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魔笛再考(ハンガリー国立歌劇場公演にて)

2022 NOV 9 23:23:42 pm by 東 賢太郎

西室兄が武蔵野で魔笛を聴いたのは知らなかった。それはよかった、僕は6日に上野のほうをきいて久しぶりに楽しんだところでした。歌舞伎を知りませんが西室の視点はとても面白い、たしかにパパゲーノは狂言回しかもしれないのです。

「魔笛」の筋書きについて書いておきましょう。骨組みはこんな感じです。

ある王子が別の国の女王から「あんた、ウチの娘を救出してちょうだい」と頼まれる。娘は女王の夫である王の城に捕らわれているのだ。王子がビビっていると魔法の笛が手渡され「これを吹けばあんたは安全よ、うまくいったら娘は嫁にやるわよ!」と送り出される。王子は城門で説教を受けて中に入り王の前で娘と出あう。そして殿堂に入会するための試験場に送られる。一次試験は沈黙を守って合格。二次は魔笛を吹いて切りぬける。晴れて合格。娘と結婚し、女王は王が放った雷に打たれ、あれ~っと奈落の底に落ちてオペラは終わる。

どこにでもある勧善懲悪ストーリーですが、なにかおかしい。女王=善人、王=悪人が途中で逆転するのが不自然だというのが最も多い批判でしょう。でも、どっちであれ夫婦喧嘩でしょ、娘も困ってるしという見方もできますし、作者が意図したちょっと下手くそなどんでん返しと思えないでもありません。

しかし、ひとつだけ、変な所があるんです。「魔笛」をくれたのは女王だということです。王子は王に見こまれて依頼人の女王をあっさり裏切ります。しかも女王の魔笛のおかげで難局を切りぬけて娘と結婚してしまい、娘を取り戻したかった女王はあえなく命を落としているわけです。つまり王、女王のどっちが悪人だろうが入れ替わろうが、王子は決定的に悪い奴であり、スパイ映画なら女王の仲間に撃ち殺されてるでしょう。

ところが、さらにややこしいことに、この話の主役はその王子なのです。娘を救出する決心をするまでのドタバタ、果敢に城にもぐりこむまで、そして数々の難題や試練に耐えるシーンがオペラの時間の大半を占めているからです。だとすると主役=悪役であり、勧悪懲善になって誰も支持しませんね。

ところが、王子には子分がいるんです。だからストーリーは肉づけされます。さきほどの骨組みにそれを加えてみましょう(オリーブ色の部分です)。

ある王子が子分と出あい別の国の女王から「あんた、ウチの娘を救出してちょうだい」と頼まれる。娘は女王の夫である王の城に捕らわれているのだ。王子と子分がビビっていると魔法の笛と魔法の鈴が手渡され「これを吹けばあんたは安全よ、うまくいったら娘は嫁にやるわよ!」と送り出される。まず子分が娘を見つけて王子の存在を伝える。王子は城門で説教を受けて中に入り王の前で娘と出あう。そして殿堂に入会するための試験場に送られる。一次試験は沈黙を守って合格、子分は不合格。二次は魔笛を吹いて切りぬける。晴れて合格。娘と結婚し、見捨てられた子分は世をはかなんで自殺を図る。制止され鈴を鳴らすと恋人が現れ、彼も幸せになる。女王は王が放った雷に打たれ、あれ~っと奈落の底に落ちてオペラは終わる。

いかがでしょう。王子の変心は、決して女王を裏切ってはいない娘が自分を受け入れてくれたからで、それは事前に娘に会っていた子分が「王子は立派なイケメンだ」と知らせてくれていたからです。ご覧のとおり、子分の存在が入ることで王子は悪役のイメージから逃れ、まじめでウブで憎めないキャラになってきます。でも子分自身はダメな奴で、臆病者で、見栄っ張りで、我慢はできず、駄々っ子みたいな野生児で、もちろんカノジョはいません。王子は幸せになったのになんで俺は・・・と嘆き、1,2,3と数えても誰も止めてくれないので首を吊ろうとする。すると突然カノジョが現れ、最愛の人!と抱き合い、パパパを歌って踊ってたくさん子供をつくろうねと幸せをつかむのです。

この子分こそパパゲーノです。

実は6日に上野へ行った日曜日、ちょっと仕事がたてこんで寝不足で疲れたりしており、あんまり気乗りしてませんでした。オペラが始まってもエンジンがかからず、休憩になって今日はダメだなとあきらめたのです。ところが後半に歌手たちが良くなってきてオーケストラも温まってきて、ところどころで「モーツァルト凄い」と口走ってる自分がいます。パパゲーノも日本語で笑いを取ったりのいいキャラでした。そしていよいよあの自殺シーンがやってきます。実は、劇場ではいつもここ警戒なんです。

がんばったけど、やっぱりだめでした。

もう聞く前からわかってる。でも必ずそうなる。凄くないですか?こんな音楽は二つとない。なんでこんなにぽろぽろ涙が出るんだろう?いつもそう思って周囲の目が困るんです。ここに「モーツァルト凄い」の秘密がある。でも楽譜を逆さにしてもピアノで音出しをしてみてもですね、メロディも和声もリズムも何の変哲もなくてキツネにつままれるだけなんです・・・。

つまり、魔笛の陰の主役はパパゲーノです。西室が狂言回しとみたのも言い得て妙。カルト宗教にひっかかるタイプのタミーノ王子は引き立て役なんです。

パパゲーノに扮したシカネーダー

このストーリーを書いたシカネーダーという男はドサ周りで「音楽つきドイツ語演劇」(ジングシュピール)を興行する一座の親分です。モーツァルトがザルツブルグにいた時分に巡業にやってきて家族ごと仲良くなっており、性格的にもウマが合ったふしがあります。生まれは最下層ですが単なる田舎芝居の芸人ではなく、インプレサリオであり劇場支配人であり事業家であり台本作家であり役者であり歌手でもあるという驚くべき多才な男でした。初演のパパゲーノを彼がやったというのは、二人がこの役にこめた気合のようなものを物語ってます。僕が注目するのは、彼もフリーメーソンだからモーツァルトの同志であり、性格だけでなく階級も思想も合致していたに違いない、だから最晩年のモーツァルトとは同じ未来像を描き、いわばジョイントベンチャーの経営者として歩みを進めつつあったと考えることが可能だからです。

その証拠としてフィガロが出てくるのです。曰く付きのこれをドイツ語劇(音楽なし)として1785年にウィーンで上演しようと画策したのがシカネーダーだったというのは注目です。その計画は検閲に引っかかって直前にキャンセルされましたが、イタリアオペラに仕立ててこれなら大丈夫と皇帝を懐柔して翌1786年に上演してしまったのがモーツァルトだったのは周知ですね。これが貴族を警戒させたことは早々に別のオペラに差し替えられたことでわかります。結局、次作ドン・ジョバンニもその次のコシ・ファン・トゥッテもウィーンでは当たらず、三大交響曲も日の目を見ず、ロンドンからのお声もかからず、活路を見出したのがシカネーダー一座の「音楽つきのドイツ語演劇」への作曲であり、その第一号として「魔笛」を書いたというのが大まかな流れです。

シカネーダーとモーツァルトは当初は入信式で2組のカップルが結ばれるハッピーエンドのようなものを構想したと思われます。ところが、だんだんと二人の階級闘争魂に火がついてきて、自分たちと同じ平民であるパパゲーノに自己投影をした部分が膨れあがってきます。それはフィガロの二の舞になりかねず危険なのですが、王子王女も試験に合格して歓喜の抱擁をするのだからおとしめてもいない。しかし平民が絶対に勝たなくてはいけない。そこで王子王女の喜びの抱擁の直後にパパゲーノの自殺からパパパに至る「真のフィナーレ」をぶつけて貴族への賛美を吹っ飛ばすのです。「音楽の力」で勝利をおさめようとモーツァルトは全身全霊でここに物凄い音楽を書き、圧倒された我々は祝福の涙を流し、パパゲーノとパパゲーナが抱擁するころにはみんなタミーノもパミーナも忘れてしまう。モーツァルト、本当に凄い!

以上のことは、魔笛初演のわずか2か月と6日後に忽然と世を去るモーツァルトについて語るための重要なステップであります。

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