ブラームス交響曲第2番の聴き比べ(7)
2015 APR 12 14:14:33 pm by 東 賢太郎
フリッツ・ブッシュ / デンマーク国立放送交響楽団
1690年創立のマイニンゲン宮廷楽団の指揮者には1880年にハンス・フォン・ビューロー,85年にリヒャルト・シュトラウス、86年にフリッツ・シュタインバッハが就く。そして85年10月にこのオケが初演した曲がある。それがブラームスの交響曲第4番であり、そこでオケに入ってトライアングルをたたいたのがリヒャルト・シュトラウスだった。シュタインバッハはブラームスと親交が深く彼をマイニンゲンに招き、彼の作品によるザクセン=マイニンゲン地方音楽祭を立ち上げた名高いブラームス指揮者であった。後年そのシュタインバッハがケルン音楽院で指揮法の教授になった時の生徒がハンス・クナッパーツブッシュとフリッツ・ブッシュである。この二人のブラームス2番が聴けるというのは幸運なことだが、両者は違う。クナは自分のブラームスは先生のまねだと言ったらしいがバイロイトに行ってワーグナー指揮者として名を成した芸風の人であり一概には信じ難い。両者はテンポからして異なり、ブッシュの終楽章は7分55秒と最速クラスだ。モーツァルトを得意とした彼のフィガロやドン・ジョバンニの芸風を持ってきた2番と言えそうだが、はて、こっちもこれが直伝かというと迷う。かたや4番を聴くと両者には通じ合うものがあるのだが・・・。そこに関してはやはりブラームスと親しく、演奏会で自分の代わりに第2協奏曲を弾かないかと誘われ(断った)、この交響曲2番の作曲者指揮によるライプチヒ初演を聴き、どれかはわからないがブラームス臨席の演奏会で彼の交響曲を指揮し少なくとも解釈にクレームはつかなかったという逸話を持つマックス・フィードラーの終楽章を信頼すべきだろう。これは驚いたことに四つ振りのやや遅めのテンポで始まり、全奏で速くなる。以後もテンポはよく動きとても流動的だ。ピアノ協奏曲2番をブラームスはとても情熱的に激しく弾きテンポはよく動いたという証言をどこかで読んだ記憶もあり、ほぼ同時期の44歳の作品である第2交響曲も同様の解釈が正解なのかもしれない。フィードラーの演奏を聴いていて僕はふとこれは蒸気機関車から見た光景か?と思ってしまった。彼はエジソンの蓄音機に録音を試みたように機械やニューテクノロジーに並々ならぬ関心を示しており、イタリアやペルチャッハへもSLで行った筈なのである。このブッシュ盤はSLどころか快速電車だが。このCD、モーツァルトの「リンツ」はやはり快速、メンデルスゾーンの「イタリア」冒頭主題は歌いまくる。ドイツ語圏音楽の解釈を考古学的に探ってみたい僕には非常に貴重な音源である。(総合点 : 4)
リボール・ペシェク / ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
ぺシェックはチェコPOの常任も務めた同国の名指揮者である。右のCDは89年ごろロンドンで買ってもう忘れていたもの。今回のきき比べの試みがなければもう聴くことはなかったかもしれないが、このクオリティの高さは新発見だった。冒頭より実に細やかな神経の通った音がする。木管の音程の良さも一級品だ。指揮者の耳の良さがすぐわかる。オケの各声部のテクスチャーも透明感があり第1楽章は文句なしだ。第2楽章のチェロも秀逸で、それに重なる絶妙のピッチのフルートなどそれだけで耳がくぎづけになるし第3楽章の木管アンサンブルは音楽性のかたまり。欲を言えば弦の質が木管の域にはないがこれだけ良い音がすると弦も含めて全員が耳を澄ましてお互いを聴き合うしかないのだろう、上質の室内楽を聴くようだ。こういうところが指揮者の腕前なのである。終楽章は常識的なテンポで始まり再現部のまえで落とす。第2主題の歌ごころも素晴らしく、コーダへの道のりでティンパニをはっきりと鳴らし強いインパクトを与えながら熱していく。個性はどこといってないかもしれないが少しも小手先の感じがない立派なブラームスだ。i-tunesで900円の廉価盤となっており経済的にもファーストチョイスに推したい。(総合点 : 5)
小林研一郎 / ハンガリー国立管弦楽団
1996年5月19日にアムステルダムで小林先生と仲間でゴルフをやった。接待でなく遊びであり真剣勝負させていただいたが大変にお強く完敗した。終わったホールの僕のスコアから2打目に使ったアイアンの番手までよくご覧になっていて完璧にいい当てられるのは驚いた。頭脳も身体能力も人心掌握力も常人ではない。100余人のプロ集団を指揮台で率いる人はこうなのだと思い知った。このCDはその時にいただいたもので、僕の好きな4番の冒頭をサインと一緒に書いて下さった宝物だ。第1楽章はゆったりした歩みで第2主題の入りには一瞬の間をとる。第2楽章のドイツの暗い森を思わせる雰囲気やチェロの表情はブラームスそのものであり、重めのホルンの音色がぴったりで木管のピッチも非常に良い。ヴァイオリンの入りをそっと息をひそめるなどデリケートな味わいにあふれるが後半の激する部分では低弦を強調しており、このロマンに満ちながらも尋常ならざる緊張感も秘める表現は幻想交響曲の第3楽章に通じるものを感じる。この楽章の解釈は秀逸だと思う。第3楽章の田園風景は管弦のまろやかなブレンドが見事である。終楽章は一転速めのテンポをとりオケは深みある音で見事に棒に反応している。いいオケだ。第2主題への減速は自然でありこういう呼吸の上手さを聴くとついあのゴルフ場での卓越した距離感の寄せを思い出してしまう。再現部の第2主題も同様だがコーダ前の減速から例のトロンボーン下降に向けてやや加速し、コーダにさらに加速する部分、僕の趣味として合わないのはここだけだ。今の先生はさらに円熟されているだろう、是非実演で聴いてみたい。(総合点 : 4.5)
ヴァ-ツラフ・ノイマン / フィルハーモニア管弦楽団
99年に香港で買い、ダルでつまらないという印象しかなく2度と聴かなかったCD。これがなかなかいいじゃないかと思うようになっているというのはトシを取ったということだろうか。とにかく牛歩のごとく遅い。コバケンさんのように何か起きる予感を秘めた遅さではなく、老人が道端の草花を愛でながらゆっくり散歩するようでそれに44歳の僕は辟易してしまった。2番に何を見るか?当時はロマンとパッションだったし、やはりこれを書いた時に44歳だったブラームス自身もそうだったかもしれないとフィードラーの演奏から思う。今はこれいい曲なんでじっくり味わわせてよねという要求の方が勝っている。そして69歳のノイマンの目に共感している。老成した指揮者がやりたがるのはむしろ4番だろうが、もう70の声をきけば2番のブラームスも4番のブラームスもないのかもしれない。64歳までしか生きなかった作曲者自身の知らない世界だろうか。そういう男がやった2番は、終楽章コーダで加速しないのだ。当時の僕はそれがないのでダメだった。青かったなあと思う。(総合点: 4)
ニコラス・アーノンクール / ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 (96年、ライブ)
97年7月にアーノンクールはヨーロッパ室内Oとチューリッヒ・トーンハレでブラームス全曲をやった。僕は1,2番を聴いた。1番はノリが良かったが2番はあまり共感しなかった記憶がある。当時はすでに古楽器の泰斗がヴェルディをやってしまう時代だったがブラームス界への進出も意外だった。このBPOとの2番、弦やオーボエソロのフレージング等にクリティカルにスコアを読んだ痕跡があるのはイメージ通りだが、とにかくハートが熱い。なるほどけっこうであり、ライブもそうだったしそういう気質でないと椿姫など振らないだろうが、それが部分部分でショートテンパー気味に感じられてしまう。ブラームスというのはそういう小手先のミクロの熱の集積で暖まっていく音楽ではなく、あくまで大河のごとき流れが底流にあって徐々に聴き手の内面にある情をかきたてながら気がついたら体の芯から暖まっていて2~3時間は冷めないというものだと僕は思う。元気に爆発する劇的な終楽章など3分で冷めてしまう。H先生、とても見事ですが気が合いませんねと言うしかない。(総合点 : 2)
エヴゲニ・ムラヴィンスキー / レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団 (13June 1978、ウィーンでのライブ)
このLPはオケの音像が遠目で録音レベルも低く冴えない。しかし高音を上げ低音は絞り、最大音量に近づけるとムジークフェラインの中央よりやや後ろの席あたりの音に近づく。これが実際にどんな音だったかはこのホールの音の記憶から推察するしかないが、第1楽章の終結へ向かう部分の弱音などさぞインパクトがあっただろう。このコンビの音量の振幅というのはエネルギー、カロリーの増減を伴うことで物理的なものを超越しており、他の演奏とは一線を画する印象的なものと思う。ここもppに近い静寂と緊張感から終楽章の解放に至るまでのドラマを演じるが細部が良くわからないのが惜しい。コーダは少しくアッチェレランドがかかるが音楽の情動が許容するぎりぎり範囲内のものであり、会場で聴いたらさぞ感動しただろう。ホルン、トロンボーン、オーボエの音色にやや違和感を感じることを置けば傾聴に値する2番と思う。(総合点 : 3)
マレク・ヤノフスキ / ロイヤル・リバプールフィルハーモニー管弦楽団
87年ごろロンドン時代に買ったLP。第1楽章はゆったりした大河の様な流れで提示部の繰り返しもあり、ブラームスにたっぷりとひたることができる。LPの音は木質で大変すばらしい。第2楽章も同様で弦のやや湿度を帯びた音が好ましい。第3楽章はさらに同曲で最も遅い部類であり、精神をいやすヒーリング効果すら感じる。そして終楽章だが、常識的なテンポであったのがコーダに至ってものすごいアクセルが踏まれ脱兎のごとくゴールへ飛び込むことになる。それさえなければ大人のブラームスであったろうに惜しい。(総合点 : 3)
(補遺、3月23日)
フリッツ・ライナー / ニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団
1960年3月12日のライブ(放送録音か)。楽器の生音をよく拾ったモノラル録音であり鑑賞には耐える。強奏するホルンの音が重め、オーボエなど木管の色気がないなどNYPOがドイツ系の音だったことがうかがえる。解釈は至極まっとうで文句なし。ただ第3楽章の弦のアンサンブルなどライナーのCSOとの演奏の水準にはなく荒い。ロマンの息吹もやや不満だ。このディスクの白眉は終楽章。ティンパニを強打したエネルギー満点の主部は見事で、コーダに至る前からすでに加速(こういう手があったんだ、脱帽!)、コーダは①で加速、②で常識の範囲内でやや加速で納得感あり。ところが③の前半で(編集のミスか?)1小節落ちていて大変ずっこける。ということで好事家向けであることは否めまないが僕には感心するものがある演奏。ちなみにこのCD、余禄のピッツバーグSOとのハンガリー舞曲がすばらしい。(総合点:2)
(補遺、11 June17)
ジョージ・セル / クリーブランド管弦楽団 (5 Jan1967、ライブ)
クロアチアのVIRTUOSOレーベルから出たセル&クリーヴランド管弦楽団~1967-69未発表ライヴ集Vol.1の3枚組CDでゼルキンのPC1番と交響曲4番と組まれている。セヴェランスホールでのステレオ録音で放送用だろうか、悪くはないがややドライだ。第1楽章提示部を繰り返すのは珍しい。ライブにおいてもセルらしくコントロールされるが金管にミスがありこのオケも万能ではないことがわかる。正規録音のほうにも書いたが、僕はロマン派楽曲でのセルのホルンの扱い方が苦手であり、ここでも大いにそれがあるため引いてしまう。中間楽章は僕の欲しいロマンはあまりない。終楽章は巨大な室内楽の如き立派なアンサンブルであるが、だから何だというところ。彼のベートーベンは最高の敬意を払うがブラームスはだめだ。(総合点:2)
(補遺、2018年8月25日)
アンタール・ドラティ / ミネアポリス交響楽団
Mercury Living Presence (The Collector’s Edition-3)より。シリーズ共通の近接したマイクで弦の内声部が聞こえすぎる感なきにしもあらず。アンサンブルの細部にごく微細なアラはあるが、この演奏の風格は抗いがたい。19世紀から脈々と受け継がれた伝統を一切外すことなく、ドラティ一流の筋肉質なアンサンブルでまとめた2番。各楽章のテンポやディナーミクで違和感を覚える部分は一箇所もなく、小細工なしの堂々たる正攻法で曲本来の感動を伝えきる本物の演奏だ。僕は1986年にロンドンでドラティがロイヤル・フィルを振った交響曲1番とPC1番を聴いたが同質のものだった。終楽章コーダはどうかと思って聴いたが、ドラティがチープなアッチェレランドなどするはずもなく、杞憂であった(総合点:4.5)。
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Categories:______ブラームス, クラシック音楽