交響曲に共作はない
2017 SEP 9 3:03:04 am by 東 賢太郎
今取り組んでいる仕事を一言でとなると表面的にはアドバイザーだが日本語の顧問とはちがう。何かをアレンジする「アレンジャー」「コーディネーター」が近いが、ぴったりの日本語はない。黒幕?仕掛け人?それだとどうもイメージがいただけない。二つの組織をマッチングするから「仲人」のようなものだろう。史上最大の例は薩長をくっつけた坂本龍馬だというような性質の仲人と言ってしまうと放言に聞こえようが、冷静に見てそうは外れていないようにも思う。
もし上手くいけば、僕の人生最大の仕事になるだろう。かつてしたファイナンス案件は何千億円と巨大だが、名刺には野村やみずほの肩書があった。今はそれがなく、戦艦大和の乗員でなく一介の漁船の船員にすぎない。定年後の第二の人生とさえ見られるがとんでもない、僕は定年になったことはない。第一の人生継続中なのは、朝鮮戦争が終戦ではなく休戦状態で現在も戦時中であるから北朝鮮がファイティングポーズにあるのと同じだ。戦艦だろうが漁船だろうが俺が指揮すれば同じというプライドだけは死ぬまで枯れない。
プライドというのはこの年齢になると大いに邪魔である。しかし邪魔なのは細々とすがって余生の心の居場所を求める類のプライド、つまり、自分だけはあったと信じこんでいる昔の肩書・業績、昔の美貌、他人様にはどうでもいい学歴、家柄、資産、勲章のようなもので、そんなものは今どきの世で誰も尊敬しなければ興味を持ってくれもしない「カビの生えた在庫」である。バランスシート(貸借対照表)に何があるかなどまったく問題ではない、インカムステートメント(損益計算書)を他人様は見ているのである。要は「あなたは何ができますか?」「何を生み出してますか?」だ。ここは年齢なんてさらさら関係ない。
いまの仕事は自分の得意技であって他人に負けるはずはなく、もしこれで失敗したら僕は自ら引退勧告を出す必要がある。トスカニーニがタンホイザー序曲の指揮中に記憶が飛んでそれをしたようにだ。僕の事業にはオーケストラも連弾するピアニストもいない。合奏や合唱は複数の人でするし小説やドラマだって共著、共作というのはあるが、交響曲を二人で書きましたというのは聞いたことがない。いけないという決まりはないが、ギルバート・サリヴァンのオペラが何となしに軽い気がする如く、その手法は交響曲という根本概念に著しくそぐわない感じがするのである。この仕事は同じく全部を一人の頭でやらなくてはならない性質のものだから僕には向いているが、気を休める間は皆無である。
坂本龍馬もきっとそうだったと想像している。交響曲の構想は彼の頭だけにあって、彼を襲った者だけが知っていて、それは彼が曲を完成したら不利益になる人間であって、動機を明かすと犯行がばれるからお墓へ持っていった。だから下手人が不明なのではないかと思う。そんな大袈裟なものではないが、僕もこのプロジェクトについて一切を語ることは許されないのはインサイダー情報だからという法的な理由ではなく、交響曲だからだ。弁護士、会計士、税理士などに意見を仰ぐが、それは各楽器のパート譜のテクニカルなご相談にすぎない。
信長が失敗したのは、それを側近に話したか悟られたからだ。少なくとも秀吉は信用し、話したのではなかろうか。本能寺に丸腰でいるという機密情報を知っていた下手人は明智とされているが秀吉黒幕説もある(「本能寺の変・秀吉の陰謀」井上慶雪著など)。明智でないとするなら、真相を知る何万の兵の口を日記、家伝の類にいたるまで永遠に封じるパワーのあった者でなくてはならず、北の将軍様だってできそうもないそんなことをできた者は次期政権を握って歴史を意のままに書けた秀吉以外であることは蓋然性としてあり得ないであろう。
しかし構想が大事であればあるほど「わかる奴」が欲しくなる。それを見事に演じつつ道化に徹して警戒を解き交響曲の全貌を信長から引き出した秀吉という男は恐ろしい。上掲書によれば本能寺の変という交響曲を書いたのは秀吉で、騙されそそのかされた明智が本能寺に攻め込んだ時には信長は秀吉の手配した軍勢によって殺害され首も胴体も持ち去られていた。だから明智が焼け跡を探しても出なかったのであり、そこに攻め入ったことでまんまと秀吉の計略に嵌って下手人に仕立てられてしまった。全貌を誰にも語らなかった秀吉が勝った。
それを家康は見ぬいていたと僕は思う。秀吉を一族ごと抹殺はしたが、秀吉は「主を討った明智」を誅した忠臣に偽装されているからそれを討つことに正義はなく、家康の選択は東照宮を建立して神になり子孫の繁栄を担保することだった。朱子学を武士に学ばせ幕府統治の精神的支柱となして200余年の権力掌握に成功するが、結局はその朱子学が「王者」の下とする「覇者」が幕府であって皇室(王者)をたてるべし(王政復古)となり幕府は滅びる(逆説の日本史12 近世暁光編/天下泰平と家康の謎、井沢元彦著)。江戸幕府は家康の一世一代の大交響曲であったと思う。
話はますます大仰になってしまったが、僕の頭では毎日交響曲ができつつあり、楽想が錯綜してほどけないまま寝てしまい、朝になってほどけそうになっていて、それが完全に解けるまで目が覚めてるのに1時間も布団にはいったままじっとしていることもある。それをどう思うとピアノで弾いて聴かせるようなまねは家族にだって絶対にしない。パート譜は配っていくが、それが合わさるとどういう音楽になるかはお見合いする二人を含めて誰も知らない。
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