嬉野温泉スパイ事件の謎
2015 SEP 13 22:22:57 pm by 東 賢太郎
先週末は雨とコンサートでジョギングできませんでした。2週空いてはまずいので今日はまた二子まで10km。けっこう調子が良くてついに初めて1時間を切りました(57分)。
阿曾さんたちにそれならハーフマラソンはいけるいけるとけしかけられたのと、もう一つ佐賀の嬉野温泉へ行った時に按摩(あんま)さんに「筋肉は50才ぐらい」とおだてられたのが効いてますね、たぶん。
この嬉野(うれしの)という所は福岡空港からだと高速バス(九州号長崎行き)で諫早方面に1時間半ほどです。地図で見るほど遠い感じはしません。福岡空港発11:02に乗って筑紫平野を下り、筑紫野、基山を通って12:36に嬉野バスセンターで降ります。
「まめ多」の降旗女将にいい旅館があるよと教わっていて、昭和天皇が泊まった和多屋というのですがそれは満員でした。そこで和楽園さんという旅館に1泊しましたが良かったです。
湯質は無色透明ながらぬめりがあります。傷を負った鶴がこの温泉で治るのを見た神功皇后が「あなうれしや」といったのが名称の語源だそうだから、日本書紀の時代から知られていたということです。和銅七年(714年)に記された肥前国風土記に名前が出てくるそうです。
「シーボルトの湯」というのがあります。
フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト(1796年 – 1866年)がここに長崎から何度か来ていた。彼はオランダ人と偽って出島に入ったがドイツ人であり、出身地はヴュルツブルグです。思えば僕はフランクフルト駐在当時、友人とよく車でヴュルツブルグの劇場にオペラを聴きに行ってました。
フランクフルトを流れるマイン川は、ワーグナーの聖地バイロイトあたりに源流を発して、長躯バンベルグ、ヴュルツブルグを流れてフランクフルト・アム・マインに来ます。そしてマインツでライン川に合流するのです。そういえばシーボルトの従兄弟の娘に当たるアガーテ・フォン・ジーボルト(1835年 – 1909年)は、あのブラームスの婚約者であったっけ!
どんどんパズルのピースがつながっていきます。
あそこから長崎に、そしてこの嬉野温泉に来ていた。彼はプロイセンのスパイだったという説もあり、幕府禁制の日本地図を持ち出そうとしたことで国外追放処分となるのです(1828年、シーボルト事件)。このとき、丸山町遊女であった瀧との間に生まれた娘(日本人女性で初の産科医となった楠本イネ)を残して去ったのはどこか「蝶々夫人」を思わせます。
イネは大村益次郎に恋した人であり、京都で襲撃された彼を看護しその最期を看取っている(司馬遼太郎「花神」)、また、吉村昭の「ふぉん・しいほるとの娘」の主人公にもなっています。彼女の美しい娘が宇宙戦艦ヤマトのスターシャのモデルらしいというのも知りませんでした。
そこで、もうひとつ、思い出した。「シーボルトの湯」の目の前の橋のたもとにあった「大村屋」という旅館の跡に、こういう来歴が書いてあって、なんとなく写真を撮っていたのです。
伊能忠敬!!
そうか、幕府禁制の日本地図を役人の目が光る長崎・出島で受け取るのはあまりに危険である。温泉で湯治すると偽装して、ここで入手したんじゃないか??
まあ大昔の犯罪だしもうどーでもいいですけどね。
このことは実はさっき気がついたんで、当日は中村兄と来ていたんですが仕事で疲れてぼーっとしていて、名物の豆腐を食べてなんにも考えてませんでした・・・。母方の出身地が諫早なもんで、どのへんかなと旅館で尋ねたら、車で30分ですよ近いですよなんてことも知った。
ぎすぎすした東京からくると、人当たりがやわらかくてどこかほっこりしてて、安らぎました。いいところでした。また行くことになると思います。
(追記)
嬉野で撮った一枚に故・中村兄の後姿があった。昨日のことのようだ。
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阿曾 靖子
9/14/2015 | 12:33 AM Permalink
東京マラソンの抽選はおそらく今月中に発表のようですが
今回は倍率11.3倍だそうです。同僚達のお陰で、この大会、過去7回は沿道に3時間余り立ち続けて応援は慣れたものですのでご当選を祈念しています。
嬉野温泉、16年前に仕事がらみの九州北部4県巡りの際に訪れました。
宿は「大正屋」で、ここに宿泊すると「椎葉山荘」という温泉施設の中の
4つの湯に入ることができて確か露天風呂初体験の地です。
嬉野は温泉豆腐が絶品ですが、嬉野茶もお薦めです。
この後、有田の陶器市、ポーセリンパークへ。
翌日阿蘇に向かう途中で「メロンドーム」発見、城町物産センターですが畑の中に忽然と巨大なメロンが2個現れます。
阿蘇観光、湯布院と3泊で大忙しの行程でした。
東 賢太郎
9/15/2015 | 9:10 PM Permalink
マラソンは10時間あれぱ歩けますが。嬉野のあとは有田と吉野ヶ里にも行きました。
中村 順一
9/17/2015 | 2:03 PM Permalink
確かに嬉野温泉は良かった。僕は今腰痛で困っているのですが、嬉野にいるときは何となく腰痛も忘れ気味でした。のんびりした雰囲気がいいのでしょう。シーボルトの話も興味をそそられました。プロイセン人の彼がここへきていたなんて歴史はどこまでも繋がってますね。
東 賢太郎
9/17/2015 | 2:29 PM Permalink
中村兄、ああいうのんびり感は箱根や日光にはないね。腰にもいいでしょう。いい所を取ってもらって感謝です。
阿曾さん、マラソンはずれでした。残念だけどちょっとほっとしてます。まずはハーフに挑戦でしょうかね。