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クラシック徒然草-ブラームスを聴こう-

2015 MAR 22 11:11:33 am by 東 賢太郎

音楽をきいて昔のことを思いだすというのはよくいわれる。それは小説でも絵でもあるから特別なことではないが、音楽は特にその力が強いように思う。といっても、若い頃によくきいていた曲というのが年をとってみて自分の中でどんな風になるかというのは当の若い人にはわからないのだからそれを分かりやすく説明する必要があろう。

結論から先に明かせば、音楽はタイムマシンであり回春剤でもある。「あの頃」を思い出すどころではない、「あの頃の自分」に戻ってしまう。だから元気になりたければ簡単だ、一番元気だった時によくきいた音楽をきけばいいのだ。

我々は視覚に頼って世界や時間を認識しているように思っているが、実は聴覚や嗅覚にも大きく依存している。鼻をつまんで食べるとカレーの味がわからない(本当だ!)。味は舌だけで感じるのではなく鼻腔でも感じていて、むしろ嗅覚こそ微妙な「味わい」を作っている。

触覚も大事だ。雪というのは物質としては水でありH2Oだ。それを我々は白い色の冷たいふわふわの触感で水とは別物と認識している。「白」「冷」「ふわふわ」というタグが付くと我々の頭の中で水は雪というものになる。同じことだ。過去という時間に「音楽」のタグが付くと、それは思い出や経験や郷愁とか呼ぶものになったりもするのだ。

音楽の威力だなと感心するのは、当時を思い出すだけではない、その頃の心境やマインドセット(心の持ちよう)まで手に取るように浮かんでくることだ。ハートまでタイムスリップするといってもいい。

アルバムで中学時代の学校や修学旅行の写真を見てみよう。それだけでは思い出さないことが校歌を口ずさんでみると蘇った経験はないだろうか。景色ではなく当時の気持ちや感情や恋心や先生の声や教室のにおいまで。

それは当時目にした情景からだけでは必ずしも蘇らない。視覚情報というのは食べ物でいえば舌の情報で甘味、辛味、塩味、酸味のようなものだ。嗅覚まで含めて味の記憶は成り立っているとすれば香りを蘇生させてくれるのは音楽ではないかと思う。

今僕は60才になって昔の自分を意識するようになっている。たとえば身体能力だ。記憶力、根気、体の柔軟性、酒の強さ、諸欲、未知の事へのチャレンジ精神など。結論として、何一つ30代の自分にはかなわない。それを言うと多くの同世代は、それ言っちゃ終わりだろ、判断力や経験値は今の方が上だよという。

そうだろうか?判断力や経験値なんてあったって実行しなければ意味がない。でも実行力は結局は身体能力がものをいうのだ。今の僕が30代の自分と変わらないのは家族と猫と音楽と広島カープへの愛情ぐらいのもので、それ以外は全滅の敗北だ。カラ元気は役に立たない。現実を直視しないで何かやってもうまくいかないのだ。

だから少なくとも気持ちぐらいでいいから30代に戻りたい。そういう時に力をくれるのは、30代、まさに自分が心身ともに最もパワフルだった頃に聴いていた音楽、モーツァルト、ベートーベンとブラームスなのだ。それがドラえもんのタイムマシンのように、僕をあの頃の夢、心境、ヤル気、自信、諸欲、すべてのものを持った自分に連れ戻してくれる。

あの最盛期にモーツァルト、ベートーベンとブラームス!この僥倖は僕の人生を左右したといってまったく過言でない。だって音楽自体もべらぼうに強いのだ。

これから人生の最盛期を迎える20代、30代の人たちにクラシック音楽を聴きなさいとお薦めするなら、これほどに雄弁な理由はない。そうすれば皆さんは60才になって、世の中でも最もパワフルな音楽をBGMとして「あの頃」を思い出す贅沢を手に入れられるのだ。これがいかに自分を鼓舞し、力と希望をくれるか!

今は仕事がそういう自分を求めている。そこで、最近聞いてもあまりピンと来ていなかったブラームスだがこちらから近寄っている。必要だからだ。有難いことに、そういう風向きで聴いたブラームスが今度は発汗作用をもたらして、あたかもそれが自然に求めたものであるかのように感じている。こうやってタイムマシンの回春効果がやってくる。

ブラームスの4つの交響曲やすべての協奏曲や管弦楽曲や室内楽というのは、僕にとってBGMで流して本を読んだりビジネスプランを練ったりして頭や耳は全然聞いていないのにノドだけは音楽に合わせて勝手にバスを歌っているという領域に至っている、いわば血肉になってしまっているものだ。

米国の金融誌Institutional Investor社のオーナー、ギルバート・キャプラン氏(Gilbert Kaplan )はマーラー・フリーク、というより第2番「復活」フリークで、ついにウィーン・フィルを指揮して同曲の録音までしてしまったが、もし自分がそんなことができるならやっぱりブラームスの4番なんだろうなと思う。

40代を過ぎた人も希望がある。これを書いたブラームスは50代だったのだ。音楽を聴くのに遅いということなんて全然ない。むしろこういうものを知らないで死んでしまう人がいるとすればそれは人生の一大損失であると声を大にして言おう

それを人生の糧に生きてきた僕がいささかなりとも伝道師の役目を負うことが許されるならブラームスに対するプライベートな恩義を果たせると思っているし、やるならば記憶がしっかりしているうちに書かなくてはいけない。

僕の自宅の地下室にあるリスニングルームとオーディオ機器はブラームスをベストに再生するために10年前にあつらえたものだ。そのために相当な時間と労力とコストを費やした。それが僕のブラームスに対する敬意であり、何よりも、その音楽がそれに値するからだ。

4番の終楽章主題がバッハのカンタータ150番から来たと楽譜をお示ししても役には立たないだろう。ブラームス作品は細部に立ち入ると別種の関心から全体がわからなくなる。モーツァルトにはそういうことはないし、ベートーベンはそれが理解の助けにはなるが、ブラームスはそのどっちでもない。

ということで、ここは至極単純に、様々なCD、LPに残された演奏を例に引きながら、それをたたき台にして各曲の良さや個性を僕なりの視点でご説明してみたい

どれがベストであるかというような試みに意味はない。そうやって多面的な姿を味わうことがクラシック音楽の楽みであり、ブラームスも例外ではないということだ。ただ、ビギナーにとって『最初に覚える演奏』の記憶は意外にその後の影響が大きいというのが僕の経験だ。

そこで、各録音へのコメントの末尾に「総合点」として5段階の点数をつけた。僕がその曲を初めて聴くならこれがよかったなと思うCDが5点、そうでないのが1点だ。世間がお楽しみでやっている「名演」とか「ベスト盤」という意味合いではない。

くりかえし聴いて頭に刷り込むに値する演奏であって、それをベンチマークにすればその他の演奏の特色がよくわかるという演奏だ。つまり作曲家の意図(ほぼスコアと同義)をよく体現し、のみならず音楽的インパクトも強いという演奏だ。あえて言うなら、僕にとってそういうもの以外に名演はありえないと思っているのは事実だが。

30代の頃、いつの日かもっと大人になったらブラームスの4番を渋く味わえる苦み走った男になりたいと夢想していた。そうしてその2倍の60才になって今それを聴きながら思うことは、何のことはない、そう思っていた30代に戻りたいということなのだ。

まずは春にふさわしい第2交響曲からスタートしたい。卒業、入学、進学、入社、桜の咲く時期にこんなにぴったりの音楽もないだろう。一気には書けないが、すこしづつ思い出のLP、CDを思い起こして、それをプリズムとして僕の曲への想いを書いていきたい。

 

ブラームス交響曲第2番に挑戦

 

 

 

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