パターソン氏とスヴィーテン男爵
2022 SEP 19 18:18:01 pm by 東 賢太郎
バロック・オペラを教えてくれたのは前稿で書いたD.P.さんでした。彼は現在はニュートン・インベストメントとなっているリード・ステンハウスという運用会社の主任ファンド・マネージャーでした。この業界、オックスブリッジ卒は普通ですが、氏はなにせケンブリッジ大学でアイザック・ニュートン以来という二学部首席卒業でただならぬ雰囲気の方。強豪並みいる我が先輩方も対応に難儀していたアカウントで、ちょうど担当替えの時にロンドン赴任して2年目でまだ未知数の僕に「やってみろ」と担当が回ってきたのです。ここに通用すればお前を一軍ベンチに入れてやろうという部内の雰囲気でありました。
チャンスと思い、勇んで訪問しましたがけんもほろろ。話がつまらなかったんでしょう、30分のアポは5分で打ち切られてバイバイ。相手にもされませんでした。これがプロの世界というものなんです。それでも毎朝電話して懸命に食らいついたので、あるとき、ソニー、TDK株の小口の買い注文をいただきました。お試しですね。ところが何ということか、その執行で大チョンボをしてしまうのです。すぐに先輩同伴で頭を下げに行きますが、「あんなに西洋人が怒ったのは見たことないよ」と先輩が匙を投げるぐらい激怒されており、即刻、出入り禁止が通告されます。部内では「お前なあ」となり、こっちも即刻二軍落ち(大事なアカウントの担当をもらえない)となったのです。
それでもそこの担当は外されなかったので、毎朝の電話は何があろうとやるぞと決心しました。半年ほどして、毎朝その電話をとってくれる秘書の女性が同情して何か言ってくれたんでしょう、10分だけ会ってくれるようになり、懸命に投資情報サービスをしていると、半年ぐらいしてやっとKenと呼んでくれるようになります(英国人は会って5秒でKenになる米国人とは違うのです)。よく覚えてませんが、そのあたりでクラシックが好きだという話をしたのだと思います。そこから何があったわけでもないのですが、ある日、夫婦で食事をしようと誘われ、一気にうちとけ、ついに大きな商売をいただけるようになったのです。
日本の企業経営は文化が反映していると話していると、訪日経験がないのでピンと来ないといわれました。日本株責任者がそれはいかんでしょうと、すぐに本社に頼んでトリップをアレンジし、東京、大阪、京都の企業訪問に随行したのです。こんな方と1週間も2人だけで旅行できたというのはいま思えば財産です。投資とは何か、リスクリターンとは何か、企業の何を見るのか、何を質問するのか、どう分析するのか、大英帝国保守本流の、そのまた本丸である “ザ・シティ” の目線で東インド会社の歴史からじっくり説き起こして教えていただきました。目から鱗でした。それで僕は考え方だけは少なくとも投資のプロフェッショナルとなったはずであり、これで食っていけると盤石の自信もできたのです。
彼は投資哲学のベースとして政治、歴史、哲学、美術、文学、科学に博識なレオナルド・ダ・ヴィンチのような方であり、日本文化も事前に勉強されていて京都を堪能されました。そこで「松下とフィリップがどう違うかわかったよ」とぽつりと言われたのが非常に印象的です。これをまさしくインテリジェンスというのですね。何を見てそう思われたかは聞くのも野暮なので遠慮しました。寺社仏閣や日本史の知識だけ覚えて帰っても単なる雑学で何も役には立たないんですね。D.P.さん、すなわちデビッド・パターソン氏とはこんな深いつきあいがあったからとても影響を受けており、彼もそう共感していたと思います。僕が後にフランクフルトで「社長になったよ」とロンドンに電話すると、他人事と思えなかったのでしょう、それでここに書いた事件が起きたわけです。
我が家の引っ越しヒストリー(2)
これがフランクフルト空港まで抱えてきてくださったGroveのオペラ辞典です。重かったでしょう。
氏の音楽の造詣は底なしでしたが、それは単なる音楽だけではないんです。科学も美学も歴史も哲学も複合したリベラルアーツですね、ギリシャ・ローマ時代の「自由7科」(文法、修辞、弁証、算術、幾何、天文、音楽)に起源のある文化人の教養、それも干からびた知識でなく、人間を啓蒙し、良い意味で宗教や絶対権力の束縛から解放するための「自由人にふさわしい学芸」、「より良く生きるための力」ですね、ここにちゃんと音楽が入っている。そういう感じでの「音楽」なんです。当時は浅学でそれに気づきませんでしたが、あとで年齢を重ねるとだんだんわかってきて、氏から教わったものこそ僕が人生をかけて追及するものだと悟りました。
バロック・オペラというと英国ではまずヘンデルなんです。もちろんJ.S.バッハも敬意は払われてますが、息子でロンドンに住み着いて、モーツァルト坊やの才能を見抜いて可愛がったヨハン・クリスティアン・バッハも人気なんです。彼はハイドンより3才年下で、ロンドンで「ヘンデルの後継者」の地位にありました。もしJ.C.バッハが47才で急逝しなければ、モーツァルトがロンドン行きを父に打診した1786年にまだ51才の彼は、年上のハイドンでなく坊やを呼んだでしょうね。そして英語版の「フィガロ」が大流行し3代目のドイツ人マエストロになった。彼自身もそう望んでいたと思います(英語を勉強し、ヘンデルの伝記まで蔵書にありましたからね)。僕の「さよならモーツァルト君」はそういう事実があって思いついたものです。
ヘンデルは国民的人気ですが、ハレルヤで国王まで起立する。ノリントン指揮のメサイアで僕もしました。氏が教えてくれた『リナルド』(Rinaldo)は好きなオペラの一つで、筋書きは「後宮からの誘拐」と「魔笛」を足して二で割ったようなものです。ヘンデルを研究したモーツァルトが知らなかったはずはなく、リブレットに影響があったかもしれません。最晩年のベートーベンはヘンデルに傾倒して楽譜を取り寄せましたが、ロンドンから委嘱された第九の終楽章をオラトリオ形式にしたのも関係あると考えるのは自然でしょう。日本ではヘンデルの真価が100%知られてはいないように思います。音楽の父はJ.S.バッハで、ヘンデルは対比して音楽の母なんてどこかに書いてありました。あまりに稚拙で日本の恥なので氏には言えなかったですね、やめたほうがいいですね。
ここで特筆したいのは第二幕のアルミレーナのアリア「私を泣かせてください」(Lascia ch’io pianga)です。クラシック好きで知らない人はない超有名曲ですが、この美しさ、気高さったら只者ではない。教科書によくある「このソプラノの旋律に和声をつけよ」なら、ヘンデルと同じものをつけるのはそう難しくないと思ってしまいます。というのは、響きの良い部屋で歌えばわかると思いますが、メロディーの倍音から美しい和声がいとも自然に紡ぎだされて耳に聞こえてくる感じなんです。まったく作為なく独創的で、素晴らしいメロディー。和声も含めてこれ全体をゼロから発想すること自体、ヘンデルの才能、凄すぎますね。
この歌を楽器でなぞることは何ら難しくないでしょう。ところが、歌となると、どうもそうではない。意地悪になる気はないのですが、youtubeに数ある歌で気に入るのはごくごく少数なのです。ほとんどはどこがだめかというと5小節目の so (ミーファソ)の「ソ」。そして9小節目のe cheの「ファ」です。ほとんどがこの2音のクオリティが悪く、僕はそこから先はもう聴く気がしません。ヴィヴラートをかけすぎ、「ソ」が微妙に音程ハズレ、バロックらしい軽さでポンと決まらない、決まってはいるが決めようと頑張って余分な力が入っている、そして、「ファ」の6度跳躍がずり上げになる、ロマン派風に歌い上げる、等々。なぜだめか。コンサートピースとして歌っている人が多いせいもありましょうが、僕の趣味ですとバロックの様式にあわないから白けてしまうのもありますし、何より、「倍音」と書きましたが、ピッチが悪いとこっちのピュアな和声感覚の根本が揺らいでしまうので気持ち悪くて話にならないんです。
だからかどうか、ヘ長調をホ長調、変ホ長調、ニ長調に下げる人が多いですね。このジャンルで評価しているサンドリーヌ・ピオーでもホ長調なのに「ソ」がいまいちだ(難しいんですね)。チェチーリア・バルトリもホ長調、悪くないですが個人的に声質がこの曲にはどうも。中には堂々たる4度下げのバーバラ・ストレイザンドのハ長調もあります。サウンド・オブ・ミュージックは大好きなのですが、こうなるともう別な曲ですね。ただ上記の2音は、ここまで下げれば、うまくクリアできてます。要はヘ長調でこう歌えるかということです。
モンセラート・カバリェはヘ長調で2音をクリアしておりさすがです。「ソ」はピアノと完璧に溶け込み、もはや見事というしかありませんし、原調を守りピッチを汚さないためのこのテンポなら技術と見識の高さに敬意を表すばかりです。ただ、これは僕の趣味ですが、このテンポで音をレガートで繋げるとバロックの様式感がどうか。これは大歌手カバリェの芸風ですからあれこれ言う問題ではありませんが、ここでは僕は採りません。
スェーデンのトゥヴァ・セミングセンはうまいですね。ホ長調ですが80点はつけられます。
フランスの第一人者、パトリシア・プティボンはかなり良い(ホ長調)。評判なりの実力ですね、90点。
ということで、僕のベストは次のものになります。ほぼ満点。ハンガリーのイングリット・ケルテシです。NAXOSを廉価盤と言ってはもはや申しわけないですが、この手のアルバムはyoutubeでもないと僕はまず聴く機会がありません。というわけでケルテシの名は初めてききました。しかしNAXOSでもこの歌手がアルバムの表に名前がクレジットもされないことを見るにつけ、愕然というか、背筋が寒くなるばかりです。世界のクラシック界は危機的状況に陥りつつあると危惧せざるをえません。本物を売り出さない限り聴衆も育ちません。歌唱について素人の僕が言うべきことはありませんが、いつまでも聴いていたい声とはこのことです。ヘ長調でありながら声質、2音の音程、音楽性ともyoutubeにある中で最高。唯一、5小節目の so (ミーファソ)が3連符になってますが(オケ部分も)、何かを譲歩しないと難しいならテンポよりこれでしょう。それを割り引いても1位。皆さん是非、ご自分の耳でお確かめください。
このアリア、アルミレーナが魔法使いに誘拐されて過酷な運命を悲嘆する場面ですが長調です。ここをあれっと思うことがバロックオペラの第一歩でしょう。ちなみにモーツァルトは魔笛で悲嘆したパミーナに Ach, ich fühl’s をト短調で歌わせてますね。短調なんです。どっちも同じほどの悲嘆の歌なんです。モーツァルトはよくわかってない人たちにロココの作曲家と言われますが、そのレッテルはヘンデルの音楽の母なみです。
彼はこのアリアで、フィガロにもドン・ジョヴァンニにもコシ・ファン・トゥッテにもない、息を押し殺すような繊細な心のひだをロマン派を予言する和声にのせ、バロック世界にはない驚くべき緻密な感情表現を描写するに至っているわけですが、そのきっかけはウィーンに移住してから公私にわたり面倒を見てくれたゴットフリート・ファン・スヴィーテン男爵の私的スクールにどっぷりとつかったことです。外交官として教養ある偉大なアマチュア音楽家でありキュレーターでもあった男爵の膨大なプライベート・ライブラリーでモーツァルトはバッハ、ヘンデルの楽譜を見て驚愕し、ギャラント様式だけで書いていた自分を根源から見直すのです。ウィーン時代の名作の山はそこから生まれたアマルガム(合金)であります。
僕にとって、かつてそういう人があったかというと、デビッド・パターソン氏をおいてありません。だから、神様が引きあわせてくれたスヴィーテンだったと思っております。今もって感謝するしかありません。
Lascia ch’io piangaを聴くと、いつもドン・ジョヴァンニの「薬屋の歌」を思い出すんですがいかがでしょうか。悲嘆の歌がエッチなほうに行ってしまったのなら、それもモーツァルトらしいのですがね。
ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。
Categories:______ヘンデル, ______モーツァルト
ST
9/22/2022 | 3:00 PM Permalink
ゴダール氏はおそらく無神論者ですが、その彼が、歴史=物語において映画の終焉とキリスト教の終焉を重ね合わせています。芸術と科学はいつの時代も不可分でしょうから、たんなる文明批判のようなことではなく、この世界という座標で軸を「失った」われわれがどこにいるのか、どこへ向かっているのかを、彼はきっと冷めた目で眺めたこととおもいます。
人類の光明のすべてはわたしには知る由もありませんし、先人たちに不敬をはたらきたいともおもいませんが、「主が家を建てるのでなければ」国家もその家政(oikonomos)も立ちゆかないというのは聖書のシンプルなテーマです。
しかし立派なお仕事や勉学に没頭されてきたかたはすこし羨ましいです。わたしなど受験も一度もしたことがなく夫に珍しいと笑われています(推薦入学の面接は笑ってごまかしスルーました)。
東 賢太郎
9/25/2022 | 12:36 PM Permalink
ゴダールはそうでなければ自死しないでしょう。都会、クルマ、女性、狂気、カニバリズム、僕はどれもついていけず未だ彼の作品の良き理解者とはいえませんが、あれは座標軸があっては描けない世界でしょう。ゴダールはジュネーブ在住のフランス系プロテスタントのエリート一族で、母方はパリバの創業者、ペルーのクチンスキ大統領などがいます。そのひとり作曲家ジャック・ルイ・モノはメシアン、レイボヴィッツの弟子で、つまりピエール・ブーレーズの兄弟弟子で、米国でシェーンベルク、ベルク、ヴェーベルンを広めた人です。そうだと言われた方が「気狂いピエロ」はわかります。
彼はガチのプロテスタント一族の生まれですがレイボヴィッツはユダヤ人だし毛沢東にも揺れてます。彼が黒澤や北野を評価できた精神の自由は宗教からの自由と無縁でない気がします。STさんの方が詳しいと思いますが、独逸に住んだので欧州人にとっての宗教の根深さは肌でわかります。映画は映像の衝撃で隠せますが、音楽は宗教曲を除けば難しいですね。シェーンベルクはドデカフォニーの難渋性で(まさにゴダール的に)糊塗しましたが、マーラーは言うまでもなく、シューマン、ブラームスはそれができず、心の深層の二面性が透けて見えます。これは欧州のごく一部の知識人は知っていますがふれることはタブーなんです(仏教徒だから書けるのです)。魂の深い悲しみです。マーラーはそれがあからさまで僕には辛く、シューマンでは晩年にうっすらしか見えず、ブラームスは一般に控えめということになっていますが、違いますね、僕は直截的と思います。それを愛する者ですので、彼のピアノ協奏曲第1番の第2楽章を母のお葬式で流しました。
ST
9/26/2022 | 1:41 PM Permalink
あんまり考えてもみなかったこと、教えてくださりありがとうございます。わたしは恋愛映画(的なもの)や退廃的なものに興味がないのでJLG前期のゴタゴタはほとんど観ていません。しかし映画偏愛家の定点観測とでもいうべき晩年のいくつかがリアルタイムでわたしのうちに呼び起こしたイメージは大きなものでした。彼のアメリカという国への態度も面白いです。とはいえクリスティアニティ帝国の崩壊はそのように静かにやってくるとはおもえません。石工らは神の家の土台を築き、その上には神々やカエサルの神殿が建ちました。ローマ帝国の自滅が頭を過ります。
マーラーはわたしにはひじょうに聴きにくい音楽で聴いていませんが、シューマンの「Rheinische」などは冒頭から “The Kingdom” を彷彿とさせます(Revelation を読めばですが)。こういう崇高なものを書きながら作曲家は時の政府をどう捉えていたのかとても気になっていました。おっしゃるような「二面性」はわたしには聴き取れませんが。ブラームスに至っては色々と、複雑すぎてまだまだ…。いずれにしても内奥において引き裂かれてあることについて、は「裁きは神の家からはじまる」ということの正当性に泣けてきます(パウロしかり)。もはや聖書にタブーを課すことはできません。
Hiroshi Noguchi
9/26/2022 | 11:34 PM Permalink
大体ヘンデルのオペラは山のようにあって、ということまでは知っていたのですが、佳曲があるというのを知ったのは、今の女房と結婚して教えられてからで、この曲は「カス(と)ラート」という映画と森麻季が日本人としては稀なベンチャーで成功した久能さんの財団からワシントン賞を取った記念CDに入っていたからと言うぐらいでした。
ですので東大兄のこのブログを拝読して勉強させて戴き、改めて森麻季やファッリネッリの映画で使われたサウンドトラックなども聞き返してみて、ご指摘の中でカバリェの見事さに感じ入りました。
youtubeの中では、南アフリカケープタウンのバロックオーケストラがStefanie Trueという歌手を起用して4分50秒掛けている演奏がいかにも17世紀ロンドンも襲った黒死病のなかで歌われているような錯覚に陥りそうな演奏で、2021年8月に相応しいと妙に感心しました。
昔講義で日本発医薬品ベンチャー唯一の成功例として話していました。これ、実は家内制手工業に近かったのだと思います。
東 賢太郎
9/27/2022 | 12:59 AM Permalink
STさん、フリードリヒ・ヴィークがなぜ裁判までして娘とシューマンの結婚を阻止しようとしたか、若きブラームスがなぜロマ舞曲を書いたか、なぜシューマンに頼ったか、なぜ婚約したシーボルトの係累と結婚できなかったか。いろいろ深いものがあるんです。だから彼は古典の範に物凄く執着し、ドイツの保守本流に自らを位置づけたい。だから交響曲なんですね、21年もかけて。初期のPC1番も初めはそのつもりで構想したんです。でもまだ若いんですね。第3楽章なんてどうしてもはみ出しちゃう。そこで交響曲は断念し、2台ピアノのソナタにし、やっぱりオケの響きが欲しくてPCになったんです。ロマ舞曲と交響曲。とても二面的でしょ?それを知っていてシューマンとブラームスを愛したクララ・ヴィーク。名ピアニストですからね、リストを軽んじるようなことはなかったと思いますよ。でもブラームスの古典派につくんです。2人の才能を見抜いたんですね。とっても興味ある女性です。
東 賢太郎
9/27/2022 | 1:38 AM Permalink
Hiroshi Noguchi様、ヘンデルのオペラは時代考証をふまえて聴けば面白いですよ。英国でも20世紀まで忘れられていたようですが(彼はオラトリオの作曲家だった)僕がロンドン勤務の頃は古楽器演奏ブームとあいまって蘇演が始まっていました。彼の音楽は宗教曲でも辛気臭くないのですね、つまり、根っからのエンターテイナーであって、シリアスなルター派のJ.S.バッハとは音楽が対照的ですが、それ以前に、カソリックのイタリアを放浪して国教会の英国に定住するわけだから両人は性格も宗教思想も人生観もまったく違うわけです。だからスヴィーテンの図書館で生来のエンターテイナーだったモーツァルトが心惹かれたのはヘンデルだったと思います(バッハはフーガ等の作曲技法の先生)。エンタメ(オペラですね)は不得意だったベートーベン、ブラームスはバッハ派だった、これも一理あるわけです。日本人は独逸人に音楽史を習ってますから三大Bとか(ドイツでそんなのは聞いたことないですが)、なんとなくバッハが上と思ってますが、ヘンデルが下ならモーツァルトもそうですかということになりませんか。
ST
9/28/2022 | 5:12 PM Permalink
東さん、ブラームスPC1番2楽章がお葬式で流れてきたら一溜まりもありません、ぐしゃぐしゃです。ロマ舞曲と交響曲(“ツィゴイネルワイゼン” はみんな一度は作るのかしらとおもっていましたが、そんなに単純なはずもないですね)。次回真面目に聴く時にはきっと奥行きが変わっています! シューマンの交響曲はすべて聴きたいです。
行ったこともない「わが祖国」へのノスタルジーは、これからもずっと、この戦争の後もきっとわたしを癒します。誰もが創造者に属するのであれば神に従うかぎり問題ありません。つまり今のところはボヘミアの民というわけですが…。
東 賢太郎
9/30/2022 | 1:14 AM Permalink
ブラームスが何故ハンガリー動乱に加担してオーストリア帝国から追放されたヴァイオリニスト(レメーニ)とロマ音楽に熱中したか?それ、すごく危険だったんですよ。J・シュトラウスⅡも体制派の父親に反発してそっち派で、ラ・マルセイエーズを自作に入れてウィーン当局から干されてますからね。「ブラームスはロマをハンガリー民謡と信じてた」とされてますがそんなはずないでしょ、子供だましの通説が多いんです音楽史というのは。でも、二人ともうまくウィーンに入りこみました、別々な方法ですがね。ブラームスはシュトラウスが好きだったらしく「彼の音楽こそウィーンの血であり、ベートーヴェン、シューベルトの流れを直接受けた主流である」と持ち上げてますが、自分がそうだという思いがあるもんだから彼もそうとなっちゃんたんじゃないかな。でも、ナンボなんでもそりゃ言い過ぎですがね。あのシェーンベルクもシュトラウスのファンだったんですよ。ブラームスはピアノ四重奏曲1番の最後に Rondo alla Zingarese(ロマ風ロンド)を置いてますね、モーツァルトのアラ・ターキッシュとは違いましてね、ソナタを書いてもロマへの熱い思いがぬけないんです。で、案の定、シェーンベルクがそれを好きで管弦額版を作ってしまった。そしてそれを初演したのがクレンペラーでね、ラインスドルフも好きでしたね、僕は実演を聴きました。彼にしては激熱でしたよ。
モーツァルトもそうですが、僕は何事も反体制派好きなんです(巨人、阪神が嫌いなのもね)。シュトラウスはあんまり興味ないですが、ブラームスはまさにそれでね、まさにそういう音楽を書いて、最後は本丸のウィーンの大御所になっちゃった。大出世です。プロテスタント世界からね、すごいでしょ。そこがベートーベンとおんなじでね、だから尊敬したんでしょう、で、その父祖には当然バッハ様が鎮座しなくちゃいけない。だから最後の交響曲のおしまいに持ってきたんですね。ロマは消えて、「独逸精神」でね、独逸なんて国はなかったですから彼にはいい塩梅にvagueなコンセプトだったと思います。そこで独逸レクイエム書いて独逸民謡まで歌曲にしてます。このラインに乗っかって「保守本流」と仕立て上げたのが独逸の学者たちで、その音楽史を我々は学校で習ってるんです。別に反対はしませんが、どうしても作り物っぽさがあります、かなり嘘ですからね。シューマンはね、ピアノの人です。真の天才なんでsporadicで枠にハマりきらない。ショパンがそう思われがちですがシューマンに比べたら彼は詩人ですがずっとorganizedですよ。どうしてこれがそうなるの?ってくらい発想があちこち飛びまわりますね、クライスレリアーナなんてね、でも天才だから理由どころか思考の痕跡すらない。それが魅力なんです。そういう人が書いた交響曲ってのがあの4つなんです。もちろん枠にハマりきってないです(ラインは別格としてもね)。でも、聴くものはハマると無間地獄みたいにぬけられなくなります。魔法にかかりますんでね。じっくり楽しんで下さい。