クラシック徒然草ードビッシーの盗作、ラヴェルの仕返し?ー
2016 AUG 14 21:21:29 pm by 東 賢太郎
ドビッシーとラヴェルといえばこの事件が有名である。『版画』の第2曲「グラナダの夕暮れ」が自身が1895年に作曲した「耳で聞く風景」(Les sites auriculaires)の第1曲「ハバネラ」に似ているとしてラヴェルがクレームし、両者は疎遠となったらしい。
これがラヴェルのハバネラである(後に管弦楽化して「スペイン狂詩曲」第3曲とした)。
こちらがドビッシーの「グラナダの夕暮れ」である。
そんなに怒るほど似ているだろうか? リズム音型は同じだがハバネラ固有のものであってラヴェルの専売特許というわけではないだろう。僕には第2曲「 鐘が鳴るなかで 」(Entre cloches)のほうがむしろドビッシーっぽく聞こえるのだが・・・。
ラヴェルの母親はスペイン系(バスク人)である。バスクというのはカスティーリャ王国領でポルトガルにほど近く、「カステラ」はその国名に由来するときく。フランシスコ・ザビエルもバスク人だったし、コロンブスを雇ってアメリカ大陸を発見、領有した強国であった。
曲名にあるグラナダというとアルハンブラ宮殿で有名なイスラム王朝ナスル朝の首都だが、カスティーリャはアラゴンが同君連合となって1482年にグラナダ戦争を開始、1492年にグラナダを陥落しレコンキスタは終結した。バスクの人々には万感の思いがある地であろうことは想像に難くない。
「スペイン狂詩曲」(1908年)に結集したように、ラヴェルの母方の血への思いは強かったと思われる。かたや「グラナダの夕暮れ」作曲当時のドビッシーはスペイン体験が一度しかなかった。気に障ったのは盗作ということではなく父祖の地へ行ったこともない者が訳知り顔して書くなという反感だったのかもしれない。
非常に興味深いことに、「夜のガスパール」の第1曲である「オンディーヌ」はこういう和音で始まる。
嬰ハ長調トニック(cis・eis・gis)とa の速い交替だ。ところがさきほど、敬愛してやまないドビッシーの「海」をピアノでさらっていたらびっくりした。
言うまでもない、これは曲の最後の最後、ティンパニの一撃で終わる(何と天才的な!)その直前の和音。変ニ長調トニックとhesesの速い交替だ。これは平均律のピアノでは「オンディーヌ」の和音と同じものなのである。オーケストラでは気がつかなかったが、弾いてみればどなたもが納得されよう。
交響詩「海」は1905年の作品である。水を素材にした作品だ。クライマックスの爆発で天空に吹き上げた水しぶきが、水の精であるオンディーヌの不思議の世界にいざなってくれる。彼女の化身がメリザンドでなくてなんだろう。
偶然でなければうまい仕返しをしたものだ。
スペイン狂詩曲を完成したのが1908年、「夜のガスパール」も1908年。偶然なのだろうか?
ドビッシーはこれを聴いており、音楽家の耳は同じ和音に気がついただろうが、盗作だなんてクレームはできない。リズムも和音も専売特許ではないし、そういうことをしそうな男でもなかったようなイメージがある。
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Categories:______ドビッシー, ______ラヴェル
中島 龍之
8/17/2016 | 11:44 AM Permalink
ラヴェルの「グラナダの夕暮れ」へのクレームは、東さんのご意見を支持します。リズムは多少似ているかもしれませんが、それよりも、よく知らない土地のタイトルを使うな、という気持ちが強かったのだと思います。
東 賢太郎
8/17/2016 | 2:27 PM Permalink
フランス人と一口にいっても、欧州の国籍は民族と一致していないケースがいくらもありますし、実は日本人もそうですが、明治政府に単一民族と騙されたせいかそう思ってない人が多いですね。
フランスはナポレオンが国民軍を作った経緯で外国人部隊が今でもあって、これは傭兵じゃないので外国人がフランス人になれます。部隊本部はアルジェリアにあったが独立後はコルシカ島で、サッカーのジダンはアルジェリア系だし、アラン・ドロンは父方がコルシカ人という話をきいたことがありますが関係あるかもしれません。そもそもナポレオンがコルシカ人ですしね。お勉強系ではカルロス・ゴーンはフランスの理系最高学府(ポリテクニーク)卒でミシュラン、ルノーと渡り歩いたが両親ともレバノン人です。
ラヴェルは父がスイス人で母がバスク人ですから、名門パリ音楽院に学んだとはいえゴーンに似たケースと思います。彼が音楽院で異端扱いされ5浪もしてローマ賞をのがしたのは、私見ではありますが、民族に起因するいじめがあったと思っています。この不合格(予選落ち)は騒動(「ラヴェル事件」)となってついに音楽院院長の首が飛びました。正義が勝ったのですが、作風に起因したものではなかった(要はいじめだった)証拠と考えていいと思われます。
ラヴェル事件は1905年のことです。この年の10月に本稿で問題のドビッシー「海」が初演されたことをご記憶ください。
そしてラヴェルは(本編には書きませんでしたが)1907年に初演した歌曲集『博物誌』を「ドビッシーの盗作だ」と批判されてしまう。仕返しが来たのです。ところが批判の主はこれもバスク人であるエドゥアール・ラロ(スペイン交響曲の作曲家)の息子だったからわかりにくい。しかし、異国情緒がヒットするフランスでお国ものシリーズが流行し「スペインもの争い」があったとみれば簡単です。どう見ても二流であるラロが「仕返し」の体裁を借りて、フランス人ドビッシーの虎の威を借りて、強力な同郷のライバルをたたこうとしたという寂しい事件だったと思われます。
そこでラヴェルがそれに対して「この野郎」と書いたのがスペイン狂詩曲(1908年)だった。
そして、同じ年に、返す刀で書いたのが「夜のガスパール」であったのです。だから僕はここにも「この野郎」がこめられているだろうと長年思っていたのですが手がかりを発見できませんでした。
それがその「和音」だったのではないか?これが本稿の主題です。
夜のガスパールという詩集は100年も前に死んでいたフランスの詩人、ルイ・ベルトランの作品でヴィクトル・ユーゴーに献呈されています。ユーゴーの父親はナポレオンの共和派でフランス革命軍の軍人ですからラ・マルセイエーズばりばりの国士で、フランス国威そのものであります。
虚弱体質のヤサ男だったラヴェルが後の第1次大戦で従軍志願して不合格となりトラック運転手になった。これも民族的な複雑な感情、我が国でいえば日の丸、君が代問題に通じるものを見ます。スペイン人でもフランス人でもない問題。彼はスペインと同様にフランスを愛しており誇りを持っているという宣言を音楽という彼の言語でしたのです。
スペイン狂詩曲と夜のガスパールが同じ年に生まれた。バスクの子とフランスの子が。
僕はそう確信しております。そして、フランスの子はユーゴーの血をひいた。そしてドビッシーの血もひいた。
「ラロ君、この和音知ってるよね?」(第1曲)そして、君たちを「絞首台」に送ってやるからさ(第2曲)、幻想交響曲の妖怪とでも遊びな(第3曲)。
中島 龍之
8/18/2016 | 11:19 AM Permalink
この二人には、いろんな深い背景があるのですね。ラヴェルが仕返し「夜のガスパール」の和音でするとは、音楽家ならではの会話ですね。それを見つける東さんも凄いです。