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シベリウス 交響曲第6番ニ短調作品104

2015 OCT 20 0:00:38 am by 東 賢太郎

凛としてすき通るような秋空にふさわしい音楽は何だろう。毎年この季節になると考えることだが、先日の演奏会でこれを耳にしてはたと膝を打った。

シベリウスの7つの交響曲でも、おそらく6番は人気がある方ではない。しかしこれの魅力は掛けがえがなく、僕には無上のインティメートな曲だ。心に住みついてから離れるということがない。好きな音楽はいくらもあるが、こうして恋情をいだくものは稀だ。

6番はどこかさびしい曲だ。これこそが魅力の要である。弟クリスチャンの死、経済的にも精神的にも援助を受けたカルペラン男爵の死というものがどこにどう影響したかは語られていないが、愛しい者がいなくなってしまう悲しさというものを長調の楽想でこんなに切々と伝えてくる音楽は他に知らない。

そもそも音楽がドラマと共に泣き、慟哭するのはオペラだ。世の中にはそんな赤裸々に訴えなくたってもっと泣けるものがあることを大人ならばみんな知っている。在るべきものが消えたときの心の隙間、喪失感。この30分に満たない交響曲は、べつに今は何も失っていない僕に、とてつもなく大切なものをまず味わわせ、そして最後にそれをとりあげてしまう。

そうすると、なんだか不思議なことだが、僕が人生でそうして現実として失ってきた数々の大切なものが、その無くなったすぐ後の心を吹き抜けたすきま風の茫漠とした記憶と一緒になってよみがえってくるのである。そしてそれは、こうして文字にするそばから陽の光を浴びてどんどん消え去ってしまう。悲しみという雪の結晶だ。

だから僕はこの6番をよく聴く。何が心に戻ってくるのかは、そのときまで知らない。何でもいいじゃないか、大事なものだったんだから。考えることもない、いつもこの素晴らしい音楽まかせなのだ。

第1楽章の冒頭、第2ヴァイオリンとヴィオラでそっと入る合奏は僕になぜか冬の日の葬送を思い起こさせる。死者の魂は冷んやりした青空に登る。いきなり悲しいのだ。なにが?それは後になってわかる。練習番号 I の第1ヴァイオリンによるこれだ。

sibe6

何と楽しく嬉しげな!ここについているF⇒B♭(+g)の和音!何度も自説を書いてきたが、わかる人にだけはわかっていただけると信じたいが、トニックからサブドミナントへの飛翔は心の飛翔でもある。人間がもっとも幸せな瞬間である。このフレーズが僕の頭にすでに強く焼きついてしまっていて、6番を聴くとなると冒頭に早やリフレーンとなって悲しい色に染めてしまう。あの人、あの場所、あの楽しかった日々・・・・。そういう諸々のことだ。

この楽章のコーダは雲間にさす赤い夕陽のような金管の和音であたかも締めくくられたようだが、そうではなくて、弦と木管の合奏による虚ろな4小節が加わる。

sibe6-1

これは何だろう?あれだ、あれだよ、もうないんだなんて、あれはどこへ行ったんだ?

書くときりがない。スコアには呪文のように不可思議なフレーズがあらわれては泡のように消え、わけもなく郷愁をそそり、心を疼かせ、かき乱してくれる。第4楽章の美しいが翳りのある女人の舞のような冒頭部分のオーボエや、主部の何かを峻厳に宣託するようなテーマにつく難渋な和音も耳に残るが、ここでもコーダが、僕がすべてを失ってしまったことをこうして告げてくる。

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モーツァルトの24番のコンチェルトが幽界への黒々とした狭間をのぞかせるみたいに、息絶えようという魂が最後の飛翔をしようともがくのだが、ここではそれがDm、D♭、B、Aという和声で、第1ヴァイオリンの楽譜の f のところで大きく最後の息をして、esで停止してdesまた停まって、最後はニ短調の暗黒に至って、d のユニゾンで虚空にのまれていく・・・・。

5番まで、シベリウスは北欧フィンランドの人であった。しかし6番、7番においてついに彼は音という抽象的な素材で、何も描くということはなく、誰もやらなかった方法で語りつつ人間の深いエモーションに訴えるユニバーサルな音楽家になった。

ベートーベンが5番と6番で示した交響曲の分かれ道。抽象的素材を突き詰めた5番という絶対音楽の行く先はブラームスが、6番という具象と感情の喚起は幻想交響曲を経てマーラーが引き継いでいくが、シベリウスは6,7番において明確に前者の系譜に連なったと思う。6番の室内楽のような、エッセンスだけを凝縮したスコアには、幽界を透過して数百光年も彼方の星々の瞬きが見えてくる。

 

演奏について

6番は各楽章の頭の速度記号が基本的に変わらない(第2楽章、終楽章のコーダの前が例外)。だからallegro molto moderato 、 allegretto moderato – Poco con moto、 poco vivace 、allegro – Doppio piu lentoという4つの楽章のテンポ設定が演奏の性格を決める。その分、楽想の起伏と強弱の塩梅が好悪を分けるだろう。

加えて、明確にフレーズされた旋律の歌いかた、対位法旋律の扱いにこだわりたい。主題のなつかしい感じの根源はドリア旋法にある。レからドまで白鍵だけで弾ける音階で、この7音の3和音の組合わせで日本人好みのフシに和声づけできる。一聴ではわかりにくいが、音の構造上、6番は我々の口にあうメロディーに満ちているのである。それをどう感じ、どう聴かせてくれるか?

加えて、考え抜かれたリズムの彫琢、巧みな楽器法のパースペクティヴなど、録音では細部が出にくいが、弦の発音(アーティキュレーション)、木管・金管とのバランス、ティンパニの強打のインパクト、ハープの倍音のかませ方、など実演では聴きどころが満載である。そして、言わずもがなだが、あっさり終わってしまう音楽の性格づけである。どれだけ喪失感が悲しく心に響くか。魂をゆさぶるか。

 

渡邊暁雄 / 日本フィルハーモニー交響楽団

4988001742005演奏のコンセプトとして僕はこれが好みだ。なんといっても音楽に対する渡辺の優しい視線にあふれ、6番がどう響いてほしいかがわかる。オケが音程もパワーも弱く伝えきれていないものがありそうだが、旋律にもっと思い入れや抒情があっていい部分もあえて深入りしない指揮である故に欠点にまでなっていないのは幸いだ。ロマンに傾かない節度で音楽の枯淡の側面をグレーの色調で見事に描いており、上記本文の「悲しみ」がふつふつと湧きあがるのはこれだ。

 

ヘルベルト・フォン・カラヤン / ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

91CF-wzp5zL__SL1500_第6番CD史上、最美のオーケストラ演奏である。これがドイツのオケである等々どうでもよいことで、第1楽章冒頭から聞き惚れるのみだ。カラヤンは6番が好きで3度録音しているが2番目のこれが圧倒的に良い。ドイツ流に楽器がピラミッド型に積み上がるのでの第2楽章は弦と管(特にホルン)のバランスが異質だが、ソロの超弩級の上手さと見事な音程に、これまたどうでもよくなってしまう。第4楽章、渡邊を聴くと情に流れてるかなと思うが、カラヤンBPOの絶頂期の音の前にこれ以上望むのは野暮というものだ。

ネーメ・ヤルヴィ / エーテボリ交響楽団 

51Y2g2DR4cL__SY450_対照的なものを一つ。抒情味はまったく薄いが、テンポを速めに取った演奏として出色。第1楽章は僕の趣味だとちょっと速すぎだが第2楽章のPoco con motoの弦のアーティキュレーションは見事であり、第3楽章のリズムの切れ味と雄弁なダイナミクスは説得力あり。第4楽章も心もち速いが弦の明確なフレージングは主張があり全奏はシンフォニックに引き締まっている。オケが手馴れており十八番の安定感。交響曲としての6番の骨格を僕はこれで知った。

 

オスモ・ヴァンスカ  /  ラハティ交響楽団

61UxltiLkQL精緻に細部までリズムが磨きぬかれた見事な演奏。やや速めのテンポで描く旋律もフレージングが完璧で弦のひとりひとりまで鍛えられている様はムラヴィンスキーのチェイコフスキーを思わせるほどだ。第3楽章は天空をかけめぐる妖精のような弦、森にこだまする声のようなスタッカート、実に素晴らしい。この路線ではトップクラスの演奏なのだが、音の重なりが透明すぎてやや現代音楽的に響くなど、僕のイメージするポエジーとはやや遊離するものがある。このyoutubeで全曲が聴ける。

 

レイフ・セゲルスタム /  デンマーク国立交響楽団

Sibelius_Segerstam_8867セゲルスタムは2番を読響で振って、これが非常に良かったので、以来彼のシベリウスはマークしている。6番も大枠のコンセプトとして「門構え」が大きく、作曲家の眼で磨かれているが神経質にならないのが美点だ。たっぷりしたテンポで歌わせており、豊かなホールトーンとの調和が実に美しい。第4楽章コーダ前の減速はユニークで終結は感動的だ。ウィーンフィルのベートーベンをムジークフェラインで聴くという趣であり、全集として値段が安く(たしか2千円ぐらい)非常にお値打ちである。

 

クルト・ザンデルリンク / ベルリン交響楽団

764何とも温かみのある音で包み込んでくれる。 カラヤン以上にドイツ的な音響と拍節感がオルガンのようでユニークだが、各楽器が独特な色づけのある有機的な音色で鳴っており、木管の音程など抜群に素晴らしい。これがシベリウス的であるかどうかはともかく、こういう音楽が心に滋養をもたらす良い音楽なのである。この演奏も本文に書いた「悲しさ」を味わわせてくれる筆頭であり、いつまででも聴いていたい。6番の本質とはスタイルではなく心に入ってくるものがあるかどうかである。

 

アレキサンダー・ギブソン / スコティッシュ・ナショナル管弦楽団

41FJeo5Z9fL__SS280ギブソン(1926-95)はスコットランド人である。僕は仕事上イングランド人もアイルランド人もウェールズ人もつきあったが、スコットランド人と何故か特に深くつき合った。気が合ったのかお互い反骨だからか。いい奴が多かった。シベリウスは極北の音楽だ。異星に近い。あのブリテン島北端の荒涼とした風土は似あう。6番など最高だ。ギブソンは全集があるがそれなりの味がある、オトナのシベリウスだ。僕は彼のエルガーの1番を愛聴しているが、同じ土壌からにじみ出た泉という感じがする。

シベリウス 交響曲第7番ハ長調作品105

 

 

 

 

 

 

 

 

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