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夏休みがなかった高校時代

2015 JUL 15 1:01:33 am by 東 賢太郎

高校時代に夏休みはなかった。夏の甲子園予選東京都大会があるからであり、いまそれがたけなわである。毎日の勝敗を見るにつけ血が騒ぐ。最近は知らない高校名もたくさんあるが、だいたいのところは名前で力が想像できてしまう。ああ、ここなら勝てるななんて今でもグラウンド目線で見てるのは、高校野球に完全燃焼できなかったからだ。

中学で背が伸びて171cmになり、草野球ではオトナでも打たれる気がしなくなった。早生まれのせいか体が小さく、でかい女の子に腕相撲で負けたしでかい男子にはケンカも運動も勝てないと思い込んでいた。ところがもっとでかいオトナを三振総なめにして、得意なことを磨けば世の中わたっていけるかもと思えるようになった。

野球は硬式と軟式がある。硬式の人間は軟式は野球と思ってないがあのオトナたちはきっと軟式の人だったのだろう。思えば中学でリトル(硬式)に入って同世代のうまい子にコテンパンにやられていたら小学校の弱っちい自分のままだった。古来、男子が大人になるのが元服だが草野球のおかげでそれがすんだ。

投手のタマと野手のタマは質がちがうのは経験者はわかる。練習しても野手にはああいう球は放れない。野球部員はみなそれなりに自負心があるが投手は別格の天狗だ。世の中に自分のタマを打てる男はほとんど存在しないと思っている。そんなことはどうでもいいのだが、世の中がどう思おうと、そのことがどうでもいいのである。

社会に出て仕事で気おくれする場面はある。それでも、相手が打席に立った姿をイメージすれば気持ちで完全優位になってしまう。人前に出るなどなんでもない、投手は衆人環視になるのが仕事だ。良し悪しはあるだろうがもともとが小さかった僕にはちょうど良かった。野球好きなのは男子としての自信をつくってもらったからだと思う。

九段高校ですぐ硬式にはいった。都立とはいえその夏の東京都大会の第六シード校で4回戦まで行ったから弱くなかった。草野球出身で誰に習ったこともなく投げ方はもちろんプレートの踏み方すら知らなかったが、先輩方とキャッチボールしてみると自分の球のほうが速いと思った。野球だけは自分は特別と天狗になりきっていた。

その夏からすぐベンチ入りさせていただいて、大会終了後に背番号1をいただき一級上の2年生を飛び級した。だから客観的に能力がすこしあったのは球を投げることで、学業など比にもならないと書いて自慢にも謙遜にもならないと思う。この1年でエースというのに比べれば2浪して東大に入ったり徹夜続きでMBAを取ったなどというのは汗の匂いがする格好悪いことだ。

硬式で初めて同世代のうまい子と対戦することになる。天狗はそこまでだった。秋の新人戦は国学院久我山だった。甲子園も出てロッテの井口、日ハムの矢野などプロ選手も多く出している。9-0の7回コールドで負けた。一回り目は零点でたいしたことないと思ったら次から打たれ、それも人生初というほど自慢の直球を打たれてショックをうけた。

打撃では甲子園に出た日大一高戦で一塁線ゴロが抜けたと思ったら併殺打。盗塁は何度かしたがだいたい1メートル手前でアウトだった。そもそも上の子相手ではいい思い出自体があまりなかったのか。二けた三振で2安打完封された聖学院の左腕からセンターオーバーの三塁打を打ったのがいい方の唯一の記憶のように思う。珍しいから覚えてるのだろう。

硬球の怖さも知った。初登板だったOB戦で先輩にぶつけてしまった。それも速球が首を直撃して昏倒され騒ぎになった。走者一三塁の場面で一塁走者が盗塁したとき、捕手が擬投で僕に思い切り投げ返してきた。サインがわかってなく危険だった。打球では何回も怖い思いをした。18.44メートルの距離を強烈に襲ってくる。捕れなければ頭、心臓、股間などを直撃のもあった。

2学期がはじまって同級生が山へ行った海へ行ったという話をする。こっちはあの学校に勝ったの負けたのだけ。体育会というのはクラスでは軍人みたいで戦いの話しか興味がないし女の子とは話題すらない。軟派な都立高だから完全に浮いていた。どうしてそこまでして野球に没入していたのか、あるとすると闘争本能とお試し本能だ。

人間なにごともうまくなると試したくなる。足が速ければかけっこしたい。力自慢なら相撲したい。相手をやっつけたいというより自己確認、それがお試し本能だ。ゴルフはそれだけでできる。相手が人間になると闘争という要素が入る。へたすると戦争にもなる。闘争性を除去してお試し性だけにしたのがオリンピックだ。

僕は2年で肩とひじを両方やって球が投げられなくなった。硬式のレベルでは終わり。お試し本能は出番がなくなったが火がついてしまっている闘争本能は消えなかったので、3年になってやおらそれが受験に向かったような気がする。学業はドべの方だったが、勝ちたいという動機は野球の終焉からやってきた。

野球はお山の大将の蜜の味を教えてくれたし、そこから奈落の底に転落して地獄も見せてくれた。16,17才のみそらでそんな経験ができたのは幸いだったのかもしれないが、どうしても高校の夏休みというとなにか「損したな」という気持ちを抑えきれない。もっと楽しいことがいっぱいあったにちがいないと。

もし、アラジンの魔法のランプがあって、何でも願いを叶えるといわれたら?もういちど高校時代に戻してくれというだろうな。そこで何をやるか?とても迷うにちがいないが、やっぱり野球をやってしまうような気もする。

 
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