ヤナーチェク 「シンフォニエッタ」
2015 AUG 3 0:00:37 am by 東 賢太郎
世界は広い。黒人が突然妙なダンスを踊って見せてカネをくれと手を出したり(米国)、バックで駐車してたらオッチャンが頼んでもないのにピッピーと笛を吹いてくれて金をくれと手を出したり(モロッコ)、変なオッサンがこっちは通行止めだあっちを通れと笛を吹き通り抜けたらぜんぜんそうじゃなかったり(メキシコ)、早朝に支店の前で着物のオバサンが赤とんぼを歌いながら優雅に舞っていたり(大阪)、この世は不可思議に満ちています。
人間、そういった想定外の場面に遭遇するとその瞬間はアタマが固まってしまい、しばらくはあれは何だったのだろうと苦吟することとなり、理解し、納得するまでしばしの間が必要になるものです。
そんなのに例えてヤナーチェクには申しわけないのですが、このシンフォニエッタという曲を初めて聴いた時の僕の反応はそんなものでした。クラウディオ・アバドがロンドン響を振ったFM放送を大学時代に聴いた時のことです。なんだこれは?わけがわからん黒人の踊りが目の前でくりひろげられたあれと似て、完全に思考停止になってしまったのです。
とにかく古典派でもロマン派でも近現代でもない。メロディーはしっかりとあり、ドミソ、ドファラ・・・の当たり前な三和音がついており、耳障りな音はまったくなし。それでいて度肝を抜くほど常識外で、味わったことのない奇妙な味があります。まあ、くさやとか鮒ずしを初めて食した時の驚きに近いといったらよろしいでしょうか。
それはミ♭、レ♭、シ♭、レ♭、シ♭、レ♭、シ♭というテノール・チューバの完全5度による7音の旋律にバス・トロンボーンとティンパニのソミソーミーソミ(全部♭)という左右対称の合いの手が重なるという、一度聴いたら忘れない衝撃をもたらすイントロで始まります。
僕はこのティンパニの短3度という音程に春の祭典の生贄の踊りと同様、なにか呪術的なものを感じてしまいます。もしこれが長3度だったら?のちにallegroのホ長調になって同じ音型がgis、eで叩かれるのですが音楽の性格はがらりと変容しますね。金管とティンパニだけで演奏されるこの第1楽章は異教徒の儀式のようで、長らくそういうものと思って聴いていました。
ところがヤナーチェクは「勝利を目指して戦う現代の自由人の、精神的な美や歓喜、勇気や決意といったもの」を表現する目論見から本作を作曲し、「チェコスロヴァキア陸軍」に献呈する意向を持っていた(Wikipedeia)というのだから、これは軍楽だったのですね。そう言われればという感じもしますが、この深淵さで兵の士気があがるのかなとも思います。
Philharmoniaのスコアには書いてありませんが、作曲当初は1~5楽章にこのような副題がありました。
- 「ファンファーレ」
- 「城(ブルノのシュピルベルク城)」
- 「修道院(ブルノの王妃の修道院)」
- 「街頭(古城に至る道)」
- 「市役所(ブルノ市役所)」
曲の生い立ちを知る意味はあるでしょうし、これを描写音楽として聴くことも可能でしょうが、僕の場合そういう趣味はないので無視です。第3楽章のびっくりするほどの異彩を放つ管弦楽法(ホルンやピッコロの高音奏法など)が修道院とどう関係があるのかさっぱりわかりませんし、あまりこだわる必要はないと思います。この曲の木管の異常なほどの緊張感を秘めた高音域の使用は非常に印象的ですが、僕は情景描写には聞こえません。
レオシュ・ヤナーチェク(1854-1928)ほど誰とも似てない、まさにオンリーワンの音楽を書いた人は知りません。非常にオンリーワンに近いストラヴィンスキーだってドビッシーの、バルトークだってリストやR・シュトラウスの影響があるし、ワーグナーやドビッシーは突然変異的ですが模倣者が多くいます。ヤナーチェクはそれもほとんどない孤高の存在である。僕はそこに強いアイデンティティーを認めます。
ただ、彼の真骨頂はオペラにあります。シンフォニエッタのメロディーもおそらくチェコ語のイントネーションと無縁でないと思われ、これが非常にローカルな味を醸し出す要因のひとつはそこにあるのかとも思っていますが、そう気づいた契機は彼の歌劇「イエヌーファ」や「マクロプロス事件」を観たことでした。シンフォニエッタの第2楽章の木管からはチェコ語が飛び交っているのが聴こえます。
ヤナーチェクはチェコ人とされますが正確にはモラヴィア人です。モラヴィアはスラヴ人の国ではあるが10世紀まで大モラヴィア王国であり、マジャール人に征服されハンガリーと共にオーストリアの支配下に入った。それが1918年にチェコスロヴァキアなる国の一部(東部)となり、従って彼はチェコ人ということになっているのです。モラヴィア人で有名な人は彼の他にシュンペーター(経済学)、フロイト(精神分析)、フッサール(哲学)、メンデル(遺伝学)、コルンゴルド(作曲)がいます。
彼の音楽はドヴォルザーク、スメタナの音楽がチェコ的であるならモラヴィア的なのであって混同されるべきではないでしょう。ヤナーチェクの音楽がある意味で突然変異的だと書きましたがそういう理由があるのであって、さらにいえば、彼がモラヴィア地方のチェコ語(方言)をも大切にして音楽語法に溶けこませたからこそ、それを解さない異国の僕には突然変異に聞こえるし、そのカラーが最も強いのがオペラだということになるわけです。
シンフォニエッタですがモラヴィア地方の民族音楽の旋律、語法、和声感をベースに取り込んだ音楽で、スコアを見るとオーケストレーションはバルトークのように非常に簡潔であり、管楽器の扱いは前述のハイトーン領域の頻発など原色的であり、弦は森を暗示する音色は避けられてドイツ的はおろかドヴォルザーク、スメタナとも遠い用法であります。和声は常に三和音領域にありますが郷土料理のような独特の風味と味わいを醸し出す重要な要素として非常に独特であります。聴感上、僕はアメリカ音楽(コープランド、グローフェら)に近いものを感じます。
シンフォニエッタは超有名曲であり、クラシック好きで知らない人はあり得ません。個性的なだけに何度か聞けば簡単に覚えられるのでぜひ記憶してください。インパクトの強い演奏の一つとして、このチャールズ・マッケラス/ ウィーン・フィルのものは一度は耳にすべきものでしょう。
第5楽章の終わりに冒頭のテーマ(楽譜)が循環主題として戻ってきますが、同じことが起こるブラームスのクラリネット五重奏曲と双璧といえるすばらしく感動的なものです。そして最後の1頁、ワーグナーの楽劇の終結を連想させるD♭、Am♭、E、D♭の和声変化にのってヴァイオリンが非常に高い音域のトリルで何かを強く主張しながら堂々と全曲を結ぶのです。
もうひとつ演奏風景を見るためライブ演奏をあげておきます。これも水準が高い。
僕が持っているCDで最高のものはこれです。
カレル・アンチェル / チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
非常に筋肉質で雄渾。チェコフィルが全力を傾注して自国の誇りを歌い上げ、チェコの国有レコード会社スプラフォンが威信をかけて録音した名盤中の名盤です。写真はCDですが僕はLPを持っており、うまく再生すると素晴らしい音がします。ヤナーチェクはチェコ人としてよりスラヴ人としてロシアに理想を見ておりブルノのロシア文化サークルの会長まで務めていますが、やがてチェコは共産化されそのソ連の支配下に入ってしまう。この曲がチェコ陸軍に献呈されているのも彼の運命の複雑さと悲哀を感じます。チェコを代表する名指揮者アンチェルは一方で家族全員をアウシュヴィッツで殺されひとり生き残った。この録音は欧州史の奔流の中で残酷な運命をたどった東欧の音を刻んでいる気がします。チェコ語がきこえてくるこの曲の最高の演奏の一つとして永遠に残るものであること確実でしょう。
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