LPレコード回帰宣言(その3)-ショーペンハウエル-
2019 SEP 29 16:16:51 pm by 東 賢太郎
Sさんに部屋の音響特性をわかってもらうためピアノの生音を聴いてもらった。機材はスペックの数字で決まるのではなくて、部屋との相性が問われる。前回は名器とされるアンプを3つ不合格にした。しかし2004年に念頭にあったのは「CDをうまく鳴らす」ことだ。それもモノラル、ステレオ初期の、「僕にとって宝物である特定の音源」をCDフォーマットで聴くことがバージョンアップの動機だった。その時点で「僕にとって宝物である特定の楽曲」はほぼ限定的に決まっており、それを聴くべき極めて少数の音源もほぼ限定的に決まっていたようだ。「ようだ」と書くのは15年経過した今も変わっていないからだ。
そうして決定した現在のセットアップを変えるのはリスクのある投資だが幸い僕にはクルマの趣味がない。社用車をテスラXにした程度で、しかもそれはプログラムのバージョンアップを通じてメーカーとつながっているというB to Cモデルの革命を投資家として体験するビジネス上の動機だ。1985年前後から始めたCDへの転換と投資は音楽産業の最前線とつながっている意味は多少はあったもののテスラのようにメーカーとオンラインの関係にない、消費者であり続けること(すなわち永遠にしゃぶられる古典的B to C)を前提にした関係であった。有用性が永遠にあるなら結構だが、実はないことを体験を通じて知った。それがこれだ(CDはだめになるので要注意)。
LPよりCDが保存がきくというdurabilityのセールストークはウソであった。この稿は「スポンジ」に起因するものだが、スポンジがなくてもだめになったもの(例・Eurodisc、ヨッフムのベートーベン序曲集等)が複数存在する。観察するに文字面のインクの透過によると思料する。1964年に買ったLPが美音を奏で、その後集めた千枚以上のLPに1枚たりとも経年劣化が生じていない事実と照合するなら、durabilityという観点からの1985年からのCDへの投資は間違いであったと結論せざるを得ない。
「このCDルームにある1万枚、実は9割はもう聴きません。僕は是々非々なんでつまらないのは1回でおしまいです。なぜ捨てないかというと、店で買った時のわくわく感を覚えてるから。記念写真ですが捨てられないんです」。Sさんにそう言ったが、バレンボイム / シカゴ響のシューマン交響曲第2番も記念写真の一部だったのは厳然たる事実だ。LPで聴いてみて、何度も聴きたいと思う演奏だったことを「発見」したわけだ。とすると第2、第3のそれが出てくるかもしれず、CDで初めて知った音源を今度はLPで買いなおす必要があるかもしれない。
僕は海外16年で40か国訪問し、旅行でも出張でもどこへ行ってもレコード(CD)ショップがあればビジネスを少々押しのけてでも何か買ってきた。だから業界の人より詳しい部分もあろうし、そうして購入したものは記念写真であり自分史でもある。それは同時に『「僕にとって宝物である特定の」楽曲と音源』という、まったくプライベートな精神的帝国でもあって、それを現実の音にする場がリスニングルームという石壁に囲われた城である。そこに置かれたピアノという工具で「宝物」の分解、研究をする人生は楽しく、天文学者が星の観測、研究をするのと変わらない。
「プライベートな精神的帝国」を作ることがショーペンハウエルが「意志と表象としての世界」に論じた幸福であるならば(僕はそう理解しているが)、還暦にしてとうとうそこに到達できたような気がしていることを有難いと思う。帝国を何処に構築しようが勝手であり、それが何に依拠していようと自由であるが、僕の場合はポップスやAKBではなくクラシック音楽と呼ばれるものになった。理由はそれが僕にとって「音楽」であり、それが表象(フォアシュテルング)だからだ(「世界は私の表象である」ショーペンハウエル)。
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