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キャッチボールと挨拶

2014 JUL 26 21:21:00 pm by 東 賢太郎

 

人を知りたければ友達を見よ、といわれる。目は口ほどにものを言いともいう。しかし僕の場合、その人を知りたければキャッチボールをしようというのが最も信頼度が高い。

もちろん野球ができない人やほとんどの女性には使えない。でも、ちょっとやった人なら、うまいへたではなくもっと鋭い本質的なことを見出すことができるのである。これにごまかしは一切きかないことは野球経験者ならば納得して下さるだろう。

僕は球場に入ると試合前のキャッチボールを必ず見る。何万人の客の誰よりも真剣に見ているに違いない。プロは例外なくうまい。当たり前と思われだろうがキャッチボールは実は難しい。相手の胸にピシッと「礼儀正しい球」を投げなくてはいけない。この「礼儀」という感覚を説明するのはむずかしい。スピードではない。ただ胸に来ればいいわけではない。不思議と投げた人の人格や気持が球質となって見えるのである。良い球を受けると、ああ良い野球をしなくちゃと思う。監督や先輩に言われなくたって勝手にそう思う。だから僕はそれにはうるさくて、礼儀のない、だらしない球を投げる奴は二度と相手に選ばなかった。

これは何か古くさい精神論を振り回しているように聞こえるかもしれないが、実践的なことである。たとえば投球が必ずシュート回転している人がいる。たまたまでなく全部。内野投げの人に多いのだが、実は内野が一番だめだ。ファーストが捕りにくいから内野ゴロの捕殺率が落ちる。しかしいけないのはシュート回転ではない。それに一向に気がつかない自己修正能力のなさ、神経の目の粗さこそ癌なのだ。自分がゴロを追ってどういう姿勢になろうと相手が捕りやすい所に捕りやすい球質で投げてあげる、それが捕殺率の高い内野手だ。そういう心の姿勢こそが「礼儀」なのであり、だからこれは精神論ではなく戦術論である。

自分が礼儀ある球を投げると、ちゃんとした受け手はそれがわかる。無言でグラブを固定して、ピシッと威儀を正して捕球してくれる。パーンといい音がする。これが上級者同志のキャッチボールである。お主やるなの世界だ。いいボールにはおのずと威厳があるのであり、いい選手はそれに必ず畏怖の念を覚え、例外なく敬意を表してくれる。これができないのにいくら練習してもいい野球は無理だ。硬式野球部でも全員がうまいとは限らないし、だめだと例外なく下手だ。だから5球もやれば、相手の実力というのはわかってしまう。

球場に行ってこれを見るだけでも金を払う価値がある。先日もカープの丸、赤松、菊池、木村、田中の球を見ていた。本気で投げてないが捕球した感じはリアルに想像できてしまう。は素直だ。人柄もたぶんそうだろうから投手向きでなかったかもしれない(甲子園で投げた投手だが)。田中が一番重い。彼はああいうストレートな人だろう。才人である赤松のはちょっと癖がある。結局、投げた球には人が出ている。でも誰もが相手をリスペクトした礼儀正しい球を投げている。良い野球をしようといつも心がけている。だからその結果として、プロなのだ。

キャッチボールはそうした奥深い、投球というものの小宇宙である。人間、生きていくには挨拶や会話やメールのやり取りをしているが、これもキャッチボールと同じだとつくづく思う。うちのノイ(ねこ)は名前を呼ぶと返事でちゃんと挨拶してくれる。礼儀がある。ネコだってきっとなにかしらのキャッチボール的な意味をこめて返事している。これが阿吽の呼吸ですっといくと、人ともネコともうまくいく。会社や世の中で「コミュニケーションを大事に」と言っている。それは挨拶しましょうと同じだ。キャッチボール・野球の関係と同じで、挨拶できない人はコミュニケーションも下手だ。

ネット社会はメールで意思疎通する。一度もお世話してない人から「お世話になっております」と来る。ということは、こっちはそう思わなくても、これが挨拶であるということらしい。挨拶が定型化して、意味も感情もネコの挨拶ほどもこもっていない無機的な「記号」になっている。記号はないと変だからついているだけだ。キャッチボールは記号化して「やったことにしましょう」という世の中ということだ。ということは確実に野球は下手になっている。コミュニケーション能力は劣化している。まして礼儀など育つ土壌はないということだ。

ネット社会は便利だが、恐ろしいこともある。こうして誰も気づかぬところで人間と社会を変質させているからだ。それが恋愛や友情や人間関係も犯罪も変質させている。だから引きこもりで妄想にふけった挙句の犯罪者が出たり、なりすましや捏造で世間を平気で騙しておきながら、悪いと思っていませんでしたなどとしゃあしゃあと答える不気味な人間が出てくる。ここまで病が進むと「キャッチボールをしっかりやろう」では無理だ。それが下手なのは問答無用で落とす、それを社会に認識させる、そして努力する者には手をさしのべる、努力した者だけが栄冠を得る、そういう当たり前の順回転のプロセスを社会にもう一度確立するしかない。

なりすましや捏造で悪いことをした者は「それが悪いことなのだ」ということを厳罰に処して性根に叩き込み、青少年にそう教育することが社会全体のため、日本国の健全な発展のために必要である。特別なことは必要ないし、逆回転に振れることは危険でもある。しかし別に難しいことではない。罪刑法定主義を順守して、当たり前のことを司法当局がやればいいだけである。

 

 

 

Categories:______世相に思う, 徒然に, 野球

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