プーランク大好き
2015 FEB 25 7:07:05 am by 東 賢太郎
1990-92年に本社の国際金融部でコーポレート・ファイナンス課長をやった。当時の仕事の一つに海外の大企業を東京証券取引所に上場させることがあった。野村の凄いところはボーイング、BASF、ヘキスト、グラクソ、アフラックなど欧米の超巨大企業の社長クラスにまで会えることだった。
僕らの狙う上場ターゲット企業の一つにフランス最大の化学・製薬会社ローヌ・プーランがあったのをよく覚えている。現在は合併を経て別な社名になったが、このプーランというのはPoulenc とつづるのであり、同社の創業者の孫がフランス六人組の作曲家のひとりフランシス・プーランク(Francis Jean Marcel Poulenc 、1899-63)であった。
だからプーランクは並み居る大作曲家のうちでも哲学者の孫で銀行オーナーの息子であったフェリックス・メンデルスゾーンと一二を争う超富裕層の御曹司である。ついでに、英国の指揮者トーマス・ビーチャムは現在、欧州を代表する巨大製薬メーカーであるグラクソ・スミスクラインの前身となるビーチャム製薬の御曹司であった。
先日、テンシュッテットの稿で書いたロンドン・フィルハーモニー管弦楽団はビーチャムが私財で作ったオーケストラであり、のちにはロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団も私財で創設している。学校での音楽の専門的教育は受けなかったが指揮者として業績を残してもいる。だが僕は、ロンドンのメジャーオケを二つも作ってしまった金持ちの道楽、大人買い精神こそ称賛したい。富裕層がみんなこうやって世のためにドカンと消費すればピケティみたいのは出てこないのである。
ビーチャムという男はウィットもあった。あるときシカゴ郊外のラヴィニア音楽祭に招かれて野外音楽堂でエロイカを指揮をした。ところが演奏中、葬送行進曲のピアニッシモにさしかかると近くにある鉄道駅で蒸気機関車がポッポーと警笛を鳴らすのに辟易し、演奏会が終わるとこう言い放って二度と来なかった。「ラヴィニアはレジデント・オーケストラを有する世界で唯一の駅である」。なんだこの田舎劇場は、なんて野暮な憤慨はしない。精神の貴族性だ。カッコいいね。
さて、プーランクだ。僕は彼の曲が大好きであり、ここ数日はプーランクばかり聴いている。もう他はいらんというぐらいに。先週などパソコンで流しながら横になったらそのまま不覚にも熟睡してしまい、朝まで耳は聞き通しだった。でもなんか寝起きは良かったからまたやってもいいかなと思っている。
何がいいって?これはちょっと答えづらいが、ひとことでいうならもっとも最近に作られた「良いメロディーがある音楽」であって、オシャレで小粋で疲れない、心がうきうき軽くなる、それでいて深みも秘めていて、やっぱり精神の貴族性がある、基本的には「おふらんす」の音楽だ(ひとことじゃなかったか)。女性の皆さん、ドビッシーが好きラヴェルが好きも素敵だが、私はプーランクですとなると男はちょっと気になりますな。
俗っぽかったり、ワルっぽかったり、コケティッシュだったり、皮肉っぽかったり、甘ったるかったり、おどけたりしかけるんだけど、そこは御曹司、犯しがたい品格と知性とウィットで寸前で丸めこまれてしまう。時としてシリアスになるとどうしたんだというほど様変わりに禁欲的でシリアスだ。というわけで、僕は20世紀のモーツァルトはプーランクだと思っているのである。
一番わかりやすいのはピアノ曲と歌曲だろう。特に歌曲だ。最高に素晴らしい曲のオンパレードで、きっとプーランクがこういうのが好きで書いたんだろうなと想像してしまうきれいなフランス女が歌うのはこっちにとっても悦楽だ。知らないのはもったいない。聞いてもらったほうがはやい。「愛の小径」である。
彼のピアノ協奏曲は同ジャンルすべての曲のうちで最も好きなものの一つだ。軽妙洒脱でハーモニーがオシャレで遊び心があって、第1楽章なんてそのままシシリー舞台のマフィア映画かハードボイルドのスパイ映画の主題曲として使えてしまう。第2楽章はモーツァルトの21番とラヴェルのト長調のエレガントなブレンド。この曲の肩から力の抜けた伸び伸びしたグルメ精神と小粋と余裕というと、日銭を追いかけていたヤツには絶対にまねのできない御曹司ならではのニクイい代物だ。そういうヤツであったベートーベンやワーグナーなんかに疲れた時にぴったりくるのがプーランクなのだ。
どれが一番?ときかれるとまったくお手上げだが、「人間の声」(La voix humaine)というモノ・オペラ(ひとりオペラ)は有力候補である。すべてのオペラで最も好きなもののひとつかもしれない。彼の曲としてとくに有名ではないし、音楽的に何かすごいことが起こるかというとそうでもない。だが、ひきこまれるのだ。人の心をつかむ劇としての何かが音楽にある。ちなみに原作はジャン・コクトーである。
失恋した女の寝室に電話がかかってくる。1回目は間違い、2回目は混線。怒っていると、3回目は別れた男だった・・・さてどうなるか?電話のコードを首に巻きつけながら電話を切れと言い「愛している」とつぶやきながら倒れ込む、という結末に至るまでのドラマだ。これまた歌手というか主演女優はできればきれいなフランス女が望ましいというのがプーランクの贅沢な特性なのだが、ドビッシーのペレアスとメリザンドが好きな方はまちがいなく感動していただけるだろう。youtubeに昨年N響がやった同曲で最高のメリザンドを歌い僕を圧倒した理論物理学専攻のカレン・ヴルチさんのがあった。ここでまたノックアウトだ。
ドビッシーは感性に危険なぐらい男のテストステロンを感じるが、ラヴェルは友人の言を借りると「ナイフみたいに研ぎ澄まされたオカマの美的センス」がある(うまいことをいう)。対してプーランクはずっとノーマルだなと思っていたら、調べるとバイセクシャルだった(笑)。まあみなさんいろいろあるが、普通の人間にあんなこんな曲など作れっこないよね。万事あわせ飲もう。
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花ごよみ
3/1/2015 | 12:03 AM Permalink
こんにちは、おじゃまします。
「愛の小径」の、少し力を抜いた軽やかな歌い方が、耳にとても心地良いです。頭の主題の部分、もし鼻にかかった発声をすればそのままシャンソン。
こういう感じでシャンソンがうまれたのかなぁと、思ってしまいました。
ミヨーの「スカラムーシュ」などは、ポップなラテン音楽のようですし、
100前のパリにタイムスリップして行ってみたいですね。
東 賢太郎
3/1/2015 | 11:26 AM Permalink
花ごよみさま、コメントありがとうございます。
「愛の小径」はシャンソン風に歌うものだったんですよ。「レオカディア」という芝居のひとこまで出てくる、そういう場面設定の曲です。初演したイヴォンヌ・プランタン(1895-1977)の歌が聞けます。http://youtu.be/V0L5l0G0jd4
最近の歌手は歌曲になってますが、これを聴くとジュリー・アンドリュース以外のサウンド・オブ・ミュージックみたいなものという感じになりますね。