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どうして証券会社に入ったの?(その2)

2014 NOV 27 12:12:13 pm by 東 賢太郎

<すさまじき証券営業の巻>

 

僕の入社した頃の証券会社というのは学生の想像をはるかに超越したすさまじき世界でした。

昭和54年、大阪は阪急デパートと曽根崎警察の間にある富国生命ビルの梅田支店に配属された新人は3名。京大の秀才M君、早稲田政経で一番だったS君と僕でした。支店長は後に社長になられるS部長、次席が後にS証券の社長になられるT次長、総勢約150名という一番の大店(おおみせ)でした。

支店には「営業場」(えいぎょうば)と呼ばれる奥まった一角があります。いわゆるセールスがかたまっている男ばかりのスペースをこう呼ぶわけで、梅田は営業課4つと証券貯蓄課でここに40人という全国一の大部隊でした。場(ば)というのがいいですね。相場、岩場、現場、賭場、狩場、馬場、仕事場、修羅場なんて、殺伐として女っ気のない言葉がならびますがそのイメージのままの場所です。

ここでは午前9時から午後3時の場中(ばちゅう)、つまり東京証券取引所が開いている時間帯には、電光掲示板をにらみながら推奨銘柄の株価の上げ下げにともなって数分おきに怒号や奇声が飛び交います。「ほーれ、いくよいくよ、おカル、ぶっ飛ぶよ、軽いよ軽いよ!」みたいな。これがすごい大音声なわけです。わけがわからない新人は何が飛んでくるんだ?と身構えます。

おカルというのは日本軽金属工業株式会社の株式(一般に「銘柄」と称する)のことで「いくよいくよ」はそろそろ株価が動き出す端緒にきていると思われる、「ぶっ飛ぶ」は急速に株価が上昇する、「軽い」というのは値動きが短時間に軽快で大きめであるという意味です。懸命に電話でお客さんに「おカル」の買付を薦めている営業マンたちはこの怒号が飛ぶと「社長!いよいよ来そうです、ここで1万株買わせてください!」なんてひときわ声のテンションが上がるのです。

今はこのスペースは静かなもんですが、当時は魚市場さながらです。証券外務員試験を通る5月あたりまで新人は別室で勉強でしたが、総務課のあたりは一般職の女性が多く普通の会社なみに静かなのですが営業場は戦場のようで近寄るのもこわかったです。6月にいよいよその営業場の第1課のはじっこに3人の席ができます。座るとたばこの煙がモウモウとたちこめて炭鉱さながらでした。殺気だった先輩たちが懸命に電話でお客さんに何かすすめています。

電話の姿勢は立ったり座ったりですが、中にはうずくまって受話器を持ったまま机の下にもぐっている先輩もいる。お尻だけ出ていて背中のワイシャツがめくれあがっていて、この人はいったい何をしてるのかと思いきや、突然むくっと穴から出てきて「おカル10万!」なんて課長に怒鳴る。すると「おーら、Y、10万出たよ!早く買わんと株なくなるぞー!」と課長が怒鳴る。「おー」と周囲からどよめきが上がります。Y先輩はこの日軽金株式10万株お買い上げという大商いのかかったお客さんとの電話で、最後のつめに集中しようと穴にもぐっていたのでした。

営業マンというのは売買手数料で競争しています。すさまじい競争社会です。出来がいいと賞与が多くて昇進も速いわけですが、出来が悪いときわめて悲惨です。課ごとの競争もあり4人の課長席はそれに体を張っていますから稼ぐ人はいいですが、だめだとアウトです。毎日、朝7時半と引け後と課の会議がありますが、新人の眼でも誰ができて誰が苦しいか一日でわかります。課長によってはダメ組は罵倒して思いっきり机をたたいて怒鳴りあげますから全員が凍りつきます。パワハラも何もあったもんじゃない。

こういう日々が続くと肩で風を切る先輩、下を向いて歩こうの先輩、今後の人生ずっとああいう人になってしまうのだろうなと恐ろしくなります。こんな風景が証券界から消えて今は久しいのですが、当時は離職率の高さで群を抜きそのほとんどの人は支店に配属された数年で辞めていったという時代です。同期もあっという間に半分になりました。修羅場をくぐり抜けるとはまさにこのこと。同じ証券マンといってもこの「営業場経験」のあるないは天と地ぐらい違い、すぐにおいでわかります。

営業場の鉄則というのは「やると言ったら必ずやる」なのです。注文伝票を「ぺロ」と呼び、お客様から注文をいただくと伝票を切りますから、商売することを一般に「ぺロをきる」といいました。ぺロをきれない者はのっけから論外で営業課配属でいられる時間は長くありませんが、今日はいくらやるんだ?と課長にいわれて10万株ですと申告しておいて未達に終わるのを「空(から)ぺロをきる」といい、これはその日の課長の支店長に対する申告数字を未達にするものですから万死に値する罪なのです。3回もやると確実に飛ばされる(格下の店に左遷)というイメージでした。

出来る人といってもお客さん次第ですから、大手客をなくすとただの人です。今日できたって明日できないと容赦なく罵倒です。半年ぐらいたって大学のクラス会がありました。銀行に行った連中がやっぱり支店に出されていて「札束が数えられなくて大変だ、店頭で女の子にばかにされた。いやー営業は大変だ」なんていっている。「あのな、お前な、そんなのは営業っていわないんだよ」というとみんなきょとんとする。そりゃそうです。僕も銀行へ入ってたら一生きょとん組だったでしょう。

こういう証券営業マンという世界に営業ウーマンがいなかったのはいうまでもありません。想定どころか想像もできません。兄弟船という演歌は「男の仕事場さ~」と歌いますが(これを歌う先輩が多かった)、女性総合職が入ってきたのはこの10年ほど後のことで、それも本社勤務でした。一般職の女性はみな制服姿ですから、彼女たちを見た我々の第一声は「私服の女がいる!」だったのです。当時、社内で私服の女性というとヤクルトおばさんだけだったからです。

 

どうして証券会社に入ったの?(その3)

 

 

 

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