小保方会見とサラリーマン能力
2014 APR 12 14:14:01 pm by 東 賢太郎

小保方氏の会見をyoutubeで見た。これまで4つ書いた本件に関するブログの中身を変更する理由はまったくない。
一言でいうと、こういう人がサラリーマンで出世するのだ。その道では大変な能力である。この人が直属の部下だったらけっこう恐ろしい。核心である「故意の有無」の質問のぼかし方、逃げ方など見事な手腕で98点ぐらいあげられる。立派な女優だと言っている人がいるがちょっとちがう。女優はアドリブがないからとっさに危険を察知して不自然でないそぶりでするりと逃げたり、次のセリフをその場で考えてしゃべりながらタイミングよく泣いたりする能力はいらない。サラリーマン道の大家はそれができる上に女優の演技力も持っているからずっと格上なのである。
僕は昔の会社でこういう部下を一人だけ持ったことがある。ただし男だが。あることがあった時に彼は絶妙なタイミングでさめざめと泣き、大いに驚いた。それが軟弱な涙ではなくいい男泣きの感じが出ていた。それが恐らく演技であることを僕は見抜いていたが、皆の目もある手前慰めに回るしかないほど迫真の演技であった。サラリーマンの天才というのはいるのである。しかもそれが女性だったら?男だから僕はこの部下の嘘を見抜いていた。しかし・・・。あまり自信はもてないと彼女の会見を見て思った。
だから嘘とまでいう自信はない。もし嘘なら、ノートは研究の秘密です、200回も成功してますというあの口調からむしろ演技というよりも確信犯という可能性を考えねばならない。人を殺しちゃいました、でも悪いと知りませんでした、だから悪くないんですワタシ、というのがそれだ。嘘(改ざん)とされるよりその方が罪が軽いと考えているかもしれない。あの会見を見て、200回?どうしてそんなにきれいな数字なの、どうしてそれが今できないの、と何か変だと思った人でも悪くないワタシの論理に引きずられて同情票に回った人は多いのではと推察する。
STAP細胞がそのうち見つかる可能性は誰も否定できないだろう。科学の品位を落とす例えかもしれないがUFOもそうだ。「見ました」と堂々と、しかもいかにも見そうな飛行機のパイロットや宇宙飛行士にでも主張されれば、たいていの人間は嘘だろうと思いながらもたじたじするしかない。それを知ってのあの堂々とした物言いだとするなら、それはポーカーや麻雀などで時として有効なギャンブラーのブラフだ。それができるとするとサラリーマンなら達人の域にある。
これ以上彼女に関心はないが、問題なのはサラリーマンの天才は必ずしもビジネスの天才ではないことだ。むしろそうでない場合がほとんである。ところが権力者を籠絡する天才はやがて権力を持って松食い虫みたいになり、やがて松は枯れる。だから権力者は松食い虫の演技を見抜く眼力が必要である。ビジネスの能力は、ほぼ、本質を瞬時に見抜く能力に近いと僕は思っている。人たらしの能力とは別物であり、そんなものはせいぜい営業部長どまりの能力にすぎない。
科学者の世界は知らないが、権力が発生するところ必ずサラリーマンは出現する。サラリーマンに権力を与えてうまくいくのは役所だけである。
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さくらさん
4/14/2014 | 9:09 AM Permalink
なんか既視感をもってあの記者会見を観ていました。いたよ、あんな感じの人、昔の職場かどこかに。こういう感じの人は、同僚とか後輩にはむちゃくちゃ強いものです。「あのう、それはちょっとまずのではないですか?」なんて言おうものなら、コテンパンにやられそうです。
東 賢太郎
4/14/2014 | 12:07 PM Permalink
さくらさんが、『いつのころからか、日本では「理系」というのは密かにバカにされているような気がします』と感じられているのは、こういうサラリーマン能力の高い人が文系に多く組織で権力を握るケースが多いからだと思います。入試レベルで文・理の大分類はほとんど意味がないと書きましたが、意外なところで日本的な結果を生んでいるかもしれません。彼女のような人が理系というジャンルに登場したのは確かに新奇な現象であり、リケジョがその新奇さを表す言葉なら流行るのもごもっともです。僕はAO入試の生んだ珍現象と見ますが。