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独断流品評会 「シューマン ピアノ協奏曲」(その7)

2019 AUG 13 22:22:05 pm by 東 賢太郎

アルド・チッコリーニ / ジョン・ネルソン / ボローニャ市立劇場管弦楽団

youtubeで見つけた。これはいい。チッコリーニ(1925 – 2015)の奏でる音楽のコクと陰影に耳が釘づけになり離れられなくなる。このピアニズムそのものが発する芳醇な香気はそんじょそこらでお目に掛かれるものではない。例の楽譜の難しい部分を聴いてほしい。速いアルペジオの粒がそろって水が流れるように滑らかに、しかも低音に至るまで深々した音で鳴りきっており、晩年に至ってこれほど自在にピアノが弾けること自体が驚嘆の域であるが、僕の驚きはそれに向けたものではない。その技術の凄みが表層には一切浮き出ていらぬ自己主張をせず、全て音楽の求めるものだけに深い所で奉仕しているという確信を抱かせるという、極めて稀にしか接することのできない演奏であることに感動しているのである。ピアノが歌うMov1の冒頭の第1主題(楽譜)をお聴きいただきたい。チッコリーニは思いのたけをのせ、赤枠の始めの三点イへの跳躍からテンポがルバートを伴って遅くなる。

ここでエアポケットに入ったように、始まったばかりの演奏に「耳が釘づけに」なるのだ。ただ事でないものを予感させるが、それを3小節で語りつくしておいて、チッコリーニはオーケストラに返す。それが赤枠の最後のド,シ,ラ,ソ#,ラである。ここをテンポを ”速めて” ぽんと渡すのだ。ルバートする人はいくらもいるが普通は遅いままピアノを終え、次の楽節からテンポを戻す。ところがスコアを見てみると、歌う3小節にシューマンは長いスラーをかけ、”速めた” 部分にスタッカートを付けている。このスタッカート(特におしまいのラのほう)を守っているピアニストはほとんどいない。チッコリーニのテンポの戻しはこのスタッカートに続く休符を尊重してのことであり、そうしているのはここまで挙げてきたビデオでもチッコリーニ以外はカーロイだけだ。僕は譜面を見て聴いていたわけではない。それでも感じるものがあったのは、彼の解釈がシューマンがこの主題にこめた思いに呼応していることで成り立っているからと考える。奏者の主観による身勝手な耽溺とは別次元のものだ。クラシック音楽は伝統芸能であり、聴衆は奏者のプライベートな思い入れにおいそれと共感はしてくれない。チッコリーニの解釈は何百回聴いたかわからないこの協奏曲があらためてこういうものだったかと知る喜びに溢れており、シューマンが特別の看板レパートリーというわけではないピアニストがこれだけの音楽を紡ぎ出す所に西洋の音楽文化の長い歴史と奥深さを見る。蓋し彼らはシューマンを空気のように呼吸して育つのであり、音大で先生に教わって知るのではないだろう。楽譜をニュートラルな情報媒体と見てそこに何を読み取ろうと自由という姿勢はリベラルな時流にはそぐわしく感じられるが、トラディショナリズムを捨てた時点でクラシックは音楽ショーに堕落し、本来の価値を失い、やがて聴衆も失う。アンコールの「森の情景」から「別れ」も言葉なしだ。こうべを垂れるしかない。こういうものを本物の音楽というのである(評点・5+)。

 

アリシア・デ・ラローチャ / コリン・デービス / ロンドン交響楽団

ラローチャ(1923 – 2009)はスペインを代表するピアニストでチューリヒと香港で2度リサイタルを聴いた。期待して聴いたが、全曲を通してテンポが遅い。Mov1はそれを大事にしつつ語ろうとしているが、ピアノのフレージングは分節が切れ切れでどうも流れがしっくりこない。オーケストラが合わせにくいのだろうか、遅めのテンポに感じ切っておらずもってまわった安全運転の感じがする。熱量が低く音楽のポエムが伝わらない。Mov2も遅めでチェロの歌が乗りきれない。ラローチャはテクニックの人ではないがMov3のテンポでそれもないとなると魅力は薄い(評点・2)。

 

ウィルヘルム・ケンプ / ラファエル・クーベリック / バイエルン放送交響楽団

ドイツを代表するピアニストのケンプ(1895 – 1991)とチェコを代表する指揮者クーベリック(1914 – 1996)はどちらも欧州で聴けなかった。ケンプはもう活動してなかったがクーベリックは残念だ。ケンプのドイツ物はバックハウスと並んで多くの支持を得ていると思うが、僕はどうしても技術の弱さが気になってしまう。冒頭のソロ、タッチに切れがない上に16分音符が長すぎる。いきなりがっかりだ。カデンツァはテクニックが明らかに弱い。はっきり言ってしまうが、今ならコンクールで予選落ちレベルだ。1973年の録音時点で78才だからかと思ったが53年のクリップスとの旧盤でもどちらも変わらない。Mov1の第2主題など抒情的な部分に良さがあるのは重々承知だが、上掲のチッコリーニは81才であるのに、それでも比べるべくもない。Mov3は老人の徐行運転であり、逆にこのコンチェルトを満足に弾ききるのは技術的に非常に難しいということを知る。音楽は心であってテクニックではないと主張する人がいるが、心が主であるべきことは同感であるにしても音楽演奏は技術がなければ始まらない。ケンプの良さはモーツァルトのソナタで発揮されているが(http://モーツァルト ピアノ・ソナタイ短調の名演)。クーベリックの句読点のはっきりした伴奏は印象に残る(評点・2)。

 

シューマン ピアノ協奏曲イ短調 作品54

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