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ワーグナーは音楽を麻薬にした男である

2019 APR 28 18:18:59 pm by 東 賢太郎

ワーグナーは信じ難いエネルギーで膨大な量の楽譜を残したが、あれだけ多産ということは種をたくさん撒いたということで、まあきれいに書くなら自己顕示欲の塊だった。彼はそこに真の意味における精力絶倫までくっついているのだからきわめてわかりやすい。押しも押されぬ音楽界の大王である。注意しなくてはいけないが、中途半端だとセクハラおやじになってしまう。ところが不思議なもので、あの域までやって大王になってしまうとオッケーどころか崇拝者まであらわれるのである。その世界、過ぎたるは及ぶが如しである。

古来、大王の崇拝者をワグネリアン(Wagnerian)と呼ぶ。英語だから男女はないが、ドイツ語だとヴァグネリアナー(Wagnerianer)で男性名詞である。すると、女性である場合は法則に則って in を語尾につけ、ヴァグネリアネリン(Wagnerianerin)ということに相なる。舌を噛みそうなのでどうでもいいが、男女のリスナーに共通していることが一つある。大王の人としての評価が低いことだ。立派な男だという声は聞いたことがない。唯我独尊、誇大妄想、ホラ吹き、借金まみれ、夜逃げ、踏み倒し、壮大なる浪費癖、王様をカモにして国家財政が危ないほどむしりまくる、女はかたっぱしから寝取る。彼に罪はないがヒットラーがワグネリアンになったから危険な音楽にもなってしまった。救いようもない。しかし、それでも彼は大王なのだ。

僕の評価を言おう。ワーグナーは音楽を麻薬にした最初の男だ。トリスタンとイゾルデに媚薬が出てくる。敵同士の二人はそれを飲んで惚れあってしまう。あのシーンはワーグナーの音楽の全部の象徴ともいえる。媚薬なんてもんじゃない、麻薬である。彼は富も名声も女も、すべて自らの指が生み出す麻薬で得たのだ。中毒になったバイエルン国王ルートヴィヒ2世は湖で変死した。音楽に狂って暗殺説まである王様はいない。若きヒットラーは食費を切り詰めてまでワーグナーを観に劇場に通った。中毒と戦ってやがて離反したニーチェ。トーマス・マンの中毒はセックスと死のどろどろとして三島由紀夫に伝染した。みんなそれなりに熱くてはまり症のある一癖二癖ある男だ。やっぱり男性名詞であることに意味があるんだろうか。

では作曲家は?サウンドをまねた者は数多いる。しかし中毒症状を発して病膏肓に入ったのはブルックナーでもマーラーでもR・シュトラウスでもない。ドビッシーだ。トリスタンなくしてドビッシーはないと断言する。他の者はすべて、それに比べればなんちゃってワグネリアンに過ぎない。ペレアス、海、遊戯のスコアを見ればわかる。僕はそれを、海をシンセで演奏して発見したのだ。ドビッシーがカネの亡者とは聞いたことがないが、女にはやはりめちゃくちゃだった。オカマ系ではない、ワーグナーと同系の、男性、オスそのものである。そうでなくてトリスタンなど書けるはずもないではないか、第一幕前奏曲は男のセックスずばりの克明極まりない描写であり、なぜフェミニストの先生がセクハラ告発しないのか不可解である。解決しない和声とは男の欲求が満たされないそのものずばりなのである。それに感応したドビッシーは、和声連結をまねたりワグナーチューバを使ってみたりの薄っぺらな表層ではない、音楽の根幹、本質で深く深くワグネリアンとなり、やはり男を迷わせ破滅させるメリザンドを解決しない和声で描く。そう、はっきり書こう、両者にとって同じことは、女は客体だということなのである。主体である女性にはわからない所があると思う。

ではヴァグネリアネリンはいないのだろうか?いやいや、いるではないか。しかも、大王に負けない女王である。コジマ・ワーグナーだ。最初の夫、大指揮者ハンス・フォン・ビューローからワーグナーが寝取ったことになってるがどうだろう。僕はコジマが自分からのイニシアチブで乗りかえたような気がしてならない。ビューローには申し訳ないが、音楽家として格が違いすぎた。もしそうならコジマは大王を食った大女王ではないか。ワーグナーの大言壮語はとどまることなく「俺のような世紀の天才にカネを出し惜しむような奴は馬鹿だ、後で後悔するぞ」といっている。ところが、コジマはそんな男を「謙虚で慎ましい」といっている。どういうことだろう?

彼女は本気でそう思っていたのだ。夫の没後も毀誉褒貶から名声を守り、バイロイト音楽祭を今の形に興隆させたワグネリアンの女神である。「慎ましい」、何に対して?もちろん夫の音楽のもっている本源的価値(intrinsic value)に対してだ、それ以外に何があろう。コジマはあのフランツ・リストの娘である。父リストは、誰も弾けず、価値は棚ざらしだったハンマークラヴィール・ソナタを弾いて世に認めさせた。ベートーベンの音楽は発見されるのに時間を要したが、娘はワーグナーの音楽にそれを嗅ぎ取った「違いの分かるオンナ」だったに違いない。「あなた、このスコア、百年後にはン億円で売れるわよ、間違いないわよ、それにしちゃちょっと謙虚すぎない?」と言ったかどうか知らないが、世間では大王様である夫の尻を叩いて、勇気を与え、安心も与えたのは彼女だ。男女の「創造的分業」の鏡である。本当に賢い女性は活動家になる必要はない、こういうことができてしまうし、それは絶対に女性しかできないのだ。

ワーグナーをバイロイト音楽祭やウィーン国立歌劇場やベルリン国立歌劇場やヘッセン州立歌劇場に観に行く。あれは「観に」という感じが近い。細部にまで耳を澄まして「聴きに行く」というよりも、「メタ」に五感が反応するものであって、僕的にはお正月に神社に昇殿参拝してドドドドンと太鼓がたたかれ、ご祈祷が始まり神職が祝詞(のりと)を読み、大麻でササ-ササーっとお祓いを受けてまたドドドドンで終わる、ああよかったねえというあの福々しい感じにトータルには近い。タンホイザーのヴェヌスのエロティックな場面とか、ラインの黄金の水中の乙女の場面とか、まずはヴィジュアルにおお~!となって忘れられないのもあるが、音楽は8割がた僕には祝詞みたいなものだ。しかし2割があまりに良すぎて麻薬であって、それを待つ苦行に耐えているからこそ「来た来た来た!!」となって薬効が倍加するのだから始末が悪い。

ちなみにモーツァルトに祝詞はなくて、徹頭徹尾、終始美しい。それはそれで難しいものだが、しかしドイツの田舎の歌劇場でモーツァルトは何とか聞けても、ワーグナーは無理だ。なぜかというと、人間、体のサイズというものだけはどうしようもない。ワーグナーにはアスリートの側面があるのだ。甲子園クラスのチームと当たってホームベースに整列すると、まずつぶやいたのは「おい、でかいな」だった。広島カープにミコライオという2メートルの投手がいたが、横浜の試合後にJRに乗って、隣にやけにでかいやつが立ってるなと思ったら彼だった。ヒゲが僕の頭の上にあった。あんなのが投げて打てっこないや。じゃあ音楽家はどうか?そんなことはないと思いきや、ワーグナーのオペラだけは別ジャンルだった。ソプラノが舞台にしずしずと出てくる。普通なら顔に目が行くが、しかし、違うのだワーグナーだけは。女性に失礼なので名前は書かないが、まず感じるのはやっぱり「おい、でかいな」だ。中肉中背だけのキャスティングなどあり得ない、東京ドームで少年野球を観るみたいになってしまう。

ブルックナー、マーラーに劣らぬオケのサイズだ。その大音量に負けず5時間も声を張りあげるとなると、ソプラノは巨山が聳えるようなマツコ・デラックスみたいな体格が必須であって、世界中探したってそうはいない。僕はコロラトゥーラの澄んだきれいでかわいい声のソプラノが好みだが、彼女らはワーグナーではお呼びでないのである。おおざっぱに言うならばモーツァルトで大事だといわれるものは聴く側には不要であって、委細構わず常人離れの大音声で客席を圧倒し、大向こうをうならせ、伴奏オーケストラもフルスロットルのアクとケレン味たっぷりでよろしい。そうでないワーグナーなど、僕はなに勘違いしてるの?としか思えないのだ。

レコードならショルティとカラヤンのリングがやっぱりすごい、こりゃあ500グラムのステーキを平らげるようなもんだ。4番バッター軍団はギャラも高いし大物はスケジュールも合わないから舞台上演は難しい、どうしても録音がベストということになるが、もし「リングを舞台で聴かせてやるよ指揮は誰がいいかね」なんて夢がかなうなら僕はロリン・マゼールを指名したい。彼は指揮界のアクとケレン味の大王である。そのせいだろう、日本では甚だ人気がないが彼の音楽力のファンダメンタルは破格だ。ヴァイオリニストでもあり、同業者の間で「ベートーベンの交響曲のスコアを記憶で書けるか?」と話題になった時、俺は無理だ、でもひょっとしてあいつならとマゼールで意見が一致したという逸話がある。

彼は歌なしのリングもやっているが、抜群に面白いのが1978年のこの録音だ。マゼールは脂ののった48才。カラヤンやクレンペラーが振ったフィルハーモニア管弦楽団はプライドが高く、ボケナスの指揮者など上から目線でコケにするつわものオケだが、完全に御してやりたい放題である。痛快この上なし。昭和のむかし、男ならなりたい三大職業が連合艦隊司令長官、プロ野球監督、オーケストラ指揮者だった。で、 指揮者なら?僕はワーグナーの麻薬を撒き散らして思いっきりあざとくやりたい。この「リエンツィ序曲」みたいに。

 

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