99.9%の人には言わないこと
2022 SEP 5 19:19:08 pm by 東 賢太郎
学園祭の天文学科でわくわくしながらお話を聞いた。「これの名前わかるひと」とクイズがあって、「アンドロメダ大星雲!」と図鑑どおり答えたらお兄さんがびっくりして(7才だったんで)、「ボク、これをあげよう」と星雲メシエ83の展示写真をくださった。よし、ここの一員になろうと思った。なれたらこの話は尾ひれがついたろうがなれなかった。
帰りに父が望遠鏡を買うかときいたが、いらないと言った。恒星はパロマ山の大望遠鏡で見ても「点」だからだ。土星の環とか月食とか、太陽系のチマチマしたそういうのは興味ない子だった。最近、ときどきテラスで本を読みながら、夕暮れになって、雲の中の太陽が “目視” できるときがある。「やばい、恒星があんなにでかい!」。これ、99.9%の人には、言わない。頭おかしいと思われる。あれ触ってみたい、メスで切り取って成分を調べたいなんて思ってることは、あの日のお兄さんなら分かってくれるかなと思う。
恒星写真といえばいまやハッブルという時代だ。しかし個人的には、あのときの思い出があるから日本を代表する望遠鏡を応援したい。それが2つある。ハワイ島の「すばる望遠鏡」とチリの「アルマ望遠鏡」だ。
「すばる」は世界最大級の8.2メートル口径を誇る。オリオン座の三ツ星の下にあるオリオン星雲はすばるで見るとこうなってる。
次は電波望遠鏡「アルマ」の画像。
なんか危ない感じがする。これは450光年先に確かに存在する。この世かあの世かもう分からないが、宇宙船の窓からこんなのが見えたらぞっとする。
きれいなのもある。この写真など、額に入れれば白壁に似合うおしゃれなモダン・アートだ。これは460光年。
きれいというならマリンブルーだ。ダイビングしてそれを美しいと思ったが、あれは先祖が海にいたころの記憶だろうか。では空はどうなんだろう。460光年かなたの景色を先祖はどこで見たんだろう?
人体解剖図も7才あたりで好きだった。「腑分け」だ。レオナルド・ダ・ヴィンチは筋肉と骨だったが僕は肝臓で、たくさんの肝臓が渋谷の交差点をぷかぷか浮いてるダリみたいな絵が見えた。
楽譜も解剖図だ。一青窈の「ハナミズキ」(ホ長調)のサビでE₇ 挿入は「ロング・アンド・ワインディングロード」、E, D#m₇-₅, G#₇, C#m₇は「イエスタデイ」に見える。なんだ、ビートルズだった。
「弦チェレ」の第3楽章は宇宙空間にゼンマイ(植物の)が浮んでいると日記に書いた。ライナーのレコードだ。チェレスタがぱらぱらと雪を降らす。
兼好法師というと素敵であって、宇宙的だ。この世に変わらぬものはなく、すべては幻で仮の姿に過ぎないなんて、ショーペンハウエルと双璧である。
うちの猫も素敵だ。芸もなにもしない。いるだけでありがたられ、エサが出る。ときどき、見おろされて、宇宙最強の生物じゃないかと思う。
ちなみに、漱石にあれを書かせたのは黒猫だ。人なつっこさで異色の威力を放つ最強の部族。彼は書いたつもりだろうが、気がついてない。
アインシュタインも金魚鉢の金魚。光速は宇宙劇場を上映してるコンピューターのメーカーが決めた限界。CDの限界が「第九の入る72分」みたいなもん。
でも、こういうことは99.9%の人には、言わない。
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ST
9/6/2022 | 3:12 PM Permalink
三鷹の天文台に何度か足を運び、野辺山やハワイの観測所を知りました。たしか星々の画像は光に拠って「着色」してあるという説明があり(赤外線波長による画像もあるようですね)、可視世界の限界を知りました。Pillars of Creation の説明などわたしには理解を超えた畏怖でした。
いま新潟からの帰途ですが、久しぶりにオニヤンマに逢い、あれはじっと観察すると向こうも観察してくるようなトンボだったと記憶が蘇りました。体の向きを変えながら目で追うと、近くに来て10秒ほどホヴァリングしてくれました。これに水銀電池など入っていないワンダー! 5歳くらいのとき、昆虫と出逢うことは神さまがじぶんを見ている合図なのだと自然に考えていました。へぎ蕎麦を食べて新幹線です。
東 賢太郎
9/6/2022 | 6:35 PM Permalink
パロマ山天文台は少年のころ世界一の反射望遠鏡がある憧れの地で、一度サンディエゴまで行って訪問しました。それを抜いた「すばる」(ハワイ島マウナケア山頂で高度4200メートル)は4000メートルあたりから高山病っぽくなってふらつきながらも行きました。天体写真を見ながら、この恒星の惑星にいたらどういう感じだろうと想像してると時間を忘れます。本稿に書いたすべてのひとつひとつは、その感覚のデリバティブです。
ST
9/8/2022 | 3:46 PM Permalink
「すばる」に行かれたのですね! わたしは望遠鏡で木星のガスの渦を見せてもらっても実在しているのかどうか判りませんでしたが(笑)ヘリポートで寝転がって一晩じゅう流星群を見た夜は言葉を失いました。
世界の外側にいるかたについて考えることは、時間もあらゆる物理法則もひとつの(最適な)「取り決め」であることをわたしに気づかせました。
地球儀を回してじぶんをずっと外側から観察して目眩をおこすこと、と、あなたは誰? わたし自身ですか? とエメラルドの複眼に挑むのとは、わたしにとって似たようなことです。
じぶんを定義することと、計り知れないこととの狭間で、そのギャップが埋まらず、この世界は居心地の悪いところです。
東 賢太郎
9/8/2022 | 5:28 PM Permalink
そうですか、いろいろご覧になってますね。マウナケア山頂、アリゾナの砂漠、オーストラリア(ポートダグラス)の海岸が僕の見た3大天の川でした。あれが銀河の中央部ラインだから「傾いてる」感が船酔いみたいになりそうなほど半端ないのですね。我々はぜんぜん特別でも何でもない処にたまたま「居る」だけなのがわかって、「あなたは誰? わたし自身ですか?」になりますね。