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投げなかった大船渡・佐々木投手に

2019 AUG 4 18:18:50 pm by 東 賢太郎

甲子園大会につき私見を述べる。高校で国民注視の大会がある文化は世界に日本しかない(駅伝もそう)。日本高野連の加盟校数、つまり硬式野球部がある高校の数は4,000前後で推移している。ちなみに2018年の韓国は77、台湾は102であるがWBC、五輪で4,000:100の実力差はない。

野球は9人でやる。そのエリートの9人が集まるかどうかに国の人口は確率的に関係があるが、まずは世界水準の9人さえいればいい。確率といっても9人がどこから出現するかは予測がつかない。歴代の日本人高校生で160キロの球速を記録した選手はともに岩手県出身の花巻東・大谷翔平と大船渡・佐々木朗希の2人しかいないが、岩手県は硬式野球部がある高校の数は71である。

次に肝要なことは彼らの技能習得環境があるか否かだが、韓国、台湾の9人が日本の9人と大差ないのであれば次点の9人の水準もほぼ同等、次々点の9人になってもほぼ同じだろう。それを何度も繰り返せばどこかで人口比による差が出てくるはずだが、77、102チーム(約900人)まで行っても劣化はないということだ。102チームは日本なら甲子園地区大会の決勝進出校レベルで意外だがそうだということをWBC、五輪の韓国、台湾の戦績は示している。

つまり、人口比で凡そ日本:韓国:台湾=4:2:1だが長期戦を行えば9人の戦績はほぼこの比率(出現確率)に近づき、硬式野球部がある高校の数は有意な差をもたらさないと推測される。つまり、おおまかな数字にはなるが、人口1億2千万の国で、エリートの9人の次点水準の選手で作れるチーム数は台湾の4倍の400ほどであり、日本の残り3,600チームは9人の技能習得環境には関与しない。あるからといってサムライ・ジャパンは強くならないし、ないからすそ野が狭い韓国、台湾が弱いということもない。

つまり、自分もその一員であったことでこう書くのをお許しいただきたいが、残り3,600チームはエリート層とは無縁の一般参加者で地区大会3回戦あたりで消える水準のチームであり、しかし、思い出という残像を残す場としては人生の一期一会、良くも悪くも一生ものだからまさしく真剣である。サドン・デスのトーナメントゆえに常連校が初戦敗退なんてハプニングも時にはあり、努力と汗と涙という日本人の琴線に触れる要素が満載だ。そこに甲子園大会が国民的イベントたりうる特殊性があるのである。

一般参加者だったのに僕は毎年この時期になるとそわそわし、エリート層のプレーを憧れの目で眺める。今年の西東京代表の国学院久我山には1年の秋季大会で9-0で負けた。背番号1。公式戦初先発。高校を背負って投げる重責。人生で9点も取られたのはあの試合だけ。でも3回まで0-0であり、全国レベルも大したことないという自信も生んだ。それが高校1年の残像になったのだから人間形成にも影響があっただろう。

地区予選決勝で試合に出られなかった大船渡・佐々木朗希投手がどんな残像を懐いて生きていくのかは想像つかないが、投手にとって試合で投げられない以上の苦しみはない。監督はもちろんそれを知っており、もちろん自分も甲子園へ行きたいのだから、何か理由があったのだろう。それは何だろう?

佐々木しかエース級はいないと仮定するとこうなる。

(1)【佐々木を決勝まで温存】

決勝は勝てるが準決勝までに負けるかもしれない=リスク(X)。

(2)【佐々木を温存しない】

決勝までは進めるが疲弊して佐々木が決勝で投げられない=リスク(Y)。

監督はX>Yと考えたのだろう。決勝の相手より準決勝までの相手の方が普通は格下である。格下を他の投手でまかない、決勝を佐々木で甲子園にというのが順当だ。しかし他の投手にはその力はない、そう思ったはずだ。格下でその程度の信用の投手たちが決勝で勝つということは、表向きはなんと語ろうが、現場の厳しい現実ではあり得ないことであって、X>Yと思った時点で将棋は「詰み」だったのである。佐々木なしでは甲子園は元来が無理であり、佐々木がいてもそうだったのかもしれない。唯一、佐々木の疲弊が登板限度内であることが救済の道だったが、何かの事情で、監督は「そうではない」と判断されたのだ。であれば未来のある佐々木の健康を守る。おそらく高校最後の試合になる決勝の舞台に他の選手を(打席にも)立たせてあげる。それが打てる最善の策だったのではないかと推察する。

それに対して批判が飛び交っているようだが、僕自身が登板過多でヒジと肩を壊してしまった経験者だから思うところがある。「連戦連投は古い野球だ」「高校野球は教育の場だ」「子供を守るのが監督の義務だ」。たしかに。そういう前提でいまの甲子園大会は国民的イベントになっているのであり、その末端で思い出をいただいた身として何の異論もない。しかしだ、僕は高2で野球ができなくなってしまったがそれで当時の監督を恨んでるなんてことはまったくない。むしろ評価してくださり、全試合エースとして起用してくださったことに感謝の気持ちしかない。試合開始前のメンバー発表で「6番ピッチャー東」でない試合などひとつとして望まなかったし、マウンドで肩に異常を感じた試合以外に途中降板させられたこともない、あれほどの信頼をいただいた経験はその後に野球以外でも自信になった。故障は自己責任だった。

登板過多の故障者は人災の被害者だ、だから連投させる指導者は古い体育会体質をいまだに持った加害者だと主張する人がたくさんいる。そういう人たちがどういうわけで体育会が嫌いになったかは知らないが、故障者として言おう。被害者などとは無礼千万である。別に義務で野球部に入ったわけではないし、パワハラで登板させられたのでもない。好きだから入部し、練習しまくってマウンドに立ち、高校で一人しかなれないエースの座を勝ち取ったのである。監督に命令されたら従うしかない?されなくたってマウンドにはいつも立ちたいのだ。そういう習性をお持ちでない人には逆立ちしてもわからないだろうが、そのことと、非合理な練習方法、スポーツマンシップなき戦法、理不尽な上下関係、暴力行為の是非とは全然別な話である。佐々木投手の件は何ら問題ではないのに、それをごっちゃにする人が騒ぐから宗教論争化している。

投球過多はいかんと騒ぐのはは残業過多という労働問題の扱われ方と似ている。①労働が苦痛で悪だと思う人には残業も悪だ。逆に②もっと時給が欲しい人や実績をあげたい人は残業したい。③時間労働と思ってない作家や芸術家やスポーツ選手や経営者には残業の概念すらない。②③の人々個人にとっての本音としては、①の時短闘争や残業廃止の労組活動ははっきり言ってどうでもいいのであって、そういう人に守ってもらう必要もない。弱い立場かもしれない①の人にとって大事であることはフェアネスの精神から尊重するし、経営者としてはもちろん決まりになればコンプライアンスの精神をもって遵守するが、それを国民全般の重大事かのように祭り上げ、パワハラ・セクハラのように「言われたらアウト」で、反対してはいけないことであるかの如くに③人種である僕個人の価値観にまで侵食されるのはファシズムであって不快であること極まりなく、基本的人権を理由に断固として排除したい。

大船渡高校監督の決断は美談でもパワハラ阻止でも体育会精神誹謗中傷のためのサンプルでもなく、上述のような合理的、理性的なご判断の結果と思う。その意味において、賛同したい。今の高校野球はエース級を複数持たないと勝てないが、投手というのは資質が必要であって、140キロ出るからといくら練習してもできるとは思わない。去年の夏の滋賀・近江高校はハイレベルの投手が4人もいてひょっとして大阪桐蔭が負けるとするとここかなと楽しみだったが、エース吉田で評判の金足農業のツーランスクイズに敗退してしまった。無念だったろうが勝負はそんなものだ。うまくできたもので甲子園は無念の敗者のほうがけっこう記憶に残っている。古くは三沢高校の太田幸司、雨で負けた作新の江川、5敬遠で負けた星稜の松井、自らの三振で散ったマー君、7回まで被安打わずか1が逆転満塁本塁打で終わった広陵の野村祐輔・・・。投げられなかった大船渡の佐々木朗希も行く末に世界の球界の大物になって、そうか、そういえばそんなことあったよねという存在になってくれるのではないか。

 

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Categories:______高校野球

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