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シューマン交響曲第2番ハ長調 作品61

2014 JUL 14 20:20:20 pm by 東 賢太郎

ウィーンのシューベルト宅で遺稿の中からハ長調交響曲(第9番、ザ・グレート)を発見したのはシューマンである。執拗なリズムの繰り返しによる長大な終楽章をもつこの交響曲の質感は、同じハ長調で書かれたシューマンの2番と近親性のある音楽であると感じる。ザ・グレートは得体のしれない病魔(梅毒だった)から逃れようとしたシューベルトが、ある束の間に得た小康状態に精神が飛翔したことを記す作品だと僕は解釈しているが、シューマンもそれと似た境遇でこれを書いた。2番はメンデルスゾーン指揮ライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団により初演された。1839年のことである。

そのメンデルスゾーンの「真夏の夜の夢」は1843年に作曲され、その第9曲(結婚行進曲)がハ長調のトランペットで開始するのはあまりにも有名だ。そして、シューマンは交響曲第2番を「ハ長調のトランペットが頭に響いている。」と手紙に書き、1845年に着手している。そうして産声を上げた2番は、その翌年、手紙の相手であったメンデルスゾーンの指揮で同じオーケストラによって初演された。

シューマンの頭に響いていたのはこれだ。schumann sym2

 

 

第1楽章の序奏部の頭にいきなり出てくるが、シューベルトでもメンデルスゾーンでもなく、ハイドンの交響曲第104番冒頭をより直截的に連想させる。

シューマンがトランペットの幻聴を聞いたのは精神を病んでいたからとされる。「この交響曲を私は1845年12月に半ば病気のまま書きました。それは、聴けばわかるような気がします。終楽章で初めて気分が良くなりました。 本当に気分が治ったのは全曲が完成してからです。それでも全体は、私に暗い時期を思い出させます。」と彼はハンブルグの指揮者D.G.オッテンに書き送っている(スイトナー盤、前田昭雄氏解説より)。

しかし、それにもかかわらず、この曲は名曲である。3番を最も愛する僕であるが、交響曲としての完成度なら迷わずこの2番をシューマンの最高峰としたい。この曲を「楽想の深さ、形式の美しさ、遠大な構想と造形性は驚くべきものがある」と絶賛したチャイコフスキーは、やはり金管によるモットー主題が全曲にわたって要所要所に再現する構造をもった交響曲第4番を1878年に書いた。そのように「一日中頭にこびりついて離れない観念」を表すモットー主題を「イデー・フィックス」と呼ぶが、その元祖はベルリオーズが1830年に書いた「幻想交響曲」である。

交響曲第4番ヘ短調はホモ・セクシャルのチャイコフスキーが意図せぬ結婚で悩み、内から突き上げる衝動におののいていた時期の作品である。第1楽章にその「おののき」の痕跡がある、と僕は考えている。例えば、3拍子で頭を欠くきわめて不安定な第1主題「ンッパーパ、ンッパーパ」の律動の繰り返しがそれだ。それは展開部に至って崩壊寸前の狂気となる。それはシューマン2番の第1楽章「ンッパパーパ、ンッパパーパ」の際限なき繰り返しがインスパイアしたかのようだ。止めどもないパルスのような狂気リズム。第2主題の影が薄いほど強く衝動的なそれは、シューマンの「病気」をクリアに刻印していると思う。コーダでは狂気リズムの饗宴の中からモットー主題が頭をもたげる。

第2楽章にスケルツォが来てしまうのはベートーベンの9番の再来だが、僕はベルリオーズの幻想交響曲の第2楽章「舞踏会(Un bal)」(allegro non troppo)をより強くイメージする。踊っている恋人の姿に嫉妬の炎が燃え、優雅なはずのワルツの旋律が妙にざわざわした、台風が来る前の森の中のような雰囲気になる。同時代音楽の評論活動も盛んにしていたシューマンが雑誌『音楽新報』において「幻想交響曲」を詳細に解説し、激賞する文章を書いている(1835-36年)のは有名である。第2トリオからコーダにかけては狂気のような疾走となり、そこにモットー主題が頭をもたげる。両者ともに、文字で書くとそういうことになる。

第3楽章は第9のアダージョでも幻想交響曲の「野の風景」でもない、赤く血のにじむ音楽である。ヴィオラがひっそりと刻む「ンッパーパ」は不穏な第1楽章の頭欠けリズムの余韻である。それにに乗ってヴァイオリンがどこか無理のある、苦しみから逃れようとするかのような6度の跳躍を2度するが、どちらもバスを2度通り越した9度の音程まで飛んで悲痛な軋りをたてる。しかもシューマンはその軋りをfpで強調する。

中間部はモーツァルトの歌劇「魔笛」第1幕で大蛇をやっつけた三人の侍女が「勝利!」と歌う部分のアルトの主題であることにお気づきだろうか?それがカノン風の展開を見せて一時の平静が訪れる。やがてアダージョ主題が戻り、ppからpoco a poco cresc.(徐々に増音しろ)とあるが、最強音の指定がスコアにない。クーベリックやバーンスタインはffまで弦をあおって悲痛なピークを作るが、ここが指揮者の主張のしどころだろう。

僕がいつ聴いても感服するのは終楽章の入りだ。ハ長調の音階をドからドへかけ上がって半音を c#、d と2回登り、Dを経てGに。これが短い導入部に聞こえ、それに続くト長調主題が第1主題と誰もが思う(ピアノ譜のオレンジ部分)。ところがこれがなりすましの偽主題で、すぐに主調であるハ長調で同じ主題が堂々と鳴る(こういうトリックはベートーベンの交響曲第1番譲りだ)。この4度上への突然の移調、僕が以前より主張している「サブドミナントへの移行(ド→ファ)は明るい未来、希望を表す」という音楽法則に従っている。シューマンはここで回復への確信を高らかに宣言しているのだ。

schumann sym2,2

青枠で囲った部分の和声変化は卓越しているとしか言いようがない。チェロの対旋律の軋みや重めのオーケストレーションが最高で、ホールの残響と次の和音が不協和になるのがまた刺激的で心地良い。この楽章にはシューマンの管弦楽曲を聴く喜びがぎっしりと詰まっており、あらゆるシンフォニックな音楽のエンディングとして最高の興奮と高揚感をもたらしてくれるもののひとつである。

終楽章はC→Fの高らかなファンファーレ風の「明るい未来コード」に続いてヒロイックな4度のティンパニ・ソロで閉じる。これは、やはりチャイコフスキーの4番、マーラーの1番(ともに弱音で)、そして強音でショスタコーヴィチの5番に、ヤナーチェックのシンフォニエッタに、また単音ソロでブラームスの4番にも伝わる。まさにシューマンが病苦に打ち勝った凱歌、号砲という感じがする。それはベートーベンが耳疾の苦難を克服してエロイカや5番の精神の高揚を響かせることができたのと同じく、一度奈落の底に沈んだ人間にしか許されない強烈な「倍返し」の歓喜だ。誰もが感銘を受けるだろうが、特に、落ち込んでうつ状態にある人をこそ絶大に鼓舞する効果があるのではないだろうか?

この曲に開眼したのは77年にNHK・FMをエアチェックしたゲルト・アルブレヒト指揮ウィーン・フィルのライブ(同年8月11日)を聴いてからだ。いまだもってこれを上回るものは聴いたことがない。最近亡くなったアルブレヒトのドイツものは良かった。読響でシューマンの1番を聴いたがこれも名演だった。その2番はカセットに録音して大学時代に擦り切れるほど聴いたのだが、度重なる海外引っ越しで紛失してしまった。お持ちの方がおられれば是非ダビングさせてください。

シューマンの4曲というのはドイツ人の名指揮者でも全曲を振っていない人が多い。抜けるのはたいがい2番と3番である。僕の記憶では、フルトヴェングラーが1,4番、ベームが4番、ケンペが1番、クナッパーツブッシュが4番、ワルターが3,4番しか振っていない(こういうことは疎いので間違っていたらご訂正いただきたい)。逆にシューリヒトのように2,3番だけという人もいるし、全集用に1度だけ2,3番を録音したカラヤンもいる。2番を特に好んだ人にはバーンスタイン、シノーポリ、カザルスなど非ドイツ人が多いのも面白い。ちなみに僕は2,3番派である。

 

ベルナルド・ハイティンク / アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

41pw3fRlPILこういう演奏が評価されないなら何か変だと思う。クラシックは古典だから何もかも保守的にという気はないが、こういうものを評価する趣味を持った聴衆が作ってきた共同体文化がクラシック音楽というものの実体であり、アバンギャルド的試みがアンチテーゼとして存立するのもその母体が盤石だからだ。それはオケの技量や楽譜の選択というレベルの話ではない。ハイティンクがスコアに読み取っているシューマンのドイツ語の発音、イントネーションの問題だろう。

3番で挙げたイェジー・セムコフ / セントルイス交響楽団ウォルフガング・サヴァリッシュ / ドレスデン国立歌劇場管弦楽団ラファエル・クーベリック / ベルリンフィルの3つの全集の2番もお薦めできるが、ここでは別の人のものを挙げる。

 

ハンス・フォンク /  ケルン放送交響楽団

654EMIによるライブ録音の全集。ドイツに住んでいると日常的に聴ける演奏会がどんなものか知っていただくのに好適なCD。オケは相当弾きこんでいる様子で、メリハリ、抑揚がつき、弦の細かなニュアンス、刻みがはっきりと聞き取れる。管弦ともに音楽の句読点に一切の曖昧さもなく、子音の効いたドイツ語の語感をこれほど感じる演奏もない。終楽章の見事なアンサンブルによる熱い音楽は大変結構なもの。

 

アルミン・ジョルダン / スイスロマンド管弦楽団

zc1123163第1楽章冒頭から管楽器の透明な響きが個性的で、主部からも金管にフランスの色調があり面白い。第3楽章のトランペット、ホルン、クラリネットの入る夢の中にいるようなアンサンブルを聴いていただきたい。魔笛の部分はまるで幻想交響曲の第3楽章のようである。非常に気迫のこもった演奏が展開されるが造形は見事なバランスを保っており、シューマンを聴いたという究極の満足感にいささかも不足するものではない。オケの名前と曲がミスマッチ感があるためか廉価盤化しているがとんでもない。この2番は大変な名演である。

 

パブロ・カザルス /  マルボロ祝祭管弦楽団

SICC-954第1楽章の主部のティンパニを強打した気迫。荒々しい金管の強奏。ハイティンク、フォンクがドイツ語ならこれはラテン語系の母音を伸ばしてアクセントを置くシューマンである。カザルスはアンサンブルを整えるよりも曲のエッセンスを鷲づかみにしている。彼の言いたいことを奏者たちが全力で音にしている感動的な記録だ。ジョルダンもそうだが、彼はこの2番が好きなのだ。尋ねたわけではないがそう確信してしまう。音楽を作るというのはお仕事ではだめだ。我々は奏者の情熱に動かされるし、それを容易に見抜きもするものだ。

さきほど耳にしました。やや芝居がかってはいますが良い演奏だと思います。レナード・バーンスタイン指揮バイエルン放送交響楽団、83年ライブをお借りします。

(こちらもどうぞ)

シューベルト交響曲第9番ハ長調D.944「ザ・グレート」

 

ベルリオーズ 「幻想交響曲」 作品14

シューマン ピアノ五重奏曲 変ホ長調 作品44

 

 

 

 

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