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エラリー・クイーン「災厄の町」

2015 MAY 17 19:19:44 pm by 東 賢太郎

51qs8cL-0-L._SL250_クイーンの長編はほぼ読んでしまったのでこれは珠玉の残り物でした。読んだのは早川書房の「新訳版」(越前敏弥訳)で、翻訳者の越前氏のブログによると、

『災厄の町』はクイーンの後期の代表作で、クイーン自身が最高傑作と評したこともある作品です。わたしも、海外ミステリーのオールタイムベストを選ぶとき、かならずこの作品を上位に入れます。」

とあります。楽しめました。僕にとってクイーンは思い出の卒業アルバムみたいなもので、感動→失望というプロセスをたどったものですからすでに過去のものでもあり、読み残しの何作かも食指が伸びずじまいでした。これを本屋で買おうと思ったのも熱が再燃したわけではなく、字が大きいから。何ともさびしいものですが。

中学~高校時代にハマって片っぱしから読みましたが、パズラーとしての凄味と切れ味に感服したものですから一言一句を熟読しまして、国語の教科書よりもずっと影響を受けたと思います。

還暦になって、クイーンの影響が「3つ子の魂」と化したことを列挙してみると、

  1.  ロジック好き(=要は理屈っぽい)
  2.  細部好き(=全体と細部に優劣なし、些末な事は世になし)
  3.  物証好き(=人より事実を見る、いい人・悪い人はない)
  4.  リアリズム好き(=あいまいが嫌い)
  5.  やりあげ好き(=解けない問題はない=必ず最後までやる)

 

です。クイーンによってそうなったというより、おそらく元からそうだったからクイーンが好きになったのであり、クイーンがそれらを増幅したということのようです(1-5の末としてもうひとつ、6.こうして文章がくどくなる)。

中高時代というと勉強はともかく野球と音楽で忙しいさなか、普通ならもう少しまとも?な名作文学全集や純文学にあてる限られた時間がそっちへ行ってしまったわけで、文学趣味や詩心には無縁のまま馬齢を重ねてしまいました。

さてクイーンですが、瓶やら靴やら帽子やらの物証をめぐる文章を読むわけですが、最後に「読者への挑戦状」があって負けたくないので緻密に読みます。それでも負けてしまう。というのは、実はクイーンのロジックは緻密でないからです。

なぜならそれは作者がロジカルだと勝手に了解した方法論に則って書かれた数学の答案みたいなものであって、でもこう解けば答えは違うとなる。あるいは解くための所与の条件に恣意性がある。したがってロジカルでないのです。

僕が読んだかぎりですが、解決が本当にロジカルな答案となるミステリーはないのではないでしょうか。必ずアンフェアなまま真相が開示されると言い換えてもいいし、必ずフェアネスより意外性に重点が置かれたスタンスで書かれていると言い換えてもいいでしょう。

そりゃそうです。数学の答案に金を払う人はいないでしょう。「驚天動地の結末」こそが商品です。だから昨今のミステリーはどんどんこけおどしに淫してしまい、ロジックが導き出すスマートな意外性を見ることはほぼ皆無になりました。

クイーンの人気の秘密はそのロジック解法のスマートさに「こだわっているふり」をし続けてくれたことにありますね、きっと。ふりということはウソなのですが、ウソでもいいからやってほしい。これってコスプレの世界です。ちょっと倒錯があります。

大人になって読んだ「チャイナ橙の謎」あたりでそれに気づいて飽きてしまい、だから「オランダ靴」や「エジプト十字架」、「Yの悲劇」をなつかしみつつもクイーン教を脱退してしまいました。

しかし、その不自然さは問題設定に欠陥があるんじゃないか。良問はロジックと意外性を両立できるのではないか。まだ仕掛けを見抜けない中学生の僕にはそれは達成されていたのだから、大人レベルで超絶的な作品が出てくるんじゃないか。

そういう幻を追いかけてまた読んでしまう。ミステリーはそういうビジネスなんでしょうが、商売なんかぬきにして真剣勝負を仕掛けてくれる天才が現れないでしょうか?それともオヤジの空しい願望なんでしょうか。

ちなみに「災厄の町」はロジックを文学的味つけに内包した所に新味があるという評価が一般的のようで、クイーンの片割れのフレデリック・ダネイが79年にキャロル大学での講演で「これまで書いた中で最高の作品」といったそうです。

僕はそうは思いませんが、一般に「後期」と呼ばれる方向に持っていきたい作者の意気ごみは感じます。このへん、3大バレエ後の渡米したストラヴィンスキーを思い浮かべてしまいますね、気持ちはわかるんですが。

この作品、やっと殺人がおきたところで犯人がわかったということで、したがって、ロジックはフェアであるといえます。というより、見抜かれるリスクをかなり負っている。それをカムフラージュするために人物の心理描写が必要になったのであって人間を描いた文学性(のようなもの)はトリックの素材です。

新味とはそういう意味でなら正しいでしょう。ダネイの「最高の作品」という自薦もたぶんそうではないでしょうか。しかし、この手法のリスクは、文学に疎い僕のような無粋漢にはそれがちっとも煙幕としてワークせず真相がわかってしまうことでしょう。

なによりその煙幕が書物の梱包に関わる「ある事実」を知るまでエラリーにも効いているのであって(だからこれが素材だと分かったのです)、名探偵より先を行っている優越感すら味わえたという稀有なエンターテインメント性のあるミステリーでした。

それだけなら苦笑して終わりなんですが、そうではなかった。「ある事実」で急転直下、ロジックによって全てが覆って真相解明に至る、これは「エジプト十字架」のリフレーンであり、あるストーリーに添ってやむなく事態を進行させた非合理が謎を残す、これは「Yの悲劇」のリフレーンです。

何と懐かしい!わくわくしながら読み終えました。まあイメージとしては80年代のベンチャーズのライブみたいな観はあるものの、許せてしまいますね。お薦めです。

 

(こちらもどうぞ)

アガサ・クリスティ 「葬儀を終えて」

 

 

 

 

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