Sonar Members Club No.1

since September 2012

世界のうまいもの(15)《日本橋そばよし》

2022 SEP 1 18:18:20 pm by 東 賢太郎

人間ドックで血糖値が高い。いつも高めなのだが「運動してくださいね」で終わっていて、真面目に考えたことはなかった。それが今年はその指導が消え、「近所の医師にクスリもらいましょう」に変わった。運動なんてどうせやらないなと匙を投げられたらしい。

そこで近所の医院に行く。女医さんだ。数値をご覧になって「このぐらいはお相撲なら序の口です、私は薬はなるべく使わないので」とひと口上があり、まずは食事のアドバイスを受けることになった。家内といっしょに血糖値のスパイク(一気に上がること)を避ける食べ方を教わり、よし頑張ろうという気になったが、「早喰いは控えるように。ゆっくりとよく噛むように」という指示も出た。

そのつもりはないが早喰いかもしれない。証券マンの習性だ。それらしい生活をしたのは支店にいた2年程度しかないが、そこでイロハを叩きこまれたから「昼飯は15分」が体内時計にインプットされている。大阪はさすが商売の街だった。注文すると1,2分で出てくる飯屋があって、先輩方とそこで10分で済ませて5分のコーヒータイムを残すという技が身についた。東京にそういう処はなさそうでそのペースでいけるファストフードはマックか立ち食いソバになろう。

先日のこと、所用でひとり日本橋へ行った。もう5,6年はご無沙汰だろうか。当の橋のたもとは再開発で様変わりして首都高の高架も消えるらしい。野村の「軍艦ビル」周辺は三方ぐるりと更地の工事現場でびっくりだ。たしかこのビルは文化財か史跡だったかでそのまま残すとは聞いたが、野村も当面は移転して中はもぬけの殻だ。思い出深いビルでありどこか寂しい。

昼すぎだ。さてどうしよう。この辺から神田、人形町、浅草あたりとくると無性に食べたくなるのが蕎麦だ。江戸っ子だ、目がない。蕎麦は国民食だが、百万都市江戸では屋台が出る人気だった。当初は一杯が6文、後に16文になるが、今のお金で凡そ100~250円というところ。各藩から武士が単身赴任し、気の短い気質ができたこともあったから茹で上がりが早いのも良く、これと江戸前の寿司屋は世界初のファストフード店だったんじゃないだろうか。

さてこのあたりでとなると僕は「やぶ久」ってことになるが、あそこへ行くといつもカレー南蛮の誘惑に負けてしまう。ちょっと今は暑苦しい。立ち食いソバがいい。それと蕎麦屋は別物であるが、日本橋の空気を吸ううちに「あの日に帰りたい」のモードになっていたこともある。

向かったのは三越本店に近い「そばよし」。鰹節問屋直営で長い行列ができる店だがランチタイムは過ぎていて2,3分待ちで入れた。ここは暖かい天玉そばと相場が決まっている。値段を見ると500円である。ちょっと値上げしたかなと思うが光熱費も原材料費も上がっている昨今はやむない所だろう。

座席について周囲を見回すと、コロナ何するものぞでぎゅー詰めである。3,40代がほとんどで、白髪の老人が2,3人、皆さんこの辺のお勤めで遅めの昼飯というところだろうか。ご機嫌でソバをすすっているとすっかり溶けこんでもうこの界隈の住人だ。大手町組だったので軍艦ビルに通ったのは1,2年だが、日本橋は心の故郷だったということをこの日は逆に知った。

日本食というものはやはり江戸時代からあるものがうまい。そばつゆは昆布と鰹節が出汁であり、動物性油分を使わず醤油だけでシンプルにして深みのあるこの味はさすがの中国にもない。江戸町民の舌が3百年かけて産んだ独創であって、私見においては世界有数の美味であり、ゴッホやドビッシーまで魅了した浮世絵の洗練すら思わせると考えている。

500円の食事で済ます人間をグルメ(gourmet)と呼ばないのはフランス人の怠慢であると言いたいが、これはワンコインの方がおかしい、円の価値の問題なんだろうかと思わないでもない。しかし海外にない食はマックのパリティが使えない。畢竟、和食でグルメするには円は強く、資源や小麦を買うには弱いという結論になる。

半分ほど食してふと気がついた。席は狭い、ほんとうに。隣と肩がくっつくぐらいで、ざっとみるに我がテーブルの専有面積はタテ30cm、横40cmというところである。G7国の首都でこんな閉所で食ってるのは日本だけだろう。労働生産性はいわれるほど悪くないんじゃないかという考えもよぎるとだんだん我にかえってきた。

こりゃ三密だ。長居はいけないぞ、油断は大敵である。こういう時なのだ、時間はスマホ頼みで腕時計というものをしなくなり、何かのついでに反射的に時刻が目に入ることがなくなったことを気づくのは。体内時計は40年たっても正確さを保って作動しているようで、店を出てスマホを確認すると所要時間は15分であった。「早喰い」はなおりそうもない。

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

Categories:______日々のこと

▲TOPへ戻る

厳選動画のご紹介

SMCはこれからの人達を応援します。
様々な才能を動画にアップするNEXTYLEと提携して紹介しています。

ライフLife Documentary_banner
加地卓
金巻芳俊