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Abbey Road (アビイ・ロードB面の解題)

2013 NOV 16 14:14:31 pm by 東 賢太郎

先日東京ライブで中島さんにお会いした時に、ビートルズの「アビイ・ロード」について何か書きましょうと持ちかけたのは僕の方でした。しばらくたってしまい失礼いたしました。

アビイ・ロード

 

このビートルズ最後となったアルバムを、僕はいかなる音楽の下に置くものでもありません。このB面は人類の造った、あるいはこれから造るであろう、あらゆる音楽の最高峰の一角を永遠に占めるものと確信いたします。何度聴いたか想像もつきません。「飽きることなし」という一点においてすでに、これは完璧な classic(serious music)だと思います。

 

<序>

ビートルズがクラシックだと持ち上げる人は無数にいます。だけど、「どうして?」ときかれて答えられる人がどれだけいるでしょう。

クラシック(classic)というのは階級(class)という含みのある言葉です。ゲージュツであり高級でありセレブだけのものという感じでしょう。僕はそもそもこのクラシックという物言いが嫌いです。英語ではシリアスな音楽(serious music)という呼び方があって、それの方がしっくりきます。シリアスに(じっくりと耳を傾けて)聴く音楽。「聞く」のではなく「聴く」音楽。アビイ・ロードはそういうアルバムであり、だから巷でいうクラシックなのです。

僕はこのB面を「とてもシリアス」に、それも数えきれないぐらい何回も聴いています。そして聴くたびに感動し、また聴こうと思います。それが、やはりLP片面で終わるドビッシーの交響詩「海」を聴くのといったい何が違うのだろう?この問いにうまく答えられないという事実を説明する唯一の解答として僕は 「アビイ・ロードはクラシックですね」 と苦しまぎれに申し上げるしかないのです。

この稿はビートルズがクラシックだと主張するものではありません。ビートルズは徹頭徹尾、ロックバンドです。She loves Youは名曲ですがロックであって、2~3分で終わる曲がシリアス・ミュージックとはいいにくい。しかし Abbey Road と Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band はシリアスな鑑賞を許容する、アルバムという単位の一個の作品であり、その作曲家がロッカーかシンフォニストかは本質的な議論ではありません。

本稿は、ロックというジャンルの音楽の99%にはあまり反応を示さない僕の耳という器官にAbbey Road がどう聞こえるかを記すものであります。ひとつだけ補足がいると思います。なんでB面なの?とご批判もあろうと思いますが、A面の後半には耳が反応も興味も示さないからです。Maxwell’s Silver Hammer、Oh! Darling という系統の曲は苦手です。すみません。また、文中の音名、コード名については楽譜まで調べたわけではありません。聴き違いがあったら何卒ご容赦ください。

<解題1>

このLPレコードを初めて聴いた時、Come Togetherのシュッ!(Shoot meと言っているらしい)と打楽器のパタパ・パタパ・・・という不可思議な音響に度肝を抜かれたのを今も鮮明に覚えています。子供のころレコードでラヴェルの「ボレロ」を聴き、ピッコロとホルンとチェレスタで複調になる部分に「何だこれは!?」と仰天。その瞬間に「そういう楽器が存在するのだ」と思い込んでしまい、異様なホラ貝の化け物じみた姿まで想像していました。実演では恐る恐る「それ」を舞台のオケの中に探したものです(ラヴェルが知ったら喜んだろうなあ)。今だにここを聴くと「それ」が目に浮かぶという困ったことになっていて、ああ説明が回りくどいのですが、ここのシュッ!パタパは僕の中ではまさにそれに近いのです(やれやれ、これが言いたかった)。

和声は単純なニ短調に聴こえるのですが、ピアノで弾くと左手d・a・d、右手c・fのDm7なのにcの隣のbが鳴っているように聴こえます。次のAでもマイナーキー(Am)のcが。鳴ってないのですが声がcとc#をフラフラしてAかAmかわからない。この短2度のかくし味とコーラスの平行完全4度のハモリ(ボレロの複調を想起)が実に効いているのです。リズムは一貫して  ンパンパンパ・・・の後打ち(パにアクセントがある)で原始的な2拍子に聴こえますが、パタパタが1拍(ンパ)に6回だからこれはミクロ的には非常に西洋音楽的な3拍子系の音楽です。

そう叩いているリンゴは天才であります(1拍8回だとどんなにつまらない曲になるかお試しください!)。その「6回」は鳴り続けるわけではなく、歌が始まると2拍子になりますが耳に律動感として焼きついていて(イントロの強烈な印象のためです)、歯切れいいジョンの2拍子と記憶の中の6拍子がポリリズムになっている。この透かし絵のような効果はシリアスな聴き手を直撃します。「6回」がいかに全曲の通奏低音のように聴き手の意識に刷りこまれているかは2曲目のSomethingのイントロのドラムソロを6回で入ってCome Togetherのテンポ感をひっぱっていることで分かります。そしてそれが実は3連符であって4拍子の曲だとわかると、なにか広大な草原にでも出たようなゆったりとした気分に導かれます。Abbey Roadのアルバムとしての一貫性を多くの人が指摘しますが、このような細部の仕掛けまで実に「シリアス」にできている効果です。

<解題2>

ヨーコが弾いていたベートーベンの月光ソナタの楽譜をさかさまにして弾かせたものからインスピレーションを得たと言われるのがBecauseです。それはどうでもいいのですが、sky is blue~の最後にA7の g の上に f# が鳴る(長7度)。これがまたノックアウトものです。ビートルズを真似た、真似ようとしたロックバンドは数知れません。しかし、もうこの f# ひとつ入れられるか否か、そんな小さなことと思われるかもしれないがそれは雲泥の、いや成層圏と地面ぐらいのどうしようもない差であって、この f# が僕のような耳のテーストの人間を何百万人唸らせてきたか想像に難くありません。普通の人や普通のロックバンドからは逆さにしてもこの音符は出てこないと思います。どうして?出てこなかったからこそ、誰もビートルズになれなかったからです。

You Never Give Me Your Moneyから音楽は独立ナンバーの羅列でなくメドレー形式になります。凄いのはここからです。

Oh, that magic feeling
Nowhere to go
Nowhere to go

B♭→F→CのSgt Pepper’s的なコード進行に続いて

One sweet dream
Pick up the bags and get in the limousine
Soon we’ll be away from here

を導く経過句的コード連鎖C→A→F#7→C→C7→D#7→A→F#7→G→G#→A この万華鏡のような転調の連鎖には度肝を抜かれます。これを聴いて真っ先に僕が連想するのはチャイコフスキーの和声連結です。くるみ割り人形の花のワルツだ。彼がこの部分を聴いたらいったい何と言っただろう??

One two three four five six seven,
All good children go to Heaven

C→G→Aの繰り返しが印象的なベースを伴ってディミニュエンドし、だんだんコオロギの鳴き声が聞こえてきます。本当に天国にのぼったかのような。ここからです。

何より初聴時に天地がひっくり返るほど驚いたのはこのSun Kingのアーです。茫洋とした不思議なムードのE(ホ長調)に突然ソ・レ・ファ・ド・レ・ファ・ラ(たぶん)がア・カペラで闖入!!青天の霹靂であり脳天直撃のショックです。僕が地球上のあらゆる音楽から受けた転調の衝撃でこれを上回るものは一つもありません。これはE部分の g#・b・c#・e が a・c・d・f に半音ずれ上がりバスが e から g に3度上がる (Magical Mystery Tourと同じ)。そしてそのバスの g をドミナントとして一気にハ長調に転調。here(g・c・e)comes(b・d・e)the(g・c・e)sun(b♭・d・f・g)king(a・c#・e)の密集和音のコーラス、太字部分の2度の精密な、まるで霧の中にいるような恍惚とさせるハーモニーは彼らの音楽の集大成とすら聞こえます。ホントウニスゴイ!

ここから意味不明のスペイン語を経てPolythene Pamに至るジョンの天才ぶりには言葉を失います。2拍子のMean Mr. Mustard の最後が3拍子になる。ぐるぐる頭が回る。ジョンの変拍子はSgt.Peppers(Good Morning,Good Morning)でも出てきますが、ここではあれっと思うとあれあれっという間髪も入れずにPolythene Pamの12弦ギターとタムの奔流に引きずりこまれます。ラフティングで筏(いかだ)が急流にもまれ、一回転したら次の急流に乗っていたという感じ。この部分の展開は天衣無縫と評するしかなく、すごさに気づいた人がやろうにも真似すら無理という性質のものです。

Polythene Pamは他の楽器に編曲したらちっとも面白くないでしょう。あのジョンのギターのワワワワウ!リンゴのタムの乱れ打ち!あの「ワルぶった感じ」は楽譜に書きようがないし、あれを管弦楽団なんかでやってもタカラヅカが極道ものをやるようなもんで、みっともなくて聴けたもんじゃないだろう。あれはあの12弦ギターとタムじゃないとだめです。つまりジョンは音色まで作曲しているということで、これにはクラシックは手も足も出ません。

音楽という絵画を描く絵の具の色はオーケストラにおいて最も多様化しましたが、ここでジョンはそれを拡大しました。単にエレキギターがそこにないということではなく、オケに後発組のクラリネットが初めて加わったのと同じぐらいのシリアスな必然性を持ってです。ビートルズの演奏能力について僕はひとことも書いていませんが、歌やギターがうまいへたは論じても意味がなくて、ここに録音された音、演奏そのものがスコアです。ジョンの曲の部分だけは、シリアス・ミュージックではあっても、字義通りのクラシック音楽のパレットには還元できません。僕はロックの奥深さをこういうところに感じるものであります。

<解題3>

一方で、ポールのYou never give me your moneyは彼自身のピアノで弾かれ、後にブラス・アンサンブルでも出てきます。この曲は明確に五線譜に記譜でき、ギターよりピアノや管弦楽の方が自然なぐらいです。The Long and Winding Roadが典型ですが、ポールはクラシック音楽のボキャブラリーをものすごく蓄積していることがわかります。しかし僕のまったくの主観ですが、ポールのはクラシックとしては、けっこう普通です。あまりに正統派なので、クラシック慣れした耳にはあっそう、それで?というところがある。一方で、ジョンのクラシックはCome TogetherやBecauseやSun Kingになる。これらの衝撃はストラヴィンスキーの「春の祭典」を初めて聴いた時を凌ぐものがあります。

ビートルズの初期作品にはギターで適当にやってみたら意外に良かったという感じの音があります。天才の発想の原石が裸のまま出たかのように。しかし後期作品ではおそらく彼らの耳がそういうことを許容しなくなっていて、もっと高度な音楽言語でプロセスされています。アレンジというお化粧の問題でなく音そのものが。管弦楽と合唱のためのレクイエムまで作曲したポールの耳が後期のビートルズの音作りに影響したのは否定できないでしょう。それが異形の天才ジョン・レノンにクラシックを書かせたかもしれません。しかしいくらシリアスな衣装をまとってもPolythene Pamのジョンは変わらない。それが噴火口のようにぽっかりと赤い口を開いたのがあの f# であり転調なのだと考えています。

ポールの曲ではShe Came in Through the Bathroom Windowが好きです。見事なコーラスとサイケデリックなエコーのきいたギターの合いの手が最高。このシチュエーションに置かれたこのギターのきらきらした音は非常に印象的でやはりシリアス・ミュージックの音色のディメンションを拡大する意味深いものに聴こえます。こういう「オーケストレーション(orchestration)」を誰がやったのか興味のある所です。面白いのはジョージの2曲SomethingとHere Comes the Sunが他の部分とピッチが大きくずれていることです。これは蓮の花がぽっかりとにごった池に浮いたような効果を及ぼします。

ジョージの曲はいい曲です。単独でヒットチャートに入ってエヴァーグリーンになる名曲でしょう。後者のサビのC→G→D→Aという4度下降は後期の特徴でもある。しかしやはり「いい曲」なんです。世の中的にはこれが人気あるんだろうということは充分にわかりますが、僕のようなポップ系に無関心なリスナーの脳天を直撃する音楽ではありません。すごいと思うのは、A面最後のジョンのI Want You (She’s So Heavy)の暴風雨が突然切れ、Here Comes the Sunのギターのイントロが出る瞬間です。ぱっと世界が明るくなり春の日差しがあふれる。これはベートーベンの田園の嵐(第4楽章)から感謝(第5楽章)に行った感じそのものです。しかしこれもジョンのまいた種ですが。

<幕>

Carry That WeightからThe Endにかけては歌詞と解散の関連について様々なストーリーと憶測があります。この当時、レコード会社の経営状態は悪く、ジョンとポールの人間関係は最悪であり、リンゴが蛸の歌で「海の中にもぐりたい」というのはそれがいたたまれなくて逃げ出したいという暗喩だという人もいます(事実かどうか知りませんが)。何とか続けてくれていたらとはファンなら誰しも思うし歴史にタラレバを言っても意味ないのですが、もし仲直りしていたらこの奇跡のようなアルバムは生まれなかったのかなとも思うのです。そして逆に、これが現実として生まれてしまって、この先にどんなビートルズがあるんだっけ?という答えがなかったのかもしれないと。

アルバムとしてのシリアス・ミュージックの領域に立ち入れば曲の独立性はなくなり、イフェクトは舞台で再現性が乏しく、ライブは成立しにくくなります。それでも彼らがそれにつき進んだのは、客席で失神してくれる女の子より自宅でレコードにじっと耳を傾けるシリアスな聴衆を求めたからかもしれないし、僕はそれ以前に彼らの耳がどんどんシリアスになったからだと思っています。モーツァルトがウィーンに出てきて、だんだんと聴衆の好みを超えた複雑な曲や短調の曲を書きだしたように、本物の作曲家は大衆に迎合などしないのです。Abbey Road と Sgt. Pepper’sで彼らはその領域に達し、そしてモーツァルトが死んでしまったようにビートルズも終わりました。

その名も「終わり」、まさにビートルズの最後の曲であるThe Endでリンゴ、ポール、ジョージ、ジョンの順番でソロがあります。ビートルズとはこういう全然ちがう個性をもった天才たちの自発的アンサンブル、オーケストラだったことがわかります。ひとりの天才の個性でつくるクラシック音楽ではない、合作という新しい方法論による天才たちの配合の妙。それがジャズのようにアドリブではなく、スコアに書き込める、まさにクラシック音楽と同じであるWritten Music(Sheet Music)の領域で成立したというのは、彼らがそう望んだのかどうかはともかく、連綿と続く西洋音楽史の中に記録され、1000年後にも聴かれていくすべての要件を満たしているという意味において、Classical Music 以外の何ものでもありません。

僕は彼らがこのアルバムで「仲がいいからいいものができる?そんなことはないさ」、と笑っているように思えてなりません。チームというのはいかにも人工的に美化された要素を含むもので、成功したらいいチームだねと後講釈がきくものでしかなくて、やっている本人たちにそんなものは見えていないという性質のものでもあって、だから彼らの音楽は、一般的な意味でのチームワークが生んだものではないという気がいたします。しかし、ジョンの曲であるSun Kingにコオロギの声を家で録音して加えたのはポールなのです。ビートルズはちがった才能の持ち主が寄り合って作るリミテッド・パートナーシップ、合同会社みたいなものだったかもしれません。

そして想像するに、アビイ・ロードは4人の天才たちの、けっして平和的ではない、最後の寄合いから出た一瞬の火花(スパーク)みたいなものではなかったでしょうか。離婚する夫婦が会って、昔の良き日を思い出して、でもお別れ会だと感じていて、だからこれでもう二度と火花は出ないと知っていて、良いものができたのに無機的な録音スタジオ名をつけて、だからここで歌っているビートルズはもうバンドではなくて、その通り淡々とアンバンド(解散)した。そして、4人の誰一人としてその後にこういう音楽を、似たものですらも書かなかった。

「ビートルズってなに?」

いつの日か孫に聞かれたら、

「死んじゃった作曲家の名前だよ」

と答えることになるのかもしれません。

 

(こちらへどうぞ)

Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band

 

モーツァルト「パリ交響曲」の問題個所

 

 

(こちらへどうぞ)

チャイコフスキー バレエ音楽「くるみ割り人形」より「花のワルツ」

クラシック徒然草-田園交響曲とサブドミナント-

 

 

 

 

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