ゾロ目への愛着を哲学する
2022 MAR 7 19:19:58 pm by 東 賢太郎

“それ” がやって来るなと数日前に目星がついた。いよいよ昨日、それは明日のことだろうとおおよその予想が立った。そして昨晩、床に入る前には「早朝に違いない。もう二度とないから記念写真を撮るぞ」と、予想は確信に至っていた。
夜中にブログを読んでくれるのはほぼ外国の人だけだ。ページビューはそんなにない。あと300あるし大丈夫だと高をくくって寝た。こういうことはよくある。目覚まし時計だけでは危ないので僕は必ず家内に起こしてもらう。そして、昨日はそうしなかったのである。それはちゃんと来た。そして、予想通りに僕は寝過ごしていた。
7,777,777はラッキー7が7つという大魚中の大魚だった。次は7千7百7拾7万7千7百7拾7?うん、あの世でやろう。
ちなみに2022年は「同じ数字が3つある年号」だ。直近は1999、2000年であり1999年以前に生まれて生きてる人は今年が「人生3回目」になる。次は2111年、次の次は2122年になるから今年生まれの赤ちゃんは100才で「3回目」、来年生まれだと199才。3回目はけっこう大変なのだ。
ゾロ目への愛着。無一文のころラスベガスのカジノでスロットにハマったせいもあるが、多分に性格である。わかったことが2つある。ひとつ、ゾロ目嗜好はコレクター性格と同一である(しょうもないものを集める癖)。ふたつ、人間がいかに非合理的にものを決め、後付けで理屈をつけ、自己満足しているかである。
ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。
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S.Tanaka
3/8/2022 | 10:15 AM Permalink
こんにちは。何年も前に、モーツァルト/魔笛の記事を拝読し、当時調べていたことに合点がいった事をおもいだしました(モーツァルトでは Requiem が大好きです)。
Enlightenment(Lumières)に焦点を当てて、近代〜現代に亘る観点をざっくり見出すのが、ここ5年間くらい、わたしの趣味です。
東さんの記事は、わたしには情報量が捉えきれないことも多々ありますが、非常に面白いです!
東 賢太郎
3/9/2022 | 5:45 PM Permalink
S.Tanaka様、
有難うございます。「面白い」こそがいただける最高の評価です。学生時代からつけている日記、備忘録の拡大版がブログになっただけで、つまり、日々面白いと思ったことを書いているだけですから面白いと思う方だけ来ていただければよいのです。そのおひとりを知ることができたことを心より嬉しく思います。
Enlightenmentは僕の近代史観の影の主題ですが、そのようにお読みいただけてご趣味を教えていただけたなら素晴らしいことであり、こう申し上げてかえって失礼でないことを祈りますが、Tanaka様の教養の高さを拝察いたします。
「モーツァルトのRequiem」は僕にとっても特別、特殊な音楽であり、真っ先に稿にすべき存在なのですが、個人的な事情があって書いておりません。いつかその気になった時に書くことになるかもしれません。
もうひとつの特別な音楽である「魔笛」についても、まだ書くべきことの半分も書いてません。どの音楽であれ、僕が書いているのはその曲への熱いラブレターなのです。だから愛情が高まった時しか文章が出てこず、どうにもなりません。
情報量のようなものは、ストラヴィンスキーが「見事に構成されたものだが、作曲における対位法以上のものではない」と言った神学以上のものではなく、どうかお気になさらず気軽にお楽しみいただければなによりです。これからもよろしくお願いします。
S.Tanaka
3/10/2022 | 3:25 PM Permalink
ご親切にありがとうございます。「興味深い」と表現するにはわたしが無知すぎるので、面白いとさせていただきました…。
Requiem も東さんにとって「特別」なのですね。わたしは純粋に素人のリスナーですが、あの、どこを切っても美しい音楽。バッハとは別の意味で、わたしにとっては天上(ゆき)の音楽です。
Enlightenment について、つまりそれが啓発から啓蒙へと変化していった工程をみつめることで、わたしにとっては何というか、世界にたいする中立的な見地に近づけるような気がしています。
ちょっとした飛躍によって、バルトルディからコルマール、そしてドイツ自由都市、市民の自由のために睨みをきかせる像をみつけました。
旧教からの自由にはじまり、自由の概念の変遷を追うために、カントとモーゼス・メンデルスゾーンの関係をざっと調べ、『コモン・センス』、『永遠平和のために/啓蒙とは何か』、そして今『レ・ミゼラブル』を読んでいます。
ご存知のこととおもいますが、ベルリンの「壁解放コンサート」(2回目)でバーンスタインは第九の「Freude」を「Freiheit」と歌わせたということを、わたしは偶然に中村稔氏の文章で知りました(ところでベートーヴェンの第九はかれによるRequiemでしょうか…)。
これら、ただただ嗅覚によって繋げてきた想念が、ここへ来て昨今の情勢も加わり、益々わたしにとって強迫的になってきました(笑)。
東 賢太郎
3/15/2022 | 7:30 PM Permalink
Enlightenment ですが、現代もおきています。ネットによる情報拡散がそれを進めています。新聞もテレビも雑誌も不要な世代が既存メディアを衰退させます。コンテンツは玉石混交ですが取捨選択能力を磨けばかなり上質の情報を無償で得られる素晴らしい時代になりつつあります。そういう人はインテリジェンスを自分で構築できます。
S.T.
3/16/2022 | 3:17 AM Permalink
おっしゃる通りフリーな情報がこれだけ手に入る時代になり、道すじこそ描ければ何にせよ新しい見地を拓ける世界になりました。まさにそうして「自由」すら批評できるようになったことは、わたしにとってこの度重大なことでありました。
感謝とともに、あなたにお伝えしたかったことの周辺しかここに記すことができず、じぶんでももどかしいです。