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シューベルト ピアノ・ソナタ第18番ト長調 「幻想ソナタ」D.894

2016 JUN 26 1:01:32 am by 東 賢太郎

このソナタを僕は偏愛している。浮世離れした音楽というのはいくつがあるが、僕の思い浮かべる限りこれにまさるものはなく、体も心もぽっかり無重力になる。第1楽章は涅槃できこえる調べのようで、この世のものでないかもしれない。

シューベルトは13のピアノソナタを完成したが生前に出版されたのは3つしかなく、これはその最後の曲である。死の前々年1826年の10月に作曲、1827年に出版された。出版したウィーンのハスリンガー社の考えで「ファンタジー、アンダンテ、メヌエット、アレグレット」作品78として世に出た。おそらく売りやすいと思ったのだろう、ひとつの大曲(ソナタ)ではなく、4つのばらばらな曲をくくったものとされたわけだ。

このとき第1楽章だけが「モルト・モデラート・エ・カンタービレ」ではなく「Fantasie」に化けた(そんな表示は楽譜のどこにもない)。現代でもこのソナタが「幻想ソナタ」と呼ばれるのはその名残りである。

浮世離れというと、ホルストの「惑星」のおしまいの曲「海王星」やシベリウスの「タピオラ」やヴォーン・ウイリアムズの「南極交響曲」なんかが僕の場合その範疇に入るが、これらは設定が非日常であって、その光景や心象風景の描写がそうだというものだ。

ところがこのソナタはちがう。

暗い小さな部屋で男がひとり、ひっそりと訥々とフォルテピアノを鳴らしている。彼は病におかされ、何をやっても根治しない。命の灯があるうちは死の恐怖を忘れるものに没頭しなくては持たない。それがピアノを弾くという作業だった。その間だけは死神を見なくてすむのだ。

このソナタのどこに行き着くともしれない第1楽章には、いつまでも弾き終わりたくない、逃げ場のない彼の心のあがきとおののきが見える。そうして奏でる音楽は、とびきり美しいが残酷だ。展開部の入り口で一度だけ堪えきれずに激して、彼のピアノ曲では唯一の fff が現れ、やがて消える・・・。

ベートーベンが1826年に作曲した弦楽四重奏曲第14番嬰ハ短調をきいて「この後でわれわれに何が書けるというのだ?」と述懐したシューベルトは、このソナタをその年の10月に完成した。「なにが書けるか?」・・・そして書いたのがこのソナタだった。

その年の12月にベートーベンは肺炎を患って病床に付した。そして4か月後、翌27年の3月26日に亡くなる。シューベルトは自ら望んで墓の隣に葬られたほど彼に敬意を抱いていたが、ソナタの第1楽章を書きながら先人の死期を悟っていたのかもしれない。僕はこの曲はベートーベンへのオマージュであると思っている。

シューベルトはト長調という平明な調性ををソナタ形式の大曲ではこのソナタと弦楽四重奏曲第15番の2曲にしか使っていない。どうしてこのソナタがト長調になったのか?それは、第1楽章の冒頭がベートーベンの第4ピアノ協奏曲の静謐なオープニングそのものであり、4番から何かを借りている。だからト長調でなくてはならなかったのだと思っている。

第2楽章には直截的な刻印がある。ベートーベンのピアノソナタ第18番冒頭のあの幸福の和音がきこえるのだ。

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http://ベートーベン ピアノ・ソナタ第18番変ホ長調 作品31-3

 

そして第3楽章の主題は自身のピアノ三重奏曲第2番第1楽章の第2主題を想起させる。そしてやがて、悲愴ソナタ第3楽章冒頭が、はっきりときこえてくるのはどなたにも明白だろう。

第4楽章は左手の4連打リズムに支えられた舞曲風の主題によるロンドで、一見快活だが周到な動機と和声の設計がある精緻な音楽であり、ベートーベン風の威容を保ちながら最後は静けさの中に消える。

 

このソナタに何かを見た人のひとりにロベルト・シューマンがいる。彼は新発見された交響曲ハ長調「ザ・グレート」にインスパイアされて第2交響曲ハ長調を書いたが、当時シューベルトは「知られつつある作曲家」で今のような評価があったわけではない。

シューマンはこのソナタを「創案と形式美において完璧だ」と高く評価した。同様にアルフレート・ブレンデルも語っているが、この第1楽章は詩的ではあるが小品としての「ファンタジー」ではなく、見事なソナタ形式の音楽である。しかし、それに加えて想像するに、第1楽章のこんなパッセージは彼の琴線に触れたのではないだろうか?これぞ「シューマネスク」なものになって子供の情景や幻想曲に結びつけられる ”Fantasic” なものに聞こえないだろうか。

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それから、とても大事な部分なのだが、僕が第1楽章で畏敬し立ちすくむのは以下のパッセージだ。澄みわたったブルーのような色あいで、魂が天空に吸いとられていくような音楽。ここは何だったのだろう?

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ベートーベンは1822年に32番を書いて、ピアノソナタの筆を折った。それを引き継ぐかのようにシューベルトは19年以後書いていなかったそれを23年から書き始め、亡くなるまでに14-21番の8曲を作った。

ベートーベンが弦楽四重奏曲の筆を置いたのが26年であり、「この後でわれわれに何が書けるというのだ?」という言葉はその年のものだ。彼がその年から世を去るまでに書いた最後の4曲のピアノソナタ、この18番から最後の21番までにはベートーベンの最晩年の深い精神の投影があると感じている。

 

スビャトスラフ・リヒテル (1978年5月3日、モスクワでのライブ)

richterこの曲の最も詩的でスピリチュアルな演奏はこれである。この第1楽章の遅さは尋常ではなくあちらの世界を彷徨っており、体も心もぽっかり無重力になるとはこのことだ。東京、ロンドンで聴いたリヒテルのリサイタルは、暗闇の中、ピアノの傍らにロウソクの灯だけで一種の儀式を思わせた。聴衆も一体となった研ぎ澄まされた集中力の中で響く澄んだ音が天から降り注ぐようにきこえたものだ。この演奏、「暗い小さな部屋で男がひとり、ひっそりと訥々とフォルテピアノを鳴らしている」のはやはり鬼籍に入ってしまったリヒテルだったんじゃないかと感じてしまう。上掲楽譜の「魂が天空に吸いとられていくような音楽」をこんなに感じきって弾いた人はいない。第2楽章は生きる至福の喜びを伝えて余すところなし。第4楽章の左手のスタッカートの切れ味、これは技の領域だが、演奏の芸格がこのぐらいピアノがうまくないと表現しようのない高みに至っている。これを知ってしまうとどっぷり浸かってしまう、実に危ない演奏だ。

(こちらへどうぞ)

シューベルト 「アルペジオーネ・ソナタ」イ短調 D.821

 

 

クラシック徒然草-僕が聴いた名演奏家たち-

 

 

 

 

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