ラフマニノフに回帰した今日このごろ
2022 APR 13 0:00:55 am by 東 賢太郎

ラフマニノフの第2協奏曲を弾こうと思った。ピアノに初めて触ったのはバッハの二声のインヴェンション1番とドビッシーのアラベスク1番で独学で何とかなった。バイエルもハノンもやってない。なんだ、大したことないな。それで2番に立ち向かったのは「高尾山に登れたのでエベレストに行くぞ」ということだ。馬鹿と思わない人は世界にひとりもいないだろう。
それは高1のころのことだったと思う。レコードでメロメロになってしまい、寝ても覚めてもそれだけ。要は2番のストーカーみたいになっていて、たまらない部分を何百回も弾けるまで練習した。好きこそものの上手なれとはよく言ったものでだんだんそれらしくなる。大音量で行く。おお、すごい、ラフマニノフだ!そこで満足して野球に熱が行ってしまい僕のピアノの成長は止まった。
それでも2番への愛は途切れなかった。ところが浪人することに決め、やがて数学にはまってバルトークを知って趣味が一変する。大学ではその勢いで現代物にはまってしまい、ラフマニノフは「二級の映画音楽」の地位に転落するという反抗期のようなものがやって来たからいけない。それ以来、あんなものに熱中していたのは何かの間違いだったという自己否定にまで至ることになるのである。
19世紀のウィーンの批評家ハンスリックがチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を「悪臭を放つ音楽」とまで言い放ったドイツ語圏のロシアへの侮蔑。それへの憎悪はレーニンにもスターリンにもプーチンの行為の根底にもある。英米独仏は露を半分アジアと見下し異質と扱っていることを知らないとNATOの成り立ちも、ユダヤ系のゼレンスキー大統領がプーチンにあろうことか「ナチ」呼ばわりされてしまう理由はわからないだろう。
英独仏の影響を受けて誕生した明治政府。それが招いたお雇い外国人による西洋音楽教育。東京音楽学校、東京大学の創立。その官製の流れをくむ日本の論壇。そこに露の入りこむ余地は微塵もなかった。僕の世代は戦後教育によってその世界観を教え込まれ、洗脳されていた。しかし受験に失敗して真っ暗になったその日に僕が取り出していたのは露西亜人ラフ様の第2交響曲のレコードだった。魂が必要なものしか受け付けない、どんな慰めも無意味な日の選択は実に重い。
最近、その想いが復活したのか、彼のピアノ協奏曲第3番には畏敬すら感じるようになっており、ホロヴィッツがメータとやったニューヨーク・フィルとのライブビデオなどあらためて感動している。2番も復活だ、こっちは甘酸っぱいまるで初恋の相手である。そんな気分に戻ることは最高のストレス解消だし、同時に、この憂愁とロマンのたぎりは尋常じゃない、書いた男は何者なんだという新たな好奇心がめらめらと湧き起こるのを感じる。
まず、こういうものを恥ずかしげもなく20世紀のドイツ人やフランス人が書くことは想定できない。イタリア人はあってもカラッと乾いた陽性のテンペラメントだ。ラフ様のロマンは沼に沈んだような湿度のある陰性と背中合わせで、いつも救われず満ち足りない。足りないままマグマが盛り上がるから熱くはなるが、いつも暗示は悲劇であり優しい夢想もほんの一時である。そして最後の最後に至って負の陰影は去り、想いは成就する。これが2,3番の共通の精神構造だ。
つまり沼の暗闇、欲求、否定、反抗、否定、夢想、否定の弁証法が手を変え品を変えうねうねと展開し、コーダで昇華して成就、快哉となるエネルギーの開放感たるや甚大なのだ。ベートーベンが全曲を通しての短調→長調、闇から光への猛烈な直進という新機軸で創造した運命交響曲の興奮だが、それがもたらすカタルシスの解消をラフ様はメランコリックな旋律と和声の迷宮で増幅しているわけだ。その「うねうね感」にロシアを感じると言ったら間違いだろうか?
そう言い切る自信がないのは、僕はロシアへ行ってないからだ。しかしホロヴィッツの演奏を聴いていると3番のうねうねは日本人にも通じると大いに感じる。僕は日本のクラシック受容は「サブカル型」と思っている。歌舞伎、浄瑠璃、講談、落語は武家の能・狂言に対する町人のサブカルチャーだった。明治の文明開化によってハイカラを競うニューアイテムになったクラシックは、鹿鳴館を離れそのサブカルのスペースにうまくもぐりこんだというのが僕の持論である。
歌舞伎の醍醐味は「千両役者」が「十八番」で「大向うをうならす」という3拍子がそろって「成田屋!」と声が掛かる場面にある。フルトヴェングラーのバイロイトの第九が日本で売れたのはその3つともあるからである。逆に、寄席で彩りとして演じられる漫才・曲芸・奇術などは「色物」と呼んで軽く見る。「カラヤンは色物だ」と識者ぶる馬鹿馬鹿しい風潮が1970年代はあった。江戸時代からある「鋳型」にあてはめてクラシックの受容が進んでいった痕跡である。
ホロヴィッツのラフマニノフ3番。クラシックの演奏史で「歌舞伎型」の音楽に千両役者をあててこれほどハマり、大向こうをうならせたドキュメントはそうはない。このビデオを見ている聴衆を相手にするこれからのピアニストは大変だと思う。しかし皮肉なもので、こういう人が現れたといってもそれは「稀有の場面」であったからこそビデオが残って珍重されているのであって、西洋のクラシック鑑賞にそういう要素がリクワイアメントとして求められるわけではない。
2020年に倒産したコロンビア・アート(CAMI)はスターを囲い込んで歌舞伎モデルによる業界支配を狙った会社だったが、ホロヴィッツやパバロッティだからチケットを買おうという人は、彼らが出演しなければ奥さんや恋人を劇場に誘う口実はなく、レコードはブロマイドだからスターが死ねばもう売れないのだ。1990年頃に肝心の千両役者が相次いで世を去り、モデル化は終焉した。わかった教訓は、クラシックにマイケル・ジャクソンは不要だったということだ。
日本の音楽産業はCAMIのマーケティングに乗って「巨匠」「名演」「定盤」の概念を生み出し、鹿鳴館のハイカラをうまく大衆化するのに成功した。歌舞伎の3拍子に欠けると「平板である」「無個性だ」と大根役者扱いされてしまう我が国の批評文化は欧州のそれとは似ても似つかないものだが、CAMIの米国流には偶然の親和性があり、ドル箱の日本はそれこそ神であったろう。しかしカラヤン、バーンスタイン、ホロヴィッツら御本尊が世を去ればそれも続かなかった。
その日本の「サブカル型」受容は「舶来品のプレミア・イメージ」と相まっていたが、水と油の矛盾を内包していた。「鹿鳴館のハイカラを競うアイテム」になったクラシックの輸入盤をまだ戦後の闇市、どや街の臭いが漂っていた秋葉原の電気屋街に買いに行く。舶来品は三越、高島屋の時代だ。この違和感は高校時代の僕にとって強烈だった。ラジオがオーディオ装置になり、それをハードとするならソフトであるレコードも同じ店で売る。理にかなってはいたのだが・・。
もっと凄かったのはオペラ、オペレッタだ。歌舞伎座はでんと銀座の真ん中にある。ところがオペラ座はなぜか浅草であって、当初はカルメンや椿姫もやっていたようだがその界隈というと僕にはストリップ小屋のイメージしかなかった。オペラ後進国の受容は特に「お国柄」が出る。パリではムーランルージュのキャバレー文化になり、ニューヨークではスタイリッシュなミュージカルになり、東京では「天国と地獄」のカンカン踊りを代名詞とする浅草オペラになったわけだ。
我が世代のクラシック入門書だったレコード芸術誌の新譜評の順番が交響曲、管弦楽曲、協奏曲、室内楽曲そしてオペラ、声楽曲であったのは受容がドイツ至上主義であった表れだろう。英国に赴任してグラモフォン誌の筆頭が声楽曲であるのをみて日本の特異性を知ったわけだが、当時の執筆陣の東大文学部美学科の先生方においては器楽曲は銀座、オペラは浅草の順とするのがレコ芸、すなわち日本のクラシック受容の権威にふさわしいコンセンサスだったのではと思う。
この目に見えぬ意識の呪縛を解くのに僕はヨーロッパに住んで10年の時を要した。そしてそのコンセンサスは、器楽、オペラのいずれにせよ闇市で売っていて違和感なしという本質的イメージギャップの上に成り立っていたのであって、権威の威光が剥げ落ちていけばプレミア・イメージも消えていく運命に元からあった。先日、渋谷のタワーレコードへ立ち寄ってみると、現代曲コーナーは消えてディズニー・コーナーになっていた。他は推して知るべしだ。
サブカルであれ何であれ、1970年代のクラシックは熱かった。ブーレーズのペトルーシュカやベーム / ウィーンフィルのブラームス交響曲全集という「新譜」を購入したワクワク感! あれは小学生のころ毎週待ちわびていた少年サンデーが家に届いて袋を開く歓喜の瞬間そのものである。ともすればお高くとまった舶来の嗜好品、辛気臭い骨董品になってしまうクラシック音楽をそこまで大衆化して楽しませてくれた日本の音楽産業の遊び心は偉大だ。敬意と感謝を記したい。
そんな時代になってしまったようだが、いまも僕は50年前に指に教えこんだラフマニノフ2番のつまみ食いを弾くことができる。その都度、ああなんていい音楽なんだろうと感謝する。これを覚えたアシュケナージのレコードに感激する。そして、このホロヴィッツの神がかった演奏に震撼しているのだ。ラフマニノフが二級の映画音楽であろうがなかろうが、プーチンのロシアにどんな制裁がくだされようが、この喜びは1ミクロンも減ることはない。
ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。
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S.T.
4/13/2022 | 12:48 PM Permalink
たいへんよくわかりました、ありがとうございます!! たいてい仕事に飽きたころに読ませていただくので、デスクでひとり笑いをすることになりました。面白かったです。帰宅したらホロヴィッツを聴きます。
昨日の東さんのコメントにドキッとして、今朝この春の陽気のなか暗い宇宙に飛んで3番を聴きながら出社しました。クリダさんを検索すると知人の Ruth にそっくりで、あの眼光あの鼻、師はラザロにレヴィということですからそういうことだとすると、Klezmer に馴染んでいるわたしの耳が、あのすばらしい2番より3番を好きな理由がわかったような気になり嬉しくなりました。10歳くらいのときに初めて音楽に衝撃を受けたのはメンデルスゾーンのVCの旋律でした。
「ドナドナ」が「アドナイ、アドナイ」であっても不思議でない理由は知っているつもりです(でもどうして日本の小学校の音楽の教科書なんかにこれが「イスラエル民謡」として載っていたのでしょう…嗅覚が刺激されます)。子どもの頃じぶんのいる場所に馴染みが薄かったこともあり、わたしは小さな貂か何かになり8人と一緒に船に乗り込みましたし、エジプトの神々が紅海に沈められたのを見ました。ダビデの家が分裂し、みな捕囚になりバビロンで泣き、帰還のあとふたたびローマからの自由を求めたために荒廃してしまった都市を嘆きました。“Je suis eux” です。
S.T.
4/13/2022 | 12:49 PM Permalink
わたしはNHKホールしかよく知りませんが、「前のほう」の方々は名門ゴルフクラブかもしれませんが(経済的に維持してくださっていることは確かなので感謝)、「後ろのほう」の棚はわたしが話しかけるとビックリするような非社交的なオジサマを満載にしていて、そしてやはり時々ブラヴォー! と叫んだりなさいます。きっと大きくない文化的な部屋に大きな音響システムでもって黙々と聴いていらっしゃる姿が目に浮かび、これがサブカルかなと感じた次第です。失礼しました。
東 賢太郎
4/15/2022 | 9:51 PM Permalink
そうですか、でも前の方もあんまり変わんないと思いますよ、まあ強いて言えばブラヴォー!の絶叫がないぐらいですね、舞台の至近距離だと声がでかすぎるしオケから顔が見えますしね、あっ、またあのおっちゃん来てるワみたいになっちゃいますからね。でもブラヴォーは感動されてるんだからまだいいですよ、むしろ寝る人が多いんですね。毎回必ず寝るおじいちゃんがいましてね、だいだい緩徐楽章の30秒ぐらいでそろそろかなと見ると見事にその辺でね。たまにイビキも聞こえます。で、終わると間髪入れず目覚めて何もなかったように熱狂的な拍手を送られるんです。あれはひとつの才能だなと感心しました。
西 牟呂雄
4/16/2022 | 8:33 AM Permalink
歌舞伎座の2~3階席には『幕見』といって一幕だけ見る、確か今でも2千円くらいの席があります。
小生の子供時代には、おふくろに連れられて結構な頻度で通っていましたが、NHKホールで言えば一階席が前の方の着飾った方々(女性は着物が多い)、幕見の方は普段着のホール後方に当たりますね。
そしてそこには時々(というかいつも2~3人)白髪の角刈りの、町鳶という風情のオヤジがいて、奴さんたちは見得を切るタイミングで一斉に『なりたやぁー(成田屋』とか『ォとわやぁー(音羽屋)』と屋号を飛ばしてはニヤリとしていました。
これが稀にピタッと一つに聞こえる時はいいのですが、バラける。すると「あいつはまだ間が分かってないヤボな野郎だな」という風情で睨みつけているオッサンがいましたね。
ヴラーボーに比べるとやはり歌舞伎なんざ大衆芸能で、海老蔵の不良根性はさもありなん、です(上手いですけど)。あいつらが人間国宝になるのには違和感がありますなあ。
S.T.
4/16/2022 | 11:58 AM Permalink
前のほうも色々あるんですね…笑! 美術でも宗教画から前後を位置づける批評を踏まえると日本の現代美術など、発芽の苦しみも知らぬ接ぎ木が異様な花を咲かせて喜んでいるように見えて時代にたいする怒りが湧きます。
ホロヴィッツ先生を聴いてみました。わたしには聴き慣れないのでまず少し若い頃の Horowitz & Reiner (1951) を聴いてからになりました。お家芸の速弾きのリズムはなんとなく納得です。ハンマーより鍵盤の音がするのは彼の弾き方でしょうか。
ラフマニノフも終盤がお祭り化(?)するのはチャイコフスキー直伝なのか、ロシアという土地の複雑さからでしょうか。彼らをボイコットするならオペラ座と国連からシャガールを撤去してからにして欲しいです。
S.T.
4/25/2022 | 6:05 PM Permalink
ホロヴィッツ先生のスクリャービンにハッとしたので本日CDで聴き震撼しました、特にエチュードのOp.42/5にやられました!
ラフ3は宇宙人キーシンの時空を超えちゃうかんじに既にじぶんでストーリーをつけているらしいです…。
逆にキーシンのスクリャービンは、サントリーホールで聴いたにもかかわらず音(席)が悪かったのと、作曲者はショパンが好きなのねイメージが終始つきまといました。
東 賢太郎
4/26/2022 | 12:43 PM Permalink
ホロヴィッツのラフ3ですが、upした演奏は78年9月24日(AFホール)で、お気づきと思いますがズビン・メータが小物すぎてうまくつけられていません(Mov3クライマックスなど酷い)。挙げたのはあくまでH氏のピアノを「見る」ためで、演奏の出来としては同じNYPOをユージン・オーマンディが振ったカーネギーホールの同年1月8日の方を聴いてください。オーマンディーはラフ3自演盤の指揮者で、ラフ氏が「私より3番をうまく弾く」と脱帽したH氏がソロという名実ともに歴史的演奏ですね。これが発売されたときの熱狂を今も覚えてます。
キーシン(小澤/BSO)もライブでこれだけ弾くのは見事ですね。とにかく、スコア開いただけで目まいがしそうな曲ですからちゃんと弾けるというだけで僕は尊敬です。H氏はスカルラッティもありますよ、逸品です、是非お聴きください。ただモーツァルトはだめです、不思議なもんですね、グールドもだめで。そういう音楽じゃないんですねモーツァルトは。
S.T.
4/27/2022 | 2:21 PM Permalink
わかりました、カーネギーホールのほうですね! ズビンさんの不安げに振り返るお顔はそういうことなのですね。CDを貸してくれる友人(音大ピアノ科卒)がH氏のスカルラッティも一緒に貸してくれましたのでこちらも楽しみにこれから聴きます。
キーシンのは、はい、小澤さんのですが、これは映画音楽ということでもよいのですが、ともかくお終いに聴衆と一緒に拍手してしまいます。どこか全然別のところへ連れて行ってくれる音楽なので。しかしキーシンのモーツァルトは聴けませんでした。グールドは「モーツァルトを聴きながら死ねるのはいい」と言っていましたよ。わたしはベートーヴェンPS 8-2がいいなぁ…
ブッフビンダー氏のモーツァルトPC24(VPO)の鬼気迫る音を聴き過ぎてちょっとした不眠になっています。