所在地名が一致しないのは幕府方です。島根県であり松江市であるというのは、そういうことなのです。
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中島 龍之
3/11/2014 | 1:36 PM Permalink
額縁の庭園は、絵ではなく、窓から見える庭園なのですね。何度も見返してしまいました。地図に竹島が記載されているというのも歴史を考えさせます。鉄の文字解説も面白いですし、県庁と県庁所在地の関係もそうだったのですね。出雲に更に興味がわきました。
東 賢太郎
3/11/2014 | 2:40 PM Permalink
説明不足ですみません。窓から見える景色なんです。箱根の強羅に似たのがありますがこっちの方が雄大ですね。大変失礼ながら島根は田舎だと思ってましたが、行ってみて美意識の高さに驚きました。京都に負けない部分もありますし京都ほど混んでませんからおすすめです。
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