Sonar Members Club No.1

since September 2012

サラリーマンと大器晩成

2014 SEP 23 11:11:53 am by 東 賢太郎

父方の祖父は僕が小学校3年ぐらいで亡くなったが、手相見が当たるので有名な人だった。そのことでひとつだけ覚えているのが、僕の右手の平をじっと眺めて、「この子はタイキバンセイだよ」と諭すように父に言ったことだ。大きな声だった。だからだろうか、その声までくっきりと耳に残っている。もちろん意味など分かる由もなかったが、何か悪い意味ではないなとだけ思った記憶がある。

もう来年60だから、その時の祖父の歳に近いだろう。バンセイするならそろそろしないとおかしいな、なんて勝手なことを思う。これからはこの祖父の予言を胸に抱いて生きていくことになるだろうか。

しかし、だ。若い時に何でもない人が齢をとっただけで晩成するもんだろうか、とも思ってしまう。そういう人は若いときから大器なんじゃないか。英語では人間が練れてオトナになった状態をmatured というが、大器が花咲くという感じではない。これは日本的、あるいは東洋的な大人(たいじん)という概念だろう。

人間には旬がある。スポーツ選手だと10代後半から20代までだろう。たしかに40代のプロ野球選手はいるが、その彼らだってその頃から立派に大器だったのだ。大器晩成なので40歳でドラフト1位指名を受けましたなんてことは絶対にない。

一般の社会人でも、仕事の種類はちがってもやはり旬はあるだろう。体力、知力、経験値がベストのブレンドになるのはおおよそ30代ではないだろうか。証券業で見る限りはそうだ。99%の人はそのあたりで最も脂がのった良い仕事をしている。

旬などとうにすぎているのに、つまり自分でできることの峠は越しているのに、何か大きな力を持っている人だろう、大人(たいじん)というのは。He has great power as he is matured. なんて西洋人に言ってみたところで何のことか通じないだろう。だからこれは儒教的、東洋的な世界でしか起きないことと思われる。

僕は祖父の占ってくれたバンセイを固く信じている。しかし、それでいながら、30代の旬の頃、絶頂期だった自分には何をやってもかなう気がしない。それは、いま仕事で固く結ばれているのはみなあの頃の僕を知っている人たちだということでもわかる。彼らも30代、全盛期だった。お互いガキで地のまま、必死だった姿を知っている。

だから彼らとは今でもごまかしは利かないし背伸びの必要もない。裏切りは絶対にない。お互いに、この仕事を頼めばどういう結果になるかほぼ正確に予測がつく。しかし、40を過ぎてから知り合った人は、野村で一緒に苦楽を共にした人ですら、言葉の端々でああ誤解されてるなとがっかりする。それが良い方の誤解であっても。

それは自分の責任だ。管理職になるころには社内では一定の評価、評判ができあがっている。400人も部下のいる組織に辞令が出ると、異動先では「あの人は・・・」と前もって噂され尽くしている。仕方ないのと面倒なのとでだんだんその通りに振舞うようになってくる。そうするとみんな安心する。それを見てこっちも安心する。

マネジメントとしては楽であるがこれは一種の役者だ。サラリーマンが嫌になった理由はいろいろあるが、本当の自分でない虚像につきあっていくのが疲れたのもそれだ。組織のトップが地のままで勤まるような人は生まれつきのリーダーだと思う。僕はそんな人とは程遠い普通の子で、学校時代は人前でしゃべるのも苦痛だった。

ビリー・ジョエルにHonesty(オネスティ)という名曲がある。彼はこう歌う。

But I don’t want some pretty face
to tell me pretty lies.
All I want is someone to believe.

そういうことだ。30代のころの仲間にあるのは、鉄壁の信頼だ。虚像でつくった信頼はそれも虚像でしかない。自分が脱ぎ捨ててしまわないといけない。そう思ったのでガラにもなかったブログなんかを書いてカミングアウトしている。しかし、書けばかくほど、虚像がなければ30代の自分には逆立ちしてもかなわないということがわかってくる。

権力や権威目当てに生きて勲章をもらうような人はそういう葛藤はないのだろうか。周囲にいないので知らないが、人生の最後になって今が旬だと思えるなら幸せな人生だ。でも僕には、失礼を承知で、あれは生きながらのオマージュに見える。勲章をくれる側の権力、権威に一生を捧げた返礼としての。

祖父がいったバンセイは、今の僕の悩みを乗り越えることだと思っている。幸い50にもなって恵まれた仲間が増えている。それはサラリーマンの同僚とは天と地ほどちがうものだ。これはとっても大事なことだ。someone to believe は「裸になって必死にやっていること」でしか現れないのだと気づいてきた。

30代の自分はまだ虚像なんか欲しくたってなかった。毎日が必死だった。だからこそ信頼できる仲間ができたんじゃないか?旬の時期の自分なら必死になれなかったことがある。50%の力で出来たことが今は必死にならないとできなくなってしまってもいる。それは実は良いことであって、次へのステップになるのかもしれない。それは真の意味で、何ものからも自立することだと考えている。

 

Yahoo、Googleからお入りの皆様。

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

Categories:______気づき, ______自分とは, 自分について

▲TOPへ戻る

厳選動画のご紹介

SMCはこれからの人達を応援します。
様々な才能を動画にアップするNEXTYLEと提携して紹介しています。

ライフLife Documentary_banner
加地卓
金巻芳俊