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モーツァルト Ob、Cl、Hr、Fgと管弦楽のための協奏交響曲 変ホ長調、K.297b

2020 OCT 23 21:21:41 pm by 東 賢太郎

この曲は昔から苦手だ。それなのにどうして取り上げるかというと、第1楽章がどうにも好きで仕方ないからだ。いちどなじんでしまうと麻薬みたいな常習性がある。ならばいいではないかと自分でも思うのだが、そうは問屋がおろさない。聴いていると、どこからかこんな声が聞こえてくるからだ。

だまされるなよ、これはモーツァルトの曲ではない

 

(1)演目すり替え事件がきっかけ

父への手紙によると、1778年、母と連れ立って3月23日にパリに到着して間もないモーツァルトはコンセール・スピリチュエルなる演奏会用にフルート(Fl)、オーボエ(Ob)、ホルン(Hr)、ファゴット(Fg)を独奏とする「協奏交響曲」(Symphonie concertante) を依頼された。大急ぎで書き、音楽監督ル・グロに自筆譜を渡した。ところが、モーツァルトにことわりなく演奏会当日になって別な曲に置き換えられていたという事件がおきている。

演奏されたのはジュゼッペ・カンビー二作曲の、”似た編成の曲” だった。「オーボエとファゴットのソリストが真赤になってやって来て、なぜやらないのか? ときいた」と父への手紙にある。つまりモーツァルトもソリストも(少なくともObとFgは)知らなかったのだ。演奏した連中はすり替えを事前に知らなければ演奏できたはずがないし、それを作曲者の許可なくやるとは考え難いからカンビー二が首謀者と疑うのが当然と思うが、なぜか現代の学者の間では彼はシロだということになっている。

(2)否定されるカンビー二主犯説

ジュゼッペ・カンビー二

当時のパリでは複数のソロをもつ協奏交響曲が流行だった。その作曲をオハコとしたのがカンビー二であり、生涯で82曲も書いたのは彼だけだ。パリに乗りこんだモーツァルトがその人気ジャンルで「俺の方がうまく書ける」と売り込みを狙ったのは彼の性格からしてあり得ることで、しかもマンハイムで友達になった名人ソリスト4人組(Fl,Ob,Fg,Hr)という強力な味方が同行していた。全員が見せ場だぞと息巻いていたろう。だからOb,Fgが「真っ赤になって(怒って)」クレームしてきたのだ。飯の種を奪われかねないカンビー二が警戒しない方が不思議ではないか。

彼らはさらに追い打ちをかけている。その事件より前、カンビー二はル・グロの家でモーツァルトが自分の四重奏曲を良い曲だとほめ、始めの方を弾くのをきいた。「彼(カンビー二)はすっかり度を失ってしまった」「何も知らずにしたとはいえ、ひどい目にあわせた」と手紙に書いたのはモーツァルトだ。「何も知らずに」は彼一流のウソだろう。カンビー二が「こいつはすごい頭脳だ!」と降参するまで才能を見せつけて叩きのめし、「いい気持ちはしなかったと思います」と父に独白している。腕の誇示、勝ち誇り、そして父を安心させる。いつもながらのモーツァルトだ。

(3)大失敗だったパリ行き

ヨハン・バティスト・ヴェントリンク

父は身勝手な息子のせいでザルツブルグのコロレド大司教から解雇され、家計は困窮していた。つてを頼ってマンハイムに行った息子は職を求め、同行した母は一人でザルツブルグに帰る予定だった。ところが就職は当てが外れて失敗してしまう。窮地に陥ったモーツァルトに「パリへ一緒に行こう」と持ちかけたのは4人組のひとり、フルーティストのヴェントリンクであった。彼はモーツァルト家とは旧知の仲で信頼があり、パリには何度も行っていて顔が利いた。父はヴェントリンクを信用していなかったが、目先のアイデアに飛びついて騙されやすい息子をコントロールするのに手を焼いており、一案としては考慮した。案の定、何を血迷ったかこの期に及んでアロイジア・ウェーバーとミュンヘンに行くと言いだした息子に激怒する。このあたり、1777年の後半の父子の激しい書簡のやり取りは命懸けで、何度読み返しても手に汗を握る。

父はついに「パリへ行け」と命じる。この決断は「フルートの愛好家ド・ジャンに協奏曲と四重奏曲を書けば200フローリンくれる」とのヴェントリンクの言葉が背中を押したものだ。息子の才能に賭けた。そこで「ママはヴォルフガングと一緒にパリに行くのです」とも命じた。これはあまりに重い決断になった。というのは、パリへ行って協奏曲と四重奏曲を渡したモーツァルトは「報酬は約束の半分以下しか受け取れなかった」という結末を迎え、ママには病気で客死してしまう運命が待っていたからだ。モーツァルトはド・ジャンをケチだと批判しているが、仲介者のヴェントリンクを責めていない。彼は人間洞察がまことに甘く、手練れの輩には悪意はなくともいいカモに見える。誰も指摘しないが、不足分は仲介者が抜いた可能性も否定できないと考えるのがビジネスの視点だ。

(4)真相(私見)

ヴェントリンクはモーツァルトより先にパリに入ったが、そこでド・ジャンの二匹目のドジョウとしてル・グロに「協奏交響曲」を発注させ、バックマージンを狙ったのではないか。もちろん自分がFlソロを吹いてヒットすれば彼は演奏家としてチャンスも得るわけだから動機として申し分ない。ところが予期せぬ事が起きる。前述のことでカンビー二がモーツァルトの才能にビビってしまったのである。 ル・グロの親分はパリのオペラ界をピッチン二と二分する大御所のグルックだ。カンビーニ(イタリア人)もグルック(ドイツ人)もパリに出てきて成功した流れ者であり、実力者のモーツァルトが流れてくるのはみんなが一致団結して嫌だったのである。演目すり替え事件はグルックの指示かル・グロの忖度かはともかく、こうしておこった。

モーツァルトはこの一件を「カンビー二の陰謀による妨害」と疑った。ところが後世の学者は「カンビーニはモーツァルトを高く評価しており、彼の作品を筆写していることや、本人が明確に否定していることなどからも、妨害の犯人が彼である可能性は高くない」としている(wikipedia)。驚くべき稚拙な論拠だ。証拠がないから推定無罪、それは結構。しかし自分で犯行を否定すれば無罪になるなら警察も裁判所もいらない。こういう浮世離れした説がまかり通って誰も変に思わない音楽界というのは不思議な世界だ。無罪の理由は、パリの作曲家仲間(とりわけ著名なグルック)が「あいつはそんな奴じゃない」と庇護した “事実” があるからだとした方が誰がみても説得力があるだろう。同じくモーツァルトをいじめたウィーンが彼を観光資源として食ってる恥ずかしさに比べればパリは知れたものだ。

(5)奇々怪々な楽譜の出現

失意の中でモーツァルトがパリを去るにあたって、父に「協奏交響曲はル・グロが買い取りました」、「彼は独占したつもりですが、いまだに僕の頭にあるのでもう一度書きあげましょう」と書いた。ところが不思議なことに、独占したはずのル・グロが演奏した形跡がなく、自筆譜はこの世から消失してしまった。なぜだろう?なぜル・グロはこの曲を「飼い殺し」にしたのだろう?そして、1869年になって、さらに奇怪なことがおきる。モーツァルトの最初の伝記を書いたドイツの音楽学者オットー・ヤーン(1813-1869)の遺品の中から、「それではないか?」という楽譜がひょっこり出てきたのである。90年もたって!

それが本稿の表題、K.297bである。モーツァルトの筆跡ではない。何者かの手による写譜である。モーツァルトが記憶で書き起こした記録はないから、もし贋作でないならばル・グロの所有した自筆譜の写しという事になる。モーツァルトが記述しているオリジナルの独奏楽器編成が変えられ(FlがなくなってClが入っている)、パートはFl→Clではなく、Fl→Ob、Ob→Clとしている。この時点で当然のこととして全面的贋作説が出たが通説にはならず、改作説が主流となってどこをどのぐらい変えたかのバリエーションが種々の説として乱立しているのが現状だ。学問領域なのでそれには触れないが、確定的に贋作説を破棄する理由はない(そもそも比較対象物がないのだから)。私見はそれを破棄しない。それが冒頭の “声” である。しかし、僕の耳は、やっぱりモーツァルトでしょというものを聴いてしまうのだ。

(6)仮説(私見)

「協奏交響曲はル・グロが買い取りました」はウソだろう。父に「代金はもらったのか、本当に演奏されなかったのか?」と問い詰められそう答えたが、演目すり替え時点で楽譜はル・グロに渡っており、写譜はされなかった。売ることでなく演奏してもらって評判を得るのが目的のモーツァルトは「返せ」といえる立場になく、パリ楽壇にとって危険物であるそれは体よく没収され、そのまま楽譜の山に紛れて放置され、代わりにパリ交響曲を発注して演奏してやる約束で帳尻が合わされた。このジャンルは序曲の部類で重みはなかった。彼は好評だったと有頂天になって見せるが、手玉に取られていたことを悟り「記憶で書いてやる」と負け惜しみを父にぶつけ、結局やらなかった。現代の芸能プロダクションを見ればわかる。若いタレントの分配は1、2割だ。仮にヴェントリンクとル・グロがつるめば世の必然としてそういうことになる。世渡りに今昔などない。父が渾身の力でわからせようとしていたのはそれであり、息子はうるさがった。今、父親の立場で子を思う親父の偉さに涙が出てくる。

ル・グロが飼い殺しにした理由は単純だ。買っていなかったから演奏できなかったのである。ではどうしたか。強い関心を持っている人物の手に渡ったのではないか。「カンビーニがモーツァルト作品を評価し筆写している」という当時からある指摘は注目に値する。このジャンルに音楽家生命をかけていたカンビー二がその人である可能性は高い。モーツァルトから実質的に詐取した自筆譜は絶対に存在を知られてはいけない。事件が発覚すればパリ楽界の、ひいてはボスのグルックの汚名になるからだ。それを守る動機がパリにあり、脈々と現代まで引き継がれてカンビー二は無罪放免になっていると考える。彼かまたは秘密を共有する何者かが、「あえて改作」することで私的に演奏することを可能にしたのである。Flをはずしたのは、現代なら詐欺罪を構成するヴェントリンクの関与を隠蔽し、演奏に参加する道を断つためではないか。90年の間に写譜がなされ、秘密を守るシンジケートが形成され、最後にオットー・ヤーンの手に落ちた。ヤーンはなぜ黙っていたか。秘匿の誓約と交換で入手したからだ。

以上が東説である。

(7)録音

ホンモノ性に疑義を持っているから楽譜の分析もしないし、こだわるべき実像がないからyoutubeにいくつもあるものからお好みのを聴けばいい。あえて好みを述べると、ヴァーツラフ・スメタチェックがチェコ・フィルハーモニーを振ったこれが木管ソロのクオリティで群を抜いており、第1楽章は最高評価、第2楽章も真作と思わせる見事な解釈と思う。残念なのは終楽章で、この速さで木管がうますぎると改作?の安っぽさが丸見えになってだまされるなよ、これはモーツァルトの曲ではないの声が大音量になってしまう。よって第2楽章でカットということになる困ったちゃんなのが強くお勧めできない理由だ。

こちらは学者でピアニストのロバート・レヴィンがモーツァルトの音楽語法をインプットしたITプログラムでオリジナルの再現を試みたバージョンである。もちろんソロはClではなくFlで、管弦楽部分も違う。現行版(K.297b)が頭に入っている人には面白いが、オーセンティックである保証はない。あくまでレヴィン版にすぎない。

 

(ご参考)

モーツァルト「パリ交響曲」の問題個所

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

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