ブラームス交響曲第2番の聴き比べ(6)
2015 APR 10 2:02:31 am by 東 賢太郎
オトマール・スイトナー / ベルリン国立歌劇場管弦楽団
ベルリンはブランデンブルグ門を少し入ったウンター・デン・リンデンにシュターツ・オーパー(国立歌劇場)がある。ドイツ赴任中ここでワーグナーをよく聴いたが、まことにドイツ風情の古風な味わい、つまり東独時代の音色が残っているオケであり至福の時を味わった。この2番はそのオケの美質が良く出ている。繰り返しのある第1楽章は指揮者の曲への愛情に満ちている。ベルリン・イエスキリスト教会の残響の中、木管が浮き出ず古雅なホルンが茫洋と弦と溶け合って薄明の中をまどろむような第2楽章の風情がすばらしく、第3楽章のオーボエのチャーミングなこと、クラリネットの木質の響きなど何物にも代えがたい。残念でならないのは終楽章で、開始部と主部のテンポの落差はどういう譜読みなのか意味不明でひっかかる。僕が住んでいたころのドイツのオケの日常的なコンサートはこんなものだったとはいえアンサンブルの質もやや落ちる。コーダのアッチェレランドはまったく賛同しがたい。(総合点 : 3、1-3楽章のみ5)
ヘルベルト・フォン・カラヤン / ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
1983年、カラヤン最後の全集の2番。右は87年にロンドンで買ったCDで「made in West Germany」とある今や歴史的一品だ。ロンドンはロイヤル・フェスティバルホールで聴いた彼の第1交響曲はBPOの低弦の威力に度肝を抜かれたが、この2番は中声部(ヴィオラ、チェロ)に力点を置いている風に聞こえる。しかしやはりホルン、トロンボーンのfは威圧的に響きティンパニも雄弁で、音楽の劇性に訴えるアプローチだ。中声部の力点もオケの自然な美質の発露というよりも、計算して作られた素材としてカラヤンの信じる劇性表現のための素材として組み込まれているという性質の印象をどうしてもうける。第3楽章の木管のうまさ、アンサンブルのピッチの良さなど超がつく一級品で、このコンビの実力が伊達でなかったことが証明される側面もある。終楽章はトゥッティで木管が聞こえ過ぎるなどミキシングもどことなく人工的。コーダの第1トロンボーンはBPOと思えぬ恥ずかしい出来だ。パリで当時ピカイチの3つ星だったアラン・デュカスで食した?万円のフレンチ、たしかに美味しいんだけど「美味しいフレンチ」というコンセプトで煙に巻かれた感なきにしもあらずの食後感と似たものを覚える演奏だ。(総合点 : 3)
オイゲン・ヨッフム / ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
第1楽章、第2主題に持っていくやや速めのテンポが自然で実に良い。この「自然で」という風情がなかなか出るものではない。展開部も速めで重みや巨匠的風格は後退するが交響曲としての骨格を明示した表現で僕は好きだ。彼の指揮はフィラデルフィアとロンドンでベートーベンの7番を2回聴いたが、正に同じアプローチで素晴らしかった。第2楽章は一転、森のような深い音色と情感のこもった歌だ。テンポは刻々と微妙に動くが音楽の脈絡と遊離せず、コーダは止まりそうなまでに沈静する。これがツボにはまっていて良いのだ。第3楽章は普通だ。アンサンブルはあまり整っておらず、ぎちぎちとリハーサルで詰めた感じではない大らかさがあるが、実演でもそういう奏者の音楽性まかせの遊びの余地ある指揮だったように思う。終楽章もやや速めのテンポで開始。カラヤンと対照的に低音をゴリゴリ出さないので風通しが良く、軽量級に聞こえるが曲のエッセンスは語り尽くしているという真打の芸だ。76年録音でBPOやVPOは使えないEMIはLPOを使ったわけだが、オケが棒に納得してヨッフム晩年の記録を刻もうという意欲を感じる。最後の加速だけ余計だが全体のライブ的な流れの中では許容しよう。(総合点 : 4.5)
ヨーゼフ・カイルベルト / ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
無人島に持っていくブラームスの2番をどうしても1枚だけ選べといわれれば僕はこれにとどめをさすことになる。理想的なテンポ、堅固な造形、いぶし銀の音色、絶品のフレージング、飾りのない表情、精緻な楽器のバランス、どれをとっても最高であり、安手なポーズや虚飾など目もくれない。人工調味料の味つけなど微塵もない老舗の名品、渋めの名優の大石内蔵助みたいなもの。どこをとっても押しても引いても揺るぎのない確固たる信念に満ちた表現であり、場当たり的でオケ任せな部分は皆無。第2楽章の絶妙な間、呼吸の深さなどこれをしのぐものは考えられない。終楽章の鋼鉄のような重みと質感のあるトゥッティのアレグロのアンサンブルと第2主題の仄かで柔和な光をたたえたレガートの歌の対比など、これぞブラームスであると特筆大書したい。この録音がバンベルグSOやハンブルグPOではなくBPOで行われたことを音楽の神様に感謝したい。コーダのテンポはこうでなくてはいけないという決定的なものだ。本当に素晴らしい!何度聴いても心からの感動をいただける最高のブラームス2番である。(総合点 : 5+)
ダニエル・ ライスキン / ライン州立フィルハーモニー管弦楽団
サンクトペテルブルク生まれの全く知らない若手指揮者だがなかなか正統派のブラームスだ。アバドやプレヴィンがデビューしたての頃、我が国の評論家は若僧あつかいしてブラームスなんかやろうものなら10年早いぐらいの勢いでこきおろしていた印象がある。こっちがそういうトシになって1970年生まれの指揮をきいている。ねばらないブラームスで、ライブでもあり弦など目が粗いしオケも一流とは言い難い。第2、3楽章は僕には速いしコクに欠ける。終楽章はやや速めの部類でリズムと強弱にメリハリをつけるのが小気味良く快調で、こういう表現が好きな人はいるだろう。(総合点 : 3)
マリン・オルソップ / ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
女が指揮したブラームス?そんなもん聞けるか!とは僕のオヤジ世代のドイツ硬派の反応(想像だが)で女性の皆さん申しわけございません。そういう時代でした。昔はオケは男の牙城、まして指揮者が女性となると陸軍大将に女性が就任したようなもの(ちょっと大袈裟か・・・)。米国人オルソップは史上初めてブラームス交響曲全集を録音した女性である。それは壮挙だがしかし音楽にジェンダーはない。鳴る音楽以外にそれを生みだす人のパーソナルデータなど僕にはどうでもいいのである。第1楽章はよく統率され整った演奏で最も好感を覚えるがテンポやフレージングはやや常套的だ。中間の2楽章は特に何もなし。きれいではあるが夢幻や隠避の滓は含まれていない。終楽章第2主題の減速は人工的でブラームスの陰のある憧れがきこえず、内的な熱さを伴わないコーダへ向けての加速は何度も書くが賛同はできない。(総合点 : 3)
イシュトヴァン・ケルテス / ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
73年にケルテスはテルアヴィヴにて遊泳中に高波にさらわれ溺死した。43歳。20世紀クラシック界の最大の損失の一つと思う。この2番は64年に35歳の彼がVPOを振ったもの。67年にLSOとの録音もあり(新世界と同じパターンだ)、亡くなる直前にブラームス全集をVPOと録音中で2番は再録音予定だったが果たされなかった。未完で残ったハイドン変奏曲の最後の変奏はVPOの総意で指揮者なしで録音された。やや弦の音が固いが第1楽章の陰影が濃い。VPOはオーストリアのオケだがウィーンという都市は東欧のコスモポリタンでハンガリー、チェコの影響も強い。VPOに愛されたハンガリー人の彼は名門オケからドイツの四角四面に縛られないエスニックな喜びを解き放つことができる人材だったように思う。逆にそれができるから愛されたのかもしれない。2番には1,4番と違いそれが活きる要素があるのは終楽章の若々しい爆発、音を割るホルン、立体感のある音楽のうねりをきけばわかる。すばらしく熱してelectrifyingなコーダ!30代にしてVPOとそんな蜜月関係を築けた者はカラヤン、ベームらを含めても誰もいない。彼が2番を再録していたら?そしてもし今生きていれば86才、さらにVPOを振ってこれを聴かせてくれたらどんなすごい音楽になったろう?返す返すも20世紀クラシック界の最大の損失の一つである。(総合点 : 4)
(補遺、2月15日)
オイゲン・ヨッフム / ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
81年、カール・ベームが急逝した後の定期演奏会でのライブ(ムジークフェライン)。ヨッフムはVPOを4回しか指揮していないが、この2番は素晴らしい。第1楽章はオーケストラに自由に弾かせながら知情意のバランス良くまとめ上げ、テンポにはうねりを与え、追悼演奏ということもあったのか、第2楽章コーダ、第3楽章の緩徐部で深い情念を語っている。終楽章は合奏に乱れやティンパニの先走りがあるが棒がオケにまかせて勢いを引き出す風だったかもしれない。コーダのテンポは納得いく。(総合点:4)
ヘルベルト・フォン・カラヤン / ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
1963年録音。第1楽章、さすがBPOという音だ。このオーケストラのドライブ力は見事。 第2楽章は室内楽のようで弦を深い呼吸で歌わせるがヴァイオリン高音部がやや美感に欠ける。第3楽章は平凡。終楽章は大層な勢いとパワーで開始、コーダは二分音符の減速は浅く、ヴァイオリンの高音の頂点でややブレーキを踏み、②の前半と④でほんの微妙に加速と芸が細かいが、ほぼ王道を行っていると評することができる。若いころからカラヤンは大物の証明を刻んでいる。(総合点:3.5)
(補遺、3月29日)
ヨゼフ・カイルベルト / バイエルン放送交響楽団
66年12月8日、ミュンヘンのヘルクレス・ザールでのライブ。上記BPO盤と同様に、心の底から僕を説きふせる何かのある解釈。2番はこうなんですよと言われれば降参するしかない。カイルベルトとハイティンクが無意識にベンチマークになっているかもしれず辛口評価になった演奏はそれから距離があるということか。オケは一流感には乏しいがツボにはまった音が鳴っていて、最低限の技術と正確な音程さえあればそれ以上の何がいるかとさえ思わせる。終楽章はコーダに向けて音楽が熱してくるのがライブで、微妙だが一貫してアッチェレランドがかかる。ここは禁欲的に行って欲しかった。(総合点:4)
(補遺、21 July 17)
クルト/ザンデルリンク / ベルリン交響楽団
1971-72年の第1回に続く2回目の全集。1990年にベルリン・イエス・キリスト教会での録音である。第1楽章のスローテンポはちょっとつらい。コーダの夕陽は心にしみてくるが。中間2楽章も黄昏の表情を湛える。終楽章すら遅く始まり、第2主題はもちろんさらに減速するし展開部の最後は止まりそうになる。コーダは入りでやや加速して(それでも異例に遅い)そのままインテンポで終わる。それはいいが、全体に僕にはよくわからない。非常に特異な2番である。80才になったらいいと思うかもしれないが。(総合点 : 2.5)
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Categories:______ブラームス, クラシック音楽