僕が聴いた名演奏家たち(ユーディ・メニューイン)
2017 JAN 4 12:12:25 pm by 東 賢太郎

前々稿にユーディ・メニューイン(Yehudi Menuhin, 1916- 1999)の名を書きませんでした。なぜかというと、彼のリサイタルを聴いたのですが、このブログに書いたとおり(クラシック徒然草-ダボス会議とメニューイン-)、「84年の2,3月はMBAが取れるかどうかの期末試験で心ここに在らず」という事態。音楽についてほとんど覚えておらず、探しましたが日記も残っていないからです。
悲しい自己弁護になりますが、MBAというのは詐称するには最もおすすめできない学歴で、Mというのはマスター(修士)のMなんで、気絶するほど難しい期末試験に卒論も必要なんで、2年修了のこの頃は言葉のハンディのない米国人でも死に物狂いで、僕ごときなど「心ここに在らず」どころか失神寸前だったのです。
メニューインが「オール・スター・フォーラム」でフィラデルフィアに来たのが運悪く1984年2月8日水曜日、ちょうどその時期でした。平日の夜8時からというのも学生にはまずかったですね。
プログラムです。ヘンデルのソナタ、ブラームスのソナタ3番、バッハのパルティータ3番、休憩、ドビッシーのソナタ、ブロッホのバール・シェムから第2曲(即興)、ドビッシー亜麻色の髪の乙女、ブラームスのハンガリー舞曲第5,10番でした(ピア二ストはPaul Coker)。ちなみによくご覧になるとわかりますがドビッシーはSonata No.3となっていて、まあケアレスミスなんですがね、欧州ではこんなの考えられないんで。聞いてる方も大概にソナタは1曲しかないなんて知らないだろうということを前提としてのアバウトな精神に起因するチョンボなのか、ひょっとして書いた方も思いっきり知らないのか、いずれにしろ校正ぐらいしろよですね演奏家に失礼だし。こういうところで僕は米国の文化的教養レベルを思いっきりなめてましたね、当時。
しかしこっちだってヴァイオリン・リサイタルはこれが初めてで、ここにある曲は、今思うとこんなのアンコールピースだろ、そんなの書くなよという亜麻色とハンガリー舞曲以外は当時どれひとつとして耳では知らなかったでしょう。バッハだけいい曲だなと思ってほっとしたのですが、それも何か書けるほどの記憶はありません。つまり、メニューインという名前で買っただけで偉そうなこと言えない場違いな観客だったわけですね。
ということで本稿は「僕が聴いた」じゃなくて、「行った」ですね正確には、せっかくお読みいただいてるのにすいませんが行ったことだけ覚えてる。しかしもし家で勉強なんかしていたら33年前のあの日に何をしたかなんて確実に消えてますからメニューインのおかげで一日だけ思い出が増えて良かった、そういうことでした。
その時の彼の姿と顔だけは記憶にあって、それがダボスで蘇ったのです。教室で彼は演壇の横の椅子に座ったままスピーチして、僕は真ん前の最前列で3mぐらいのところで聞いてましたが、まったくポエムのような不思議な気分でした。それは20世紀を代表するヴァイオリニストとしてのメニューインじゃなく、左の写真ようにブルーノ・ワルターだったりフルトヴェングラーだったりと時代を共有した人としてで、なにか歴史上の人物に会ったような感じ、なにせあのバルトークに無伴奏ヴァイオリン・ソナタを書かせた人物なんだということでした。
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トム 市原
1/4/2017 | 8:01 PM Permalink
MBA、どなたか議員さんで経歴詐称でやられていましたな。
そんなに厳しいのですか、大変でしたね。
拙宅に居候していた経済学部出身の若者に
「君もMBA取るくらいになれば世間は放っておかないよ」
「MBAってなんですか?」
ある日はTVでマーチンルーサーキングメモリアルデーだと言っていたので「もうそんな時期かな?」
「どこかの王様ですか?」
あきれてものもいえない状態で、彼のスポンサーにこの事を言うと「市原にバカにされた」と悔し泣きをしていたそうです。
帰国して今は中学の教師をしていて、彼に教えられた生徒達も可哀想だと思います。
メニューヒン、懐かしい響きですね。
たしか初めてSP盤で聞いたバイオリニストがそれだったと思います。
ハイフエッツとかエフレムジンバリストはもっと前の時代ですか?
幼少時、ピアノ教室へ行かされ、バイエルンの1かⅡまで習ってエスケープしました。
母親が嘆いていましたね。
河原で石ころ探しの方が面白かったので
かめ
1/4/2017 | 9:43 PM Permalink
もちろんご承知でしょうけれど、ドビュッシーは楽器の組み合わせの違う6つのソナタを計画していて、その3番目がヴァイオリンとピアノのためのものでした。最初がチェロソナタ。なんとも言えない特別な名曲です。
メニューヒンはいつのころだったか年老いてからN響と共演があって、その時弓の上半分しか使えなかったらしくまともに音楽になっていなかったようです。確かに若かったころの演奏は凄みを感じますが、記憶にないのはMBAのせいばかりとは言えないようです。掲載された写真のころが最盛期だったのかもしれません。
東 賢太郎
1/4/2017 | 10:47 PM Permalink
市原さん、Married But Availableもありますよ。ほかは知りませんがウォートンは大変でした。何が怖いって、50人のクラスで5人ぐらいfail(不可)食らいますから。クラス全部アメリカ人なんてのもあって手加減などありえねえです。2年で19単位必要なんで大体の人が4セメスターで5・5・5・4と取るんですが、日本人はほぼ全員が真ん中の夏休みを潰して5・5・2・5・2と安全策でやるんです。しかし僕は夏休みヨーロッパ旅行して遊んじまったんで5554で、だから最後の学期は自業自得の「サドンデス」状態だったんです。今でも落ちた夢見ます、二度とやりたくないです。
かめさん、なるほどドビッシーの6曲のオリジナルプランに準拠して数える方法があるのですか目から鱗です、それなら3番目ですね。このチラシ、曲目解説は皆無で演奏者紹介と寄付金勧誘が半分あと半分は企業の宣伝でして、多くの聴衆はたぶんヴァイオリンソナタの3つ目と思ったでしょう。