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モーツァルト「パリ交響曲」の問題個所

モーツァルトが天才だというのは書いた音楽の質が誰にもそう思わせるからに他ならないが、では彼はどうやって作曲したか、心の内面のプロセスを示す資料はほとんどない。その希少な例として有名なのが1778年7月3日に父にパリから宛てた手紙の一節で、交響曲第31番ニ長調k.297(300a)(いわゆるパリ交響曲)の第1楽章について、以下のような興味深い記述がある。

最初のアレグロのちょうど真ん中に、うけるに違いないと思っていたパッセージがあり、すべての聴衆はそれに魅了されて、大拍手がありました。ぼくは、どのように書けばどのような効果が上がるかわかっていましたから、結局もう一度使うことにしました。それからダ・カーポ(再現部)に入ったのです。(名曲解説全集  交響曲Ⅰ・音楽之友社)

この「パッセージ」がどれなのか?モーツァルト好きなら一度は考えてみるものの不思議なことに世界中の誰も確たる解答を示していない。僕も探してみたが、「もう一度使った(=2回出る)」「再現部より前」を満たす適当なものが見つからない。しかし本人は自信満々に「大うけした」と自慢してるわけだ。ないはずがない。

推理してみよう。

同じ手紙で第3楽章についてヒントになる記述があるのでそこから始める。

「当地(パリ)では最後のアレグロはすべて、第1楽章と同様に、全楽器で同時にしかもたいていはユニゾンで始めると聞いていました」(モーツァルト書簡全集 Ⅳ・白水社)

彼はその情報を信用し、パリの晴れ舞台で、一発勝負で聴衆にインパクト与え、願わくばいい職にありつきたい一心で、第1楽章をこうユニゾンで始めたのだ。

ただここがモーツァルトだ、この主題は f の前半、p の後半で一対になっている。定石通り強く押しておいて、さっと引き技を見せるという定石破りを早くもやっている。このフェイントの効果について彼は書いていないが、きっとうまくいったと味をしめていたのだろう、ジュピターの開始で同じことをしている。

ロマン派の大音量、複雑な和声や対位法に親しんでしまった我々の耳は fと p の交代にまことに鈍感になっている。モーツァルトの当時の楽譜に fp(フォルテピアノ)の記号が頻繁に現れるのは、まだ作曲にそういう手管がなかった時代にそれが聴衆の耳にパンチがあったからだ。ハープシコードが強弱を弾きわけられるように進化したら「フォルテピアノ」という名前がついてしまったほどだ。その楽器の末裔をピアノと呼んでいる事実が我々の鈍感さを象徴している。

理屈だけではご納得いただけないかもしれない。しかし当時の聴衆はそれに敏感に反応したことは、モーツァルト自身が同じ手紙に書いている第3楽章の冒頭の「実況中継」が証明している。

2部のヴァイオリン(パート)だけで8小節を静かに続けたら、ぼくの期待した通りに客席から「シーッ!」がきこえ、続いて強奏になるのと拍手が起こるのと同時でした。

こんなことは現代のコンサートホールでは起こりえない。「シーッ!」がきこえ、ということは、第2楽章が終わって客席はざわざわしていたのだ。当時は棒をふる指揮者はいない。そこにp でこっそりとヴァイオリン奏者たちが第3楽章を始めた。全楽器でユニゾンでという定石を破っているのだから聴衆は気がつかない。だからシーッ!なのだ。計画通りだ。

そこで客席はさーっと水を打ったように静かになる。すると「つぎはフォルテだ!」という期待が高まったろう。そこでやってきたフォルテの全奏。「いよっ、待ってました!」の大拍手だ。ほれ見ろ、やっぱり思った通りだ、うまくいったぞ。すっかり嬉しくなって気分上々のモーツァルトは帰りにパレ・ロワイヤルでアイスクリームを食べ、演奏会成功の願かけをしたロザリオに感謝の祈りを捧げている。

7月3日の手紙は、この出来事があった演奏会の15日後に書いたものだ。心配性の父親に「うまくいってるよ」と知らせたい理由があった。この曲はパリで一流オケとされたコンセール・スピリチュエルの支配人ジャン・ ル・グロからの依頼によって作曲された交響曲である。これが檜舞台で当たらなければ何をしにきたかわからない。父は怒るしがっくりもくるに違いない。だから「一発勝負で聴衆にインパクトを与える仕掛け」を散りばめた、命運を託した曲だったのだ。

ところが、リハーサルを聴いて彼はあまりのひどさに愕然とするのである。指揮者で登場できるわけではない、客席で聴くだけだ。当日は演目がたくさんありオケは練習が足りていない。こりゃまずい、ぐしゃぐしゃだ、もう一回合わせられないか、いやもう時間がないじゃないか・・・あまりの不安で演奏会の前の日は寝つけなかったと書いている。だからロザリオに願掛けまでしたのである。しかしこの時点で不安を父に知らせてはいないことはもちろんだ。

うまくいった。よかった。7月3日の手紙に「だめだったらコンマスのヴァイオリンをひったくって代わりに弾いてやろうと思いました」と書いている。これは彼らしいレトリックだと僕は思っている。実は無為無策だった自分を大きく見せ、父を安心させるための。ところが父は「やめなさい、そんなことをしたら恨まれてろくなことがないぞ」と真面目にうけてたしなめている。なんというこの父子の機微!僕はこの父が大好きであり、かいがいしくその期待に人生をかけて頑張った息子に万感の思いを重ねざるを得ない。

うまくいった?本当にそうだろうか?

練習不足のまま突入した本番が一糸乱れぬ演奏であったとは到底思えないではないか。それが評判になって仕事のくちが見つかったわけでもない。彼はこの曲のスコアをル・グロに渡してしまい、でもまだ頭にあるからまた書けるさと強がりをいってパリを失意のなかで後にしている。また書くのが必要な場面はもう訪れなかったし、密かに期待してパリに置いてきたスコアがまた演奏されて評判をとることもなかった。

ここで本題に戻ろう。「第1楽章の問題のパッセージは?」の答えを見つけなくてはいけない。

演奏はぐしゃぐしゃではなかったかもしれないが、現代の我々の基準で、プロの指揮者の統率のもとで名演とされるような代物ではなかったことはどなたも異論がないだろう。しかも聴衆はその場で初めて耳にしているのだ。「パッセージ」は誰でもわかる、ロバの耳でもわかる、つまり和声やリズムのような複雑なものではない特徴によって「うけた」としか思えない。しかもそれはモーツァルトが「うける」と容易に想定していた特徴でなくてはならないだろう。

「アレグロをユニゾンで弾かせる。これがパリの聴衆の耳目をそばだてる」

という情報を信じていた彼は、そこに

「f と p の強弱の突然の交代」をもりこむ

という自分なりの手が効果絶大であるはずだと信じていた、だからそれを両端楽章の冒頭に書き込んだ。これは異論がないだろう。パリでは常套手段の前者が特に受けるとは思えない。したがって後者、つまり、誰でもわかるものでモーツァルトが「うける」と想定していた特徴は「f と p の強弱の突然の交代」であったと僕は考える。

この条件で該当箇所を指摘してみようというのが本稿だ。第1楽章で「ユニゾン(伴奏なし)」かつ「f と p が突然交代する」という2条件を満たすパッセージは2つしかない。そのひとつ目は冒頭の主題提示(上掲の楽譜)の後半であるが、最初のアレグロのちょうど真ん中と書いているからこれではない。

となるとこれが解答ということになる。

提示部のおしまいに第3主題のように出てくる副主題だ。この第1Vn譜で4小節めのピアノになるところから全管弦楽の f が突然に p にトーンダウンし、ヴァイオリンとヴィオラの3オクターヴのユニゾンでちょこちょこと、くすぐるみたいに動く、このパッセージである。

この録音で2分13秒からである。

これはコーダの前にまた現れる(5分46秒)。もう一度使うことにしましたという手紙の言葉通り。今度は cresc.(クレッシェンド)というあまり彼の譜面に現れない指示を伴ってよりインパクトが高まっており、ほぼ同じものを「これでもか」と直後にもう一度繰り返している(6分12秒)。一発勝負のインパクトを託した部分であった可能性が高い。

ここは初めて聞いた人でもわくわくし、興奮もそそられるかもしれない。みなさんどう思われるだろうか。おそらく、当日の演奏会でも、彼が父に書いた通りここで大拍手があり、彼をああよかったと安心させたことは想像にかたくない。

ところが困ったことがある。

冒頭に引用した名曲解説全集・音楽之友社をもう一度お読みいただきたい。ここが正解だとすると「それからダ・カーポ(再現部)に入ったのです」がひっかかってしまうのだ。これはコーダだから、再現部はもう終わってしまっているのである。

どうも変だ。

僕が間違っているのか? そこでモーツァルトの書いた原文を当たってみた。

„… mitten im Ersten Allegro, war eine Pasage die ich wohl wuste daß sie gefallen müste, alle zuhörer wurden davon hingerissen – und war ein grosses applaudißement – weil ich aber wuste, wie ich sie schriebe, was das für einen Effect machen würde, so brachte ich sie auf die letzt noch einmahl an – da giengs nun Da capo.“

僕のドイツ語力だと自信がない。英訳を探してみた。これが最後の部分である。

there was a great outburst of applause. But, since I knew when I wrote it that it would make a sensation, I had brought it in again in the last — and then it came again, da capo!   (Greg Sandow, American music critic and composerのブログ)

ちなみに演奏が始まった記述の箇所に彼は Ecce ! と書きこんでいる。Ecce homo( エッケ・ホモー) はラテン語で「見よ、この人だ」の意味で磔になるキリストをさした言葉だ。そういう心境だったということだろう。そして今度はDa capoが書き込まれる。

この英文訳が正しいなら青字の it は applause であろう。二度書きこんだパッセージが二度ともあたった喜びをイタリア語でしゃれてみた、つまり「大拍手がまた来たぞ!」ではないだろうか。

一方でこういう英訳も見つけた。

I had introduced the passage again at the close - when there were shouts of “Da Capo”!(New York Philharmonicのプログラム・ノート)

これを訳すと、

「ぼくはそのパッセージがセンセーションを起こすとわかっていたので曲の最後にもう一度書いておきました。そうしたら、そこに来ると客席から『ダ・カーポしてくれ!』(もう一回やってくれ)と叫び声があがったのです」

である。Sandow氏とは別な読み方のようでどちらも米国人のドイツ語解釈だ。正しいという根拠はないが、ドイツのネイティブはどう読むのだろう。

しかし、いずれにせよ、それからダ・カーポ(再現部)に入ったのですは賛同できない。再現部と da capo はぜんぜん別物であるし、そう比喩的に呼ぶ例も知らない。「そこから再現部に入った」という何でもない叙述をモーツァルトがわざわざ書く意味も思い浮かばない。この名曲解説全集・音楽之友社は友人のラーフが隣に「すわっていた」としているが「立っていた」が正しい。かような程度の訳であると知らずに展開部にこだわったゆえにこのパッセージは長いこと僕にとって謎であった。反証があれば訂正するが、完全な誤訳である。「そこでダ・カーポでした」としているモーツァルト書簡全集はそれよりはましだが意味不明であり五十歩百歩だ。

Sandow氏かニューヨーク・フィルか、僕は Ecce ! と並列で外国語を並べた遊びとして前者を採りたいが、いずれにしても、僕の解答と矛盾が生じない。もし異論、または異説をご存じの方がおられればご教示をお願いしたい。

 

PS1

交響曲の曲頭で、いきなりユニゾンのテーマを f でたたきつけて、すぐに p のフェイントのテーマが続き、両者セットで第1主題を形成する(「パリ型」と呼ぶことにする)のはモーツァルトの専売特許ではない。ハイドンに62、78、95番という例がある(95はモーツァルトより後の作だが)。モーツァルトとしては32番、34番、そしてハフナーが同様である。

32番はザルツブルグへ戻ったパリ土産、34番はイドメネオの仕上がり見るためミュンヘンへ土産にもっていった意欲作だ。交響曲第35番ハフナーは1783年、ウィーンでフリーとなり予約演奏会でお得意さんを集めようと意欲満々で用意した曲だ。実際に試されたパリ型の効用が頭にあっただろう。続くリンツ、プラハが古典的な序奏型に回帰したのは初演地が大都市ではなく、従って出世の命運をかけた勝負曲ではなく、保守的な聴衆を想定したからではないか。

最後にセットで書いた三大では39番が序奏型、40番は伴奏音形が裸で先導する前衛的な異形、そしてジュピターがパリ型だ。三大の計算され尽くしたコントラストには驚嘆するしかないがそれはクリエーター目線でのこと。都会でも田舎でもパリでもロンドンでもお使いいただけますよというプロモーターに対するマーケティング目線は音楽史研究において欠落している。

ハフナーもジュピターも終楽章アレグロを p でひっそり始めることまでパリ型を全面的に踏襲しているのは注目されてよい。古典型のリンツ、プラハが勝負曲ではなかったならジュピターは勝負をかけた一作だったという証左だ。ちなみにモーツァルトを意識したベートーベンは勝負曲だった第5番の運命にパリ型開始を採用しているが、終楽章はブリッジ移行の新機軸で自己を刻印している。

最後に演奏に関して私見を述べる。パリ型の冒頭第1主題を形成する「p 部分」は極めて重要である。f 部分はハイドンの驚愕交響曲のびっくり部分に相当するが、これを男性とするならp 部分は女性だ。男が大声でがなったら、女がやさしくいさめる。このコントラストこそ演奏の第一印象を左右するのである。ジュピターだとここだ。

この女性がやさしくなかったり(p が mp である)、優美でなかったり(繊細なレガートに欠ける)、美人でなかったり(音程が合ってない)したらいきなりがっかりだ。

f と p の対比についての私見だが、対比の比率が小さすぎる。現代人は鈍感になっていると書いたが、その分だけdiscountして対比を強めに出さないとモーツァルトの意図は具現化できないはずだが古楽器演奏でもそれを修正している指揮者を見たことがない。「ff と p」または「f と pp」 というイメージが良いと思料する。ちなみにベートーベンは冒頭をこうしている。

モーツァルトが人生の命運をかけてインテリジェンスのすべてを盛り込んだパリ交響曲は音楽史に大きな足跡を残している。

 

PS2

本稿を書いてさらに文献をあたったところ、指揮者のニコラス・アーノンクールが問題のパッセージは第65~73小節と第220~227小節としている。長調から短調への変化が面白い部分だが、初めての聴衆がそれに喝采で反応したとは思えず、直前からすでに p であって強弱の変化はない。これには賛同しかねる。

一方で。スタンリー・セイディが(テオドール・ド・ヴィゼヴァとジョルジュ・サン=フォアに従って)、第84~92小節、第238~250小節、第257~269小節であるとしている。理由は不明だが、この説の結論は僕の指摘したものとまったく同じ部分である。

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